ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

サクラウォーク2011

2011-04-13 | visit/drive

相変わらず強い余震が頻繁に発生しています。
昨日、一昨日と、(11、12日のことです。┐('~`;)┌)、何回も揺れたのでいい加減疲れてしまいましたね。被災地の方はどんなに疲労困憊されていることか、想像するだけで辛くなります。新聞には東北地方にも桜が開花、のニュースが。美しくも儚いさくらの時期ですが、春の訪れが少しでも被災地のみなさんにとって希望を抱けるきっかけのひとつにになれば、と願います。

前回ブログでは、目黒川沿いのさくらを見に行ったことを書きましたが、そのとき撮った写真をまだちゃんと投稿していませんでした。0311以降、今まで以上に[投稿拒否]的気分に苛まれていたので、相変わらず遅れてのアップですが、どうかご容赦ください。

今回は池尻大橋で下車して川沿いを歩くことにしました。下車してちょっと行ったところに、こんな大きな建物?があったのですが、なんだかわかりますか?

首都高3号渋谷線と中央環状線を結ぶ「大橋ジャンクション」でした!
まだ建設中の部分もありましたが、昔は東急玉川線(玉電)の大橋車庫だったとのこと。リンク先で、ここに屋上ガーデンがあることを知ったので、いつか寄ってみようかな、と思っています。玉電が国道246を走っていた時代。渋谷はその当時も繁華街には変わりなかったけど、今と比べたらすっごくのどかな時代でしたね。ケータイもパソコンもネットもなにもないけど、何も不自由とは思わなかった時代でした。

目黒川はどっち?と、友人とキョロキョロしていたら、訊ねもしなかったのに、二人連れの女性の一人がご親切に教えてくださいました。地元の方ですか?の問いに「三茶よ。あなた方は?」と逆に聞かれたので答えたら「いな・・」ですって。最後の一語こそ発しませんでしたが見え見えの言い方。江戸っ子に対してなんという言い草よ、と思ったけど、すぐに地震の話になり、話しているうちにもう川沿いの道を歩いていました。

うゎ~きれい~!



川沿いの道は、平日にもかかわらず賑わっており、ちょうどお昼の時間だったので露店などで購入したものを食べている人たちも多かったです。ワインを扱う出店が多く目に付いたのは、やはり場所柄ということでしょうか。

私たちがランチに、と選んだのは、前日の夜、ネットで偶然見つけたこの店でした。

目黒川から一本裏道に入った路地にあるので、住所はわかっていても探すのに苦労しました。築35年の建物を改装した、どんつきの一軒家は想像していたよりずっとこじんまり、というか、狭い、と感じる程でした。何組かの待ち人の列が出来ていたので、別のところにしようか、と思っていたら、友人が「ここ、テレビで紹介されていたところだわ!」と、玄関前の照明を指差しながら興奮気味に言いました。ならば頑張って並んで待とう、ということに。でも遅いお昼だったのでちょうど入れ替えの頃のようで、じきに順番がまわってきました。

京都出身で、ご実家が一日一組限定料亭というすてきな女性がここの代表なのですが、オーナーもスタッフも皆、若いし、店のしつらいにも若いセンスを感じました。化学調味料はいっさい使わず、食材にこだわったメニューは、数は少ないけどどれも美味しそう。

オーダーしたのは「青家辛鍋」。それにトッピングをプラスしました。キムチチゲを激辛にしたような味です。おばんざいとキムチ風の鍋がメニューに隣合わさっているってちょっと変わっている、と思いましたが、辛い辛い、とフーフー言いながらも美味しくいただき、体の芯から温まったことでした。

この日の1~2日後位に「青家のとなり」というテイクアウトとイートインのショップがオープンしたようですが、さきほどブログを見て知ったばかり。又なにかのついでを作って行って見たいです。

川の両サイドにはマンションやレストラン、ショップなどが並んでいるので、お花見だけでなく、ショップを覗く楽しさもある目黒川。夜間照明をやめ、提灯も灯さず、露店も少ないとのことでしたが、それで充分だと思いました。回りは出来るだけシンプルなほうが花が引き立つからです。

最終地点を目黒駅にして、お花見ウォークのみならず、うつむき加減だった気持ちまで春の日差しを受けてあったかくなった一日でした。


【追記】

4/15日:今日、やっとディズニーランドが再開の運びとなりました。 オフィシャルホテルも休館だったのですね・・・働いている方々のことが常に気に掛かっていたのですが、ひとつずつクリアしていって欲しいです。

 


ぼちぼちお出掛け

2011-04-08 | weblog

東日本大震災から約一ヶ月が経つ。
普段どおりの生活に戻ったとはいえ、 わが街の、砂ぼこりの舞う凸凹な道を毎日歩いている限り、まだ日常に戻ったとは言えないだろう。

昨夜の地震は再度3月11日の恐怖を思い起こさせるに充分だった。
日が経つにつれ、緊張感も薄れ、もう大丈夫かもしれないな、と、バッグの中味から災害時対応グッズを外していたことに気付き、慌ててそれらを探して再度バッグに詰め込んだ。
懐中電灯とか、タオル、予備のメガネ、飴、ラジオなどなどだが、飲み水だの食料だの下着だの、と言っていたらキリが無いし、もしかしたらもっと大切なものを忘れているかもしれない。用意万端整えていたって、いざ非常事態発生という時には、枕を抱いて家を飛び出している可能性だって無きにしも非ずだ。

先日は今年初めてのガーデニング講座の日だったけど、公民館活動は全て中止とのことだった。しかし去年私たちが植えた苗がずっと気になっていたので、どうなったか、公民館まで見に行って見た。

公民館のエントランス付近はまだそのままだったし、地震による液状化のあとが生々しいガーデニングのスペースは地面から噴出した土砂がサラサラに乾燥していた。

私たちが植えた苗は多分殆どがドロに埋まったようだけど、それでも健気に頑張って生き残っているのもあり、よく頑張った植物には心の中で小さな拍手を贈った。

しかし~、私たち人間はこんなにも地震のことで頭がいっぱいだというのに、そ知らぬ顔して次々に開花する春の花々。

地震の影響のためか、朝晩まるで冬のように寒い日が続き、桜の見ごろも遅れていたが、やっとその時期到来だ。なのに、友人と申し込んでいた高遠などの桜見物ツアーも、ひたちなか海浜公園へのツアーもなにもかも中止となった。そしてそれを残念、と思うより、内心胸を撫で下ろす自分がいる。それどころではない被災地のあれこれを色々なサイトで見てしまうと、一時的な楽しみが実に空しいものに感じてしまうのだ。もっと普通に生活しなきゃ、と思っても今までの普通の生活をつい見直してしまう。自粛しているわけでは全然ないのに、その気になれない。もっと社会の活性化に貢献したいのに・・・。

ヨーカ堂の後ろの出入り口は突貫工事中だが、下のコンビニは傾むいたまま。舗装されたタイル敷きの美しい道路は土まみれで、まるでいなか道のようだ。

 



水道が使えるようになった先月末に、ようやく営業にこぎつけたジョナサンとお隣の洋菓子屋さんだけども、地盤沈下を補修するのは容易ではないだろう。それでも営業中の旗を見つけて心が躍った。

このところわが市のことがTVや週刊誌で話題になっているようで、それを見た友人から電話やメールをいただいている。宮城県の友人もびっくりしてお見舞いコールを掛けてよこしたので返って恐縮してしまった。ミラノのペンフレンドなどは地震の当日にメールを送ってくれたが、英語での説明が大変なので放って置いたらその後も二通が届き、もし返信出来る場合は、どんなに短いメールでもいいから送ってほしい、と、安否を心配してくれているので、辞書を片手に頑張った・・・ら、同日に、すっごく安心した、とのメールが届いた!

福島第一原発の問題の深刻さは、わが国だけでなく、世界中においても「未知の領域」のようで、今後どのような展開になるか、とても心配だ。そんなわけのわからないものをよくも作り上げたものだ。4日の新聞で、西田敏行さんの書いた「生きていくあなたへ」のこの記事を読み、福島県に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。無知が危険度未知数を生んだ。

 

いつまでも余震が続き、様々な問題も次々と出てくる毎日ですが、少しずつ、市外への外出もし始めました。駅のエスカレーターや歩く歩道が止っていることが多いので、節電に加えてエクササイズ効果もあるんだ~と思いながらエッチラオッチラ階段を昇り降りしています。先日用事で日本橋のデパートに行ったとき、そのエントランスホールに飾られたダイナミックな生け花の横には、小原宏貴いけばな展が中止になったとのメッセージが添えられていました。8階では今回の被災地の方々への救済の輪を広げる一環として、30組以上のアーティストによるチャリティーコンサート&オークションイベントが開催されていました。ホンの少しだけコンサートを聴き、オークションも見て来ましたが、某シンガーの私物のオークションが、開始早々「10万円!」のひと声で決まってしまい、びっくりしました。

大震災の数日後には叔父が入院し、恐々、電車や車でお見舞いに行ったりしていましたが、常に今地震が起きたら、を考えずにはいられませんでした。少しずつ外出に慣れて来、桜の開花情報が気になりはじめたころ、目黒川の桜を見にいこう、とのお声がかかり、久々に友人とお出掛けしてきました。

  

7日は晴天で、願ってもない最高のお花見日和となりましたが、その写真などは後日アップすることにしますね。