ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

雨の日の外出・その2

2011-06-23 | visit/drive

紫陽花の似合う季節にローズガーデンの写真アップ!遅れを全然挽回できていないマイブログです。義母の入院が長引いている上、母が腰痛で寝込んでしまいました。姉と私が近くに住んでいるので、三食を分担して作って食べさせる日々が10日ほど続いています。私は朝と夜担当。家が近いと言っても毎日となるとこれが結構大変なんですね。最初の一週間はベッドの上で食事をさせていたほど、ちょっとの動きでも激痛が走るようで辛そうでした。身内の一人もいないブラジルで二人の子供を出産したとき、上の子のときは半年、下の子のときで三ヶ月もの間、手伝いに来てくれて、その間、食事の支度はすべて母がしてくれた事を考えると、大変だなんて言っちゃバチがあたるでしょうが、老いていく親の世話をするようになった現実に一抹の寂しさを感じています。昨日、今日とだいぶ楽になったようですけど、寝巻き姿で上げ膳据え膳の日々に慣れてしまったのか、一日中寝巻きのまま!以前は日中にベッドで寝るだなんてことがなかったので、クセにならなきゃいいな、と思っています。

そんな近況ですので、このところ母宅、自宅、近所間の移動ばかりが続いています。

さて、「雨の日の外出Ⅰ」の翌日外出した先はというと、3月11日の地震の影響で閉館中となっている「花の美術館」でした。わが市同様、液状化の影響が大きかった当美術館ですが、裏手のローズガーデンだけは開放されていたのです。



野良猫たちにエサを与えに来ていた男性とお話しました。野良猫にまつわる行政側との対立などのお話も伺い、感心する事しきりでした。ただかわいいからエサを与えているのではないことがわかりました。私に摺り寄ってくるネコちゃんもいて、もう少しこの場で遊んでいたかったけど、時間的に無理だったのが残念でした。

上の写真はもと池だったところ。緑の木立の向こう側は海です。

時計のあるこの辺から中に入って行くと・・・ローズガーデンが見えてきました。
人っ子一人歩いていないように見える当日は、台風接近の日だったから!?
時間がないのと、花の解説が出来るようにメモってきていないので、下手な写真をご覧になって頂くだけなのですが、行った気分になって下されば、と思います。傘さしながら撮ったので、いつもより更にピントが甘くなりました。

バラの小径には、バラ以外の素敵な花々が咲き乱れ、私が種から育てて気に入っていた白い花が群生している様には感動しました。

 



↑この脂ぎったような赤い花がナデシコの一種だとは!名札が間違っているんじゃないかしら、って思ったほどナデシコっぽくない。

赤、赤、赤と続きました!赤が特に好きだ、とかではないんですけどね。

順不同な上、同じような写真が多いのですが、選んでいると時間がかかりすぎるのでバンバンアップしちゃいました。何年か前に来たときと比べ、その充実度は雲泥の差。とっても楽しめたローズガーデンでした。花の美術館は9月に再開する予定だそうです。どうぞ、再度大地震が来ませんように!

ガーデン横のコテージでは、バラの折り紙を教えてもらいながら折ってきました。

 

 


雨の日の外出・その1

2011-06-14 | visit/drive

先月のことで、幾つも未投稿分がたまっています。
もういいか、と次第に面倒になって来ましたが、写真をそのままフォルダに入れっぱなしにしたら、もう絶対に見ない気がするので、自分のために、写真中心でざっと辿っていきます。

出かけた日は、たまたまですが。いずれも雨降りの日となりました。傘を持ち歩くのが鬱陶しいことを除けば、ガンガン日の当たる晴天の日より緑が美しく映えるし、人の出も少なく気持ちいいものです。いや、この年になったからそのように感じられるのかもしれません。若いときは太陽の下で紫外線をうんと浴びて!スパークしたいほうだったかも。あ~懐かしぃ!

行先は本牧にある三渓園。去年行き損なったイベントが行われていたので、今年は是非とも行って見ようと、雨も苦にならなかったということです。

最初に旧燈明堂本堂へ向かいました。

ここは荒川尚也氏のガラス作品「空蝉(うつせみ)」の展示会場でした。ガラスの蝉が暗いお堂のなかでキラリと光っている様は幻想的。


次は白雲邸へ。
織道楽塩野屋さんの「柳条縮緬で夏じたく」

 窓からの緑が眩しい!



和室では「自然茶を楽しむ」お茶席や、「初夏の点心」(予約制)などが日べつに設けられていました。

そして三つ目の会場となる鶴翔閣へ。多分私は逆周りで回ったのでしょう。





 



雨降りもまたしっとりとして風情がある三渓園の広大な敷地の中で行われるこのような企画は、着物を着ない私でも充分に楽しめました。竹の籠がほしかったけど、たけ~でござる(笑)
出展者情報はここをご覧下さい。

7月13日からは、日本橋三越5Fスペース#5リビングステージでも「手しごとの夏」の企画があります。
又、今回とは無関係ですが、南青山の蔦サロンでは“暮らしのクラフトゆずりは”の「涼」展開催中。19日(日)までです。すてきなご案内状でした。


震災ボランティア

2011-06-09 | news

 ★追記しました~
以前ブログの中で、息子が仙台に行ったことをチラッと書きました。
仕事がオフの日を利用して、夜行バスを利用して仙台に行き、そこで前もって調べておいた受け入れ先で登録を済ませ、ボランティアを必要としている行き先を自分で決め、電車で目的地へむかったとのこと。

彼にとって「震災ボランティア」は初体験でしたが、行ってみて、未だにテレビや雑誌などで見たそのままの状態だったことにショックを受けていました。あれからもう3ヶ月が経つというのに。

全国から数多くのボランティアが復興に向けて、(個々の出来ることは本当に微力だろうけど)それなりに協力していても、一見何も変わっていない、ということは、それほど手のつけようがない状態だったということです。

この3ヶ月、政府はなにをしていたのだろう?議論している暇があったらヘルメットかぶって作業してくるといいんだ、と言っていましたが、本当に同感。(国会中継を見ていると、言葉尻を捉えての罵声や応酬、責任のなすりあいや突付き合いばかりで、恥かしくて聞いていられない。非常時だというのになぜ団結して事に当れないのか!)            



ボランティアとして出来ることは、個人のお宅での瓦礫撤去などであって、よくテレビに映されるような、形をとどめないほど壊滅状態となった場所は、素人が介入するには広範囲すぎるし危険きわまりないようです。先月の新聞で読者からの声として紹介されていた記事にも書かれていましたが、

がれきは映像では単なる建物の破片のように見えますが、実際には海底のヘドロ、下水処理施設からの汚水や汚物がまざったもの」なのですね。

帰宅するなり息子は、“個人宅の瓦礫撤去といっても、釘がむき出しだったりしてすごく危なかった。次回は絶対「ボランティア保険」に加入してから行くべきだ”と話していました。

今回思い切って行って、大災害の現実を目の当たりにし、そこで多くのことを感じ取り、いくつものお土産を買ってきただけでもよかったな、と思っています。ウチへのお土産は鐘崎のかまぼこ。美味しい美味しいサーモン、ずんだ、チーズ味の詰め合わせでした。

若林区にあるこのかまぼこ屋さんは甚大な被害を受けたようですが、ギリギリのところで津波に流されずに済んだとのこと。いろいろな話を聞くにつけ、復旧そして再開に向けて頑張っている姿から、逆にこっちが励まされることって多いんだな~と思ったことでした。本人はまた絶対に行く、と言っています。復興への道のりはきっと長く厳しく、体力と気力勝負かもしれません。長期戦での支援を、自分の出来る範囲でやって行ければいいな、と思っています。

それと、いつも気になっていた「頑張れ」と言う言葉について。新聞やニュースなどで、否の意見が多く聞かれますが、私としては、頑張っている被災者に、さらに頑張れ、と促している言葉だとは捉えません。だってそんなつもりで使っている人はいるわけないでしょう。単に負けるな、ファイト!と、元気付けたいがための言葉ではないかと思うのです。なぜって、代わりとなるぴったりと当てはまる言葉を見つけるのって難しいと思いません?言葉の持つ意味を国語的に考えていくと、心情が見えなくなります。語彙の豊富な人ならいざ知らず、ですが。

がんばっぺ、東北!

ここで終りになるはずでしたが、先日姉が、アメリカのミズーリ州ジョプリンでの竜巻に、友人ジョアンが巻き込まれたかもしれない、と言ってきたのです。竜巻の発生する何日か前に、ジョプリンの町の美しい風景や彼女の家などの画像が音楽入りで編集されたDVDを送ってくれたばかり。私も見せてもらっていたのです。竜巻発生後、連絡が途絶えた、との事で、(パソコンに関しては姉より私のが圧倒的に知っているほうなので)インターネットを立ち上げ、ジョプリン市のHPから、被害にあった地域を調べました。そしたらジョアンの住所は竜巻の通過地点の中にあったのです。早速You Tubeで動画を探して見ました。

姉は何とか安否がわからないものか、と、大使館などに問い合わせたりしていましたが、被災者の名簿などはなく途方に呉れていました。先日になって、彼女から手紙が来た!と、弾んだ声で電話がかかりました。怪我はしたけど命に別状は無かった、ということがわかったのです。PCも壊れ、電気がつながらず、病院も壊滅状態だとのことが、走り書きのような文面でわかった次第でした。竜巻の発生する場所では地下室のある家が多いそうで、地下に避難して難を免れたそうですが、地下室で亡くなった方も多かったようです。天災に見舞われたばかりの日本にいて、さらに次なる直下型大地震は関東の周辺だ、と言われているので、あらゆる災難は人ごとと思えません。

 
追記:
東松島市に住む友人から宅急便が届きました。
要冷蔵の品は、笹かまぼこ! 

大震災被災地からのギフトだなんてとんでもないわ、と即電話すると、
建物は無事だったけどかまぼこ製造の機械が水につかったため、ずっと製造できなかったが、復旧作業を終え営業再開したので、自宅用も含め購入したとのこと。現在はまだ二種類のみの販売の上、以前の味とは違うのよね、との話しでした。ここの蒲鉾は、母の亡き従姉妹がよく送ってくれていたので知っていたのですが、パッケージと見かけは全く同じでも、確かに味は違っていました。
いろいろ話しているうち、彼女の娘さん(すでに二児の母)が、東京オペラシティーでのチャリティーコンサートに出演し、フルートを演奏したということを知りびっくりしました。新聞にも載った「被災地で独り母に捧げるトランペットを吹く少女」も参加したあのコンサートです。その後もピア二ストと共に、あちこちの被災地を回って演奏しているそうです。娘さんの名は、お会いした事がなくても忘れたことがありません。その由来が、私たちがジャズを聴き始めたころ有名だった、フリージャズサックス奏者名から取ったものだったからです。前衛過ぎて良く解らなかったけど、友人とそのご主人は好きだったのかもしれません。   

 

 

 


ジュサブロー展

2011-06-04 | art/exhibit/museum

 

姉に誘われて、目黒雅叙園の「百段階段」で開催されていた
人形師 辻村寿三郎展 ~安土桃山 花の宴~ に行ってきました。
本当は5月22日まででしたが、好評なので会期が6月5日まで延長されたとのこと。

会場に入る前の一階のスペースでは、瀧澤馬琴の名作「南総里見八犬伝」を下地に、1973~75年に放映されたというテレビ人形劇「新八犬伝」の人形たちが迎えてくれました。そのころ私は日本にいなかったので、人形劇のことは知りませんでしたが、出迎えてくれた大きな人形「玉梓」の持つ迫力に圧倒されてしまいました。

展覧会場となる「百段階段」は東京都指定有形文化財に指定されているとのことですが、その名称は通称で、かつての目黒雅叙園旧3号館にあたり、園内で現存する唯一の木造建築だそうです。


昭和15年ころの目黒雅叙園の鳥瞰図

まるで竜宮城のような、絢爛豪華というか、これでもか、というほど派手な趣味の園内の様子ですが、百段階段は、というと、伝統的な和の美しい佇まいがベースとなっているので、豪華さ、贅沢さより、むしろ懐かしさと、次の間はどんなだろう、とのワクワク感が持てる、一見の価値ある建物です。ケヤキ板の階段を上って行くと、一番上の「頂上の間」まで7部屋があり、その全部屋が展覧会場として使用される贅沢さ。去年の暮、竜馬と対話する特別展「坂本竜馬×百段階段」を見にきて以来でした。(←ブログ投稿は出来ていません 

今回の展覧会の部屋別のテーマは以下の通り。

1 十畝(じっぽ)の間   幕末から明治に散った狂おしい恋花

2 漁樵(ぎょしょう)の間 炎に包まれる「本能寺の変」(安土桃山)

3 早丘(そうきゅう)の間 時代を疾走した武将たち(平安~江戸)

4 静水(せいすい)の間  安土桃山の謳歌(安土桃山)
 
5 星光(せいこう)の間  戦国の世に咲いた姫たち(室町~江戸)

6 清方(きよかた)の間  愛に生きた平安の母たち(平安)

7 頂上の間       人形仏と空海の慈悲(太古~平安)

どの部屋の人形も、それぞれの時代を代表する人物が中心となっていて、作者の人形に吹き込む情熱が感じられました。同じ人物の筈でも、人形によってそのカタチと表情が全く異なっていたりするのはどんな意図があってなのかしら、等、いろいろと想像しながら、最後の部屋まで興味深く楽しめました。 幼い頃から創作人形を作るのが趣味だったと言う寿三郎氏。果して私には幼少から趣味で続けているものなどあったかしら?と遠い昔を振り返り探して見ました。が、悲しいかな、これといって見つかりませんでした~。(当然だ)

次回は7月8日より「わが心の歌舞伎座展」が同じ会場で開催されます。
デパートでも開催されていましたが同じ内容でしょうか。

百段階段の動画
辻村寿三郎HP