ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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オルセー美術館展2014へ

2014-09-23 | art/exhibit/museum

 

開催前から評判の高かった「オルセー美術館展」を見に、国立新美術館に行ってきました。7月中に行くつもりが、夏風邪のために遅れ、その後も、何回か行こうとしたその日にたまたま別の用が入ったり、用事が長引いて行き損なったりしていたのです。午前中は混むので午後3時過ぎに着くように家を出ました。いつもミッドタウンの先までは地下道を歩きますが、きょうは角の銀行のキャッシュコーナーに寄るので六本木の駅からすぐに地上に出ました。それからチケットショップを覗き、たまたま見つけたこの美術展のチケットをゲット。でもたった50円安いだけ!その並びのペットショップもつい覗いてしまいました。寄り道しながら歩くの大~好き!

月曜休館の美術館が多い中、ここは火曜が休館日。なのでもしかしてすいているかも、との期待どおり、すいてはいませんが程よい人出でホッとしました。

マネの《笛を吹く少年》に始まり、マネの《ロシュフォールの逃亡》で終わるこの展覧会では、パリ・オルセー美術館を代表する84点もの絵画が来日。マネの貴重な作品を11点も鑑賞することができる上、モネ、セザンヌ、ルノアール、ドガ、シスレー、クールベ等々、誰でもご存じの印象派の画家が勢ぞろい。

しかし、マネはサロンで認められることにこだわり続け、印象派展には一度も参加しなかったのですね。

サロンとは、19世紀のフランスで、芸術家として身をたてるためには是が非でも入選しなくてはならない、国の運営する最も権威ある展覧会のことですが、次第にサロンの審査にたいする不満が高まり、モネなどはサロンに見切りをつけ、他の画家と共に別の会場で展覧会を開くようになりました。

1874年、モネがセザンヌやドガ、ルノアールらと共に展覧会を開催し、そのときにモネが出品した作品のタイトルが《印象、日の出》だったことから、彼らは印象派と呼ばれるようになったとのことです。とはパンフレットから仕入れた知識です。

☆21×27の、セザンヌの《草上の昼食》もありましたが、特記すべきはモネの同名の大作です。
左が418×150、右が248.7×218の、圧倒的な大きさに目を奪われました。しかし、マネ、モネ、セザンヌ、そしてピカソまでが「草上の昼食」と題した絵を描いているので、なんだか紛らわしくなります。本家本元はマネなんですね。みんなマネしちゃって!

マネの《草上の昼食》に触発されて若きモネが挑んだ野心作。当初縦4m×横6mの大作でしたが、家賃が払えず大家の手に渡り、取り戻したときには損傷のため分断せざるを得ませんでした。ピクニックという近代的な主題と、葉の重なりや木漏れ日を捉える明るく細かなタッチは印象派の誕生を予感させます。

 

ミレーの《晩鐘》、ルノアールの《ダラス夫人》、ドガの《バレエの舞台稽古》など、馴染みある作品やどこかで見たことがある、と思うものも何点もありました。

☆ラトゥールの《テーブルの片隅》では、8人の男(詩人)たちの中に17才の若きランボーがヴェルレーヌと隣り合わせで描かれています。頬杖をついて生意気そうな早熟の詩人ランボー。ヴェルレーヌが妻子を捨てて彼にぞっこんになったのが一寸わかりそうな気がします。
↑前列左よりヴェルレーヌ、ランボー、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペルタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール(webより)

☆そして下はバジールの『ラ・コンダミス街のバジールのアトリエ』



バジールが借りていたアトリエで議論し合う印象派の画家たちを描いた作品である本作は、当時のバティニョール派の画家たちの緊密な関係性を物語る重要なものとして今日も極めて重要視されている作品のひとつである。画面中央やや左に描かれる背の高い人物がバジールで、マネ(山高帽の男)とモネ又はザカリ・アストリュックとされる)に自身の作品を見せており、このバジールの姿はマネによって描き加えられたことが判明している。また画面左部の階段では批評家エミール・ゾラ(階段上の人物)とルノワール(階段下の人物)が会話している(又はモネとシスレーとも解釈されている)ほか、画面右部では画家の友人であるエドモン・メートルがピアノを弾いている。
(webより)

なんと豪華な顔ぶれ!当時の様子がうかがわれる興味深い一枚でしたが、1870年に描かれたこの絵を最後に、バジールは普仏戦争に参加。同年10月28日に29才の若さで戦死したということを知り、この平和的な絵と戦争が同年ということにとても違和感を覚えました。印象派の多くの画家たちは、友人や知人の死と隣り合わせの時代を生き抜いていたことを知らしめる一枚でもありました。

長々と感想を綴るつもりはなかったのに、調べてみると色々なことが繋がっているので、それなりに面白いです。(ちょっとシンドイけど!)

☆カイユボットの《床に鉋(かんな)をかける人々》
力強さが伝わってくるような絵です。

近代都市パリの労働者階級の人々を描いたこの作品は視線を高くとった斬新な構図や描写の生々しさが批判され、1875年のサロンに落選しました。しかし、カイユボットはこれを機に印象派への参加を決意します。1876年の第2回印象派展に本作を含む8店の絵画を出品し、一躍注目を浴びました。

 

☆アメリカ人の画家ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーの代表作の一つ『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』。

67歳を迎えた母の健康が思わしくないことを知ったホイッスラーは、彼女の肖像画を書くことを決意しました。しかしながら、抑えられた色調や簡素な構図と、音楽用語のタイトルからは、この作品が親しい人物の肖像であると同時に、線と色彩による普遍的な美の探求の場であったことが伝わってきます。

本作のモデルであるアンナ・マティルダ・ホイッスラーは、1804年ノースカロライナに生まれた敬虔なクリスチャンで、1864年から10年間ロンドンのホイッスラーと同居。
画家はミドルネームをアボットから母の旧姓であるマクニールへと変えるほど母を敬愛しており、本作の静謐で落ち着いた雰囲気や色彩、温和ながら抑制的で瞑想的な独特の表現などからもそれを窺い知れる。(webより)

何回も目にしている作品ですが、モノトーンの美しいこの絵に見入ってしまいました。カーテンの、流れるような美しい柄。おそらく昔からそこにあったと思われる、壁にかかった一枚の
絵。ストイックな表情の中にも気品を感じる母親の表情。母に捧げる息子からの最後の贈りものだったのですね。

今年は9月13日から京都国立近代美術館で、12月6日からは横浜美術館でホイッスラー展が開催されます。横浜、ちょっと遠いけど行きたいな。

 

☆木の机に無造作に置かれた一本のアスパラガス。それが今回展示してあるマネの《アスパラガス》。1880年の作品です。
そのエピソードがなかなか愉快でした。というのは・・・



この作品に先立ち、マネは一束のアスパラガスを描きた静物画を800フランで売却したところ、買い主は1000フラン送ってくれました。そこで、マネは「あなたのアスパラガスの束から、1本抜け落ちました」との一言を添えて、本作を送ったそうです。晩年のマネはしばしば小ぶりの静物画を親しい人々への贈り物をして描きました。


これを受け取った時の買い主の気持ちをつい想像したくなるのは、きっと私だけではないでしょう。

 

☆マネの絵の中では、最晩年の「ロシュフォールの逃亡」が、私にとってとても印象的でした。

マネは10年ほど前に起こった事件に触発されて、本作を制作しました。ナポレオン3世の体制に抵抗したためニューカレドニアに追放されたジャーナリスト、アンリ・ロシュフォールが小舟で逃亡する様子が描かれています。画面のほぼ全体を海で覆い尽くす構図の斬新さや、最晩年のマネ特有の荒い筆致の美しさが際立つ1点です。

 

 

☆1882年作《ガラスの花瓶の花》↓この絵ハガキ、買いました。
もっともっと絵を描き続けたい思いでいっぱいだったマネ。病魔に勝てず、《ガラスの花瓶の花》を描いた翌年、51才でこの世を去りました。
 

最晩年のマネは体調を著しく悪化させ大作を手がけることは困難な状況にあり、その為、室内に飾られていた花を描くことが多くなっていた。≪花≫の画題にはマネの安堵や癒しを求める姿勢を窺い知ることができるが、逆に短命な花と自身の置かれた状況に対する心情を重ねたとも考えられている。(webより)


・・・・・・・・

 
閉館前の数十分のあいだは、気持ちいいほどゆっくりと鑑賞できました。ただ遅い時間になってしまい、ミュージアムショップ等を見れなかったのが残念でした。外の暗さにあわてて美術館を後にしました。

 


見ごたえのある美術展をブログ記事にすると、忘れていることの方が多くて中途半端になるのが残念ですが、webで絵や解説が探せて、どうにか投稿にこぎつけました。この展覧会は10月20日(月)まで開催されています。今月25日からはチューリヒ美術館展が開催。又、モネの大作《睡蓮の池》などが見れます!芸術の秋はこれからますます深まりますね。



帰りは、折角来たからと少しだけミッドタウンに寄り、お茶をして、上の階もささっと見てから帰宅しました。茄子ときのこのキッシュの美味しかったこと!かじってから気が付き、写真を撮ったので、こんな構図になりました!

 

 

 

 ㊟ 青い字の部分、そして作品画像の一部はwebで探したものを使用しましたのでご了承ください。


夏が終っても・・・

2014-09-20 | ホビー

今日はもう彼岸の入りだというのに、まだ終わらない夏糸での手編みベスト。もうすぐなんですけど、一つ一つ教わらなきゃ進めない箇所があり、わからなくなるとそこでストップしてしまい先が編めませ~ん。


ドライブ編、一度覚えたら簡単よ、と言われ、それでは、と始めたのがたしか6月。たまに編むだけだったので、慣れるまで一か月ほどかかったかもしれません。もう間違ってばかりで、その都度全部最初からやり直していたから、何回諦めようと思ったことか。
全てを表編みで編むので、それは簡単。ただ、針に糸を一回かけるか二回か、三回か、で、こんな模様になるんですね。
あと脇をとじて、袖まわりと裾まわりを始末すれば終わりですが、どんな始末をするのか、お尋ねしなくてはわかりません。
でもでも来週には、何が何でも絶対終わらすぞ~!と意気込んではみたものの、こんなに涼しくなっちゃって、出番はあるのか、麻糸ベスト。

夏が終わっても、まだ一度も着ていないベストもあります。こっちのは上のより、1~2ヶ前に編み始めていて早めに終わっていたのですが、仕上げを怠けていました。編んでいるうちに、なんでこんな派手な色選んじゃったんだろう、と思い始めたら、仕上げの手がとまっちゃって。津田沼のユザワヤに行ったとき、棚の上に見本が飾ってあり、その色が気に入った筈なのに、、、このとがったトライアングルったら!等々いろいろ気になってしまうのです!
(編み始めのころのブログ記事

結局、私は編むより買った方がいいのかも、と思い始めました。
昨冬編み始めて、春先にやっと終わったベストだって、一度も着ていないんですもの。選んだ糸は気に入っても、自分で編んだものが気に入るかどうか、それが一番の問題だ。なぁんて、まだ未熟なんだから、気に入ったのがそう簡単に出来る訳ありませんね!
しかし~いつまで未熟とか初心者とかって言っていられるだろう。

あと10日ほどで10月になるだなんて信じられないです。
そうだ冬物。始めなきゃ!(編むのは好きですも~ん)

数年前、母のボケ防止のため、久しぶりに始めた編み物。
これからは私のボケ防止のための趣味となっていくのでしょうか。
まだまだ見せられるようなものが出来ないのに、下手なモノをお見せしちゃってごめんなさ~い。これもマイ記録ということで。(アイロン掛け、忘れていました!)



お幸せにね

2014-09-14 | family

左から娘、姪(新郎の妹)、姪、姉、義妹(新郎の母)


久々の慶事。圧倒的に多い弔事に対して、晩婚化も拍車を掛けてか、お目出度い席で皆と会えるのはいつ以来でしたっけ。若い人の晴れ姿を見ていると、まだ見えぬ一歩先がどのように展開していくのかワクワクさせられます。
といっても我が家の慶事ではありませ~ん。弟の長男、つまり甥っ子です。

数年前に横浜から転勤先として赴任した所が北海道K市。その同じ職場で出逢った彼女は優しい笑顔が印象的な色白の美人さん。あちらで一年前に入籍し、この春、転職のためご近所に引っ越してきたのです。


横浜や東京も含め、あちこち式場探しをして、やっと二人で決めたホテルH東京ベイ。
会うたびに進行状況などを聞いていたので、当日が本当に楽しみでした。そして土曜日、ついにその日を迎えました。
 

全国的に天候不順だった先週でしたが、北海道でもあちこちで集中豪雨の被害があったので、当日までハラハラしっ放し。式の前日にこちらに着く予定の花嫁側のご親族や友人たちでしたから、一日ずれたら空の便はすべて欠航でした。「天の神様からの祝福」としか言いようのない晴天に恵まれた土曜日となったのです。なんと有難いこと!
            
ホテルHに行くのは久々でしたが、チャペルに向かっていてふと思い出しました。そこは以前、和食レストランがあった場所だ、と。何回か利用したことがあるのですが、和食レストランより、ウェディング事業のが採算がとれるということでしょうか。ベイエリアのホテル群は、出来た当時から比べると、それぞれかなり模様替えをしているのです。

ガラス張りの明るいチャペルからは外の緑が見えて、南国ムード満点。
ここからは大勢の友達も加わり、イタリア人神父により挙式が執り行なわれました。陽気でジェスチャーたっぷりの神父さん、何かの拍子にオペラでも歌い始めるんじゃないかしら、と思ったりしてしまうほど、神父と言う役?を楽しんでいるように見えました!
その後、外に設置してあるウェディングベルを二人して鳴らして花吹雪の舞い上がる中を歩いていく・・・ここまでがセレモニーとなるのでしょうね。
 
                               

披露宴はそこから見えるバンケットルームで。チャーチ同様、ぐるりのガラス窓から外が良く見える、解放感あふれる会場です。

       ・・・・・・

甥に断わりもなくマイブログで実況中継のように写真入りで記事を書いていくのもおかしなことと思うのですが、二人で作り上げた結婚式が楽しいのひとことだったので、つい・・・。

御席表もプロフィールもMENUも、すべて沢山の写真入りの手作りなんですよ!その一枚には、マチュピチュでうちの息子と会った時の写真まで載っていて・・・仕事がオフの時にせっせとアイディアを練っていたのでしょうね。

会場に入ると、まず三つの投票箱のような箱が置いてありました。新婦さんのお色直しのドレス色を三色の中から選び、受付で貰った名札を三色で色分けされた箱の中に入れるというのです。赤か、緑か、青か・・・?
当たったらプレゼントが出るのかしらと思うと~~楽しみでした!

乾杯はシャンパンで。あれ、ウチの車の帰りの運転手はだれになるの?と見回したら、あっ、そうだったぁ~と、息子が言ってくれたのでアリガタヤ♪アリガタヤ♪ 

美味しそうなイチゴのケーキにナイフが入れられました。まだ純白のウェディングドレスです。美味しい食事が運ばれ、今度はワインをいただいたりしている間、お色直しに行かれたようです。

      

最初の一品、「色紙仕立ての生ハム クリームチーズと共に」。
そしてテーブルの上にはお花とキャンドルサービス用のローソクが、アイビーを泳がせたガラスの容器に入っていました。これが見ているだけで美しいのです。甥のお友達は皆、お茶目なところがある元サッカー少年たち。中高別々の学校でしたが、サッカーはずっと続けていたので、その時のメンバーとのつながりが今でもずっと続いているようで、やり取りを聞いているだけでも笑ってしまうほど面白おかしい。義妹は、何かやらかすのではないかとハラハラしていたそうですが・・。そういえば、
キャンドルサービスのとき、容器からキャンドル部分だけを取り出して、頭の上に乗せて点灯してもらったテーブルもありましたね~。

披露宴は午後5時からでしたから、外はもう暗くなっています。そんなこんなしているうちにお色直しを終えたお嫁さんが戻ってきました。ジャ~~ン!

でした!当たった人の中から三名が選ばれてプレゼントをいただきました。発表は三等から始まりましたが、最初に呼ばれたのが夫の名前だったのでびっくりしました!。プレゼントはマッサージクッションでした。二等は和牛肉だったかしら?新婦さんのお友達がゲット!肉好きな娘が、肉がよかったぁ~~~!と小声で叫びました。一等はディズニーリゾートのペアチケット!甥の友達が当たったようで、周りの仲間から、「お前誰と行くんだ?お母さんと行くんだろう~?絶対お母さんと行くよな。」って囃し立てられていたので可笑しかった。のりがいいというか、合いの手をはさむのが得意というか、私は何回涙が出るまで笑ったことか。彼らの一人のお祝いスピーチでは、とても流暢に長々と話すその方を、息子が目配せして私の方を見るので更におかしくてたまらなくなり、涙を拭き拭き一人で笑い続けていたんですよ。だって、あの「中村屋~!」を思い出しちゃってね。あの動画を見なければこれほど可笑しくは感じなかったかもしれません。
あ、私が選んだお色直しの色は赤でした。残念!

最後の出し物は、やはり同じく甥の中学時代の友達のギター弾き語り。長渕剛作詞作曲の「乾杯」を物まねして歌ったのです。とっても上手でびっくりするほどでした。
そのうち一人、二人、と他の仲間がギターの周りを囲み始め、共に歌い始めました。
となりのテーブルの、高校時代の友達も立ち上がって、その中に加わっての大合唱となり、とても感動的な光景に胸が熱くなりました。こんなに多くの仲間に祝福される甥夫婦は本当に幸せだなぁ~。今の若者は、、、と、よく言うけど、昔の若者と全然変わりはないじゃない、と思った瞬間でした。

そんなこんなで、最後にフルーツとケーキ、そしてコーヒーが運ばれ、披露宴も終盤となりました。親への花束贈呈のあと、当人たちは招待客を送るため外に出ましたが、私たちにはまだプレゼント映像が残されていました。それは、列席した全員の名前と、それぞれの思い出の写真の数々、そして感謝の言葉を添えた手作り映像でした。
ほんとうに心のこもった披露宴でした。お二人ともどうか末永く仲良く、お幸せにね!!

新郎にとって新婦の好きなところ: 素直なところ
新婦にとって新郎の好きなところ:  優しいところ 

 


スーパームーンを見上げながら

2014-09-10 | weblog

回覧板をかかえ、マンションの廊下に出たときに見たお月様。


これが今年三回目という、「スーパームーン」。
前日の8日は「中秋の名月」だったのに生憎の雨天だった。

今朝のテニス全米決勝では、錦織圭は敗れたものの、
アジア男子としては初めての4大大会シングルス決勝進出を果たした。
最後まであきらめない前向きな姿勢がジョコビッチをも破り、
だれにも負ける気がしない、と思える強い精神力を培ったのだろう。
す・ば・ら・し・い!!

優勝したクロアチアのチリッチも同様だ。
彼も初優勝に「信じられない!」気持ちだったそうだ。
彼自身、「不思議なくらい突然強くなった」、と言っている。
ここ数年は伸び悩んでいたチリッチ。

「結果のことばかり考え、コートに立つのが楽しくなかった」。
そこで発想を転換し、
「テニスを楽しむ原点に戻ったら、リラックスできて結果もともなってきた」。
(新聞記事より)

ブログが楽しくなくなってきたときなどにもよく考えるのだけど、
初めてマイブログを作ったときのあの喜びやワクワク
感って一体
何だったのだろう?誰かに読んでもらいたい、見てもらいたい、というより
純粋に、ただ思ったことを書きたくてたまらなかったはずだ。
好きだった写真だって、ただ撮るのではなく、それを記事と共に投稿できる!
その作業が大好きだった筈だった。


古いコンデジで夜空は上手く撮れないが、見とれるほどの美しいお月様。
いや、もしかして、お月様が私のほうを覗き見しているのかもしれない。
雲間に隠れたり、躍り出てきたりして。


月は確かに一つだけ。後ろにもう一つだなんて小説だけのこと。
ほんとうに一つだけ?・・・ほんとうに?


月と地球の距離が近く、普通より大きく見えるというスーパームーン。

お月様を見ていると、地球の各地で起きている紛争という紛争が
実にくだらなく思えてくる。「イスラム国」の無秩序ぶりはいったい何だ。
先日レンタルで見た「ルワンダの涙」。
見終わったあと、しばし動けなかった。動きたくなかった。
固まっていないと救いようがない気がした。

同じお月様を、世界中の人々が見上げているのに、
時代が移り変わっても人間の愚かな行為は繰り返されている。

でもやっぱり・・・世の中、
ポシティブシンキングで行かなけりゃやっていられない。

 

次回のスーパームーンは、9月28日に見られるとのことです。


にちようびはお得

2014-09-03 | art/exhibit/museum

 

八月最後の日、 渋谷区立松涛美術館で開催中の「いま、台湾」展へ行ってきました。
チケット売り場で、「今日はパイナップルケーキとウーロン茶が頂けるので、最初に地下二階に行かれるといいですよ」と囁かれたので、まずはその階に向かいました。サニーヒルズの例のお菓子♪ 会期中の日曜日のみ、一日限定50個がサニーヒルズより提供されているそうです。この日が日曜でラッキーでした。私が席を立つ頃には残りあと数個、と言っている声が聞えましたから、これも目当てで訪れる方は早めにいらした方がいいでしょうね!

この美術展は、「美麗島」―麗しの島と言われる台湾で今、多方面で活躍されている台湾美術院の作家たちの作品を紹介するものです。

台湾美術院は、台湾美術の振興と発展、国際交流を図ることを目的に、2010年に設立されたとのこと。これだけまとまって台湾のアーティストたちの作品を見るのは初めてでしたが、とても親しみの持てる作品の多い展覧会でした。書が絵画の中に書かれた作品も多く、そのバランスがなんとも絶妙ですが、何て書いてあるかわかりませ~ん。作家の名前も難しすぎて覚えられませんが、息子の友人の台湾の方が、スラスラと達筆に書いていたことを思い出しました。発音もフランス語のように難しかった気がします。

林章湖「隠遁の歳月」2012年

傳申「核電爆」2011年

展示会場は、二階と地下一階。こじんまりとした美術館なので、あっという間に見終わります。最後に特別出品されているジュディ―・オングさんの大きな版画二枚を二階で拝見し、ソファに腰かけ、図録や美術館にかかわる冊子などに目を通しました。閑静な住宅街のど真ん中に、建てられたこの美術館は、狭い土地をどのように利用するか、建築家の白井晟一氏はかなり苦慮したそうです。外見だけを見ると、堂々とした花崗岩の建物。狭さを感じさせないのは白井氏の設計によるところが多かったようです。

池と噴水のある中庭を、ぐるりと丸く囲んだ建物のガラス越しには空が垣間見えます。上の写真は、上部にヘンなものが写っていますが、何かが反射したのでしょうか?ちょっと不気味ですね。

弐代目・青い日記帳で記事を探してみたら、ありましたありました。内容、まさにその通りです!
「国立故宮博物院」展も、東京国立博物館で開催中でもあり、何かと台湾との繋がりが多い年のようです。随分前に、「国立故宮博物院展」は見ているので、今回はパス、と思っていたら、以前のは北京のほうでした!

来た道を戻る途中、すぐ近くの公園が気になり、中を突っ切りたくなりました。鍋島松濤公園
入口の左右に立つ大木はカメラに収まらず、仕方なく空を見上げてパチリ。

この空を、投稿する今になって、あれ、そういえば・・・と、
テレーサさんブログを確認のために訪問してみると、やはりそうでした。同日のほぼ同じ時刻ごろの空の画像が投稿されていたのです。
2014年夏のおわりの空には、秋の訪れが感じられました。

秋の気配を感じると、急に夏の暑さが懐かしくなります。もうちょっと残暑を味わいたくなりました。
喉元過ぎれば・・・ではあるのですけどね。

公園内の池を覗くと、彫刻にしか見えないカメが何頭も固まって一つのオブジェとなっていました。
じっとして動かないので、本当に彫刻かもしれない、と思ってしまったほど、動かなかった!
もしもし、かめよ~、かめさんよ~!

公園で下の写真を撮っていたら足が猛烈にかゆくなってきたので足元をみると、なんと、短めのパンツと靴の間のわずかな露出部に黒い蚊がびっしり止まっていた!
ぎゃぁ~~!デング熱になっちゃう~~!手で振り払いながら公園の外へと急ぎました。
七月に、ブラジルフェスティバルのときに行った代々木公園が、その発生の影響で閑散としているそうですが、私、8月は三回ほど渋谷に来ています。大丈夫かなぁ。

帰りは文化村のなかに入ると、ギャラリーでのBunkamura25周年記念「吉岡耕二 色彩の旅」の明るい色彩が目に飛び込んできました。


南イタリアを描く~アマルフィ、ナポリ、ソレント、そしてシチリアへ~とつづくタイトル通りの鮮やかな色彩が強烈ですが、色の配置がとっても魅力的!高価な油彩画のほかに、購入しようと思えば手の届きそうな版画もあり、それに油絵具でささっと彩色を施しているので、普通の版画より立体的に見えます。白い背景に赤い花の絵、気に入ったのですが、もう売れちゃったかなあ。つい、玄関先にいいかな、なんて考えながらじっと見入ってしまった一枚です。

いつもなら時間のある時は東急本店をさっと覗くのですが、この日はこの間も寄った西武デパートに向かいました。

渋谷駅方面へ歩いていくと、文化村通りの道沿いに白いサルスベリの花が咲いていました。四六時中、渋谷の雑踏とともに成長しているこの木も、今が満開で、とてもきれい。

渋谷西武A館の、バービー展を見に行った同じ会場で開催中のグレース・ケリー写真展。女優さんの写真集はプレゼントとして買ったことがありますが(オードリー・ヘップバーン!)、一人の元女優さんの写真展は初めてでした。1950年代を代表する大女優、グレース・ケリー。「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞後、1956年のカンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ三世と結ばれ、女優から公妃へと華麗なる人生の転身をとげ、全世界の注目の的となったことは、私の世代なら少しは記憶の一片として頭の隅っこに残っている筈。どこから見ても、どんなポーズをしても、品位があり、サマになる女性のベスト3の一人に入るんではないでしょうか。そんな素敵な女性は、自動車事故により52才という若さでこの世を去るまで、ハリウッドに戻ることは一度もなかったのです。

彼女を生涯にわたり被写体として撮リ続けたカメラマンが居たことを初めて知りました。
天才フォトグラファー、ハウエル・コナン。二人の友情と信頼関係がもたらすプライベートショットの数々は、実はグレースが様々な提案をしていた・・・二人が作り出した作品、と言えるかもしれません。
コナンは、グレースの事故死を知り、初めてカメラを持たずにモナコに向かったといいます。そしてその後、一度もカメラを持たなかった、と。

家族以外で、そんな高尚な人間関係を築けるとは、もう素晴らしい、の一言です。コナンが覗くカメラレンズの向こう側には、安心しきって自然体でベストポーズが取れる、一人の同志がいたのですね。

グレースを題材にした映画、「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」が10月に一般公開されます。
主演がニコール・キッドマン。ちょっときつそうですが、ファッションも楽しめるこの映画がすごく待ち遠しいです。西武B館一階特設会場では、この映画でキッドマンが着用したドレス三点が特別展示されています。写真展がA館だったので知らずに帰宅し、あとで西武のパンフを読んでいてわかったのです。
写真展は七日までですがドレスの展示の方は八日までとのことです。