ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

また行こう!葉山館

2006-03-29 | art/exhibit/museum

同じ過ちを犯し続けるbiancaは またも、それも3回にわたって
月曜、火曜と、書いた全文を失いました。
だから下書きはメモ帳に書くんだよ、とわかっちゃいるけど
写真を取り込みながらじかに打ち込む快感に負けていたのです。
失った原因が今だはっきりしません。
どうもマウスの使い方と、入れ込んだ写真や文章を取り消す時に
使うBack‐spaceキーが怪しい気がします。
あるいはこのパソコンに嫌われているのかな?
もう止めようか、と思うまで昨夜は気落ちしましたが
やっぱりパウラのことはブログに残したくなっちゃったのです。

仕事休みの今日、桜を見に外に出かけたい心を抑えて
仕切り直し~!


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儚くも美しき祝祭

 Paula Modersohn-Becker
時代に先駆けた女性画家 (1876-1907)

 
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麦わら帽子を被りたくなるような日差しの強い土曜日の昼下がり。
子駅から海岸回り葉山行きのバスに乗り込みました。
対向車とすれすれで、まるで手品師のように狭い旧道を
スル~リ、スル~リと走り抜け、葉山マリーナや森戸海岸を過ぎて
しばらく行くと白亜のモダンな四角い建物が姿を現しました。

着いたぁ~!

海と空に限りなく近い、神奈川県立近代美術館 葉山館


そんなベストロケーションにある美術館の外観を
デジカメに収めようとシャッターを切ってびっくり。
メモリーカードが入っていないではないか。
ガ~~ン!
充電だけはバッチリしてきたのに、なんという不手際。
昨日パソコンに取り込むために抜いたままになっていたんだ、と
改めて思い出しました。
いいさ、きょうはカメラなしで、この光景をしっかりと
目に焼き付けようっと。

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私とパウラ・モーダーゾーン=ベッカーは、全くの初対面。
そこにリルケ やリルケの奥さんでもありパウラの親友でもある
クララ も参加し、ヴォルプス・ヴェーデの仲間たちも
噂を聞きつけて葉山にやって来たのです。

こんな具合に想像を巡らせながらの 待ちに待った企画展。

学生時代に尊敬していたS先生が、社会科の授業の中で
頻繁にリルケの詩を紹介してくれたものです。
先生が敬愛して止まないリルケを、私も好きになりたいと
背伸びをして読んだのですが、解ったのか、解らなかったのか
いまいち私には難いイメージでした。
でも尊敬している人が情熱を持って語るその詩人のことは
それからというもの常に私の頭の隅に存在し続けています。

結婚をする前の若い3人が、ブレーメンから北東20キロほどに
位置する寒村「ヴォルプス・ヴェーデ」で知り合い、
親交を深めていただなんて、なんとも羨ましい限り。

 ヴォルプス・ヴェーデ ・・・それは
悪魔の湿原と呼ばれる泥炭地 トイフェルス・モーアの端に続く
片田舎の小さな村。
19世紀の急速な技術革新と文明化に疲弊した
近代ヨーロッパ人(!)の若者たちには
その平原と空ばかりの手付かずの自然風景こそが
今こそ回帰すべき人間と自然との原初的な共生の場として
写ったのです。


芸術家コロニーの建設を夢見て、
フリッツ・マッケンゼン
オットー・モーダーゾーン
ハンス・アム・エンデ
フリッツ・オーヴァーベック
ハインリヒ・フォーゲラー

などの若い画家たちがそこに住み始め、パウラやクララも
マッケンゼンに絵や彫刻の手ほどきを受けるために、
家族の元を離れてここに移り住みます。
パウラは、当時の文化人や芸術家などが頻繁に
出入りするような家庭環境で育っていますから
女性が画家になることへの積極的な理解と応援を
受けていたのではないかと思います。
素晴らしい親たち!

このように書いていくと終わりが見えてきません。
ご興味のある方は、是非、美術館のHPをご覧になってください。
とても興味深いですよ。
って言っても、企画展が終了しちゃったから
削除されてしまうでしょうか?早く、早く!

  
 
                      クララ作のパウラ 
  

  

そういいながらも又書き始めるbiancaです。

葉山館は、展示室といいすべての空間がゆったりとしています。
これだけの企画なのに人の流れも緩やかで、
私としては心地よく、時間をかけてヴォルプス・ヴェーデの
仲間たちとの対話?を楽しむ事が出来ました。

パウラはたくさんの自画像を描いています。
でも実際の彼女の方が、どの絵と比べても素敵でしょう?
私はパウラとマッケンゼンの絵、クララという女性そして
フォーゲラーという個人にすごく惹かれました。

フォーゲラーは、最初に村に移り住んだ芸術家達の中で最年少。
農家を改装した自邸、〈バルケンフォフ〉には、
村のアーティストはじめ、遠方からの文学者、音楽家らが集い
「そこはまさに、ヴォルプス・ヴェーデという
精神共同体のシンボル的な場だった」
と言います。パウラがこの小さな村に移り住んだのも、絵を学ぶ
ということの他、もっと精神的な要因があったからに
ちがいありません。

しかし人間のおこなう戦争は何でもかんでも
人間の一生を狂わし続けてしまいます。
フォーゲラーは出征中に、反戦思想から社会主義に転向。
その後ソ連に移住し、貧困の中、カザフスタンで
ひっそりと病死していました。
あの芸術家村で、いきいきと過ごしていた若き日の
フォーゲラーを想像するにつけ
社会主義がなんだ!資本主義がなんだ!
やり直しのきかない人の人生を平和に導けない
主義主張なんか糞っくらえだ!

パウラの死共々、悔しくて可哀想でなりません。



観葉植物と卵立てのある静物(1905年頃)

この村で、パウラはモーダーゾーンと、
リルケはクララと出会い結婚をするのですが、
パウラとリルケは、心底より深く信頼しあう仲だったようです。
パウラはスポーツも楽しむ快活な女性であった反面、
ニーチェなど、沢山の書物をを読み、日記を書き、「死」についても深く思いを
巡らせていた女性、と考える時、リルケとの繋がりが
さらにはっきりと想像できそうです。
彼女は画家としてよりも、心の奥底に数多くの思いを秘めた
一人の魅力的な女性だということがわかってきました。
1900年のパリ万博の時にパウラは初めてパリを訪れています。
そこで目にしたセザンヌやゴッホ、ゴーギャンらの作品に
影響を受け、リルケの紹介でロダンとも接触を持ちます。


パリで刺激をうけてはヴォルプス・ヴェーデに帰って
その制作の中で表現し、反対に村で研ぎ澄ました感性を、
パリの街でさらに開花させていましたが、
芸術家村の中でも相互間に早い時期から
芸術感の相異や緊張が表面化していたようです。

実際、パウラと夫のオットーにも一大危機が訪れました。
それをどうにか乗り越え、子供に恵まれた時、
産褥熱から発症した塞栓症のために
彼女の儚い一生が終わってしまいました。
1907年11月20日、31歳の時です。

リルケはパウラの死に衝撃を受け、
その一年後に長編詩「ある女友だちのための鎮魂歌」
を発表したのです。

その詩が、美術館の中の薄暗い一展示室の壁に、
映写機を通して読めるようになっていました。
映し出されては滲むように消え、又映し出されて・・・
が繰り返されます。
そこでは静かにゆっくりと時間が流れます。

 
クララ作のリルケ

気が付いたらあとすこしで閉館の時間でした。
海を目前に見渡せるレストランで、コーヒーを
と思い、その時を楽しみにしていたのですが、
美術館と同時刻に閉店となり、残念でした。
この素晴らしい場所に、近々また絶対に来よう!

葉山は私を待っているぜ!


終わりにしようと思ったとたん、思い出しました。
たいせつな風景」というタイトルの美術館だよりを
エントランスホールで見つけ各号一冊ずつ計4冊頂きました。
それを帰りの横須賀線の車内で何気なく読んで
いたのですが、とても心に残る記事があったのです。
(もちろん、どの記事も良かったですが)
私がパウル・クレーのところで使わせて頂いた引用文を
お書きになった神奈川県立美術館 企画課長である
水沢 勉氏の
「風景に生まれ、風景に帰っていく音のかたち ・・・追悼・吉村弘
胸がいっぱいになり、本当はここでご紹介したくてたまりません。


この文章を読みながらこの日一日の心の充足感が一層深まったことは
言うまでもありません。


 

unsichtbarさん 展覧会をご紹介いただき有難うございました

 

 

 

 

 


懐かしい人形たち

2006-03-25 | art/exhibit/museum

             

きょうは楽しい金曜日 & 今晩の夕食はお二人様だけ。
昨日のうちに仕込み・・でなくて、買い込んでおいたので、多少帰宅が遅くなっても全然オーラ~~イ!

仕事のあとに、銀座松屋で開催中の
パリ・バカラ美術館開催記念展
勇輝 人形芸術の世界展に行って来ました。今年2月にパリのバカラ
美術館で個展が開かれ、好評を博し、今回は5年ぶりの帰国記念展。
その5年前、同じ松屋で開催された時にも行きましたが、ニングルやピアリの
妖精たちに魅せられ、昔の子供たちに心和まされて笑わせられ、与ワールド
の虜になってしまいました。でも、出口のところで図録を購入した人たちに
サインをしている人形作家を見て、びっくりしたものです。
人形たちと、作家のイメージが余りにも異なっていたからです。

今回は小津安二郎監督に惹かれた作家が、監督への敬愛の念を込めて
制作した新作15点を含め、合計約130点を展観。

   

  制作の中で常に私の頭の中にある事は、
  無心な子供たちが美しい自然の中で素朴に生きる様を
  いかに表現するかを想い、その為に時代背景を置き換えて
  一瞬の表情、仕草を掴み取るため、手や足の先まで気を使い 
  
幾度も創り直し、その繰り返しに悪戦苦闘しています。
              -以上「古裂に魅せられて」より抜粋- 

倉本聰原作の写真絵本「ニングル」や鉄道員ぽっぽ屋の「雪子」の人形。
イクスピアリの依頼で制作した創作人形「ピアリ」の数々。
(これはピアリ3階で数年間にわたり、常設展示されていたのでご存知の方も多いと思います) 
首の傾げ方、足の開き具合、ふっくらしたほっぺの感触や昔の女性の持つ
質素な佇まいと凛とした知的な色っぽさ。純粋無垢な表情の兄弟姉妹や
悪戯っ子たち。指先や足の裏の作りまで、想像を絶するほど神経細やかに
仕上げられたお人形さん。
今回の小津作品の中では、「秋刀魚の味」や、「東京物語」の登場人物、
更には小津監督自身の人形も見られます。

昭和12年生まれの彼は8才の時に終戦を体験しています。
貧しい事を貧しいと思わずに、明るく逞しく元気いっぱい駆けずり回っていた
子どもたちは、きっと与さんの過された時代の原風景だったのでしょう。
私は勿論!(あったりま~え!)生まれも育ちも終戦後ですが、それらの
原風景になぜかとっても見覚えがあるのです。歯ブラシを持っている
「押し売り」の人形を見て思わず笑ってしまいました。
怖くてしょうがなかったのに、興味津々だったりした記憶が蘇ってきました。
「女房子供を食わせなきゃならねーんだ。このゴムひも一つでもいいから
買ってくんなよ。」・・・そういいながら、玄関先にどっしりと腰を降ろして買って
くれるまで居座っている姿を何回目にしたことか。

みんな食べるのにやっとでしたが、生活がシンプルな分、ストレスと言う言葉が
存在しなかった気がします。無いのが当然。我慢が当たり前。玩具なんか
なくても沢山の遊びを知っていましたよね。
石蹴り、缶けり、ゴム縄、馬飛び。そして白墨、蝋石の出番がた~くさん。

さて、大混雑の会場を泳ぎ回り、やっと場外に出た所でバッタリ作家に遭遇
してしまいました。似ている方だなぁ・・と思っていましたが、みんな知らん振り
で通り過ぎていくので間違いかしらと思いつつ、ご本人に確認した所、
当ったり~!作者の与さんでした~!
デジカメにも快く応じていただけましたが、春らしいスーツに身を包んだ与さん
よりも、工房で作業着を着ている彼のほうがきっとお似合いではないかな。

「人形は、誰の心にもある変身願望の表れなんです」

 

 

 

明日は・・・って、もう今日になっちゃった・・・ 葉山に行ってきま~す


叔母といっしょに

2006-03-21 | art/exhibit/museum



土曜日。叔母と電話で話していて、2時間後に
青山にある「根津美術館」に行こうということになりました。
ひな祭り 虎屋の雛人形と雛道具
先週も友人からの電話で、
「私はもう見ちゃったけど良い出し物だからお勧めよ。」
と言われたばかり。豪華なお雛様にはあまり興味がありません
でしたが、これは何かのご縁かなと思い、即決。
何年も前に、地元に住んでいた友人が、お茶会があるから、と、
他の友人共々、誘ってくださって以来の根津美術館でした。

 お雛様の主人公

今回展示されているお雛様とお道具は、
虎屋の十四代店主である黒川光景氏が、
明治30年に生まれた娘、算子(かずこ)のために収集したもの。

京都の丸平大木人形店で新調した雛人形に
東京・池之端の七澤屋製の雛道具は、
どれも極小かつ精巧で、高度な技術を持つ
職人技あっての作品の数々です。
土曜日のせいか、すでに会場は大勢の人で埋め尽くされ、
小さくておまま事のような展示物を鑑賞するには列に並んで
少しづつ進むしかありません。
なぜちっとも進まぬのか?と呆れるくらいで、
これが実にしんどかったのですが、
見ているうちに、なかなか動かない自分を発見。
だって、てのひらに載せて見るほどの小さなもので、
しかも本物そっくりの緻密な作り。
尽々と見たくなるような素晴らしさなのです。
人形の表情がなんとも言えず、かわいくて、ユーモラス。
ないものは何一つない位、何でも揃っています。
これらを全部、大きな雛壇に飾って、お嬢様のために
お祝いをするのですからね・・・溜息の出るような贅沢品。



虎屋本店が赤坂にあるので、てっきり東京の菓子屋だと
思っていましたが、創業は室町時代後期の京都でした。
又、虎屋という屋号の由来ですが、黒川家が代々、毘沙門天を
信仰していたそうでして、この毘沙門天が、
寅年の寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたといわれ、
虎の秘める神秘的な力にあやかりたい願いが
込められているようです。

これで、ちょっと敷居が高いなぁと感じていた虎屋が、
伝統を重んじた、信仰心の厚い老舗だったことがわかり、
算子嬢の可愛さも然ることながら、日本の文化を大切に
継承している事に敬意を表したい気持ちになりました。



叔母は長くお茶と茶花を習っていたので、何でもよくご存知。
今は通うのが大変になり、お茶花だけになりましたが、
先生のお話が面白くて、
お稽古を辞める人が一人もいないんですって。
先生はお茶、お花に加え、陶芸、一閑張り、金繕いなど
知識が豊富で、様々な事を教えている素敵な男性です!

叔母は、以前は虎屋の行事等に、よくお仲間と行かれたそうです。
その時には、今回の〈遊戯具〉の所に展示されていた
「投扇興」というお遊びなどが会場に用意されていたようです。
「今はそれも無くなっちゃったようだけど、これもご時世なのかしら」
「広げた扇を的をめがけて投げて、落ちた場所や形で点数を競う遊びなのよ」
と、説明を受けながら見ていると、お隣のご年配のご婦人が
「私が子供の頃、よくそれで遊んだものですよ。」と
ニコニコして私たちの会話に加わってきました。
何とも雅な遊びだこと。

・・・・・・・・・・  【投扇興】  ・・・・・・・・・・
江戸時代の遊戯の一。台の上に蝶と呼ぶいちょう形の的を立て、1メートルほど離れた所にすわり、
開いた扇を投げてこれを落とし、扇と的の落ちた形を源氏54帖になぞらえた図式に照らして採点し、
優劣を競う。1773年(安永2)頃から盛行。


 

展示室は一室だけでしたが、こういったものを楽しんでいる
自分にちょっとびっくり。
年と共に興味が広がっていくのって、いいですね。

お茶室が点在している広いお庭に出ると、
背景に六本木ヒルズが現れました。
緑の茂ったお庭を歩きながらも、樹木や花を見ては
大好きな叔母から色んなことを教えられます。
って言っても私、すぐ忘れちゃう困ったさん。

さ~ぁて、この日のお待ちかねのコーヒーブレークは、
叔母おすすめの「ヨックモック」で。
いつもこの前を『チョッと高そう!』と
通り過ぎるのみでしたが、スポンサー付きは最高
                
  

 

                            
                 
 


仲間と打ち上げ 

2006-03-17 | パソコン

 

今期最後の授業が先週で終わり、この水曜日の夜は打ち上げ。
ショッパーズプラザの4階にオープンして間もない居酒屋に行ってきました。
私はそのお店は初めてなのでこの日がとても楽しみでした。
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K先生も含め、全員集合の予定でしたが、
一人が、突然の悲しい出来事で欠席し、ちょっと残念。
居酒屋とはいっても、集まった5人のうち2名はウーロン茶派なのです。
でも、場を盛り上げているのはもしかして、ウーロン茶組かな。
私は勿論、量は飲めないけど、今回もビールと冷酒。
お通しは何種類かあり、飲物を注文する時に選ばなくてはなりません。
選んだ3種類のお通しの名前は?
その一、コリコリ大根・・。その二、おきやみ黄金・・? その三、・・・?
一度聞いただけでは覚えられないそれらの名前を我らがK先生はすらすらと
何回でも言ってのけます。さすがァ~先生!
というよりも、以前某テレビ局に所属していた・・と言うお話でなんとなく納得。
この夜は、お隣のボックスの男性が、バースデーケーキ
Happy Birthday to You の歌と拍手で祝福を受けていました。
私たちもつられて拍手。
どんな人かな?と呟くと、すかさず先生が衝立越しに覗き込み、
「biancaさんのご主人のが全然いい男よ。」
エ~~??知らないはずなんだけどなぁ。
K先生って、頭の回転が速くて、周りを楽しませるのがとてもお上手。
楽しいこと、新しいことをどんどん吸収している姿は見習いたいです。
ジェームス・ブラウンで意気投合?
私を同年代だと思って下さっている!やったね。

次期もこのメンバーでのクラスの継続が決定されたようです。
仕事を持っている方ばかりですが、皆マイペースで、サラッとした性格。
気持ちのいいクラスです。次期もどうぞよろしくお願いしま~す。


今期最後の授業は、「CDにダイレクト印刷してみよう!」
これはお教室の素材を使ってシンプルに作成しました。
好きな音楽のセレクト集にしたり、写真の整理にと、楽しめそうだわ。
と喜んだのも束の間、うちのプリンターでは出来ないってことがわかり、ガクッ。






 

 


人間万事

2006-03-13 | family

 

                    
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この世の中、何事も、なかなか思い通りに行かぬまま最終地点に向かって驀進しているとしか思えない。
普段、何気なく過してしまっているので、実際にはそこまで悲観的にはならないが、「こうなって欲しくない」と言う事を心の隅に少しでも置いてしまうと、そうなってしまうのだ。

先日、息子のバイクが駐輪場から姿を消した。
仕事先にいた私のケータイに、前日その場所に在ったかどうか、息子からの確認の電話が入った。
(前日、彼は仕事が休みだったが、風邪気味で一日家で寝ていたのだ。)
が、私もぼんやりと日々を過しているのだろう、毎日、駐車場に行く時に、見ようと思えば見えるのに、結局は見ていなかったことに気付く。

彼は管理事務所へ、交番へ、バイク屋へと連絡をとリ、その後、偶然、ピロティー付近で、同じ棟に住むO氏と出逢い、一部始終を話したという。私が夜、出先から帰宅するとすぐに、インターフォンが鳴った。O氏が犬とお散歩中に、堤防の先端の方から、、バイクを大変な思いでU警察署方面に引っ張って来るお巡りさん3人にに出会ったと言う。息子のだ、とわかった彼は、一緒に手伝って運んだが、鍵さえあれば、ラクに運べるかな、とのことでお知らせ方々、うちに来て下さった。息子は生憎、都内にあるバイク屋さんに「盗難保険」のことで聞きに行っている最中。私はスペアーキーも預かっておらず、その場で息子のケータイに電話をした。Oさんも出てくださり、「おじちゃん、君が現場に来るまでバイクの前で見張っているからな」と言って下さる。
私も後を追うようにその現場まで行くと、小雨のぱらつく中を4人が立っていた。
20分ほどして息子が到着し、バイクにキーを差し込むと・・・ブルル~~ン・・かかった!
私たちは天にも昇る気分だった。警察の方々やOさんに心よりお礼を申し上げた。皆さんのご親切がとても嬉しかった。

翌朝、出勤で家を出た息子が程なく引き返してくる。
「ちくしょう~!クラッチのワイヤーが切られてエンジンが全くかからない。」 ガ~~ン 
盗んだ人間が、元に戻されたのに腹を立てて切ったようだ。(腹を立てるのはこっちだーい!)
彼は又、警察に電話で連絡を取り、職場へ、と出かけたが、私は一日落ち着かない。
音がすれば、ドアを開けて下を窺うこと数回。
下に降りてバイクの状態をよく見ると、タイヤも前後、パンクしているではないか。

      

信じられない気分でいる時に浮かんできたこの言葉。
     
人生は吉凶、禍福が全く予測できない事のたとえだ。
もう何年も前のことだが、親の家に遊びに行った時に、たまたま国会中継を見ていた(今は亡き)父が、「面白いこと言っているよ。○○氏が、これこれこういうことで、それは 
角を矯めて牛を殺す ことだ、と言ったら、△△氏が、人間万事塞翁が馬 と、応酬した。」と、さも可笑しげに話していたことを思い出してしまった。へぇ~そういう意味なんだ・・と無知な私は感心し、確か手帳にメモった気がする。大好きだった父とお話をしたくなってしまった。

この事件の成り行きは果してどうなるのだろうか。
修理に出した所で、又、同様な事が起きる可能性大である。
購入時のローンがあと一年近く残っている。
そしてバイクは、彼の通勤手段。
私はバイクはもう止めて欲しいと、思い続けているのだが、あ~ぁ。
出来ることは《祈ること》だけなんだよね。


 


  

 

 


建築・建材展’06

2006-03-09 | visit/drive

私の身近な企業の出展。
今年も行ってきました、「建築・建材展2006」へ。

新木場東京ビッグサイト、 無料バスでの往復。

世界中の銘木を仕入れて0.2mmという薄さで加工されたツキ板。
素晴らしい技術は、自然保護にも繋がると思います。
ムク材の香りを持つ、しかし、自然に優しいツキ板。

 

 

以上が本物の木材加工品。「木目調」ではありません。
そのほかにも、パルプの粉やプラスティック加工品、
ステンドグラス、三州瓦、カナディアン・ログハウスなど。
サンプルカットをいただいたりしながら見本市を楽しんできました。
我が家がスラム化!していても、ここに来ると夢が膨らみます。

 
 ログハウスの繋ぎ方にこんな金具を。

 

 

 


梅の園

2006-03-07 | visit/drive

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」(道元)

 

日曜日 晴れ
まだ布団のぬくもりから起き上がれずにいたら、電話が鳴った。
・・・・もぅ~、休みの日なのにィ~何で朝っぱらから・・・!
「もしもし・・」
池上梅園が、見ごろのピークだから、行ってみるといいわよ。
おばあちゃんを連れて行ったらいいわよ。」

で、2人を誘って本当に行ってきてしまった。
ここは日本画家、伊東深水のアトリエ兼住居のあった場所。

梅より桜見物の方が好きだったが、これだけ見事だと行った甲斐があるというもの。
近くの駐車場が満杯だったので、上のほうにある日蓮入滅の地に作られたという本門寺
まで行く。そこから梅園へ向かう石段が、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の「本門寺暮雪」に登場するそうだ。「眠狂四郎」ならその昔、何冊か読んだが、鬼平シリーズは、残念ながら読んだ事がない。
この辺りはお寺めぐりと梅園とのセットでの観光コースになっている様子だ。

きょうはフォーラムで、70才を越えたソウル界のゴッド・ファーザー?ジェームス・ブラウンのコンサートがあるので、ちょっと興味があったのだが、ネットで調べたら、チケットは完売。で、諦めがつき、すんなりと池上梅園行きと、相成った。でも、チケットがあったとしたら果たして行ったかなぁ。行きたかったけど。

池上梅園の梅はほんとうに見ごろだった。上まで登ったところで、おじいさんがイスに座って尺八を奏でていた。たった今そこで知り合ったばかり、に見受けられるご老人たちが彼を取り囲んでいる。「わしゃ、ここまで自転車でくるんだよ。」「私たちは世田谷から来たんだけどね。」と、話を交わしながらとても和やかな雰囲気だ。
梅園に尺八。なかなか良い組み合わせだな。

そういえば、Tちゃんのお茶会、この中のお茶室を使用したのかァ・・と思いながら、大勢の見物客に混じってぞろぞろと一回り。聴雨庵は、もともとは藤山愛一郎の茶室だったそうだ。そして清月庵もそれなりの由来がある。

           

            
母と一緒なので、この近辺を散策するのはちょっとムリ。表参道を通ってどこかでお茶してから帰路に着こうということになった。ってか、一人で決めたが、表参道周辺が大渋滞。車以上に人ごみも渋谷駅周辺と変わらず、参ってしまう。明治通りまで行って右折するのにうんざりするほど時間がかかってしまった。その上、同潤会青山アパートの跡地に出来た表参道ヒルズなるものが、私の目には工事現場のバリケードに思えて泣きたい気持ち。お~い、アンドーく~ん!安堵できなかったじゃないか。同潤会の名残はないじゃんか!学生時代によく歩いた大人の雰囲気の並木道が雑踏化してしまった。

キラー通りから広尾に抜けた所の「アンナミラーズ」でやっと一休み。ここのいちごのタルト、甘さ控えめでいちごがたっぷり。コーヒーはお代わり自由なのでおばさん同士がゆっくりするにはいいかな。8年間も、その前を走る都電で通学していた天現寺から高速に乗り、我が街に着くとなぜかほ~っとした。

そうだ、きょうはお布団を干す絶好の一日だったな。

 

 

 

 

 


めぐりあいの世界

2006-03-03 | weblog

nettonさんのお母様作のお雛様そしてテディーベアー

  
こんなに素敵なお人形さんが我が家にあるのも、きっとご縁があっての事。大切にしますね。

 

一日雨が降り止まない日に、母を連れて東京国際フォーラムに行って
きました。美術館が銀座東芝ビルにあった頃は行ったことがありましたが、
フォーラムに移転してからは初めてです。
相田みつを美術館。
書の世界は一度見ればもういいかな・・という気持ちでしたが、二度目でも、
やはり、右の頬と左の頬をつよく、ピシッ!ピシッ!と、打たれてきました。
下界にいると、知らず知らずのうちに心が濁ってくるのでしょうか、
静寂な白と黒の世界の中で、みつをさんの沢山の言葉を噛み締めました。

 

今回の企画展のテーマは・・・めぐりあいの世界・・・

彼の究極の言葉、
     「出逢いが感動を生み、感動が人生を変えていく

人間を動かし、変えていくものは難しい理論や理屈ではない、と、彼は「出逢い」を終世のテーマとして、沢山の書を書きました。
そして、 「よき出逢いを!」 にあらわれたなんとも温かいメッセージ。

今回、しみじみと感じた言葉。

        途中にいるかぎり      
        中ぶらりん
        底まで落ちて        
        足が地に着けば      
        ほんとうに          
        落ち着く 

   「父は筆一本の生活で、作品を売る以外に収入がありませんから、
   まず、女房子供を養うための苦労が大変でした。
   その上、父は交際が広く、意外と人の面倒見がよかったので、
   突然、知人の誰彼が相談事を持ち込んできたりしました。
   問題はいつだって、「待ったなし」にやってくるのです。」

                 
  待ったなし
        

       そのときの
       出逢いが               
       その人の人生を
       根底から変える                                   
       ことがある                
       よき出逢いを  

 

「いのちの根」を読むと、言い訳をして、怒りまくっている私の根は深くならないのではないか・・・
と、“堪える”ことの大切さを感じます
。その人のいのちの根っこが深くなる時は、唇を噛み締めて、
両手をぎゅっと握り締めている時。耐えているとき。そんな時にあなたの目の色が深くなり、いのちの根が深くなる、と、みつをさんは励ましてくれます。

いまからここから あしたはあてにならぬから」・・・
ああ、なんともアスタマニャーナの世界とかけ離れていること!
背筋がピンとしてくるのを感じます。
そして、「育てたように子は育つ」でガ~~ン手遅れ。
ごめんね。エイプリルフールに結婚式を挙げようなんて言い出すママで、ごめんね。
(これは今回展示してありませんでしたが、出版されて以来、本が開けません)

「原点」という言葉を心の中に大事に、すぐに取り出せるようにしまっておかなくちゃ。
世の風潮に、惑わされる振りをするのはいいけれど、
「原点」には風潮もへったくれもないですから。

   「
アノネ 人間にとって 一番大事なものは なにか?
   そこを原点として 考えてゆけば あとは自然に わかってくるよ

こんな私でも、みつをさんとの出逢いで少しは神妙に、日々をいとおしく過せればいいなぁと、
思いました。彼の生涯の座右の書、「正法眼蔵」(道元)、タイトルを見ただけでも、
うぅ・・xxムxx・・。今度、図書館に行ったときに探してみようっと。

 

招待券をお送り下さったkちゃん、本当にありがと!(^з^)-☆Chu!!