ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

春の陽気に誘われて

2007-02-25 | weblog



今、市内の高洲公園で河津桜が見ごろを迎えています。
はぃ、この桜、伊豆まで行かなくても見れるンです。
夏の花火大会の時は、この辺りまで来て花火を見たのですが、日中訪れたのは初めて。
だだっ広いだけの公園かと思っていたら、年月が経ち、それなりに公園らしくなっていました。
どんな種類の桜であれ、サクラと聞けば、春が来た~♪は~るがき~た♪ ですよね。

先週ちょっと寄ったのですが、表参道のブティックもすっかり春の装いに様変わり。

  

              
 
 表参道ヒルズ

 

 
              ↑
  
イデーショップ エカルテは2月10日にオープンしたばっかりです。
裏道を歩いて偶然見つけてしまいました。青山のブルーノート東京のちょうど前あたりにあった
「idee shop青山」がいつの間にかなくなってしまい、ガッカリしていました。ここのカフェが
割かし好きだったんです。エカルテには、フラワーショップはありましたが、カフェはないようです。

 
                                      

ここも偶然に見つけた、天然酵母パンの店
アコルト」。 入口前の鉢植えが素敵!

        
                   ↑
       ★懐かしきクレヨンハウス も、裏道を歩いていて偶然出くわしました。
        一階の絵本コーナーと、地下の自然食の店を覗いてきました。以前と
        殆ど変わっていないのでうれしかったぁ!
   

そして、今日は、ネイビーさんやpoppyさんがすでにブログで紹介してくださった、
葛西臨海公園の水仙を見に、母と行って来ました。

 

お天気は良かったけれど寒くて、年老いた母子は手足が凍えそうでした。
パークトレインに乗って園内を一周し、大観覧車のあたりでこのような水仙畑を見つけました。
もう満開を過ぎそう!日曜日とあって、「水仙祭り」の垂れ幕があり、近寄ると、お抹茶の席が
設けられて、お琴と尺八の演奏の最中。大学を卒業したばかりくらい?の若者がとっても
上手に演奏していました。「若武者」とか言うグループだそうで、私はすっかりその演奏に
しびれてしまいました。それほど今の時代にマッチしていたんです。    

  

       
 

    冷えすぎて体が硬直してしまったので、ほかは何処も
   見ずに園内のホテルシーサイド江戸川でティータイムとなりました。
   園内はサクラの木も多いので、あと一ヶ月余り後の桜の季節がとっても楽しみです。


チョムスキーとメディア

2007-02-24 | cinema

  MANUFACTURING   合意の 
                                                 
   CONSENT  捏造:
 NORM   
                                                        
 CHOMSKY AND THE MEDIA 
                                                   

先週の夕刊で「チョムスキーとメディア」が2月17日よりロードショー上映されることを知った。

  ◎ ベルリン国際映画祭ほか50以上の映画祭に正式出品され喝采を浴びた
     傑作ドキュメンタリー映画、待望の日本公開!

  ◎  世界一フィクションであってほしい、ノンフィクション。

  ◎ 「チョムスキーの勇気にはいつも敬服している。彼のメディア批判に触れずして、
     映画も インターネットもテレビも観ることは出来ない。
(いとうせいこう / 作家・クリエイター)

という宣伝文と、「チョムスキーレクチャー」という3回の連続トーク企画がある、という内容に
とても引かれた。ちょうどその時、無性に映画を、心に残りそうな映画を見に行きたかった。
トークは、チョムスキーの発言を、映画、インタヴュー、翻訳と、様々な形で日本に紹介して
きた3人のゲストが、それぞれの立場から見た彼の活動についてお話しするという。
第一回目は、2月18日、映画
チョムスキー9.11』の監督、ジョン・ユンカーマン。

初回上映の前の20分間だけのトークだが、これに決め、雨降りの中を渋谷のユーロスペース
まで行った。誘った人はなんと起きれなかった!それとも東京マラソンを見たかったのかな。

ユンカーマン氏は全てを丁寧な日本語で解りやすくお話しされた。日本人だと小難しい
言葉を入れがちだが、彼の日本語は一つ一つの言葉を注意深く選びながらもハッキリして、
聞いていて心地よい。

       ☆彼のこの映画に寄せるメッセージ☆

          力と政治とメディアに関するチョムスキーの分析に一度接したら、
          ニュースを見る目が変わる。受け身ではいられなくなる。
          世界市民としての自覚が強まり、勇気が湧いてくる。
          これが「チョムスキー効果」である。  
                     ジャン・ユンカーマン(『チョムスキー9.11』監督)


言語学者ノーム・チョムスキーの発言を日本に広め、映画制作や平和運動のオピニオン
として日米両国を拠点として活躍されている方のお話しはとても心に響くものだった・・・が、
167分間(途中5分間ほどの休憩あり)ほぼ喋りっぱなしの映画を見終わった後、
ユンカーマン氏が何を話したのか考えてしまったほど、この映画は様々なインタビュー、講演、
討論で溢れた内容のものだった。今考えるとナレーションが確か、なかったと思う。
ユンカーマン氏がチョムスキーの健康に関して、「あまり長くはないかもしれない・・・」と
言ったことと、もっとずっとお話しを聞いていたい、という気持があったことは覚えていた。


この長編ドキュメンタリー映画は、5年という長い年月をついやして1992年に製作され、
世界中で22の映画賞を受賞するも、日本ではいまやっと待望のロードショー・・・ということは、
どういうことなんだろう。配給会社が決まらなかった、と、どこかに書いてあったようだが・・・。
ピーター・ウィントニックとマーク・アクバーという二人の監督の「製作ノート」が興味深い。
資金が底をついてしまったり、助成金が没収されたりし、もともと少ない自分たちの収入を
さらに削りながらも、完成にこぎつけたそのエネルギーは、チョムスキーへの共感以外の何もの
でもないのではないだろうか。
チョムスキーは映画化について快諾したが、映画の中で、
「喋るばかりの映画なんて、見たいと思う人はいるのかね?」と、ちょっとジョークっぽく話していた
場面が印象的だった。

                      
                ◆    ◆

  「現代の民主主義国家におけるプロパガンダは、政府による閲覧や悪意による報道の
  歪曲ではなく、マスメディアが持つシステムそのものによってごく自然に行われている。」
                     
 
  このノーム・チョムスキーの分析が、映画の主役である。報道の現場にいる人間さえも
  ほとんど意識することのない構造的な問題を、チョムスキーは膨大な事例を用いて
  綿密に検証してみせるのだ。
                         ◆    ◆

前半では東ティモールとカンボジアで起きたジェノサイドー集団虐殺ーについて、大手新聞社の報道の仕方を比較。後半はチョムスキー発言への反論者も沢山登場し、喧々諤々。
「あなたは、ただの夢見る少年と同じだ!」等等、現場を知らない“思想家”の戯言だと言わんばかりの発言を浴びるも、
討論が、面白くなったかと思うと別の場面にすぐ移行することが多く、その辺りが物足りず、満たされなかったが、映画にするにはそうでもしないと、際限なく長いものになってしまうからだろう。

それにしても、1975年12月7日、東ティモール、ディリへのインドネシア軍の
侵略の映像はショックだった。

   大切なのは自分で考え、伝えること。ひとりひとりがメディアになれる。     
  捏造された“世論”を疑い、他者との連帯を深める中で自分の価値観を身につけること 
  によって、人々は知的に自衛できる、とチョムスキーは説く。彼の主張は、時代そして   
  国境を越えて、現代の日本を生きる私たちが自分の生活の主導権を取り戻すための 
  強靭な手がかりを与えてくれるだろう。変化をもたらす力は私たち自身の手にある。この
  映画はそう教えてくれる。(作品解説より)                                                               


勿論、チョムスキーの言っている事をも含め、物事をただ鵜呑みにせず、「民衆をスポーツに
熱中させている」間に世の中の大事な取り決めがなされてしまわないようにはしたいものだ。
メディアが描く世界観から抜け出すには努力が必要」という言葉は、メディアが描く世界観
とは何か、すぐにはピンとこない私には、じっくりと噛み砕く必要があるかもしれない。
でも・・・、平凡に、ただただ国の平和を、世界の幸せを願っている人間とか、敵味方の意識の
希薄な戦争体験のない人間にとって、もしかしたら、努力なしでは見えてこない世の中が
きっとあるのだ、と思う。疲れる世の中だ。
チョムスキーの言う「
Convenient Myth
」(コンビニエント・ミス=都合のいい神話)という言葉は、
今話題の、ゴア元米副大統領出演の「An Inconvenient Truth」(インコンビニエント・トゥル
ース=不都合な真実)という言葉となぜか同じく聞こえる。
《NOT FIT TO PRINT》という箱の中に入れられてしまう「不都合な真実」の記事群。
沢山の活字が選別され、切り取られ、その箱に投げられるシーンは、どんなだったっけ。
映像がめまぐるしいのと、字幕を読むのに追われ、息つく暇もないような映画だったが、
集中していたせいか、短く感じられた。
入場券が二千円もしたが、その半券を使えば2度目は1200円で見る事が出来るが、
娘が4日なら行ける、というので渡してしまった。果たして朝起きれるかが問題だぁ。


       チョムスキー・レクチャーはあと2回、各AM10:10~10:30。

       2月25日(日) 「チョムスキー教授に学ぶこと」    岡崎 玲子
       3月 4日(日) 「オルタナティブ・メディアの実践」   中野真紀子

     

つぎは「不都合な真実」でもみようかな・・と思ったが、このビルのなかに、Q-AXシネマ
というのもあって、中国映画「孔雀」を上映中だった。三つ編みの女の子がミシンで縫いもの
をしているポスターが気になってしまい、見たくなった。
又、一階にはカフェダイニング 《Theater6》があり、美味しそうな匂いがプ~ンと漂っていたが次回のお楽しみとする。
この一帯はラブホテル街で、ぶらぶら歩いて「見学」していたら、名曲喫茶「ライオン」を
見つけた。千代田稲荷神社も見つけたし、このあたりが「しぶや百軒店」なんだ、と、やっと
懐かしく思いだした。昔、ジャズのお店があったので、周りの環境もよく見ず、そこだけに何回か行ったことがある。
家でこれらのことを話したらパパが、「そのあたりだよな、東電OL殺人事件があったのは。
その神社あたりじゃないか、いつも立っていたというのは」と言い出した。
話を聞いているとやたら詳しいので何故かを聞くと、よく調べ上げた本が出ていて、読んだことがあるという。
加害者だと疑われているネパール人がわが町のインド料理屋でも働いたことがあったそうで、未だに真相は闇の中だそうな。

  
      
千代田稲荷神社                名曲喫茶ライオン            ライブハウス O‐Crest


  またまた長くなり、追記あり削除ありでご免なさい。 適当に読んで(見て?)やってください。
   

 

 

  

 


蘆花公園の思い出

2007-02-17 | visit/drive

 

 この写真をアップして、どこかで見たことがあるなぁ・・・と思いました。
よく考えて見ると、一年前の、砧公園で写した風景でした。
こんな風でしたね。
一年分の枯れ葉の上を、履きなれた靴でサクッサクッと歩く心地よさ。
視界を邪魔するものがない、見たままの光景に見えるのは、画像のトリックです。
例え、本当はそこが写真よりも狭くて周囲の家並みや東京ガスの丸いガスタンクが目障りで
あろうと、それを外せばこんな風だし、
蘆花恒春園」は、この地以外にはないのです。

連休最後の月曜日に蘆花公園に遊びに来ました。去年のゴールデンウィークに伊香保で、
徳富蘆花記念館に寄っていたので、ここは特別親しみがあります。
とは言っても初めての場所ではありません。私の卒業した小学校の、最初のクラス会が
どういうわけか、蘆花公園だったんです。多分、先生が港区からこの近くに引っ越されたから、
この場所になったのではないか、と思っています。クラス会の幹事さん、一体誰だったかなぁ?
で、この話は何十何年前のことになるのやら、数えたくないですが・・・。

  小学校の時の担任のI先生は、個性的という意味の、その上を行ったような先生でした。
  教室の先生の机が、油絵具だらけの、まさに先生のアトリエのような場所だったんです。
  見慣れてしまうとどうって事ないのですが、自分が一応「母親」になってから特にI先生の
  ことが懐かしく思いだされるようになりました。
  日教組のデモに嬉々として「いってくるぞ~!」と生徒に言うし
  クラス一出来る男の子が、あまりにも生意気な発言をするのを見かねて、黒板付属の
  チョークの入った引出しをその子目がけて投げつけたりするし、音楽の時間に、音楽室の
  ドアの隙間から、自分のクラスの子供たちの様子を覗いたり、隣のクラスの女の先生が
  用事で我がクラスに来ると、ジョークを交わさなきゃ気が済まない。
  例えば理科の授業で10分間勉強させた後、隣同士で問題を出し合わせ、点数の
  よい順に席替えをする。(これはどっちかというと記憶力のテストでしたので、勉強の出来
  不出来だけの問題ではなかったのです。)
  その上、クラスの3分の一ほどの子供たちを私立に中学受験させてしまう。
  そのために、放課後の特別授業を勝手に設けて、残りたい子は残って勉強させる。
  その対象は、別に受験したい子でなくてもよかった。

  当時は公立志望が圧倒的に多く、そこから、港区なら都立日比谷高校へ行く、という
  のが、最も一般的なエリートコースでしたが、このころが、公立・私立の人気の入れ替わる
  転換期だったのかもしれません。
  今の世の中なら、I先生のような方は絶対に生徒の親からクレームがついたでしょう。
  その頃のクラスメートはといえば、勉強の好き嫌いに関係なく、先生が大好きだったし、
  親だって、先生のやることは絶対視していた時代でした。
   信頼されて、人は伸びる。先生だって人の子です。
  先生は自分の信念通り、のびのびと聖職の仕事に打ち込んでいたし、特にI先生は、
  その年を最後に学校を転勤の予定だったので、まさにやりたいことを全部やってのけた、
  っていう風でした。
  卒業式の前には、クラスの全員に一枚ずつ、自分の作品をプレゼントして下さいました。
  誰がどの絵を選ぶか、は、先生らしく、くじ引きになりました。
  そして、一番のくじを引いてしまったのが、この私だったのです。
  生徒の前評判のよかった白樺の絵。だれもがこの絵をほしがっていることがわかりましたが、
  私は本当は別の絵のが良かったのです。でも、一番を引いちゃったからには、やっぱり
  白樺の油絵を選ばなきゃまずいかなぁ・・・って気持ちが、どうしてか働いてしまい、
  それを頂くことにしたのです。その時のみんなのため息が、まだ耳に聞こえてきます。
  最後の日、先生は、お教室内のあらゆる私物を生徒に分け与えました。
  「おい、ビアンカ、お前はこれでも読んでもっとやさしくなれよ!」と、渡されたのはイエス様
  の本でした。先生は私が白樺の絵を、一番ほしいと思っていないのに選んだことを
  知っていたのでしょうか。あるいは、照れ屋だったので、心では思っていても、思いやりの
  ある言葉を素直に言えないことを知っていたのでしょうか。

そんな先生と、小学校を卒業してから初めて会ったのが蘆花公園だったのです。、
その時が最後となり、今、I先生が何処でなにをしているのか、まだ生存しているのかさえ
わかりません。公園としては特に印象はありませんでしたが、中学生になって、先生を
背丈で抜かしてしまった申し訳なさとか・・先生が、ちょっとの間に大人っぽく成長してしまった
生徒たちを、まぶしくも一種の緊張感を潜ませて見つめているのが私には判ってしまい、
無邪気だった小学校時代を無性に懐かしく感じたその日のことが、この公園の中に佇み
ながら、ひらひらと頭の中を渦巻く淡い記憶の断片として・・・
思い出されました。

         ◆ ◆ ◆    ◆ ◆ ◆  ◆ ◆ ◆  ◆ ◆ ◆  ◆ ◆  ◆

                                  
       
                         
   
     
徳富蘆花夫妻のお墓の前で水を飲んでいる野良猫にはびっくりしましたが、このあたりは
野良猫が住み着いているようです。みな人なれしたようで、お腹がだぼついています。
ここ、千歳村粕谷の地で、晴耕雨読の生活をしていた徳富蘆花。
生活の感じられる母屋の中を、4時閉館のぎりぎりに覗くことが出来ました。
一つ一つが、蘆花によって選ばれ使われたものなのかぁ~と、シンプルながらも美しく、
使い込まれたものたちを見ながら当時の作家の生活を偲びました。
このほかにも記念館や竹林などがあるのですが、時間が遅かったので次回のお楽しみです。

  
   
 
 
 広場のトイレの前で発見した素敵な椿の名前は、「ト伴」(ボクハン)。
  殺風景な冬の公園のなかで、飛びきり花やかに咲き誇っているこの椿に、しばし
 うっとりと見とれていました。

  

さて、いつものように帰りにはアフタヌーンティーをしよう、ということになりました。
来るときは首都高を新宿回りで来たのですが、帰りは環八を用賀方面へ走る事にしました。
ちょっと走った所で、あぁ~~!と思った場所を見っけたんです。ちゃんと駐車場があるし、
ガラス張りの大きなウィンドーから店内が見通せました。
そこは、***神戸屋レストラン芦花公園店*** でした。
帰りにはここで美味しいメンチカツを夕食用に買って帰路につきました。

 

 

 


散歩道でみつけた!

2007-02-12 | visit/drive

国立新美術館を後にして、来た道とは別の路地を通って、外苑東通りに抜けました。
六本木は、ヒルズはともかく、最近滅多に歩かないので、主だった場所以外はさっぱり
わかりません。こうしてほんの少しの距離をぶらぶらしていただけでも、あれっ、と思うような
作りの建物に遭遇しました。昼と夜とで、別の顔を持つこのあたりは、昼には固く扉を
閉めている店が多いのです。
「Tatou東京」はレストラン兼クラブですが、ウェディングにも利用できる場所。
壁の亀裂に目を奪われ、中を覗きたくて扉を開けようとしましたが 閉まっていました。
                                       
       
                      
   TATOUとは天使のラッパの意味です。
   1980年代、当時のニューヨーカー達の伝説のレストランクラブとして
   TATOU NEWYORKが一世風靡し、クリントン元米国大統領が
   自身の選挙キャンペーンでサキソフォンを演奏したシーンが全世界に
   配信されました。そして1995年、東京六本木に新しいゲストハウス
   としてTATOU TOKYOが生まれました。 (webより)
                                


同じ並びで見つけたのは、すてきなお花屋さん「
フラワーショップ ノンノ」。
主人らしき男性が、店員さん達を集めて何やら指示していましたが、目が合っちゃいました。
お客だと思われたのでしょう。この方が、つちや さんかぁ・・・と、ネットで検索して知りました。
温かい感じの花屋さん。六本木交差点近くの
殿堂のようなフラワーショップ
は素晴らしいけど、
私のための花屋さんでないことは間違いなし。ここは、いいなぁ。

  
                        
Bourbon St.は、もちろん店名です。
                          ここもそうですが、左下の
                          Harrington Gardens のB1でも
                          JAZZをやっているようです。
 
  
 
               
ふと上方を見上げると、来月30日にオープンする東京ミッドタウンが聳え立っていました。
美術館へ行く時は、まだ工事中のこの前を歩きましたが、高さがありすぎて写真が撮りにく
かったので断念。地震国日本に、増え続ける超高層ビルたち。
大丈夫なのかしら、ちょっと心配になります。
 

 
通りに出るちょっと前で廃墟同然のこんな木造建物に魅了されました。右端の家も木造。
                        
キョロキョロしながら、外苑東通りにやっと出ました。同行の友達は、私の散歩の仕方に
半ばあきれ顔。随分とお待たせばかりさせちゃったなぁ。どこかでゆっくりお茶でも・・・という
事になりました。ここから乃木坂を下って赤坂へ抜けるか、飯倉から東京タワー方面へ
抜けるか、で迷いましたが、飯倉のキャンティに行く事にしました。
どこかのお店の店頭で見つけたインコ。名前が書いてあって、呼ぶと嬉しそうでした。

 

飯倉片町の交差点を過ぎてちょっと行くとお目当ての、ナツカシきお店が現れました。
昔、一階にはブティックベビードールがあったのですが、店員さんに聞いたら「さぁ~」との返事。
若い人だったので知らなかったのでしょう。
もう一人の店の方が知っていて答えてくれました。
私は「
キャンティ物語」も読んでいたので、以前のオーナーである、川添浩史・梶子夫妻に
ちょっとばかり憧れていたんです。

 

キャンティは・・・・
”子供の心をもつ大人 たちと大人の心をもつ子供たちのために”
                           ・・・つくられた場所です。
と言うキャッチフレーズが、なかなか唸らせます。

ティータイムはホテルでケーキセットを頼むよりお高いですので、こんどは誰かさんと
ランチでもしに来たいと思いました。
このあと、同じ並びにある、ここも懐かしいロシア大使館前を通りました。前を通っただけ
なのにガードマンが、「はいっ、こちらは、ロシア大使館でございます。」と、まるでガイドさんの
ように、話して来たので可笑しくなっちゃいました。昔の印象は
硬かったんですよ~。

東京タワー前を通り・・・というより、メチャクチャ懐かしい場所ばかりを通りぬけて、結局
浜松町まで歩いてしまいました。ここで小便小僧の像を見るつもりが、ちょうどホームに
東京方面行きの電車が止っていたので、思わず飛び乗ってしまいました。
あっ、小便小僧が・・・と、思った時は後の祭り。
思いがけず、
カメリアさんブログで拝見できた時にはもうビックリしてしまいました。
同じ電車だったのかしらぁ~?

    ★そんな訳でいつものように、数日も前の内容ですが、ご勘弁の程を。   

 

                         

                                


初めての国立新美術館

2007-02-10 | art/exhibit/museum

                  

                 お誘いを受け、オープンして間もない国立新美術館まで、
       《異邦人たちのパリ*1900-2005》ーポンピドー・センター所蔵作品展ー
    を見に行ってきました。展覧会そのものよりも、黒川紀章の建築した建物
  の方により興味があったのですが、今回もお陰さまで、招待券を持っていた
友達からお声が掛かったので幸運でした。
          

         

        黒川紀章氏設計のこの美術館の外壁は、このように平らに並べた
        板ガラスで覆われています。近くで見るとどーって事ないのですが・・・

 

  少しずつ角度を付けながらガラスをつないでいくと、美しカーブが出来上るのですね。
  写真を撮りたくても、巨大過ぎて上手い具合にファインダーの中に収まりません。
  全体像はホームページでご覧下さい。

  さて、このエスカレーターで2階に上った所に、今回の作品展の会場があります。
  新美術館のオープン記念のこの展覧会は20世紀初頭から現在に至るまで、
  パリに行って、パリを制作の場所にした外国人芸術家81人の作品約200点が
  展示されています。外国人、といっても、フランス人以外と言う意味ですから、
  有名な画家の絵も多く、絵画の他、白黒写真や、彫刻なども見る事が出来ました。
 
             

            
             ★レオナール・フジタ (日本)  
「画家の肖像}
 
 このオカッパアタマは、貧困のパリ時代に、自分でカットしていたそうで、猫と共に、彼の
  トレードマークとなっています。有名な「カフェにて」他、何点か、展示されています。

  ヴァシリィ・カンディンスキー (ロシア) 《相互和音》   
          
       アメデーオ・モディリアーニ (イタリア) 
             《デディーの肖像(オデット・ヘイデン)》

    
            マルク・シャガール (ベラルーシ)
                                           「エッフェル塔の新郎新婦」 
           これは、シャガールと妻のベラがモデルだとのことで、テーマは[夫婦愛」。
                                           
                                                                                                      

       ヴィクトール・ヴァザルリ (ハンガリー) 
                   
       「V ボグラー」  
                          錯視効果のある、興味深い連作の一つでした。
      

    マックス・エルンスト (ドイツ)
                                         「フランスの庭園」
    こんなタイトルですが、蛇が女性を呑み込む?の図に見えます。
   女性の足に絡まっているのも、蛇じゃないでしょうか?

他にもピカソミロ(サインがキュート!)ジャコメッティなどなど、さすが、ポンピドー・センター
所蔵作品展、と思わせるような内容でした。写真家では、ドイツ人ウィリー・マイワルドは、
第二次大戦中、敵国民として捕えられた一人。彼はクリスチャン・ディオールを主に、
カルダンやランバンのファッション写真を沢山残しています。
有名なマン・レイの写真もありましたし、ナチスから逃れてパリに来たジゼル・フロイトンの、
著名人達のポートレートは非常に興味深かったです。若き日のサルトルやアンドレ・ジッド、
マルローなどのモノクロ写真は、これがプロの写真家だ、と思える素晴らしさでした。
中でも、何故かわからないけど、「ヴァルター・ベンヤミン」という、ドイツ人のポートレートは、
心に残りました。

            

                  

同時開催の黒川紀章展ー機械の時代から生命の時代へーは、講演会が面白そう。
彼の有名な、「カプセルタワー」は、建築家の名前を知らないウチの息子でさえ、知って
いたのでビックリしました。彼の設計した建物のミニチュア模型が実に良く出来ています。

お昼はフランス・リヨンの地以外は出店した事のなかった「ブラッスリー・ポール・ボキューズ」が、
世界に先駆けてここにオープンした、とのニュースを友達がキャッチしていたので、そこに
しようかと思いましたが、すでに長蛇の列だったので、あきらめ、一階の「カフェ・コキーユ」で
簡単に済ませました。
食後は、アートライブラリーに寄って、立ち読みしたり、地下のミュージアムショップを覗いたりと、
「広すぎる!」と文句を言いつつも、最先端を行くミュージアムの中にゆったりと身をおいて
楽しみました。

             

                   昭和三年(1928年)竣工
                    東京市麻布区新龍土町
                      縮尺 1 : 100
  ☆この模型は、新美一階に展示されていた陸軍歩兵第三聯隊の兵舎の模型です。
    龍土町って呼び名、とっても懐かしい~!



   ここは昔、日本帝国陸軍第一師団歩兵第三連隊(通称:麻布三連隊)の
   兵舎のあった所でしたが、敗戦後は連合軍に接収され、「ハーディ・バラックス」
   と呼ばれる施設と兵舎群が建設され、その後、敷地の大部分は返還されて、
   北側の旧三連隊兵舎は東大生産技術研究所をへて2000年に取り壊され、
   敷地は国立近代美術館用地になったそうです。

と言う記事を
ここで探し当てましたが、ちょうどその場所を、美術館の外にいた警備の方が
教えて下さったので、中には入れませんでしたが写真だけ撮ってきました。

        
        
        東大生産技術研究所の名残の部分ですが、
        ガラス質より、雰囲気があるなぁ・・・と思います。いい感じ!

長くなってしまいました。これから出来るだけショートブログにしようと思っているのに、
ついつい・・。しかし、まだ、どうでもいいような続きがあるのですが!
気が向いたら次回に書くことにします。ね。
       

 

 


そのひと言で・・

2007-02-05 | weblog

ちょっと気にかかる事があると、次の日まで後味が悪く、すっきりしない。
週末に、母と姉、そして甥と 
用事を済ませた最後に、スーパーで買い物。
レジが混んでいたのですいている所を探して並んだ。
母の買い物は私達の為の苺のみ。
二つのレジの間に2列並ぶようになって、それぞれ左右のレジでの精算となる。
どっちかすいている方に、と思い、母と私はわざと別々の列に並んだ。
私の順番のが早く来たので、母が「そっちのが早いね」と言ったと同時に私の前にサッと入った。
母の買い物のレジ打ちを始めるや、後方から何やら言っている声が聞こえた。
母は耳が少し遠いので、苺をそれぞれ別の袋に入れるように頼んでいたのだが、
まずいなぁ~と思いながらも、私には、これから起こる事がすぐに予測できた。 
苺だけだから、私の買い物カゴに入れて、一緒に精算してもらう筈だったが、
母が、袋分けする事をレジの人に頼み始めたので、まずい!と思った。
すぐ後ろに並んでいた男性が出てきて「そりゃぁ、ないんじゃない?みんな順番でならんで
いるんだよ。」と言い始めた。
「私の母なんですけど!一緒に精算しようと思って・・・」と言っている間に、苺だけの精算は
すぐ終わってしまい、支払った後にその意味を理解した母は頭を深々と下げて何度も彼に
謝っていた。で、彼は「そりゃあまずいよな。ねっ、考えようよ!」と、母に言ったのだ。
私はただ、「済みませんでした。お先にどうぞ」と、その人を先に行かせた。
彼は私とは目を合わせず、ひと言もかけずに、当然、と言わんばかりに山ほどの買い物カゴ
と共に私の前に並んだ。彼の妻子はその間に、レジの前方へと、
すり抜けて行った。
彼30代。妻20代と言う所だろうか。
どんな理由があるにせよ、隣からこっちに割り込んだんだから、割り込む方が絶対に良くない。
その通りである。明白な事実だ。

たったこれだけの出来事だったが、母が、レジを終えたあと、彼の膨大な買い物と、私の買い物の精算が終わるのを、隅っこでジ~ッと待っていた。その時の気持ちを察するとちょっと辛かった。

家で、子供達やパパにこの話しをしたら、「そりゃあ、おばあちゃんが悪いよ。」と、私が予期した
通りの答え。「でもさぁ、82になる人に、“考えようよ”は、ないんじゃない!」と私。
「おばあちゃんって、自分の得になる事を考える人じゃぁないんだよ。人のためになることしか
考えない人に、“考えようよ!” とは、なんだよ。“てめぇだろう!考えるのは!”
と、つい言いたかったよ!」「でも相手はおばあちゃんのことなんか知らないんだよ」
「確かに、自分だって、割り込まれたらいい気分しないけど、お年寄りならシァ~ナイ・・・位で
終わりになるんじゃない。そこまで正論を通すのかね?」
「今の日本はそんなもんだよ。そんなこと沢山経験しているよ。」と、二人。

次の日、母の家に寄ったら、「昨日は怒られちゃったね。一晩中滅入っちゃって寝れなかった。」
と言う。母だったら、自分がそうされた場合、絶対に「いいですよ。お先にどうぞ」と言う方だから、
孫くらいの人に怒られた事にビックリし、ショックを受けたのだ。
なんだか可哀想になってしまい、あの時私が、「お母さん、そんな事しちゃダメよ」と、きっぱり
言うべきだったのだろう。

あの彼の、順風満帆な顔立ち、真っ赤!な皮靴姿が、私にはとても貧相に写った。

えっ、逆の立場だったら?
もちろん、「ちょっと、ちょっと~、ずるいんじゃないの?」と、口まで出掛かった言葉を、
相手次第で呑み込むか、吐き出すか・・・?ウ~~ン。
人間って勝手。結局自分中心で、自分がいて、周りがある。誰もがそうなのかもしれない。
で、自分って、何だろう?だれだろう?

言葉っていうのは、こんな些細なひと言でも相手を打ちひしがせるものだ、と、尽々思う。
私はどれだけの暴言を吐いて来たことやら・・・・と、ふと、想像したりすると、愕然とする。
言葉は、少なくとも、それを言う相手を選ぶべきなんだろうな。
私が昔、何かのことで、軽い意味でパパに「パパって最低~!」と言ったら、怒り出したのだ。
「俺のどこがそんなにさいてーなんだ!」と。
そんなに、ムキになるような内容でなかったのに、こんな言い方、彼には通じないのかと悟った。
父には、論議しながらよく、「お父さん、最低~!もう絶対にいや!」と良く言ったものだが、
笑っているだけだった。「最低」の意味が通じ合っているからなのだ。
あるいは父と夫との差なんだろうか。

仲良くもなれば、それで終わりにもなってしまうひと言。
こんな年になっても、ますますその難しさを日々感じてしまう。

 





 


ディズニーシーでの楽しみ方

2007-02-03 | visit/drive

 

仕事休みの平日。朝10時に舞浜駅改札口で待ち合わせ。
まだ行ったことが無い、と言う友人を誘ってディズニーシーに行ってきました。

折りしもスペシャルイベント「シーズン・オブ・ハート」実施中とのこと。
上の写真のような帽子をかぶった若い人たちが多く、この一枚だけ、お願いして
写真を撮らせてもらいました。「帽子を撮らせてね」と言ったため、俯かれちゃって残念。
とても可愛い女の子でした。
♥・♥・♥・
♥・♥・  シーズン・オブ・ハート   
私たちがまず向かったのは、去年の9月にニューオープンのTOWER OF TERROR
ファストパスだと午後4時になる、と言われ、待ち時間40分の列に並ぶ事にしました。
実際には30分弱の待ち時間でしたが、お喋りしながらだとあっという間でした。

             

オーナーの謎の失踪により閉鎖されたホテル ハイタワー。
ニューヨーク市保存協会主催のツアーで体験する恐怖のホテル
「タワーオブテラー」のミステリー!

エレベーターが急下降・急上昇を繰り返します。気分の悪くなりそうな快感。
ですが待つ時間を考えると、その快感もあっという間に終わります。
 私にとって お
初! ウ・・ウォエ~!

次に見たかった「ビッグバンドビート まで一時間ほど間があったので、ートディスカバリー
までレールウェイに乗って行き、
アクアトピア」 に乗りました。水上のティーカップって所かな。
乗り終えてからすぐに、来た道を引き返してブロードウェイ・ミュージックシアター へ。

あぁ、いそがしい!いそがしい!《時計を持った不思議の国のビアンカ》 になった気分だわ。
うまく案内しなきゃぁ・・との思いと、友に引っ張りまわされている!感が、微妙に入り混じって
いるんです。旅慣れている人って、初めての所でも、行動のコツを知っているんですよね。
「で、次はどこ?次は?」の言葉に、時計とアトラクションの時間とを見比べながらも
冷や汗ものです。

            
「アンコール」から「ビックバンドビート」に変わってから、お初!でしたが、スウィングジャズと
ミュージカルはなかなかのもの。こんな遊
園地でのショーなんて・・と、馬鹿にするのは大間違い。
皆、厳しいオーディションを通過しての、選ばれた方々なので、大いに楽しませてくれます。
最後にはミッキーがドラマーになって熱演し大喝采を浴びました。

お昼は軽く、と言われ、近くの ニューヨークデリ で温かいサンドイッチとコーヒーを頂きました。

  
 テーブル上に窓ガラスの文字がくっきりと映るほど、暑いくらいの日差しでした。


ゆっくりと休憩したあと、館内をブラブラ歩きしていたら、満開のチューリップのお花畑が
目に飛び込んできました。ネイビーさんブログなどでディズニーリゾートの素敵な画像を
何回となく目にしていたので、実際にこの目で見ることが出来、大満足でした。
まだ真冬の時期だというのに、まるでここにだけ、ひと足先に春が来たようです。

 

 メディテレーニアンハーバーでのショー「レジェンド・オブ・ミシカ」は、この日、午後2時半の
一回のみ。始まるまで一時間あるので、「
センター・オブ・ジ・アース」へ行く事にしました。
待ち時間5分。うれしぃ~!
これは地底世界をジェットコースターのような乗り物に乗って探検するもの。ここが開園する
前に、プロメテウス火山の噴火の予行演習を、「うゎ~あれはなんだ~?」と、見ていた、
ちょうどその場所。気持ちよく?絶叫しまくり、ストレス発散に最高。
出口の所でその時の写真がすでに出来上がって売っていましたが・・・買いませんでした。

ちょうど良い時間となり、「レジェンド・オブ・ミシカ」を、ミラコスタの対岸あたりで見学。
コンクリートに、彼女のマフラーを敷いて座っていたにもかかわらず、お尻が冷え冷えとして
しまいましたよ
。友人はこのショーが一番気に入ったようでした。

                         

もう一つくらい乗り物に乗りたい友を、今度はロストリバーデルタにある、
インディー・ジョーンズ・アドベンチャー と レイジングスピリット に連れて行きました。
 
 
                  ↑ギャ~~ッ!・・60度回転してるよ~!
    
3つの絶叫マシーンのどれもが待ち時間5分だったのが本当にラッキーでしたが、平日は
こんなものなのでしょうか?口を張り裂けんばかりに開けて、恐怖の急降下になる前から
すでに絶叫しているんですからね。一回転してしまうレイジングスピリットに乗ったあとは、
二人ともフラフラ。でもやっぱり気分爽快です。
昔、後楽園で宙返りロケットに乗り、やみつきになりそうだった事を思いだしました。

一緒に行く人によってはこのような乗り物に全く乗れないこともあります。
先日、娘が、レイジングスピリットが、あんな恐い物だと知っていたら絶対に乗らなかった、と
言ってましたけど、私にとっては気持ちがスカ~~ッとしてストレス解消には持ってこいだわ。
以前TDLでは、彼女を待たせて一人、スペースマウンテンに乗った事もありましたっけ。

               

アラビアンコーストやマーメードラグーンには寄らず、前を通り過ぎただけで、早めにTDSを
後にして、アンバサダーホテルでお茶タイム。

   

              

地元の、TDS(東京ディズニーシー)のことを、こんなに長く書くつもりはなかったのですが、
詳しくはないなりにも、初めてのショーや乗り物を3ツ、体験出来て楽しかったです。

             

きょうは節分。早いもんだなぁ・・と、一年前を思いだします。
ちなみに今年の恵方は北北西だそうです。
【恵方とは、その年の歳徳神(としとくじん)の方角のことで、その年の最も良いとされる方角。】

母の、今年100歳を迎える恩師の句をも、つい思いだしてしまいます。

            音読で きたえし声で マメをまく