パリ到着の翌日は朝食後、モン・サン・ミッシェルへの一泊旅行をする為、荷物をホテルに預けてチェックアウト。すぐ近くのメトロ=オペラ駅で10枚綴りの回数券を買い、初めてメトロに乗り、一度○○駅で乗り換えてモンパルナスまで行く。そこからすぐの、鉄道モンパルナス駅へ。早目に着いたので、売店を覗いたり、参考も兼ねて駅のトイレにも入って見る。有料なのに汚かったし、5ヶ所のうち3つほどが故障中というお粗末さ。9時05分に出発するTGV(フランス国鉄・高速列車)に乗るには、自分で自動改札機にはさみを入れなくてはならない。これを怠ると車内で罰金を取られるとのこと。娘がそのことを列車に乗る寸前に思い出し、はさみを入れに引き返す。一切を娘に任せている私はラクチンだが、ちょっとでも旅行社から貰った資料等に目を通そうもんなら、心配になる。見ないほうが二人旅は円満に進むだろう・・・?? 島の入口をくぐり、Grande Rue(大通りという意)という、レストランやショップの並ぶ細い通りを上がっていき、私たちの泊まるオーベルジュを見つける。一階はレストランで、2階に事務所があり、手続きをしてから宿泊する場所まで案内してもらう。その同じ建物内だとばかり思ったが、一たん外へ出て、そこから更に上へと上って行き、小さな墓地を横切った所にある、こびとの家の入口のようなドアのある建物に案内された。「眺めの良い部屋」を娘がリクエストしていたからだ、と、後で知る。
Grande Rueは、人通りが途切れた夕刻にはあかりが灯り、さらに暗くなると、クリスマスイルミネーションがちょっと淋しげに誰もいない通りに光っている。冬場は日帰り観光客が帰った後は、どの店もさっさと店仕舞。 ここはもともとはただの岩山だったが、起源は8世紀のこと、アヴランシュの司教である聖オベールが夢の中で、「この地に修道院を建てよ!」という大天使ミカエル(サン・ミッシェル)のお告げを聞いたことが発端だった。その通り、708年に小さな礼拝所が築かれ、その後、修道院が建てられ、数世紀にわたって増改築が繰り返されて今の形になったという。
ウヮ~~!!
さよなら、モン・サン・ミッシェル! |
プラハのホテルを10時半ごろチェックアウトし、タクシーで空港へ向かいました。
空港に着き、13時05分発パリ行きの飛行機に乗る前に、荷物を預ける所では男性係員が優しくて、すでに20キロオーバーしているからパリから日本へ帰国するときは重さに注意した方がいいよ、と親切に助言してくれ、そのまま通してくれました。そのあと、手荷物と身体チェックの所では、靴を脱ぐように言われ、係りの女性が人差し指を頭上でぐるりと回したのです。で、その場でぐるっとひと周りしたら、もう一度同じ仕草をしたので私は又一回りしました。彼女は呆れ顔をし、隣りの係員と顔を見合わせ、しょーがないね~という風に肩をすくめたところで、あぁ、後ろを向け、ってことなんだ、とやっと理解。恥ずかしかったけど、ガムを噛みながら検査する女性の横柄な態度の前で両手を挙げて検査される屈辱ったらないです。色々な人がいるもんですね。
3時ごろパリのドゴール空港に到着。プラハに来る時と同じ空港ですが、空港内に入ってすぐの小さなトイレに入ったところ、汚くて便座がなく、壊れているのかと思いました。娘が、パリはそういう所が多いって聞いている、と言ったので納得しましたが、最初に感激したトイレは何だったのでしょ?
パリはどんよりとした曇り空。タクシーでホテルへ向う途中から渋滞に巻き込まれ、到着したころはすでに夕暮れ時。さぁ、これからパリ滞在が始まるんだ、と思うとワクワクしてきました。
ホテルはオペラ通りに面して、オペラ座も歩いてすぐの便利なロケーション。 近くには友人が泊まった、という大きな高級ホテルがいやらしいピンクのイルミネーションに染まっていましたが、私たちの所は本当にかわいいロビーに、3~4人入れば満員になってしまうような小さなエレベーターのあるプチホテル。感じはすごくいいし、部屋は広くはないけどお洒落な雰囲気です。トイレの中まで同系色で統一されていて素敵! パリ滞在中は、このホテルだけに5泊するので、まずは一安心。
飛行機の中で軽食をいただいたきりだったので、荷物を下ろしてから近くのチャイニーズレストランに行き、久しぶりにご飯を食べました。ご飯っておいしぃ!プラハのホテルでは、朝食に日本食コーナーが設けられていたのでビックリしましたが、朝はやはりパンとコーヒーでなきゃ。 夕食後は近所をウィンドウショッピングしながら、ルーブルからコンコルド方面へと足を伸ばし、目を八方に向けながらよく歩きました。 ★コンコルド広場前の観覧車
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プラハ城を後にして、トリムに乗ったはいいけど、カレル橋に一番近い駅で降りたかったのに、あっという間にトリムは橋を渡ってしまった。
ガイドブックでカレル橋の彫像の解説を読んだのは、日本に帰国してから。 それもこのブログを書く段階になってからだ。牢に閉じ込められている彫刻がいったい何を意味するのか探した所、「犬を連れたトルコ人が牢の中のキリスト教徒の番をし、その上に聖岩イワンと三位一体会創設者の二人が立っている。」とあった。檻ばかりが薄気味悪く、特に目に焼きついたけど、あの上には立派な彫像がこのように立っているのである。 聖ヤン・ネポムツキーは宮廷の司祭だったが、あるとき王妃の懺悔を聞いた。
歩いて見つけた,酒屋さんでは棚にぎっしり並べられたアブサンにびっくり。こんなに一般的に売られているということがわかった。以前、夫の友人から頂いたミニチュアセットと全く同じものも見つけた。
食後にクリスマスマーケットを見にいくので、レストランには早めに入ったが、出る頃はお客がどんどん入ってきた。地元の人達がほとんどだ。ワンフロアーを、たった一人のお兄さんが切り盛りしているので忙しそうだがきりっと感じがいい。英語も、こちらの人ってわりと皆、達者な気がする。最後にお勘定を頼んだらこんな紙を持ってきたのでボラれているのでは、と一瞬思ったが、二人分全部で2500円ほどだから安かった! ★今回でプラハの旅を終わらせる筈でしたが、写真の取り込みに疲れたぁ~。 |
去年の晩秋、鎌倉でバスに乗っていた時、外国人の女性二人連れに、降りる駅のことで英語で尋ねられたことがあるのです。 歩いていると、「プラハ城」というのがどこからどこまでか、わからなくなります。途中でおもちゃ博物館やら何とか宮殿やら教会やら黄金小路、修道院などがぎっしりと建っているんですもの。あとでガイドブックを見たら、すべてをひっくるめてプラハ城というようです。 さぁ、いよいよ聖ヴィート大聖堂がその後ろ姿を現しました。私たちは逆から歩いて来たということですか。ここ、ヴィート広場には大きなクリスマスツリーが地味目な飾りをつけて立っていました。と、突然新郎新婦が歩いてくるではありませんか!付き添いも数人いたかいないか程でしたが、周りの人々と一緒に私たちも拍手などしてしまいました。お二人さん、おめでとう!どうかお幸せに!
長蛇の列の割には早く中に入れました。聖堂内は自由に見学できますから、自然渋滞だったのでしょう。中に入るや色鮮やかなステンドグラスに目を奪われました。下のステンドグラスの中にはミュシャの「聖キリルと聖メトディウス」という作品もありましたがどれだか判りますか? 第二の中庭では17世紀末に建てられたバロック式噴水があり、その後ろの建物は大統領府として現在も使用されているそうで、大統領が国内で職務を果しているときは、新王宮の南翼上方に大統領旗が見られるとか。あ、旗が見えますね。
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あちこちを覗きながら町を歩いていると時間がどんどん過ぎて行く。
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エアフランスでパリまで行き、チェコエアラインに乗り換えプラハに向かった。パリで乗り換えの為、いったん空港内に降りたが、さすがぁ~芸術の都パリ!下の方を見下ろすと素敵なラウンジがあり、トイレに入ればついカメラに収めたくなるようなモダンなデザイン。中にだれもいなかったのでつい楽しくて演歌を口ずさんだりして娘の顰蹙を買う。しか~し、このトイレは後日のパリ滞在中のうち、特別きれいだったことがわかった。便座すらないきたないトイレに驚きっぱなしだったから。 乗り換えで、このラウンジのある辺りからどれだけ歩いただろう。延々と、端から端までは歩いた気がしたが、ドゴール国際空港って巨大だ。帰国の時に早めに空港に入り、中を探検したいと、その時思ったのだが・・・・・。 プラハまでの飛行機はガタガタしていたが、エアフランスより弱冠座席が広い。お茶とお菓子付きの軽食をいただきながらの2時間はすぐに過ぎた。ルズィニエ国際空港到着後、空港でとりあえず一万円を現地通貨に両替し、1,747コルナ受け取った。1コルナ約6円、と、頭に叩きこむ。 次の朝。6時前に一度目が覚め、起き上って窓の外を眺めたが、橋沿いのライトが真っ暗な夜明け前に妙に眩しかった。8時過ぎにやっと明るくなり、ゆっくりと朝食をとる。朝からこんなに食べちゃっていいのかなぁ。オムレツのコーナーでは、旗を渡される。しばらくすると焼きたて熱々のオムレツがテーブル席に運ばれるようになっている。パンもフルーツもなにもかもが美味しい!レストランスタッフの若い男の子が、どこか懐かしさを感じさせるほど初々しさがあり、なかなかいい感じ。ヘッセの小説に出てきそうな・・・・。 しっかりと朝食をとった後、身支度をしてやっと初めて知るプラハの町に繰り出した。プラハではツアーを組まずフリーにしていたので気ままな町の散策のみだ。ホテルから一歩足を踏み出した、もうその場所から、目に飛び込んでくるものすべてが素晴らしい景観だ。
プラハは美しいだけではない。長い歴史を刻んできたそのほとんどの時代において、周辺国からの侵略や影響を多大に受けながらも民族的誇りを失わず、自らの言葉と文化を守り続けてきた人々の気高い精神が町のすみずみにまで染み込んでいる。ここには、連綿と受け継がれてきた本当のヨーロッパが息づいている。かつてヨーロッパの中心として栄華を誇ったプラハには、往時の華やかさを保ちながら、厳しい歴史をも包み込む強さと優しさがある。そんな町のたたずまいに、旅人は心底魅了されてしまうのである。
こんな風に書いていたら、いったい賀状書きやお掃除は大丈夫かしら・・、と思ってしまいましたが、やっと一回目upにこぎ着けました。帰国後、時差ぼけの上、不眠症でした。プラハでは、ベッドに入って3分もしないうちに寝ていたのに。朝起きるまで一晩中寝付けないって、何なのだろう?で、今日は朝からお昼前まで寝ていたら、電話が鳴ったので急いで出たが、ご近所さんからで、「もしや、お休みだったのですか?」 やばい。起きたての声でばれちゃった。 |
訳ありでブログをお休みしていましたが、ついブログ癖で、出かければ写真を撮っていました。ブログ内に幾つか、新たな記事(と言っても古い内容)を混入しましたので、お暇でしたらご覧下さい。今年の6月以降からです。今後も、もしかしたら増えるかも、ですけど、それは自分のため。忘れ去りそうな記憶をとどめるためです。
最近少し落ち着いて来ましたが、年内まで、恐る恐るブログを続けて様子を見ようと思っています。
先月末から娘と海外へ旅行に行ってきたんです。2人の撮った写真数を合計するとすごい数になりました!ピンボケが多いのは同行者が急がせたからかしら。でもヒコーキ嫌いの私が海外旅行に行くだなんて、すごいでしょ!
wikipediaによれば「航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%であるという
(アメリカ国内の航空会社だけを対象とした調査ではさらに低く0.000034%)。アメリカ
国内において自動車に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.03%なので、その33分の1
以下の確率ということになる。これは8200年間毎日無作為に選んだ航空機に乗って一度
事故に遭うか遭わないかという確率である。」だそうです。
ですって。運ですね。
こんな娘からのメールで決心したわけではないのですが、事故が怖い、というより過去にひどい飛行機酔いをしたことで、海外=飛行機=到着まで続く嘔吐感・・・がすぐ浮かんでしまうので躊躇していました。娘が会社をこれから辞めて次を探すまでの間、というと、この時期しかなく、母もどうにかまだ大丈夫そうなので、「パリに遊びに行こうかぁ~?」とふざけて言った言葉がとんとん拍子に実現へと展開してしまったのであります。
行き先はパリ経由プラハそしてパリとモンサンミッシェル。二人だけの個人旅行です。
ブログって ♪写真を発表する素敵な場所♫ なんですよね。手短に少しずつ書く予定の旅行記に付き合っていただけたらうれしいな、と、思います。とは言っても、まだ何~んにも用意しておりません。
この忙しい暮れに果してパソコンの前にデ~ンと座っている余裕があるんでしょうかねぇ?フォト日記だけになるかもです。