ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ソーシャル・ネットワーク

2011-01-30 | cinema

 ずっと気になっていた映画を見て来ました。去年、初めてfacebookのアカウントをゲットしたときは、創始者が誰か、など全く知らなかったし興味もありませんでした。
単にアカウントを持っているだけの私にとって、原則実名登録のfacebookにはとても抵抗がありましたし、平気で誕生日や出身校などを書き込んだ上、本人の写真を含め沢山の写真を投稿している子供たちのサイトに不安を感じていました。「自分が許可して友達にならないと見れないんだから安全よ。決まった人しか見れないようにも出来るし。」と言われたってねえ。友達の数が数百人というけど、許可するしない、をどのような基準で決めているんだろう、と、昔の若者はつい警戒心でいっぱいになります。

そんなこともあってフェイスブック創始者、マーク・ザッカーバーグが主役として描かれたデヴィッド・フィンチャー監督の映画「ソーシャル・ネットワーク」は絶対見に行こう、と思っていたのです。

それはハーバード大学寮の一室でした。この実名交流サイトの最初の計画が生み出されたのは。それも弱冠19才の学生が、ガールフレンドに振られたようなたわいない動機が発端だったなんて。動機が何にせよ、“おたく”というか、ナード的なマークの性格が、振られた理由の一つだったようだし、5億以上もの人間が利用するサイトを創り出せたのもその性格があってこそ、だと感じました。
              
          
        

映画はとてもよく出来ていて、最後までスクリーンに引き付けられっぱなしでした。喋って喋って喋り捲る映画で、字幕を追うのも大変でしたが、その中にもアメリカ的ユーモアが随所に感じられたし、終りかたもよかった。ああ言えばこう、と、呆れるほど人の怒りを誘うような答弁を鉄砲のごとくに発言する
人間が、無言になるときに見せる表情のほうにより雄弁さを感じたのは私だけでしょうか。

             

自分たちのアイディアを盗んだ、と訴えるウィンクルボス兄弟に対しての、ハーバード大の学長の言った言葉が小気味よかったです。盗られたら新たに創り出せばいいだけの話じゃないか、的な台詞でしたが、さすがハーバード。優秀な頭脳は護りより創り出すことに使用せよ、ってことでしょう。その双子兄弟を初めて見たときに言った台詞には笑っちゃいました。また、ナップスターの創設者、ショーン・パーカーがマークに与える強力な影響力が原因で、それまで共に計画を練り資金を提供してくれた親友エドゥアルド・サべりンとの仲にひびが入り、最終的には裁判沙汰になってしまいます。ウィンクルボス兄弟との訴訟と併せて二つの訴訟が、過去(と言っても2~3年)を振り返りながらストーリーは進んで行くのです。
ショーン・パーカーの言った台詞の中で、「VICTORIA'S SECRETというレディースウェアの会社設立にまつわる話しが出てきましたが、娘のところにカタログが届いていたり、注文もしているようなので興味津々に聞いていました。通信販売が主な会社ですが、カタログにスーパーモデルを起用して有名になったとか。そのモデルだよ、と言って映画の中でショーンが紹介していましが、セクシー路線の通販カタログの中身にはドキッとするようなランジェリーが多々あり、親としては悩ましい限りでした。(余計なことでした!)
  

       

エンドロールには、“この作品は事実に基づき、随所に創作を加えたドラマです”、と記されていましたが、どの部分が創作なのかはわかりません。facebook側がこの映画にいっさい協力しなかったとは言え、アーロン・ソーキンの脚本は実に素晴らしい。マーク役のジェシー・アイゼンバーグ、エドゥアルド役のアンドリュー・ガーフィールド、ショーン・パーカー役のジャスティン・ティンバーレイクなど、ピッタリの味を出していました。マークの元ガールフレンド、エリカ役で出ていたルーニー・マーラはフィンチャー監督の次回作「ミレニアムドラゴン・タトゥーの女」の主演女優に選ばれたとのこと。

私にとって「ソーシャル・ネットワーク」は、これまでに数々の賞を受賞し、次回のアカデミー賞に幾つもノミネートされていることに全く異議なし、の映画と見ました。そして、まだ若い実在の人物たちの今後の活躍が益々気になりそうです。
特に「インターネット時代のビル・ゲイツ」と呼ばれ、米フォーブス誌の2010年版世界長者番付で「世界で最も若い億万長者」となった26才のマーク・ザッカーバーグ氏。若くしてトップに踊り出たら、あとは落ちるしかないじゃないですか。親ほどの年齢の私の視線から見ると、なんとなく気掛かりなのですが・・。しかし、健康なら平凡でいい、の世界の住人ではないですから、余計なことでしたね。

       

        SOCIAL NETWORK ←オフィシャルサイト

シネ・イクスピアリでは「最後の忠臣蔵」や「アンストッパブル」も上映中だったのでチケット売場で一瞬迷いました。「デザート・フラワー」は、見たかったのにもう終わっていました。早すぎ!

右も左も若いカップルで焦ったけど、そんなことを忘れて映画に没頭し、帰宅後すぐにブログ投稿したくなったのも、映画の勢いがわが身に乗り移ったから?ぐずぐずしていたら即、先を越される厳しい業界には付いていけないけど、ブログ投稿ぐらいなら、私にもできるもんね。

 

この記事の前に投稿予定のブログがまだ終わらないのですが、後日、投稿することにします。
投稿記事を書きながら観戦していたサッカーアジア杯決勝 対豪州戦。ヒヤヒヤで見たくなかったけど延長後半でやっと決めてくれましたね。PK戦にならなくてホッとしました。
           アジアカップ優勝おめでとう!!
 

 


最終日がお好き?

2011-01-19 | art/exhibit/museum

最終日その一:
アフロ・キューバン・オールスターズを聴いたあと、天王洲アイルから銀座に辿り着き、最終日の「山口 晃 展~東京旅ノ介~」に滑りこみました。

以前、デパートの広告チラシに大々的に使われていたのできっと、あぁ、あれね、とすぐにその絵が浮かんでくるでしょう。私もそのちらしを、えぇ~~ッ!と思いながら見ていた一人でした。
細かく綿密に書かれた絵、というかイラストというか、デザイン画風でもあり、マンガにも繋がる、独特の作風で現代を江戸にタイムスリップさせたような、ユーモア溢れる絵を描いています。近視な上、老眼も入っているから細かい絵は見づらい。パスしようと思ったけど、前の日に見に行った夫から、面白いから行ったらいいよ、と背中を押されたのでした。

    
          「百貨店圖 日本橋 新三越本店」

山口氏の絵に多く描かれている雲が気になっていましたが、某ウェブサイトでインタビュー記事をみつけました。そうかなぁ、とは思っていたんですけどその率直さが実におかしい。

おなじみの大和絵で使う雲の効用について:
「あちこちで何度も話してますが。すーーっと視線の流れが生まれるわけですね。雲を境にして全く違う世界が描けるのです。一番便利なのは『納期』!雲をさっと描くと一週間分くらい飛ばせるわけです。『洛中洛外図』で雲をさんざん使っている意味がわかりましたよ。『首を落とされないために雲を描いたんだな、この絵師』と、時空を超えて手を握り合ったような気がいたしました。」

ずっと気になっていた東京タワーが二つに分かれているのも気になりますが、分けたほうが描き易いから?だったりして。
会場内に突如、懐かしい
路面電車が現れたり、美観を損なうから地面に埋めるべきだ、と思っていた電柱を華道の様式に見立て、美しいものとして表現しているし、その電柱のモデルも会場内で見れました。想像力溢れる作品の数々は、見ているだけで楽しい~。特にラフに描いたマンガ風イラストと文は、山口氏のユーモアあふれるおとぼけ振りが凝縮されたようで、もっと続きが見たい、と思いました。それが「すずしろ日記」という本で沢山見れるようです。 最終日は午後6時が閉場時間だったので、その時間がすぐに来てしまいました。


最終日その二:
最終日の数日前にチケットを頂き、私の都合でまた最終日になってしまった、デパートでの美術展は、「生誕120年 河井寛次郎 ~生命の歓喜~」

去年、日本民藝館でも素晴らしい作品を拝見することが出来ましたが、この展覧会ではまた一味違った趣向で、寛次郎氏の一ファンとしては嬉しくなる内容でした。

陶芸をはじめとして、木彫や家具調度品、文筆や書の作品、自筆ノートなど180余点が展観。どれを見ても作家の美意識の高さがうかがわれ、改めて尊敬の念を強く抱きました。

ノートに書かれた小さな字は、美しいタイポグラフィーを見ているようでアートそのもの!陶芸家というより生活デザインの総合芸術家と言えるでしょう。

中でも印象的だったのは、92年振りの公開作品になる、寄りそう男女の菩薩像「愛染鳥子」。大正10年、寛次郎31歳ごろの作品とのことです。30代の初めという若さで、どんな思いを抱いてこの作品を作ったのかしら・・と考えずにはいられないほど慈愛あふれる作品です。(左のチケットクリックでパンフレットの裏が、下の二つの作品クリックで後ろ側が現れます。)

 
    「愛染鳥子」表裏         「木彫像」 表裏

見ているだけで心安らぐこの作品を見れただけでも、最終日に駆けつけた甲斐がありました。
       
        棟方志功と河井寛次郎のこの写真が好き。    
      
       

最終投稿日がなんとまぁ、2月5日になっちまいました!
もうとっくに終わった展覧会なので今更、なのですが、一応自分の記録として残します。とは言うもの、記録していない事柄のが多いブログなので、たいして意味ないですけどね。いっそ「いまさらビアンカ♪」にブログタイトルを変えたほうが絶対お似合いでしょう。

 
      

       


アフロ・キューバン・オールスターズ

2011-01-18 | music

アフロ・キューバン・オールスターズのニューイヤーライブ最終日に行って来ました。 会場は天王洲銀河劇場。以前、倉本聰氏率いる富良野塾の「昨日、悲別で」という劇を見に行ったころはアートスフィアという劇場名でしたが、2006年4月にホリプロが運営するようになって改名したとのこと。あれから何年も過ぎましたが、天王洲アイルはりんかい線またはモノレールを利用するしかないのでちょっと行きにくい場所、って印象ですし、新木場からたった4駅目なのに320円と運賃が割高。我が街からだと160円+320円=480円です。東京駅までが(または最長、上野or浜松町までも)290円なのに、と、つい細かいことにこだわりたくなるんです。だからあそこは何年たっても遠いイメージのままなのかも。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」に参加していたファン・デ・マルコス率いるオールスターズの来日公演は約10年ぶりだそうです。オールスターズですからメンバーも演奏の都度、入れ替わったりしているようですが、10年前に聴きに行けたらブエナ・ビスタのメンバーにもっと多く会えたかもな~と思いました。でも映画を見た後、あの時代の、心にキュンと伝わってくる、陽気さプラス哀愁を感じさせるキューバ音楽に夢中になったのが去年だから仕方ないです。この日も、きっと当日券でいけるだろう、と思っていた5のですが、2,3枚しか残っていなかったので冷や汗ものでした。遅く着いたら売り切れで見れなかったかも、です。私は二階一列目の端っこの席でしたが、同列中央20席近くが空席だったのはいったいどういうこと?それでも会場はほぼ埋まっていました。

10年前と今回のメンバーの違いとかは全然判りませんが、ラテンの熱気が会場に溢れ、各フロアーの隅っこや後方では曲に併せてサルサを踊る観客もチラホラ。とてもダンサブルな曲が多かったのでそれも頷けます。14人のツアーメンバーのうち三人が女性でしたが、一人はファン・デ・マルコスの奥さん、、二人は彼の娘さんのようでした。つまり4人が家族だったのです。
どの演奏者も素晴らしかったし、二人のヴォーカルもよかった。その一人、相撲取りのような体格のホセ・ビル・ピネーラは、巨体で重そう・・・と思ったけどちゃんとリズミカルに体を動かしながら(プロだからあたり前ですね。)とてもいい声出していましたね。上手くて聴き惚れました!
来日メンバーについてはこちらに詳しく書かれていますし、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ誕生の秘密も同じくここで初めて知りました。いやはや調べるつもりじゃなくてもネットを通して色々なことがあっという間にわかっちゃうものですね。このツアーメンバーの曲も一曲くらいリンクづけしておこうかな、とYou Tubeで探したのですが、多くてどれが今回メンバーのものかわからず終い。ファン・デ・マルコス曰く、「ACASは毎回メンバーが変化するけど、これは“オルケスタ”ではなく“プロジェクト”と言えるね。」ということです。

しかし~、探している途中、これはなんだ!!な感じの、すばらしい演奏を偶然見つけてしまい、一人ノックアウトされながら聴き惚れていました。こんなことしているからいつまでも投稿できない、と知りながら。

この曲です。是非是非。お勧めです。

↑メンバーは全然ちがうっぽいけど、あの独特な帽子を被ったファン・デ・マルコスがいるのでたぶんオールスターズじゃないかと思いますが・・・。コメントには、「あのバイオリニストはだれか?」とか、ピアニスト(David Alfaro )のことなど書かれていましたが、私も同じく知りたい、って思っていたことでした。CDで聴くより演奏場面を見ながら聴く醍醐味ががぜん伝わってくる動画です!

今回のコンサートは、確実に楽しめた筈なのに、帰宅したとたん、聴いたばかりの音楽がまるで随分前のことのように薄れてきたのには自分ながらびっくりでした。もしかしたらダンサブルな曲が耳から耳へと流れてしまったのかな。だって最後は観客が舞台に上がったりして踊ったりするんですよ。それもこのコンサートの企画の一つだったようですからそれがお目当ての客も当然多く来ていたのかもしれません。サルサのステップをつい踏みたくなったし、実際、見よう見まねでシートに坐りながらステップを踏んでいましたけどね。キューバンジャズはサルサと切り離せないもんです。
一つ気になったのが日本人のスペシャルゲスト。
「Fried Pride」は上手いんだけど、ゲストにする意味がわかりません。日本人とキューバ人のハーフ、シェイラだってどうでもいい質問を時間をかけてファン・デ・マルコスと奥さんに訊ねていましたが、「カット~!」と心の中で叫んでいました。オールスターズだけで最後までいって欲しかったな。

帰りはモノレールで浜松町に出て、JRで有楽町まで行きました。デパートでの美術展の、これも最終日だったのです。

 ★毎回賞味期限切れの、困ったブログですが、次回もそうで~す。


気になる場所めぐり

2011-01-08 | visit/drive

昨日は寒い一日でしたね。そんな日なのにバス停で震えながら10分以上も待って、東西線の駅まで行き、そこから門前仲町へ。それからさらに10分は歩いたでしょうか。
この川を渡って少し行ったところにヨー〇ン〇ールの本社があります。その1階のショップで初市セールが行われていたのです。またもやデジカメを忘れ、ケータイでこの画像を撮った途端、画面が白くなり、もう壊れたものだとばかり思いました。が、taskというボタンをしっかり押さえて撮っていたことがあとで判明。(taskってなんだ?→調べなきゃ)

    

このブランドの色使いが好きで、バッグや小物も好みなのですが、購入したことはありませ~ん。一枚だけ持っている夏のブラウスはフリマで千円で購入したものの一度も着ていないんです。似合わなそうなのに欲しくなるって、何だろう。きっと似合ったらいいのにな~的気持ちなんでしょう。ここの服は人を選ぶ、というか~シンプルなのに着こなしが難しそう。服が歩いている風になるのはイヤですから、自分が服にあわせて変わるしかないかぁ。
当り前と言えば当り前ですが、30%のディスカウントと言えども普段行き慣れたショップのセール価格ではないので、服は諦めマフィンをご購入となりました。(笑)
ここで作っているマフィンは粉も砂糖も乳製品も入っていないのに美味しいのです。原料も無農薬や良質のを意識して使用しているので安心。聞くところによると社員の手作りとか。それも素人の。もちろん素人とは思えない美味しさですが、いえ、素人の手作り風だからその素朴さがお口に優しいのかもしれません。レジ台の横の小さなケースに、本業の邪魔にならない程度に置いてあるのですが、季節や
曜日によって扱うマフィンの種類が異なるようです。

  

私が着いた時にはケースの中はガラガラ。数種類が数えるほどしかなく、三種類を一つずつお土産に買いました。マフィンは家で食べてなくなり、アッ写真撮ってない!、と思ったときに残っていたのは上の麦チョコ風のお菓子だけ。小さい四角が三枚入っていましたがお砂糖の入っていないチョコ菓子は思ったより硬めでコクがありクセになりそうな味でした。一つ3~400円はするのに小ぶりなので、他の店のマフィンの大きさと値段が頭をよぎりました。先日の「牛乳屋さんのカフェ」で見たマフィンは大きいんですもの。
パッケージも白い薄紙に包んでねじっただけですが、手作りの温もりを感じます。茶色の紙袋にもトレードマークの手作り風シールが裏表、のものが張られていました。夏にはここの社員食堂が開放されたことを新聞か何かで知りましたが、食堂の食材へのこだわりも徹底しているようです。この本の発売記念に、食堂へご招待、という企画もありましたっけ。

お菓子のご紹介のついで、と言っちゃ何ですが、先日こんなフルーツケーキのホールをいただきました!仕事をしていたときの大・大先輩で、今たしか92か3才。電話で話していると昔のままの淡々とした語り口で全く年を感じさせない素敵な方からのギフトでした。同居なさっている娘さんの手作りです。以前、一度頂いて以来なのですが、アンズも入ったドライフルーツがぎっしりのケーキを見て、思わずやったぁ~って叫んでいました。
写真は大きく切り過ぎたものですが、母に姉にと分けた残りをもっと薄切りにして大切にいただきました。今度、レシピを教えてもらわなきゃ。       

さて、もとに戻ります。

このショップの斜め前は外観も立派な深川図書館、さらには清澄庭園と続きます。来た道を戻って茅場町方面へ行くつもりでしたが、まだ利用したことのない清澄白河駅が近かったので都営大江戸線に乗って蔵前へ出て見ました。この路線を使っていけそうな「気になる場所」を幾つか、この際覗いちゃおう、と思って。こんな寒い日に何やっているんだろう私。それもデジカメ忘れてね。蔵前のその店は、こだわりの生活雑貨と隣りのスタジオの出版物が置いてありましたが想像していたより小さかったです。いい物を扱っているからお高いのは仕方がないんでしょうけど、どうしようかな~と思ったけど、ゴムが入っていないという靴下を二足購入。一見オヤジ風(笑)ですが、触っただけでいい感じ。お気に入りの靴下が二足とも同じ人差し指のところに穴があき、修繕するにも大きすぎるのでどうしようか、と思っていたところでした

その後、合羽橋まで歩いて行こうとしたはいいけど、道を間違えたお陰で、以前から気になっていたMOKUBAを、偶然通りの反対側で見つけました。見つけようとしなくても、あれっ、あそこはなんだろう?と覗きたくなる店構え。それも二軒発見!いつだったか忘れましたが、朝日のフロントランナーで紹介されていた「木馬」のデザイナー渡辺敬子さんの記事を感心して読んでいたのです。パリのファッション界はもとより世界規模で注目されているリボン屋が蔵前のこの店なんだ~と嬉しくなりました。店内を一巡し、リボンの種類の多さと洗練されたデザインにため息。web上でお店のHPなど探しましたが見当たりません。HPなくても注目される世界的なリボン屋さんってすごい。

家を出たのが遅かったせいもあり、合羽橋道具街についたときは5時過ぎ。すでにシャッターが下りている店もあり、閉店間近という雰囲気でしたが、見ているだけで楽しい問屋街です。気になっていたsoiにも立ち寄れたし、合羽橋珈琲では気持ちいい空間で珈琲をすすりながら冷たくなった手足を温めました。禁煙席は一人客も多かったですが、隣りの席に坐っていた外人カップルがとても印象的でした。隣りなのに会話する二人の声が殆ど聞き取れないほど小声です。分厚い本を挟んで二人とも終始書き物をしていましたが、その光景が何かのストーリーを切り取ったように私には見えたのです。絵になるシーンでした。

私は、というと、時間を気にしながらコーヒーを飲み干し、帰りは銀座線かJRか悩んだ末、も
うこうなったら歩きついでだから、と 浅草通りを上野駅まで歩くことに。途中、一度見ておきたかった「最後の同潤会アパート」という上野下アパートの前を通り、横山大観が描いたという竜の天井画で有名な下谷神社にも立ち寄りました。時間的に中には入れませんでしたが、今度また日中に来て、両方ともちゃんと見ておきたいと思いました。

       

目的のあるよな、ないよなブラブラ歩きが好きですが、帰る場所があってこそ!

 

★書きだし(=投稿日時)から公開投稿日まで、一週間が過ぎてしまいました!昨日がいつだか紛らわしくてスミマセン。一週間前の投稿日の前の日、ということでした。投稿(予定)記事は溜まる一方・・・あぁどうしよう状態です。たいした記事じゃないんですけど、ね。
    

 


今年もスタートを切りました

2011-01-05 | family

元旦は弟家族が昼食後ゆっくりと出てこっちに向かうというので、それに併せて私たちも母のところに集まろう、ということに何となく決めた。大晦日の夜はイクスピアリにカウントダウンにも行かず、小豆を煮ながら珍しく紅白歌合戦を後半あたりからチラチラっと見はじめた。台所と居間を行き来して見ていたので聴きたかった人のを聴き漏らしたりもした。植村花菜の「トイレの神様」、“いきものがかり”の「ありがとう」、男性では“こぶくろ”の「流星」はしっかり聴いた。坂本冬美の「また君に恋してる」も、ビリーバンバンの名曲とはいえ知らなかったのについ口ずさみ、不思議と頭の隅に残ってしまった。苦手なタイプと思っていた倖田來未を初めてカッコ良い!上手い!と思い、テレビの前で踊りながら聴いたし、加山雄三の新曲を、本人の隣で一緒に歌っていた氷川きよしを見て、彼の人気の理由が理解出来た気がした。でもやっぱり美空ひばり級の大物がいないのはさみしい。行く年来る年で除夜の鐘を聴きながらニューイヤーメールを娘と他数人に送信。夫はすでに夢の中なので、おめでとう!を言葉に出して言う相手は残念ながら、いなかった。
ただ、午前0時に送信となっていた姉やその他の人からのメールはなんと、二時間遅れで届いたので、どれだけ多くの方がメールで新年の挨拶を交わしているかを実感。

前夜は遅くまで起きていたので寝不足気味で元旦の朝を迎えた。私以外、起きる気配がないので、お雑煮を作った後、一人パンとコーヒーで朝食をすませ、母の所に持っていく煮物を作り始める。
母宅での午後からの集まりとなると、各家庭で祝い膳を囲んだ後になるので、それぞれの家でのお正月準備のほかに、むこうでの準備が必要となるが、お寿司を頼むことだけを決め、他は特別取り決めもせず各々が適当に持参することにしていた。当日は大勢と言っても身内ばかりだし、目の前が大手スーパーだから足りなければ買いにいけばいい。気になったのは、母一人で迎える元旦の朝のことだったが仕方がなかった。「同居の時期」を時々考えたりしているが、本人が積極的ではない。一人だと誰にも遠慮することなく暮せるからだと思うけど、話し相手が常にいるのといないのとではきっとボケの進み具合もちがってくるのではないかな。
元旦のお昼頃、二人でお節もどきをいただき、父のお墓参りに。公園墓地は市民のための墓地だけありどこもお花でいっぱいだ。前日、いつものように甥が墓掃除をして花を挿してくれたので有難かった。
母宅では、挨拶に顔を出すだけで用事で出かけた人
もいたりで全員揃わなかったけど、約11名は集まったから賑やかだった。そんなとき、いい按配に娘から明けましておめでとうコールが掛かり、母も受話器に出れて本当によかった。彼女はラスベガスでカウントダウンをし終わったばかりだと、まだその余韻を言葉に漂わせていたが、二日からはもう仕事が始まるという。

・・・と、こんな調子で一年の初日を無事迎えることが出来ました。デジカメを携帯せずにいたし、弟からはCDにコピー済みの当日の画像を来週受け取ることになっているので、わがファミリーの新年の様子は活字だけです。


初詣は門前仲町の不動堂に。この時もデジカメを忘れ、ケータイで撮った二枚ともピンボケ。箱根駅伝を復路の途中から観戦した元旦3日目。手に汗を握りながら最後まで見てしまったので初詣でに出かけるのがずれ込みました。

      

「二番じゃいけないんですか?」と言いたくなる切迫した駅伝結果だったけど、優勝を経験すると二番では喜べないのだろうな。いいのかわるいのか。順位など関係なく満面の笑みでゴールのテープを切ればいいのにな~。
夫や息子は2日3日と仕事日なので、喪中のはずの姉と二人しての初詣。参拝客が参道に長蛇の列を成していたので、露店でアンズ飴を買って舐めながら順番を待っていたけど、参拝するのは私だけなので、インチキして境内本堂の横階段から入り込みました。(上の写真がその場所ですがマネしないで下さいね。)その上アンズ棒を持ちながらの片手参拝!失敬きわまりないお参りをしちゃったので、もう一度、日を改めて参拝に行くべきでしょう。
そのあとはいつものようにサロンドペリニィヨンでケーキセットをいただきました。今年最初のケーキはショートケーキでした!が、殆ど売り切れ状態たっだのです。

      

4日には義母を入居施設に訪問。歩行器を使用していますが、足が弱ってきてベッドの上がり降りの際に尻持ちをつくことが増え、ベッドから畳に変えられたのです。当人は一人で立ち上がれず不満なのだけど、顛倒から寝たきりになることを考えるとそれも仕方がないのかもしれません。頻尿の気があり、その都度トイレまで連れて行ってもらっているので、介護士さんにはほんとうに頭が下がります。義母はこの日は終始にこやかに、「もういくつねると  おしょうがつ~♪」など、歌をくちずさんでいましたが、きっと私たちが来る前にみんなで歌っていたのでしょう。

「ここはまるで毎日お芝居をやっているようなところだ」、と言ったのがどういう意味なのか、考えてしまいました。施設では自分が自分でなくなって、お芝居をやっているように見えるのでしょうか。私に出来ることは話し相手になることしかないけど、お喋りだった義母が、以前のように弾んで喋ることもなくなったことはちょっと淋しいです。

施設の帰り道、前から一度行ってみたかった店を、迷った末やっと探しあてました。暗くなったからきょうは諦めて帰ろう、と思った頃、灯りのともるこの建物を見つけたのです。

 
   

六三三〇、ここだ~!最初にここを知ったのはかぐやめさんブログでした。牛乳屋さんのカフェとは書いていないけど、明るかったらきっと畑の真ん中だってことがわかったでしょうね。  

    

店内は画像よりもっと雰囲気あり、マフィンの甘い匂いがあたたかい室内に漂っています。1階と階下とどちらがいいですか、と聞かれたので階段を降りて下を見に行き、そのまま階下のテーブルに決めました。

    
     
木の模様が描かれたカフェラテは当店のお勧めドリンクでした。ドリンクだけのつもりでしたが、メニューの中に気になるものを見つけてしまいました。
       
  
   
結局注文したのは蔵焼きピザとリンゴのクラフティー。仲良く?半分ずつ切り分け、美味しくいただきました。今度はランチタイムに鯛飯をいただきに来ようっと。ランチは人気があるので予約をしたほうが安全ですよ、と言われましたが、夜は周囲が暗く、ここは一体どこなの~的な隠れ家的な場所の気がしますね。この日もデジカメを持ち忘れ、夫のを借りて撮りました。彼の撮った画像も使っていますけどね。

《追記》 新しい編集画面のバージョンになってから、ときどき変な現象が起きています。文が前後で入れ替わるなどおかしなことになっている場合がそれです。私が見つけられれば直せるんですが、過去の分などいちいちチェック出来ないので、もし文や画像がくずれたりしていたらご免なさい。新しいバージョンはとてもやりにくく、gooブログをやめようかも検討したりしちゃいましたが、便利になった部分も確かにあります。どうしようかな。

 


新しい年に

2011-01-01 | weblog

   
追記:
夜間おそくに、テレビを付けっぱなしでこのブログを編集中
、高峰秀子さんの訃報のニュースが。まさか、の元旦発表に、残念な思いより脱帽の気持ちが勝っていました。母と同い年。何と言ってよいかわからないけど、たいした方です。あの時期、某女性誌の連載記事はなんだったのだろう。すでにわかっていたのではなかったか、と思ってしまいました。何はともあれ、心よりご冥福をお祈りいたします。

追記2:
ブログ用年賀状を急ぎすぎて、絵柄の発色が気に食わなかったりフォントの色もそのとおりに出なかったりしたのを修正する時間がないまま投稿しました。気になって仕方がないので入れ替えることにしました。一年の計は元旦にあり、だとすると、「やり直しの一年」になるのかしら?いえいえ、失敗は成功のもと、と、何事もプラス思考で過すことといたしましょう。