何日もの間、イスラム国に人質となった日本人二人のことで頭がいっぱいだった。まともな会話・対話が成り立たない相手は世間に居ないことはない。が、我が国の人間が人質となり、一方的な要求を突き付けられ、解放に向けどう出ればよかったのだろうと考えると、対話が出来ない相手に対し、打つ手がなかった気がする。期限付きの要求をのんでものまなくても、事態が良いほうに進展しなさそうな展開に思えた。90%絶望のなかでも、ひょっとして後藤さんだったら・・・のわずかな期待がついに抹消されてしまった。 こんなにも非人道的なことって、あり得ることなのか。この世にまだ人食い人種がいることを知らなかった自分が世間知らずなのか。戦争を体験したことがなく、今までずっと平穏に過ごせたことというのは、ほんとうは奇跡的なことなのか? |
まだソチロス中の方もいらっしゃることと思います。
先日息子が教えてくれたこの画像、とっくにご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、
見ているだけでリラックス感が伝わりますね~♪
あの日の緊張感とは打って変わり、解放感あふれた選手の表情を見て
こちらまでリラックスしました!画像をクリックしてもう一枚。
ソチ五輪のアイスダンスに出場したフランス代表ナタリー・ペシャラ選手が、エキシビジョン後に
ほかの選手たちと撮った“変顔”記念写真を、自身のInstagramに公開。日本の浅田真央選手、
高橋大輔選手、町田樹選手、さらにイタリアのカロリーナ・コストナー選手、カザフスタンの
デニス・テン選手らを含む8人の楽しい雰囲気が伝わる一枚だ。この写真はTwitterや
ソーシャルメディアでも広く拡散。多くのファンが「素敵な写真!」との声を上げている。
なお、コストナー選手とテン選手は、Instagramに変顔前の写真を公開。見比べてみるのも面白い。
(※画像はInstagramより)
※画像と青字記事はwebより拝借しました。
時差の関係もあり、熱心には見ていなかったソチ五輪。 鈴木、村上両選手の演技も、日本人ってなかなか素敵だぞ~~と、感じるような繊細さがあり、夜遅くまで見ていた甲斐がありました。 追記:22日の天声人語 |
東日本大震災から今日でちょうど一年が経った。
午後、窓の外から市のアナウンスが聞こえたので耳をそばだてた。
聞き取りにくかったが、もう少しで「その時刻」となる。黙祷の時刻を知らせていたのだろう。
テレビでの被災地生中継番組をつけたまま、画面の中の人々と共に黙祷した。
今日初めて知った震災当日のあるエピソードに、あの日が昨日のようによみがえった。
一年のあいだ、すこしずつ情報が整理されてはきたが、首都圏直下型の予想等を聞くにつけ明日は我が身の恐怖から逃れられないでいる。ただただ運命に従う以外はない被災者の姿は明日の我が身であるかもしれない、と心から感じること、あの日、抱いた気持ちをずっとずっと忘れずにいること。、防ぎようがない天災の前で人は知恵を出し合い手を携えて助け合うしかないだろう。
今日の天声人語、以下の部分が脳裏に深く刻まれた。
▼被災地ばかりでなく日本全体にとって、「3.11以前」はもはや戻れぬ対岸になってしまった。振り向けば橋は消えて、隔てる川の流れは深い。だれもが心細い肩を寄せ合いながら「絆」という焚火に心の手をかざしてきた一年だったように思う。
同時に、1月17日の朝日新聞で読んだ記事を思い出した。
17年前、阪神大震災を体験した13才の少女は、結婚して陸前高田市に移り住み、昨年3月に、逃げ込んだ市民会館で津波に飲みこまれ29才の若さで逝った。それも妊娠3ヶ月だった。
彼女、朋さんが一昨年2月に陸前高田市で開催された福祉の講演会で、突然の指名にもかかわらず落ち着いた声で朗読した詩が「最後だとわかっていたなら」だった。
2001年の同時多発テロの時、追悼集会でも朗読され、世界中で有名になったこの詩は米国人女性、ノーマ・コーネット・マレックがわが子を亡くした時に書いたとのことだが、ノーマももはやこの世にはいない
「最後だとわかっていたなら」
(作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦)
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
“If I Knew It Would Be the Last Time”
If I knew it would be the last time
That I’d see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly
And pray the Lord, your soul to keep.
If I knew it would be the last time
That I see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss
And call you back for one more.
If I knew it would be the last time
I’d hear your voice lifted up in praise,
I would video tape each action and word,
So I could play them back for one more.
For surely there’s always tomorrow
To make up for an oversight,
And we always get a second chance
To make everything right.
There will always be another day
To say our “I love you’s”,
And certainly there’s another chance
To say our “Anything I can do’s?”
But just in case I might be wrong,
And today is all I get,
I’d like to say how much I love you
And I hope we never forget,
Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.
So if you’re waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You’ll surely regret one day,
That you didn’t take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.
So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much and
You’ll always hold them dear.
★追記しました~
以前ブログの中で、息子が仙台に行ったことをチラッと書きました。
仕事がオフの日を利用して、夜行バスを利用して仙台に行き、そこで前もって調べておいた受け入れ先で登録を済ませ、ボランティアを必要としている行き先を自分で決め、電車で目的地へむかったとのこと。
彼にとって「震災ボランティア」は初体験でしたが、行ってみて、未だにテレビや雑誌などで見たそのままの状態だったことにショックを受けていました。あれからもう3ヶ月が経つというのに。
全国から数多くのボランティアが復興に向けて、(個々の出来ることは本当に微力だろうけど)それなりに協力していても、一見何も変わっていない、ということは、それほど手のつけようがない状態だったということです。
この3ヶ月、政府はなにをしていたのだろう?議論している暇があったらヘルメットかぶって作業してくるといいんだ、と言っていましたが、本当に同感。(国会中継を見ていると、言葉尻を捉えての罵声や応酬、責任のなすりあいや突付き合いばかりで、恥かしくて聞いていられない。非常時だというのになぜ団結して事に当れないのか!)
ボランティアとして出来ることは、個人のお宅での瓦礫撤去などであって、よくテレビに映されるような、形をとどめないほど壊滅状態となった場所は、素人が介入するには広範囲すぎるし危険きわまりないようです。先月の新聞で読者からの声として紹介されていた記事にも書かれていましたが、
「がれきは映像では単なる建物の破片のように見えますが、実際には海底のヘドロ、下水処理施設からの汚水や汚物がまざったもの」なのですね。
帰宅するなり息子は、“個人宅の瓦礫撤去といっても、釘がむき出しだったりしてすごく危なかった。次回は絶対「ボランティア保険」に加入してから行くべきだ”と話していました。
今回思い切って行って、大災害の現実を目の当たりにし、そこで多くのことを感じ取り、いくつものお土産を買ってきただけでもよかったな、と思っています。ウチへのお土産は鐘崎のかまぼこ。美味しい美味しいサーモン、ずんだ、チーズ味の詰め合わせでした。
若林区にあるこのかまぼこ屋さんは甚大な被害を受けたようですが、ギリギリのところで津波に流されずに済んだとのこと。いろいろな話を聞くにつけ、復旧そして再開に向けて頑張っている姿から、逆にこっちが励まされることって多いんだな~と思ったことでした。本人はまた絶対に行く、と言っています。復興への道のりはきっと長く厳しく、体力と気力勝負かもしれません。長期戦での支援を、自分の出来る範囲でやって行ければいいな、と思っています。
それと、いつも気になっていた「頑張れ」と言う言葉について。新聞やニュースなどで、否の意見が多く聞かれますが、私としては、頑張っている被災者に、さらに頑張れ、と促している言葉だとは捉えません。だってそんなつもりで使っている人はいるわけないでしょう。単に負けるな、ファイト!と、元気付けたいがための言葉ではないかと思うのです。なぜって、代わりとなるぴったりと当てはまる言葉を見つけるのって難しいと思いません?言葉の持つ意味を国語的に考えていくと、心情が見えなくなります。語彙の豊富な人ならいざ知らず、ですが。
がんばっぺ、東北! ここで終りになるはずでしたが、先日姉が、アメリカのミズーリ州ジョプリンでの竜巻に、友人ジョアンが巻き込まれたかもしれない、と言ってきたのです。竜巻の発生する何日か前に、ジョプリンの町の美しい風景や彼女の家などの画像が音楽入りで編集されたDVDを送ってくれたばかり。私も見せてもらっていたのです。竜巻発生後、連絡が途絶えた、との事で、(パソコンに関しては姉より私のが圧倒的に知っているほうなので)インターネットを立ち上げ、ジョプリン市のHPから、被害にあった地域を調べました。そしたらジョアンの住所は竜巻の通過地点の中にあったのです。早速You Tubeで動画を探して見ました。
追記:
東松島市に住む友人から宅急便が届きました。
要冷蔵の品は、笹かまぼこ!
建物は無事だったけどかまぼこ製造の機械が水につかったため、ずっと製造できなかったが、復旧作業を終え営業再開したので、自宅用も含め購入したとのこと。現在はまだ二種類のみの販売の上、以前の味とは違うのよね、との話しでした。ここの蒲鉾は、母の亡き従姉妹がよく送ってくれていたので知っていたのですが、パッケージと見かけは全く同じでも、確かに味は違っていました。
いろいろ話しているうち、彼女の娘さん(すでに二児の母)が、東京オペラシティーでのチャリティーコンサートに出演し、フルートを演奏したということを知りびっくりしました。新聞にも載った「被災地で独り母に捧げるトランペットを吹く少女」も参加したあのコンサートです。その後もピア二ストと共に、あちこちの被災地を回って演奏しているそうです。娘さんの名は、お会いした事がなくても忘れたことがありません。その由来が、私たちがジャズを聴き始めたころ有名だった、フリージャズサックス奏者名から取ったものだったからです。前衛過ぎて良く解らなかったけど、友人とそのご主人は好きだったのかもしれません。
大地震あとの余震続きで、こんな時間になっても寝れなそうです。
皆さんのところはいかがですか?どうかご無事でありますように。
ケータイに今、緊急地震速報が入りました。茨城沖で地震発生と。
まだゆらゆら揺れ続けているので、布団にはいるのが怖いです。
昨日の午後2時40分ごろの地震直後に公民館にいる母の安全を確認するのに車をとばし、夜は新木場まで、姪を迎えに行って来ました。往復4時間近く掛かったかもしれません。帰宅したときはすでに水道、ガスが止っていましたが、炊飯器でご飯を炊いていたし、電子レンジが使えたので助かりました。水がどれほど大切かが、よく判りました。コンビニに寄ったけど、パンや惣菜、牛乳類は皆無。ウチのそばのコンビニは地震直後から水浸しでクローズ状態。
アメリカにいる娘からは2度目のGmailがケータイに入りました。あちらでも大々的に報道されているそうで、家族の無事に安心したようです。前夜7時台に送信したようですが、今、「お預かりメール確認」をチェックして着信を知ったのです。その前のメールは「新着メールのお問い合わせ」の中で見つけました。明日は(今日でした)余震も収まっていることを祈るのみです。
さなメモの中の地震の記事、今更ですがプリントアウトしました。
再度読んで、周りにまわそう。
★地震が起こったら、まずこれをしろ
液状化現象と亀裂
4時9分になった今、また新たに緊急地震速報がケータイに入りました。
大丈夫かなぁ。もう祈ることしかできません。
これは、2月中旬ごろ目にした、某旅行社の新聞広告です。
2月22日に起きたニュージーランド南部の地震発生から一週間が経ちました。何十人もの日本人の語学研修生が一瞬の内にがれきの下となり、救助された人もいれば依然行方不明となっている人の数も多く、助かった人の中には、サバイバーズ・ギルトと呼ばれる症状を起こしている人も多く見られるとのこと。カフェテリアで一緒に昼食をとっていた仲間の、生死を分けた理由とは、いったい何だったのか。足を切断して救助されるしか方法のなかった、もとサッカー部キャプテンの奥田さんのことも、かなりショックだったし、依然行方不明の方々のことを思うと辛い気持ちになります。海外旅行中に事故に遭ったことのある息子や、海外在住中の娘や従弟のことをつい思い浮かべては皆の強運を願わずにはいられなくなります。そして下の句を見つけたとき、もはや祈りの境地になりました。
「居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ」
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2月24日の天声人語です。阪神大震災を詠んだ竹山広さんは長崎での被爆体験者だったのですね。そのときそこに居合わせるという運命は誰にも起こり得ることですが、天災は誰に訴えていいのやら。
新聞整理のときに読んだ「特派員メモ」。天災の悲劇と一緒にするのはどうか、と思いましたが、これも一種の「居合わせた人 」のメモと言えるでしょうか。
朝のコーヒーを飲みながら、テーブルに広げた新聞で、野沢那智氏が
亡くなったことを知る。ショックだった。信じたくなかった。
かなり以前、ブログにちょっと書いたけど、TBSラジオの深夜放送番組
「パックインミュージック」~ナッチャコパック~を、学習机の上で
夜な夜な聴きながら、勉強らしきものをしていた遠いあの頃が、一気に
よみがえってくる。67年から15年間も続いた番組を、私はたぶん初期
の頃から聞いていたのではないか、と思う。音楽だけでなく聴取者の
寄せるお便りや人生相談的な投稿に対するナッチャンの、いい按配に
シリアスなコメントを聞くのが好きだった。チャコちゃんこと白石冬美
さんとの軽快且つ絶妙なやり取りのなかで、投稿者の気持ちをきちんと
受け取りながら読み語るナッャンの存在感はあのころピカイチで素敵で
ず~っとずっと憧れていた。
10月の最終日が悲しいニュースになり、残念でたまらない。
季節外れの台風と共に千の風となって遠くへ行ってしまったナッチャン。
「穏やかな眠るような最期だった」との関係者の言葉を聞き、
すこしだけ救われる思いだった。合掌
チリ北部のサンホセ鉱山で8月5日に起きた落盤事故で、深さ700メートルの地下に閉じ込められた作業員33名が、日本時間の今日14日午前9時55分、全員救助された。昨日未明から始まった救助作業は、当初48時間かかるという予想だったが、なんと約22時間半のスピードで完了。 最後の一人はリーダー格だったというルイス・ウルスアさん(54才)だった。6人兄弟の長男である彼は14才で父親を亡くし、親代わりとなって妹弟の面倒を見ていたという。弟の一人が地下の兄に出した手紙で、どうやって32人をまとめたか、訊ねたときの返事はこうだった。 世界中のメディアが注目するなか、この感動的な救出劇を、次なる目的で利用すべく様々な形での申し出や依頼、企画などがひっきりなしの様で、映画撮影はすでに始まっているとのこと。又、よくあるように美談がなにかの拍子にひっくり返ったり、取材合戦が家族間の平和まで脅かすことにも為り兼ねない。願わくは、生還者たちの人生を引っ掻き回すことなく、最後までハッピーエンドであってほしい。 救出された33人の、70日間に及ぶ地下生活は今後すぐにでもインタビューや活字となって知ることが出来るだろう。が。この救出劇に関与した「偉大なる力」は、一国ではなく世界中から集められた叡智の、そして思いやりの結晶であったと思う。国力や政治・宗教などに関係なく、33人同様、世界を巻き込んで役割分担しながらの救助作戦が功を奏した。 "エスペランサ~希望~"という、忘れかけていた言葉が新鮮だった。 作業員の一人で、詩人と呼ばれていたビクトル・サモラ(33)は、閉じ込められて間もない頃をこのようにあらわした。 多くの日々が過ぎた 自分達の生存が地上に伝わるとともにその内容も変化し、救助用の縦穴が通ったときの心境をこのように表している。 ここ地底に
なにはともあれ、生き抜くためにお互い励ましあった33人と、素晴らしい救出作戦の成功に心から拍手を送りたい。
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新浦安駅前広場にて。左側の白っぽい部分が舞台正面。
よく見える場所は人の山で近づけない。
東京ビッグサイトで開催中の東京国際ブックフェアに行った帰り、
下車駅に降り立ったところ、人の数がはんぱでなく騒々しい。
何かと思ったら、明日の選挙のための最後のお願い演説に、
管直人首相がやって来るためとわかった。
そう言えばポストにチラシが入っていたっけ、と思い出した。
カメラ班
このあいだ、連舫議員が応援演説に来た時は、たまたま買物帰り
とぶつかり、立ち止まって野次馬の一人になっていたけど、
順番が最後だったので待ちくたびれてしまった。
今日も、本命の前に、何人もが前座を受け持って、というか、
そっちに立候補者が含まれていたんだけど、連舫さんの時同様、
スター目当ての市民にとっては、
本命が現れるまでの数十分がとても長く感じられる。
ビッグサイトを歩き回り、くたびれ気味の私は待てずに帰宅。
玄関に足を入れたとほぼ同時で、夫がベランダの外に出る所だった。
異常なまでに轟音を立てて、我がマンションの上空を飛び交う
数台のヘリコプターが一体なんだか気になったという。
「管さんが駅前広場で応援演説をするからよ。すぐに行けば
ちょうど出番のころかも。」と嗾けるミーハーな私。
聴衆の一人となって、かん(姜)氏の講演を聴いて来た
そのすぐあとに、別のかん(管)氏が主役の現場に遭遇するとは!
おかんは私だけど!かんケイないか。 カ~ン!
講演会が始まる直前の会場内
明日が最終日の第17回東京国際ブックフェア。
そして明日は参議院議員選挙投票日。
管さんを話題にしたからって私の支持政党が特定された
ってわけではありませ~ん。念のため。
マイブログはいつもビアンカ(白)で行きまっせ。
☆姜さんの講演については後日、少し書くつもりでいます。☆
【追記】
母のところで取っている新聞に、7月10日夜の新浦安駅前のこの画像がトップページに掲載されていました!わが市では民主と道さん、票を取りましたが、全体としては与党は苦境に追い込まれた総選挙の結果でした。 この国では又、大臣が、首相が、一年すら支持されずに変わり続けて行くんでしょうか。イタリアの放言失言王、ベルルスコーニ首相が現役を続けられる国との差ってなんだ・・・と、考えてしまいます。