ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

花の美術館

2006-05-31 | flower/green

 

日曜日の午後、稲毛海浜公園の中にある、花の美術館まで行ってきました。
本当はというと、もっと近い、
谷津バラ園に行くことに決めていたのですが、
湾岸道路を走っていて、中央車線が混んでいたので追い越し車線を走っていったら
東関東自動車道の市川インターに入ってしまったのです。しまった~!

でも湾岸幕張で降りればちょっと先にここがあるから、まッ、いいか、と思い直しました。
花の美術館は、以前nettonさんたちがフラワーアレンジメントの展示会を行った所で、
私も2度ほど行ったことがありますが、今回の目的はもちろん、バラの花。

入口で鮮やかな黄色い花たちが私たち3人をお出迎え。
バラではなくて、え~と、ナンだっけこのお花は・・・?

開館10周年を迎えた花の美術館。
館内に設けられたアトリウムフラワーガーデンに足を踏み入れると、甘ーい百合の香りが
漂って来ます。ここでは今、「ロマンティック ウェディング」 開催中。




         



女の子たちは、ベールを被りブーケを持ち、ハ~イチ~ズとばかりに、記念撮影。
そういう私たちも、チャッカリと花嫁さんに成りすまし~♪
近くに居合わせたどっかのオジサンが、ニコニコと私たちを眺めていましたよ。
ほんとに!

中庭では可愛いひつじさんたちを見つけました。
ここは数回目なのに、今まで気が付きませんでした。

  
これはロバかしら?

お花の中に首を突っ込んで草でも食べているんでしょうか?
黄色いお花が伸びすぎてしまったのか、お花のお風呂に入っているのかどっちかな。

 

  

温室を一回りし、二階に上がって皆で記念撮影。
前回来た時も同じ場所で写真を撮ったんじゃなぁい?と言いながらも
やはり同じテラスでパチリ。
出口を出て、レストランでお茶をしようとしたら、早々と4時に閉店で、残念でした。
まだこんなに明るいし、日が長くなったと言うのに、市営っていうのは融通が利かないの?

飲まず食わずで裏庭へ回ると、そこはこの時期だけなのでしょうか、バラの花でい~っぱい!


           

      

       「ときめき」という名前のバラです。この強烈な色にトキメキますか~?

                                       

      

海浜公園の中の「花の美術館」、ちょっと行けば海が目の前に開け、池もあるんです。
今度はビーチサンダル持参で遊びに来ようかな。

帰るとき、空の向こうを飛行船が飛んでいました。
あぁ~私もあの飛行船に乗って飛んで行きた~~い!

あ・そ・こ・ま・で・

 

 

【私設応援団】
日本×ドイツ  2対2じゃあちょっと心配だよ日本選抜。
ブラジルはさすがぁ~王者の貫禄!
日本はもっとしたたかにならなきゃ勝てませーーーん
ガンバァレ! 日本! ガンバァレ! ブラジル!


 


SETSUKO

2006-05-28 | art/exhibit/museum





金曜日のお昼休みに新○○駅近くを歩いていたら、ある会社の前でご覧のように
見事なバラを見つけました。やさしい白い八重のバラもありましたが、写真うつりが
イマイチでUPするのはやめました。イスと一緒に写っているのはスイトピー。

こんなお花の中に節子さんのパンフレットを置いたらお似合いでしょ。
日ごろ、知らず知らずの内に雑誌、新聞などでお目にかかっているこの方の暮らし
に興味を持ち、久しぶりに池袋西武まで行ってきました。

         

学生時代に日本で画家バルテュスと出会い、大学を中退して結婚への道を選んだ
節子さんは、バルテュスの薫陶を受け、自らも画家となり、活躍しています。
40年に及ぶスイスのグラン・シャレ
での生活の場で、いつも和服を着て生活されて
いる画家・・・という記事を読んだ時は、私とは全く関係ない世界の、高貴なお方
ぐらいに思っていました。でも、日本でも着物で毎日を過している人など今は皆無に
等しいのに、ヨーロッパの、日本とは全く異なった文化と生活スタイルを持つ国で、
朝から晩まで着物を着ている女性とは?
なんでだろぅ~?どんな方だろぅ~?と思っていたのです。
テレビ出演もあったようですが、私は残念ながら見ていません。

今回の「和の心展」では、約40点のグアッシュで描かれた絵画作品のほか、
節子さんのデザインした着物や、ゆかりの着物30点近くが、四季に合わせて
着付け、コーディネートされて展示してあります。

   着物の姿はどこの国でも親近感のある目礼を受けます。
   何よりも伝統を大切にしている心、説明のいらない感情の交流は、
   日本人である事を再認識させられる時でもあります。

コーナーごとに書かれたこのような文を読みながら、フ~ン、成る程ねぇ。
でも、着物は若い頃ちょっと着ただけだけ、今着れるものなんか持っていません。
振袖は、人に貸したりしているうちにシミだらけになっちゃったし、大好きだった
紬の着物は赤系色だし、小紋でさえピンク系で、すでに娘のもの。

節子さんのお母さまが着ていたという訪問着もあり、
  「美しかった母の立ち姿が思い出されます」 と、そこに書いてありました。(ウッ!)
  「娘時代から着ているべん柄縞の紬は、八掛を黒に変えて今も愛用」 
の所
では、アッ、そうかぁ・・・あの紬、着れるかもしれないな、そのアイディアいただき~
なんて思っても着物を着る心のゆとりが私にはどうも「ない」気がするんですよね。

      

節子さんはヨーロッパの社交界で、“蓮の花婦人”と謳われ、その優雅な着物姿が
絶えず注目を集めているそうです。
独身時代も大変恵まれた環境のなかにいらしたという事は、お母様や、おば様、
そして祖母様の着用された着物を見ただけでわかります。
着物の知識のない私にだっていいものは判りますよ~。持っていないだけですヮ。
祖母様の黒留袖の裾模様の刺繍がすばらしくて見惚れてしまいました。
こんな素敵な黒留袖なら、子供の結婚式に着てもイイかな~と!
隣村の家具屋で見つけた椅子に張るための生地とか、イカット文様の生地でも
気に入ってしまうと帯に仕立てて愛用してしまうほど、豊かな発想の節子さん。

そんな彼女の更なる魅力は「手仕事」です。
「娘へのプレゼントは自分がつくったものを」との思いが手仕事を始めた第一歩
だったといいます。最愛のご主人であるバルテュスへプレゼントしたベスト、
アップリケと刺繍を施したクッション、小物類、お人形、そして手作りの絵本。
アトリエにあるという手作りコーナーも再現され、どんな箱でもリボンでも包装紙
も何もかも、利用できそうなものは捨てずに取っておくのです。
・・・なんだ、私と一緒じゃないか、と思いましたが、50もの部屋数のある大邸宅
(もとはホテルだったとか)に住んでいて、リボンの部屋とか○○の部屋とか、
独立したお部屋を持てる 節子・クロソフスカ・ド・ローラ  んとは比較外ダス。
私も子供の小さい頃は、生地を買いにいってお洋服を手作りしたり、お人形を
いくつも作ったりと、針仕事は大好きだったのですが、今思えば、針に糸が通し
にくくなり、コンタクトレンズを着用すると痛くて入れられなくなった40代の半ばごろ
から徐々に針を持つ回数が減ったような気が。

何不自由ないお嬢様上がりのヨーロッパ社交界の花形のやることが~~、
と、醒めた目にならないのは、節子さんのお人柄なんだなぁ、と心から思えた
節子の暮らしー和の心展」でありました。
最終日は5月30日(火)
西武池袋本店 イルムス館2階=西武ギャラリー

 
1995年「グラン・シャレのお茶会」                           1998年「ケーキとマジョリーナ」

この絵の動物や鳥たちは、全部おうちで飼っていた「家族」なのですって!      



 

 


ウィークエンドのすごし方

2006-05-24 | music

 あなたの心に上質のひとときを
        ~ ホッとタイム コンサート

 m。・♪。・u。・♪。・s。・♪。・i。・♪。・c

 

先土曜日は、久しぶりに美術館にでも行こうかなと思っている時、ハッと思い出しました。
そう言えば先日、コンサートのチラシがはいっていたな、と。

ギリギリの時間帯で母と姉に声を掛け3人WAVE101の大ホールへ。

蜷川いづみさんのヴァイオリンと、菅野万利子さんのピアノによるこのコンサートの
プログラムの中身はこんな具合でした。

    【プログラム】
 1)シヤロンの花            C.H.ガブリエル          
 2
G線上のアリア            J.S.バッハ
 3)メヌエット               W.A.モーツアルト
 4)ヴァイオリン・ソナタ          J.M.ルクレール
    
 ニ長調作品9の3
 5)尊き泉あり 聖歌428      L.メイソン
  ~十字架のかげに 聖歌396   W.H.ドーン
 6)Holy,Holy,Holy        J.B.ダイクス

       ―小休憩―

 7)愛の夢               F.リスト 
 8)幻想即興曲OP.66       F.ショパン
 9)タイスの瞑想曲            J.マスネ
10)ツイゴイネルワイゼン          P.サラサーテ 
 

私にとってクラシックはタイトルと曲と作曲家が一致しない方が多い
のですが、
聴いてみると「なんだ、これだったのかぁ」と思うものが多いのも事実です。
この日も
賛美歌以外は聴き慣れた曲が多く、とても楽しめました

やはり、弾いてくれました、ショパンの「幻想即興曲」を!
これを大好きな曲の一つに
しているピアニストがとても多いんですね。
リストの「愛の夢」も、誰もが知っているお馴染みの曲。
ノクターン(夜の祈り)
とも言うそうですが、本当のタイトルは
「愛しうる限り、愛せ!」なんですって!


いつもピアノで聞いている「アリア」も、バイオリンだと又、違った味で心に響きます。
このコンサートの主催は、我が町の4つの教会からなる
「○○クリスチャンミニストリーズ」でしたので、曲の合間に、演奏者自身が
クリスチャンになったきっかけをご
披露。

                        
蜷川さんは桐朋学園大学卒業後、すべてがトントン拍子に進み、大変恵まれた
環境にいました。そんな中、パリへ留学している時に初めて大きな壁にぶち当たり、
自分が何のために音楽をしているのか、何のために上手くなりたいと思っているのかが
解らなくなり、延いては、自分は何のために生きているのだろう・・とまで考えては
その答えが見えて来ず、大変苦しんだそうです。
そんな時にお掃除のお姉さんが渡してくれた一枚のチラシにより、生まれて初めて、
《日本人の、日本語によるクリスチャンの集い》との出会いを持ったのだそうです。

このようなコンサートのもう一つの楽しみは、作曲家物語や演奏者の様々な
エピソードが聞ける事かなぁと思います。

 
トークコンサートには定評があるという、ピアニストの菅野さんは、

 ピアノの音は、人の耳では絶対に捉えられない部分があり、 どんな優れた
 調律師でも そこだけは自分の耳ではなくて、音叉に頼るしかない。
 結局、音叉がないと何もできない、何も始まらないのだ。
 そして、人間が生きていく上での最高の音叉になり得るものは・・・
 
と、宗教に絡ませながらサラリと 上手いたとえでお話をされました。

と言う私は別にクリスチャンでもな~んでもないのですが、自分にとっての音叉は、
いったい何なんだろうなぁ・・と、頭の端っこで少々考えてしまいました。

そうそう、蜷川さんのバイオリンはイタリア製の「ガルネリ」ですって。
モーツアルトが生まれるもっと前の貴重な物だそうで、ピアニストの菅野さんが
とても羨ましがってこう言っていましたね。

 いつもお気に入りの楽器とともに何処にでもいけるなんていいなぁ
 ~と思います。でもピアニストにとっては、今度の会場のピアノは
 どんな音色のものかしら・・とか、そのピアノに私が好かれる
 かしら・・・などと想像する楽しみがありますね。

一時間半の演奏プラス2曲のアンコール曲。
これで入場料無料でいいのかな、と思ってしまうくらい私は充分に
楽しめました。音楽は私の心の音叉! 

日曜日 いいお天気でしたよね
白金台の「都ホテル東京」まで、某デパートからセールの案内が来ていたので
ドライブがてら、母を乗せて行って来ました。
お台場からレインボーブリッジの“ただ”の道を渡り、三田通りを抜けて魚藍坂から
目黒通りに入ってすぐです。
母はSサイズなのでいつも種類も数も少なく、特に年配向けだと
余計、ほしいものが
何も見つけられない時の方が多いのですが、
それでもTシャツを一枚見つけました。
私は母が払った同じ金額で3枚も買ってしまいました。
またやっちゃった、安物買いの銭失い!

帰りはこのホテルの一階にある「カフェ カリフォルニア」の中庭で一休み。
ワンちゃんと一緒のお客さんが2組も・・・ってことは、ここはシロガネーゼの溜まり場?


夜はパパと、封切り2日目にして「ダヴィンチ・コード」を見にイクスピアリへ。
日本では、今までで最も多い863スクリーンで上映されたそうですが、ピアリでも、
16あるうちの4スクリーンを、この映画が占めていました。そして人も多かったですね。
 
ルーブル美術館での館長の変死体の現場から始まるこの映画は、世界中で
ベストセラーとなった原作の映画化ですが、キリスト教とかダヴィンチの絵画など、
大きな題材と、それらに絡む暗号の謎の解明を求めてのミステリー。

映画のおわり近くまで頭に血が上ったままでしたよ。
面白いというか、なんちゅうんでしょうかね、こういう映画って。
大体、話題作っていうのには余り興味が持てないほうなんです。
映画は好きですが、そんなに見に行かない方だから、行く時にはどれが良いか
じっくりと選びます。だって時間の無駄するのはご免ですも~ん。
今回は例外、珍しくも(かな?)単に話題性で見に行ったのです。
感想は、というと、
ここまでひねくらなくても別に、いいのに。[コード=暗号]を勝手に
作る側は楽しいだろうが、一体ダヴィンチが、なんだったのだろう。
どこまでが本当で、どれがフィクションなんだろう?
オールフィクションであると、映画の最後に謳っていたが、果たして作者の意図は?

次の日、すっきり、何にも残らない映画って珍しかったなぁ。
ちょっくら忙しかった先週末でした。

 

 

 


危機一髪!

2006-05-20 | family

・・・そう思ったのは私だけだろうか?
「むかつく~~!」と言いながら帰宅した息子の言い分は、と言うと;
やなぎ通りで、超接近してきた車に、バイクに乗っていた彼は足を轢かれた。
頭に着た彼は、「何するんだよ~!危ないじゃないか!」と大声で叫んだが、
その車を運転する30代くらいの男は、イヤホンを付けたまま知らん振りを決めて
いたそうだ。前を走ったんじゃぶつけられるかも、と思い、後方に移動し、日の出の
交差点まで追いかけたという。
轢かれた、というのでビックリしたが、ゴムタイヤは弾力性があるので大丈夫だったようだ。
大声で叫んで相手の車を足で蹴飛ばした、と聞いてもっとビックリした!

        

 以前、娘が近所の、やはり、やなぎ通り沿いの歩道を自転車で走っている時に、
 横道から出てきた○○生命の女性の運転する車と接触し、自転車は横転するわ、
 爪は潰されるわで散々な目に合ったことがある。夏場だったのでサンダルを履いていたのだ。
 「大丈夫ですか?」と、娘と似たり寄ったりの年代の女性が車から降りてきたそうだが、
 娘はとっさに、「大丈夫です」なんて言っちゃったのだ。
 その後、整形外科に一人で行き、治療して貰い、次の日は大学主催の、伯国への
 海外研修旅行だったので、包帯で巻かれた分厚い足先をスニーカーに収める度に
 痛い思いをしながら旅立った。
 一ヵ月後に帰宅し、整形外科にかかった領収書を、その加害者の所に持っていき、
 治療費を受け取ったという。
 そんなぁ!納得が行かんよ。
爪が生え変わるまで一年もかかるのに、これでいいの?
 翌日が海外研修の日でなかったら、もっと落ち着いて対処できたと思うが、
 本当の話、これで終わりとなったのだ。
 もっとお金をだせ、とか、そういう問題ではない。何にも過失のない人間が、降りかかった
 災難に、不運だ、だけで終わってしまうことに納得がいかないだけだ。
 
息子のこの件に関しては、相手によってはその後一体どうなっていただろうか、と
考えると怖くなった。
そんな折、19日のカメリアさんブログを見ていた時に、「Joe’s House]の所にリンクが
付いていたので、あくまでも清里で【ドライ・フラワースクール】を主宰している方のHP、
という事で覗いてみた。

そのHPの中で、「赤坂警察署での僕的体験」というのを見つけてしまい、大変興味深く、
でもひどく憤慨しながら読んでしまった。

この地球上の、この国の、東京という首都圏の、更にその首都圏のど真ん中にほど近い
赤坂くんだりの、人間のおこなっていること、おこなってしまったこと、そのけっかを、あーだ、
こーだ、と言い続け、〈事実は一つ〉しかないのに話しが空回りしてしまう・・という恐ろしさ。

    はなしの空回り。
    不毛な会話。

あぁ・・・これがぁ・・・・家庭(うち)でも、年中起きるんだよね。

 

 



 








 


伊香保への旅 完

2006-05-14 | visit/drive

ゴールデンウィークから一週間が過ぎ、今日は「母の日」だというのに、
biancaはまだ、一泊二日の「伊香保への旅」を引きずっています。ワハハハ・・・
得した気分、と申しましょうかその余韻を存分に楽しんで居ります。
とゆーのではなく、終わらない、ってゆーか、まだ書くことが&写真
があるんです。
the blog of bianca, by bianca, for bianca
でありますから、もうしばらくお付き合いの程お願いします。


 

榛名湖をあとにし、昼飯の前に寄らなくてはならない場所が
〈徳富蘆花記念文学館〉



水澤うどんの店はそのずっと先なので、道順からすると腹は減っても文学館が先、となるのです。
お腹が減ると不機嫌になる人もいる我がファミリーですが、寄りたい人を優先させましょう。
ということでまずは文学館に寄りました。

先ず目を見張ったのがこの浪子像です。前回ブログ中の、『不如帰』の引用文にある、
・・伊香保千明の三階の障子を開けて夕景色を挑むる年頃十八九の婦人、片岡浪子。
夕景色を挑むる人は浪子でなく、本当は蘆花本人だったのですね。




               パンフレットより  黒田清輝 画 「浪子」 

ここは常設と企画展示室がそれぞれ一つだけ、他に喫茶室と、記念館があるだけ
なのでさっと回ればすぐに終わります。

でも、

◇6歳年上の兄、徳富蘇峰とは、確執が訣別にまでいたったのだ!
  だが、余命幾ばくかの時に、「伊香保で死ぬ」と言い張り、医師は蘆花の
  精神力を信じ挙行となる。伊香保千明仁泉亭での約2ヶ月間の療養生活の
  最後の日に、15年ぶりに兄、蘇峰と対面、和解するも同日臨終を迎えた。
  蘆花は蘇峰との再会約束の電報を打った後、「しまった。負けた!」と叫んだ、だと!

◇「勝ち犬(蘇峰)、負け犬(蘆花)」との図式化で、又、蘇峰=悪役 蘆花=善玉
  というように、研究者によって兄弟の関係が勝手に方向付け
されていたんだ!
    勝ち犬は帝国主義、負け犬は社会主義に走ったんだ。
  
◇えぇっ、トルストイと交流があったんだ!
  ロシアでも日本でも会っていたんだ!
  そしてトルストイの影響で「美的百姓生活」を送るべく、生活の場
を千歳村粕谷に移し、
  ここ永住の地と定め、晴耕雨読の生活を始め
たんだ!
  そこがあの、芦花公園だったのね。世田谷区って所は昔、途方もない田舎だったんだ!

◇『寄生木』において【軍隊に入隊するも、婚約破談から自暴自棄になり、
やがては
  ピストル自殺して28年の生涯を閉じた】
主人公「篠原良平」は、岩手県宮古出身
  である小笠原善平という
実在のモデルがいて、彼が認めたノートをもとに書かれたんだ!
  実際、蘆花も山本久栄との恋に破れて鹿児島に出奔したんだ!

◇叔母矢島楫子(女子学院初代院長)の波乱に満ちた人生(なんたるこっちゃ!)と
  彼女の生き方(結婚・出産・離婚・不倫・出産)に反発するクリスチャンとしての蘆花。
  明治時代にあっても楫子という女性は一本筋が通っています。女性を女性ではなく、
  蘆花と同じ、一人の人間として見ていれば楫子が時代の荒波の中で、蘆花の思惑を
  絶するくらいに苦しみ、乗り越え、人間として、更には母として強く逞しく生きていく事
  しか残されていないとしたら? 母は強しです。
  これをUPするのが母の日でよかったぁ~と、今、や~れやれの帳尻合わせで~す。
  フフフゥ~~♪

などなど、興味が尽きません。受付の近くに、峯岸英雄著の「徳富蘆花の思想源流」
と言う本が、著者の意向で無料で数冊置いてあったので頂いてきました。論文調の形式
なので一見活字ばかり。堅苦しくて読みにくい印象でしたが、(今でもそうですが)
ちょっと読み始めると、よく調べ上げたなぁと思うほど、興味深いのです。素晴らしい!
彼は「徳富蘆花と伊香保」の中でこう書いています。

  伊香保との関係の意義を今一度作品に即して考えてみれば 『不如帰』で
  小説家として出発し、『自然と人生』で自然詩人としての要素を培い、『榛名山頂より』
  で文字通りの復活、再出発をなし、『黒い眼と茶色の目』で夫婦の危機を脱出し、
  十回目の伊香保行において最後の復活をかけた。
  なにやら蘆花にとって伊香保は「聖地」のようにも思えてくるのである。
  蘆花が伊香保を終焉の地に選んだことには更に大きな意義がある。(中略)
  自ら畑を耕す実的百姓となった蘆花。粕谷の方がむしろ終焉の地としてはふさわしい。
  しかし、蘆花は伊香保を選んだ。伊香保には『自然と人生』以降、追い求めていた
  “自然”があった。“自然児”蘆花が終焉の地として選んだのは、故郷熊本ではなく、
  粕谷でもなく、伊香保であった。

また、「徳富蘆花美的百姓生活論序説」の最後の方で見つけた、
・・・宮沢賢治と小岩井農場、武者小路実篤と「新しき村」、賀川豊彦と農業協同組合・・・
と言う所で吃驚しました。先週、「新しき村」の名前をTさんから聞いたばかりだったからです!

そうそう、山村 暮鳥も萩原朔太郎も、そういえば群馬の出身でしたね。

とっくに見終わった皆は、腹ぺこで私を待っていたのでこのあたりで引き上げる事にしました。
私たちの宿泊旅館の運転手さんに前もって聞いていた、水澤うどんの美味しい店へ直行。



日本三大うどんとは?
秋田県の稲庭うどん、香川県の讃岐うどん、そして群馬県は伊香保名物、水澤うどん!
私も第2までは知っていましたが、水澤うどんに関しては今回初めて知りました。
水澤寺を開いた僧が地元の人に伝えたのが始まりだそうです。
私たちの運転手さんは、ほんとうに安くておいしい所を紹介して下さいましたね。
兎も角
、我が旅館そして我らが食したうどん屋は、パンフレットの除外版デス。
門前のうどん屋さんは二くち三くちで終わってしまう上、お高いのに、ここの
山一屋は美味しい安い量が多い、で聞いておいてよかった版でした。
門前のうどん屋ではまだ味わっていませんので、次回比較できるかな、と思います。


食後は坂東33番礼所中第16番礼所で天台宗の古刹、水澤観世音へ。

   
      一隅を照らそう                                       ご朱印
 

          
           12支の石像

ツアーでは必ず立ち寄るお寺のようですが、お地蔵様の数に圧倒されました。
鐘楼一打100円とのことで、せっかくなので打ってきました。
行きつ戻りつしながら、勢いをつけて打ち付けるのです。
  ゴ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン
耳をつんざくような大反響。思わず両耳を塞いで飛び跳ねてしまったらパパが、
「打ったあと、鐘の中に頭を突っ込まないとご利益が無いんだよ」ですって。
「まさか、うっそぉ~!」
              web上より拝借 →         
                              
            煙りに巻かれて祈る

最後にハルナグラスに寄って買い物を終え、息子の運転で帰路へへと向かいました。
渋川伊香保インターに入ったところで息子が、
「あっ、新潟方面にきちゃった。」
「え~っ、ちょっとォ~!やめてよ!」
「どうしよう。次の出口で出て入り直すしかないか」
「もう~、これだから・・・・xxxxx!」
 
     「・・・てなわけないでしょ!」
  
     
     「エイプリルフールでもないのにィ~~このォ馬●●●!!」

                                    
                                               

  
    息子が買った牛さん入りのボール

                        

    

 

  
  

 

 

 


伊香保への旅 つづきⅡ

2006-05-12 | visit/drive

 
  この中に私とパパが、はなればなれで,いるんですよ!


  ↑(web上より拝借・・・やっぱり写真が上手いねェ!)  

宿泊したお宿の温泉は「黄金の湯」かけ流し。
浴槽がもっと広ければ泳げたのに!思ったより小さくてちょっと残念でした。

一夜明け、荷物を宿に預けてチェックアウトをし、石段をまた上まで散策。
この石段の長さは300メートル、階段の数は360段あります。
5月5日の宿泊者数がピークだったようで、商店街の方が、
「今日の人出はすごいなぁ。いつもがこんな賑わいだったらいいんだけどなぁ。」
と話していました。



階段を上り詰めた近くで 名物「湯の花まんじゅう」の作りたてを売っているお店を発見。
人だかりが出来ていたので私たちも顔を突っ込み、人数分をまず味見に買い求めました。
ま、普通の味ですが、餡そのものの、混じり気のないシンプルな味が美味しかった です。
出来立て熱々のおまんじゅうの茶色の薄皮が指にくっつき、舐めながら再度神社まで
お参りしたり、あちこち覗き込んだり、うろつき回りました。

 

横の小道を歩いていたら、こんなボロい廃屋のような蔵造の建物に出くわしました。
前を駐車場にしているようで、建物の下の方に2257と数字が付いています。
こういうのを無視出来ない私は、この中に何かを感じ取りたくてたまらないようです。

素敵なお宿も見つけましたよ。こんな所はいかが?

  
 

我が宿から石段を下方に少し降りると「楽水楽山」の洒落た看板に目が行きました。
すぐにノコノコと入っていく癖?があり、覗いてみるとそこはカフェ。(写真上3枚)
4人で入っていったのに何もいただかずに、図々しくも写真を撮ったりし、
上の写真の、壁に掛かった作品の作者の絵はがきだけを買い求めました。
ここは夜はバーに変わり、この辺では遅くまでオープンしているお店のようです。
一枚板のカウンターが立派なので褒め称えると、お店の子が、「もっと凄いのがあります」
といって案内して下さったのが奥の旅館の玄関でした。
す、す、すごすぎる!
次回はここの三階にお泊り、といきた~いな。

 webページよりの写真

そこは創業500年の老舗旅館千明仁泉亭〈ちぎらじんせんてい〉といい、
伊香保を愛して、何度もこの地を訪れた明治の文豪、徳富蘆花が
常宿とした所であり、その生涯を閉じた場所でもありました。

     上州
伊香保千明の三階の障子開きて、
     夕景色をながむる婦人。
     年は十八九。品よき丸髷に結いて、
     草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。
     ・・・春の日脚の西に傾きて、
     遠くは日光、足尾、越後境の山々、
     近くは、小野子、子持、赤城の峰々、
     入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば・・・ 
                        

                  
徳富蘆花『不如帰』より


さて、この辺で、千明亭とは対照的な質素な宿に戻って荷物を取り、駐車場まで歩きました。
(旅館お抱えの運転手による朝の送迎は10時半までだったのです。)
運転席を息子に譲り、榛名湖までのドライブに出発

 
              

山の方の見晴台では桜がご覧のように満開で、素晴らしかった!
山ツヅジはまだ蕾でしたが、6月には伊香保森林公園や長峰公園、
湖を囲むカルデラ高原はつつじの大群生で華やかな赤で染まるようです。
榛名湖は伊香保から程よい距離にある、こじんまりした湖です。
湖上はボートや釣り人で賑わっていましたが、冬にはスケートが楽しめるのですって。
湖を一周している頃にお昼が過ぎました。
伊香保にも、榛名山にもロープーウェーがありますが、これに乗ると時間がとられちゃうよ、
と言われ、私は本当は乗りたかったのですけど、今回は断念しました。
湖の周りではシャッターチャンスを逃がし、写したのはこのお洒落な外灯のみ。
背後に見えるのが榛名山頂行きのロープーウェーで~す。



みんなお腹が空いてきた・・と言い出しましたが、もうしばらくの辛抱です。
お昼は「水澤うどん」って決めてあるんだから。

 

あと1回、づづかせてね



              


 


 


伊香保への旅 つづき

2006-05-10 | visit/drive

 

伊香保温泉でのお宿は、石段の中ほど、標高764mにある古びた旅館でした。

出発の5日前にネットで検索しましたが、パンフレットに載っているような旅館は、一つを除き
すべて満員。どうせなら石段にすぐに出れる所がいい、と思い、適当に決めたのです。
車で近場まで来たところで宿に電話をし、迎えに来てもらいました。
私たちの車は、石段の下の方にある駐車場に置き、宿の車に乗り換えましたが
正直、こわかった~。
だってウナギの寝床のように細くて狭い道をガンガンすっ飛ばすんですもの。
窓から顔を出していたら壁にぶつかってしまうような細い路地ですよ。


やっと着き、部屋で休んでいると、地震かと思う揺れが続きました。
地震ではなく、人が歩くだけで揺れる作りなんですね。 
わはは・・パパ曰く、「こういう方が弾力性があって地震には強いんだ」 って、本当?

夕食までの間、伊香保神社までぶらぶらとお散歩。
     
  。。。石段の通りでのスナップ集 。。。


 
☆ ひょうたん型の椅子は通行人の休憩用

 

☆はいポーズ 「恥ずかしいから早く撮ってよ・・!」
   君ィ、手の開き方、チト間違っているよ。



伊香保の石段は、戦国時代末期、織田信長が天下統一を目ざして
武田勝頼と合戦した長篠の戦いの翌朝である天正4年(1576年)に
形成されたと言いますから、400年以上の歴史があるのですね。
所々に12支の絵 が組み込まれています。

江戸時代の伊香保には石段街の左右に大屋と呼ばれる十四軒の温泉宿がありました。
延享三年(1746年)徳川九代家重の時代に十二軒の大屋に12支を名付け、
明治維新まで年番で名主や伊香保の関所の役人を勤めていました。
12の支はその屋敷跡を示すものです。

と、どこかに書いてありましたよ。マンホール?も、とても味がありますね。

                  

散歩の途中で目に留まったものたちです。スニーカーの紐、いいでしょう。
これは小さな子供用でしたが、私も真似したいな!でも、ジーンズが・・・。
EDWINやBIG JOHN、LEVI'Sを履いていた私は、どこへ行っちゃったの?

  

偶然この細い階段を見つけました。うゎ~何か、なにかがありそう・・と思っていると
どこかからおばさんが近寄ってきて、「ここはね、映画に使われたことがあるんだよ」
と教えてくれました。「浮雲」という昔の映画だそうで、その時の役者のだれそれが、
撮影の間に、この魅力的な階段 のそばにある○○屋旅館に泊まっていたとか。
「この町は年中あちこちで撮影が行われているよ」 だそうです。

   
  
黄色い花と錆びたトタンの家と立派な旅館のコントラストがおもしろいでしょ! 

 
伊香保神社で見つけたコンコン様

 

夕飯は、いのしし肉!と榛名鶏がメインの炉端焼き
別のお鍋の中身は「おきりこみ
串に刺さっているのは「いわな」かな?おいしいお魚でした
串団子もおいしかったぁ


 

で、まだ つづくのです

 

 

 

 


伊香保への旅 

2006-05-08 | visit/drive

ゴールデンウィークが終わってしまったのに、なかなかブログを書けないでいます。
子供2人にパソコンを独占されたり、目が疲れたりなんだりで・・・
やっと序盤をご報告!

 ・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。

久しぶり、家族全員での旅行先は息子お気に入りの伊香保温泉。
ゴールデンウィークの後半に訪れたその場所は、いつだったか
「星がきれいに見える所に行ってくるから」と言って彼が友人と出かけた場所でした。

首都高→外環→関越自動車道と、行きは私の運転で、バッハの「プレリュードと
フーガ」のジャズピアノ♪を聴きながら渋川・伊香保まで来ました。
インターを出てからは、ナビがないので地図が頼り。全員が運転できると、あーでもない
こーでもないと勝手気まま、言いたい放題でウルサイこと。
でも一発で「伊香保グリーン牧場」に到着です。

 

うゎ~子供連ればかり!
大人4人が、よりによってお子様の喜ぶ場所に来ちゃったよ~!
本当の目的はこの中にある、ハラ ミュージアム アークだったのです。
子供ばかりが目立つ広々した牧場でしたが、八重桜も芝桜も満開の気持ちいい場所。
せっかくだからシープドッグショーを見ようよ、と娘が言い出しました。
ちょうど始まったばかりで観覧席は満員。
超利口なシープドッグが、ニュージーランド人の羊飼い?の英語での指示にちゃんと応えて、
羊の群れの周りを走り回り上手に柵の中に導くのです。
「羊の毛刈り」のデモンストレーションでは、「コノヒツジノナマエハ、メリーサン・・デス」と
ユーモアたっぷりに日本語で紹介。毛刈りは素早く
巧みでアレヨ~
と言う間に終わりました。
最後には観客がドーッと柵の中にはいり、羊やシープドッグとのスキンシップを楽しみました。
最初は「お子様向けの~・・・」なんて言ってた人々も、しだいに動物にのめり込んでいき、
お馬さんだ、牛さんだ、ヤギさんだ、ヒツジさんだ・・と撫で撫でしまくり。
犬や猫のようには反応してくれませんが、動物ってなんてかわいいのでしょう。
ヒツジが全員でギャーギャーと鳴いている声にはびっくりしました。なんとすごいなき声!
私もすぐ反応し、「ギャ~ォギャーォ」と真似しながら歩いていました。

   

牧場の中はとても広く、ミュージアムは一番奥のほうに見えました。
品川にある、現代美術の専門館である「原美術館」の別館として、1988年に
榛名山の中腹にあるこの牧場内に開館。
現代アートはそれ程興味がなかったのですが、原美術館には一度行きたかったのです。
東京より、伊香保の方に先に来てしまいました。

 古郷秀一「限定と無限定」 
                                               コールテン鋼

作品の解説書きには、小学生でもわかるように漢字にふりがなが振ってあります。
例えばこの作品の解説なのですが、以下の通り、とってもわかり易いんですよ。
でもまずは、目で見て自分の感性で感じてから読んだ方が面白いですよね。

           
   はるか後方に広がる赤城山や牧場の草原を、作品越しに見てみましょう。
   向こう側が透けて見えることで、まわりの風景も作品の一部になったようです。
   季節や時刻で風景が変わることで、作品の表情も変わっていくように感じられ
   ますね。鳥のさえずりも新鮮に聞こえてきませんか?柱に近い部分ではさびた
   堅い鉄がぎっしり集まっていて、私たちの視線はさえぎられ、はね返されますが、
   その反対側に行くに従って、風景に溶け込んでいくようです。「彫刻」という
   限定された枠組から解放されたいという古郷(フルゴウ)さんの気持ちがタイトルに
   
込められている作品です。    

   
・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・:・。・

 
中岡晋太郎 「Dreamer] アフリカ産黒御影石              アンディ・ウォーホルのポスター

この美しい彫刻の前で、芝生に寝転んでぼんやりとした時間が持てたら最高でした。 

       

 

ああ、どうしよう・・どんどんと日が暮れちゃう
お宿に3時にチェックインと言ってあるのにもうこんな時間だ

 

つづく

 

 

 


家族愛

2006-05-03 | family

今日、母の用事のお供で、車で日比谷に行った時のこと。
数寄屋橋の交差点での信号待ちの時に、アッ、と思い、デジカメでカシャッ。
この「阪急」のビルの名前が「クルーズ・クルーズ」になっていてビックリしました。
クルーズさん、知っていましたか?

そうか、あと37日なんだ・・・。

「この間、何かの番組で見たのだけど、リオの名門チーム、“フラメンゴ”に所属の
ジーコの息子が、“ワールドカップで、ブラジルと日本が対戦するとしたら、どちらを
応援するか?”との質問に対してどう答えたと思う?」とパパから訊ねられました。
「ブラジルに決まっているじゃない」と言うと、
「違うんだよな。彼はこう言ったよ。“自分の親はワールドカップ日本代表の監督だ。
だから、日本を応援するのが当然だよ。日本チームの監督として頑張っている父親を
家族が皆で支えて応援する。《国》よりも《家族》を応援するのは当たり前でしょう?
それが家族愛というものだよ。” とね。」
 
   
   私がまだ日本にいた頃、ペレーが最後に出場した年の切手です  

        うっそ~!絶対に嘘だ!そんなこと言ったらブラジル人に袋叩きに合うに決まっている!
と、サッカーに対するブラジル人の熱い思いを良く知っている私は即、そう思いました。
でもよくよく考えると、もしかして、、、本当かもしれない。
在伯中、貧富の差に関係なく、親子の関係の密度の濃さを幾度となく体験しました。
もちろん、私が在伯していたのは今から十数年前もの昔の事になるのですが、
家族対家族のお付き合いがほとんどでした。お互いの子供同士の年が離れている場合、
上の子が下の子の面倒をとても良く見てくれました。
クリスマスには、今の我が家のような成人の子供のいる家庭でも家族でお祝いをします。
恋人を伴ったり、親戚を呼んだり、私たちのようにその地に身内が一人もいないような
友達を招いてくださったりしますし、友だちの友だちも歓迎されました。
そんな中で子供を生み、育てた事はとても幸せだったと思っています。
実際、私は家族とクリスマスイブに友人の家庭で、そのご両親、姉妹、そして彼女たちの
恋人たちとともに楽しく過ごし、日は替わった頃に帰宅し、明け方になったころ、
陣痛が起きて病院に行き、息子を出産したのです。
皆から「クリスマスのビッグプレゼント!」と、祝福されたものです。



日本に戻ってからは、知らず知らずの間に、日本育ちの私は子育てを
日本流?にしていました。
転入した学校の先生にもまずこう言われました。
「いつまでも向こうの習慣を引きずるわけには行きませんよ」

今、私が、このように書く、と言う事は、この言葉を私自身が今まで
引きずっていたということであり、子供たちは無意識にも母親である私の変化を
微妙に感じていたに違いないのです。

  我が家の玄関脇です

いま、藤原正彦の 《古風堂々数学者》 を読んでいますが、
「ベラルーシの秋」の所にこんな事が書かれていました。
・・・・・・・・・・
・・・・・・
 ブロンドをうしろにたばねた友人の娘は、幼子をあやしながら露英辞書を片手に
 話し続けた。私が「ご主人は?」とうっかり尋ねたら、黙って長いまつ毛を伏せた。
 教授がすかさず「長い休暇中です」というと、彼女はみるみる目をうるませた。
 この時を除き、始終笑いが渦巻いていた。
この国には貧しくとも、家族や友人の
 強いきずながある。私はこの国をはじめてうらやましく思った。

              

私はどうも本を読むとき、あとがきを最初に読みたくなるんです。
この本の場合も、あとがきのあとに書かれた、内館牧子の「諌めねばならない」を読み、
おかしくておかしくて我慢できないほどでした。
それで、この本を読んでいると自然と顔がほころんでしまいます。
作家のことがかわいくてしょうがな~い。なぁんて教授に対して言う言葉としては失礼
かとは思うのですが、一生懸命、実にまっとうなことを、誰にも左右されずにバシッと言える、
その姿と、作家のユーモアセンスが程よくミックスされて、愛さずにはいられない。
なんて言うとまた、おかしくなっちゃう。  


             

さ~て、泣いても笑ってもあと37日、は、サッカーのお話。
私はその時どちらを応援するでしょうか? 

 

     

            
           初めてワールドカップを見、熱中したこの年はまだ独身でした!あの頃に戻りた~い