ドキュメンタリー映画「日本と原発」の有料試写会に行ってきました。 「安心で安全な地球を次世代に残すには原発はいらない」と、各地の原発運転差し止め訴訟などを主導する弁護士の河合弘之氏。東京電力福島第一原発事故後も、脱原発が世間になかなか浸透しないもどかしさを感じていたところ、友人から「映画を作ったら」と言われたことがきっかけで初監督した映画です。最初は知合いの著名な映画監督に依頼したが、作れば干される、と、断られたそうです。
有名企業を取り巻く多くの裁判で勝ち続けてきた辣腕弁護士・河合弘之。 これは、弁護士河合弘之と盟友弁護士海渡雄一、訴訟を共に闘う木村結の3人が多くの関係者、有識者にインタビュー取材を行い、現地での情報収集や報道資料等を基に事故に巻き込まれた人々の苦しみ、原発事故を引き起こした背景、改善されない規制基準、エネルギー政策のウソと真実を追求したドキュメンタリーである。 自然の前でも、作り物の前でも、成すすべもなく無力で混乱に陥っていた日本・・・。地震国だから、ではなく、人間が制御できないものには、どんなに便利なものでも手をだしてはいけないんじゃないですか? 次回は、下のパンフレットにある、同県でもとても遠く感じられる千葉市での開催です。オフィシャルサイトでも開催地などが見られます。
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去年のうちから購入していた「ホイッスラー展」のチケットでした。 今年もあっという間に二月の到来。展覧会の会期も一か月を切ったので、ゆっくりと見に行けるチャンスを日々探っていました。 わざわざ横浜まで行くのなら、横浜の友達に連絡しなくちゃ~と、電話一本で即、会うことに決定。一緒に美術展に行きたいけど、一人で見るほうがいいわよね、と彼女が言うので、無理しないで、と言い、見終わった頃合いを見計らい、一緒にランチをする約束をする。この辺が、どうすべきか、ちょっと難しいのよね。一緒に、と言われれば、そうなっただろうし、楽しいかもしれない。けど、その展覧会を彼女が、本当に見たいかどうか、良くわからないので余計な推察をする。それが感じ取られてしまうのか、彼女も一人で美術鑑賞する習慣があるからか、いちいち正していられない。なので、お言葉通りに済ましてしまう。気を使いすぎたり、変に思いこんだりしてチャンスを潰してしまうことだって大いにあり得る。特に私は。 など・・言葉をあれこれ並べるよりも、実際は極めて単純明快即決です。
久しぶりにみなとみらいで下車して美術館に向かおうとしましたが、美術館方面と書かれた表示を頼りながら出たところが「MARK IS」という初めて聞く名前の商業施設でした。オープンしてから一年半以上が経っていました。そこを突っ切った先が横浜美術館。デジカメを出して撮ろうとしたら、最初からバッテリー切れ!あ~ぁ、せっかくバッグに入れて持ち歩いたのに、役立たずだ!もう撮るまい、と思ったけど、美術館の入口ぐらいは、と、ケータイで一枚パチリ。
この展覧会は、ホイッスラーの初期から晩年にいたるまでの約130点を日本に紹介する初の大規模な回顧展です。心をときめかして会場に入っていき、初めて音声ガイドを借りてみました。ナビゲーターはリリー・フランキーさん♪ タイトルからして、まるで音楽が聴こえてきそうなホイッスラーのいくつかの作品は、音楽付きの音声ガイドで、うっとり聴きながら鑑賞しました。 たとえば、《プロローグ》ではショパンの「バラード第3番変イ長調作品47」
音楽が音の詩であるように、 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903) アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。 ロンドン移住後は、ラファエル前派の画家たちとも親交を深め、芸術は芸術のために存在するべきであるという理念に従い、唯美主義のリーダー的存在として英国の画壇において重要な役割を果たしました。また、日本美術との出会いは、彼の唯美主義者としての信条をもっともよく表している一連の風景画「ノクターン」を描くうえでも重要でした。ホイッスラーは、ジャポニスムの代表的画家として世界的に知られています。
チケットに使われた作品は《白のシンフォニー No.2:小さなホワイト・ガール》(部分)テート美術館 。モデルは愛人のジョアンナ・ファヒーナン。ちょっと物憂げで淋しい表情ですが、この作品が描かれた後の、ホイッスラ-ーとの別れを意識していたのでしょうか。
下の絵も、第三章「ジャポニズム」に展示されていた「紫とバラ色;6つのマークのランゲ・ライゼ」。上と同様、「ジョー」ことジョアンナ・ファヒーナンがモデルです。
エッチング集なども多く手がけ、そのどれもが作品としては小さいのですが、味わい深く、センスのよさを感じてしまいます。
ちょっと皮肉屋だけど、粋でダンディーなこの画家が、モデルの衣装をデザインしたり、作品のタイトルに凝ったり、日本の浮世絵などからの影響を受けて作品の中に取り入れたりしている姿を想像しながら、「芸術のための芸術」をスローガンとした唯美主義者の美しい作品の数々に、ぞっこん惚れまくり、しばし心を奪われました。 パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を完成させたときのエピソード(←net上で見付けたブログです)等、映像やパネルを通して知り、非常に興味深かったです。後に部屋ごとピーコックルームとして、ワシントンDCのフリーアギャラリーに移転。(このリンク先では、ピーコックルームのPanorama Viewも見れます) ホイッスラーは、同じく画家である妻 ビアトリクスを尊敬しこよなく愛し、彼女の死後は、その事実が全く受け入れられない程の深い悲しみに陥ったほどの愛妻家だったことを知り胸がジーンと。、増々彼の魅力の虜になってしまいました。
見終ったあと、もう一度会場を回ってから、友人の待っているランドマークタワーへ向かいました。ケータイがあるから、見終わったあとの連絡でも問題なく、待つ側も自由に動けます。便利だな~と思う反面、持ち忘れたが最後、一体どうなっちゃうのでしょうね! 食後は横浜をあちこち散策したい、と思っていたのですが、久しぶりにストレス発散できるほど深くお喋りが出来、散策より実り多い一日でした。 ・・・って、このブログ記事、書き始めてから、途中で挫折し、二週間も経っちゃっています。次も、もう終わってしまった話題が控えているのに、、、。 |
何日もの間、イスラム国に人質となった日本人二人のことで頭がいっぱいだった。まともな会話・対話が成り立たない相手は世間に居ないことはない。が、我が国の人間が人質となり、一方的な要求を突き付けられ、解放に向けどう出ればよかったのだろうと考えると、対話が出来ない相手に対し、打つ手がなかった気がする。期限付きの要求をのんでものまなくても、事態が良いほうに進展しなさそうな展開に思えた。90%絶望のなかでも、ひょっとして後藤さんだったら・・・のわずかな期待がついに抹消されてしまった。 こんなにも非人道的なことって、あり得ることなのか。この世にまだ人食い人種がいることを知らなかった自分が世間知らずなのか。戦争を体験したことがなく、今までずっと平穏に過ごせたことというのは、ほんとうは奇跡的なことなのか? |