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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ドラッカーコレクションへ

2015-06-26 | art/exhibit/museum

お久しぶりで~す!
一気に三ブログの投稿です。大したブログ記事ではありませんが。

過去の分が貯まり過ぎ、気になって前に進めませんでした。
これからは、自由気ままに、過去の分も含めて、忘備録になることを意識して投稿することにします。



経営学のピーター・F・ドラッカー(1909-2005)。
彼が室町時代を中心にした多くの水墨画をコレクションしていたとは初耳でした。

とはいえ、30年前に、すでに日本で「ドラッカー・コレクション水墨画名作展」が開催されてたといいますから
そのころはきっと、「もしドラ」のあのドラッカーだ、と思って見に行く人はいなかったでしょう。

友人が、とてもよかったから、是非行ってきたらいいわよ、と電話してきたのが数日前。
というか、来週、新宿で会おうという約束をしたついでの話しだったのですけど・・・
明後日の日曜日まで、というので、雨天でちょっと気が重かったけど行ってきました。

日本美術との出会いは、ウィーン生まれのドラッカーがナチスの台頭によりドイツを脱出してロンドンで銀行に
勤務していた20代の前半のころでした。にわか雨にあって雨宿りに入ったところでたまたま行われていたのが
日本美術展。これがドラッカーと日本美術との衝撃的な出会いだったのですね。

「正気を取戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る。」

会場を入った正面のパネルに書かれたのがこの言葉。とても興味深い言葉です。
マネジメントの父は、日本画、それもシンプルかつ無駄を省いた単色の水墨画に一体なにを見ていたのでしょう。

111点の水墨画の作品は、全体的に暗い色調なので、目の悪い私には見辛かったのですが、よくぞこれだけの
数を集めたものだ、と感心してしまいました。毎年のように訪れた日本で、講演やセミナーなど、仕事で得た収入は
日本で使った、という話がありますが、せっせと日本画につぎ込んだのかもしれませんね。

「コレクションを作るために最も大切なことはなんでしょうか」、との質問には、
「良い先生を見つけることです」と返答したドラッカーには、何人かのよき古美術商がついていたのですね。

私が購入した絵ハガキは、室町時代のこの一枚。精庵の「雪中雀図」です。雀が生き生きと描かれています。

日本は概念よりむしろ知覚の分野に創造的な才能がある・・・(中略)
日本の伝統を貫いている「知覚力」は、日本の経済的、社会的発展の基盤となっているものと考えられる。(後略)

などなど、
学者ならでは?の言葉をいくつも残し、日本画を、それも多くの外国人が購入したがる浮世絵などではない、渋い
墨の世界を愛する
ドラッカーという人により興味を持ってしまった展覧会でした。

 千葉市美術館

 

帰りは久しぶりに千葉そごうへ寄りました。
お昼は家で軽く済ませていたのですが、軽すぎたのか、美術館まで電車に二つ乗って、さらに駅から往復歩いたせいか?
お腹がグゥ~っと鳴ってきたので、9階のBooks &Cafe UCCへ直行。ここのフルーツワッフルが美味しいんですよ~。

 


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ホイッスラー展へ

2015-02-11 | art/exhibit/museum

 

500去年のうちから購入していた「ホイッスラー展」のチケットでした。
横浜が年々遠くに感じるのは母が施設に入居してからでしょうか?

今年もあっという間に二月の到来。展覧会の会期も一か月を切ったので、ゆっくりと見に行けるチャンスを日々探っていました。

わざわざ横浜まで行くのなら、横浜の友達に連絡しなくちゃ~と、電話一本で即、会うことに決定。一緒に美術展に行きたいけど、一人で見るほうがいいわよね、と彼女が言うので、無理しないで、と言い、見終わった頃合いを見計らい、一緒にランチをする約束をする。この辺が、どうすべきか、ちょっと難しいのよね。一緒に、と言われれば、そうなっただろうし、楽しいかもしれない。けど、その展覧会を彼女が、本当に見たいかどうか、良くわからないので余計な推察をする。それが感じ取られてしまうのか、彼女も一人で美術鑑賞する習慣があるからか、いちいち正していられない。なので、お言葉通りに済ましてしまう。気を使いすぎたり、変に思いこんだりしてチャンスを潰してしまうことだって大いにあり得る。特に私は。

など・・言葉をあれこれ並べるよりも、実際は極めて単純明快即決です。

 

久しぶりにみなとみらいで下車して美術館に向かおうとしましたが、美術館方面と書かれた表示を頼りながら出たところが「MARK IS」という初めて聞く名前の商業施設でした。オープンしてから一年半以上が経っていました。そこを突っ切った先が横浜美術館。デジカメを出して撮ろうとしたら、最初からバッテリー切れ!あ~ぁ、せっかくバッグに入れて持ち歩いたのに、役立たずだ!もう撮るまい、と思ったけど、美術館の入口ぐらいは、と、ケータイで一枚パチリ。

この展覧会は、ホイッスラーの初期から晩年にいたるまでの約130点を日本に紹介する初の大規模な回顧展です。心をときめかして会場に入っていき、初めて音声ガイドを借りてみました。ナビゲーターはリリー・フランキーさん♪

タイトルからして、まるで音楽が聴こえてきそうなホイッスラーのいくつかの作品は、音楽付きの音声ガイドで、うっとり聴きながら鑑賞しました。

たとえば、《プロローグ》ではショパンの「バラード第3番変イ長調作品47」
《灰色と黒のアレンジメントNo.2》 では、バッハの「ソナタ第2番イ短調」
そして、下の作品《ノクターン:青と金色ーオールド・バターシー・ブリッジ》ではショパンの「夜想曲第3番ロ長調作品9-3」というふうに。

           

↑これは、ロンドンのテムズ川に架かるバターシー橋を描いたもので、構図に浮世絵の影響が見られるとされる1枚です。

 

音楽が音の詩であるように、
絵画は視覚の詩である
そして主題は
音や色彩のハーモニーとは
何のかかわりもないのである

(ホイッスラーのことば)



ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)320

アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。
パリでは、シャルル・グレールのアトリエに通う一方で、ギュスターヴ・クールベと出会い、レアリスム(写実主義)に感銘を受けます。
そのため、ホイッスラーの初期の油彩画やエッチングなどの主題の選択や表現には、クールベの影響が色濃く表れています。
1859年には、彼の初期代表作のモデルともなった異母姉のデボラ・ヘイデンと彼女の家族が住むロンドンへ移住しますが、移住後もパリとロンドンを主な拠点として活躍し、当時印象派の画家たちとも親しく交流。

ロンドン移住後は、ラファエル前派の画家たちとも親交を深め、芸術は芸術のために存在するべきであるという理念に従い、唯美主義のリーダー的存在として英国の画壇において重要な役割を果たしました。また、日本美術との出会いは、彼の唯美主義者としての信条をもっともよく表している一連の風景画「ノクターン」を描くうえでも重要でした。ホイッスラーは、ジャポニスムの代表的画家として世界的に知られています。


◆開催場所:横浜美術館
◆開催期間:開催中 ─ 2015年3月1日(日)
◆開館時間:10:00-18:00 ※入館は17:30まで
◆休館日:木曜日

◆観覧料:一般 1,500円 高校・大学生 1,100円 中学生 600円
◆お問い合わせ:横浜美術館
ハローダイヤル:03-5777-8600
 

チケットに使われた作品は《白のシンフォニー No.2:小さなホワイト・ガール》(部分)テート美術館  。モデルは愛人のジョアンナ・ファヒーナン。ちょっと物憂げで淋しい表情ですが、この作品が描かれた後の、ホイッスラ-ーとの別れを意識していたのでしょうか。

 

       

下の絵も、第三章「ジャポニズム」に展示されていた「紫とバラ色;6つのマークのランゲ・ライゼ」。上と同様、「ジョー」ことジョアンナ・ファヒーナンがモデルです。

            

エッチング集なども多く手がけ、そのどれもが作品としては小さいのですが、味わい深く、センスのよさを感じてしまいます。

       
  《デュエット》: ホイッスラー夫人ビアトリスと妹とのピアノ連弾。


《バルコニーの傍で》: 末期癌のビアトリクス(ホイッスラー夫人)

 

ちょっと皮肉屋だけど、粋でダンディーなこの画家が、モデルの衣装をデザインしたり、作品のタイトルに凝ったり、日本の浮世絵などからの影響を受けて作品の中に取り入れたりしている姿を想像しながら、「芸術のための芸術」をスローガンとした唯美主義者の美しい作品の数々に、ぞっこん惚れまくり、しばし心を奪われました。

パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を完成させたときのエピソード(←net上で見付けたブログです)等、映像やパネルを通して知り、非常に興味深かったです。後に部屋ごとピーコックルームとして、ワシントンDCのフリーアギャラリーに移転。(このリンク先では、ピーコックルームのPanorama Viewも見れます)

ホイッスラーは、同じく画家である妻 ビアトリクスを尊敬しこよなく愛し、彼女の死後は、その事実が全く受け入れられない程の深い悲しみに陥ったほどの愛妻家だったことを知り胸がジーンと。、増々彼の魅力の虜になってしまいました。

 
この、踊るようなイラストは何でしょう?
実はホイッスラーのサインとして、今回の出品作品にも多く使われていました。
日本の家紋から着想を得たとのことですが、彼のイニシャルのJWを蝶の形に図案化しています。
どこがJでどこがW?と聞きたいほど楽しげに浮遊したサインです♪

 

 見終ったあと、もう一度会場を回ってから、友人の待っているランドマークタワーへ向かいました。ケータイがあるから、見終わったあとの連絡でも問題なく、待つ側も自由に動けます。便利だな~と思う反面、持ち忘れたが最後、一体どうなっちゃうのでしょうね!
丸ビルにもある、モスグループの「Chef’sV」がランドマークタワー5階にもあったので、そこでランチをすることに。
~日本丸を目の前に、みなとみらいを一望できるレストラン~というだけあり、眺めが広がり気持ちいいです。食後は、タリーズに場所を変え、夕方までお喋りが続きました。

何年も何年も前に、彼女の知り合いの画家の個展に行き、そのあとその画家も交え、銀座でランチした話が出ました。あの時、食後に彼は「ご馳走さま!じゃ僕はこれで・・」といってドロンした話になり、「ああいうことって、よくあることだそうよ。画家は売れてなんぼの世界だから・・・・」ということだそうで、思い出しながらおかしくなりました。そういう彼女も、在パリのアーティストを息子に持っているので、心配は絶えないようです。一年に一度は会いに行けるよう頑張っているようですが、持って来てほしいものは?には、画材以外ないようで、服にも食にも目をくれないとのこと。売れなければ、食べていけなくなる厳しい世界なのですね。そういう若者の話しが実に新鮮に感じたことでした。

食後は横浜をあちこち散策したい、と思っていたのですが、久しぶりにストレス発散できるほど深くお喋りが出来、散策より実り多い一日でした。

・・・って、このブログ記事、書き始めてから、途中で挫折し、二週間も経っちゃっています。次も、もう終わってしまった話題が控えているのに、、、。
日にちは書き出した時のままにしておきます。


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新年初の街歩き~美術展

2015-01-09 | art/exhibit/museum

400

新年七日目にやっと都内へ外出しました。
こんなに長く地元で過ごすお正月ってきっと生まれて始めてでしょう。
そのあいだ、娘も帰国したりで三人三様の在宅・出勤日に振り回された「主婦業」が忙しかった?のです。放っといているつもりなんですけどねぇ。

さて、外出目的は、日本橋高島屋で開催中の生誕130年を迎えた版画家の回顧展となる「川瀬巴水展」。
港区芝で組紐職人の長男として生まれ育っただけあり、版画の対象となる場所が身近に感じられ、とても親しみが持てます。浦安の風景も何枚かあったのにはびっくりでした。
チケットに使われたのは、東海道風景選集より、「日本橋(夜明)」1940年の作。
その美しい佇まいを眺めていると、

見よ、橋の上に橋のない本来の姿を!

と言いたくなります。
 

 
近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。
(wikiより)

 日本橋 〈夜明〉


芝増上寺 〈東京二十景〉


清洲橋

 
木場の夕暮(東京十二題)

14歳のときに日本画を始め、25歳で父親の家業を継ぐも、画家になることが諦めきれず、27歳で日本画家 鏑木清方の門をたたいたが、年齢が行っていることで洋画の道を勧められます。

しかし、画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると2年の修行を経て1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられる。1918年には、師の清方が得意とした美人画で生き詰まり、同門・伊東浸水の版画「近江八景」に影響を受け、版画家に転向。

と、ほぼWikipediaからの紹介です。

写生帳や原画なども含めた展示数がとても多く、どれも小ぶりな上、色彩としては暗いものが多いので、人出が多いと見辛くなり目が疲れましたが、版画を通した日本の美しさは世界に誇れるものでしょう。かのスティーヴ・ジョブス氏も愛好家だったそうです。


この日は今年初のデパート来訪日でしたが、ここに来る前に街歩きをしてきたので時間が遅くなり、八階での美術展を見終わった後は地下で食品のみ買い物をして帰宅しました。
福袋も興味ないし、衣類は欲しがっていたらキリがない。お客を待ち構えている定員さんだらけの売り場は、年々行きにくくなります。

街歩きを楽しみながらやってきた日本橋でしたが、次回は、順序が逆になりますが、八丁堀~途中下車の旅(大袈裟)~なぁんてね。

 


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上野の紅葉とホドラー展

2014-12-06 | art/exhibit/museum

公園口を降りてまず目に入ったのは可愛いヒツジちゃんのパネル絵!動物園もお洒落感あふれた展示をしますねぇ~。

 一昨日(4日)、先週に続き、また上野まで来ました。本当は3日に約束していましたが、その日は先方で急に予定が出来てしまったのです。例の皇居の乾通りの紅葉が一般公開されたことで、急遽、お姉さんと行かれたとのこと。私は桜の時期に行っているので、あの行列はもう沢山、と思っていました。さて、上野の山の紅葉はは、というと、途中から小雨に見舞われましたが、イチョウが先週より更に黄色く色づき、落ち葉も又美しく、ほど良い時期だった気がします。

今日のお目当ては、幼馴染のM子ちゃんおすすめの「ホドラー展」。
彼女はホドラーの大作を本拠地のジュネーブに行ったときに見て大変気に入ったようで、私の好みかも、と思ったそうです。待ち合わせは国立西洋美術館の入口をはいったところ。寒い時期の待ち合わせは室内に限りますね。

「日本・スイス国交樹立150周年記念 フェルディナント・ホドラー展」

今から40年前の1975年に、同美術館で日本初となるホドラー展が開催されていたとのこと。そのころ日本に居なかったとはいえ、このスイスの画家については名前も何も全く知りませんでしたが、スイスの代表的な「国民画家」なのです。

40年ぶりの今回の回顧展では、出品作が約100点で、そのうちの8割以上が日本初公開。

19世紀半ばに首都ベルンの貧しい家庭に生まれ、若くして肉親や兄弟のすべてを失ったホドラー(1853-1918)は、ジュネーブへ移って画家の道を進むようになります。前半期の絵にはその不幸な生い立ちから来るのか、「死」や「憂鬱」を感じさせる作品が多かったのですが、20世紀への転換期を境に「死」よりも「生」を感じさせる絵画に目醒めます。

踊る人々の姿、そこに身体化される感情、それらが連鎖することで生まれるリズム。さらに雲や岩のような自然界の無機物にさえ、生命観や律動感を見出しました。「パラレリズム」(平行主義)と呼ばれる独自の美術離理論を提唱し、ただ眼に映る世界よりも、それを作り上げる構造や原理に着目したホドラーは、自然の秩序や動的なリズムを抽出することへと向かったのです。

・・・と、パンフレットに書いてあるように書くのはもううんざり、とは思ったのですが、なにせ手っ取り早い、ということで。



館内には「木を伐る人」の立体模型があり、後ろの台に上がって写真が撮れるようになっています。もちろん撮って貰いましたよ~。
この元となる絵「木を伐る人」はスイスの新紙幣のデザインを依頼されたときに描いたもので、実際に使用されました。

 「オイリュトミー」

 「
感情Ⅲ」


 左から、「木を伐る人」「恍惚とした女」「無限へのまなざし」への単独像習作

オイリュトミー(Eurythmy)とは、オーストリアの神秘思想家、教育家であるルドルフ・シュタイナーによって新しく創造された運動を主体とする芸術である。ある種の舞踊ないし総合芸術、パフォーミングアーツであるとも言われる。(wikiより)

シュタイナーも同世代ですから、かなりの影響を受けたのでしょうか。
以前、私の従兄妹がオイリュトミーを習っている、と言っていたので、あれっ、と思いましたが、検索してみると、YouTubeの動画が沢山あり、あぁこれなんだ、とやっとわかりました。その緩やかなダンスの動きが、連続した人々の動作や表情の違いに現れているようで、リズム感あふれています。

 「昼Ⅲ」

友人曰く、ホドラーの作品はどれも目を見張るような超大作が多いので、本物はなかなか移動して持ってこれるようなものではない。習作が多いもの、とのこと。
パウル・クレーやジャコメッティ―などとは異なり、ホドラーは生涯を通して母国で暮らした人でした。気になったのは私生活。まだよくわからないのですが、恋人との間に男児をもうけているし、別の女性との結婚後でも、20歳も若い美しい女性、ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと恋に落ち、彼女との間に女の子が生まれています。同時に彼女が癌に罹っていることがわかり、ダレルは出産後2年ほどで亡くなるのです。
ホドラーは自分にとても正直な人なのでしょうね。

晩年のホドラーは病に伏していて、もっぱら窓から見えるレマン湖の景色を描いていましたが、1918年に65歳で亡くなります。愛人ヴァランティーヌ没後3年目でした。下の絵は、亡くなった年に描かれた「白鳥のいるレマン湖とモンブラン」です。

下のリンク先でもっと多くの絵が、もっとまともな色彩で見れます。

ホドラー展


外の景色と一体化したような館内のツリー。


絵も画家自身についても、とても興味深い展覧会だったので嬉しかったです。というのも、その前の週には、実は東京都美術館で開催中のウフィツィ美術館展に来ていました。見ていてだんだん気分が重くなり、くたびれてしまったんですもの。
M子ちゃんにそれを言うと、笑いながら、私はタダ券をもらってもあれは見に行かないわ、ですって。ま、人それぞれですけれどね。下の二枚はその時の写真です。帰りは4時半でもう真っ暗だったのです。


つい、この球の前で撮りたくなっちゃうんだな~。

帰りは上野の森美術館の前辺りのイチョウを見ながら・・・駅に向かいました。

追記:

美術展の半券を見せると、アトレ上野の37ショップで特典が受けられる、という「チケッ得」に当てはまる期間とチケット、ということを知り、その特典を「あんみつ みはし」で使いました。あんみつにソフトクリームのトッピングを付けてもらったのです。すきっ腹にランチならぬ甘味でしたが、美味しかったぁぁ~~!すぐにパクついたので写真なし。

その後、銀座線で三越まで行き、デパ地下のカウンターでやっとランチにあり付きましたが、一番軽いのを頼んだにもかかわらず、まだあんみつっ腹だったので、平らげた時はもう私のお腹はパンパンで大変!
この日は、というか最近は、M子ちゃんの好みの場所に付き合うことが多くなっているのです。カツとか天ぷらとか好きなんですよね、彼女。
家で滅多に揚げ物をしないから、そういうのを外で食べるんですって。

   

お孫さんの保育園のお迎えを日課にしている(させられている?)お友達は、時計をを気にしながらも、時間の使い方がとても上手でした。

帰り際、日曜美術館の再放送でホドラー展をやるから、絶対見た方がいいわよ、と言われました。その日が追記を書いた今日だったのです。それが、朝は覚えていたのに、夜にはすっかり忘れちゃっていました~~!
あ~ぁ残念。


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ディオールの世界

2014-11-26 | art/exhibit/museum

 

 

先日、偶然通りがかって知ったこの催し、というか、一種の展覧会ですか、入口に係りの人が立っているし、イマイチ内容がわからないし、入りにくそうなので一度は通り過ぎました。が、やはり気になって引き返し、まさにここに来るつもりだったような顔をしながら中に入ってみました。
中は暗くて足元が見づらく、こんなところでけ躓いて骨折でもしたらえらいこっちゃ、などと思いながら慎重に歩きました。無料にしては中身がとても濃く、ディオールの世界をあらゆる角度から堪能できる、とても贅沢極まりない素敵な企画。

 

1947年2月12日パリ、モンテーニュ通り30番地に定めた自分のメゾンから最初のコレクションを発表して以来、そこがモードの発信地として不動の存在として現在にいたっているメゾンディオール。
約11年間という短い間、オートクチュール界のトップランナーとして世界中の女性を虜にしたクリスチャン・ディオールですが、1957年に亡くなった後も、そのスピリットはラフ・シモンズにより、現在によりマッチするようにアレンジされながら受け継がれ、今日に至っています。その全体の流れが、豪華でエレガントなドレスやバッグ、フレグランス、アクセサリー、映像、そしてファッションフォトグラファーの巨匠パトリック・デマルシェリエの手による美しい写真の数々を通して垣間見ることができるのです。フラッシュは禁止ですが、写真撮影OKだったので、一応ブログ用にと、撮ってきたのを見て下さい。
 

23才にして画廊を開いたこともあるディオールは美術への関心も造詣も深く、一流アーティストたちとの親交の広さにはびっくりするほどです。そして、日本の文化にも心を惹かれ、日本製の生地を愛用。そんな中、私たちが子供の頃の出来事を昨日のことのように思い出すのは、この写真。

1959年4月10日の正田美智子さまと皇太子殿下とのご成婚の時に、妃殿下となる美智子さまが身に着けていたのがクリスチャン・ディオールが制作したロープデコルテ。ヨーロッパのドレスと日本の着物との繊細な対話を紡ぐかのようにデザインされたそうです。

あとは下手な写真を少々ご覧いただき、会場内の雰囲気を味わっていただければ、と思います。

ディオールが描いた花のような女性とは、

「なだらかな肩、豊かなバスト、蔓のようにほっそりしたウェストから花冠のように開くスカート」!!会場を歩いているだけで、ウェストのくびれとは無縁のおばさんでも、背筋がピンとのびて身が引き締まってくるのを感じるのです。

下の★にパネルタッチすると、世界中のディオール愛用者の顔が浮かび上がってきます。と、そばに居た案内係の女性が教えて下さいました。

 

ライブラリーでは何冊もの資料が展示され、自由に閲覧できます。

地階では外人がデモンストレーションしている様子です。

 

その日によって違うようですが、この日は、香水の瓶をしめるときにつかうものやリボン掛けを、二人のフランス人の職人さんが実演していました。ミスディオールの瓶に結ばれた黒いリボンはダッカ―ノットという結び方だそうです。このお二方と一緒に記念写真を撮ってもらおうと、若い女性がひっきりなしに訪れていましたよ。
香水はめったに付けない、化粧品も無香料を使っている私ですから、たまににお土産でいただくことがあっても、いつも蒸発させたり、飴色になってしまったり、蓋が開かなかったり、で、もったいと思っています。でも香水瓶には女心をくすぐる魔法があるのは確かかしら。見ているだけで気持ちが華やぐんですもの。

 

ちなみに、現代の”ミスディオール”のミューズは、映画「ブラックスワン」でプリマドンナ役を演じたナタリー・ポートマンですって。

 

ヴェルサイユ宮殿の鏡の間をランウェイにして、シャーリーズ・セロンがジャドールのために歩き、写真家パトリック・デマルシェリエがメゾンディオールのゴールドのクリエーションをフィルムに収めました。
そこでは、すべてのニュアンスが、クチュリエが想像した世界‐神話的な宮殿の木彫り装飾、シャンデリアそして壁を埋めつくす鏡と響きあったのです。」(パンフレットより)

 

 会場を回りながら、はて、ここは、この建物は、以前、入ったことがある気がするけど、何があった建物だったっけ、と、頭をひねって思い出しました。オペーク銀座でした!開店したころ、一階につい中に入って覗きたくなるようなお洒落なフラワーショップがありましたが、閉店してすでに一年以上が経つのですね。建て替えのためだかよくわかりませんが、今はまだ残っているこの建物、イベントスペースとして使われているようです。その元オペーク銀座の各フロアーを全部使ってのディオールの世界展、一見の価値ありでしたよ。会期が長いので、時間がなくて見れなかった映像などのために、また寄りたいと思っています。
近寄りがたい世界の超一流デザイナーの世界を、浴びるように身近で見れるんですもの。すっかり忘れていた「ウェストのくびれ」意識ができただけでも儲けものでした。

 

エスプリ ディオール - ディオールの世界

会期/2014年10月30日(木) 〜 2015年1月4日(日)
(休館日:2014年12月11日、2015年1月1日)
場所/東京都中央区銀座3-5-8  玉屋ASビル
入場無料

 

 


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オルセー美術館展2014へ

2014-09-23 | art/exhibit/museum

 

開催前から評判の高かった「オルセー美術館展」を見に、国立新美術館に行ってきました。7月中に行くつもりが、夏風邪のために遅れ、その後も、何回か行こうとしたその日にたまたま別の用が入ったり、用事が長引いて行き損なったりしていたのです。午前中は混むので午後3時過ぎに着くように家を出ました。いつもミッドタウンの先までは地下道を歩きますが、きょうは角の銀行のキャッシュコーナーに寄るので六本木の駅からすぐに地上に出ました。それからチケットショップを覗き、たまたま見つけたこの美術展のチケットをゲット。でもたった50円安いだけ!その並びのペットショップもつい覗いてしまいました。寄り道しながら歩くの大~好き!

月曜休館の美術館が多い中、ここは火曜が休館日。なのでもしかしてすいているかも、との期待どおり、すいてはいませんが程よい人出でホッとしました。

マネの《笛を吹く少年》に始まり、マネの《ロシュフォールの逃亡》で終わるこの展覧会では、パリ・オルセー美術館を代表する84点もの絵画が来日。マネの貴重な作品を11点も鑑賞することができる上、モネ、セザンヌ、ルノアール、ドガ、シスレー、クールベ等々、誰でもご存じの印象派の画家が勢ぞろい。

しかし、マネはサロンで認められることにこだわり続け、印象派展には一度も参加しなかったのですね。

サロンとは、19世紀のフランスで、芸術家として身をたてるためには是が非でも入選しなくてはならない、国の運営する最も権威ある展覧会のことですが、次第にサロンの審査にたいする不満が高まり、モネなどはサロンに見切りをつけ、他の画家と共に別の会場で展覧会を開くようになりました。

1874年、モネがセザンヌやドガ、ルノアールらと共に展覧会を開催し、そのときにモネが出品した作品のタイトルが《印象、日の出》だったことから、彼らは印象派と呼ばれるようになったとのことです。とはパンフレットから仕入れた知識です。

☆21×27の、セザンヌの《草上の昼食》もありましたが、特記すべきはモネの同名の大作です。
左が418×150、右が248.7×218の、圧倒的な大きさに目を奪われました。しかし、マネ、モネ、セザンヌ、そしてピカソまでが「草上の昼食」と題した絵を描いているので、なんだか紛らわしくなります。本家本元はマネなんですね。みんなマネしちゃって!

マネの《草上の昼食》に触発されて若きモネが挑んだ野心作。当初縦4m×横6mの大作でしたが、家賃が払えず大家の手に渡り、取り戻したときには損傷のため分断せざるを得ませんでした。ピクニックという近代的な主題と、葉の重なりや木漏れ日を捉える明るく細かなタッチは印象派の誕生を予感させます。

 

ミレーの《晩鐘》、ルノアールの《ダラス夫人》、ドガの《バレエの舞台稽古》など、馴染みある作品やどこかで見たことがある、と思うものも何点もありました。

☆ラトゥールの《テーブルの片隅》では、8人の男(詩人)たちの中に17才の若きランボーがヴェルレーヌと隣り合わせで描かれています。頬杖をついて生意気そうな早熟の詩人ランボー。ヴェルレーヌが妻子を捨てて彼にぞっこんになったのが一寸わかりそうな気がします。
↑前列左よりヴェルレーヌ、ランボー、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペルタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール(webより)

☆そして下はバジールの『ラ・コンダミス街のバジールのアトリエ』



バジールが借りていたアトリエで議論し合う印象派の画家たちを描いた作品である本作は、当時のバティニョール派の画家たちの緊密な関係性を物語る重要なものとして今日も極めて重要視されている作品のひとつである。画面中央やや左に描かれる背の高い人物がバジールで、マネ(山高帽の男)とモネ又はザカリ・アストリュックとされる)に自身の作品を見せており、このバジールの姿はマネによって描き加えられたことが判明している。また画面左部の階段では批評家エミール・ゾラ(階段上の人物)とルノワール(階段下の人物)が会話している(又はモネとシスレーとも解釈されている)ほか、画面右部では画家の友人であるエドモン・メートルがピアノを弾いている。
(webより)

なんと豪華な顔ぶれ!当時の様子がうかがわれる興味深い一枚でしたが、1870年に描かれたこの絵を最後に、バジールは普仏戦争に参加。同年10月28日に29才の若さで戦死したということを知り、この平和的な絵と戦争が同年ということにとても違和感を覚えました。印象派の多くの画家たちは、友人や知人の死と隣り合わせの時代を生き抜いていたことを知らしめる一枚でもありました。

長々と感想を綴るつもりはなかったのに、調べてみると色々なことが繋がっているので、それなりに面白いです。(ちょっとシンドイけど!)

☆カイユボットの《床に鉋(かんな)をかける人々》
力強さが伝わってくるような絵です。

近代都市パリの労働者階級の人々を描いたこの作品は視線を高くとった斬新な構図や描写の生々しさが批判され、1875年のサロンに落選しました。しかし、カイユボットはこれを機に印象派への参加を決意します。1876年の第2回印象派展に本作を含む8店の絵画を出品し、一躍注目を浴びました。

 

☆アメリカ人の画家ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーの代表作の一つ『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』。

67歳を迎えた母の健康が思わしくないことを知ったホイッスラーは、彼女の肖像画を書くことを決意しました。しかしながら、抑えられた色調や簡素な構図と、音楽用語のタイトルからは、この作品が親しい人物の肖像であると同時に、線と色彩による普遍的な美の探求の場であったことが伝わってきます。

本作のモデルであるアンナ・マティルダ・ホイッスラーは、1804年ノースカロライナに生まれた敬虔なクリスチャンで、1864年から10年間ロンドンのホイッスラーと同居。
画家はミドルネームをアボットから母の旧姓であるマクニールへと変えるほど母を敬愛しており、本作の静謐で落ち着いた雰囲気や色彩、温和ながら抑制的で瞑想的な独特の表現などからもそれを窺い知れる。(webより)

何回も目にしている作品ですが、モノトーンの美しいこの絵に見入ってしまいました。カーテンの、流れるような美しい柄。おそらく昔からそこにあったと思われる、壁にかかった一枚の
絵。ストイックな表情の中にも気品を感じる母親の表情。母に捧げる息子からの最後の贈りものだったのですね。

今年は9月13日から京都国立近代美術館で、12月6日からは横浜美術館でホイッスラー展が開催されます。横浜、ちょっと遠いけど行きたいな。

 

☆木の机に無造作に置かれた一本のアスパラガス。それが今回展示してあるマネの《アスパラガス》。1880年の作品です。
そのエピソードがなかなか愉快でした。というのは・・・



この作品に先立ち、マネは一束のアスパラガスを描きた静物画を800フランで売却したところ、買い主は1000フラン送ってくれました。そこで、マネは「あなたのアスパラガスの束から、1本抜け落ちました」との一言を添えて、本作を送ったそうです。晩年のマネはしばしば小ぶりの静物画を親しい人々への贈り物をして描きました。


これを受け取った時の買い主の気持ちをつい想像したくなるのは、きっと私だけではないでしょう。

 

☆マネの絵の中では、最晩年の「ロシュフォールの逃亡」が、私にとってとても印象的でした。

マネは10年ほど前に起こった事件に触発されて、本作を制作しました。ナポレオン3世の体制に抵抗したためニューカレドニアに追放されたジャーナリスト、アンリ・ロシュフォールが小舟で逃亡する様子が描かれています。画面のほぼ全体を海で覆い尽くす構図の斬新さや、最晩年のマネ特有の荒い筆致の美しさが際立つ1点です。

 

 

☆1882年作《ガラスの花瓶の花》↓この絵ハガキ、買いました。
もっともっと絵を描き続けたい思いでいっぱいだったマネ。病魔に勝てず、《ガラスの花瓶の花》を描いた翌年、51才でこの世を去りました。
 

最晩年のマネは体調を著しく悪化させ大作を手がけることは困難な状況にあり、その為、室内に飾られていた花を描くことが多くなっていた。≪花≫の画題にはマネの安堵や癒しを求める姿勢を窺い知ることができるが、逆に短命な花と自身の置かれた状況に対する心情を重ねたとも考えられている。(webより)


・・・・・・・・

 
閉館前の数十分のあいだは、気持ちいいほどゆっくりと鑑賞できました。ただ遅い時間になってしまい、ミュージアムショップ等を見れなかったのが残念でした。外の暗さにあわてて美術館を後にしました。

 


見ごたえのある美術展をブログ記事にすると、忘れていることの方が多くて中途半端になるのが残念ですが、webで絵や解説が探せて、どうにか投稿にこぎつけました。この展覧会は10月20日(月)まで開催されています。今月25日からはチューリヒ美術館展が開催。又、モネの大作《睡蓮の池》などが見れます!芸術の秋はこれからますます深まりますね。



帰りは、折角来たからと少しだけミッドタウンに寄り、お茶をして、上の階もささっと見てから帰宅しました。茄子ときのこのキッシュの美味しかったこと!かじってから気が付き、写真を撮ったので、こんな構図になりました!

 

 

 

 ㊟ 青い字の部分、そして作品画像の一部はwebで探したものを使用しましたのでご了承ください。


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にちようびはお得

2014-09-03 | art/exhibit/museum

 

八月最後の日、 渋谷区立松涛美術館で開催中の「いま、台湾」展へ行ってきました。
チケット売り場で、「今日はパイナップルケーキとウーロン茶が頂けるので、最初に地下二階に行かれるといいですよ」と囁かれたので、まずはその階に向かいました。サニーヒルズの例のお菓子♪ 会期中の日曜日のみ、一日限定50個がサニーヒルズより提供されているそうです。この日が日曜でラッキーでした。私が席を立つ頃には残りあと数個、と言っている声が聞えましたから、これも目当てで訪れる方は早めにいらした方がいいでしょうね!

この美術展は、「美麗島」―麗しの島と言われる台湾で今、多方面で活躍されている台湾美術院の作家たちの作品を紹介するものです。

台湾美術院は、台湾美術の振興と発展、国際交流を図ることを目的に、2010年に設立されたとのこと。これだけまとまって台湾のアーティストたちの作品を見るのは初めてでしたが、とても親しみの持てる作品の多い展覧会でした。書が絵画の中に書かれた作品も多く、そのバランスがなんとも絶妙ですが、何て書いてあるかわかりませ~ん。作家の名前も難しすぎて覚えられませんが、息子の友人の台湾の方が、スラスラと達筆に書いていたことを思い出しました。発音もフランス語のように難しかった気がします。

林章湖「隠遁の歳月」2012年

傳申「核電爆」2011年

展示会場は、二階と地下一階。こじんまりとした美術館なので、あっという間に見終わります。最後に特別出品されているジュディ―・オングさんの大きな版画二枚を二階で拝見し、ソファに腰かけ、図録や美術館にかかわる冊子などに目を通しました。閑静な住宅街のど真ん中に、建てられたこの美術館は、狭い土地をどのように利用するか、建築家の白井晟一氏はかなり苦慮したそうです。外見だけを見ると、堂々とした花崗岩の建物。狭さを感じさせないのは白井氏の設計によるところが多かったようです。

池と噴水のある中庭を、ぐるりと丸く囲んだ建物のガラス越しには空が垣間見えます。上の写真は、上部にヘンなものが写っていますが、何かが反射したのでしょうか?ちょっと不気味ですね。

弐代目・青い日記帳で記事を探してみたら、ありましたありました。内容、まさにその通りです!
「国立故宮博物院」展も、東京国立博物館で開催中でもあり、何かと台湾との繋がりが多い年のようです。随分前に、「国立故宮博物院展」は見ているので、今回はパス、と思っていたら、以前のは北京のほうでした!

来た道を戻る途中、すぐ近くの公園が気になり、中を突っ切りたくなりました。鍋島松濤公園
入口の左右に立つ大木はカメラに収まらず、仕方なく空を見上げてパチリ。

この空を、投稿する今になって、あれ、そういえば・・・と、
テレーサさんブログを確認のために訪問してみると、やはりそうでした。同日のほぼ同じ時刻ごろの空の画像が投稿されていたのです。
2014年夏のおわりの空には、秋の訪れが感じられました。

秋の気配を感じると、急に夏の暑さが懐かしくなります。もうちょっと残暑を味わいたくなりました。
喉元過ぎれば・・・ではあるのですけどね。

公園内の池を覗くと、彫刻にしか見えないカメが何頭も固まって一つのオブジェとなっていました。
じっとして動かないので、本当に彫刻かもしれない、と思ってしまったほど、動かなかった!
もしもし、かめよ~、かめさんよ~!

公園で下の写真を撮っていたら足が猛烈にかゆくなってきたので足元をみると、なんと、短めのパンツと靴の間のわずかな露出部に黒い蚊がびっしり止まっていた!
ぎゃぁ~~!デング熱になっちゃう~~!手で振り払いながら公園の外へと急ぎました。
七月に、ブラジルフェスティバルのときに行った代々木公園が、その発生の影響で閑散としているそうですが、私、8月は三回ほど渋谷に来ています。大丈夫かなぁ。

帰りは文化村のなかに入ると、ギャラリーでのBunkamura25周年記念「吉岡耕二 色彩の旅」の明るい色彩が目に飛び込んできました。


南イタリアを描く~アマルフィ、ナポリ、ソレント、そしてシチリアへ~とつづくタイトル通りの鮮やかな色彩が強烈ですが、色の配置がとっても魅力的!高価な油彩画のほかに、購入しようと思えば手の届きそうな版画もあり、それに油絵具でささっと彩色を施しているので、普通の版画より立体的に見えます。白い背景に赤い花の絵、気に入ったのですが、もう売れちゃったかなあ。つい、玄関先にいいかな、なんて考えながらじっと見入ってしまった一枚です。

いつもなら時間のある時は東急本店をさっと覗くのですが、この日はこの間も寄った西武デパートに向かいました。

渋谷駅方面へ歩いていくと、文化村通りの道沿いに白いサルスベリの花が咲いていました。四六時中、渋谷の雑踏とともに成長しているこの木も、今が満開で、とてもきれい。

渋谷西武A館の、バービー展を見に行った同じ会場で開催中のグレース・ケリー写真展。女優さんの写真集はプレゼントとして買ったことがありますが(オードリー・ヘップバーン!)、一人の元女優さんの写真展は初めてでした。1950年代を代表する大女優、グレース・ケリー。「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞後、1956年のカンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ三世と結ばれ、女優から公妃へと華麗なる人生の転身をとげ、全世界の注目の的となったことは、私の世代なら少しは記憶の一片として頭の隅っこに残っている筈。どこから見ても、どんなポーズをしても、品位があり、サマになる女性のベスト3の一人に入るんではないでしょうか。そんな素敵な女性は、自動車事故により52才という若さでこの世を去るまで、ハリウッドに戻ることは一度もなかったのです。

彼女を生涯にわたり被写体として撮リ続けたカメラマンが居たことを初めて知りました。
天才フォトグラファー、ハウエル・コナン。二人の友情と信頼関係がもたらすプライベートショットの数々は、実はグレースが様々な提案をしていた・・・二人が作り出した作品、と言えるかもしれません。
コナンは、グレースの事故死を知り、初めてカメラを持たずにモナコに向かったといいます。そしてその後、一度もカメラを持たなかった、と。

家族以外で、そんな高尚な人間関係を築けるとは、もう素晴らしい、の一言です。コナンが覗くカメラレンズの向こう側には、安心しきって自然体でベストポーズが取れる、一人の同志がいたのですね。

グレースを題材にした映画、「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」が10月に一般公開されます。
主演がニコール・キッドマン。ちょっときつそうですが、ファッションも楽しめるこの映画がすごく待ち遠しいです。西武B館一階特設会場では、この映画でキッドマンが着用したドレス三点が特別展示されています。写真展がA館だったので知らずに帰宅し、あとで西武のパンフを読んでいてわかったのです。
写真展は七日までですがドレスの展示の方は八日までとのことです。

 


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バービー人形55周年

2014-08-30 | art/exhibit/museum

 
八月もあと一日を残すのみ。風鈴の音を聞きながら、団扇や扇風機で暑さを凌いでいたのんびりした昔のような夏とはかけ離れ、常にどこかで何かが起こり、運命に翻弄される多くの人々の存在を知るにつけ、のほほんとどうでもいいようなブログを書いている場合なのか、と自問自答する8月だった気がする。
でも、のほほんと過ごせる日々こそがだれもが望んでいる日常なのだ思うと、このスペースだってそのまま守り続けてもいいんだ、との結論に到達する。(ちょっと大げさかしら)

8月中の未投稿な話題、いろいろあるんですが・・・

風邪を引く前になりますが、まずは渋谷西武で開催された[モード オブ バービー展]から。

Barbie
生誕55周年を記念して、
永遠のファッションアイコン大集結!

たぶん今までにも何回も開催されているとは思いますが、チケットがあったので初めて見に行きました。

バービーコレクターとして世界的にも有名な関口泰宏氏のコレクションを中心に、約250点のバービードールのデビュー初期から現代に至るまでのファッションヒストリーや未公開コレクションを紹介。

会場以外にも、店内の十数店舗のアパレルショップの中に混じって、上下、右のように、各ブランドのクリエーターたちとコラボした「クリエーターズバービー」が、実物大のドレスと同じ衣装を纏ってケースの中に納まっていました。この展示方法がハッとするほどイカしていました!

  

7階の展覧会場に入ると、それはそれは無数のバービーがぎっしり並び、それぞれの時代を彷彿とさせるファッションに身を包んでいるではないですか。撮影OKでしたが、デジカメを持っていなかったので、ケータイカメラで、少しだけ撮ろう、と思ったのに、周りの若い人たちの勢いに乗せられ、ついパチパチと、ピンボケ写真を撮りすぎました。撮りすぎると、写真選びという作業をしないとブログ投稿できないので、ついそのままに・・・いったい何のために撮ったんだろうということになるのですね。

バービー人形を見ていると、子供のための人形というか、年齢に関係なく、憧れの女優さんを模しているようなファッション性がダントツで、とっても魅力的です。中学生になったばかりのころ、同級生と待ち合わせて遊びに行ったときのことです。普段、学校でのセーラー服姿しか見ていませんので、その友人がドレスの下にペチコートを穿いて、下のバービー人形のように真っ白なレースのスカートをふわっとさせていたことを思い出しました。そのうえ、白いレースの手袋まで付けていたんだから、公立校から私立の中学校に入学したばかりの私には、その時の光景がいまだに目に焼付いて離れません。彼女のファッションでもう一つ忘れられないのは、緑色のタイトスカートに真っ青なストッキングをはいていたとき。あの頃、そんな組み合わせをして歩いていた女の子は、彼女以外に見たことがありませんでした。それが派手派手に見えなかったのは、風貌がとても大人っぽかったから。まるで外国のファッション誌から抜け出てきたかのようでしたので、私は相当なカルチャーショックを受けました。話しを聴けば、小さい頃から在日外国人も行くチャーチに通い、外国人との接触も多い環境で育ったので、英語の発音は抜群。好きな歌手は、と聞けば、ディーン・マーチン!(渋い!)と答えるほどマセていたのです。そうか、まさにバービー人形のようだったんた、と、この会場を見ながら思いました。今年が55周年、ってことで、ストンと納得です。(以下、ドールの画像がひたすら続きます。)



 

会場内はほぼ若い女性で溢れていましたが、カップルや母子の姿も目に付きました。

 

 

ツイッギーの時代ですね

そのころの愛読の雑誌は「セブンティーン」♪ 洋書の方ですよ。銀座イエナ洋書店、覚えていますか?
中に入ってあれこれパラパラと読む、ではなく、見ているだけで幸せな気分になった書店でしたね。

行きつ戻りつしながら撮ったので、下の説明書きがどのあたりまでか、覚えていませ~ン。

こんなコンテストもあったのですね。未来のファッションデザイナーになるかしら。

下の、萬田久子さんデザインのドールは色っぽ~い!

フゥ~~ッ。楽しかったぁ。

でもまだまだ沢山あったのですよ。
設営の様子が見れるブログをここで見つけました。


8月のあれこれはまだ続くかもしれませんが、もう一日で9月となると焦ります。
 

 

      


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バルテュス展へ

2014-05-21 | art/exhibit/museum



《トランプ遊びをする人々》


《地中海の猫》


自画像《猫たちの王》


《読書するカティア》

バルテュスとは20才の学生のころに知り合ったという
節子クロソフスカ・ド・ローラさん。
彼女をモデルにした絵も何枚かありました。


《朱色の机と日本の女》

先週のことですが、久しぶりに上野まで、夫と二人でバルテュス展
見に行ってきました。

バルテュス夫人、節子・クロソフスカ・ド・ローラさんのことは
以前から知っていたのですが、バルテュスの作品は、雑誌や
新聞で見ていたものの、実際に見るのは初めてでした

ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめたバルテュス、
本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ。(1908~2001)
11才の時に描いたという、愛猫ミツの物語以来、ネコはバルテュスの
なくてはならないモチーフとなっています。ネコに同一化したバルテュス
は、自分を「猫たちの王」と呼ぶようになったそうです。

        
                  (朝日新聞より)


猫と並び、生涯好んで描いたのは、「少女」をモチーフにした絵。
「少女」はバルテュスにとって、「この上なく完璧な美の象徴」でした。
しかし、それらの絵の多くはかなり挑発的というか、刺激的なのです。
それゆえに世間からは賞賛と誤解だらけだったようです。
チケットにも使われた「夢見るテレーズ」もしかり。子供から大人への
過渡期~性への目覚め~が感じられます。
フェロモン漂う少女の傍らで、皿を舐めている猫。いや、バルテュスです!
ドキッとしてしまう構図ですが、大勢の老若男女がそろってそれらの絵
の前に群がり、じっと凝視しているんですから、なんとなく気恥ずかしい
気持ちに・・・。


《決して来ない時》


《キャシーの化粧》


これは、「嵐が丘」の挿絵に取り組んでいたころの絵ですが、挿絵と
ほぼ同じでした。ヒースクリフと令嬢キャシーを、その状況が似ていた
ことから、自分と名家の娘である恋人アントワネットに重ねていたと
思われます。
バルテュスの描く人物は、なんだか人形のようで滑稽な描写が多く
見られますが、自画像となると、ほぼ全部が男前なんですね。
自画像《猫たちの王》を見たとき、あっ、ダルビッシュだ!と、一瞬
思ってしまいました。似ていませんか?
子供のころから日本への造詣も深かったようで、絵の中にもその影響
を多く見てとれます。

 


(webより拝借)

この展覧会の見どころは、スイス・ロシニェエールの邸宅グラン・シャレ
に今もそのまま残っているアトリエの再現が、その一つでしょう。
日本での展覧会ということで、節子さんが一大決心をして、特別に、
初めて再現したそうです。
制作中は家族も入ることが出来なかったというそのアトリエで、画家は
朝から日没までのあいだ、自然光の下で、お昼もとらずに制作に没頭
していたということです。

 

夫の感想は、「上手いんだか下手なんだかよくわからなくなるが、絵が
なんだかやけに脳裏に焼付くんだよね」・・・は、ちょっと同感。

孤高の画家といわれるバルテュス。いまだにグラン・シャレで、着物を
着て過ごしている節子さんがいるからこそ、今回のこの展覧会は
私たちにとって、とても身近に感じたことでした。

 

帰りはずっと行ってみたかったカフェへ寄りました。
それはまた次のブログ記事にすることにします。


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GW後半はデパートへ

2014-05-04 | art/exhibit/museum

 

日本橋高島屋の美術画廊で開催中の、「はじめまして百貨店 野見山暁治です。」へ。

3日にギャラリートークがある、というので、姉と現地で待ち合わせた。
用事が長引いて少し遅れて着いたときは、すでにトークが始まっていた。
これほどの人が入るのか、と思うほど、あの美術画廊が人で埋め尽くされ、
用意された椅子の後ろも立ち見?の人々でぎっしり。(略歴

野見山氏のことは最初、無言館に行ったときに知った。
そして、ブリジストン美術館での展覧会を見に行ったことは以前のブログに書いた。
今回はGWの最中だったが、とうとうご本人にお目にかかれることが出来た!

長いパリ生活。常に個性的な人々に囲まれ、そのエピソードたるや、このような席でしか
聞けないような可笑しなことづくめ。司会者が巧みに画家の本音を引き出そうとしているが、
話しは色々な方面へ飛んでいき、一筋縄ではいかないマイペースで個性豊かな
画家の姿がしだいに見えてくる。
この方、ほんとうに94才?と思ってしまうほど、年齢を感じさせない魅力に満ちている。

自分は物まねが得意だそうだ。
画家でもなんでも、みな知らず知らずに「物まね」をしているんだ、という。
無意識のうちに、今まで見てきたものなどの影響を、その作品に受けている、と。

そして、だいたい「日記」なんていうものは嘘っぱちだ、とも。
出版されるものに、本当のことなど書けるわけないじゃないか、という野見山氏の言葉は、
よくよく考えると本当に思えてくる。
出入り口の近くには彼の出版物「アトリエ日記」が積まれていた。

 

一時間近く立ちっぱなしだったが、野見山氏のお話は、彼の絵のような独特な視点が
面白くて少しも疲れなかった。



終わりのころ、一人のおばさんが手をあげて質問。
「こんな(くだらない)話しより、私は絵についての話しを聞きたいと思って来たのですよ。
(関係ない話ばかりしないで)絵についてお聞かせ下さい。」
まさか、と思ったけど、本当にこんな内容のことを平然と言ったのだ。
もう呆れすぎて、同じおばさんとして恥ずかしくなった!
入場無料のギャラリーで、普段どこにも書いていないような内容てんこもりを
画家の口から直接聴ける。それをこの人はいらついて聞いていたんだ。
せっかく遠くから来ていたのに、だって?こういう人って、実際にいるんだ、に驚いた。

場は一瞬シラけ、シーンとなり、司会者も困っていたが、担当者が、時間もないので
このへんで質疑応答に、ということになる。

若い方の、「作品のタイトルは、描く前に決めるのか、描きながらなのか、
それとも描いた後になるのか?」という質問には、
「もちろん描いた後ですよ。全部、描いた後。絵は描きながらどんどん変化し続けるし、
第一、子供がうまれたら、その子の顔を見ながら、さて、どんな名前にしようか、って
考えるんじゃないの?」
この回答にあちこちから拍手が沸いた。

 

笑いと拍手溢れるギャラリートークに参加して、ますます野見山氏が好きになった!

日本橋高島屋では六日まで開催中。

 

このあと、チケットがあったので、松屋で開催中のムーミン展へ、と銀座方面へ歩いていた
途中のカフェでひとやすみ。



緑あふれるこのビルは、京橋の角にあり、暮に来たときはイルミネーションがきれいだった。

エスカレーターで下に降りたところにある、
「Denmark The Royal CafeTerrace」京橋スクエアガーデン店。
銀座三越とは違い、セルフサービスなので気楽にカフェできます。
メニューが少なくて、サンドウィッチなどはなかったけど、球形のパンケーキが
とっても美味しかった!(パンケーキがたこ焼きの形をしています!)





このあと向かったムーミン展。
人の行列が我慢できないほど長く続き、ほぼ会場を通り過ぎただけでしたが、
後日画像を少し追加します。

                   
追記&追加画像

今年はムーミンの原作者、トーベ・ヤンソンの生誕100年の年。
子供が小さいときにテレビのアニメで好んでムーミンアニメを見ていたので、
こちらまでとても親しみを持っていた。

ムーミントロール、
ちびのミイ、
スナフキン、ムーミンママ
などなど・・・

声を物まねしたりしてね、私が。

展示内容が、ムーミン童話の挿絵原画が主だったが、どの絵も思ったよりとても小さく、
会場の壁面に延々と展示されていたので、行列に並んでいないとよく見えない。
それで、原画は隙間から垣間見る程度で、どんどん会場内を進んだ。

写真は、撮っていい箇所だけを撮ったが、娘のように若い子が多く、
若いカップルも多く、ムーミン人気の高さを尽々実感。


「ムーミン立像」




「ムーミン谷の彗星」 挿絵 1946年


「ムーミン谷の冬」習作

ムーミン谷のジオラマの前は、多くの人垣が・・・
写真を撮るのも大変な状態だった。

 


ヘルシンキ自宅アトリエでのトーマ・ヤンソン

 

外に出たらもう夕暮れ時
東京駅へ向かう途中の東京国際フォーラムでは、例年同様、
第十回目の「ラ・フォル・ジュルネ」が開催中。
しかし~~あぁ残念!急いで帰宅して晩ご飯の用意をしなくちゃ・・・!
と思いながらも耳に聴こえてくるバンジョーの音色
一曲だけ、もう一曲だけ、と、しばしその場の雰囲気に飲み込まれました。



 

 


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