ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

パリ二人旅 2 ~モンサンミッシェルへの旅~

2008-12-24 | パリ二人旅

パリ到着の翌日は朝食後、モン・サン・ミッシェルへの一泊旅行をする為、荷物をホテルに預けてチェックアウト。すぐ近くのメトロ=オペラ駅で10枚綴りの回数券を買い、初めてメトロに乗り、一度○○駅で乗り換えてモンパルナスまで行く。そこからすぐの、鉄道モンパルナス駅へ。早目に着いたので、売店を覗いたり、参考も兼ねて駅のトイレにも入って見る。有料なのに汚かったし、5ヶ所のうち3つほどが故障中というお粗末さ。9時05分に出発するTGV(フランス国鉄・高速列車)に乗るには、自分で自動改札機にはさみを入れなくてはならない。これを怠ると車内で罰金を取られるとのこと。娘がそのことを列車に乗る寸前に思い出し、はさみを入れに引き返す。一切を娘に任せている私はラクチンだが、ちょっとでも旅行社から貰った資料等に目を通そうもんなら、心配になる。見ないほうが二人旅は円満に進むだろう・・・??

 

列車の旅をして、フランス広し、と尽々感じた。こんな景色がず~っと続くんだもの。ノルマンディー地方とブルターニュ地方の狭間にある小島に着くまでの田舎の風景の中に、宣伝塔などが殆ど見当たらないのは、美しさを知り尽くしている国民性ゆえなのか、都会も田舎も魅力がいっぱいのフランス。約2時間後にレンヌ駅到着。そこからバスに乗り換え、1時間半ほどで魅惑の島へ到着だ。

 

一見、海なんだか川だか・・よく判らない不思議さを感じるけど、サン・マロ湾に浮かぶモン・サンミッシェルが姿を現すと、バスの中でちょっとした歓声が上がった。(私の声か。)
観光案内のパンフレットやTVで見る写真や映像は、最高のカメラアングルから捉えているので、過度な期待感では臨まなかったが
、やはり、ジャジャ~ン!といった感じで目の前に登場したのは事実。

昔は引き潮時しか島に渡れなかったようだけど、今は陸と島は堤防で繋がっている。バスは島の手前のバス停で停まるが、満ち潮になるとそこは使えなくなり,堤防の中ほどに移動することになる。

ガイド本によると、島の陸地化を防ぐ為、すなわち景観を守るため、島の周囲の砂を取り除く大規模な工事が2003年から始まり、終了するのは2012年の予定とのこと。

島の入口をくぐり、Grande Rue(大通りという意)という、レストランやショップの並ぶ細い通りを上がっていき、私たちの泊まるオーベルジュを見つける。一階はレストランで、2階に事務所があり、手続きをしてから宿泊する場所まで案内してもらう。その同じ建物内だとばかり思ったが、一たん外へ出て、そこから更に上へと上って行き、小さな墓地を横切った所にある、こびとの家の入口のようなドアのある建物に案内された。「眺めの良い部屋」を娘がリクエストしていたからだ、と、後で知る。
部屋の作りはキュートだけどわりと安普請。島内外の周辺ホテルはどこも同じランク(★★★)だそうだ。島内か、対岸か、になるらしい。

 

 

 
荷物を置いてから又、先ほど行った我らがオーベルジュのレストランで昼食。この島は巨大オムレツが名物とのことだが、有名なのはここではなく、別のレストランだった。が、オムレツ好きの娘が注文しない筈はない。半分ずつ賞味したけど、フワフワで思ったほどおいしくなかった。プラハのホテルでの朝のオムレツを食べてしまうと、こんなのはメレンゲ状に膨らんだ塩味の卵を食べているようで、物足りない。ツアーで来る人はたいがい「ラ・メール・プラール」に案内される。ツアー客との合流を避けるには午後3時以降に修道院へ上って行くといい、と言われたが、まさにその通りだった。

          ・・・・・ Grande Rue ・・・・・
 
    
 ↑レストラン・ピエール           ↑オムレツで有名なラ・メール・プーラール

Grande Rueは、人通りが途切れた夕刻にはあかりが灯り、さらに暗くなると、クリスマスイルミネーションがちょっと淋しげに誰もいない通りに光っている。冬場は日帰り観光客が帰った後は、どの店もさっさと店仕舞。

さて、これから修道院のてっぺんまで写真でのご案内で~す。
 老いも若きも・・
 えんやこらさっさ♪          
 
 神秘的に広がる海面の流形に思わず固唾を呑む。
 
 
何気ない蛇口でさえ、よく見ると意匠が凝らされている。
 
最上階の回廊は、美しいシルエットの円柱が中庭を取り囲む。
 
 
 
荒削りにも見える質実剛健な作りの中のいたる所でステンドグラスや壁画、彫像などが優美にここの歴史を語っているようだ。修道院の最上階には緑の中庭が現れ、その周りは円柱が並ぶ美しい回廊となっているし、塀越しに下を見ると“秘密の庭園”にも思える所があった。床に刻まれている字はイタズラ?

 
 

ここはもともとはただの岩山だったが、起源は8世紀のこと、アヴランシュの司教である聖オベールが夢の中で、「この地に修道院を建てよ!」という大天使ミカエル(サン・ミッシェル)のお告げを聞いたことが発端だった。その通り、708年に小さな礼拝所が築かれ、その後、修道院が建てられ、数世紀にわたって増改築が繰り返されて今の形になったという。

百年戦争中は英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を担い、ナポレオン一世の時代には牢獄に使われたという。
2008年から2009年は、修道院創立1300周年の年度。色々な催しが行われているそうだ。100年ひと昔でなく1000年単位でものを考えると、サッと通り過ぎる風のような存在の人間だが、その人間が、素晴らしくもあり、破壊的でもあるから歴史の流れは複雑だ。次に来る人のためにだけを思いながら淡々と生を全うしたいと思うが、なかなか簡単なようでいて難しい。

    

観光客もすくなくなり、広い院内は私たちで二人占め出来ちゃうようにガラ~ンとしてきた。夕日に染まるモンサンミッシェルは一見の価値ありよ、と友人が言っていたので、もと来た道を引き返す。が、島内にいて、どうやってモンサンミッシェルが夕日に染まるのを見れるんだろう?

        
                        
        

堤防を歩くのは気持ちいいが、寒さで体がかじかんで来る。でも夕日の沈むのを見届け、いったん宿にもどってから時刻を見計らって宿のレストランへ。
右と左に二つのレストランがあるのだけど同じオーベルジュのもの。お昼に入った側でない方へ入る。ここのフロアー係りのおじさん?が日本人慣れして、日本語の単語を結構知っている。店内に日本人のマダムグループがいて、ワインをボトルで注文し、日本語で気勢を挙げていた。こんな季節外れでも日本人って世界中を旅しているんだ、と、(自分達は棚に上げ)日本人観光客の圧倒的多さを目の当たりにする。
食事は、ウ~ン、何食べたんだっけ?時間が経つと忘れちゃうんだよね。ブログ投稿日と実際の投稿日と、旅行日がどんどん隔たって行くんだもの。
すべておいしくいただきましたけど、貝は娘一人が食しました。

 
さぁて、食後はまた堤防までブラブラ歩く。というか、夜のモンサンミッシェルって、夕食を終えたら宿に帰る以外、行く所がない。けどこの貴重な季節柄、夜空の下の島のクリスマスイルミネーションを見なくては話しにならないものね。

 

ウヮ~~!!




きれい~!ブルーのイルミネーションにライトアップされた修道院。この時期にしか見られない光景を目の当たりにして二人とも大満足。
宿へと続く
Grande Rueの通りはこんなふうに人っ子ひとりいないし、わが宿の入口(右下)も別世界に足を踏み入れたように感じ、なんだか不思議な気持ちだった。
         
 
翌朝は日の出を拝んでから朝食を取るのに昨夜と同じレストランへ行く。そこで二人の対象的な女性がサービスしてくれた。ひとりはきびきび、もうひとりはおっとりと、英語で恥ずかしそうに話す。女性?かな。何故か映画の一コマに思えてならなかった。9時半のレンヌ行きバスの出発までそこでゆっくりと過す。

 

 さよなら、モン・サン・ミッシェル!
~Au revoir~


パリ二人旅 1

2008-12-23 | パリ二人旅
プラハのホテルを10時半ごろチェックアウトし、タクシーで空港へ向かいました。
空港に着き、13時05分発パリ行きの飛行機に乗る前に、荷物を預ける所では男性係員が優しくて、すでに20キロオーバーしているからパリから日本へ帰国するときは重さに注意した方がいいよ、と親切に助言してくれ、そのまま通してくれました。そのあと、手荷物と身体チェックの所では、靴を脱ぐように言われ、係りの女性が人差し指を頭上でぐるりと回したのです。で、その場でぐるっとひと周りしたら、もう一度同じ仕草をしたので私は又一回りしました。彼女は呆れ顔をし、隣りの係員と顔を見合わせ、しょーがないね~という風に肩をすくめたところで、あぁ、後ろを向け、ってことなんだ、とやっと理解。恥ずかしかったけど、ガムを噛みながら検査する女性の横柄な態度の前で両手を挙げて検査される屈辱ったらないです。色々な人がいるもんですね。
3時ごろパリのドゴール空港に到着。プラハに来る時と同じ空港ですが、空港内に入ってすぐの小さなトイレに入ったところ、汚くて便座がなく、壊れているのかと思いました。娘が、パリはそういう所が多いって聞いている、と言ったので納得しましたが、最初に感激したトイレは何だったのでしょ?
パリはどんよりとした曇り空。タクシーでホテルへ向う途中から渋滞に巻き込まれ、到着したころはすでに夕暮れ時。さぁ、これからパリ滞在が始まるんだ、と思うとワクワクしてきました。
 
    
ホテルはオペラ通りに面して、オペラ座も歩いてすぐの便利なロケーション。
近くには友人が泊まった、という大きな高級ホテルがいやらしいピンクのイルミネーションに染まっていましたが、私たちの所は本当にかわいいロビーに、3~4人入れば満員になってしまうような小さなエレベーターのあるプチホテル。感じはすごくいいし、部屋は広くはないけどお洒落な雰囲気です。トイレの中まで同系色で統一されていて素敵!

      
     
パリ滞在中は、このホテルだけに5泊するので、まずは一安心。
飛行機の中で軽食をいただいたきりだったので、荷物を下ろしてから近くのチャイニーズレストランに行き、久しぶりにご飯を食べました。ご飯っておいしぃ!プラハのホテルでは、朝食に日本食コーナーが設けられていたのでビックリしましたが、朝はやはりパンとコーヒーでなきゃ。
 
夕食後は近所をウィンドウショッピングしながら、ルーブルからコンコルド方面へと足を伸ばし、目を八方に向けながら
よく歩きました。

         
                     ★コンコルド広場前の観覧車 
 
       
                    ★フォーブル・サントノーレ通り 
 

子供服ブティックのショーウィンドゥがおとぎばなしを連想してしまうようなかわいさでしょう?
(写真をクリックしてね)
夜遅く、人通りの少ない道端で、二人でデジカメを構えて撮っている姿を想像して下さい。
 
帰り道、ホテルの斜め前あたりにスタバがあったので、10時の閉店時間の少し前に滑り込みセーフでカフェしてから部屋に戻り、明日のモンサンミッシェル行きの支度を整えました。
娘は電話で、パリにいるサンパウロ時代の幼馴染と連絡を取っていましたよ。数年前にNYで十何年振りかで再開を果たしたConちゃんです。今はパリで仕事をしていて多忙な毎日を送っているようですが、私にとっては20年振り以上になるかなぁ。彼女に会うのがすっごく楽しみ~♪
(2009/Feb/08)
 

プラハ二人旅 5

2008-12-22 | プラハ二人旅



食後、急いで駆けつけたプラハの旧市街広場は、すでにクリスマスマーケットが始まっていた。特設ステージでは音楽グループが演奏中で大勢の人がステージ前
を陣取っているので近寄れないほど。



土産物や食べ物の露店の前も賑やかで寒さなんかどこかへ吹っ飛んでしまいそうだ。このような光景は私がイメージしていた「クリスマスマーケット」とはちょっと違いどちらかというと、日本の縁日のようだ。昼食と夕食をあわせた食事をしたばかりなので、いくらおいしそうな熱々の食べ物だらけでも無理。入らない。ところが娘は大好きなソーセージを見たらもう我慢出来ず、大きなホットドッグを買っていた!私だって味見はしたかったけど・・あぁ手遅れ。ここで色々なものを買い食いしたかったなぁ!



プラハステイ最後の夜は、昨夜に続き音楽を聴きに行こうと思ったが、昨日は私が選んだ所に行ったので、この日は娘の希望に沿うことにした。・・・人形劇も見たいし、オペラも聴きたい。だけど時間が早く始まるので、クリスマスマーケットに行ったあとでも間に合う、8時開演のモノだと・・・と言いながら決めたのは、ホテルから旧市街に行く途中に看板を見かけた「ブラック・ライト・シアター」。 これをずっと見たいと思っていたと言う娘だが私は全然期待していなかった、というか、今夜は由緒ある劇場に行って見たかった。ここは独立した劇場でなく、普通のビルのドアを開けて中に入ったところがミニ劇場となっている。一見、場末の裏ぶれた劇場にも見えるけど、コートを預かるところはちゃんとあった。昨夜行った劇場同様お客の入りは少なく、英語圏の観光客がチラホラ程度。それが・・・始まったらすごいすごい。人とマリオネットが真っ暗な舞台の上を、所狭しとスピーディーに動き飛び回る、そのテクニックがすごい。説明するより劇場のこのHPを見ると、どういうものか感じを掴めると思う。ストーリーがよくわからなくてもとても楽しむことが出来た。各登場人物のグロテスクな不気味さが面白い。一時間程度で終わりるのも、それなりにラクだ。  見終わった後、再度旧市街広場へ繰り出し、昨夜とは別のオープンカフェでホットワインを飲む。行っていない場所を挙げればきりがないが、3泊4日の間、私たちの見たプラハは、「プラハの春」や「ビロード革命」が本当にここで起こったのか、と、疑ってしまうほど穏やかで、人間の本当の豊かさとはなにか、それを少し思い起こさせてくれた気がした。
  

(2009/Feb/01)


プラハ二人旅4

2008-12-21 | プラハ二人旅

プラハ城を後にして、トリムに乗ったはいいけど、カレル橋に一番近い駅で降りたかったのに、あっという間にトリムは橋を渡ってしまった。
慌てて次の停留所で下車したが、どうも切符を渡す必要がないらしい。
そこは色とりどりのトリムが行き来している広場のようなところだけど、標識などを見回しても、チェコ語だと字が言葉として頭にサッと入ってこない。ガイドブックや地図を広げると、わが同行者はとても嫌がるので、もっぱら勘に頼るのみ。ホテル前の橋から数えて4本下の橋を渡ったことになるから・・・一つ上のカレル橋まではたいした距離ではない筈だ。上を見上げると、屋根の上に、今にも落ちんばかりに聳え立つ彫刻があった。大丈夫かなぁ。



 
ふと見ると、見慣れた看板が。スタバだ!(娘をカットしたので縦長に!)
よし、プラハのスタバをちょっくら見学しよう、と入ってみると、中は若者で混雑して熱気ムンムン、座る所もなかったのでさっさと出て来たが、スィーツが日本より美味しそうに見えてしまうのはなんでだろ。プラハの街にはチェーン店は絶対に増えてほしくないけど、スタバの看板にホッとしたのは事実だ。
適当に歩いているうちに・・というか、ナビ嬢のあとに付いて歩いている内にカレル橋の近くにたどり着いた。道端のクラシックカーの列はもしかして観光用かな?

 

 


 



カレル橋はヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の石橋で、全長約520m、幅約10mもの立派な橋だ。今から600年も前に出来たゴシック様式の美しい橋。その欄干には左右15体ずつ、全部で30もの聖人像が並んでいる。一つずつを丹念に見るには残念ながら時間が足りない。夕暮れ時はあっという間にやってくるし、もう食事する時間も惜しんて歩き続けいる私たちだもの。
それでも欄干のこんなのとかこんな彫刻にギョッとしたり、土産物等の出店を覗いたり、ミュージシャン
や大道芸人の

 




ストリート・パフォーマ
ンスがあれば、一応立ち止まったり写真をとったりと、もうすっかり世界各地から集まった沢山の観光客のなかの二人だ。
ガイドブックでカレル橋の彫像の解説を読んだのは、日本に帰国してから。


それもこのブログを書く段階になってからだ。牢に閉じ込められている彫刻がいったい何を意味するのか探した所、「犬を連れたトルコ人が牢の中のキリスト教徒の番をし、その上に聖岩イワンと三位一体会創設者の二人が立っている。」とあった。檻ばかりが薄気味悪く、特に目に焼きついたけど、あの上には立派な彫像がこのように立っているのである。

    
上の写真はプラハの殉教者、聖ヤン・ネポムツキーの像だと後でわかったが、橋上最古で唯一のブロンズ像とのことだ。ガイドは、いるに越したことないが、そうすると自由に街を歩き回れなくなるので、結局どっちをとるか、だ。
この像についてweb上で調べて見たら、幾つものHPやblogでこの像のことが書かれていたので、もうリンクを付けたほうが早い気がするけど、一応、聖ヤン・ネポムツキーがどんな曰くのある人なのか、それらをもとにちゃっかり纏めると、

聖ヤン・ネポムツキーは宮廷の司祭だったが、あるとき王妃の懺悔を聞いた。
その内容が気になった王ヴァーツラフ4世は司祭に問いただすが、人の秘密を明かすことなど決して出来なかった司祭は王を怒らせ、舌を切られ、身をヴルタヴァ川に投げ込まれ殺されてしまった。すると川の中から5つの星が現れ、天へ昇って行ったという。
それで彼の頭の上には5つの星が被さっているのだ。台座の一部の図柄を触ると幸せになれる、という言い伝えから、ネポムツキーの像の前は いつも触る人、写真を撮る人で賑わっている。   
                ということがわかった。
                                    
カレル橋を端から端まで往復し、渡り終えたところもまだ観光の人々で賑わっていた(左)けど、お腹が鳴り出したことでランチがまだだと気付く。
入りたい雰囲気のレストランに出あうまで、あちこちのショップの中を覗きながらの散策は空腹感をも忘れさせるほど楽しい。 

            

        

橋のたもとに「スメタナ博物館」があるはず、と、あまり乗り気でない子を励ましながら?向かうが、これが博物館か、という規模だった。レストランに入る時のようなドアを開け、入場料を払い、レストランの二階へ向かうように上階へ上るとそこだけがレストラン規模の展示室なんだもの。建物の前にはスメタナ像がヴルタヴァ川に向かって堂々とした姿で立っている。
中の展示物は少なく、スメタナの歴史がパネル張りで紹介され、楽譜だとか古いピアノが幾つか展示されている。静かな空間ではあった。

このあと、又、たいして乗り気でない子に、カフカの生家に行って見よう、と提案。もうその前を歩いたじゃない、という娘に、まだ見ていない!と言い張る私。地図をそぉ~っと見ながら探し当てるが、時間が遅かったから中には入れなかった。生家の壁面にご覧のようなブロンズで出来たカフカの頭部が飾ってある。本に「彼は世界や自分の存在の不確かさを見つめ、絶えず不安を抱え、思索にふけりながら毎日をやっとの思いで生きていた。」と書かれていたような、どことなく苦悩の表情をした頭部だ。プラハ城に行く手前には新しくカフカ博物館ができたようだ。 
    

歩いて見つけた,酒屋さんでは棚にぎっしり並べられたアブサンにびっくり。こんなに一般的に売られているということがわかった。以前、夫の友人から頂いたミニチュアセットと全く同じものも見つけた。

娘が中に入ってなかなか出てこなかったのはマリオネットのお店。あらゆる形態の人形が吊るしてある。彼女は自分に似ている人形を見つけたといって喜んでいたけど、どれかな?黒髪の子かな?似ているかな?

何ヶ所かの感じのよいレストランの前を素通りしたが、外観(店を出た時の写真)も中の感じも自分たち好みで、値段もリーズナブルっぽいお店の前を行ったり来たりしたあと、そこに決め、やっと一段落。




壁のあちこちに飾ってあるマンガ絵がおもしろく、つい立ち上がってウロウロしたくなってしまう店内だ。

注文したのはビールとオニオンスープ、それにパスタとチェコ料理の一品。朝から歩きまわったあとのビールの旨いこと!その上オニオンスープが絶品!

  

食後にクリスマスマーケットを見にいくので、レストランには早めに入ったが、出る頃はお客がどんどん入ってきた。地元の人達がほとんどだ。ワンフロアーを、たった一人のお兄さんが切り盛りしているので忙しそうだがきりっと感じがいい。英語も、こちらの人ってわりと皆、達者な気がする。最後にお勘定を頼んだらこんなを持ってきたのでボラれているのでは、と一瞬思ったが、二人分全部で2500円ほどだから安かった!

 ★今回でプラハの旅を終わらせる筈でしたが、写真の取り込みに疲れたぁ~。
  読み手の皆さまも下手な文にお疲れの事とお察しします。
  どうか、写真だけでも眺めてくださいね。
  クリスマスマーケットはたぶん明日か明後日upいたします。(2009/Jan/30)
 


プラハ二人旅3

2008-12-20 | プラハ二人旅



到着日を一日目、としての第3日目。ホテルで朝食をした後、ホテル前を流れるヴルタヴァ川沿いをプラハ城へ向かって歩いていくと、もう見学を済ませて戻ってきた大勢の団体さんとすれ違いました。
田舎からやってきた農協の団体さんのような雰囲気でしたが、年配の女性の中にはほっぺを赤くしてスカーフを頭から被っている人が何人もいたということは、もしかしてウクライナの田舎の方たちかしら・・?
外国で、各国からの団体さんを目にするのはどことなく面白く、お国はどこかしら、とか、何語で話しているんだろう、と耳をそばだてたりしてしまいます。スペイン、イタリア、フランス、ポルトガル、そして英語辺りなら見当がつくのですが、チェコ語や東欧・ロシア語などはさっぱりわかりません。

去年の晩秋、鎌倉でバスに乗っていた時、外国人の女性二人連れに、降りる駅のことで英語で尋ねられたことがあるのです。
降りる駅が同じだったので、拙い英語でそう言いましたが、その女性同士は聞いたことがないような言葉で話しているのです。どうしよう・・・と迷いながらも我慢できず、お国はどこかを尋ねてしまいました。すると「チェコ」という言葉が返ってきたではありませんか!
“Oh、really?I'm going to go to Prague next week!”とか言ったら大そう驚かれ、プラハは日本より寒いからね~覚悟して・・と言われたのです。ブロークンだろうと中学英語だろうと、話してよかったぁ、と思いました。

さて、チェコ橋とカレル橋の間にあるマーネス橋を渡り、前の人たちが歩く方向へと、細い坂道をどんどん上って行き、途中で振り返って見ると、そこには煉瓦色の屋根が美しい、プラハの街の遠景が広がっていました。何度となくパンフレットや雑誌で見たことのある、あの光景です。新しいビルが街の景観を考えずにニョキニョキと建つどこかの首都とは大違いだわ~と、他の人も思ったかどうか、皆、このあたりでカメラを構えていましたよ。

歩いていると、「プラハ城」というのがどこからどこまでか、わからなくなります。途中でおもちゃ博物館やら何とか宮殿やら教会やら黄金小路、修道院などがぎっしりと建っているんですもの。あとでガイドブックを見たら、すべてをひっくるめてプラハ城というようです。

   

さぁ、いよいよ聖ヴィート大聖堂がその後ろ姿を現しました。私たちは逆から歩いて来たということですか。ここ、ヴィート広場には大きなクリスマスツリーが地味目な飾りをつけて立っていました。と、突然新郎新婦が歩いてくるではありませんか!付き添いも数人いたかいないか程でしたが、周りの人々と一緒に私たちも拍手などしてしまいました。お二人さん、おめでとう!どうかお幸せに!

広場で「特設カフェ」を見つけました。カフェといってもおばさんが一人で、紙コップにカフェをついでくれるだけのものですし、大きいポットとちょっとした商売道具が置いてあるだけのもの。
それでも寒空の下、温かいカフェをいただきながら人間ウォッチングをするのは、街ウォッチングをするのと同様、あるいはそれ以上に楽しいのです。

 
この子たちは学校の遠足で来ているのでしょうか。帽子と靴下の色がお洒落なこの一枚は娘が撮ったもの。二人併せると1200枚にもなるデジカメ写真ですから、よし、やるぞ!という意気込みでないとブログupが出来ません。写真をどれにしようか、だけでも時間が過ぎて行きます。
なかなか投稿できないのは、その意気込みが途中で何回もへこたれるから。もう、人に読んで貰おうと思うより、自分のweb上の旅行記だ、と思って楽しんでやるしかないですね。

大聖堂の外壁の至る所に立派な彫刻があります。それをゆっくり見ていると、目の前の大聖堂内に辿り付くのはいつのコトやら、になります。ツアーでないと何でもゆっくり見れますが、急がない分、見学箇所は少なくなるということですね。

やっと聖堂入口まで来たら反対側面へ、と行列が伸びていましたが、もはや並ぶしかありません。その日は土曜日。夜の6時から旧市街広場で、クリスマスマーケットの点灯式がある日だったのです。いくらオフシーズンとは言っても近隣の町からの観光客だって、点灯式を目当てに訪れるでしょうし、その前にプラハ城などを見て来ようか、となるのでしょう。

この大聖堂は、もとはといえば930年に造られたシンプルな教会から始まったそうで、14世紀のカレル4世の時代に、現在見られるような立派なゴシック建築へと、改修工事が始められたとのことです。その後も手が加えられ、最終的に完成に到ったのは20世紀に入ってからだと言います。

     

長蛇の列の割には早く中に入れました。聖堂内は自由に見学できますから、自然渋滞だったのでしょう。中に入るや色鮮やかなステンドグラスに目を奪われました。下のステンドグラスの中にはミュシャの「聖キリルと聖メトディウス」という作品もありましたがどれだか判りますか?

      

     

 

 


大聖堂内を歩いていてふと見上げると、上のようにいかにもチェコっぽい木製の人形を見つけました。チェコの人形って、どことなく不気味だけどそこが面白いんだよね、など話しながらも次から次へと別の魅力的な被写体を探す二人。upの写真に娘がよく登場しますが、人を入れないと記念にならないと思い、ウンザリ気味の子を無視してそこに立ってもらっているのです。
次第に「はい、チーズ!」なんて言っても笑わなくなったり・・・。そんな娘を見ていて、私の娘時代が交互します。父親との旅行で、私ばかりを(景色とともに)撮る父に、しだいに無愛想になっていた自分が目に浮かび、クスッと笑ってしまいます。顔をぼやけさせた方が美人に想像していただけそう!

 
     

 第二の中庭では17世紀末に建てられたバロック式噴水があり、その後ろの建物は大統領府として現在も使用されているそうで、大統領が国内で職務を果しているときは、新王宮の南翼上方に大統領旗が見られるとか。あ、旗が見えますね。
大統領は中にいらしたのでしょうか?
見どころ満載のプラハ城ですが、まだカレル橋を歩いていないので、そろそろ次へと移動することに。こんどは正面から出て、初めてトロリーバス(トラム)に乗ることにしました。バスのことで売店の人に尋ねると親切に教えてくれました。チケットは車内で買えないので、乗り場近くにある販売機で買うこと、販売機はお釣りが出ないので、本当は18コルナ(約100円?)だけど20コルナを入れること、カレル橋に行くなら〇〇と言う所で下車するとよい、などなど。
お釣りが出ないなんて、日本じゃ有り得ませんよね。
トラムはすぐに来たので飛び乗りました。前の人を見ながら、入った所に設置されている改札機に自分で券を入れると、時刻などが印字されるんです。それを下車まで持っているだけで、運転手に渡す、ということはありませんから無銭乗車出来そうな気が・・・?

さ~ぁ、ちゃんと目的の場所で降りることができるかな。


これで「チェコ二人旅」最終回にしたかったのですが、、、もう一回、書かなくては終わりませんでした。〈その4〉を、首を長くして待っていて下さいね。

     


プラハ二人旅2

2008-12-19 | プラハ二人旅

あちこちを覗きながら町を歩いていると時間がどんどん過ぎて行く。
貴重な日中の明るい時間帯をどのように有効に使おうか、と頭を捻らせる間もなく、目ばかりが忙しくキョロキョロとしてしまう。。空港で一万円分しか両替していなかったので、チェドックと言う所と銀行とで分けて少しだけ両替した。観光都市なので両替所は町の至る所にあるが、当然場所によってレートが若干異なる。日本で前もってドルやユーロを買わなければよかった、と思ったほど、円高傾向が進んでいたので唖然とした。銀行を出てちょっと行ったところで、「アッ、H&M がある」、と娘。何それ?の反応は母親。そう言えばどなたかのブログに、銀座店オープンのことが書いていたなぁ、と思い出す。
並ばず、すぐに入れるなんて嘘みたい・・。ちょっと見ていい?と言いながら店の中に入って行くが、ここで時間が取られ過ぎた。H&Mとは、スエーデン発のファストファッションブランドで、お洒落で質がよく廉価であることが人気の理由のようだ。娘の買物は見るだけでも選ぶのでもとにかく時間がかかる。プラハと関係ないこんなショップで時間が刻々と過ぎて行くとはねぇ・・・もちろん想定内だったけど。
H&Mの買物バッグを持って外を歩いていくと、あれれぇ~ベンチに腰掛けている変な男がこっちを見ているよ。娘はちゃっかり隣に座っちゃって・・・ 大丈夫かなぁ。彼、誰なんだろう?
道端のフラワーショップには冬でもカラフルなお花がいっぱい。日本でも見慣れたお花たちだ。

 

足の向くまま気の向くまま、歩いては写真をとり、おやっ、と思ったショップを覗き、又、歩くを繰り返すだけで楽しくてたまらない。左下のウィンドウを見て、何のお店かとドアを開けて中に入ったら自然系化粧品を扱っているお店だった。美人だけど愛想のない店員さんでも、写真を撮らせて貰ったときはニッコリと微笑んでくれた。何も買わず、サンキューと言って店を出る。   

 
 
お菓子屋も雑貨屋もどこも、クリスマスの飾りつけで商品が一層引き立ち、購買意欲をそそるけど、グッとこらえて見るだけ撮るだけ。
路地を抜ければ、重厚な装飾を施した建物が至る所に在る。それがどんな歴史的建造物か、いちいちガイドブックを開いて調べたくなくなるほど多い。左下の天文時計の前を、プラハ滞在中に何度も通ったが、毎正時になると仕掛けが動くためか、その時刻近くにはいつも人だかりができる。右下の旧市庁舎塔の装飾出窓や彫刻なども、すべて歴史を感じさせる立派な造りで、建物好きには数日の滞在では全く物足りない。

               


上の建物の入口には「uni credit bank」と書いてあったので、おそらくオフィスビルの一階が銀行になっているのだと思う。屋根に至るまで彫刻や壁画で埋まって見事だ。左は火薬塔といい、もとは1475年にゴシック様式で建てられた、旧市街を守る城壁の一つだったそうだ。戦災による被害を受け、19世紀末に修復されたという。
歩き疲れ、気がつけばお昼時間をとっくに過ぎて・・というか、すでに夕刻に近い時間だった。どこがいいか判らないので、通りがかりで偶然見つけたレストランに
入る事に。入口にNostalgieと書かれていた。もともとがレトロな街のなかでも、私たちの感じる”今のレトロさ”がある店構え。中に入ると古き時代の女優の写真が壁にぎっしりとならんでいる。ランチとディナーの間の時間帯だったのでお客さんは少なかったが、気取りのないシンプルな雰囲気だ。



  
チェコ料理を適当に2種選んで注文する。どれが美味しいかを尋ねたが、人それぞれ好みが違うから何とも言えない、とのぶっきら棒にも聞こえる、しかし正直な返事だった。感じは悪くない。何が出てくるかは出るまでのお楽しみだった。運ばれたのは左のプレート。特に変わったものもなく、どれも美味しくいただいたが、ボリュームのあることあること!黒ビールは余り好みではないが、ここのは格別のおいしさだった。

お腹が満ちたりると又、元気百倍。ぼちぼち灯りが点き始めた街なかを歩き続ける。路地の奥が広場になっていたり、裏道に繋がっていたり、クリスマスらしい照明で飾られたレストランに出くわしたり、もう、写真に収めたいシーンばかり。

 
        
     

ドアを開けて入った雑貨屋さんでは、お店のおばさんがとっても素朴な雰囲気の方
で、チェコ語と英語でお話したけど何とか通じ合えるものだ。小さな飾りものの卵の殻を、お土産用に購入。

この夜は、歩きながらゲットしたチラシから、当日行われているコンサートを選び出し、その中の一つを聴きに行く予定にしていたので、一度ホテルに戻った。
マリオネット劇場やスメタナホールなど、有名なホールもあれば小さな教会でのコンサートもあり、迷ってしまうが、日時の都合上、幾つかに限られてしまう。

 



結局選んだのは、ザ ベスト オブ モーッアルト&シュトラウス with バレー&歌というもの。いかにも観光客用のコンサートのようだけど、プラハ ロィヤルオーケストラの団員の演奏というからまずまずかなと思ったが、行って見ると、オフシーズンのせいかガラガラ。大体チケット売り場で、頼みもしないのに安くする、と言われた意味がわかった。
団員だか、元団員なんだか、元バレリーナなんだかよくわからないけど、本格的なコンサートを聴きたい向きには全く物足りない。ま、値段もそれなりだからしょうがないか。
ホールを出ると、まん前に建っている市民会館のイルミネーションが眩しかった。



 

又、クリスマスマーケットの会場となる旧市街広場まで行き、寒空の下、オープンカフェでホットワインとピザでの遅い夕食を。毛布も貸してくれるし、頭上の暖房もとても暖かく、ここがプラハだ!プラハまで来たんだ!という実感が嬉しい位に湧いてきた。それにしても、私たち二人でちょうどいい この大きさのピザを、こちらの人は一人分として食べているんだから感心してしまう。

      



 


プラハ二人旅1

2008-12-18 | プラハ二人旅

エアフランスでパリまで行き、チェコエアラインに乗り換えプラハに向かった。パリで乗り換えの為、いったん空港内に降りたが、さすがぁ~芸術の都パリ!下の方を見下ろすと素敵なラウンジがあり、トイレに入ればついカメラに収めたくなるようなモダンなデザイン。中にだれもいなかったのでつい楽しくて演歌を口ずさんだりして娘の顰蹙を買う。しか~し、このトイレは後日のパリ滞在中のうち、特別きれいだったことがわかった。便座すらないきたないトイレに驚きっぱなしだったから。 乗り換えで、このラウンジのある辺りからどれだけ歩いただろう。延々と、端から端までは歩いた気がしたが、ドゴール国際空港って巨大だ。帰国の時に早めに空港に入り、中を探検したいと、その時思ったのだが・・・・・。    

プラハまでの飛行機はガタガタしていたが、エアフランスより弱冠座席が広い。お茶とお菓子付きの軽食をいただきながらの2時間はすぐに過ぎた。ルズィニエ国際空港到着後、空港でとりあえず一万円を現地通貨に両替し、1,747コルナ受け取った。1コルナ約6円、と、頭に叩きこむ。
空港から乗ったタクシーはなんとベンツだった。都心まで約17キロ。町に近づくにつれ、トロリーバスが多く走っていることに気が付く。夕暮れ時にホテルに到着
。ここからタクシーへのチップ、ホテルのポーターへのチップ、と、慣れないことが否応無しに始まる。面倒くさいよね、と言ったら、長年住んでいたブラジルだってチップの国じゃない。と娘。20年以上海外に出かけていないとそんなことすっかり忘れてしまっている。要するに何でも習慣だ。ホテルの部屋は広々して居心地よさそう。窓からはスメタナの「我が祖国」で有名なヴルタヴァ(モルダウ)川が目の前を流れ、遠景にプラハ城の尖端が見える。追加料金を払い二人で選んだホテルに替えてもらっただけの値打ちはあった。
窓際のテーブルには花瓶にが飾られ、バスルームも広くて快適そう♫ 娘はさっそく持参のMacをネットに繋げ、誰かさんと連絡をとっていた。なんと部屋の花は、そして川側の部屋は、その誰かさんの配慮からだったと言うことがわかった。もうビックリだ。旅行前に娘と「空の旅」担当者とのメールでのやり取りで、川に面した部屋をお願いしたら、「指定」には追加料金が掛かりますというので断った。そのことをその誰かさんは聞いていたのだろう。なんて気が利いているんだろう!ホテルで一休みしたあと、二人で街を散策しようと思ったが、その夜は寝不足解消しよう、と、ゆっくりとホテルで休むことにした。

 

次の朝。6時前に一度目が覚め、起き上って窓の外を眺めたが、橋沿いのライトが真っ暗な夜明け前に妙に眩しかった。8時過ぎにやっと明るくなり、ゆっくりと朝食をとる。朝からこんなに食べちゃっていいのかなぁ。オムレツのコーナーでは、旗を渡される。しばらくすると焼きたて熱々のオムレツがテーブル席に運ばれるようになっている。パンもフルーツもなにもかもが美味しい!レストランスタッフの若い男の子が、どこか懐かしさを感じさせるほど初々しさがあり、なかなかいい感じ。ヘッセの小説に出てきそうな・・・・。

しっかりと朝食をとった後、身支度をしてやっと初めて知るプラハの町に繰り出した。プラハではツアーを組まずフリーにしていたので気ままな町の散策のみだ。ホテルから一歩足を踏み出した、もうその場所から、目に飛び込んでくるものすべてが素晴らしい景観だ。


左上はブティックなどの店舗がならぶ、ホテルの向い側の通り。この道を真っ直ぐ行くと旧市街広場に出る。 右は某有名ブランドブティックのウインドウ。ロバが余りにもかわいくて・・。



今回の旅程全般は曇と雨の予想だったが、青い空が見えたので嬉しかった。赤いテントは、翌日から始まるクリスマスマーケット会場の一部で、周辺はその準備に余念がない。観光客を乗せる馬車も町の景観の一部のようにマッチしているね。



14世紀にカレル4世のもとで黄金時代を迎えたプラハ。その時から時間が止ったのではないかと思うほど歴史を感じさせる重厚な建物が連なっている。本当に、「地球の歩き方」に書かれていた記事そのままだ。

                ・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・

プラハは美しいだけではない。長い歴史を刻んできたそのほとんどの時代において、周辺国からの侵略や影響を多大に受けながらも民族的誇りを失わず、自らの言葉と文化を守り続けてきた人々の気高い精神が町のすみずみにまで染み込んでいる。ここには、連綿と受け継がれてきた本当のヨーロッパが息づいている。かつてヨーロッパの中心として栄華を誇ったプラハには、往時の華やかさを保ちながら、厳しい歴史をも包み込む強さと優しさがある。そんな町のたたずまいに、旅人は心底魅了されてしまうのである。
(「地球の歩き方」 チェコ・ポーランド・スロバキア編より)

 

こんな風に書いていたら、いったい賀状書きやお掃除は大丈夫かしら・・、と思ってしまいましたが、やっと一回目upにこぎ着けました。帰国後、時差ぼけの上、不眠症でした。プラハでは、ベッドに入って3分もしないうちに寝ていたのに。朝起きるまで一晩中寝付けないって、何なのだろう?で、今日は朝からお昼前まで寝ていたら、電話が鳴ったので急いで出たが、ご近所さんからで、「もしや、お休みだったのですか?」 やばい。起きたての声でばれちゃった。


お久しぶり!

2008-12-14 | weblog


訳ありでブログをお休みしていましたが、ついブログ癖で、出かければ写真を撮っていました。ブログ内に幾つか、新たな記事(と言っても古い内容)を混入しましたので、お暇でしたらご覧下さい。今年の6月以降からです。今後も、もしかしたら増えるかも、ですけど、それは自分のため。忘れ去りそうな記憶をとどめるためです。

最近少し落ち着いて来ましたが、年内まで、恐る恐るブログを続けて様子を見ようと思っています。

先月末から娘と海外へ旅行に行ってきたんです。2人の撮った写真数を合計するとすごい数になりました!ピンボケが多いのは同行者が急がせたからかしら。でもヒコーキ嫌いの私が海外旅行に行くだなんて、すごいでしょ!

   wikipediaによれば「航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%であるという
   (アメリカ国内の航空会社だけを対象とした調査ではさらに低く0.000034%)。アメリカ
   国内において自動車に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.03%なので、その33分の1
   以下の確率ということになる。これは8200年間毎日無作為に選んだ航空機に乗って一度
   事故に遭うか遭わないかという確率である。」だそうです。
                                        ですって。運ですね。

こんな娘からのメールで決心したわけではないのですが、事故が怖い、というより過去にひどい飛行機酔いをしたことで、海外=飛行機=到着まで続く嘔吐感・・・がすぐ浮かんでしまうので躊躇していました。娘が会社をこれから辞めて次を探すまでの間、というと、この時期しかなく、母もどうにかまだ大丈夫そうなので、「パリに遊びに行こうかぁ~?」とふざけて言った言葉がとんとん拍子に実現へと展開してしまったのであります。

行き先はパリ経由プラハそしてパリとモンサンミッシェル。二人だけの個人旅行です。

ブログって ♪写真を発表する素敵な場所♫ なんですよね。手短に少しずつ書く予定の旅行記に付き合っていただけたらうれしいな、と、思います。とは言っても、まだ何~んにも用意しておりません。
この忙しい暮れに果してパソコンの前にデ~ンと座っている余裕があるんでしょうかねぇ?フォト日記だけになるかもです。