PCの画面が眩しくて、すぐに目を閉じたくなるこのごろです。
目っていうのは顔の真ん中にあるので、くしゃくしゃ状態だと
鬱陶しいし集中できません。
目も耳も足の痛みもふらつきも、症状があるから医者に行くのに、
何でも老化がその原因です、と言われる母のことを思い出し、
私もきっと母同様、「老化です」と言われるのがオチだな、と思いました。
あ~ぁ、母よりも早く老化が接近しているだなんて、
いやだぁ。もっとPCを奥深く楽しみたいのに・・・。
先日、電車の中で、ある男性が手に単行本ほどのサイズの機器を持って
それを指で操っていたのです。おそらく視力障害の方でしょう。
下を見ないで指を動かしていたのですから。
神々しいほどに感じられる指の動きに見とれてしまいました。
あれってなんだろう?彼のことをもっと見ていたかったのに・・・
下車駅が来てしまいました。
先日といっても、GW中のことなので今更のupなのですが、
母、姉と一緒に、はじめて音羽の鳩山会館に行ってきました。
色々な方のブログでこの会館の記事を拝見していましたが、
実際に行って見て感じるのは又格別の楽しさです。
駐車場があるとわかったので、足のふらつきが目立ってきた
母を連れて行く事ができました。首都高で、池袋方面に進むのを、
お喋りしていてアァ~~ッと思ったときには新宿近くまで
来ていたので大慌てで降り、とんだ遠回りをしてしまいました。
鳩山一郎氏の友人、岡田信一郎氏により設計された洋館は、大正13年に
完成し、近年になり完全に修復されて会館として生まれ変わったとのこと。
その庭園にはバラが美しく咲きはじめていましたから
今ごろはきっと満開のことかと思います。
上は重要な政治の舞台となったという第二応接室。
鳩の描かれているステンドグラスの数々が鳩山会館を象徴しています。
一郎氏の孫である民主党の由紀夫氏も総務大臣の邦夫氏もここで生まれ
育ったと思うと、そのような家を自由に見て回れるのが不思議でした。
庭園には朝倉文夫氏による鳩山和夫・春子夫妻像と、ズラブ・ツェレテリ
ロシア美術アカデミー総裁の作による鳩山一郎氏の銅像があり、
この邸宅の流れを常に見守っているように思えました。
小川三知の手によるステンドグラスは、日本画を志した方だけあり、
空白部分のとりかたが絵画的で、優しい色合い共々あたたかさを感じます。
彼の日本で初めての作品は慶応義塾大学50周年時に制作された図書館の
ステンドグラスですが、戦災で失われてしまい、後年 彼の教え子により
再現されたことを知りました。鳩山家は戦渦を受けず何よりでした。
二階で案内してくださった方が、わが街の方だと知りびっくり。
なんだかんだと話したがる人と一緒だと、思わぬことを知り得るもんですね!
GW後半から休暇に入る息子を迎えがてら、というより、これもドライブがてら、横須賀へも行きました。
横須賀の「ショッパーズプラザ」で待ち合わせましたが、ここのパーキングに入れるのに四苦八苦。信号を中心に三方から、たった一つの入口に向かって車が殺到する上、大渋滞なので何回青に変わっても動かない。何回目かの信号待ちでやっと中に入れるも、駐車場内で更に渋滞が続いていたのです。
息子が教えてくれた、海の前の横須賀バーガーの店で、3人でランチをしました。え~っ、ハンバーガー?と、乗り気でなかった私でしたがアボガド入りのを注文し、その美味しさにほっぺが落ちそうでした!写真は広げて運ばれてきたバーガーですが、これをパタンと重ねて袋にいれて頂きます。新聞でも評判になった、町起こしのために作られたヨコスカネイビーバーガーではありません。念のため。
食後、運転を息子とバトンタッチして市内を案内してもらい、
次は観音崎方面へとドライブです。
観音崎方面には、昨年私が母たちと訪れたことがある横須賀美術館があります。夫も、この街に来て一年以上経つ息子も、この美術館は初めてなので寄る事にしました。屋上広場では、うろこ雲が空一面に広がり、ゾクゾクするほどの美しさ。
企画展では「花ー美と生命のイメージ展」開催中でしたが、閉館までに全部見るのは時間的に無理なので、常設展と谷内六郎館だけにしました。
常設展では初めて目にする朝井閑右衛門の絵に引かれました。
全体的に良い絵が多く展示されていたし、会場内の広々した空間が実に気持ちよかったです。息子は谷内六郎の絵に心を奪われたようで、絵はがきを買っていました。
いつか、彼女(いるいないは別の話で~す)とのデートスポットにもいいんじゃないかな~とのおせっかいな思いも抱いてここに連れてきたのですが・・・今の職場を近々辞めるつもりだ、とぬかすではないですか!
寄りに寄ってこんな時期になぜ、ですよねぇ。自分の希望と異なる所に配属され、嫌気がさしてきたようです。
あぁ、せっかく慣れたのに・・
又もどってくるのかぁ。ガ~~ン!
観音崎を海沿いにずっと浦賀方面へ走って行ったあたりを、息子は眼を輝かせて、こんな所に住みたいな!と。
どうせ仕事も振り出しに戻るんだから好きな所に住んだらいいじゃない、と、おかんは言い放ちました。