ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

取り急ぎ、ジスモンチ

2007-08-28 | music

          

8月21日に待望のエグベルト・ジスモンチの追加コンサートに行ってきました。
昨日、こんなメールが届いたので、ご紹介しなくちゃ、と思い、取り急ぎブログアップ致します。
このブログは後日、暇を見て簡単に書き直す予定ですが、下記メールにあるジスモンチの
インタビューと彼のピアノ曲が水曜日まで、オンデマンドで聴くことができる、とのこと。焦りました。
こんな美しいジスモンチのピアノ曲、もし、You Tubeで探せなかったら残念ですもの。
最初に流れる音楽は別のものですが、根気よく、待っていれば、彼のメッセージが流れ、
すぐに終り(笑)、ジスモンチ奏でるピアノ曲を取り敢えずは一曲お聴きになれます。
ただ、この番組は3時間半と、長すぎるので、時間のない私はどうすれば保存出来るか、
苦悩中です。ジスモンチはクラシックからジャズまで 何でも幅広くこなせる一種の天才。
演奏中は、彼がピアノであり、ギターとなってしまうのです。というか、楽器がジスモンチに変身
したのではないかと思うほど、その全てを使いこなし、その音楽は一つどころに立ち止まる
ことを知りません。かたちを作らない、捉えどころの無いジスモンチの音楽に参りました。

パンフレットには、こんな風に書かれていましたよ。

      ブラジルのアマゾンで原住民と共に暮らしたこともあるというジスモンチの
      音楽は、深いスピリチュアリティーと野性性、そして大自然が持つ雄大
      さと繊細さを共に持ち合わせており、魂の深いところに響き渡ります。
      満天の星空に煌く星々から発せられるような音色。大地から湧き上が
      るような躍動感溢れるリズム。一人の人間が、一台の楽器から生み出
      しているとは思えない、音世界を是非体感してください。

ではでは、ご興味おありの方は是非、お楽しみ下さいませ。

  ・・・mail ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
  エグベルト・ジスモンチ来日公演ニュースMLご登録の皆様 残暑お見舞い申し上げます! 
  この度は、8月20日、21日のエグベルト・ジスモンチ来日公演にご来場いただきありがとう
  ございました!皆様の熱い期待を感じて、本人も相当テンションをあげて白熱の演奏を
  届けてくれました。本当に有難うございました! さて、ご連絡が遅くなってしまいましたが、
  ただいま、私共実行委員会のパートナーであるインターネット・ラジオの『OTTAVA』では、
  8月23日(木)に来日中のジスモンチ氏のインタヴューの様子をお届けいたしました。
    今週水曜日(8月29日)までは、オンデマンドでお聞きいただけますので、
  是非お聞き下さい。
  http://ottava.jp/timetable/index.html#amoroso 
  (OTTAVA amoroso の Thu. の部分をクリックして下さい。)
  厳しい猛暑の折、御身体ご自愛下さい。

  ジスモンチ来日公演実行委員会

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・mail・・・・・・・・・・・・・・

 

 


避暑地の出来事(3)

2007-08-26 | visit/drive

爽やかな一夜が明けました ・・・って、一体いつのこと?

そうなんです、まだ避暑地での2日目をupしていませんでした。
もういい、と言わず、あとちょっとだけ付き合ってください。
しっかし~、ず
いぶんと日が経ってしまいました。

夏の甲子園も、今年から東西対決ではないので、どうなるのかなぁ、
と思っていましたが、市船が第一日目で敗退。ガクッ。試合が進むにつれ、
西が優勢に。つい試合を東西としてとらえてしまうのは長年の習慣ですね。
佐賀北が大逆転の末、全国制覇とは
「がばい、すごか!」  ★がばい=very 
94年の佐賀商優勝の時をすぐに思い出しました。あの頃は、
殆ど見れなかった今年と違い、全試合に夢中でしたし、
何より佐賀商のピッチャーにでしたからね~。

21日はジスモンチのコンサートにも行ったし、
22日は三越まで
北大路 魯山人展へも行きました。どちらもとても がばい、すごか!

我がマンションは、と言うと、きょう26日は恒例の夏祭り二日目でした

                                 
      ~~さて、前回の続きと行きましょう~~  
                                               

夜中じゅう、雨が降り続いているような音がするので、朝まで眠れないかしら、と
思いましたがそれは余計な心配でした。
翌朝は水の流れ落ちる音は全く聞こえない代わりに蝉の大合唱で起こされました。
私たちの部屋は2階の、中庭を見下ろせる所なので、夜中に聞こえた雨の音が 
つくばいから流れる水の音だったと、中庭に出て初めてわかったんです。
個人宅のお庭のような小じんまりとした中庭ですが、ほどよく手入れがされています。
ここで文人達が、同じ水の音を聞き、同じ空気を吸い、爽快な居心地の中で、
想像力を高めていたのかと、同じ視点に立って思いを巡らせていると、
過ぎ去った年月が抱きしめたくなるほど
身近に感じられました。ォ~ィ、龍ちゃ~ん!

 

朝食はブッフェスタイルで、窓のない食堂で頂きました。
和洋どちらも揃っているし、欲しいものだけがそこにある、そんな朝食。
庭に面した部屋数には限りがありますからしょうがないんでしょうが、これで、
外の景色を眺めながらお食事をいただければ言う事ありません。
旅館の専用駐車場に車を置かせてもらったまま、チックアウトを済ませ、
お昼まで近所を歩く事に







眩しいほどの青空の下、テニスコートでは いい色に日焼けした方々が気持ちよく練習中。この会員制の軽井沢会テニスクラブのクラブハウスはウィリアム・メレル・ヴォーリスにより設計されました。
この先にある軽井沢集会堂も、向かいのユニオンチャーチも、同じくヴォーリスの設計。

東京でも山の上ホテルや明治学院礼拝堂、東洋英和女学院、南部坂教会、カザルスホールなど、いい感じの建物だなぁ、と思うとヴォーリスがかかわっているんですよね。高輪にある旧朝吹邸も然り。二年前の9月にお亡なりになった朝吹登水子さんのご実家ですが、今は東芝高輪倶楽部になっています。私にとっては一度是非訪れたいエリアです。
 
2年前には偶然、ユニオンチャーチでゴスペルコーラスを聴くことが出来ましたが、この日は日曜礼拝が終わり、人びとが教会前で談笑している最中でした。。こんなに外国人が住んでいるんだ、とびっくりするほど外人ばかり

入口前に置かれたコンテナにはズッキーニが沢山入っていました。「FREE ZUCCHINI」と書かれた紙を見ていたら、傍にいた男性が、「沢山取れすぎて困っているのでどうぞ持って行ってください」と言うので一つ頂きました。

そろそろお腹が減ってきたのか、娘は昨夜から目を付けていた
腸詰屋にさっさと入っていき、美味しそうなハーブソーセージのサンドイッチを調達。
ドイツ国旗が掲げられたこのお店は軽井沢に何軒もあります。店構えからして、絶対に覗きたくなる雰囲気でしょう?店前にはまだ、紫陽花の花が咲いていましたよ。

前回は万平ホテルでランチをしたので 今度はどこにしようかと、前夜に一生懸命!
調べて決めたお蕎麦屋が 長蛇の列だったので諦め、前日、旅館に向かって走っている時
に発見した、ブラジル国旗のはためいているお店に、入ってみようと言う事になりました。

結局ブラジル料理のフェイジョアーダをいただきましたが、まさか軽井沢でフェイジョアーダとは!
昨日に続き、レストラン選びは全くの想定外でした。
でもここのフェイジョアーダ、ブラジル人の奥さんが作っているだけあり旨い。
量は日本的で少ないけど、コウベという、フェイジョアーダに必ず付くキャベツの仲間の
野菜炒めが懐かしかったし、忘れかけているポルトガル語でセニョーラと少し会話もできました。
お店の名前はカリオカ。リオの人を意味します。因みにパウリスタとはサンパウロの人。
セニョーラが東京嫌いなので、軽井沢に来たそうで、お店を開けてから9年になるとのこと。
中南米に関係ある人は国旗を見て、まず一度はここに顔を出すようです。狭い店内には
ギターが2台置いてあります。夜にはカイピリーニャ片手にサンバセッションが始まるんでしょうか。


今回の旅行はゆっくりと計画を立て過ぎずに行こうということなので、
それぞれが一箇所だけ、行きたい所を決めたのです。
私はメルシャン美術館。
娘は(どうでもいいんだけど、と前置きしながら)プリンスのアウトレット。
パパは、今開催中の企画展を見たいと、
ルヴァン美術館
まずは旅館の駐車場まで歩き、車に乗り込み、中軽にある美術館へ向かいました。

ルヴァンは前回も訪れた場所ですが、神田駿河台にある、文化学院の系列の美術館。
文化学院、と聞いただけで、蔦に覆われたヨーロッパ調の古びた校舎が浮かびます。
創立時、教育に携わった教師陣の素晴らしさには涎がでそうなのですが、
その、創立時の駿河台校舎をほぼ再現したもの、それがこの美術館です。
Le Vent それは、~風~の記念碑。
創立者である西村伊作氏が、英国のコテージ風に設計した
自然で自由で芸術的な学校は、
「小さくて善いものを」「高価なものより美しいものを」と、
伊作氏が常に言っていた言葉を、教育現場でも受け継いでいます。
その文化学院の建物が解体されて、もうすぐ新校舎が竣工されるようですよ~。
あ~ぁ、惜しい!

現在、美術館では「風間 完 展」開催中。ウチの夫、彼の絵が好きなんですって。
新聞などの挿絵や本の表紙などで、どなたでも何度かは目にした事があると思います。
しっとりとした風景画に、色っぽいけど気品のある女性画。小さな作品群のどれも
とてもよかったです。美術館のHPで、今ならほかにも多くの絵を見る事ができますよ。 

 風間 完

解放的な雰囲気で 小さな木造の、ピアノのある美術館では 時折コンサートも開催。    ちょうど前日に、sapotosによるボサノバコンサートがあったのですって。
木村 純のギターと、三四朗のサックスによるボサノバはどんなだったかなぁ。



この軽井沢に、出入り口が自動ドアで開閉するように、壁を周囲に張り巡らして中を覗けない作りにした誰かさんの別荘があるんだか、あったんだか、でしたね。かえって怪しまれるぞぅ!
この世はまさに浮世。
無常なのです。執着したければ、まずは風に聞いたほうがいいかも。


 

            

西日を浴びながら、最後の目的地、プリンスのアウトレットへ、と、渋滞の道を進みました。
パーキングの入口のどこを入れば最も便利なのか、皆目見当がつきませんが、
選ぶ余裕もないほどでした。一歩足を踏み入れた途端、引き返したくなってしまった位、
軽井沢に来てまで・・・なんでぇ~って感じでした。
ちょっと見るにも広すぎ、娘が見たいお店がイーストだったりして、ウェストからイーストまでが
遠すぎです。それでも折角寄ったからと、あてもなく歩きまわり、ヘトヘト。
外はすっかり暗くなってしまい 次第に夕食のことが気になりだしました。
又、食事のことで、どうするか・・・決断の時がせまり、
咄嗟に、横川Pで、おぎのやの「峠の釜めし」を食べよう、とbiancaの一声で決定。

上信越自動車道へ入り、最初のパーキングが横川。
時間もPM8時となりました。ちょうどいい夕食の時間です。
やっと、夕食にありつける~♪
車から降り、さっそうとおぎのやの売店に向かうと・・・えぇ、、、っ!


 今回の旅行では見事にすべての "外食計画” がハズレとなってしまったので~す。
あじゃぱ~!


 


避暑地の出来事(2)

2007-08-19 | visit/drive


昨夜は、楽しく軽井沢旅行の編集作業をしている途中 何か思いたって、Google検索を使っちゃったら、それまでのが全部消滅!バカ・カバ・チンドンヤ!。も~ぅ、長々と書くな、ということかしら。

先日は辰巳近くの三つ目通りに出るT 字の交差点で、信号が青にかわったので左折をしたのですが、突き当たりを左折してしまったのです。ギャ~ォ!隣のトラックが右折したので、同じ道を何故右に走るんだろう、と不思議に思った途端、我に返りました。対向車線に一台も車がなくて、見通しがよかったのが運のつきでしたし勘違いをした原因?でしたが、手前を信号待ちで止っていた何台もの車の運転手さんたちは、さぞ仰天していたでしょう。 はいッ、ちょっと考え事をしていたんです。
                                            

帰宅して息子にこの話しをしたら、「前にも、おじいさん運転の車が高速道路を逆走して衝突しちゃって、おじいさんは死んじゃったんだってよ。もう運転やめたほうがいいんじゃない?」と言われました。自分が死ぬならともかく、巻き添えを喰らった方は不運のひと言では済まされないですね。
自分の足の一部として自由自在に使っている車ですが、しばらくの間、考え込んでしまった一件でした。

         

さて、話を軽井沢に戻します。
メルシャン美術館でアルコール分を口にしてしまったので、本日のお宿までの運転を娘にバトンタッチ。この時期の軽井沢ってどの道も車が連なって混雑しているんですよね。土日の旧軽銀座は歩行者天国のため、車両通行止。裏の「水車の道」を通って5時近くにやっと つるや旅館に到着しました。ご存知の方も多いと思いますが、この旅館は芥川龍之介を始め、堀辰雄、島崎藤村などが常宿としていたそうです。二週間ほど前にネットで調べた所、空室が一部屋だけだったので、取り敢えず予約を入れました。その部屋は和室ニ間と洋室がちょっと付いている広めの部屋。希望していた他のホテルなど、軒並みに満室でしたし、二年前はペンションで失敗していたし、この時期にしては思ったほど高くはなかったのです。               



旅館のあちこちで使用されている家具もそうですが、客室にも「軽井沢彫り」の古い箪笥が一つ、置いてありました。この彫り物の特徴は「桜」がびっしりと彫られていること。
英国の宣教師、ショー師が初めて軽井沢に別荘を建ててからは、続くように各国の外交官や宣教師がこの地を避暑地として利用するようになったんですね。でも、別荘に置きたいような家具がない。で、地元の、初代大阪屋家具店主の土屋巳郎が、日光より彫り師を招き、苦心の末、「桜彫り」を考え出した、と言います。
下の写真はその大阪屋家具の中です。
夕食時までの間、旧軽銀座を散歩していたら、偶然、このお店を見つけました。
この辺は歩いて万平ホテルまでも行けるし、すてきな小径ばかりなので、わざわざ名所巡りをしなくても、何回か軽井沢を訪れている我々にはちょうどいいのです。   

    
    
 




 
   お店のおじさんにお値段を伺った所、なんと、
   じゅっ・・・じゅう・ごまんえんとのこと。
   ポスターといえども昔のものなのでこんな値が
   ついたそうです。更にお話を伺ったのですが、
   川越にあった、「田中屋美術館」が この春、
   閉館となり、そこにあった作品が競売にかけ
   られた時にこれらを仕入れたとのことです。
   世の移ろいでゆく姿の一端を現実に見せ付
   けられた気分でした。  

玄関をくぐっての第一印象は、こじんまりとして気楽、と言う事でしょうか。何の娯楽施設も付属のカフェやレストランもありませんが、部屋でゆっくりと過すには最適。外に出て、右に行けば銀座通りだし、左に行けばすぐにも鬱蒼とした緑と林が広がっているし、散歩するにも買いものをするにもとても便利な場所です。
客室には「シャコンヌ」というお店のおいしそうな焼き菓子がありました。胡麻のがおいしくて、買って帰りたいくらいでしたよ。

 
 
              客室の一部です
銀座通りにはミセス向きのファッションのお店もあれば、おもしろい雑貨店や古くからの写真屋さんもあります。美智子様の若かりし頃の写真を、地元の古き良き時代の写真と共に店内いっぱいに飾ってあり、懐かしかったですね。
美智子様、ほんとうにチャーミングでした。平民のままでしたら、どのような人生を歩まれていたのかしら・・。

その美智子様が陛下とテニスをされたという、テニスコート方面を歩き、ユニオンチャーチを右手に折れた所で小さな古本屋さんを発見。夕食の時間も迫っていたので、さっと見て返ろう、と思っていたら、額入りの幾つかの古いポスターを発見しました。それが実に味があっていいんですよ。一つのポスターには驚かされましたねぇ。そんな名前のビール名があったのか、と。どこかをほっつき歩いているパパにケータイをして、すぐに来るように伝えました。こんなポスター、いいでしょ!

 

 

外はすっかり暗くなり、7時に約束していた夕食の時間に間に合うように宿に戻りました。
旅館のお食事は豪華版ではないけど、すべてが良いお味で、加減をわきまえた量でした。その後に入ったお風呂も、近視のbiancaにはほど良い大きさ。広すぎると自分の洗い場まで戻れないんですよ。トホホ・・お風呂用のメガネをほしい、と、いつも思います。見えない。だから温泉は苦手。
ここはホント、とっても気持ちがよかったです。 何事もいい按配である、ということは家庭的だということでしょう。だから作家さん達も落ち着けたのかもしれませんね。

  
     
     
                          
                 
                         ★中段の白い花はつるや旅館のHPより拝借
                                                        (レースフラワー?中庭に咲いていました。)
                                           
★赤い花は廊下で見つけたサンタンカ
         

 

 



避暑地の出来事(1)

2007-08-18 | visit/drive

軽井沢から帰ってきたら、あまりの暑さに閉口してしまいました。
体温が気温について いかん!のであります。
パソコンには最低限しか近寄らなかったので、盆休の小旅行をアップするのが大幅に
遅くなりました。そうこうしている内に、私は 悲しいかな、年令が一つアップしちゃったし、
終戦記念日も過ぎた16日早朝、寝ながらにして震度4の地震に揺さぶられたにも拘らず
睡魔に勝てずに寝続けていました。
同日から平常通り、仕事が始まりましたが、なんと、こんどは息子がこの間、旅行に行った
ばかりのペルーで、M7.9の大地震が発生。8万人の被災者と500人を超える死者が出て
しまったのです。
更に追い討ちをかけるように、この日本列島では74年振りに最高気温が40.9℃に更新され、
熱中症で十人以上が亡くなるし、円急騰、株価下落とは、いったい今、地球に何が起き
ようとしているのでしょうか?

あぁ・・、きょうは何とか、熱風ではなく、少しばかり外からの冷風を肌身に感じることが出来、
大急ぎでパソコンを開け、打ち捲っているところです。
ではでは、この辺で、簡単に、手短に!?

   biancaの “        ” を、ちょっと書かせて頂きま~す。

朝の9時半に家を出発して、関越~上信越自動車道の佐久I.C.に着いた時はすでに12時半を回っていました。碓氷軽井沢は、きっと込み合っている、と思い、私が行きたかったメルシャン美術館を先に目指そうと決めていました。この美術館にはレストラン「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」が入っている、と、メルシャンのHPで知ったので、今回は特別、奮発しちゃおう!と楽しみだったのに・・・。予約のお客さんでその日のランチ数は終了!だったんですよ~!出血サービスでご馳走してあげよう、と思うとこれなんだから。
えっ内心ホッとしたでしょう、ですって?オ~ホホホッ・・・ 
     じゃぁないですよっ。

メルシャン美術館は1995年に、メルシャン創立60周年を機に、ウィスキー蒸留所の敷地内に開館。入口はご覧のようにシンプルですがお洒落な雰囲気でしょう?中にはツタの絡まる樽貯蔵庫や蒸留所、ミュージアムショップ、レストラン、メルシャンプラザ、そして美術館が点在し、半日をゆっくりと過したいくらい、気持ちの良い場所でしたよ。
                     
レストランは残念無念でしたが、
軽食の出来るカフェもあったので、そこでそれぞれが好きなプレートを注文し、中庭でいただくことにしました。さすが避暑地。外の気温は25度ほどでしょうか。快適指数はサイコー。

近くで小さな子が上半身はだかで芝生を駆け回っていましたが、その光景の愛らしいこと・・!
何回もひそかにシャッターを下ろしてしまいましたが撮りたい写真が一枚も撮れません。子供ってなんてすばしっこいんでしょう。まるで子リスのよう。     

                             

こんな光景を見ていると、小さい頃の我が子の姿を
つい思い浮かべてしまい、一瞬にして過ぎ去る「時」
の裾にギュッとしがみついていたくなりますね。
ゆっくりと昼食をとったあと、美術館へ向かいました。
説明によると、この美術館、ルーブル美術館改修を
手掛けた建築家、ジャン=ミシェル・ヴィルモットによ
り、ウィスキーの樽貯蔵庫を改修して作られた、との
ことです。

ルノアールの「読書する女」も とても好きでしたし、
ミレーの「鵞鳥番の少女」もよかったなぁ。
ゴッホもシャガールもありましたよ。全体に小ぶりな
絵が多いのですが、落ち着いた色合いの絵が多く、
小さな美術館の中で見る巨匠たちの絵は輝いて
いました。

 

手前の木陰には、この子のお姉ちゃんとお母さんがゆったりとした風情で佇んでいましたが、そのうちお姉ちゃんもいっしょに遊び始めました。

「全ては、バルビゾン派から始まった。」
と、パンフレットに書かれているように、ミレー、コロー、をはじめ、ルノアールやセザンヌなど、19世紀後半の画家達の作品48点が展観。そのうちの31点の絵に千住 博さんの《解説》が付いているんです。例えば、このポスターに使われているモネの「睡蓮」には、こんな風に。
          
モネが描きたかったのは睡蓮でもなければ逆さに映る木立でもありませんでした。
モネは、空気、光、温度を何とかしてそこに表そうとしたのです。
モネは「偉大な目」と言われましたが、その目でとらえていたのは形態ではなく五感で感じる感性だったのです。

         
一つ一つの絵を、「フ~ン、そう捉えているのか、千住さんは」 と思いながら鑑賞しましたが、画家の解説はさすが。私も同感したことを、的確な言葉で表現しているんです。

ミュージアムショップではすてきなバースデーカードを見つけたので4枚購入。
これが、あっという間になくなっちゃうんですよ。娘も何やら色々と目移りしながらも購入していましたね。ハーブの薫り高いハンドクリームが特に気に入ったらしく、懐かしい香りがするよ、一緒に使おうよ、とか言うんだから。その意味って?

さて、次はメルシャンプラザでウィスキーとワインの試飲です。蒸留所の見学は時間が決められて
いるので、その時間が来るまで、こんなすごいウィスキーの原酒を試飲。軽井沢ヴィンテージ
31年(1975年)は700mlで58,800円ですって。樽出し原酒ワンショット1,500円。値段も味も強烈!
フラフラしちゃ困るので氷を入れ水割りにしました。もったいないけど強すぎるんですもん。

 
        

ツタに覆われた蒸留所はどこを取っても絵になります。
案内人の説明よりもその光景についキョロキョロしてしまい
ましたが、「軽井沢ウイスキー」の樽熟成にこの蔦が欠かせ
ないものだと知りました。外部の温度の変化から原酒を
守り、自然な呼吸を助け、育んでいるのだそうです。

きょうは、つるや旅館まで辿り付けませんでした。
またあしたでも、時間が許せば 続きをアップしますね。

 


            


62年目の夏

2007-08-09 | weblog

 
長崎に原子爆弾が投下されてから62年目の夏。
あの頃の原爆とは比べ物にならないほど恐ろしい核兵器を この地球上で周囲の反対を
押切って保持しているいくつもの国々の駐日大使も、今朝、平和公園で行われた
慰霊平和祈念式典に参加したという。
廃絶への訴えを半世紀以上続けても一向に変わらぬ世界。
そこが我々人間
のすみかなんだ。
各駐日大使が、被爆国日本を拠点として 少しでも核廃絶への道を自国に強力に
提案し、実行すべく行動を起こしてほしい、と、心から願いたい。

webより

きょうの朝刊の中で、パール・バックが書いた小説 『神の火を制御せよ―原爆をつくった人びと』
が、発表から半世紀近くを経て日本で出版された、という記事を見つけた。
戦後は反核運動に取り組んだバックが、史実に基づき描いた科学者たちの愛と葛藤の本。
原書は1959年に「Command the Morning」というタイトルで米国で出版。ドイツやフランスでも
翻訳本が出され、60年代の欧米の反核運動に影響を与えたそうだ。
今、やっと日本において全訳本が出版とは、唯一の被爆国ゆえか。

物語は、バート、スティーブ、ジェーンの3人を中心に、当時の一線科学者たちが時代の
渦の中で米国の原子爆弾製造計画(マンハッタン計画)に加わり、科学の枠を集めて
作り上げた原爆が意に反して広島と長崎に投下されるまでを描く。
原爆の実践使用に反対する嘆願書にジェーンは署名するが、バートはせず、スティーブ
は迷う。戦後、バートは長崎を訪ね、深い後悔の念に駆られるが、「戦争を終わらせる
方法はほかになかった、仕方なかった」と考える。原爆を使わないよう米政府に働きかけた
スティーブは消沈し、一貫して投下に反対したジェーンは一時インドに逃れた後に光合成
の研究に取り組む。
 
この本の監修者であり、がんの研究者でもある丸田さんは、
・・・科学者はどんな発明や発見をしても、それを自らが制御できなくなる危険と常に
背中合わせだ・・・と指摘。径書房代表の原田さん曰く、
「真珠湾か広島・長崎か、被害者か加害者かという二項対立の原爆論から
 抜け出さないと、建設的な論議は難しい。本書がその一助になれば」

 ◆

どんな大きな過ちでもそこに至るまでに、過ちに気付き、
時には過ちを正すことができる瞬間があるものです。

私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、
人生は私にとって耐えられないものでありました。
そして私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、
悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、
耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのでありました。

悲しみにも一つの錬金術に似たものがある。
悲しみも英知に変わることがあり、それはかりに快楽をもたらすことはないにしても、
幸福をもたらすことができるのだ。

(パール・バック)



7月30日に作家、小田実氏が亡くなった。闘病中でも、最後まで意気盛ん。
実際、6月下旬まで朝日新聞の「人生の贈りもの」欄に5回シリーズで執筆していた。

・・・私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった。
  ヒトラーだって、議会制民主主義のルールの中で平和的に政権交代したんですよ。・・・

         ・・・・・でも結局、正義の戦争なんてないんだよ。・・・・・

「・・・何のために死んでいったのか。」
自らの戦争体験を通して語ってくれる人が一人亡くなった。
平和を祈る気持ちは、法律がどうの、という前に、皆がきっと持っていると思う。
素晴らしい平和の先駆者の言葉を無駄にしないように行動できれば、そして
子へ孫へ、と、微力なりとも伝えていければ、と切に感じている。

 

悲しいニュースが重なるように続きます。

軽井沢町で人が熊に襲われたというニュースを昨夜聞きましたが、
土曜日にその軽井沢に行ってきます。芥川龍之介も宿泊した宿に。

 





夏だ・花火だ・お祭りだ

2007-08-05 | weblog
        

2007年7月28日(土)、わが市恒例の花火大会が行われました。
すでに色褪せた一週間前の話題ですが、やっとブログをアップする気分になってきたんです。
昨日午後、ようやく自動火災報知設備の交換作業が無事?終りました。男の人が3人で
ドカドカ入ってきて、それぞれが別々の部屋へ。全部屋がまな板の鯉状態。ふぅ~ッ
もうビックリでしたよ。
なんなのさぁ、これってぇ!「もぅ~~いやだわ~!」と、二度ほど口走りました。
前日も夜中遅くまで、当日は直前まで汗だくで片付けと掃除。自業自得ですか。

この時とばかりに、ベランダ側の3枚の網戸の張り替えも同日の午前中に頼んでおいたのです。
以前パパにやって貰ったのですが、不器用な素人が見よう見まねでやると、もっと大変なことに
なったりするんですよ。関係ない箇所を壊されたり、ね。

さて、と、花火大会の話でした。今年は打ち上げ会場が今までの高洲地区から墓地公園の
海側に移動したので、運よければ母の家の居間から見えるかな、と思いました。
今まででも、斜め前の大手スーパーがちょっと邪魔ですが、どうにか見えていましたが、今年は
食事をしながら、打ち上る花火一つ一つに歓声を上げながら見れたのです。
一年に一度限り、日の出地区が渋谷のようになる日。JR駅前から海までの2~3キロの
道路が人と車で溢れ、一市民として、ジッとしていられなくなります。
祭りの熱気は市民のみならず、あらゆる店舗もしかり。工夫を凝らしてこの一夜の商運を
願います。普段見なれないわが町の光景にbiancaの若い血が騒ぎ出すんですよ。


 
 

姉とスーパーなどで出来合いのものを少し買ってから2キロ弱先の母の家までウォーキング。
こんな日は車より歩きのが早かったりします。あとで娘も来て、一人で浴衣に着替え
友達との待ち合わせ場所である海に面した新しい公園まで出かけて行きました。見慣れない
浴衣はこの夏用に五千円で買ったとか。中国製なんですって。
写真の紺色の部分はほぼ黒に近い色です。黄色い一本帯を巻いた上から、更に2重に皺加工のポリエステルか何かの帯?を重ねて上手に結んでいました。親の出来ることはしないけど、親ができないことは自ら知らぬ間に習得するんですよね~。

いよいよ花火大会のはじまりはじまりぃ~
いつもは後半から外に出て、一番よく見える場所まで歩いていくのですが、今年は家の中に
居ながらにしてこれだけ見れるので、母を囲んで最後まで一緒に家の中での観賞となりました。
ネイビーさんのブログを真似してこの日打ち上げられた花火の写真で、まぁまぁ見れるものを
一つの画像として作ってみました。ネイビーさん、アイディアを有難うございました。



巻き寿司や大阪いか焼き、枝豆など、出来合いのモノに、私の手作りの(強調!)かぼちゃの
サラダ。母もタラバ蟹とアスパラのサラダを用意していました。カボチャは本当はシーチキンと
レーズン、そしてマヨネーズで和えるのですが、どれも切らしていたのでフレンチドレッシングを使い
カラフルビーンズとプルーン、ミニトマトを飾ったらどぎつい一皿に。
姉の持ってきた大阪いか焼きは、ショッパーズのたこ焼きやの跡に入ったお店ですが美味かった!

  

さぁて、来年の花火大会の開催場所は果して移動するのでしょうか?心配な所であります。

昨夜はお隣の4丁目のお祭りの日でした。いつも台所の窓からお祭りの音だけを聴いて
いましたが、たまたま近所に出かけようとしていた矢先に姉から電話があり、ちょっと見に行こう
ということで
一緒に行きました。何年振りに行ったでしょうか。
盆踊りをなくして舞台を作り、その前にシートを敷いて皆が飲み食いしながら楽しめるスタイル。
クレーン車の上からのライトを浴びた舞台上では、地元の歌手が歌ったり、カラオケ大会をしている、ということは聞いていましたが、私たちが着いたときはなんと、阿波踊りの最中でしたよ。ステップの仕方を紹介していたので私も真似したら、すっかり踊る阿呆になった気分になれました。4丁目には阿波踊り同好会でもあるのでしょうか?
美味しそうなとうもろこしとやきそば。つい買ってしまいましたので、晩の食卓が祭りの日バージョンとなったことは言うまでもありませ~ん。