ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

はじめてのワイン会

2007-10-31 | 飲・食・店


10月27日(土)。賞味会は、時期はずれの台風が通過する、まさにその日となりました。夜7時から始まる、私にとっては初めて参加する「ワイン会」。
会場はlala Italiana。ご近所という気楽さから、友人のお誘いに乗り、雨や風にも負けず、傘をおちょこにさせるまいと、気合を入れて会場まで歩きました。雨と強風にあおられて、家でシャンプー、ブローしたてのヘアーがボサボサになってしまいましたが、ワインを戴くんですもの、車では行けませんよね。
 
今回は第三回目のワイン会だそうですが、友人は以前も参加して大変気に入ったようです。前回のソムリエさんが転職してしまったそうで、急遽この日のソムリエ役を務めたのは まだまだ前途未知数の若いお兄ちゃん。20代の前半ですって。これから一生懸命ワインのお勉強をしていくそうですので私たちは彼を見守り育てていくってところでしょうか?
 
まずはシャンパンで乾杯しました。テーブルには銘々の前にグラスが沢山並んでいました。

 

    ③     ①     ②     ④

当日は4種類のイタリアワインを味わえるとのことでした。
一番目がマルケ州のVini Bianco(白ワイン)
   「SALADINI PILASTRI FALERIO」
   ~サラディーニ ピラストリ ファレリオ~
有機栽培ブドウ100%のオーガニックワインでした。
     
二番目は赤いラベルのトスカーナ州の白ワイン。
   「CASALE FALCHINI VERNACCIA」
   ~カザーレ ファルキーニ ヴェルナッチャ~
ワイン作家バートン・アンダーソン“イタリア白ワイン101選”に
選ばれた一本だそうです。
     

  
四番目はトスカーナ州の赤ワイン
   「ARGIANO BRUNELLO di MONTALCINO」  →
   ~アルジャーノ ブルネッロ ディ モンタルチーノ~
Brunelloの第一人者と言われる
 Argiano 
2000-2001連続でヴェロネッリ誌で3つ星を獲得
良質のサンジョベーゼで作ったモダンなワイン。                                                                                                    



 三番目はウンブリア州のVini Rossi
←(赤ワイン)
「LUNGAROTTI ROSSO di TORGIANO」
ルンガロッティ ロッソ ディ トルジャーノ 
イタリアの“緑の心臓”と呼ばれるウンブリアの実り豊かな土地で育った果実味のある一本。

 

と、まぁ、私自身 ワインには少しも詳しくないのですが、説明を受けながら頂いていると、なんとなく味の違いがわかるような気がしてきました。4種類とも飲みやすくて美味しかったでっす。
お食事は勿論、飲酒の合間に、運ばれて来ましたよ。
ANTI PASTO は、有機野菜と魚介のフリットミスト

 RISOTTO は香ばしいフォアグラの・・・でしたが、内臓モノは
                   ダメなのでホタテに替えてもらいました。
PASTA は和牛と白インゲン豆のラグー パッパルデッレ 
イタリア産 秋トリュフの香り
 CARNE はフランス バンデ産 鴨胸肉のアロスト
                  スパイスの効いたプラムの赤ワインソースと共に
DOLCE はトスカーナ伝統菓子 ズコット 

おいしいワインとお食事、その上、山口佳名子さんのヴァイオリン演奏もあり、魅惑のワルツやムーンリバーなどの曲にうっと~りしました。久しぶりに地元の友人たちと過した優雅な一夜。次回は4ヶ月後にあるそうですが、又、参加しようよ、とか、忘年会はここのクリスマスディナーコースにしない? てな話しまで出てきました。欲を言えば照明がちょっと明るすぎたことかしら。

         ピンボケで~す。

先日「Doraのドラ猫」というフランス人ジャーナリストの書いている新聞コラムで、パリジェンヌは暮らしを楽しむ達人だ、ということが書かれていて、フ~ン、そうかも・・・と思っていました。
      ・・・・・・
      
オンとオフを使い分けるのも上手です。
      パリもまた、都会ならではの忙しさやストレスと無縁ではないので、
      オフタイムはのんびりと過します。
      ・・・・・・
      クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)を高める事。
      それは給料アップのために残業するよりも、よっぽど大切な事なのです。
と。
ちょっと意識して日々をメリハリつけて楽しむことって、大切だと、本当に思います。
このようなワイン会に行ったことで、家に戻ってイキイキと元気に生活できるとか?ね。

この翌日は父と娘がデートしました。市内のb:stileという所で行われた、Lady Kim のパーティーライヴに、です。娘が行く予定だった所を、パパの誕生日が近いので、これをプレゼントにしよう、と考えた訳です。40人ほどの観客の目の前での2時間の軽いディナー付きの演奏会に二人とも大満足して帰宅しました。とりわけパパが大喜びだったので、今年の誕生日プレゼントは大成功!

             ・・・・ Happy Halloween Day ! ・・・・

            
                           東京国際フォーラム前(10/31撮影)




                                                                       


V・S・O・P を聴きに

2007-10-23 | music

2007年10月19日(金)
仕事のあと、一たん家に戻ってから、パパパッと夕食の段取りを整え(まるでスーパーウーマンみたい!)、とんぼ返りでJRに乗り、念願の「The Quartet」を聴きに東京国際フォーラムまで出かけた。

“生きる伝説”4人による世界初のそして、ラストチャンスとなるかも知れないジャズセッション。生きる伝説、だなんて書かれていたけど、皆、年はとってもバリバリの現役だ。

1960年代からマイルス・ディヴィスと共にステージに立っていた彼らだが、1976年にマイルス・ディヴィス クインテット時代の演奏を再現しようと結成されたのがV.S.O.P.。
Very Special One time Performance
(一回限りの演奏)のイニシャルをとって名付けたという。本当に一回限りのつもりが、大好評を博したため、その後も活動を共にするようになり、77年、79年には日本にもその名で来日していた。(その時のドラマーは、今は亡き、トニー・ウィリアムス。)

 今回の彼らの年齢は、と言うと、何と65才から70代までと高齢なのだ。65才を高齢である、という解釈は今では時代と全くかみ合わない。私の大叔母など、50代で引ったくりに会った時、新聞に「老婆襲われる」と書かれた。もう笑っちゃうよね~。
「 ビアンカの “ちょっとローバーなブログ” 」ってどうでしょ?でも、こういうことを書く記者って、新聞記者だからきっと頭はいいんだろうが、知的じゃない、と思った。頭がいい、勉強が出来る、ということと知的であることとは余り関係がないようだ。74歳のウェインは超かっこよかったし、みんながみんな素敵だ!

   ♥ハービー・ハンコック 1940年生まれ
   ♥ウェイン・ショーター  1933年生まれ
   ♥ロン・カーター     1937年生まれ
   ♥ジャック・デジョネット  1942年生まれ    なんざんす。

会場はほぼ満席。勿論チケットは完売。この日は日本での最後のコンサートだった。夫は仕事のあと駆けつけても開演時間に間に合わないので諦めたが、私より彼のが来たかっただろうな、と思った。
結婚することを決めた要素の一部が、音楽と読書の傾向が共通点・・・だったけど、今思えばどうでもいい事ではあったが・・!(って、どういうこと?¬(´ー`))
 
公演が始まり4人がステージに入ってくるや、ずらりと並んで客席に手を振るやら拍手するやら・・・なんだか昔からの知り合いか同窓生だかが、何十年ぶりかで帰ってきた、そんな感じだった。
勿論私にとっても、昔からの知り合いのようなジャズメンたち。
マイルスの音楽を出発点として結成された彼らのジャズは、V.S.O.P.だけあり、常に前進しつづけた故人マイルス・ディヴィスに捧げるステージに相応しく、創造性豊かで、全く年を感じさせなかった。気迫とか優れた演奏、とかいう以上の、長年の同志がお互いを尊敬し合い、全く自由奔放に演奏を楽しんでいる!そんなリラックスした、けれどキラリと切れ味の良い、磨きの掛かったステージだった。
当日の演目で、《処女航海》が非常に楽しみだったが、それは私の知っている曲をはるかに超えた曲に生まれ変わっていて、ついていけない私のほうがご年配だぁ~と苦笑。
彼らの演奏って、全体的にガンガンと、音が激しいのだけど、その中にも素晴らしいバラードが入ったりし、おっ、ジスモンチみたいだ、と思った部分もあった。それぞれが素晴らしいパートナー同士で、阿吽の呼吸で名曲を進化させていく。演奏のたびに違う味を味わえるのがモダンジャズの面白い所ではないかな。
                        

当日の曲目は、webで偶然知った小川隆夫氏のJAZZ blogに、以下のように書いてあった。

     「ソー・ホワット」
     「処女航海」
     「アイ・ソウト・アバウト・ユー」
     「天国への7つの階段」
     「アウン・サン・スーチー」
     「いつか王子様が」
     「81」
     「オール・ブルース」
     【アンコール】「フットプリンツ」


私がジャズを好きになりはじめたきっかけの曲は、といえば、MJQの「ジャンゴ」だったかも。
MJQのジョン・ルイスが、ジャンゴ・ラインハルトの死を悼んで作ったそれはそれは美しい曲。
ジャズは、思考の妨げにならずに聴く事が出来る上、想像力を高めてくれる気がする。
だから、何十年前の曲でも古く感じない、モダンなオールドジャズ。


とにかくすごいコンサートを見た、という気持ちでいっぱい。マイルス・ディヴィスは、私、サンパウロにいる時に「Teatro Municipal](市立劇場)での公演に行っているんだけど、全体的に私の耳には音が主張しすぎてて、ついていけなかった。

このレコードの「ジャケット」デザインが 昔  からのお気に入り。曲よりもジャケットが忘れられないのって、あるでしょう?
 ハービー・ハンコックの
 “ Speak like a child ”
バックの色と二人のシルエットがが何とも言えない・・・。
東京国際フォーラムのコンサート会場で、ジャズメンたちを浮き立たせるライティングが素晴らしかった!バックの、ひだの入ったカーテンが、ライティングの色により、変わっていくのが面白くて、ジャズと共に酔いしれた一夜だった。

★箱を開けると・・・

 

 

 


主食が危ない

2007-10-20 | news


弁天公園で見つけたトンボ

一週間前のNHKスペシャルで「世界がコシヒカリを作り始めた」という番組を見た。
その翌日も引き続き「あなたは日本のコメを食べ続けたいですか?」というテーマで
スペシャル番組が組まれていた、そんな時、〈同居の娘〉からのPCメールに気が付いた。
開けてみると、知り合いの方から届いたばかりのメーリングリストが添付されていた。
その方とは、数年前に娘がオーストラリア旅行をしている時、偶然同じバックパッカーで
知り合ったそうで、それ以来、彼女の発信する定期的なメールが娘へも届くようになった。


今回のは、「世界旅人サロン」を主宰している彼女のメンバー仲間から
彼女に寄せられたメールを公開したもので、
山形在住の農家の方からの、「農家の内情と窮地」を訴えている内容となっていた。
その中には私が見たばかりのNHKスペシャルの再放送の情報も書かれていた。

娘からのメール文は、たった三文字  「だって」

米の自由化により、どんなことが待ち受けているか、真摯に考えてしまった。
拾い聞きした事を少し、(少しでないか?)メモを手探りに書いてみます。



世界の先進国の食料自給率は軒並み100%なのに、日本は39%で、先進国の中では
最低自給率。その39%の中でも辛うじて自給を支えてきたのがコメだ。
自由化により、外国の安い輸入食材が大量に日本に入ってきたらどうなるか。
現在アメリカが世界一の米の生産地で、350万トンを世界に輸出している。
アメリカのコシヒカリは10キロ1,500円で、日本の三分の一。
米国市場では日本の品種に切り替える動きが見られ、ビジネスの展開を狙っている。
関税さえ引き下げられれば、日本市場にも出せると確信しているようだ。

続いては一割を生産している中国で、大手商社と提携して日本の技術を
何億円か掛けて導入しているという。
タイ、アメリカ、中国、台湾などなど、世界中が “コシヒカリ” を作り始めた。
中国産はモチモチして美味しい上、米国よりさらに安い。

消費者は常に、より安いものを求めるので、米は年々コストダウンし、今でさえ
窮地に立たされている農家では、転業を強いられる状況だ。
米を安くしても販売量は減っているそうで、企業や学校に需要が無く、
今の日本人は一体何を食べているんだろう・・?と、疑問の声が上っている。
この半世紀で需要が半分に減ったのだ。
ピザやパン、スパゲッティなど、食文化がバラエティー豊かになった事は致し方ない。
が、米の自由化が進んでいる台湾でも同様で、事業をやめてしまう農家が多く、
郊外を行けば金貸しの広告ばかりが目立つそうだ。
ぞ~っとするし、なんか侘しい世の中だなぁ・・・。
日本でもそうなりつつあるのか。いや、すでにそんな風景に移り変わっているのか。
東京では、首都高を走っていて目立つのは、やはり金貸しの看板だ。
 新潟のTさんのコシヒカリは親の代から販売に工夫を重ねてきたが、
思ったように売れず在庫を抱え、台湾への輸出をし始めたそうだ。本場新潟の
コシヒカリは、台湾の限られた一部の富裕層に受け入れられているという。
誰だってそんな事したくないだろうけど、そうでもしないと生き残れない。
生き残るため、やむなく大手企業からの支持を受けて続けている農家は、
企業から、厳しいチェックのもとで管理されている。
基準などを守らなければ契約打ち切りとなってしまう。これも厳しい~。


なんか、日本人が安い輸入米を求め、海外の富裕層が日本米を食べる、って
悲しいよね。米の消費が減ったなら生産を減らすしかないのだろうが、
自由化で外国産が入ってくることは、外国産の間でも競争が激しくなるってことだ。
現在、加工用には10社のうち7社が輸入米を導入しているという。
日本酒もしかり。アメリカ製日本酒も世界各地に輸出されているそうで、
我々の想像を越えた食のグローバル化がどうも始まっているようだ。

どんな国でも、国民を守るために、
自給する主食については自給率を守る。
これは世界の常識である。

という言葉にとても深い意味を感じた。 

今日、おコメをテーマにブログupしよう、と思っていたら、又、テレビで
~日本の、これから 「どうする?私たちの主食」~ をやっていた。夫が見ているのを
私がチラっと見て、エッ、又おコメのこと?と、言いながら、少し見てしまった。
○食料輸入大国ニッポンの未来は?
 ○消費者の本音&農家の怒り大激突
             などが、サブタイトル。
同じ日本人でも、立場が異なると捉え方は様々。だけど生産者だ、消費者だ、と
言っていられない問題だと思う。これは日本の国の問題だもの。

* コメを育てる田んぼは、日本の原風景であったが、
  昭和35年から比べ、その面積は五分の一となった。
* 日本の神社では、例大祭と言って、田植の春には
  豊作を願い、刈り取りの秋には豊作を感謝する、と
  いう行事が執り行われており、それは日本の文化の
一つだった。

という発言を聞きながら、更に私は何か祈りたい気持ちでいっぱいになった。

日本人にとって、稲は特別に大切なもので、生きていくエネルギーそのものだったのです。
                                      から。




tabibitosalon
世界旅人サロン
グループの説明: ●世界各国でまたとない体験をしてきた人々と
 直接会って話をする、トークライヴを開催しています。
●主宰&ナビゲーターは、
 6年かけて南極を含む世界6大陸60カ国を旅してきた
 企画&文筆家の、はらみづほ。
●毎回さまざまな国やテーマを取り上げ、
 個性的なゲストを招いて話を展開。
●「世界の話を体験者から直接聴く」
 「いろんな人と、会って話して心を交わす」が、
 このサロンの2本柱です。
●お問合せの上、ぜひご参加ください!

 

 


コスモス COSMOS 秋桜

2007-10-17 | flower/green

以前、ポピーの花が満開の時期に一度訪れたことがありましたが、今秋は、コスモスが摘み放題、との情報を何かで見ていたので、土曜日にパレットタウン前のシンボルプロムナード公園に行ってきました。
2007年秋の「臨海副都心ワイルドフラワー祭り」が土日の2日間に亘って開催とのことでしたから、すぐにブログアップしてお知らせしようと、土曜の夜に編集作業をしていました。文を書いたり写真を入れたりして、ほぼ終わる頃、画像フォルダを閉じるのに、画面右上の「×」 をクリックしたら、すべて消失!それは編集画面の×だったのです。またまたbiancaはヘマをやらかしましたよ~。
もう茫然自失。その日はすぐにPCを閉じてさっさと寝てしまいましたとさ!

そんなわけで、今日はご報告まで。

東京テレポート駅とパレットタウンに挟まれたあたりがコスモス畑の広がっている場所です。
午前中は富岡公民館の文化祭があり、姉の属する園芸サークルが例年同様、花や緑の寄せ植えを販売するので、お客として応援に行っていたので、そのあとに行ってきました。観覧車の近くの駐車場に車を停めましたが、コスモス畑のまん前のスペースの方がより便利でした。

    

午前中、すでにおおかた摘み取られたのか、その日摘み放題に予定されていた場所にはコスモスの花がまばらにしかなく、ほぼ取り尽くされていました。係りの方が、「5分ほど歩いた場所にまだ沢山咲いていますから、そちらに行って摘んでください。」と、教えてくれましたが、なにせ年寄りも一緒。この公園,横にとても長く延びているし、ちょっとムリかなァと思いました。が、行ける所まで歩こう、と、初めて奥の方まで歩きました。母が辛そうだったら止めたのですが、やっとこさ、頑張って歩いてくれました。

フジテレビの前の広場ではロックコンサートのような催しがあり、その、延々と鳴り止まない音のうるさいことったら!
でも、道端のネコジャラシやススキは轟音にもめげず、~今は~もう秋~♪と、囁いています。

        

                

会場では鋏もシャベルも貸してくれるし、根こそぎ引っこ抜いても構わないんです。
このお祭りが終われば全部撤去されてしまうんですからね。コスモス畑の中をズンズンと進み、抱えきれなくなるまで、摘み続けましたよ。センセーションという種類が中心で、中に赤の濃淡のベルサイユ系や白いコスモスもあり、キバナコスモスの黄色とオレンジ色も混じって可愛いこと。持ち歩いているうちにしな垂れてきたのもあったので、お茶もせずに家に帰って水ギリしたら、ピンピンと元気になりました。あぁ、よかった。


                      
 
    美しい5枚のコスモスの写真はweb上よりお借りしました。

 

この日の夕食時には、息子が東京のどこかから買ってきた、あちらではポピュラーな懐かしの「カシャッサ51」ピンガと、弟がブラジル土産、と言って持って来たレモン(日本ではライム?)でカイピリーニャを作ってみました。
ボールに適当に切ったレモンとお砂糖、氷、そしてピンガを入れて混ぜるだけ。お玉ですくってグラスに注ぎます。あちらでは、大勢集まった時など、お鍋一杯に作るんですよ。アルコール分は高いけど、甘くて(お砂糖を入れすぎだったかも、です。)おいしかったぁ。
お鍋に入っているのはこれまたお土産のフェイジョアーダ。簡単なこんな食事でも、我が家では人気があり喜ばれます。

       
     
ブラジルの日系新聞も、「懐かしいだろう?」と、持って来てくれましたが、これが当時、そして今もなお発行されているので、インターネットのない時代でも、日本のニュースを全てほぼ同時に知ることが出来たのです。
先土曜日の新聞に「移民の歴史 カルタに」という記事がありました。日本人の海外移住の歴史を詠んだこの「移民カルタ」(横浜市の海外移住資料館の作)が今注目されているそうです。その一つ、当時の移民募集のポスターを使ったカルタが下の写真です。

       

         か 「海外に移住者送った移民会社」  そして、 

         せ 「戦争が 一世二世悩ませる」
         あ 「阿波踊り ブラジル風はサンバかな」 などなど。


                                     ↑webより
 

 


この三連休もまた・・

2007-10-12 | family


遠くに見えるはご存知、レインボーブリッジです。
橋の中央の奥には東京タワーが見えますよ。
その上空には飛行船が佇んでいます。
同じ位置でしばらく静止していたから、お台場の景色を
堪能していたのでしょう。いつ見ても、素晴らしい眺めですもの。
4本のポールのようなものはパラソルを閉じたものです。
小さな子供が2人、風船を持って遊んでいました。
テラス席ではご家族が、ゆるりとした時間を過しています。
お兄ちゃんの方の風船が空高くに飛んじゃったよ。
ちびちゃんの風船は、手首に結わいてあったので飛ばなかった。よかったね。

うちでは風邪引きが一名いて、咳き込んで丸3日間ダウンしていました。
私はと言うと、掃除・洗濯・飯炊き?にアイロンかけ、
そして義母の衣類の整理と名前付けなどなど、ふだん疎かにしている
溜まり溜まった主婦業を、「三連休なのにぃ!もぅ!」と、思いながらも
やるしかなかったのです。いったいこの三連休って何の日?と、
一瞬戸惑ってしまいますよ。10月10日じゃないんですもの!

そんな日々でも、ちょっとだけ○○を誘って夕暮れ時にドライブしました。
遠くへは行きたくない、というので近場まででしたが、こんな場所でお茶するだけで
気分転換になるのは○○も私も一緒。ライトダウンしたラウンジのローソクの灯りの元、
肩を寄せ合い 二人でお茶を~♪  (・・・㋩㋩は耳がちょっと遠いもんで・・。)
酒瓶の並んだ棚のミラーにばっちりとレインボーブリッジが映っていたので
うわ~すてき!と、思わずデジカメを取りだしましたが、すべてピンボケ

目立つ場所だったので焦っちゃったんですよ。

3連休中、特養にも、冬の衣類を持参して3人で義母を訪ねました。
ららぽーとまでJRなら10分で行けるのに、道路は大渋滞で一時間もかかり、
そこからさらに30分かけて、やっと着いたのです。

義母は新しい環境に慣れたのか、サッパリした顔付きだったので安心しましたが、
毎回のようにこんなことを言うんです。
「ここは、今までいた所に比べて何倍も大変な人たちがいるんだよ。」と。

「一人でまともにご飯も食べられない人が多いし、大の男が夜な夜な、
“おかぁちゃ~ん!”って大きな声で叫ぶんだよ。何かあったんだろうねぇ。
~あんた、名前はなんていうの?~って聞いたら“みきお”だと言うんだ。で、私ね、
“あんた、いい名前を親から貰ったじゃないの!”と言ってやったさ。」
「意地の悪い人もいるよ。ピアノの先生だったか、昔、ピアノをひていた人なのか、
よく、ピアノを弾く真似をしている人がいるのよ。すると、その意地悪ババァが、
“やかましぃ~~!いつまで弾いているんだ!いい加減に止めろ!”なんて
大声でその人に言うんだよ。」 ここで、私たちはお腹が捩れるほど大爆笑。

相変わらず義母はよく話すのですが、同じ話を続けて数回聞きました。
「こんな所にいると私もボケてしまいそうだよ。」と言われた時は辛かったけど、
私たちが帰るのを待たずに、じゃあまたね、きょうはありがとうね。と言って食堂に
向かい、同室の人などとお話しているのを見て、少しホッとしました。
ただ、私たちが帰るのを待たずにそんな行動をしたのは初めてなので、
何か変化が起きている気がしてならない・・・のです。

帰り道、「ベーカリーレストラン・サンマルク」を見つけ、ほかほかアツアツの
パンのバイキングとコーヒーをいただき、プチ至福のひと時。

今月初旬はイタリアの友のお誕生日だったので、初めてヤフーグリーティングを
送ってみました。その中で、「週末にゆっくりとメールをします。」なんて、ひとこと
余計なことを書いちゃったもんで、連休中いつ書きだそうか、と気になりっぱなし。
往年のペンフレンドと言えども、私が書かなくなってから
だいぶ年数が経つんです。近年は年末の挨拶のみでしたから、
何から書いていいやら。とうとう連休3日目。
日本の3連休の最後の日って、時差があるとは言え週末を過ぎちゃっているんですよね。
でも書かないと約束不履行になる、と思い、電子辞書片手に
ホットメールの新規作成画面で頑張って書きはじめました。
去年のクリスマスカードに、「年が明けてからゆっくり手紙書きます。」なんて
書いたままにしていたら、3月ごろ、「早く手紙がほしい」とのメールを受信。
結局それ以来だったのです!もう待ったなしの時期となっていました。
もう少し、の所で、パソコンの主が帰宅したので、あとで続きを、と「下書き」を押したら・・・
きゃ~~っ!消えちゃったぁ!どうしよう!Oh,no
娘がすぐに見てくれたけど、「ママ、〈下書きの保存〉を押さなかったでしょ?」
うゎ~~~ん
〈下書き〉を押してしまったのです。もう、涙も出ないくらいショックで、
もう、メールなんか大っきらい!こんどは便せんに手紙を書こう、と、思い直しました。そして、

彼女に書き終えるまで、パソコンはやらないから!と決めました。
なのに、なのに、なのにぃ~、どうしてこうも、決めたことが出来ないんでしょう。
自己嫌悪に陥っています。
なのに、なのに、なのにぃ~、ブログアップしてしまいました。
日本語って、下手なりにも、すらすら出てくるんですものねぇ!

旅行もない連休でしたが、地方の美味しいものをいただきましたよ。
その画像アップで、旅した気分になるっきゃないっす。

 
会津若松に行った甥から
会津葵のこんなかわいいお菓子「」や「あかべこ」や「葵餅」を。
箱根に行った時も下の、ちもとの「湯もち」を頂いたばかりなのです。


下仁田こんにゃく はバラエティーに富んでいます。どれもおいしくて、
嬉しくなっちゃうほど!「ラーメンこんにゃく」は濃縮液付きでしたし、
「みそ漬けこんにゃく」は酒の肴にぴったり。味は濃いめですけど癖になりそう。
「のどごし」はさっぱりしてペロリとお腹に入ってしまいます。
もっといろんな種類があったのですよ。
(小さい写真2枚はwebよりお借りしました)

  

里見梨って初めて聞きましたが、みずみずしくて、甘かったです!
今年の梨もそろそろ終わりになりますね。梨だいすき!洋ナシも好き。
 
風雅巻き」はわざわざ熊本から取り寄せて下さったものです。
カシューナッツやピーナッツ、大豆などがパリパリの海苔で巻かれているんですよ。

どこにも行けなくても良かったも~ん!

 


二人でデート

2007-10-07 | 飲・食・店



一週間前になりますが、久々に2人だけのディナー
を、と洒落込んだのですよ~。

パパ、今日はちょっとお洒落してよね。
えぇ~っ、それジーンズじゃないの。
普通のズホンにしたらぁ?上着もちゃんと着てよ。
チョット~、そのシャツの色、濃すぎない?

なーんてやり取りをしながらも、結局はリラックススタイルに決まりました。
それというのも歩いて10分もかからない所に出かけるんですもんね。
夫婦でお洒落して出かけることって滅多にないし、
このごろ何をどう着ていいかわからなくなっています。
モノトーン中心で絶対に着易いモノ、楽なモノがいい、とばかりに
年々ちっともお洒落しなくなっている私。
それが、パパの着るものに ひと言も二言も言っているんですからね。

・ ・ 笑 ・ ハ ・ 笑 ・ ハ ・ 笑 ・ ハ ・ 笑 ・ ハ ・ 笑 ・ ハ ・ 笑 ・ ・!

予約の時間ギリギリセーフ。着物の女性が「○○様ですね」と、お出迎え。
食前に選んだ日本酒は、赤い切子の徳利とお猪口でいただきました。



創意工夫されたお料理を目で楽しみ、舌で味わい、
秋の味覚を充分に堪能しました。
夫婦の会話も、美味しいお料理の前では途切れないんですよね~。
それぞれの味覚と食材、器、盛り付け方まで、話題はてんこ盛り。

器に見立てた卵の殻には店名が印字されている凝り様です。
ジャストホームで写真を一気に入れよう、と、ブック型の台紙に載せて作成しましたが、
写真がイマイチ鮮明には行きませんでした。

真ん中の写真一枚を下にアップしたので見てください。
付出しの次に運ばれた「遊菜」です。内容はこんな具合。

●五色玉(卵殻の中は:南瓜・人参・銀杏・里芋・黒タピオカ 卵くりーむ)
●かます寿し
  ●若栗いが揚げ
  ●豚バラかんざし
  ●黒糖まつかぜ


どれもこれもおいしく頂きました。
日本酒をお替りして、お土産にちりめんじゃこを頼みましたが、
お会計はなんと2500円なり。
ワッハハハ~~(´∀` )♪こんなことって有り~?
はい、まさしくぅ。

おらぁ、都会のホテルでなんか、食えね~だ、と言って、
「あるモノ」の当り券、つまり、ホテルレストランへの招待券を、
そのかたの身内に譲渡したのです。でもその身内も、
遠いホテルで食事なんか、柄でもないし、と言い、回りまわって、
ホテルの近くに住むパパへ、と、手渡された訳なんですよ~♪
なんの当り券だったのでしょうね。



 


JP Corporation の誕生日

2007-10-02 | weblog

いつまでも総裁選のブログ記事がトップにあり、心苦しく思っていました。
色々と書きたい話題が頭の中で散乱して、何一つまとまらないうちに10月を迎え、
その初日に郵便局が民営化され、Japan Post Corporationなるものが誕生。
郵便局、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命が、日本郵政グループの傘下となったけど、
「株式会社かんぽ生命保険」とか、「郵便局株式会社」とか、「株式会社ゆうちょ銀行」
という名前になっただけで、郵便局に行っても表面上は何も変わらず、でした。


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郵便振替を「加入者負担」で利用しているので、手数料が大幅アップしたことが
民営化後に影響を受けた最初の一歩。
120円だった手数料が150円に変わったのがついこのあいだ、と思っていたら、
今回の民営化で330円になったのですもの、2倍以上の差ですよ。
ウチの収入は全くもって増えないのに払うものは何故こうも増え続けるのでしょうか。
年金問題が世間で騒がれず、介護保険料も消費税もなかったこの間までの時代って、
じゃぁ、どういうことになっていたのでしょう?

溜まる一方の記念切手ですが、綺麗な絵柄に負けて、とうとう
これこれの2種類買ってしまいましたよ。なにせ生まれて初めて、郵便局が民営化された
お印ですものね。でも郵便局だから安心だ、が無くなり、今までと比べて
すべての料金が割高になり、面白くな~い!
郵便貯金、解約しようかなぁ、と思ってしまった10月イッピでした。