ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

折り紙のねずみ

2008-01-31 | weblog

ブログupし忘れていた今年の干支の折り紙。
デジカメを持つと、つい手に終えないほど撮り
過ぎるが、この日はデジカメを持参しなかったので、
ケータイカメラに収めた。ケータイで撮ると、そのあと
今回のように
すっかり忘れてしまうことが多くなり
何をやっても困ったもんだの連続のこのごろだ。
去年、折り紙のカード入れを下さったKさんにお誘
いを受け、1月の第二土曜日に市民活動センター
で、「折り紙で干支のねずみを折りましょう」と題した
消費者サポーターの集いに参加した。
 
そこで、トップにある写真のような愛らしい紙の
ネズミを参加者と共に折った。忘れないうちに、
と、母のところでもいくつかネズミ君を折って置
いて来た。次
回は左のお雛さまを作るようだ。
消費者サポーターと折り紙とはなんとも面白い
組み合わせ!消費者問題に関心があり、
日常生活の疑問点を解消し、自分の持つ
知識経験を発信し役立てたい、そんな方が
集まっているようだ。講座の企画や施設見学、
料理教室などを計画している団体だそうで、
今回、私は会員ではないのでKさん以外は
知らない方ばかり。ちょっと緊張気味での参加となった。Kさんが、ご自身所有の和紙を沢山
用意して、折り方を親切丁寧に教えてくださり、一人で折るより、みんなで折る楽しさを味わ
えた日だった。折り紙イコール子供かご老人、と思いがちだが、なかなかどうして、奥が深い。

 

 


 
 
 

電車に乗って

2008-01-26 | art/exhibit/museum



またもや最終日の前日になってしまいましたが、行ってきました。
「プラハ国立美術館展」を見に、東海道線に乗って 
 はるばる行ったぜ~横浜へ~~♪
といっても東京駅から30分以内でついちゃうんだからそれ程は遠くないかも。

暮れにいただいた何枚ものチケットのうちの一枚でしたが、
これは最初パスしようと思っていたんです。なぜ行く決心をしたかって?
今季のデパートのセールで靴を買おうと、MやTやDデパートを覗いたけど
捜し求めていたようなものが余り見当たらず、あってもサイズが無かったり
履いてみると窮屈だったりしていたのです。
23.5cmは最も一般的なサイズなので、セールではいい物が
すぐに売り切れてしまいます。以前なら、靴はSOGOで探すのが
一番収穫があったけど、有楽町店が閉鎖に追い込まれ、ららぽーとも
閉鎖。あとは横浜か千葉か柏か、でしたからSOGOは私にとって
益々縁遠くなっていました。
で、このチケット、よく見ると、SOGO、って書いてあるではないですか。
ちょっと遠いけど、久しぶりに行って見るかぁ、とね。


プラハ国立美術館展

以前こんなことがあったんです。
娘が小学3年生ごろ、表参道のUチャーチまでサンデースクールに
通っていました。私は彼女をそこまで送っていき、終わるまで街をぶらついて
いましたが、慣れてきた頃、連れて行くだけは行って、帰りは銀座で
待ち合わせをしよう、なんてことを思い立ったのです。
ホーム上での待ち合わせなら問題ない、と思って、時間を設定し、
ホームの真ん中あたりで会おう、ということにしました。
なのに、どういうわけか出会えませんでした。当時はケータイなど
なかったし、まだ一人で東京のど真ん中を歩かせたこともなかったので
家に電話したり、母のところに電話したりして、娘からも電話があった
ということが分かったので、今度電話があったら、有楽町SOGOに
いるから、探して分からなければ誰かに尋ねながらでも、そこまで来るように、
と、伝言を頼みました。もしどうしても出会えない時はまっすぐ家に帰るように、とも。
そう頼んでから、SOGOのどこで、ということを言い忘れたことに気が付き
再度電話をしたのですが、すでに娘から2回目の電話が掛かってきた後でした。
仕方ないので、しばらく一階の靴売り場で靴をひっかえとっかえ試し履き
していたとき、娘が向こうの方からニコニコしてやって来たんです。
「どうして靴売り場ってわかったの?」と言うと、
「ママが好きそうな売り場かな、と思って・・」と言うではありませんか。
へぇ~、普段何気なくでも観察されているのかぁ・・と、感心したことでした。
ただ、これだけの話しなのですが、あちこち電話をしたことで
皆が、何かというと、つい思い出してしまう出来事の一つになりました。

プラハ国立美術館展


ヤン・フリューゲル(子) 「バベルの塔」 

ところで、美術展でしたね。もうパス、パス・・ですかぁ?うふっ。

プラハ国立美術館展は16世紀から17世紀にかけて描かれた
フランドル絵画黄金期の秀作70点を展観するもので、その頃の人気画家、
ブリューゲル一族やルーベンスなどの描く、宗教画や静物画、風景画、
風俗画等々、様々なジャンルの絵から構成されていました。
昔の人って、子にも孫にも同じ名前を付けたようで、一体何人の
ブリューゲルがいたのだろう、と首を傾げてしまいました。


ヤン・ブリューゲル(子) 「磁器の花瓶に生けた花」

当時の絵画には、比喩や教訓的な意味合いが含まれたものが多いので、
絵を読むという視点からも楽しめる、との説明を読みながら、
絵に隠されている謎って何だろうと、頭に?マークを付けながらの鑑賞でした。
「レンブラントの夜警」といい、「ダ・ヴィンチ コード」といい、謎を絵画の中の
どこかに含ませる手法が流行ったのか、後世になって、勝手に想像を交え
さも真実のように説明付けしているのか、私には皆目わかりませ~ん。


テオドール・ロンバウツ 「歯抜き屋」

この絵のタイトルは、【歯抜き屋(にせ医者)】タイトルからして怪しそう!
東京都心と違って最終日の前日でもゆったりと見られましたが、皆さん
とても熱心にご覧になっていて、いい雰囲気が会場を流れていた気がします。

プラハ国立美術館展

横浜まで来てしまったもう一つの目的のため、美術展の後は地階の靴売り場へ。
あちこち見て回りましたが、
やはり今までと同じメーカーの、今のと同じようなものを
購入してしまいました。今回試そうと思ったストロバーの靴はセールの品数が僅かで
私のサイズがなかったので、又別の機会にお預けです。
東海道線と京葉線の往復で、一ヶ月かけてもまだ読み終われなかった本を
遂に読みきることが出来て、嬉しいやら残念やら。終わって欲しくない映画同様、
もっと読み続けていたい本ってあるんですね。

 




4分間

2008-01-19 | cinema

 

先週、たまには映画を見に行こうか、と、
夫が言い出し、シネマイクスピアリの上映
スケジュールを調べたのですが、これと言って
見たいのがないな、と言われ、結局行くのは
やめました。都心なら私の見たい映画が幾つか
あったのですが、夫は電車に乗ってまでは
行きたくない、と。で、昨日一人で銀座まで
行き、見たい映画の一つを見てきちゃいました。

4分間のピアニスト」 
原題 ~“Four minutes”~

 刑務所にやってきた一人の年老いたピアノ教師トラウデ・クリューガーと、心身共に荒んで心を固く閉ざした若い受刑者ジェニー。
二人とも不幸な過去を背追っているのだけど、ジェニーのピアノの素質を一瞬にして見抜いたクリューガーの無言の忍耐強さと、いつも押し黙っているジェニーの、心の中のなにかが爆発する時の突発的な暴力行為が胸に突き刺さって来て、最初から最後までドキドキの連続でした。
「衝撃的なラスト」、と、宣伝に書かれていたので最後の方はどうなるのか、あれこれ想像しながら見ていたら、途中から胃が痛くなってきました。暗くて重く、静かなようで激しく、刺激的に痛ましく、辛くなる映画なのに、その中の音楽が、すべての暗闇を強烈に吹き飛ばす程光っていて素晴らしかった~!
あぁ~、耳の中でまだガンがン鳴っている。
皆に見てもらいたい、というより、みんなに聴いてもらいたい映画なのです。
クリューガーは、ジェニーの好んで弾く曲を、「そんな下劣な曲はお止めなさい!」
と言っていたけど、私は最後まであの曲の虜になり、ラストの場面では、感動はしたけど、終わって欲しくなかった。もっともっと、ず~っと聴いて居たかったし見ていたかった。そんなドイツ映画でした。                                                        
                           
この映画は2007年ドイツアカデミー賞で8部門にノミネートされ、作品賞を獲得し、クリューガー役のモニカ・ブライブトロイは主演女優賞を獲得。又、ドイツ在住の日本人ピアニストが二人参加しており、衝撃的な最後の曲を演奏し、ジェニーに個人レッスンを施したのが日本人だったとは、見た後に知り、ビックリやら誇らしいやらでした。
それにつけてもジェニー役のハンナー・ヘルツシュプルングの演奏の演技も惚れ惚れするほど見事。クリス・クラウス監督はインタビューの中で、「タイトル(原題:4分間)に込められた意味を教えてください」との質問に、こう答えているんです。

    この映画は、人生の中で力がみなぎり、ロマンティックで、心を奪うような瞬間を
    扱っている。そうした瞬間は、人として変わらなかった瞬間よりも、ずっと重要なのだ。
    昔を振り返って、いつも衝撃的な瞬間や、幸福な瞬間ばかりを思い出すことからも
    分るだろう。ロマンティックな瞬間はたちまち過ぎるけど、それでも人生の最後まで、
    その瞬間は影響を与え続けるのだ。


帰り道、余韻を抱きながら奥野ビルに足が向っていました。
昔、ナンじゃこりゃ、と思って中を上階まで探検(!)したビルです。
その並びの一角が更地になり、工事中だったので、もしや、と、一瞬あせりました。
いつ壊されてもおかしくない位の古さなんですもの。このようなビルを見ていると、
もうちょっと浸っていたい余韻を封じ込められる気がして。

 【ひとこと】ブログ記事が溜まっているのに眼精疲労気味で、パソコンの画面が短時間でも
       眩しく感じてしまい、この所、仕事以外はあまりネットに繋げていませんでした。
       このブログの前にも挟みたい記事があるのですが、今日は最新のをアップする
       ことにしました。皆様のブログにも少しずつ訪問させていただきますね。

 

 

 


私だって海外に!

2008-01-17 | 飲・食・店

国内感覚で海外旅行を計画・実行している子供たちを横目で見ながら
いつかは私だって、と思いつつ、家庭のことを考えると心配になり、(家庭的だ~!)
結局思いきりが悪い上、仕事が絡んだりして行動に移せないでいた。
今年こそは、と思ってから何年目、、だろう。
そんな思いを抱きながら、先日はイクスピアリでランチをしよう、ということで、
一度は入って見たかった「アラン・ウォンズ・ハワイ」を、躊躇なく選んだ。
私だって、ハワイぐらいは行きたいよ!雰囲気だけでも味わいたいよ!

 
                       webより


一面が大きなガラス張りの向こう側にはガーデンが広がり、
7メートルもあるカラフルなレイが、高い天井から吊下がっている様は
南国っぽくて解放感があるけど、同時に高級感もあるので
今まで二の足を踏んでいた。
ランチに同じような値段を払うのなら、東京ベイホテイスの中から
お好きなレストラン選び放題だものね、わが街は。

まず、おいしそうなトロピカルフルーツのカクテルが豊富に揃っているので
どうしようか、と迷ったが、車で来たことを思い出しマンゴージュースを注文。
とても美味しかったけど一気飲み出来る大きさのグラスだ。

食事は全員、3種類のメニューから選べる【前菜】と【メイン】と
【デザート】プラスコーヒーのランチコースに決めた。
       
  
メインは「オナガ鯛のスチーム ハーブ風味」       デザートは 「スリー スプーン オブ ブリュレ」

独特のハーブの香りを楽しみながらも、この値段ならもう一品
付いてもいいのに、という気がしないでもなかった。デザートに私は写真の
スリー・スプーン・オブ・プリュレを選んだが、栗とピーカンナッツのタルトのが
断然美味しそうだ。人の頼んだ方がいつもおいしそうに見えてしまう。 
下の調味料入れ、ペアが寄り添っているようでかわいいでしょ。 
 

帰りにバーの所で、棚に飾ってあったハワイアンとカメハメハ王の人形を
見せてもらった。その昔、父がハワイ土産にと、小さなハワイアンの人形を
買ってきてくれたことを思い出し、姉とそのことを話していたら、彼女はまだそれを
持っている、というのでびっくりしてしまった。が、私も、子供の頃
クリスマスプレゼントか何かで貰った小さな質素なオルゴールを
蓋が取れてしまったけど まだ捨てずに持っている。


 

 


麗しのベルエポック

2008-01-13 | art/exhibit/museum

新しい年を迎え、すでに半月程過ぎました。年々、月日が容赦なくパッと過ぎて行く
ので、私は益々そんな日々についていけなくて、マイブログタイトルを呟いてしまいます。
人並みには行けない。だからいつも、Going My Way! なんだ、と。
でもこのタイトルにもついていけるかしらぁ~、と、疑問符の多いこの頃です。
だいたい、My Way だなんて、どんなWayなのさ、と、質問されそうですよね。
My人生、残された日々のが少ないのに何がMy Wayさ、なんですよね。ご尤もです。
しかし~、My Wayさ!って、胸を張ったほうが元気が出るじゃないですか?

今年初の美術鑑賞は、初めて訪れた大丸ミュージアム・東京で開催していた
「ベル・エポックの輝き」展。娘から招待券を貰ったので最終日の一日前に行ってきました。
ラリックやエミール・ガレの作品は、1970~80年代、
サンパウロ美術館の建物の真下で
行われていた骨董市で初めて見て、きゃっ、素敵だ~と思っていました。日本に帰国後、
たまたま誘われて、そのころ海浜幕張にあった北澤美術館で、ガレをはじめ、ドームや
ラリックの美しい芸術作品を目の当たりにしました。南米の骨董市とは違い、日本では
「買う」レベルでなくて、美術館の中でしか見れないもの、と認識を新たにしたものです。

     ベルエポック(Belle Époque) とは、「良き時代」と言う意味のようです。
     19世紀末あたりから第一次世界大戦勃発(1914年)辺りまでの、
     パリが最も華やかで繁栄していた時代、
     ~優雅で喜悦に満ちた文化が開花した時代~を、フランス人が
     懐かしみと憧憬の気持ちをこめて「ベルエポック」と呼ぶそうです。

去年の暮れにも、左のポスターの催しのなかで、ガレや
ドーム等のガラス工芸も拝見することが出来ました。
NHKの番組「美の壷」は見た事がないのですが、アート
鑑賞のポイントである「ツボ」を紹介する番組だそうで、
例えばアールヌーボーのガラスは;
    壱のツボ: 花や虫より素地が主役
    弐のツボ: 光りがつくるいくつもの顔
    参のツボ: 小品でドームに並ぶものなし
なんて書いてありましたね。鑑賞のツボはとても役立つ
のですが、どうも私は研究熱心でないようです。自分が
いいと思ったものがいいんだ、と、単純に考えて見ていま
す。「美の壷」展はupする時間がなかったけど、とっても
興味深い催しでした。


さて、「ベルエポックの輝き」展を書くには日が経ち過ぎ
ましたが、最終日の前日でしたからそれなりの混みようで
順番に並んで見るのは不得手!なので、皆の肩越し
からさぁーっと、しかし、しっかりと覗き、さっさと空いている
方へ移動。アクセサリーは小さくても細工がシックな上、
手が込んでいて、当時、どのような女性がこれらを身に
付けていたのだろう、と想像してしまいますし、香水瓶の
優雅なデザインの数々といったら、香水を余り使用しな
い私でさえ目を見張るほどおしゃれで素敵でした。
それら一つ一つが創意工夫の賜物のような凝った作り
で、見ているだけでも楽しめました。
 

← ガレの団栗文ランプ

しっかりと目前で見ることの出来たラリックの「シュザンヌ」(右上)の立像や「カリアティード」などは、シンプルな中にも優美な曲線が魅力的でした。目黒の庭園美術館(旧朝香宮邸)の正面玄関のガラス扉や、大客室と大食堂のシャンデリアも彼の制作によるものですし箱根には美術館もあるので日本人にはお馴染みですね。
【ガラスの詩人】と言われるガレの作品にはストーリー性を感じてしまいます。音楽や文学を好んだガレの作品の中には、多くの詩人の引用詩が控え目に刻まれているものが幾つもあります。決して目立ちはしないそのカリグラフィーと詩、それが、様々なガラス素材を自由自在にアートの表現として用いた作品のなかで見事に調和し、誰もが真似出来ないガレ独特の世界を醸し出しています。

 

ただ、批評家からは、作品そのものが充分すぎるほど詩的だから、銘文の引用などするとかえって安っぽく陳腐になる、などの批判もあったと言います。ガレはそれに対してハッキリと意見を述べ、自分の流儀をやり通すと公言したそうです。ガレはガラスのみならず、家具や陶器、デザイン画を通しても優れた才能を存分に発揮しています。

   
          
                      ドームの薔薇文化器                 ガレの蝶文ランプ
                               
植物や昆虫の絵柄が多いガレの作品には日本美術の影響も非常に多く見られました。
1867年に父親の代理として行ったパリ万博で初めて日本から出品された文物を目の当たりにして以来、当時のヨーロッパの芸術家のだれもがそれらの東洋のアートに影響を受けたように、彼も様々な技法をそこから学んだようです。特に陶器の作品には伊万里焼や水墨画、日本画の影響がとてもよく表れています。
1878年、彼はパリ万博に出品し、ガラス部門で銅賞を獲得。その時の出品作に、葛飾北斎の絵からモチーフを引用した花器が含まれていました。
                      
 
「未熟な日本の美術を中国の影響から
 解放したのは北斎です。北斎の絶大な
 影響力は、日本のアトリエに留まらず、
 世界のどんな国の装飾美術にも通用する
 革新運動を呼び起こしたのです。」         

 「自然に深い共感を抱いている日本の
 芸
術家は 命あるものが見せる、時には
 あざ笑うような、また時には悲しげな
 眼差しを浮かべる愛らしい 顔の表情を、
 わかりやすく解釈する独特の 方法を
 身につけています。」 
                 エミール・ガレ                                   

                              
これは本からコピーしたものですが、素敵でしょう?「恋の釣糸」といい、水のニンフが彫られて
います。ニンフとは妖精のことですが、又、カゲロウの幼虫の名前でもあるんですってね。
北澤美術館のHPの中でもこの作品を見ることが出来ます。
参考にさせて頂いた本のなかで、鈴木潔氏は、こんな風に語っています。

     詩人の言葉が人を感動させるのは、それが荒唐無稽な空想では
     なく、実際の経験に根ざしているためと言われる。ガレのガラスも、
     われわれがいつかどこかで見た光景を思い起こさせ、記憶の中の
     美しい瞬間を呼び覚ます力を持っている。彼は森の下草のような
     雑草がしげる草むらにも眼をむけ、風になびくシダの葉やこぼれ落
     ちた枯葉すら情感をこめて表現した。われわれは雑草という大雑
     把な言葉でひとまとめにしてしまうが、どんな草にも名前はあり、独
     自の容姿が見られる。それらに注目するかどうかは、植物に対する
     こまやかな愛情と興味の持ち方次第である。雑草ばかりのありふれ
     た草むらをモチーフに選ぶこと自体、植物学者の言葉が詩人の
     それと同等の価値を持つガレ芸術の特質を物語るものであろう。


次の週には母の用事で日本橋に行ったとき、
「麗しきオールドノリタケ」の券を持っていたので
ついでに覗いてきました。券の絵柄からしてド派手
というか、金銀ギラギラの感が強く、初めは興味の
対象外でしたが、アールヌーボーを意識した意匠と、
様々な技法が詳しく説明された展覧会は、それは
それで大変面白く、最後には得した気分にさえ
なりました。

オールドノリタケ、それは明治時代に日本から海外へ輸出された洋風陶磁器のことだった、と初めて知りました。アール・ヌーボーやアール・デコの影響を、日本でもしっかりと受け、それを逆に輸出し、欧米のコレクターを魅了したといいます。このオールドノリタケと細見美術館の古美術品とのコラボによる、豪華な装飾美溢れる美術工芸品を、デパートに寄りがてら気軽に見れるというのがすばらしい。

今日、25日にやっとのことでupすることが出来ました。
日付は最初に書き出して途中まで、草稿でupした日です。
もっとシンプルに、を目指しているのに困ったモンだぁ。



 


粋タイ

2008-01-11 | family

年末から一週間程、
タイを旅行していた娘が帰ってくるなり、
「よかったぁ~!又行きた~い!」

同行者はそう思われないのに、
自分はどこに行っても
タイ人に見られ、タイ語で話しかけられた、
と、苦笑。でなくて喜笑。
「ママだって、昔、海外に頻繁に出張していた
父親から、“お前は南洋にいったら美人だぞ~”と、
よく言われていたからね、どっちかというと
二人ともそっち風の顔なんだ」と二人で納得。
上の写真は向こうで買物をした時のもの。
このような美人に私たち母娘が似ている、と
言っているのでは、残念ながら、ありませ~ん。


"小麦粉のように柔らかい砂"と青い海の広がる
サメッドという小さな島に滞在し、年末年始を過ごしたそうだが、
行き帰りのバンコクでは、市内最大のマーケットに行った時、
友人がスリに財布を盗られ、本人も危うく・・・だっとか。
それでも、
旅行中に接したタイの人々がだれも皆、
親切で素朴で笑顔がとってもかわいかったよ~、と大感激。
宗教心から来るのか習慣なのか、
両手を合わせて拝むポーズが
特に印象的だったという。

ブラジルでは、
教会を通リ過ぎる時、
胸の前で十字を切っている人を
よく見かけたが、信心ある人の持つ謙虚さに
時折、心を打たれたことがある。それとは裏腹に、
慈善団体を名乗って寄付金を求める電話や訪問が多くあったが、
断ると、「悪魔に呪われるぞ!地獄に落ちるぞ!」と、
態度を豹変させる、そんな偽善者もいたなぁ。

 
弟へのお土産の子象だゾー!

娘の土産話を聞いていると、古き良き時代が
そのまま受け継がれて現在に至ったような
タイと言うアジアの一国が浮かび上がってくる。
人間にも食事にも景色にも満足して、又絶対に行く!と
言っている娘だが、ママだって~行きタ~イ!

   
    ★パパへのシャツ        ★ママへのカットソー       ★ぺニンシュラの刺繍ロゴ入り洗濯袋 

 

 娘が帰国した次の日の新聞で、ミャンマー人留学生の、
「温かい日本人、母国に伝える」と言う記事を読んだ。
千葉真一の千葉、ということで、千葉大を選んだこと。
最初にびっくりしたのは、仏教信仰の厚いミャンマーでは
考えられない深夜テレビでの成人向け番組や、
コンビニに並ぶ成人向けの雑誌類。女子高生の超ミニにも
驚いたそうで、日本人はアジアの国だと思っていたが、
それは顔だけ。中身は欧米人、と思うようになったそうだ。
その留学生が帰国に際し、受け入れ先の親代わりとなったご夫婦に、
「座って下さい」と声をかけ、彼女は正座をして、
床に額をつけて頭をさげたという。
ミャンマーでは、目上の人への正統な辞令だそうだが、ご夫婦は、
「普段明るく振る舞っていても、節目で、
自然とこんなふうに振る舞える文化はすばらしい」
と、目を潤ませ、今まで10カ国もの留学生を受け入れてきたが
こんな思いは初めて、と語っていた。
第二次世界大戦時の日本による侵略で
ミャンマーを舞台に日英が戦った。だが、歴史教育は
中韓などとは違い、反日感情は強くない。むしろ親日的なようだ。
こういうことって、深い宗教心に根ざすことなのだろうか。

アジアからは欧米人のようだ、と言われ、
欧米人からはアジア人にしか見えない日本人。
根なし草にならぬよう、日本の良い点は堂々と守り、
それらを大切に代々伝えていかなくては、と、
ミャンマー人留学生の誠実さが、
日本人としての誇りを思い起こさせてくれた。


 きょう、やっと娘がタイから家宛てに出した絵葉書が届きました~。
Worachat Sodsriさんによる写真のタイトルは「Let’s Jump!!!」
切手の絵柄もJumpingですよ。絵葉書の回りがき損されて
張り紙付きで届きました。


 

 


静かな三が日

2008-01-05 | family

  
                         横浜ベイブリッジ

今年のお正月はいつもより静かでしたが、年末にやり残しが多かったせいか、気持ち的にのんびり過せませんでした。元日は寝正月でしたが、最初に起きたのは勿論、私。前夜に下ごしらえしていたお雑煮とお汁粉を仕上げ、切って並べただけのお節を、何かのお返しでのカタログチョイスで選んだ栗原はるみの小さな重箱に盛り付け、お餅を焼き、万端整えてからパパを起こしました。お屠蘇の代わりに、年末に甥から貰ったルーマニアワインを開けて2人っきりで乾杯。2人だけで元旦の朝を迎えるのは初めて。これから、こんな風にお正月を迎えるようになるんでしょうかね~。ちょっと・・・考えちゃいました。
娘は旅行中。息子は大晦日は仕事でしたが、仕事のあと帰宅し、3人でやぐ羅のにしん蕎麦を年越し蕎麦代わりに頂きました。
その後、息子は「じゃ、良い年を!」と言い残して芝の増上寺にお参りに行き、友人宅に泊まり、元旦はそのまま出勤。

【一年の計は元旦にあり】 と、去年も同じこと書いたなぁ。

なのに、なのに~、去年のうちに買った今年度用の新しい手帳が見つからない!
そこいら中を探しても出て来ないんです。年々こんなことが増えてはいるんですが、元旦早々だと気落ちしてしまいます。今年は、まずは一日も欠かさず一行でもいいから何かを書こう、と決めたのに。毎年同じ手帳を買い、そろそろ飽きてきたのに又同じものを買ってしまい、失敗した、と内心思っていたのが手帳クンに伝わったのかしら。
フリータイプなのでページが無くならない限り何年でも使えるので、長い時で3年間使用し、何かと便利。それが今年は換え時でした。ブログで得た情報も手帳に書き込み持ち歩きますから、換える年はちょっと面倒です。頭の記憶装置には不信感が募るのみなので、手帳は手放せません。
で、それが今日、やっと、見つかりました!どこで?暮れに使用していたバッグの中にあったんですよ。ヤ~レヤレ。

昨年同様、母が、実家でもある、横浜の私の弟の家で年末年始を過しているので2日に皆で横浜に集まることになりました。新年2日目。まずは父の命日なのでお墓参りに行き、その足で横浜へ出発。首都高~横羽線からは富士山がくっきり見え、みなで大歓声!(いや、一人かな。)
息子が運転していたので何回も富士山の写真を撮りましたがすべてピンボケか、対向車の陰になってしまい残念でした。運転中ケータイが鳴り、出ると甥からで、本牧辺りでフェラーリとワゴンタイプの乗用車との自動車事故があり、両車両はグシャグシャ。大渋滞に巻き込まれているので、ベイブリッジを通り過ぎたらすぐに高速を降りたほうがいい、との連絡でした。姉達の車のが数十分早く出発していたので私たちはとてもラッキーでした。ケータイってこう言う時こそ便利だ~!

 本牧のこんなふうに積み重ねられた
コンテナの光景は昔のまま。
その横を通り過ぎがてら、「カッコイイ~!
横浜って、やっぱり他の都市とどこか違う
んだよなぁ~」と、息子。


横浜プリンスが取り壊されてから初めて行く実家でしたが、プリンスの坂が工事中だということで旧道を通って行きました。姉の一族も渋滞から抜け出し、ちょうど到着したばかり。JRで横浜経由でやってきたもう一人の甥の話では、石川町で人身事故があったので根岸線は不通だったとか。新年早々、とんだ災難なことですね。

当日は 
2人欠席でしたが、姪の彼氏も入れて総勢14名でした。
まずは姪の彼氏が持参したシャンパンで新年を祝し、カンパ~~イ!

  

何か一品を持参しよう、と姉と取り決め、私が作って持って行ったのは野菜一杯の炒めビーフン!義妹手作りの山ほどの煮物や鶏肉ロールも絶品でした。会食中、タイミングよく、タイに旅行中の娘からの「ハッピーニューイヤーコール」が入り、皆が次々に電話口に出る事ができたのは、なんともメデタイことでした。
お腹一杯お食事をいただき、お茶もして、犬の散歩に出かける人もいれば、庭のゆずを袋一杯取っている人もいました。隣家のYさんが息子さん一家とともに玄関先に訪れたときはびっくり。
だってその息子さん、小学生だったんですよ、私がこの家に住んでいた頃は!すっかりおじさんになっていてね、・・・って言ってもこっちだってそれ以上のおばさんですかぁ。

 
 
 

楽しいひと時もあっという間に過ぎ、母を乗せてわが街へ着いたときは6時を回っていました。
その晩の「イチロースペシャル」が楽しみでしたが、ちょっとそのストイックさに辛くなって、じっと見ていられませんでした。質問する司会側が、イチローからの返答の後、言葉が出ない。というか絶句する場面が多く、イチローの今までの自分との戦いの壮絶さを想像するだけでクラクラしてきちゃったんです。あれだけの一流選手が、集中して野球に打ち込める状況作りのために、常に更なる目標のために、世間と自分自身に対して、迷いながらも一線を引き、戦い続けてきた、それが現在進行形だとは。人気絶頂の「脳科学者」でさえイチローを科学出来なかったのではないかな。しかし~すごい人だ。

というわけで2日目は終わり、3日目は義母のホーム訪問となりました。
で、今日初めてデパートに行ってきましたよ~。
SALEの赤札を、当分は追いかけそうなbiancaで~す。



 


新しい年

2008-01-01 | weblog

謹んで新年のご挨拶を申し上げます

今年も自分の “お遊びの場” として
ブログを続けていければいいな、と
思っていますので、これからもどうぞ
よろしくお願い申し上げます。
皆様のこの一年のご多幸ご健康を
心よりお祈り申し上げます。


Bianca