1月15日の三越での展覧会に続き、島屋で開催中の、
智積院講堂襖絵完成記念「田渕俊夫展」に行ってきました。
内容はNHKの新日曜美術館で見ていたので楽しみでしたし、
招待券もちゃんと二人分、手に入ったのです。
智積院にはすでに、桃山時代に長谷川等伯一門によって描かれた
金碧障壁画があり、その中の4つが国宝だとのこと。
平成20年10月に、僧侶の修行道場である講堂5間を仕切る襖絵60面が
新たに仲間入りしたわけで、それを奉納した田渕画伯にとっては
とても栄誉なことだと思います。
今回は墨だけで描かれた春夏秋の大きな襖絵各2絵柄のみの展覧会なので、
智積院の講堂を想像しながらゆったりした気分で拝見しました。
どのようなアトリエでどう制作していくかの過程はテレビで見ていたし、
今回もビデオで流していたので、見ることだけに専念できました。
描き上げた5年の歳月への支払いってどうなっているのかな、なども
話題のひとつになりましたし、大型プロジェクターで投影された
影を追って描く方法が果たして絵画といえるか、あるいはデザインの
一つと捉えられるのか、などなど、勝手気ままなおしゃべりは延々と・・・。
NHK教育TVで放映された時の画像
それぞれの間を仕切る襖絵のテーマを画伯が次のように解釈しているのが
とても興味深かったです。季節のあとに続くのは絵のタイトルです。屋 ひと言で言うと 季節 襖絵の絵柄
胎蔵の間・・・ひと言で言うと「母の優しさ」という・・・
春 枝垂れ桜・ やなぎ
金剛の間・・・世の中の厳しさだと教えてくれた・・・
夏 けやき ・ めだけ
智慧の間・・・辞書には心理を明らかにし悟りを開く働き、とある
全ての努力が報われる秋の収穫の頃が相応しいと思った・・・
秋 すすき ・ 柿
大悲の間・・・辞書には人々の苦しみから救い助ける仏・菩薩の広大な慈悲心
とある・・・仏の世界での悲は、苦しみを抜く、ということ
冬 雪 山
不二の間・・・いろいろな意味があるが、一番共鳴したのが、「二つに見えて、
実は一つである、ということでした
朝 陽 ・ 夕 陽
不二の間にある朝陽と夕陽。そこには次のようなことが書かれていました。
・・・・
一つ例として思いつくのは、インドのヒンズー教の中心の神で、
破壊と創造の神と言われているシバ神です。
破壊と創造は一見矛盾しているように見えますが、破壊がある
からこそ新しい創造が生まれ、やがてそれも破壊されていく。
自然も人もこの繰り返しで、今日に続いてきているのだと思い
ます。私は不二の表現を朝日と夕日になぞらえました。
ススキの一生を、一枚の絵として襖絵の中に、あたかも人生に例えたように描いていますし、朝日と夕日の光の表現も見事で、墨の濃淡だけで表わす春夏秋冬は、画伯の40年にわたる画業の集大成、と言うに相応しいものでした。いつか智積院を訪れて拝見したいと思います。
前回、一階に展示してあったローズちゃんはすでに取り払われていましたので、もし、マイブログを見て、ローズちゃん目当てに行かれた方がいらしたらご免なさい。
会場を出た時はまだお昼前でしたが、混むから入っちゃおう、と言って友人が連れて行ってくれたのは、近くにある吉野鮨本店。お昼はお手頃でお得よ、とのこと。誰もが知っている有名な店、と言っても私は初めて知ったお店でした。私はちらしを頼みましたが、江戸前だけあり甘さ控え目でおいしかったです。