ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

旬なhana

2010-05-29 | flower/green

和の生け花
先月曜日まで日本橋三越で開催していた池坊展。
用事のついでにさっと見て来ました。中でも印象に残った生け花は、カキツバタ。三本の花が背筋をピンと伸ばしているだけ。だれにでも生けられそう、と思ってしまうのはド素人だから?
そのままが一番美しいのだ、という思いが伝わってきませんか。

    
    
か細く伸びる、大好きなカワラナデシコも、振り向かずにはいられない可憐さ。
   

ボランティアの育てた
薔薇

明海の丘公園のバラは、今ごろ満開かしら、と思いながら、買物ついでに寄ってきました。広々とした公園の、駐車場からすぐのところにある一角なのですが、育ての親たちがせっせと手入れをしている最中でした。皆さん男性なのにびっくり。それともたまたま、だったのかしら。ここは公園ボランティアが市の支援及び市との協働によって、公園の緑化・美化活動を行っているとのことです。


   
       
   
    
       
   
5月30日15:00~17:00の間、満開のバラの前で「バラのコンサート」が開催されます。又、公園内にある子供用と一般用の二つのちいさな田んぼでは田植えも行われるそうです。

私が写真を撮っていたら、公園ボランティアの一人の方が、「写真コンテストも行われますから是非応募してください。申し込み用紙はそこの郵便局に置いてあります。」と、すぐそばの郵便局を指差しながら仰っていました。あとでwebでHPを調べましたが昨年秋以降は更新されていないので残念でした。

               ・・・・・ 追画 ・・・・・
  
      

 

 
       
        
   

   


animals

2010-05-29 | weblog

花菖蒲を見に行こう、と言われ、行船公園まで行ってきました。
が、全然咲いていなかったので受付でお聞きしたら来月とのこと。
花菖蒲って、5月の節句ってイメージなのですが違いました。
菖蒲にアヤメにカキツバタ・・・いつまで経ってもわからない人
(或いはわかろうとしない人)って、いるんですね。 only me?

折角来たので庭園を散歩し、併設されている自然動物園で遊んできました。
バックに描かれた景色により、あたかもサルが自然の中でのびのびと
棲息しているように見えてしまいますね。

ただただ、木に上り綱渡りを繰り返しているサル達を見ていると、
人間って尽々ヤヤコシイ生き物だなぁと思ってしまいます。 
 

  

    

政権がどうとか、〇〇反対!とか金融危機、受験、失業、など関係なく、
食べ物も無償で与えてくれる檻の中での生活の住み心地は、「住めば都」かしら?

我関せずの生き物たちを眺めていると平和な気持ちになってきます。
政治家のみなさんにも是非、動物園に行ってもらいたいと思いました。

帰りはすぐ近くの「洋菓子工房 小さなお菓子屋さん」に寄りました。
初めて覗いたお店ですが、本当に小さかった。
以前、ショッパーズプラザに出店していた時買った、ここのアップルパイが
手頃な価格で美味しかったので、又、買いたかったのです。が、
秋から冬のリンゴの時期にしか作っていないとのこと。残念!
そのかわりにソフトクリームを買い、店の前のベンチに座って
ペロペロしてきたオバサンズでした。
            


銀座の空中ガーデン

2010-05-24 | flower/green

(前回ブログの続きで~す)

映画を見終り、ギャラリーに寄った後、銀ブラをしながら中央通りに出ました。          
ファンケルビル地下の「泥武士キッチン」で遅いお昼のヘルシーランチです。
以前はオニギリなど、もっと手軽にささっと食べられるメニューもあり、小腹がすいたときに便利だったのですが、新規オープンになってから、メニューが変わりましたね。


たまたま同ビル最上階のロイヤルルームがローズガーデンとなり、公開されている、と知り、食後に早速10階に上って見て来ました。色とりどりの薔薇がテラスまでぎっしり。狭いスペースですがなかなかセンスよいガーデニングでした。薔薇の季節となりましたね。

       

期間限定 空中ガーデンは、5月26日(水)までです。詳細はこちら
銀座に行かれたついでにでも立ち寄ってはいかがでしょうか。

                                                   
これで帰宅とはいかず、日比谷線に乗って仲御徒町で姉と合流し、旧岩崎邸庭園へ向かいました。私は二回目ですが、姉は初めて。以前来たときは寒い時期だったので外見は取り残されたお屋敷然として殺伐とした印象でしたが、当日はお天気の土曜日。人出が多かったです。ちょうどミニコンサートが終わったばかりだったので残念でした。
次の土曜日にもコンサートがあり、その後3ヶ月ほどはないようです。

れからすぐ近くにある大学医学部付属病院に、こんどはお見舞いです。
病棟屋上に精養軒が入っていて、そこから上野の山の精養軒が真正面に見えました。
次回のお見舞いのときは、大学の敷地内を散策しようかと思っています。
お見舞いを利用してあちこち見学、が不謹慎とならないのは、経過が順調で退院のめどが立っているから


(追記)
バラといえば、そうだこの歌!と思い出すや直ちにYou Tubeで調べ、更に他の曲へ、と聴き捲っていたら追記が遅くなりました。「バラが咲いた♪」じゃないっすよ。大ヒットしたCartola(カルトーラ)の有名な曲で、ブラジルにいる時、年中鼻唄交じりに歌っていました。これはBeth Carvalho(ベッチ・カルヴァーリョ)が歌っています。直訳では「バラは話さない」ですが、「沈黙のバラ」が邦題のようです。

 "As Rosas Não Falam"

Bate outra vez
Com esperanças o meu coração
Pois já vai terminando o verão,
Enfim

Volto ao jardim
Com a certeza que devo chorar
Pois bem sei que não queres voltar
Para mim

Queixo-me às rosas,
Mas que bobagem
As rosas não falam
Simplesmente as rosas exalam
O perfume que roubam de ti, ai

Devias vir
Para ver os meus olhos tristonhos
E, quem sabe, sonhavas meus sonhos
Por fim
          
                     

 ☆ Luciana Melloの同曲も素敵です。                              

 


笑って泣いてしみじみと

2010-05-23 | cinema

  

昨日、メゾンエルメス ル・ステュディオの上映会に行って来ました。今回は、ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演の「ライフ・イズ・ビューティフル」。
内容を調べもせず、この写真の印象だけを抱いて見にいったので、幸せそうな表情の家族が、ある日突然ナチスのユダヤ狩りに巻き込まれ、強制収容所に送り込まれることになるとは、映画のタイトルから考えても意外でした。

父親の口から聞いた収容所での体験談からはじまり、ホロコーストについての歴史的事実の調査、生存者からの証言などを通して、ベニーニ監督の作り上げた作品は、史上稀なる悲劇を、コメディーを交えた人生賛歌へと至らしめたのです。

いただいたパンフレットの中に、ロベルト・ベニーニの言葉が載っていました。

   皆さんは、なぜこんな悲しい、今世紀最大の恐怖を笑いの種にするのかと
   言われるでしょう。しかし、これは物ごとの悲劇性を和らげる物語、深刻
   さを軽減する映画なのです。なぜって、人生は美しいものなのですから。
   恐怖の中にも希望の芽があり、あらゆる禍いに抵抗する何かがあるのです。
   トロッキーを思い出しました。彼が耐え忍んだすべてのことを。
   彼がメキシコ・シティーのトーチカの中でスターリンの刺客を待っていた
   こと。庭にいる妻を見つめながら、「いろいろなことがあるけれど。人生
   は美しい。生きるに値するものだ」と書いたことなどを。
   笑うということは、私たちを救います。物事の別の面、非現実的で楽しい
   面を見たり、その別の面を想像することができれば、小枝のように折られ
   たり、ひきずられずにすむのです。長く長く感じられる夜をやり過ごすこ
   ともできます。それにだれかを攻撃しなくても笑わせることはできます。

主演のロベルト・ベニーニが、「90年代のチャップリン」と絶賛されたほど、滑稽な道化役を、まるで地で行っているように演じると同時に、悲哀をも感じさせる演技は、人々の心を掴んで離さないほど素晴らしいと思いました。悲劇の涙を、最後には感動の涙にかえてしまうんですから。

以下も、パンフレットに載っていた、フェデリコ・フェリーニのベニーニ評。
私も全く同様に感じたので、本当にそうなんだ、と知り嬉しかった~。

   今すぐ遊んでほしくて、狂ったようにはしゃぐコッカー・スパニエル
   のようだ・・・が、それは自らの中に閉じ込めた悲しさを大事に隠して
   おくためなのだ・・・。彼には偉大な道化としての純潔、カリスマ的
   権威が感じられる。白いクラウン(憂い顔の道化)と、アウグスト(陽気
   でおっちょこちょいの道化)とが、彼の中で一体になっているのだ・・・


1999年アカデミー賞3部門受賞【主演男優賞/外国語映画賞/作曲賞(ドラマ部門)】
98年カンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞
98年ダヴィッド・ドナテッロ賞 8部門受賞 

ライフ・イズ・ビューティフル(1998) - goo 映画 

ラストでは、あちこちからすすり泣きが聞こえてきました。5歳の子供に、家族に、最後まで希望を失わせないため、嘘の作り話を語って絶望の状況の中でも明るく振舞っている主人公の姿への、我慢の限界が切れた熱い熱い涙でした。

このあと、8階のギャラリーで開催中の「市井の山居~細川護煕展」に寄り、茶碗や皿などの陶芸作品や油絵を拝見。

素人とは思えない・・というか、もはや趣味が芸術の域に達している気がしました。というか、もう作家さんなんでしょうか。

元総理大臣、
今芸術家もいれば、

元普通の主婦、
今も後にも普通の主婦
もいる。

人生いろいろ・・・

な~んて、
細川家と比べるな、ですね。

 去年の暮れごろに行った、永青文庫別館サロンでも、陶芸品が幾つか飾られていました。後日その時のことを投稿するはずが、時期を逸したことを今、思い出しました!      

     
    
      
                            


見上げてごらん~夜の空を♪

2010-05-18 | news

昨日は親戚の通夜があり、小平まで行ってきました。
最後に
お目に掛かったのは彼女の夫、つまり私の大叔父が亡くなった時でしたから、小平はどの位ぶりになるでしょう。残された子たちは定年を迎え、孫たちは結婚して子供が出来、前回はまだ小学生だった子が、今は思春期を迎え、中には茶髪もチラホラ。
滅多にお会いしない親戚だと、私たちの代が親戚付き合いの最後の砦となるのかな、と思わずにいられません。
大伯母は昔のモダンガール(モガ)そのままの美しい方でしたが、最後までタバコを離さず、毎日一箱吸っていたとのことです。
「うちの不良バーサン、耳が聞こえにくく、目も見えにくくなっても、くわえタバコするもんだから目が離せなくてね、困ったもんだ。」と、息子のKちゃんがよくこぼしていたものですが、その姿を想像するだけで懐かしさでいっぱいになります!

お清めの席を7時半過ぎごろにおいとまして、他の親戚何人かと一緒に駅に向かっていたところ、一人が空を見ながら歓声を上げました。つられて夜空を見上げたら何と、月の直ぐ上に金星が!都心から離れていると、こんなにきれいにくっきりと見えるんだ、と、その美しさに見入ってしまいました。
あんなに月の輪郭がはっきりした三日月を見たのはきっと初めてだと思います。

東南アジアでは金星を月が隠す「金星食」が観測されたそうですが、日本ではそこまでには到らなかったとのこと。ですが、2012年8月14日には日本でも「金星食」を見る事が出来そうですよ。

忘れられない通夜の夜となりましたが、多くの方が、月と金星が接近している見事な写真web上で発表していることにビックリです。(上の写真もwebより拝借)


今更なのですが・・・

2010-05-13 | weblog

子供の日

今年も境川を鯉が泳ぎました。
川に浮かぶ何艘もの舟といい、
風情のある眺めわが街ならでは。




米原万里展

最終日の一日前、雨の日に
行ってきました。

星野道夫展を開催した同じギャラリーでの米原万里展
以前から、この人の書く本は面白い、と夫が話していたので
一度読んでみようと思っていた矢先だったので興味がありました。

色々な資料・ゆかりの品々、著作の数々、ご自分で描いた絵や
リビングに飾ってあった絵など、まだ本を読んでいなくても興味を
そそられる内容でした。共産党幹部だった父親の職業ゆえ、
就職の壁にぶつかりながらも、旅行添乗員やロシア語の通訳ガイド
などをして働き、後には作家となりテレビのコメンテーター
としても活躍していましたが、4年前に56歳で他界。

この企画展は、主催する市川文化振興財団の理事長である、
井上ひさし氏(4月9日に急逝)が米原万里さんの義弟であること
から実現したそうですが、開催中に亡くなるとは、なんということ
なんでしょう。すでに闘病中でしたが 企画展にあたり、このような
文章を寄せています。

特に興味深かったのは、彼女が病床にいたとき、出版社から、
一番好きな漢字一字を書いて欲しい、との依頼があり、
「坂」という字を即、描いたこと。株式会社 金曜日蔵のその字が
会場内に展示され、土が人文字のように描かれていました。

平坦な人生はつまらない。坂のように上ったり下がったりと、
変化に富んだほうが断然おもしろい。

そのようなコメントが横に書いてあったと思うのですが、
まさに彼女の生き様そのもののよう。それを見ていたとき、
係りの方が近づいて来て、色々と説明してくださいました。
気力も体力も消耗している病床で、きっとやっとの思いで
書き上げたと思われる絵文字。

振り返って見れば、大変な時期を過しているその時は、
そこから抜け出ることばかり考え、落ち込んでしまいますが、
時が経過し、ふと懐かしく思い出すのは、辛くて長い坂道を、
苦労して上っていた頃であるのかも知れませんね。
知人でも、「子供に散々苦労させられたけど、
今は大人しくなっちゃってちっとも面白くない。学校に何度も
呼び出されていたころの方が懐かしい。」と仰る方がいらして、
当時、思春期の子を持つ親として四苦八苦していた私は、彼女の
肝っ玉の太さに尊敬の念を持ったことでした。


本八幡  芳澤ガーデン  市川

雨の中、市川駅から歩いて芳澤ガーデンまで向かう途中、ちょっと
素敵そうなガーデンカフェ(写真左)を見つけました。
入り口に「珈琲倶楽部」と書いてありました。今回はパスですが、
何かのときに思い出すことにしましょう。

     

企画展の帰りは本八幡へ寄るのに、電車に乗らず歩くことにしました。
国道14号に出て歩いていると、
横道の奥に、気になる古い洋館を発見。
蔦の絡まる、見るからに魅力的な建物なので入口近くまで回ったところ、
「西洋館倶楽部」の字が看板に書かれていました。(写真右・webより拝借)
ギャラリー&コンサート会場のようです。入ってみたいな~。

 ★  ★

さてさて、本八幡になぜ寄りたかったですって?以前から一回は入って
見たかった星野道夫さん行きつけのカフェに行くのが目的でした~!

彼の指定席をお聞きしましたが、すでに先客が。思っていた通り落ち着いた雰囲気で、とても気に入りました。美味しいカフェとケーキを頂いた後、彼が通園し葬儀も行ったという「聖マリヤ幼稚園」へ。時間的にすでに閉まっていましたが、静かな住宅街の中にありました。

それから駅へ向かい、今度はご実家のあった跡地(今はコンビニとなっている)の前を歩いてきました。なんだか追っかけみたいですかぁ?

私としてはやっと数年来の念願を果たせた気分だったんです。近いようですが、市川や本八幡に電車で来ることって、滅多になかったってことです。歩いてこそ、色々な発見があるし、あそこもここも、と気楽に立ち寄れるもんですね。

 

母の日

間に合って届いた素敵なカード
中に添えられた文面にグッと来ながらも
出来すぎの内容を
素直に喜ぶ母

印刷された言葉もわかりやすい英語ですが
日本語だったら恥ずかしくて言えないかも。

大きな封筒のなかにはもう一枚、カードが
入っていて、おばあちゃんへ、と宛名が書
かれていました。

母の日のためのお洒落なパッケージ入り
チョコレートもありました。
それは、カカオの割合が41%、62%、70%、
そして82%と4種類の濃度が味わえる
チョコレートでした。

息子からは、カーネーションの鉢花を、
一日送れで手渡されました。
それでも、嬉しかったよ~!

 みんな、どうも有難うね。

   
     

 

寄木細工・からくり箱展

「スイーツ」をテーマとした新作からくり箱が並びます。
甘いひとときをお楽しみください。
その他定番作品・旧作も展示販売いたします。
見て、触って、楽しめる、からくり箱展です。
からくり創作研究会メンバーも日替わり(?)で会場におります。

 これも、もう最終日だ、とのことで突然誘われて行ってきました。



銀座松屋の小さな展示スペースに並んだ手のひらサイズの
沢山のおもちゃ。見かけはおもちゃとは思えない、木製の
インテリアグッズに見えます。上はカステラですし、ケーキもあり、
どれもお試し自由なので、すっかり夢中になってしまいました。
原則、教えてくれませ~ん。なぜなら、試行錯誤しながら、
カラクリを見破ることこそが一番の楽しみだから。

7月14日には、箱根湯本の富士屋ホテルにて
「国際パズル会議イン箱根」が開催されます。
面白そうですね。

弱りつつある頭をフル回転させに行って見たいですな~。


 


もう一つの小田原

2010-05-09 | visit/drive

西湘バイパスが邪魔しているので、歩きだと海に出るにはその下をくぐらなくてはなりません。当然のことながら、くぐって初めて海が出現するわけです。車を優先すると、とんでもない光景になることは、日本橋などと同じ。車窓からの眺めの素晴らしい海沿いのバイパスを走るのは気持ちいいものですが、住んでいる人にとっては 結構迷惑なものかもしれないな、と思いました。

     

連休にしては人出の少なすぎる静かな海岸の風景です。この辺の海は、途中から急に深くなり危険なので遊泳禁止だそうですが、自分達は慣れているから、ヘッチャラでよく泳いだもんだ、と昔の地元の子供たちが話していました。

波打ち際に大きな魚の屍が・・・

夫が昔住んでいた家の辺りにも連れて行ってもらいました。同級生の、地元への定着率が割と高いらしく、ここは〇〇ちゃんの家だ、と私に教えてくれながら歩き回り、町内会の神酒所でも同級生の一人と会い、缶ビールを頂いちゃいました。
そこで幼なじみ男衆4人をパチリ。ウフフ・・・それぞれ様々な年の重ね方で面白い。
出世した誰々は線路の反対側のお屋敷町へ引っ越した、と話していましたが、ちょっと寂びれた海側も私の目には、味わいがある、と映りました。

ドアではなく、引き戸をガラガラと開けてから「こんにちわ~」って言っていた時代、ありましたよね。鍵を掛けないで住める家って、もはやダンボールハウスしかないのでしょうか。

魚屋さんの看板がいいカンジ。下の写真の家などは、隣が空き地になっていたので、奥行きの木造部分が全部見れました。中へ入って階段を昇ってみたくなります。

某天皇陛下が小田原を訪れた時腹痛におそわれ、この(画像上)内科医院で診療を受けたと知り得たのは、私が写真を撮っていたから。門構えと洋風な窓が対照的だし、表札に内科医院の字がなければ、個人宅にしか見えませんものね。

あれっ、ここ新宿って地名なのね、と言うと地元の一人が、「シンシュク」と読むんだ、と教えてくれました。箱根駅伝のときの通過地点なんです。紙垂の付いた榊を持って、急ぎ足で歩いていた男性。信号待ちのときがシャッターチャンス!と同時に青に変わりました。本当は「新宿」を撮りたかったんですけどね。

 

小田原のお祭りも、昔のような活気はすでになく、映画館などがあった国際通り(左下)など、今は「シャッター通り」と呼ばれているとか。
国道一号沿いの小さな蒲鉾屋(右下)の前を通ったとき、地元の一人が、ここのは全部手作りで、結構美味しいんだよね、と言うので入ってみました。お勧めの商品が売り切れだったので、別の袋入りさつま揚げを自宅と土産用に購入。手頃な値段で美味しかったですが、とっくに食べちゃったから画像なし。佐倉蒲鉾店だったと思います。

   


ここは何の店だと思う?と聞かれ、雑貨屋かなぁ、と思ったけど・・

                 「本屋」さんでした!

「御感の藤」は小田原城址公園の南入口のところにあります。昔、大正天皇を感嘆させたということからこの名前がついたとのこと。花房が一メートルにもなるそうですが、枝振りのわりには華奢な印象を受けました。
   

   

お堀のむこうに見えるのは郷土文化館と別館の松永記念館。城内には他にも歴史見聞館や小田原城ミューゼ、報徳二宮神社、そして小田原城などがあり、見どころいっぱいです。約20年ほど前に家族全員で遊びに来たときは、小学校がまだこの城内にありました。木造二階建てが印象的な、今思えばレトロで実に格好いい学校でした。  

   全国的にも珍しく、その校舎が小田原城址二の丸にあったことで、
   歴史保存区域内での建設許可が下りなかった事から、1992年本町
   小学校との合併まで木造校舎(1928年新築)のままで利用されて
   いた。
(webより)

   

城内にあった小学校に通学するには「学橋」を渡ります。卒業生の一人曰く、
「学橋を毎日渡って登校していたけど、学んだって記憶はないなぁ・・・」
今になって、通った学校がお城の敷地内だったことを、たとえ学んだ記憶がなかろうと、少し誇らしく思えるのかもしれませんね。

学橋を渡ると二の丸広場。その先には歴史見聞館があり、そこが小学校講堂を利用したことを知りました。植え込みに咲いていた花は牡丹?とてもきれいだったのでパチリ。


     

バス停も、ういろう本店も、こんな風なんですけど、本当のお城(小田原城)は、以前行っているので今回はパス。


小田原を離れるその時まで、4人ずっと一緒だったので、地元の人しか知り得ない色々な話しを聞きながら散策することが出来ました。事前に調べておいたカフェとかなどには全く行ける気配ではなかったし(笑)言い出せなかったです!が、ひとあじ違った滞在のしかたは、滅多にあることではないので面白かったかも、と思いましょう。
 


小田原のお祭り

2010-05-08 | visit/drive
                          


小田原城址公園

ゴールデンウィーク中は、施設にいる義母のところにも行きました。たった今、話したことをを何回も繰り返し話すことにはすっかり慣れっこですが、私の実母以上の頻度です。そして訪れる都度、それに拍車がかかっています。まるで幼児が、瞬く間に成長すると同じような速さで物忘れが進んでいるみたい。話が尽きないほど話題豊富な方だったし、今までそれを何回も聞かされていたので、義母の記憶がしだいに曖昧になり、勘違いが増えてきているのがよくわかります。
義母は結婚後、小田原に住んでいたので、その頃の話題も多く出てくるのですが かなり記憶が混乱気味。そんなとき、「小田原で恒例のお祭りがあるので行って見ないか?」と夫が言いだしたのです。

家族揃っての旅行の予定が立てにくくなった昨今、二人で気ままに行動できる喜びに浸れるはずが、現実は すれ違いばっかり。というか、とっくに「子はかすがい」的な間柄なのを知らぬふりしている間に・・・その「かすがい」達が影を潜めはじめた今、(いや、息を潜め・・か?笑)二人の脳裏には、”こんな筈じゃなかった”数々の言葉に出せない思いが渦巻き、今更とは知りながら、理想のカタチを勝手に描いては現実とのギャップに愕然とし、前にも進めず後にも戻れずの状態。これって、熟年離婚の一歩手前の状態ですか?現実から目を少し逸らして優しい言葉を積み重ねるか、事実を直視してとことん話し合うべきかで、全く様相が変るんですね~。相手は自分の鏡だ、と感じてしまうことも多々あるし・・。やだ、こんな話しちゃって!

映画だろうとドライブだろうと、今まで ほぼ私が言い出しっぺでしたので、今回夫からの申し出に、即、乗ることにしました。
余計な事を書いちゃったので何のことだかわからなくなっちゃいますよね。前置きが長すぎてご免なさい。もう、すっ飛ばして見て下さるだけでいいですよ。

そんなわけで、二人東海道線アクティーに乗って、小田原のお祭りを見に行ってきました。

       
      

 駅を一歩外に出たところからもうお神輿ワッショイでしたが、私の見慣れたお祭りと違い、汗臭さを感じないクールで静かな大人の雰囲気が漂っているんです。城下町の歴史を感じさせる風というんでしょうか。お神輿を担ぎながら歌っているのですが、普通の歌ではないのでよく聞き取れない。隣で見ていた人が、「ほれ、あそこで歌っているのは甥っ子よ」といってシャッターを切っていましたが、お祭りの中心となる歌い手がどうも神輿をリードしているようです。
しかし、あ、と思った途端、神輿を担ぎながら、勢いよくこっちをめがけて走り出すのには吃驚。なんだ、なんだ、なんだ~、これって! おもしろ~い!

      

このお祭りは、小田原市内の4神社(松原神社・山王神社・大稲荷神社・居神神社)の例大祭とのことで、山車・御輿数十基が市内を静かに、時に勇いよく渡御。

この例大祭とは別に、前日は小田原市最大の観光イベント「北條五代祭り」が行われたので、あちこちでその白い旗が風に翻っていました。webで調べたところ、「総勢約1,800名の武者隊・音楽隊・まち衆隊の大パレードが市内を勇壮に練り歩きます。」とのこと。

私にとっては物珍しいお祭りだけど、夫には幼いときから慣れ親しんだものなので、とても懐かしそうに見ていました。市内には、彼の旧友が何人もいるので、年一回ほどは一人で遊びに行っていますが、お祭りという行事にぶつけて行くのはどの位ぶりでしょう。

     

 子供神輿が駅の左側の方に見えたので近寄ってみました。神輿という神輿はどれも店舗の前で横を向き、走りこみをしてお祝儀をもらうのが特徴のようです。お店の人から祝儀袋をゲットし、次はUターンして反対側の商店に向かいます。店の人も心得えたもので、ちゃんと用意して待っています。あとで夫の友人から聞いたのですが、売り上げよりご祝儀の額のが多いところはお店を閉めてしまうようです。なにせ神輿の数が数基ではなく数十基ですものね。

      
                          幸せの鈴
     

      

路地で見つけたこの壁画は、夫曰くチェコの画家が描いたそうです。
何でこんなところにあるかの説明が曖昧だったのでwebで調べたけどわかりませんでした。

 

街中のいたるところで神輿や山車とすれ違いました。駅や神社の周辺以外は閑散としていますが、見る人がいようがいなかろうが神輿は練り歩きます。

                        

ツツジのきれいな城址公園の桜並木の下を歩いていると長閑な気分になります。
ベンチに座って、洗濯バサミからネコを作っているおばさんに出くわし、一つ売ってもらい、手書きの型紙もあるよ、というので分けてもらいました。有料でした!私、作る気ですかね?

知らぬ間に夫の幼なじみが現れ、散策のお供兼案内役となり、思ってもない展開に。

昔住んでいた家の跡地前では、池があって鯉が泳いでいたんだよな、とか、神社の境内にある無縁仏の上によじ登ってよく遊んだよな、などなど、初めて聞く話はとても新鮮で愉快。年賀状や電話での取り次ぎ位でしか知らなかった方でしたし、近年はケータイ電話が主流になっているので、電話の取次ぎも少なくなり、夫でも子供でも、相手が話してくれないと何にもわからなくなりがちなご時世です。その上、夫婦の会話が少なくなると尚更のこと。

そのうち幼なじみがもう一人、手を振りながらやってきました。年の取り方はそれぞれの生き方が反映されるのかもしれないな~と思いながら、この三人が同い年なんだと思うとちょっと可笑しい。

結局 私は男三人の後を、あちこち写真撮りながら、慌てて後を追いかけるはめに。それも、最後まで!こんなの想定外でした~。 

 お喋りや お祭りの雰囲気を楽しむと同時に、街中の老舗の店構えなども楽しみました。

漁師町に本店を構えるかまぼこの老舗「籠清」、
お城のような
ういろう本店と「薬」という字が彫ってある看板が目を引く駅前の支店、
昼食を予定していた
だるま料理店
旧網問屋を観光案内所兼休憩所として開放している「小田原宿
なりわい交流館」、
江戸時代から続いている薬局「
済生堂小西薬局」、
駅前の「守谷」と並んで
あんぱんで有名な、大賞0年創業の「柳屋ベーカリー」などなど。

     

建物散策大好き人間としては、とても魅力的な街です。小西薬局前で、この提灯こそが
世に言う「小田原提灯」だ、と説明を受けました。


山車も立派で、格納庫?も立派ですね。夜になると提灯に明かりが灯り、更にお祭りらしくなる、とのことです。

     

もっとも荒くれの神輿は漁師町のそれだそうですが、漁師町にいる漁師の数も少なくなり、以前のような勢いはなくなっているようです。大工町のお神輿ともすれ違いましたが、もはや名前だけになっているとのこと。

まだまだ撮った写真を消化しきれないので、いつものように勝手に続きを投稿しますね。今更GWの話題が終わらないとは、トホホホ・・。

    

タケノコご飯を食べに

2010-05-04 | family


隣家で植えた竹が進入し、竹林になってしまった裏手。

裏庭で採った竹の子を沢山茹でたので、竹の子ご飯を食べに来ませんか、
と嬉しいお誘いがありました。足がふらつき、出かけるのを嫌がる母も、
もと住んでいた所、となると、行って見たい気持ちになるようです。

ということで三日の昨日、姉と三人して横浜の家に遊びに行ってきました。
いつも湾岸道路でスイスイ行っていたのに、今回は2時間半も掛かって
しまいました。今までGWでもそれほど混まなかった気がしますが、
渋滞の原因が海ホタル方面へ行く車が殺到し、三車線のうち
二車線も占領していたためだ、とわかりました。なぜ二車線か?というと、
左車線が長蛇の列なので、真ん中の車線を使ってギリギリのところで
左に割り込もうとする車が、拒否されてすんなり
割り込めずにいるから。
(そりゃそうだ!と言っている私もやりそうだけど。)
東京湾アクアラインのETC割引料金を一気に800円、と安くした結果、
とんでもない事態となったわけです。浮島
を過ぎた地点から、ダ~~ッと
すっ飛ばせたんですもの。弟たちはさぞ待ちくたびれていたことでしょう。


遅いお昼になってしまいましたが、まずは乾杯!



お庭で採れた竹の子のご飯と蕗など、野菜がメインの昼食は、
私たちのお年頃にはピッタリの内容でヘルシーこの上なし。
蕗のお浸しと蕗の煮物の他、アサリの味噌汁、中華風茶碗蒸し、
山椒の葉とじゃこの和え物、シーフードサラダ、そして切干大根など。
どれも大変美味しくいただきました。

いつも洋間に集まっていましたが、この日は奥の和室に通されて、
すっかりお客さま気分。和室から見える、白いハナミズキが
丁度満開で、なかなか素敵な眺めでした。



花の命は短いので、満開の時に出くわすのは幸運なこと。
桜の咲く3月から4月あたりに、ここに来ることが多かったので、
ハナミズキには全然気が付きませんでした。以前はピンクのも
あったそうですが、風になぎ倒されたようです。

食事の後は庭に出て、恒例?の蕗(フキ)刈りタイム。
バーサンもトーサンもカーサンも、やり始めたら夢中です。



蕗が庭の面積をかなり占領してきていますね~。
そのうち蕗屋敷になったりして。地面を良く見ると
ニラもあるし明日葉もある。夏場はなす、きゅうりなど収穫し、
野菜作りがすっかり趣味になった弟は、私より断然 働き者です。


金柑


柚子


フキ


だいちゃん


ウメ

広い庭も、庭師を頼む余裕があるならともかく、
手入れするとなると並大抵なことではありません。
生活するだけでも大変なご時世ですもの。

今は使っていないシェルの石油タンクが、
鉄柵のついた大きな犬小屋が、共に朽ちたまま
遠き日々を物語っています。



庭での作業後は、おいしいお菓子でティータイム。

帰りには、三軒分の茹竹の子と、各自が収穫した
蕗の山をどっさり貰って同じ道を引き返しました。
帰路は45分でわが街に到着~!
母も大満足な様子で喜んでいたので 一緒に来れてよかった~。
弟と義妹には心より感謝の一日でした。
又、お声の掛かることを期待しましょう。