ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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神坂雪佳展

2006-06-05 | art/exhibit/museum


  SEKKA
        
KAMISAKA 
     

金曜日、仕事を終えた5時半過ぎに、日本橋高島屋へ
京琳派
 
神坂雪佳展 を見にに行って来ました。
雪佳と言う方は初めて知ったのですが、金魚の絵をカメリアさんブログで拝見した時、
絶対に見に行かなくちゃ、とピ~ンと来るものがあったのです。
金魚にSekkaだなんて、それも、京琳派・・・こりゃあ~
尋常じゃないゾ。
   
 
 

神坂雪佳(1866年~1942) 京都生まれ。
明治20年代に京都の工芸界の指導にあたっていた岸光景氏に師事し、図案家への
道を歩み始めます。明治34年(1901年)、スコットランドのグラスゴーで開催中の万博
視察と欧州各国の美術工芸の調査のためにヨーロッパを訪問。
あぁ、【新世紀】なんて聞くとゾクゾクしてきます。
だって欧州の名だたる画家、作曲家、作家がその辺りに勢ぞろいしているんですもの♪

雪佳は約半年に亘る訪欧で、そのころ全盛だったアール・ヌーボー様式をしっかりと
目にしていたのですが、それをなんと、「顧みるに値しない」と酷評し、
たいした感心を寄せなかったと言います。

「平安時代の流れを汲む琳派こそ
が日本固有の芸術的表現」

ゆるぎない確信を持てたのも、それまで歩んできた道、
そして自身の美的感覚に自信があったからだと思います。
信念ある人とは、私のようにあっちにも、こっちにも目が眩み~っていうんじゃないんです。
彼の作品を見ていると、絶対に西洋に引けを取らないセンスがあちこちで
光り輝いているのがわかります。絶対にヨーロッパには負けてたまるか、という
気負いも少なからず、あったのではないでしょうか。

図案集「蝶千種」の中の絵を見ていると、
森英恵さんを思い出してしまいます。
森さんも彼の図案集を見た事あるのかしら・・?なんともモダンで洗練されていますよね。

 

       
2001年春には、エルメスの季刊誌「ル・モンド・エルメス」の表紙に、日本人で
初めて彼の作品が採り上げられたのですって。
その年のテーマ「未知なる地球の美を求めて」をイメージする図版として選ばれ、
「琳派における最後の巨匠であり、近代デザインの先駆者である」と彼を紹介。
その抜群のセンスはどうも日本人よりも、外人の目に先に留まってしまったようですね。

       
日本では、京都の道具屋でたまたま雪佳の掛け軸を見かけた細見家の当主が、
彼の名前は知らなかったそうですが、ひと目で魅せられてコレクションするようになり、
掛け軸や屏風、画帳や漆器など多様な彼の作品が手元に集まった所で、渋谷にある
松涛美術館に持ちかけて、1981年秋に、雪佳展の開催が実現したそうです。
だから、雪佳の作品の多くが 
細見美術館蔵 となっているのですね。

        「吉野」

   「八つ橋」

                  「春の田面」 

雪佳は尾形光琳や本阿弥光悦をとても敬愛していたと言います。
特に光悦を理想の芸術家だと思っていたようで、光悦の移り住んだ芸術家村を想像し、
「光悦村」と題して描いています。
なぜかフォーゲラーやパウラの芸術家村を思い出してしまうんですよね~

時代も似たり寄ったりだし、やっぱり欧州の影響があるのか、芸術家の考える
ある種の類似性なのか・・。

「百々世草」の原画や、「紫陽花・蝶図卓被下絵」、「山姥の図」などの絵、そして
弟である漆芸家の祐吉との合作の硯箱・文庫も素晴らしいものでした。

雪佳の作品以外では、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、乾山等の作品も見られ、
何よりも見っけもの~と思ってしまったのは、中村芳中の「枝豆露草図屏風」でした。
絵がとってもユーモラスでセンス抜群!「たらし込み」という技法~ぼかしや滲みを
活かして描く~が決まっていました。

最終日は6月5日(月)・・Oh、なんと本日までなんですか。
 
     

 


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