ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

2010年4月30日

2010-04-30 | weblog

   

 母の家でお昼を一緒にしていたところ、姉たちがやって来て、歌舞伎座の話
となりました。51年1月に開場した現在の歌舞伎座が、建て直しのため すっぽり
シートで覆われてしまう前に、建物の見収めに行きたい、と言い出したのです。
予定は特になかったので、しばらく皆で雑談した後、家に戻ってベランダの
布団を取り込んでから・・・・・二人して、野次馬してきました~。

   三年後、どんな歌舞伎座がこのビルに映し出されるでしょうか?

 

銀座4丁目の交差点から晴海通りに向かうあたりから、いつもと違い
人通りが多く、車も多く、マイク越しの大きな声も聞こえ、騒々しい。
そうか~、ファンはもとより、普段 歌舞伎を観劇に行かなくても、
私たち同様、あの建物に親しみを抱いている人は数多くいるんだ。

昭和通りに近づくにつれ、パトカーだの白バイだのが目に入ってきた。
車と歩行者と立ち止まって記念写真を撮る人たちでごった返しているので
それらの整理をするためだったのだ。ご苦労様です。





この日は歌舞伎座閉場式が二度設けられていた、と、着いてから知る。
午後4時からのが始まるところで、入ってみようとチケット売場へ行くが、
とっくに売り切れ。当り前でした。歌舞伎座前の甘栗屋さんも、多くの人に
囲まれていたし、マスコミ取材班の大きなビデオカメラも目立ち、
写っちゃったらいやだね、と言いながら右往左往していたら、
私共と同じマンションの方に見つけられたりしました。

建物の横側もぐるりと見て回りました。

歌舞伎チャンネルの車も横付けに。

表は残ってもうしろ側は壊されて高層ビルになるから、木挽町あたりも
町名の名残など、次第に無くなってしまうのでしょう。

歌舞伎座の周りを歩き、その姿を目に
しっかりと焼き付けたところでちょうど
好みなカフェの前に来ました。ここも
レノンとヨーコが訪れたことで有名な
店の一つ。共通点は居心地のよさと
応対のよさですか。

二人がここに立ち寄ったのは約30年前。
その一年後にジョンは精神疾患者の
凶弾に倒れた、と伺いました。店内には
当時、同店にて書いたと思われる、入り
の一枚の他、
写真なども飾ってあり、
このお店にとって、貴重な思い出になって
いるようです。

 

  
 

カウンターに坐っていた着物の方も、歌舞伎座がお目当ての方のようでした。

カフェをあとにし、今度は晴海通りの反対側に渡ってから最後のショットを。
車が邪魔で上手く撮れませんでしたが、3年後のここからの眺めはいったい
どのようになっているか、ブログに残して比べて見たいと思いました。

歌舞伎には少しも詳しくないけど、ブロ友カメリアさんからの情報発信の
お陰で常に色々なことを学ばせていただいております。有難い限りです。

 追記   
日付が変わり、5月1日に投稿することになってしまいました。
今朝の朝刊に記事と写真が載っていたことで、館内の様子が良く解りました。
約200人の歌舞伎俳優と満員の観衆2000人が、閉場式で手締めを行い、
松たかこ、中田英寿、宇崎竜童夫妻など、著名人も多く列席したようです。
ひょっとして、野次馬の種類も多々だった、という事かもしれませんね。

 


赤プリよ、おまえもか!

2010-04-27 | news

ひょんなことから赤坂方面へランチに行くことに。
庭園散策にオータニか、旧館のプリンスか。
パーキングの位置が、決定権を左右し、結局建物のまん前に駐車OKのところに決まった。

軍配は、「仏蘭西料理トリアノン」
      グランドプリンスホテル赤坂。

旧李王家邸とのことで、館内は歴史を感じさせるシックな佇まい。団子より花のbiancaは(?)庭園や建物の見応えある場所では
食にそれ以上の期待は持たず、その場の雰囲気をしっかりと味わいたいほう。

実家のある磯子の、今は撤去されてしまった横浜プリンスホテルにおいては、旧東伏見邦英伯爵別邸としてそこだけ残された貴賓館が、共に後世にまで残してほしい建物だ。

 

・・・・・ここからは4月28日夜の記述です・・・・・

と、ここまで書き込み、続きは明日にでも、と思っていたところ、今日の夕刊を広げて吃驚してしまった。来年三月末を持って、赤坂プリンスホテルは閉館することになったという!
  

ショック~!

よく読むと、旧館は保存する意向とのこと。ヤレヤレと、いったんは胸をなでおろした。それでもな~、弟がウエディングを挙げた建物がなくなっちゃうんだ~。あのとき、プリンスには託児所がなかったので、一歳の息子をニューオータニの託児所に預け、三歳の娘を連れて3人で出席した。それもブラジルから一時帰国してだ。

老朽化と外資系高級ホテルに押されたというが、利益を生まない年寄りは、文化財並みの価値がなければ はい それまでよ、か。なんだかヒジョ~に自分のことのように感じちゃう。これからも同様のニュースが増え続けるだろうけど、再建時は是非とも、保存したくなるような魅力ある建築物を、お願いしまっす!

画像はどれも、今日のニュースを知る前のものだから、なんか力が抜けてしまった。一気に書かない私がいけないんだ。けど、ま、カテゴリーが「news」に替わったことで二度投稿せずに済んだってことになります。

ここでのランチは、ゴチになったんですけど、いったい何を食べたっけ?という印象だった。(笑)もちろん全て美味しかったですけどね。サラダがもっと欲しかったのと、おかわりをした時のパン「パン・オ・マカダミア」がとても美味しかったことはしっかり覚えている。ホテルでそのパンを販売しているかを尋ねて見たところ、プリンス通りに出て右に少し行ったところに「ブーランジュリー・アカサカ」というベーカリーショップがあるそうなので、帰りに寄りました。
 
夕刊の記事を読まずにいたら、きっと昨日の分にプラスして、別のカフェやレストランなどの紹介記事になって、タイトルも違ったでしょう。
もっといい写真を撮ってくればよかった!ですが、あの日はデジカメを持って行かなかったので、全てケータイカメラで、音を気にしながら撮りました。

本日はカメリアさんブログで、歌舞伎座の最終日によせてのコメントと、赤プリ閉館のニュースを拝見。その日のことを、同日に投稿の姿勢はまさにブロガーのお手本、と思ったことでした。

 


最後の最後のマンガ展

2010-04-27 | news

<STYLE type=text/css></STYLE> 今朝(4月26日)新聞を読んでいて見つけた新聞広告。
センター見開きいっぱいに使った描き下ろし広告のマンガ絵に見覚えがある。
おぅ~
最後のマンガ展!何故今?、と思うも紙面には何も書かれていない。
HPのアドレスが画面左下にあるのと、蝶の下にQRコードあるのみ。
ケータイをQRコードにかざし、読み取ってみると・・・
「井上雄彦 最後のマンガ展」最終重版〈仙台版〉のお知らせだった。

・・・通常の紙面を離れて、空間にマンガを描き、
     読むという試みの、最終章の始まりです。・・・ 

作者のサイン入りメッセージが静かに流れ、仙台メディアテークで、
5月3日から6月13日まで巡回されるマンガ展を持って、本当の最終回になる
ことを、読者への感謝の言葉とともに丁寧に語っていました。

少年時代の宮本武蔵、そして最後の決戦の舞台となった巌流島のイメージを
背景にしたこのマンガ絵。広告というよりも一枚の絵として見てもらいたいため、
タイトルやコピーを記載しなかったそうです。それって絶対に効果的だと思う。
もっと知りたくなるし、だいいち美しい! 

そのあと、新聞のページをめくって読み続けていたら、7ページ目で又、
目が釘付けに!例の蝶に「さらば」の三文字を発見した。
(新聞をうしろから前へ、と読んでいるのがバレちゃったか。)
本来なら、こっちが先だったんだ、と思いながらもちょっと感激。
なんとまぁカッコいいアピールの仕方でしょう。ドキドキしながら
更に探したりしちゃって。
午後、母の所に行ったとき、別の新聞を取っていたので、どうかな、と
探したけど、ありませんでした。


マウスオンに失敗しました!

さきほどかぐやひめさんブログへお邪魔したら、同じ画面がトップ画像で
ウヒャ~、相思相愛、でなくて、相思相投?だ~と、とてもうれしい気持ちでした。
先日は、写真集「バレリーヌ」(幻冬舎)の宣伝、とはいっても、一糸まとわぬ身を新聞紙上にも披露した草刈民代に、目を白黒してしまいました。36年間のバレー人生から女優へ。人生を切り開いていける強さを感じますね。

このところ新聞広告はこちらの常識を覆すような発想を連発しているように感じ、結構楽しんで見ています。

井上雄彦 最後のマンガ展 仙台版 

 


フランク・ブラングィン展

2010-04-19 | art/exhibit/museum


松方コレクションがベースとなって1959年に設立された国立西洋美術館。
その
松方幸次郎(1866-1950)とフランク・ブラングィン(1867-1956)は、コレクターと画家という立場以上の親密な関係だった、ということにとても興味を持ちました。

この展覧会は、国立西洋美術館開館50周年記念事業の一つであり、サブタイトルを「伝説の英国人画家-松方コレクション誕生の物語」と謳っています。松方幸次郎との関係を軸にして ブラングィンの作品を日本に紹介する 初めての企画展とのことで、123点の作品が展観。鮮やかな色彩の絵画だけでなく、ポスター、版画、デザイン画、陶器、家具など、その多才な芸術家ぶりは目を見張るほどでした。が、実をいいますと、ブラングィンの名前も絵も私にとって初めて見聞きしたのです。
「松方幸次郎の肖像画」は、その場で一時間ほどで描きあげたものだそうですが、バックに花を描き華やかな作品に仕立てています。ウィリアム・モリスの工房で働いたこともあり、アーツ・アンド・クラフツ運動にも傾倒していただけあり、装飾デザインはお手のもの。

夏目漱石の「それから」にも作品が登場している、とのことでしたが、漱石がロンドン滞在中に何らかの接点があったのでしょうか。 二人は同い年でしたから。

・・・・・仕舞に本棚の中から、大きな画帖を出して来て、膝のうえに広げて、
繰り始めた。けれども、それも、ただ指の先で順々に開けているだけであった。
一つ画を半分とは味わっていられなかった。やがてブランギンのところへ来た。
代助は平生からこの装飾画家に多大の興味をもっていた。
彼の眼は常のごとく輝きを帯びて、一度はその上に落ちた。
それはどこかの港の図であった。背景に船と檣(ほばしら)と帆を大きく描いて、
その余った所に、際だって花やかな空の雲と、蒼黒い水の色をあらわした前に、
裸体の労働者が四、五人いた。代助はこれらの男性の、山のごとくに怒らした
筋肉の張り具合や、彼らの肩から背へかけて、肉塊と肉塊が落ち合って、その間
に渦のような谷をつくっている模様を見て、そこにしばらく肉の力の快感を認め
たが、やがて、画帖を開けたまま、眼を放して耳を立てた。・・・・・
 
(「それから」より抜粋) 

      
                                 海賊バカニーア


ブラングィンの絵には造船所や労働者が多く見受けられましたが、その点においても川崎造船所(現 川崎重工業)の初代社長だった松方幸次郎とはきっと 意気投合したことでしょう。

鮮やかな色彩
の印象が強いのですが、初期の頃はモノクロっぽいモノも多く、年代によって作風の変化がはっきりと見てとれます。    
                          
特に興味深かったのはブラングィンの原画を日本人の彫り・摺り師、漆原由次郎によって版画にした作品群でした。(この二枚の絵葉書を求めました。)
      
               アルビの古い橋(エッチング)

      

              ローレンス・ヴィニョンによる詩 詩画集「ブリュージュ」
            ブリュージュのプレディクヘレン橋(多色木版)


又、関東大震災と、その後の金融危機がなければ、松方の夢であった「共楽美術館」の建設計画が実現していたと知り、残念に思いました。美術館用の土地も、二の橋から愛育病院方面へ続く“麻布仙台坂”に用意してあったそうなんです!惜しかった~!

      松方に蒐集のきっかけを与え、その指南役となったのが
      画家フランク・ブラングィン。
      造船所や労働者を描いたブラングィンの絵画に魅せられた
      松方はその作品を次々と購入し、ついにはコレクションを
      公開するための美術館、「共楽美術館」のデザインを
      ブラングィンに託します。関東大震災後の経済危機により
      美術館は建設されませんでしたが、実現すればそこには
      ブラングィンの作品が総合的に展覧されるはずでした。
                        (美術館HPより)


背後に別館を配した美術館の俯瞰図

同時開催の 「所蔵水彩・素描展ー松方コレクションとその後」も見たかったのですが、すでに時間切れとなりました。 

 

★遅すぎですが、No Man's Land(3)をupしました★

 


池と山と美術館

2010-04-12 | visit/drive

春も半ばとなったのに、いったい本当の春らしい春はどうしちゃったのでしょう?ダウンやオーバーコート類を、「半額キャンペーン」に釣られてクリーニングに出した翌日から又、寒さがぶり返し、処分しようか、と思っていた上着を取り出して着たりしています。

上野に行った当日は、ほどよい陽気たったので、満開のピークを過ぎた桜でも、名残惜しんで楽しむお花見客や鳥たちは 見るからにウキウキ気分。

  

不忍池のほとりは何度も歩いたことがありますが、池の中央を長く伸びる桜並木の遊歩提を歩いたのは初めて。そこにたどり着くまでは神社や露店があったりで、それなりに面白かったです。トルコのケバブ、韓国のトッポッキの売り手がとても個性的!
まず、池に面した食事処でうどんを注文して腹ごしらえ。景色のよいところって、一般的に食事はたいした事ない、と友人が言っていたとおり。こんなに素敵な池のほとりなんだから、もっとシャレた店があっても良さそうなのに、ない!

不忍池の地形;中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)を配し、遊歩のための堤で
       3つの部分に分かれている。一面が
で覆われる蓮池
       ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に
       位置しカワウ
が繁殖している鵜の池の3つである。(Wikiより) 

 

 

お線香って、こんなに色とりどりでしたっけ?
ここ数年、ついていないことが多いので、一応弁天堂でお参りしました。
御釈迦さまだろうとイエスさまだろうと構わずに、お参りや祈りの場所があると、つい祈願してしまう私。これって不謹慎なのでしょうか。

 



池の衝立棒のてっぺんには、入れ替わり
立ち代り様々な種類の鳥が止りに来ては
ポーズを決めてくれますが、なかなかこ
っちを向いてくれない。そばのベンチに
坐っていたオジサングループの一人が、
よ~し、こっち向かしてやるからな、と
言って、持っていた食べ物を放り投げて
くれましたが、向くどころか、エサを目
がけて動き回るので難しかった~。




  鳥類:不忍池では渡り鳥、留鳥あわせて数十種類の鳥類が見られ多い時には
    1万羽を超えることもある。その中でも特に多いのが
キンクロハジロ
    
ホシハジロオナガガモである。(Wikiより)


 

 


 

 

 

 

 

     

美術館に行く前に、池の周辺でゆっくりしすぎました。長い階段を昇って歩いて行くと、散り始めたにもかかわらず、ブルーシートの上にお弁当などをセットし、宴会準備をしているグループもいました。外国人にとっては面白い光景なのでしょう。立ち止まって興味津々に覗き込んだり写真を撮ったりしていましたね。分別ゴミ箱もどんなにお洒落にしても、こんなにドデカイと、ブルーシート同様、景観を損ないます。各々が持ち帰って欲しいところです。が、自分が幹事だったらゴミ箱は有難い。勝手なものだ。

        
       


大噴水の先まで進み、芸大方面へ足をのばしました。そこでアートプラザを発見。芸大教職員等の作品を中心に書籍なども展示販売しており、くつろげる椅子もあったので、自販機でコーヒーを買い、ゆっくりといただきました。ショップには「東京芸大クッキー」なるものも販売されていましたよ。


奏楽堂の前にはすでに何人もが列をなしていたので、掲示板を見たら、あと一時間ほどで始まるようでした。そばにいた人も券があれば入りたいと言って、どこかに訊ねに行ったようです。私が歩き出すと、追いかけてきて親切にも当日券が買えるようだから聴いていきませんか、と言われました。聴きたいのは山々でしたが、そうすると絵を見る時間がかなり慌しくなりそうなので断念。

 

芸大奏楽堂の前の“芸術の散歩道”には、芸大生の卒業制作の作品が一年ごとに入れ替わり展示されています。今年度選ばれた4点の作品のうち二点だけ写真に収めました。

 
             石川直也「アメダマ傘」

 
               熊谷貴明「Sofa]  

  
        アデウス奏楽堂!またゆっくり来るからね。

   
     通りの向こう側は、重要文化財である 国立博物館の黒門  
         
 
   菜の花のすぐ手前では、森の住民?が数人で酒盛りをしていました。

国博の「春の庭園開放」が4月18日(日)までなので、本当はそっちにも寄りたかったのですが、着いたのが遅かった上、不忍池でゆっくりしすぎて10時~16時の開園時間に間に合いませんでした。

最後は、国立西洋美術館で開催中の「フランク・ブラングィン展」。すでに6時を回っていましたが、この日の開館時間は夜8時まで。夕食の支度が遅くても良い日って嬉しいな。展覧会については後日、或いはパスするかも、です。

母の記憶力が日々危うくて、一週間のうちの数日、
夕食を共にしてお泊まりしています。
ボケを少しでも食い止められますように。
                   

むこうにパソコンがあったらいいんですけどね。
 


やっと、桜

2010-04-10 | flower/green

あらま、マンション中庭の桜もこんなに散っちゃった。

ブログをご無沙汰しているうち、桜の見ごろが過ぎ行きました。 しょぼ~~ん

すでに枯れ落ちてしまったコブシがいつまでもトップ画像では情けない。
で昨日、外出がてら デジカメで中庭の桜を撮ったので、久しぶりにブログ投稿といきましょう。数枚だけ撮ればあとが楽なんですけど、数多ければ少しは当りがあるか、と思うので常に撮りすぎちゃうんですよね。 
続きのあるブログ記事も放ったらかしだし、ブログを始めて5年近くになる、という事は、私もそれだけ年食ったということでして、、、ムニャムニャ・・言い訳になるからや~めよっと。


マンションからやなぎ通りを渡ったところですが、駅前ロータリー付近の桜に目を奪われました。このあたりが雑草はびこる空き地のときから住んでいるので、JRの駅が出来、ショッピングセンター、高層マンション、アトレ、ロータリーと、次々整備・建設された中心に、サクラの木がこんなに大きく育っているとは嬉しい限りです。

初めの頃は、子供たちにとってはコンクリートに囲まれている環境より、虫取りをしたりボール遊びが出来る、手入れされていない空き地のままのが絶対いいに決まっている、と真剣に思っていました。(今でもそう思いますが・・・)それが~すっかり便利さに慣れ、ショッパーズにディスコが出来るとかでPTAが騒いでいた遠い昔が嘘のよう。ディスコはすぐつぶれましたが、取って代わってカラオケ、ゲーセンと増えていくころは、そんな環境に大人は次第に慣れっこになりました。時代とはこうして変化していく~慣らされ・慣れて行く~のですね。パチンコ屋がない、というのが実にいい!これは絶対慣らされないゾ!

さて、私はこのあと上野まで足を伸ばしました。それは写真とりすぎでまだ整理できませんが、まず不忍池の動画だけ次のブログ記事に入れることにします。 

           もう一つ、この桜の大木を見てくださ~い。

上と同日ではなく、その前にお天気になった日、母を連れて市内お花見ドライブをしました。郵便局前の通りから しおかぜ緑道を通り、舞浜大橋から左折 川沿いの桜のアーチに感嘆し、見明川をUターンして弁天ふれあいの森公園に寄りました。
一本の大きな桜の木が、みどりの芝と青い空に映えてとても見事でした。
これを見ただけで、この木の下に佇むだけで幸せな気分になっちゃう、そんな桜の大木でした!