ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

文化祭の秋 

2006-09-30 | weblog

            
                                                    レイ・メーキング

今日と明日はH公民館の文化祭。
母が最も楽チンに出かけられる場所がお向かいの公民館と、はす向かいのスーパーなので、
この文化祭に行くのは私たちにとっての年中行事となっている。
積極的に友達を誘ってお出かけする性格ではない母だと、やっぱし同伴者は娘となる。

今日は遅ればせながら市の、お誕生月
の無料健康診断を、いつものクリニックに
予約していたので、飲まず食わずでまずは検診に行く。

朝抜きだったので、終了後、nettonさんを真似して朝カフェすることに。
IL MARE」の「スワン」には入った事がないので、そこに決め一人淋しく・・ではなく、
晴れ晴れとブレックファーストだぁ!だって、こんなこと普段しないものね。
なんか旅行中みたいでワクワクしちゃう!我が家がすぐ目の前にあるッちゅうのに。
でも、ここはぁ・・・ちょっと、名前負けしてはいませんかねぇ。イルマーレって名前、公募して
決まったそうですが、イマイチ名前にそぐわないなぁと思っているのは私一人?

母の所に行くと、朝イチで文化祭に行った姉が買ってきたというミニブーケが3束あった。
毎年、花のボランティア団体が提供している苗木や花は、朝の2時間だけの販売なので、
園芸ボランティアをしているだけあり、こういう情報キャッチはさすがに早い。

  

 左のは、珍しい・・と思ったら、ハゲイトウ。真ん中はカッコウアザミが中心、右はハーブ系で
ローズマリー、千日紅等がミックスされている。一束100円のこれらのお花は、どうも公民館の
敷地で育てられているようで、母を伴い、公民館の周りをぶらぶら歩いていたら殆どを見つけた。

                             

知人がここで中国水墨画を習っていて、今日の午後からはお当番でずっといるので是非どうぞ、とのご案内の葉書を頂いていた。彼女とは以前、この公民館の、とあるサークルでご一緒したことがあったが、お会いするのは久しぶりだった。今回の絵は、カサブランカ。
初め白で描いていたが余りにも寂しげになってしまったのでピンクに着色したという。
丁寧でとても上手!月に一度だけだから習いましょうよ、と盛んに誘われてしまった。
今度ゆっくりお会いしましょう、ということになる。

           

その他、サークル数の多い陶芸、ハワイアンキルト、nettonさんの写真倶楽部、レイ・メイキング、日本画などなどを楽しく見て周った。最後に4階の大集会室で、パンダ先生の指導するゴスペルクワイヤを聴き、数年前に、意を決していれば、今頃はこのクワイヤのメンバーだったんだ、と、ちょっと残念な気持ちになった。もう入っていく勇気はない・・・ンだもん。
こうして「見るだけ聴くだけ」の文化の秋の一日が過ぎ去った。

   
  
 
                                     
 
★UH Gospel Choirは、なかなか聴かせてくれますよ。
12月3日(土)に同じ会場にて クリスマスコンサートの予定があるとのことです♪ 
     




 


京葉線不通の日

2006-09-28 | weblog

朝起きるとパパが、「京葉線が事故で走っていない様だ。」
「じゃあ、東西線までバスで行くしかないわね。急いで急いで!」
原因は
28日午前4時15分ごろ、JR東京駅構内の2カ所の配電盤から出火、
信号制御室に送電できない状態となり、JR京葉線の東京-葛西臨海公園間の
信号が停止し、東京-蘇我(千葉)間で一時運転を見合わせた。
ということだった。

 
↑ 東西線浦安駅の様子
    
息子はまだバイクに乗れないので、2週間ほどは私が職場まで送っていたが、
数日前からバス通勤をしている。そのバスが、一時間に一本ほどしかないのだ。
彼は、始発駅の次の停留所である警察署の前から、7時50分のバスに乗るべく
家を出た。 15分程すぎたころ、息子からの電話。
「バスが一向に来る気配がない。それまで待っていた人もどこかへ行っていなくなった。
あっ、バスが来た!・・・・あっ、くそっ、止らないで通り過ぎたよ!」
ということで、私が送る羽目に。
彼の職場は都内だが、バイクでは15分ほどで着くところ。しかし電車だと3本も
乗り継がなくてはならず、一時間はかかるので、足の怪我が完治するまでは、
本数の少ないバス通勤なのだ。帰りが遅くなるとバスはなくなるのでタクシーか親が
迎えに行くしかない。 息子を車に乗せると、
「さっきのバスにパパが乗っていたよ。ケータイくれて、新浦安駅まで行かないとバスに
乗れないよって言ってた。」きっと東西線の浦安駅まで行くバスが
ごった返していて乗れなかったのだろう。
彼の職場までは難なく行けたが、私も仕事日なので、すぐにUターンし、
一旦家に戻ってから湾岸道路を東京へ向かった。
その前の美浜の交差点あたりでは、普段は歩く人など、そんなにいないのに、
浦安駅方面から新浦安へ向かう人々で行列だった。
これは、新浦安への通勤の人たちだ。外国人(ディズニー勤務?)も多い。
ビックリ仰天しながら渋滞中の357へ合流する。
舞浜の交差点付近で、前の車が、信号がアオに変わったのにノロノロしている。
そのうちその車は大きく右へハンドルを切りながら前へ進んだ。
視界が開けて目に入ってきたのは一面の真っ白い煙だった。
うわっ、なんじゃこりゃ?と、良く見ると道路の真ん中に大きなドライアイスの塊が落ちている
ではないか。その前方にトラックとタクシーが停車して、トラックから降りた運転手が
ドライアイスの方へ歩いてくる。あぶないなぁ。
私もその塊を避けるべく、大きくカーブを切って前へ進んだが、道が一瞬凍り付いている
ように見えスリップしないか恐ろしかった。何だかんだでやっとのこと職場に着いたのだが、
道路は一日中、あちこち混雑が続いてた。
電車が止るだけで大騒ぎ・・・それをこの町に住むようになって幾度か経験した。
何度起きても同じく大騒ぎとなるのはなんでだろうか?

京葉線での通勤通学の皆様、本日はご苦労様でした。

 

 


秋の空とナポレオン

2006-09-27 | art/exhibit/museum

外出しようとして玄関のドアを開けたら、こんな空が目に
飛び込んできました。
興奮して家の中に引き返し、デジカメに収めましたが・・・
こんなじゃなくて もっともっと感動するような光景でした。
あれば、広角レンズで 180度のパノラマで撮りたかった程
ですが雲は捉えようがない気がします。

 

 9月23日

                               
                                                   
                          

          そしてあくる日。
          墓地公園にお参りに行った時には、昨日とは又、趣きの
          違う雲が空一面に広がっていました。ケータイばかりに視線を
          落としている息子に教えたら、「うゎ~~すご~い!」と、
          とても驚いた様子で、肩から力が抜けて、あたかも自然界と
          一体化したかのような穏やかな表情になっていました。
          自然の力ってすごい!
          「心が和むよね~ここに寝転がってずっと見ていたいね」と私。
          「えっ、墓地のなかで?それはちょっと・・」と息子。
          じゃぁ、新しくできた海の見える公園ならいいよね!

          でも雲はなかなかジッとしてくれないんです。家から墓地公園
          までと、お参りを終えて公園をあとにする時とでは又々様子が
          変わりました。

                 

                  
                  9月24日 墓地公園にて(東と西の空の2枚ともほぼ同じ時刻です)



25日の月曜日、会社に着いて入口の所から空を見上げたら、
↓こう来ました。
          

 
9月25日 我が職場の入口から


毎日くっついたり ちぎれたり、舞い上がったり吹き出したり、
自由自在に手を替え品を変え私を魅了する雲、
きっときっと、あなたにはストレスなんてなんにもないんだろうね、
雲よ!


そして昨日、今日と生憎の雨日和。    
雨の空でも撮ろうかぁと見上げましたが、ど~んよりと一面灰色の空。
や~めた・・



〈女心と秋の空〉 
女の男に対する愛情は、秋の空模様のように変わりやすいという事のようですが、
〈男心と秋の空〉が本来のかたちだそうです。ということは、男のが移り気なの?

わたしの心もちょっぴり秋めいてきましたよ~!こんな方の登場で。


                                   
                                            
                                         




            ジャン=アントワーヌ・ウードン 作         
              


     先日、ご近所のYYさんからお誘いを受け、千葉ポートサイドタワーまで
     「大ナポレオン展ー文化の光彩と精神の遺産ー」に行ってきました。
     ナポレオン・ボナパルトと言えば、世紀の政治的、軍事的な天才、
     とまでは知っていましたが、美術、芸術、諸学問などの文化面に
     於いても、これほどの関心と影響力のあった人だ、とは思いも寄りません
     でした。
     エジプト遠征の際には多くの学者や芸術家からなる「学術団」を同行
     させてエジプト文明の調査を行い、その成果を「エジプト誌」という膨大な
     記録に纏めたり、ヨーロッパ各地から運び込まれた美術品を収容してある
     ルーブル宮殿を美術館として一般市民に開放したり、地方の美術館の
     建設にも力を入れたと言います。ルーブル美術館は、そのころは
     ナポレオン美術館と呼ばれていたのですね。

     今回は絵画のほかに彫刻、工芸、遺品の数々、自筆の原稿に書籍と、
     幅広く展示してあり、彼の「皇帝」としての姿よりも、人としての魅力に
     触れる事ができた気がします。
     レジオン・ド・ヌール勲章は、1802年にナポレオンが創設した勲章です。
     「この勲章は、私の創った制度の中でも、生命力が強く、長く生き続けて
     いくであろう」と予見していたと言いますが、本当にその通りとなっていますね。

     
      イタリアの信教の自由を支持する直筆書簡         レジオン・ド・ヌール勲章

     彼の夢はヨーロッパを「一つの欧州」として、共通の政治、通貨、法制度を
     設けることだったようです。そしてその中心には最も美しい都市でなければ
     ならぬ、と考え、パリを首都にしたかったのです。ロシア遠征の敗北、そして
     ワーテルローの戦いを最後に、その夢は閉ざされました。
     流刑の地セント=ヘレナにて、1821年5月5日、51才のナポレオンは、
     「フランス・・・軍隊・・・軍の先頭へ」
     との言葉を残してその一生を閉じたそうです。

たくさんのナポレオン語録をのこしましたよね。
遠征の時でも、万に及ぶ書物とともに移動していたそうで、知的で聡明、勇敢、
かつ細やかな神経の持ち主であったのではないかと思います。
これを企画した東京富士美術館館長の以下の言葉に納得しました。

           それにしても、ナポレオンの人生は、
           一人の人間がどれほどの可能性に生きることが
           できるかを私たちに教えてくれる。
           同じ一生であるならば、「ロマン」ある人生を生き、
           なにか生きた証を残したいと思うのは、
           人として共通の思いではないだろうか。



             大ナポレオン展で購入した絵葉書とワイン 

            
            
 〈地球のひとまたぎに邪魔者現る〉                  
           


   YY さん、その節はお車つきでのお誘い有難うございました。    
        

                                

ジャック・ルーシェトリオ演奏する、サティーのグノシェンヌを聴きながら・・・雨の日もいいかも。

 

 

 

 


             


五日市よいとこ一度はおいで

2006-09-22 | visit/drive

日曜日の事を、月曜から少しずつ書いたり写真を入れたりし、昨夜遅くにやっとUPできた。
その間に小泉政権から安倍政権へと総裁の交代があり、パソコンクラスの打ち上げもあり、
娘のNY・LA行き(遊びで)もあったりで、なんだか遠い昔のことを今さらぁ・・の気分だった。

blogを投稿し終えた後に、気にかかることがあってもう一度見ようとしたが、編集画面を開けてしまったので、「あなたのブログを見る」ボタンを押そうとした所、間違って投稿ボタンを押してしまった。この一押しで全部が消滅!写真の量が増えたせいか、編集画面に記事が反映されるまで何秒か、かかるようになっていた。恐らく真っ白い画面のところで投稿ボタンを押したので投稿したばかりのブログ記事がマッサラのまま再投稿されてしまったんだ、と気が付いた時は手遅れ。
困った時の神頼みとばかり、嗚呼、神さまぁ~お願いです、助けて~元に戻して~

ここんとこ何とか大きな失敗もせずに来ていたので緊張感が足りなったのかもしれない、が、
悲しくてショックで、ボーゼンとしながら床についた。

前書きが長くなったが、消滅分の再現なるか、ビアンカの挑戦 のはじまりはじまりぃ・・・♪
なぁ~んて言ったって、たいしたブログじゃないか。

母が、ご近所さんと敬老の日の式典に参加する(初!)、と言うので その前日の17日にドライブを兼ねたお祝いのお食事に誘った。行き先はあきる野市にある〈黒茶屋〉という炭火焼と山里料理の御食事処。
八王子インターから30分くらいのところだが、こっち方面は、義兄のお墓が東青梅の先にあるので一年に一度は訪れる。更に、義母が心臓手術を受けたあとの1年間、都内の施設に空きが無かったため、空きのあるあきる野市の老人保健施設に入居したので、度々訪れては近隣をドライブしていた。そんな時に見つけたのがこの店の姉妹店である、「燈々庵」
そこで入手したパンフレットの一つがこの「黒茶屋」だった。一度行って食事はせずに中を見学だけし、庭伝いに秋川渓谷の河原に出れる素晴らしいロケーションのこの場所に一目ぼれ。
そんな私好みの場所で、敬老の日、との理由をつけてやっとお食事にありつける日が到来したのだ~♪母の体の調子を見ながらのお出かけだったので、予約は、走り出した車の中からで万事OK

・・・・・  ・・・・・

  
黒茶屋のエントランスと玄関

黒茶屋の母屋は、築齢250年にもなる桧原村の庄屋を移築したものだそうで、その名の
通り、建物の中は、黒茶色に変化した檜の柱やかもい、店内の調度品が当時の歴史を物語っており、数々の部屋はそれぞれの趣きを凝らした造りで、つい中をウロウロと探検したくなる。

本日のお料理はこんな具合。日にちまで書いてあるのには恐れ入ってしまう。

        
  
         右の中味はこんな風 
 
   
   

お食事は栗ごはんかよもぎうどんのどちらかが選べるが、全員が栗ごはんをチョイス。
デザートは見た目も美しい梨のワインゼリーと、黒茶屋自家製のおやき。
どれもコレもお味グー、応対は親切丁寧、店内は落ち着きゆったりと時間が流れている。
食後は広い庭に出、秋川渓谷を見下ろせる場所までお散歩。そこにもテーブル、イスが
用意され、このオーナーのモットー、「お客様に心に残るおもてなしが出来る店」の精神を
至るところで感じた。母も喜んでくれたので、よき敬老の日イブになって本当によかった。

        
   
            茶房「糸屋」        

                  

 

                  ・・・・・  ・・・・・

このあと、隣のF市在住のNさんのお宅に行こう、という事になり、これまた車中でアポを取る。
Nさんのことは去年の11月のmy blogでちょっと書いたが、ブラジルで知り合った方。
母も知っているし、Nさんの病状も気になっていたし、離れているとこんな機会でもないとなかなかお目にかかれない。いつ訪れても、気持ちよく迎えてくださるNさんご夫妻。
Nさんたちと知り合った頃、私はまだ20代。母はと言えば今の私よりも若かった。
病気で右半分が麻痺した、というが、一見なんともないように見える。ちょっと話し込むと、
奥さんのH子さんが筆談を始め、意志の疎通は問題がない。お話しの大好きな方なので、言いたい事がわかってもらえず、じれったそうにするが、H子さんの明るさには感心してしまう。
落ち込んでも一日、楽しくしても一日ならどっちがいいか決まっているじゃない?と言われた。

Nさんがサンパウロに住んでいた頃の知り合いの事を言い出し、その人の名前が出てこない。
ほらぁ、旅行社にいたあの人だよ、えぇと・・と皆で雁首そろえて考え込み、やっと答えを出したのはH子さんだった。
「ヤマシタさん!」
「そうだ~!」

ヤマシタさん、彼には忘れられない思い出がある。

ある日、日伯文化会館(だと思う)で何かのパーティーがあった。
私の運転でパパと車で向かい、会館の前で駐車スペースを探していた。
やっと見つけてバックで縦列駐車をしようとした所、後から来た車がその場所に頭から
突っ込もうとした。思わず私は後ろを向いて「このォーば○○ろ~!」発言
よくよく見ると、それがヤマシタさんだったのだ。
車の窓は閉まっていたので声は聞こえなかったと思うが、口の形で、顔の表情で、
何て言ったかバレていたらどうしよう。車からおりたくないよ~!
穴があったら入りたいとは、こういう時だ、と心から後悔した。

そんな事を又思い出してしまい、又恥ずかしさが舞い戻ってきた。
そのヤマシタさんが、とっくに旅行社を辞めて、牧場をやっているんだとよ、って
Nさんは言いたかったのだ。



ー五日市街道沿いで見かけた街路樹ー
この木は何の木?

 

 

 

 

 

 


9月生まれ

2006-09-18 | weblog

 娘は誕生日を友達と過したので、後日、家族揃って「lala」でお食事会。
「イタリアンレストランに行きたい。lalaはまだ行ったことないし・・」の二言で行き先決定。

今回はひそかにバースデープレートを頼んだので
デザートが運ばれた時、本人は予期していなかっただけに大喜び!
その写真をワードでやっとこさ上のように作り変えることが出来た。
本当は家族写真を、顔を☆で隠しながらレストランの雰囲気そのままに
UPしようとしたのだが、それを見た娘が、
「顔を隠さなきゃならない写真なんて載せなくていいじゃない」と言う。
・・・はいはい、わかりました。老いては子に従いますか(今回は)・・・

デザートの時に、レストラン側で全員の写真を撮って下さり、帰りにそれを渡された。
ここのお料理、相変わらず塩分濃いめ、パンも然りで一種類のみなのだが、
このようなサービスが付いたので、喉まで出かかったクレームを飲み込んだ。

    

友達からはお花のアレンジやブーケをいただき、久しぶりに家の中が華やいだ。
こんなガーベラもあるんだ、と種類の多さには驚かされる。

 

そしてコレは我が作品?の、フォトフレーム。
娘が蝶を描きスキャナで取り入れ、マザー・テレサの詩を(娘が)入れた。
ってぇ・・・だれの作品になるんだろう。


 

     Life is an opportunity, benefit from it.    人生は好機。生かしなさい。

     Life is beauty, admire it.          人生は美しい。賛美しなさい。

     Life is bliss, taste it.                人生は無上の喜び。味わいなさい。

     Life is a dream, realize it.          人生は夢。叶えなさい。

     Life is a challenge, meet it.           人生は挑戦。立ち向かいなさい。

     Life is a duty, complete it.           人生は義務。まっとうしなさい。

     Life is a game, play it.             人生はゲーム。興じなさい。

     Life is costly, care for it.           人生は高価。大切にしなさい。


     Life is wealth, keep it.            人生は財産。守り続けなさい。

     Life is love, enjoy it.           人生は愛。享受しなさい。

     Life is mystery, know it.           人生は神秘。探求しなさい。

     Life is a promise, fulfill it.           人生は約束。果たしなさい。

     Life is sorrow, overcome it.         人生は悲しみ。乗り越えなさい。

     Life is a song, sing it.           人生は歌。謳歌しなさい。

     Life is a struggle, accept it.           人生は苦闘。甘受しなさい。

     Life is tragedy, confront it.           人生は悲劇。相対しなさい。

     Life is an adventure, dare it.          人生は冒険。挑みなさい。

     Life is luck, make it.              人生は幸運。成就しなさい。

     Life is too precious, do not destroy it.    人生はかけがえがない。無にしないで。

     Life is life, fight for it.             人生は命(いのち)。闘い抜きなさい。

 Mother Teresa

 

 

 


牛を追いかけて

2006-09-14 | weblog

先週末はお出かけの前に、ショッパーズでの我がパソコン塾の作品展を覗きました。
私はエンジョイコースから入ってちょうど2年経ちますが、授業に参加するだけの、復習をしない
生徒なので、皆さんの作品の数々を拝見するのはとてもいい刺激です。
たまたま私と同じ棟にお住まいの生徒さんがお手伝いをしてたり、見に来てたりしていましたので、
作品を拝見しながらお喋りするお相手にも恵まれました。

そのあと、一人東京駅へ。
三の丸尚蔵館での絵画展「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」第5期が
9月10日(日)までだったのです。いつものごとくにギリギリセーフ。


                                                   ★若冲の群鶏図の絵葉書

土曜日なので人の出入りも多く、その上暑い昼下がりでした。
ここでの展示数は少なく、あっという間に見終わってしまいましたが、極上のものがタダで
拝観でき、東京のド真ん中だということを忘れてしまうほどゆったりと時が流れているようでした。

無料のシャトルバスで大手門の近くに着くまで、あちこちで牛を見かけ、これがテレーサさんの
言っていたカウパレードなんだ、と気付き、尚蔵館のあと、ぶらぶらと大手町から丸の内まで
散歩してきちゃいました。
もっと見たい、もっと・・・と、牛を追っかけ、デジカメに何体収めたことか。
ブログにアップしたい、というより、次の牛さんはどんな子だろう?と、興味津々にならざるを
得ませんでした。・・・こういうのって大好き!
若冲もいいのですが、巨匠の絵の前ではただ溜息。カウいうアートだったら自分にも出来そう
だし、私だったらどんなカウヮいいカウにするカウしら・・・と想像が膨らみます。
65体ある牛のうち、この日で20体近くしか見れませんでしたが、歩いていてひょっこりと、
牛の姿を見っけるとうれしくなっちゃって~♪ね。
誰の追っかけもしたことのない?biancaが追っかけたのは・・・・モ~~ゥ!これなんだから!

         
 
                  
 ↑物の牛          丸の内のベロタクシー      我が家のブラジル産の牛            
 


歩いて歩いてさすがに疲れました。お腹も減ってきた頃、見つけたのがこのお店
以前、友達と入ったことのある所です。コーヒーを中で頂くか、テイクアウトするかで
お値段が違うんです。私は勿論テイクアウト。そしてお店の外にあるイスに腰掛け、
静かな休日の丸の内レディー気分を味わいました

       
 


大学病院

2006-09-09 | weblog

右足中指の後ろに魚の目のようなグリグリが出来てから2年ほど放ったらかしにしていた。
長く歩くと痛みを感じるようになってきたので皮膚科に行って見てもらおうと思ってからも
日々が経ってしまったが、先々週やっと、重い腰を上げて近くのJ大学病院へ向かった。

診察券を一階の外来受付機に通して2階に上がり、皮膚科の受付箱に診察券を入れ
一時間ちょっとで名前が呼ばれた。
ついでだからと気になる数箇所を見てもらったが、結果としてどうってことないものばかりで、
痒い所にはかゆみ止めでも出しておきましょうか、ぐらいの応対だった。
せっかく大学病院まできたのだから、何か一つでも解決したくて、指の裏の魚の目に
液体窒素(ドライアイス)を当てて下さいと頼んだ。

横浜に住んでいた頃、足の脛が痒くてたまらなくなった時に地元の皮膚科に行ったら、
「これは、湿疹です」と言われた。「どんな種類の湿疹ですか?」と、聞き返すと、
   「湿疹は湿疹です!」
と、にべもなく言われ、それ以来そこにかかるのを止めたことをなぜか思い出した。


すべて終わって、また一階へ降り、会計の前で名前を呼ばれるのを待っていたが、
待てど暮らせど呼ばれない。
欲しくもないかゆみ止めの処方箋が出ていたので、待ちついでにファックスサービスで
薬局に送ってもらい、またひたすら名前が呼ばれるのを待つ。
余り遅いので会計のカウンターに聞きに行ったら、
「受診した科で受け取った計算書のファイルはお出しになりましたか?」
うゎ~~ッ! しっかりと手に握りしめていたではないか。一時間の損失だった。

そして、今週は2度目の通院の日。
液体窒素は1~2週間おきに一度当て、それを数回繰り返して「でき物」を焼ききる。

   何年か前には、何もなかった額に少しずつ現れ、目立ってきたホクロの
   ような物を この方法で取り除き、すっかり消えた時にはび~っくり、すごく
   嬉かったので、魚の目やタコも取れるかもしれない、と思い、待ち時間が
   長くていやだけど同じ大学病院にしたのだ。
   ・・・でも最近、同じ場所にまた同じように出来てきているんだ~。   
                

一階で外来受付を済まし、皮膚科の前でしば~らく待っていた。
やっと呼ばれたと思いきや、
「○○さん、診察券なんですが、箱の中に入れたでしょうか?」
   ガ~~~ン!

うっかりバックにしまい込んでしまい、どうせ一時間は待つだろうから、と
本を読んでいたのだ。同じ病院で2回もへまを繰り返すと、さすがの自称シティーギャルも
(もうこの自称は、ふざけるな!かな・・)自信喪失気味になってくる。
母より先にボケちゃったらどうしよう?


そんなわけで貴重なお休みの日に、あと数回は大学病院通いとなってしまった。

この写真は息子の退院当日に、同病院でコンサートが行われていた時のもの。
病院内で、こんな事も行われているんだーと初めて知った。
私も入院患者さんやお見舞いの方などと共に、新日本フィルハーモニー交響楽団員
によるヴィオラとピアノの二重奏コンサートを楽しんだ。
両国にお住まいだという、ヴィオラとピアノの奏者の吉鶴夫妻のお子さんは、生まれてすぐに
NICU(新生児集中治療室)に入ったそうで、今でも月に5-6回は御茶ノ水にある
J大学病院にお世話になっていること、一日4回の導尿も生活の一部となっている
ことなど、ご家庭のこと、この大学病院との繋がりなどを明るく楽しくお話し下さりながらの
素晴らしいコンサートだった。
クラシック音楽に加え、「春の海」の何と美しかったこと!「島歌」あり、「浜辺の歌」ありで、
患者さん、そのご家族の方々はさぞ癒されたことかと思った。

 

★お陰さまで息子は9月から職場へ復帰となりました。
 3ヶ月過ぎたのにまだ骨が付かず、松葉杖のお世話になっていますが、
 
室内では杖なしでゆっくりと歩いています。まだプレートは入ったままで、
 骨が完全に付いた後にまた手術をして取り除きます。
 職場までは、今のところ彼の母親が仕事に行く前に送っています。偉い!
 何年も作っていなかったお弁当なんかも持たせちゃって!
 入院中に看護士さんのガールフレンドができて、人間万事塞翁が馬ですかぁ。



 


 

 

 

 


八月を引きずって

2006-09-03 | art/exhibit/museum

・・・前回ブログのつづきです・・・

星野道夫さんの「星のような物語」を見に行ったのが「先月」のこととなってしまった。
26才のときにアラスカへ渡ってから約18年間のあいだ、
北極圏の生態を写真と文章で取材し続けた彼。


そのずっと前、7月某日の朝日新聞の 《be on Saturday・・・
愛の旅人》では
斎藤鑑三氏の文で星野さんと奥様の直子さんのことが取り上げられていた。
〈星野は不器用だけれど、ユーモアがあって、感受性の強い若者だった〉 という。
直子さんは17才年上でいつもジーンズ姿の彼を
全くの少年でした。」と振り返る。
アラスカでの取材旅行先から、いつも直子さんにたくさんのカードを書き送っていたが、
その中の文面の一つに、彼はこう書いている。
「自分が死ぬとき、写真集が何冊あったか、なんて、重要なことではないんだ。」


 

彼の写真を見ていると、アラスカへ行けば多くの動物の群れに出会えるんだと思ったが、
谷間の出口で夜を明かして待っていても、その群れに出会えないこともしばしばで、
物事がうまく運ばないとき、先住民は「風とカリブーの行方は誰も知らない。」と言うそうだ。
なんと詩的な表現だろう。 
「愛と旅人」の中で気にかかったこと、それは以下の文面だ。

・・・この壮大な旅を地球上に残せるかどうか、人間は最後の試験を受けさせられている。・・・
星野がそう記した「最後の試験」がいま、始まった。
地衣類を食べ、子育てをするこの一帯に、国家規模の油田開発計画が進む。
300人の村は石油会社の懐柔策で半数以上が賛成に回った。

これを読むに付け思い出されるのは星野さんのこのことば。

「人間の歴史はブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。
だが、もし人間が、これからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、
そして命がけで、ぼくたちの神話をつくらなければならない時が来るかもしれない。」

今回の写真展では、動物達、特に親子の写真がほのぼのと心に残り、
頭脳を駆使して地球を支配しているかのように見える、人間として生まれてきた自分たちの
“無力さ”を感じざるを得なかった。
エンヤの「AMARANTINE」と言う曲が会場内に静かに流れ、星野さんが見つめていたはずの
大自然の中を、ともに歩んでいるような気持ちにしてくれる。

星野さんが遺した多くの大学ノートのなかに書き留められていた、メモ
この展覧会をさらに盛り上げた。きっと、来場者は彼のことばを各々の心のなかに
大切に収め、自分へのメッセージとして持ち帰られたのではないか、と思う。
私も、心にしまっておきたいそのいくつかを、自分のためにもここに載せて、
没後10年目の星野道夫さんのご冥福を心よりお祈りしたい。

 ★・‥…・・・★・‥…・・・★・‥…・・・★

  ・・・目の前にあるすべてのものの存在は、はるかな時をこえ、今、ここにある

  ・・・幸福を感じる時間とは、ありふれていて、
    
華々しさのないたまゆらのようなものだった。

  ・・・あわただしい、人間の日々の営みと並行して 
    もう一つの時間
が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

  ・・・弱者は、守らなければならない者を持ったことにより、
    強者との立場を時として逆転させてしまう。

  ・・・たとえ親であっても、
    子供の心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。
    ただひとつできることは、
    いつまでも見守ってあげるということだけだ。
    その限界を知ったとき、
    なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。

  ・・・いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や
    泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、
    その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?
    写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり
    言葉で伝えたらいいのかな。

    その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・
    その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。

                     
                      


その後、8月19日より、朝日新聞の夕刊に 
アラスカきる・・・星野道夫が残した光》が、
5回の連載として掲載された。
〈時〉の人、という考えはしたくない。
彼があゆみ、感じた、地球へのやさしさと危惧とを
必死に次世代に伝えなければならない時なのではなかろうか。

★・‥…・・・★・‥…・・・★・‥…・・・★

 

「浅き川も深く渡れ」 

かれは小学校の卒業文集にこう書いた。

そして、亡くなるその年のお正月、取材で南東アラスカへ向かう途中の
アンカレッジ空港からかけた電話のなかでこう言った。

「今年のモットーは・・・こだわる生き方をするんだ

 

 ★・‥…・・・★・‥…・・・★・‥…・・・★

と、毎度のことながら、好きな人のことばや写真を沢山引用したmyブログとなりました。
弱い私はいつも誰かのことばに支えられて、奮起する、その繰り返しです。
こだわる生き方・・・今からでも遅くない?!

Ps. 前回ブログに写真を付け足しましたので、宜しかったら覗いてくださいね。