ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ブラジルフェスティバル2014

2014-07-22 | brasil

 

代々木公園へ向かって、公園通りを歩いていたら、PARCOの前に人が群がっていた。なんだろう、と、首を突っ込んでみたら、なんと、このアイスクリームのミニカップを無料で配布していたのだ!若者ばかりの中に並んで私もゲット!蒸し暑い日曜日の午後のこと。明治がハーゲンダッツよりおいしく感じられた。

その先に現れたのは、こんどはビール屋さん。ここも何かあるのかな、と、きょろきょろするも、無料配布はなさそうだった。へへ・・・。
しかし~、ここでビールは買えません。だって飲みたいものは公園の中で売っているんだもの。

そうなんです。第9回ブラジルフェスティバルが代々木公園で開催中だったのです。

渋谷公会堂を通り越して、国立代々木競技場のフェンスに沿って、会場へと歩いていくと、山羊さんのお散歩に出くわしました。
生後6か月未満ほどの子ヤギが草をむしゃむしゃと食べています。笹も食べるけど、ヨモギのがやわらかくて好きみたい、と、飼い主の女性。(山梨から来た、って言っていた気がしますが・・・。)

子供たちも集まってきました。かわいぃ~~といいながら、おっかなびっくりに子ヤギの背中を撫でていました。その後ろには子供たちの母親たちが。

初日の土曜日は途中からどしゃ降りになったようですが、この日だって、いつ雨が降ってもおかしくないほどのどんよりとした曇り空。雨ふりはしょうがないとしても、雷だけは絶対にいやよ。

会場でまず目にしたのは、ブラジルの格闘技カポエイラ。日本でも教えているところがあるようで、日本人の間にも浸透しつつあります。ビリンバウという楽器に合わせて二人一組で競技、というか演技?するのです。かなりの運動量で、柔軟な体が絶対不可欠。

バックに見える、代々木体育館も、2020年の東京オリンピックに向けて、ぜんぶ解体されるって、本当なんでしょうかね。なんでもかんでもすぐに解体とは、なんともオソマツな話しに思えるのですが・・・。約50年で壊すのかぁ。赤プリも解体で、丹下健三さん、あの世で何を思っているかしら。というか、そのあとがどうなるか、気がかりです。

・・・・・この辺りにまつわる、ちょっと感慨深い思い出に耽っていてふと前を見ると、ト、トイプードル!?すぐに人があつまってきました。

近くでオウム二羽が、とっても可愛い女の子の頭と肩に乗っかっていたので、写真を撮らせてください、と尋ねたら、何を勘違いしたのか、私の!!頭と肩に載せてくれて写真を撮ってくれたのです。あ~ぁ、あの女の子のが全然可愛かったのに。撮りそこなっちゃったわ。

ブラジルフェスティバルのタイムテーブル、出店リストなどはこのゲート横に立っている女の子たちが配っていたのでゲットしました。
ゲートの中は例年どおり、ブラジル食の売店がぎっしりです。表参道や銀座にもあるBARBACOA(バルバッコア)は、なかなか洗練された店構え。

渋谷にあるTUCANO(トゥカーノ)は、息子が学生のころバイトしていたっけ。家でトマトも切ったことがなかったのに、野菜を切ったり、ポンデケージョを作ったりしていただなんて、今でも信じられません。娘は土曜に、息子は日曜に、とそれぞれ別行動でしたが、それぞれ楽しんだようです。

巨大な腸詰の看板はやけにグロテスクだ。これでもか、というくらい肉、肉、肉ばかり!
ですが、ところどころにメキシコやスペインの出店も忍び込んでいました。

ステージの方に向かうと、居た居た、ド派手な格好のオカマさんが!こういう人、例年必ず出没するんですよね。周囲に愛嬌を振りまいて、写真に向かってポーズしまくりです。が、私の撮ったのはどれもピンボケで残念でした。

ステージでは、だれもが口ずさめるようなサンバ、ボサノバなどを演奏していて、それは賑やかでした。メインゲストは、数年前はマシュ・ケ・ナダなどを作曲したジョルジュ・ベンジョールでしたが、なんと彼は今、ブルーノート東京で公演中なのです。ここ
今年は名前を聞いても聞いたことがない人がメインゲストだったので、どんな人なのか是非聴いてみたいと思ったのですが、最後のステージを盛り上げる筈が、どうも歌う曲が会場の雰囲気にそぐわなかったのでがっかりしました。

みんなが持っている細長い黄色い風船などは、スポンサーブースでもらえました。二本で一対なのですが、貰ったはいいけど、カメラが、飲み物が、持てなくなり困りました。地面に置いたら、すぐに子供が持っていきましたけど。みんな、それを突き上げてたたいたりして盛り上がっているのです。

こんな~若者ばかりの~人ごみに揉まれるのは、もう今年で最後かな、と、毎年思うのに、その日が近づくと不思議と血が騒ぎだすのです。どんな派手な格好をしようと、ここでは目立ちません。その上を行く人たちが沢山いるから。だから面白いんですね、ブラジルフェスティバルは!

帰りは同じく公園通りを歩いていたら、まだ「明治エッセルスーパーカップ」の配布をやっていました。また並ぼうか、と思ったけど、覚えられていたら恥ずかしいから、やめました~~!雨はこの後ポツリポツリと降り始めましたが、代々木公園内で降られなくてよかったよかった。


それは幻か

2014-06-17 | brasil

ワールドカップブラジル大会での初戦に敗れ、15日は落胆のブルーサンデーとなってしまった。
ドログバ以前でもボール支配率で負けていたと思う。ごつい相手選手陣をと比べたらサムライたちは
子供のように見えた。同点を許してしまった矢先に逆転されたが、大量失点をせずに済み、多少安堵。






だが、今日はそのブルー色の応援バルーン兼ごみ袋のことがニュースで流れた。
初戦に敗れた後の悲しみの中、日本のサポーターたちは、バルーンをゴミ袋に変えて
黙々とゴミ拾いをしてスタジアムをあとにしたというのだ。気持ちいいニュースが6月20日の
対ギリシャ戦にいい結果をもたらせば、と願いたい。

ところで、さっき息子が6月15日の新聞を、「ここをちょっと見て」、と言って持って来た。

テレビ番組欄の「日本テレビ 7:30’シューイチ」のところを指差した。




それがどうしたの?と、何を言いたいのだかわからずにいたら、指をタテになぞった。
あぁ、そういうことかぁ。(↑画像クリック)


偶然なのか、意図したことなのか?わからないが、友達から流れてきた、という。
意図したとしたら、幻の・・・いえ、まだ2試合残っている。この縦ワードが実現するよう、
まだまだ応援しなくっちゃね。

 

サッカー関連の動画》

SAMURAI IN BRAZIL   
       
日清カップヌードル|CUPNOODLE
CM「サムライ in ブラジル」の企画は、「人は、甲冑をつけて、どこまで自在にボールを蹴ることができるのか?」
という思いつきから始まったそうです。挑戦したのは、2012年にフリースタイルフットボールの世界大会で日本人
初のチャンピオンに輝いた、徳田耕太郎 (Tokura)さん。徳田さんはCMで、全身に甲冑をまとった“フリースタイル
フットボールサムライ”として、ブラジルへ武者修行に乗り込みます。(webより)

McDonald's GOL! FIFA World Cup - Brasil 2014 | McDonald's

 


ブラジルレポート♪

2014-04-09 | brasil

先月ブラジルのリオデジャネイロとサンパウロに行っていたR嬢のレポートです。
ちょっと長いですが、ご興味おありの方は、どうぞご覧くださいね。(下の画像をクリック)

 

 


Goooool!!

2010-06-18 | brasil
今日はアルゼンチンが二勝しましたね~。テレビを見ながら、そしてラジオ英会話を聞きながら(聞くだけ、は今だに続けていますが・・)、知らぬ間に居眠りしていました!マラドーナがゲバラみたいな容貌だ、とパパが言うので、とんでもない、全然似ていないよ!と一喝。若き天才マラドーナは、プレーしている時は素晴らしかったけど、色々ありすぎてイメージダウンです。今回のW杯で、日本もブラジルもそれぞれ一勝をあげ、まずは胸を撫で下ろしました。これからが本番ですからね。
以前にも書いたことがある気がしますが、私がW杯を最初に見てすっかりはまってしまったのは1974年。ブラジルで。リベリーノが最後に大活躍したときだったのです。その4年前を知っていたら、ペレーの活躍を存分に見れたのですけど。地元サンパウロ市の試合から、サンパウロ州、さらにはブラジル国のチャンピオンシップを争うトーナメント戦に、家事も疎かに熱中したものでした。そのころ好きで応援していたチームはコリンチアンスとサンパウロFC。今はすっかり熱も醒め、試合に出ている選手の名前が全然わからない。好きな選手がいて、それで初めて応援に熱中するのが私の観戦方法なんですが、今回の日本代表の中では、中沢、しゅんすけとGKの〇〇位(皆、70年代生まれ)しかわからないので、とりあえず、巷で言われているヒーローに注目していました。が、やってくれましたね、金髪のにいちゃん!二戦目が楽しみになりました。

ワールドカップについては、そんなわけでちっとも詳しくなかったのですが、一勝したら血が騒ぎ出しました。You Tubeでブラジルサッカー関連の画像や懐かしい音楽,更にもう一曲、と探し捲り、一人で楽しんでいるのもナンなので、ブラジルにおける1982年のベストプレーヤー達のすがたを、よかったら共に楽しんで下さい。ちなみに、ブラジルではサッカーをfootboll~フッチボル~(←ボルをボウと発音)と言っています。
Goooooool ! Brasil !!の歌も懐かしすぎです。




ブラジルフェスティバル2009

2009-09-11 | brasil

世界的な経済危機の影響などで、仕事を解雇され母国に引き上げざるを得なかった出稼ぎブラジル人が多かったし、フェスティバルのほうもブラジルからのゲストはたった一組だけとの情報でしたから、今年は昨年と比べて人出も少ないんじゃないかな・・と思っていました。この日の夜は東京国際フォーラムにジャズを聴きに行くことに昨日決めたばっかりだし、体力が心配でしたが、まだ行った事のない夫に声を掛け、二人で行って来ました。娘は別行動で、少し遅れて友人と来ていましたが会えず終い。

千代田線の代々木公園で下車し、炎天下をテクテクと会場まで歩くあいだ、ポルトガル語や英語を話す人々とすれ違い、なんとなく国際的雰囲気。会場に着いた途端、去年のような賑わいにすっかり圧倒されました。【FESTIVAL BRASIL 2009


                  
パイナップルを真っ二つに切っただけのを串刺しにして焼いていたのにはびっくり。食べ物の出店は何十とありましたが、有名店「Barbacoa」などは長蛇の列でした。無料で飲物を配っていた女性の腰を見てください。

ステージ上ではライブイベントやダンスパフォーマンスがひっきりなしに行われ、集まった人たちは、無料で配られていた黄と緑色の長いバルーンを突き上げながら、体でリズムを刻んでいました。もちろん若者が圧倒的ですが、家族連れや中高年がいても何の違和感もないってところがブラジル的です。夫は「ブラジル人は逞しいなぁ」と、初めて接するフェスティバル会場を見回しながら感慨深げに呟いていました。彼、私よりブラジル滞在が長いし、ブラジル音楽大好きで詳しいんです。

歩いていたら突如、打楽器の集団が激しい音を鳴らし始めました。人が多かったので、バテリアを叩き始めるまでは彼らがそばにいる事に全然気付かなかったのです。かわいい女性も多いのにびっくりしましたが、シビレマシタ~!動画を撮りたかったけど、替えのバッテリーを持ってきていなかったので諦めました。

人だかりを覗けば、弓のように反った楽器“ビリンパウ”にあわせ、格闘技「カポエイラ」を披露している人たちがいました。向こうではカポエイラの道場があちこちにあったけど、日本人の間でも流行っているのでしょうか?

堂々とした容姿の女性と、歩いては人に抱きつく凝った衣装の陽気なオカマ?

とあるテントハウスの横で、見た事のある顔に出くわしました。若い女性たちが集まっては入れ替わり、彼とのツーショットスリーショットを撮ってもらっていましたよ。私も夫に頼んで撮ってもらいたかったのに、オイオイ、やめとけよ・・とか言われ、呆れ顔をされました。これって焼き餅やいているのかなぁ。きっとそうだ~!   

   

ブラジルからのスペシャルゲスト「ジャミル&ウマ・ノイチス」のライブイベントは17時からだったのですが、19時から始まるジャズフェスティバルに行く前に軽く腹ごしらえをしなくてはならないので、渋谷から山手線で有楽町まで戻ることにしました。
暑さで体がヨレヨレになり、ジャズを聴きに行くのなんかどうでもいいと思えてきたのです。年ですかねぇ。あっちもこっちも行けるようにブラジル食でもガンガン食べるといいんでしょうけど。

 


7 de Setembroの代々木公園

2008-09-11 | brasil
 人の輪の中心からサンバが流れています
                                    クリックしてね)
代々木公園が広いのは知っていたけど、久しぶりだとこっちもその分年は増えているし、
同じ距離を歩いても疲れ方が違うのです。休日はいつでもこんな風なのでしょうか、目的の
場所に着くまでに、あちこちで生の演奏が聴けました。ロックあり、打楽器ありで、皆上手!
   Photo        
ジョルジュ・ベンジョールがお目当てだった
「ブラジル・フェスティバル」に行って来ました。
ブラジルの独立記念日である9月7日前後に行われるようになったこのフェスティバルも今年3回目を迎えました。・・・って、あとで知ったのでPhotoすが、このイベントのこと、実は娘に
教えてもらったのです。
ジョルジュ・ベンなら知ってるけど、ベンジョールなんて知らないわ、からの会話でしたが、同一人物でした!大勢の人がひときわ目立つカナリアイエローを中心とした色を身に付けており、国際色豊かな顔ぶれが、こんな大規模なイベントをちゃんと知っていて集まってくるということに驚きました。

Photoブラジル関係者が多いので食のほうも充実していて、どこも長い列ができています。
左の若者が口にしているのはパステス
懐かしくて、余りにもおいしそうだったので、声をかけました。「パステス」を撮りたい、と言ったら、このとおりのポーズで決めてくれましたよ。Photo

うゎ~、美味しそうなジュース!マンゴージュースかしら?声を掛けたら彼女たちもサッとポーズをとってくれました。トロピカルジュースですって。日系何世かしら、みなさん愛嬌がよくてとっても気さく。もっと声を掛けたかったすてきな人が大勢いましたが、いくら私がおばさんだって、やはり勇気が要るんですよ。

   
       
Photo頭に巻いているのはお馴染みブラジル国旗の絵柄です。好んで国旗を纏うんです。日本だったらたぶん右翼に間違えられそう。国旗に自信のある人種っていいな。理屈ぬきなんですよ。国を愛する気持ちを体からごく当り前に発しているんです。Photoシュラスコあり、フェイジョアーダあり、カイピリーニャほか色々あり。ブラジル関係者とサンバ愛好者が全国から勢ぞろいしたようなフェスタを最後に締めくくったのは、我らがジョルジュ・ベンジョール。

野外ステージの周りは人で埋め尽くされ、近寄れません。声だけはハッキリと聴きとれたので、マシュ・ヶ・ナーダなどの知っている曲がバンバンと流れてくるのを聴きながら体が勝手にリズムをとっています。彼のような有名人が野外のフリーコンサートに出場するなんて嘘みたいなこと。「出稼ぎ」を応援している彼の飾り気のない人柄を感じてしまいます。
Photo途中から雷の音が聞こえてきて、ポツッポツッと雨が降り出したかと思ったらあっという間に土砂降りに!!雷がすごかったので怖くなり、日傘をさして公園通りをパルコ方面に向かって駆け出しました。

Photo

 

 

 

 

 

折角のコンサート、これから最も盛り上がる時点での大雨で、さぞ残念なことだったろうな、と思いながら渋谷駅へ向かいましたが、半蔵門線が落雷の影響で大混乱。で、JRを使って帰宅しました。娘と友人は、なんと、雨の中を終わりまでいたんですよ。彼女の話では、みなずぶ濡れでもへいちゃらで聴いていたし、ベンジョールも雨をものともぜずに力強く歌い続けていたそうです。中止にならなかったのです!雷怖くなかった?と聞くと、稲光のたびに皆が大歓声をあげていたんですって!すご~い!想像しただけで鳥肌が立ってきそうな光景だぁ!と言うより事故があれば、怖いもの知らずで無謀だ、ってことになりますね。若者のずぶ濡れ姿なら、そりゃぁ見られますけど・・・。

会場内のBANCO DO BRASIL (ブラジル銀行)のテントで幸運のボンフィンリボンを右手首に結んでもらい、丸二日間のあいだ、自然に結び目がほどけるまでそのままにしていました。
                                       
                           

           
テージの上のベンジョールの姿をよく見れなかったのですが、テレビ局が録画していたようです。
その内にTVでみれるかな。ご興味がおありでしたらお暇な折、私の好きな曲の中から2つ選んでみましたので、どうぞ楽しんで下さい。
Pais Tropicalもいいし、Chove Chuvaだっていいんですけど・・・・・。

                  FILHO MARAVILHA(フィーリョ・マラヴィーリャ)
                    TAJ MAHAL(タージ・マハル)

        


100年の長さ

2008-06-24 | brasil

前回書いたように、日本から初めての移住船「笠戸丸」がブラジルに向けて出航してから今年で100年目。あの船に乗っていた最後の生存者だった、中川トミさんも、2006年10月に100才でなくなった。

100年ひと昔というけれど、私がブラジルの地を初めて踏んだのだって今から30年以上前のこと。過ぎて見ると一生というのは思っている以上に短いものだと気がつく。しかし、気がついた時には、人生、すでにやり直しがきかないのだ。気を取り直して今までの生き方の微調整をするしかない。そのまんまで心豊かに余生を過せる人は幸せな人。

海外移住資料館では、今月29日まで記念写真展を開催中。ちょっとした出来事や出合い、そして偶然性の延長上に存在している我々。
どうか良き出会いを!

 


かわいい子には旅を・・?

2007-05-25 | brasil

水曜日は仕事に行き、木曜日をお休みにした。成田へ見送りに行くためだ。
生まれて5年間過した国を見に行きたいけど学校だ、仕事だ、で、今まで一度も行けなかった息子。昨年のバイク事故から来月3日で一年が経過する。この四月からは、とうとう退職してしまったので所属が無い。 事故のために仕事にもなんらかの支障があった筈の一年間だったが、所属がないとは、こういうことなのだ、と、改めて認識しているようだ。

一年間?の休養の間、生活費分はバイトで凌ぎ、あとは体を立て直したり(腰痛=職業病だった)就職していては出来ないあれこれをやりたいと申す。仕方ないかとしか言いようがない。
すべて「生誕地」行きを決めてからの事後承諾だ。ブラジルには知り合いが多くいるので勝手に行かれてはたまらない。 お土産だって用意したいし、言葉のわからない子供が現地入りして、そこからどうしようというのだろう。持参金は足りるのか。バスで移動するにも買い物にもポルトガル語だけだし、治安は良くないから、今までのように後ろポケットにお財布を突っ込んでたらすぐにカモになってしまう。その辺をよく分かっていればとってもいい国なんだ。
数字はね、1(ウン)・2(ドイス)・3(トゥレス)・4(クァトゥロ)・5(スィンコ)・・・だよ。138レアルと言われて何言われているか分るのかしら。クルゼイロがクルザードに変わりさらにレアルに・・と、通貨の名称が簡単に変わる国だ。私のいた頃なんかインフレ率100%だったから、商社マンなど、ドル族には天国だった。

あぁ、親って、子供が大人になっても心配ばかりしてしまう運命なのかな。それとも私が心配症過ぎるのか?娘曰く、「放っておくほうがいい、失敗してこそ身に着くんだよ。」 「なぁるほど!」
子供って、親の心配をすっごく嫌がるもんだ。レールを示すより、本人が自分の力でレールを延ばしていくべきなんだろうな。わかっちゃいるけど言葉が口から煩いほど溢れ出てしまう。
初めての海外一人旅だし、ニューアーク飛行場で乗り換えのため約4時間スティ・・・果たして英語の呼び出しアナウンスを聞き取れるのだろうか。(まるで小中学生を心配する親みたいで、ちょっと自分が情けなくなるんだけど・・・。)
 
私がこれほど心配するには訳がある。出発2日前にメガネをなくし、大騒ぎするも見つからず、出発当日の午後、新しく作りなおした眼鏡が時間ギリギリで出来上がる。既成のレンズがあったから出来たことだ。
家を出る直前には、トランクの鍵が見つからないと大騒ぎ。成田では出国手続きの最中に、
【私が車のエンジンをかけるために先に家を出たので彼に私の持分の家の鍵を預けたのだが】、その鍵を、返し忘れたことに気が付きあわてて戻しにきたし・・・この時は私もうっかりしていたので、あとでぞっとした。(返されたその時は、彼の持分の家の鍵を私に託したと思ったのだ!)
家に戻っても鍵がなきゃ、中に入れないもの。果たしてどっちがどっちに似ちゃったんだろう?

娘はブラジルにいる自分の友達にたのんで出迎えをお願いしたし、私も会社関係の知り合いに頼み、その次のステイ先を頼んだし、あの手この手をつい、差し出してしまった。
これって、どうなんだろうな。過保護な親の下で育った子供たちの引き起こす事件が頭をよぎる。
覚悟を決めて、信頼して、遠くからしっかり見守るしかないのだろう。
 予定では彼はもうサンパウロ国際空港に到着済みだ。

                   

   草稿のままupし忘れている間に、息子から到着の電話があった。ホ~ッ!
   3時間遅れで着いたが、ちゃんと娘の友達が出迎えてくれ、彼の家に着いたという。
   彼はポルトガル語と英語しかできないが、彼の友人で日本語の話せる某くんが電話
   口に出てくれたので挨拶ができたが、簡単なことなら知っているはずのポルトガル語が
   全然出てこなくて焦ってしまった。娘にそのことを言ったら、「直訳しようとするから出て
   こないんだよ・・・」と言われてしまう。なんだか昔、私が言っていた気がするのよね。

《おまけ》
先日見つけたChico Buarque(シコ・ブアルキ)の「Construção」
, この人の曲を昔、聴いたとき、どうも思わなかったのに、だんだんと好きになってきた一曲。また例の“You Tube”からですが、年を取ってから歌ったものも見つけてしまい、迷った末、若き日のChicoの声を選びました。
お好きな方は是非、聞いてください。歌詞は以下のとおりです。

                Chico Buarque de Holanda  「Construção」   

Amou daquela vez como se fosse a última
Beijou sua mulher como se fosse a última
E cada filho seu como se fosse o único
E atravessou a rua com seu passo tímido

Subiu a construção como se fosse máquina
Ergueu no patamar quatro paredes sólidas
Tijolo com tijolo num desenho mágico
Seus olhos embotados de cimento e lágrima

Sentou pra descansar como se fosse sábado
Comeu feijão com arroz como se fosse um príncipe
Bebeu e soluçou como se fosse um náufrago
Dançou e gargalhou como se ouvisse música

E tropeçou no céu como se fosse um bêbado
E flutuou no ar como se fosse um pássaro
E acabou no chão feito um pacote flácido
Agonizou no meio do passeio público

Morreu na contramão atrapalhando o tráfego

Amou daquela vez como se fosse o último
Beijou sua mulher como se fosse a única
E cada filho seu como se fosse o pródigo
E atravessou a rua com seu passo bêbado

Subiu na construção como se fosse sólido
Ergueu no patamar quatro paredes mágicas
Tijolo com tijolo num desenho lógico
Seus olhos embotados de cimento e tráfego

Sentou pra descansar como se fosse um príncipe
Comeu feijão com arroz como se fosse o máximo
Bebeu e soluçou como se fosse máquina
Dançou e gargalhou como se fosse o próximo

E tropeçou no céu como se ouvisse música
E flutuou no ar como se fosse sábado
E se acabou no chão como um pacote tímido
Agonizou no meio do passeio náufrago

Morreu na contramão atrapalhando o público.

★気に入ってくださった方にはもう一曲、「O que sera]をどうぞ。
共に歌っているミルトン・ナシメントは、4月下旬に
ブルーノート東京でコンサートをしたようです。 行きたかった!


     
 


長い手紙

2007-04-27 | brasil

ハンドバッグの中で温めすぎてしまった手紙。
外出時、ピロティーにある郵便ポストを覗くと、久しぶりにブラジルからの手紙を、
それも2通も発見。駅に向かって歩きながら、居てもたってもいられず封を開けました。
電車に乗ってから中味を取り出し、便箋にぎっしり書かれた文面を読むにつれ、
私の顔から笑みがこぼれっぱなしになってしまい、ちょっと焦りました。
JRの中だったんですもの。

それは二月初旬のことでした。
便箋9枚にも及ぶ手紙は、一度読むだけじゃもったいない。
いつでもくり返し読めるようにと、持ち歩いていました。ブログにこの心境を
少しでもいいから書いてみたいなぁ、
と思っているうちに日が過ぎ行き、今日になってしまったのです。

            

もうずっと前のことですが、彼と父は仕事上、部下と上司の関係でした。
私が日本に帰国してからは年一回、個人的にクリスマスカードを出すだけの
お付き合いでした。それは私からの一方通行で、彼からカードが送られてきた事は
確かなかったと思います。あちらでは大層お世話になったし、
返事は貰っても貰わなくてもどうでも良かったのです。

父が亡くなる10日前位に、それが最後だとは知らずに、また父がもはや手紙を読める
状態ではないとは知らずに父宛に彼が投函した手紙を母が受け取ったのですが、本来の
受取人が亡なった後に読ませてもらい、胸がキュンとなったことを昨日のように覚えています。
それには仕事や日常生活のこと、ブラジルの経済・社会情勢などが、彼特有のクセ字で、
まるで目に浮かんでくるような表現で「航空書簡」にぎっしりと書かれていました。

その年の暮れに、父宛への最後の手紙を読んだ時に感じた事をクリスマスカードにちょっと
認めて送った所、彼から初めて、父がいつも貰っていたような、航空書簡の隅から隅まで
隙間なく文字のつまった手紙が送られてきたんです。やったぁ~!ってな気持ちでしたね。
それからは私が出す年一回のX’masカードと、年が明けてからやって来る彼からの航空
書簡の行き来が続き、今回は便箋9枚が手元に届いた、という訳で・・・ここまでの説明に
こんなに活字を使ってしまいました。
 
    ・・・・・・・・・・
    新しい年を迎えておめでとうと云う心情には人様々な思いがあると思いますが、
  お互い健全である事が第一の前提。私は常々死は生あるものの摂理とは
  思っているものの、文通などで消息のある知人・友人は別として、年一回の
   年賀に簡単に「おめでとう」とは書きにくい年令になっているからです。・・・・・・

と、始まり、あちこちの州で起こった水害のことやクリスマスの事。
棚盆に、例年同様、我が娘も知っている非日系人のお坊さんに来てもらいお経を
あげてもらったこととか、
30年以上も居住している町の歴史や(元はというとイタリア移民が
築き挙げた町だとか)、すっかり変貌して賑やかになった今の様子。
日本に住んでいる娘が仕事で来伯して日本に戻る時、奥さんと3人でアルゼンチンから
パラグアイ、ボリビアを抜け、アンデスの山間を通ってインカの遺跡や
古い村を巡ってきた時の話。
宇宙中継のお陰で日本の昨今の様子がジャストタイムで伝わってくるし、
日本の雑誌も講読し読める環境にいるが、日本という国が、「問題が起こってから
騒ぎ出す。追跡調査に欠けている。」ように感じていること。
昔、T社が現地に進出した時に日本から社員で来ていた方で、Yさんとも親しかった方が
二人、ひょっこり訪れて4日ほど彼の家に滞在したこと、
日本で働いている子供二人と現地にいる息子二人の近況など。
月下美人が20~30も花を付け、一夜限りだが見事だった事、
花びらは一寸湯通しして酢の物に、茎の部分はキンピラ風などにすると珍味ですよ、と、
お料理好きな彼らしい言葉。
奥様との馴れ初めの箇所では、自分の兄が、「結婚はそもそも錯覚の始まりで、
長く続けるには妥協と忍耐、それに協調が不可欠な前提だ」など達感ヅラして言った事。
娘が式をあげる時には、二人を前にして、今度は彼が、「男・女は生理的にも資質からも
異なった個体でその上他人同士が結婚という儀式を通じて末長く共にするということは
至難の業を要するも」と言ったとか!さすがYさんらしい。
彼の書いてよこす内容は面白くて、一人占めして読むにはもったいなくさえ感じてしまいます。
私が彼を取り巻く様々な環境をよく知っているから面白いのでしょうが、そうでなくても彼は
個性豊かな方なんです。昔、たしか、サンパウロのウチで父と議論・・というか、一方的に
捲し立てられた?後だったでしょうか、まだ独身だった私の目をキッと見ながら、
「オヤジに似たらとんでもないことだぞ!母親に似れば問題ないが!」と、どう見ても
父親似の私に言ったんです。そう言われても~と、困って曖昧な笑いを返したことが
甦ってきました。人の、ある一瞬の表情って、記憶に残るものなんですね。

そうそう、先に書きましたが、アルゼンチンなどを旅行して、その先々で「ミヤギ」に間違えられ、
握手を求められたり、抱擁されて頬にキスされたり、と、苦笑の連続だったことを
面白可笑しく沢山の例と共に認めてありました。へぇ~、「ミヤギ」にねぇ。ちょっとちがうなぁ、
と思い、娘に聞いたら、「うん、似ている!」との返事。
ン~?「ミヤギ」こと、米俳優の日系二世、ノリユキ “バット” モリタはもうこの世にいない
のですが、南米ではこの「Karate Kid」という映画はとても流行ったようです。私も在伯中、
どこでかは忘れましたが一度見ていますもの。そう言えば、年恰好も彼と似ているかしら?

            ベスト・キッド

こんな長いお手紙をいただくのって、一体いつ以来でしょうか?
何で私にこんなにたくさんの時間をかけて書いて下さったのかしら?感激です。
私はこのように長い手紙を書くことが出来るかしら?お返事はどうしよう・・・
今回、彼が書いてよこした言葉をいっぱい使ってしまいました。
ちょっと・・・と、思いながらも、とうとう書いちゃった。
とっても嬉しくて、やっとバッグの中から飛び出しました。

一緒に着いたもう一通の手紙はリオに長く住んでいるMさんからでした。
彼女も素晴らしい方なのでいつかご紹介出来たらいいなぁ、と思いますが、
ブログって、ちょっとした事で友達を失うこともあるかもしれない・・と感じています。
み~んなブログネタにされちゃう!と警戒されたりして、ね。

昨日、上野で見てきた【花展】のことは、気が向いたら次回に書こうかな、と思います。
どうぞ楽しいゴールデンウィークをお過しくださ~い!

 

 



 


パスコアのたまご

2007-04-08 | brasil

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フェリス パスコア!  FELIZ PASCOA!
HAPPY EASTER! FELICES PASCUAS!
             
                                   
4月8日の
今日はキリスト教でいう復活祭の日です。
以前住んでいたブラジルではこの時期になると、スーパーや街角のバールに色とりどりの「パスコアの卵」が所狭しと飾られ、イエス・キリストの復活をお祝いします。
パスコアの卵といってもカラフルなラッピングの中はたまごの形のチョコレートが入っているんです。中はガランドウですが、その空間にもさらに小さなチョコレートが入っているので、振るとカシャカシャと音がします。サンバの楽器に使えそうですかぁ。
上のぴょンぴょンウサギさんをブラジルのとあるサイトで見つけました。かわいいでしょう?キーワードは「Coerinho da Pascoa」つまり、「パスコアのウサギ」という意味。
アップするのは今日しかないので、眠い目をこすりながらパソコンに向かっています。というのも、先日、こんなもの(下の画像)を戴いたのでつい南米での懐かしい行事を思いだしてしまった次第です。
いただいたのは確か、ドイツのイースターエッグだったかしら・・・すでに私どものお腹に納まってしまいました。

 
 

   復活祭はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日で、
   十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを
   記念する。「復活
の主日」、あるいは「イースター」とも言われる。復活祭は
   基本的に「春分
の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、
   年によって日付が変わる移動祝日である。2007年の復活祭は東西教会とも
   4月8日。(ウィキペディアより)
   
          
        
この真ん中の「OVO  DA  PASCOA」はブラジルのものです。
        いずれも余りにも可愛かったのでwebよりコピペしてしまいました。
              来年以降のイースターは以下の日取りだそうです。

               2008 - 23 de março  3/23
               2009 - 12 de abril   4/12
               2010 - 04 de abril   4/04

                 

                   FELIZ PASCOA!


             
   
     懐かしいPink Floydの曲を偶然見つけました。 for you!?