ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

初めての岡山・広島 その4

2009-06-29 | visit/drive

明治22年に倉敷紡績の最初の工場が建設された場所を再開発したのが「倉敷アイビースクエア」。
小樽や函館もそうですが、昔の工場や倉庫の跡地がその土地の観光に再利用されているケースがよくあるので、そういったものなんだろう、と、少し興味がありました。外見はご覧のように蔦がびっしり絡まり、赤れんがが目立たないほど。初夏ならでは、ですね。この建物はアイビー学館という名称です。ほかの建物はホテルとして利用されているほか、倉紡記念館、児島虎次郎記念館、オルゴールミュゼなどとして利用されています。どう見ても新しい観光名所然としており、それぞれに入館料が必要なので、ちょっと見だけは出来ないのがつまらない。倉紡記念館ぐらいは見たかったのですが、友人がちっとも興味を示さないのでパス。敷地内に「これって何かしら?」と思うような《作品》が点在していました。岡山県立大学のテキスタイルデザインコースによる作品展「Gate to TEXTILE~テキスタイルがつくりだすアート空間へ~」の最終日のようでした。作品があたかもこの敷地内の一部のように、しっくり溶け込んでいるのが見事だと思いました。

  
                                       

倉敷では、町の散策とお勧めカフェのほか、倉敷美術館とここを見ればいいか、と思っていた倉敷民芸館。
ここは江戸時代後期に建てられた米倉を活用して昭和23年に開館。駒場にある日本民芸館に次ぐ、日本で2番目に出来た民芸館だそうです。所蔵品は陶磁器、ガラス、染織品、木工品など、一万点以上。その殆どが、初代館長の外村吉之介氏が蒐集したものとのこと。

門をくぐってすぐの所に飾られた下のような展示品を、地面に這いつくばって撮りました。

            
        
                    

右上の「いろりの部屋」では、床の間の手織の掛け物を真下から見上げるように撮ろうと近寄り、畳に寝そべった途端、「中に入らないで下さい!」の音声が何処かから聞こえてきて、慌ててしまいました。私のその醜態を、防犯カメラがばっちり捉えたのかしら?恥ずかしい~~!決して中には入らなかったのに、カメラの位置により、入ったかのようにみえたのかな。

    
   

倉敷ガラスや焼き物、織物に民芸家具など、使われてこそ美しい民芸品の数々は、いつ見ても飽きません。旅行記念にグラスのひとつ位は買うつもりでしたが、値段をみて止めました。我が家は飾り棚がないし、普段使いに相応しい気軽なモノでなくては、このご時世、わたしゃ~魅力を感じません。(これって、私にとって、ということで、人によっては安い、と感じるかもしれません。その程度です。)
どこからか心地よい音楽が聴こえてきました。階下を覗くと、そこはオカリナ教室として使われているではありませんか。地元の主婦の方でしょうか、美しい先生の指導のもと、練習に励んでおりました。展示室を利用した音楽教室で学べるだなんて素敵!

民芸館のパンフレットに、こんなことがかかれていました。

品物は一つ一つが単語である。
単語は連なって散文となり、選ばれ、整えられて詩となる。

陳列は品物による詩である。
陳列は一つの美の創造である。

倉敷民芸館の陳列は単なる地域別、時代別、用途別の陳列ではなく、選ばれた美しい品物が唱和し、建物にこだまする詩歌である。

(外村吉之介初代館長)

     


民芸館を出てから、その先の高砂橋まで行って、そこでUターンして反対側を川沿いに歩くつもりでしたが、友人に「私は例の珈琲館で待っているから、一人で歩いてきて。」と言われました。疲れが足に来たようです。「じゃ、あとでね。なるべく早く戻るからね。」と、そこからは一人でのプチ散策となりました。

 
友人が一人カフェしているので、散策も普段より急ぎ足になります。郷土玩具館は、奥に入ると入館料が必要なのでパス。橋を渡ったところには吉備団子で有名な廣榮堂本店がありましたが、駅の近くでも見つけていたので、帰り際にそっちでお土産を買おうとパス。(中を覗きたかったけど・・)
大きなキャンバスを立てかけて絵を描いているおじさんが一人。
とても上手い!おじさん、なんて言っちゃったけど、プロだったらどうしよう・・?


    
     
    
 
倉敷川沿いのお店はどこも観光化されているので、友人はそれが嫌いなので見たくなかったのかも。でも私は一応、これは、という店は、せっかく来たのだから見たくなります。
絵を描いているおじさんがもう一人。どなたかと、ご自分の画集を見せながらお話しをなさっていたので、私も写真を撮らせてください、と言いながら覗き込みました。 どのスケッチも上手で軽く水彩で着色。今、スケッチしているも撮らせていただいちゃいました。


昼下がりの、本当に気持ちの良い川べりで、ゆっくり佇む人びと。川舟が観光客を乗せて行き来していますが、人出が多くないので長閑な風物詩のようです。
ハトまで日陰で涼をとっていますよ。

                 
               

 きっと、待ちくたびれているだろうな、と、友人の待つカフェへ向かいました。

       

案の定、彼女は手持ち無沙汰でカウンター席にいました。私たちが昼食をした旅館の娘さんが始めたカフェなのだけど、と話し、ウン十年前に来た時と様子が違う、と、少し落胆気味。オーナーチェンジかもしれません。それでも珈琲館のコーヒーのお味は最高でした!

      
 
最後に中橋を又向かい側に渡り、今は観光案内所になっている「倉敷館」に寄ってみました。
(上の画像は倉敷館の窓からの眺め)

1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所として観光ガイドや宿泊施設の紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。観光の起点や情報収集に便利なスポットです。建物は、国登録有形文化財に指定されています。(倉敷観光webより)

中はガランとして勿体ない使い方だな、と感じましたが、軽井沢でも古い洋館が同じように使われていたことを思い出しました。

ここから駅方面へと少し歩いていくと、古い町並みの一角に、えっ、と驚くような黒板を見つけました。株式の相場などが綺麗に手書きされているんです。地元の北田証券ということが判明。 郷土色豊かな証券会社ですよね。ふむふむ・・とじっくり読みたかったけど、さっさと先を歩く友ありき。立ち止まっては走り、の繰り返しなり。

最後に一つだけでいいから公開されている旧家を見たい、と、主張し、大橋家住宅を見学することに。自分はいいから、と、友人は入り口のところで待っていました。ここでも入館料が必要ですが、払ってまで見たくない人もいるのです。

大原家と同じく倉敷の財閥、大橋家が1796(寛政8)年に建てた建物です。
倉敷の代表的な町家のひとつで、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な造りが印象的。国の重要文化財にも指定されています。(webより)

     

こんなかまどを見ていると、ふと、「おしん」を思い出してしまいます。どれだけの使用人を使っていたのでしょうね。炊き上がったご飯からの湯気が、女中たちが慌しく立ち回っている姿が、なんだか、見えてきそう。中庭からはホテル日航倉敷の高層ビルが聳え立ち、江戸時代と平成が一挙に現れた風。

友人を待たせているのでパッパ、と見て玄関にもどると、彼女は受付の男性と、この町について色々よもやま話をしていました。


それから倉敷銘菓を買って、岡山駅まで行き、そこで夕食用のお弁当を買ってから、6時台の新幹線に乗り込み、幼馴染との一泊旅行が無事おわりました。旅行のしかたはいろいろでも、言いたいことをお互いが言える仲だし、気心が分かっているぶん、なんのわだかまりも生じません。

楽しかった一泊旅行に長々とお付き合いいただき有難うございました。PCの調子が超トロくて最悪状態でしたし、目によくないので、長文ブログ(写真が多いだけ、か。)は控えようと思っています。(本当!?)

画像で申し訳ありませんが、お土産の「むらすずめ」をどうぞ!
日本橋のデパートでも売っているよ、と、言われちゃいましたが、写真を撮りたい時はお腹に収まっていましたので、その日本橋のデパートの、何かの冊子に載っていた、橘香堂の「むらすずめ」の画像を使わせていただきました。

            

         

  


繋がらない!

2009-06-27 | weblog
昨日から、掛かってくる電話に出てお話をしていると、2・3分で何も聞こえない状態になるんです。こちらから掛け直しても、すぐに音もなく聞こえなくなるので、インターネットは出来るかしら、とパソコンを立ち上げて調べたら、接続されていない状態でした。もうびっくり仰天。その前日の夜遅くにブログ記事の続きを少しだけ書き足していたのに。即ケータイからNTTに電話をして、言われた通り点検しましたが直らず仕舞い。家に来て調べてもらう以外、方法はありません。今日は予約で一杯なのでダメ。明日はマンションの管理事務所が閉まっているので無理。結局、月曜日まで電話も不安定なままで、ネットも使用できません。こんなことって初めて。ひかり電話にしたからかしら、それとも何かいたずらされているのかしら、と様々な要因を浮かべては否定。

昨朝、全く何の気なしにですが、私のケータイはワンセグなんだということを思いだし、しばらくその機能を使っていないので見れるかな、とワンセグに合わせると、飛び込んできたのは、マイケル・ジャクソン死亡か、の話題でした!ファンではないけど、ジャクソンファイブの時代から馴染んでいるのでもうショッキング!家のテレビは壊れたままなので、娘から臨時に借りて居間においてあるテレビをつけて、しばらく見続けてしまいました。その少しあとに今度は電話の故障だったのです。いったいどうなっちゃってるんだろう?

最近、朝も夜も滅多にテレビを見ないのですが、マイケルのニュースの後、松本サリン事件の被害者、河野義行さんの話題に移行しました。あの忌まわしい事件発生から今日で15年になるとのことで、当夜ドラマスペシャル「妻よ!松本サリン事件」が放映されることをその番組で知り、つい見てしまいました。マスコミにより、被疑者としての姿が日本中に広められた上、自分達を守ってくれると思っていた警察が、実はそうではなかったと判ったときの無念さ。どうしたら無実を証明できるか、を弁護士と相談した結果、マスコミに利用されたのだから、同じくマスコミを利用して無実を晴らそう、との考えに到るまでの世間の目との戦い、そしてその中で家族の絆がどのように深まっていったのか、ドラマを見ながら心に迫ってくるものがありました。また、元信者との交流など、信じられない出来事を目の当たりにし、胸が熱くなる思いでした。相手を「許さない」でいる限り、その考えによって自分の生涯が束縛されてしまう。自分の人生を詰まらないものにしたくないと考えると、相手を許し、受け入れるしかなかった。河野さんのそのような考えに感動を覚えてしまいました。 サリン事件が自分の身内に起こった事件だと想定しても、果してそのような考えに到達するのだろうか、と考えると自信はありません。


ということで、月曜日まで、おそらくノーネットデーになりそうです。わかっているのに、調べ物でネットを立ち上げようとしている自分に苦笑の連続!どれだけインターネットに依存していたかが良くわかりました。久しぶりにケータイからの発信です。

 
           
★★ お詫び ★★

6月28日の朝、ケータイから発信したマイブログを見て見たら、なんと投稿文の途中までしかupされていなかったではないですか!何でそうなったか、全くわかりません。慣れないケータイからの投稿でしたし、カテゴリーが「パリ二人旅」となっていたので訂正しようと再度ケータイから編集画面を呼び出し訂正したことを思い出しました。それって初めての操作だったので 無意識にどこかでクリアボタンを押したりして、カーソル以下の文が一瞬の内に削除された可能性もあるな、と思っています。ケータイからコピペなどしてやり直すのは不安だったので、明日、パソコンと電話器を見てもらってからPC上で直すつもりでした。それが、、、さっき娘が接続コートや電話線を抜いたり差込み見直したりしたら、なんと、使えるようになったのです!!
原因はわかりませんが取敢えずはバンザ~イです!
それで再度、ケータイメールに残っている原文をコピーし、私のPCメールに送信してからPC上でコピーと貼り付けをしてみました。
本来ならこのブログページは存在しなかったんです。「初めての岡山・広島 その3」の作業をしていたのですもの。金・土・日(21時まで)と、インターネットが使えない不便を、旅先ならともかく、家で味わうことがどんなものか、よ~くわかりました。ブログ以外でも色々なことをネットに頼っていたのですね。故障に強くなりたいものです。(6/28 22:50)


初めての岡山・広島 その3

2009-06-24 | visit/drive



二日目は前日同様、お天気に恵まれすぎ、真夏の陽気でした。
駅ビル内のヴィドフランスで焼きたてのパンとサラダ、コーヒーで朝食を済ませ、バスに乗って岡山後楽園へと向かいました。平日の朝なので訪れる人の姿も数えるほどで、ほぼ独占状態。敷地に入ってすぐの所にある清水多嘉示氏作の「みどりのリズム」像は、江戸時代を代表する静なる「大名庭園」とは対照的で、軽やかな躍動感溢れています。
これと同じものが大阪や上野公園など、日本のあちこちにあるようです。

         
      
↑藩主が後楽園にきたときの居間として使われた「延養亭」は、後楽園の中心的建物
            

     
      ↑園内で一番大きい「沢の池」 その彼方に見えるのが岡山城 
          

       
                     ノウゼンカズラ 

       

約4万坪の園内には広い範囲で野芝が使われています。その為、とても見通しがよく広々した印象を受けます。こうして朝から庭師が入って日々手入れを行っているのですね。欠伸が出るほど(失礼!)のどかで静か~。園内に幾つかある茶屋を通る度に、いらっしゃ~い、美味しいお茶はいかがですかぁ~と声をかけられますが、朝食後なのでどれもパス。今朝5時ごろから、一人がゴソゴソと起き出したので少し寝不足気味でした。
朝寝坊の宵っ張りと早寝早起きのコンビだったようで・・!
     

         
           

「花葉の池」では白く小ぶりの可憐なハスの花が咲いていました。
正門から、時計回りでざっと一回りしてから鶴舎に寄り、ここで飼育されているタンチョウをケージ越しに見て来ました。お正月には数羽が放鳥されるそうです。タンチョウの研究員が訓練させるようですが、鳥類とコミュニケーション出来る人たちってなんだか素敵だな~。

後楽園でのんびりした後、ホテルをチェックアウトし、一路 倉敷へ。

倉敷を訪れる事は長年の夢でした。下車した駅の周辺からは例の古い街並みは一つも見えません。友人は数十年前の若かりしころ、一度この町を訪れているのですが、どうも方向音痴のようで危なっかしい。なので一緒に地図を見ながら歩いて行くと、倉敷川が、そして左右を町屋や土蔵の建物が並ぶ有名な美観地区が目の前にパッと現れ、思わず歓声を挙げていました。

      

まずはそこからすぐ右側にある、建物全体が蔦で覆われたカフェ エル・グレコに入る事に。友人お勧めのカフェのうちの一つでしたが、その佇まいを見ただけで心が躍りドキドキしてドアを開けました。

         
         

高い天井にどっしりと大きなテーブルの置かれた店内は当初から変わらないようです。どのテーブルにも、朝、野山から摘んできたばかりにみえるフレッシュなお花たちが飾られ、来客の目をさらに楽しませてくれます。 

   

この店の由来はHPに書いてありますが、やはり大原家が関わっていたのですね。大原美術館の設立者が、小作農地の管理、経営のための管理会社を設立し、その事務所として使用されていたとのことです。
入口右手の小部屋にはオーナーが趣味で集めたアクセサリーやガラスなど、古い小ものが置いてあり、値札も付いていました。下のガラスのようなボタンのようなものは何でしょうね?

      

もっともっと、ゆっくりカフェの中で過したかったのですが、あと何時間かで岡山駅に戻らなきゃ、という考えが常にあるので、早々に腰を上げ移動。次の目的場所である、お隣りの大原美術館へ移動しました。川向いには旧大原邸があり、大原家がどれほど大財閥だったか、調べなくても想像できます。

     

日本最初の西洋美術中心の私立美術館は地元の事業家、大原孫三郎氏が画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立。そのコレクションは実に素晴らしいものでした。HP内のweb展示室で作品の一部をご覧になれますよ。

       
        エル・グレコ 「受胎告知」     モディリアーニ 「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」

       
                    分館の前庭に立つ ロダンの「歩く人}

館内は中庭をはさんで本館、分館、東洋観・工芸館と、3つの建物から成り立っており、広くて実に見応えがあります。じっくり見ようものなら時間がかかりそうなので、ほどほどのスピードで見て回ったのですが、ひろしま美術館の絵画とごっちゃになりそう!ナビ派のエドゥワール・ヴュイヤールという画家に興味を持てたし、大好きなウジェーヌ・カリエールの絵を、一枚だけですが見つけました。工芸館も泥臭い空間がよかった。友人は図録を購入していましたが、私は上のエル・グレコの絵はがき一枚だけを求めました。
 
やっとお昼ごはんの時間で~す。場所は友人が昔、宿泊したという旅館くらしき内のレストランで、花咲き海鮮寿司をいただきました。岡山名物ままかり(サッパというニシン科の魚)も入っているし、何よりお手頃価格のお手軽ランチです。

旅館は以前のイメージとだいぶ違っていたようで、レストランなどなかったし、旅館としての入口がもっと広かった、など、遠い記憶を辿りながら、その変化と自分の記憶とを比べていました。

 



窓の外は中庭に面してよく手入れされていますし、レストラン奥の部屋から外にも出れるんです。

食後は倉敷アイビースクエア方面へ向かって散策。裏通りの古い旅館や町屋の並びも良い感じ。

  

 あと一回続きます

 


初めての岡山・広島 その2

2009-06-22 | visit/drive


和記念公園発宮島行きの船のことは、前もって知っていたのではなく、市電で出会った例の方からお聞きした情報でした。値段は割高だけど気持ちいいですよ、と。
それよりも嬉しかったのは、駅まで引き返すことなく、時間に余裕があれば行きたい、と思っていた宮島へ直行出来たということ。「あのかた」の仰ったように、水しぶきを感じながらの快適な45分間の船旅でした。と言っても、パッとしない、と言ったほうがぴったりの小さな船の窓から、やっとこさ見えた水しぶきでしたけど。

代より神の島として崇められてきたという宮島に到着です。
桟橋だけをみると、何の変哲もないのですが、ここは松島、天橋立と並んで日本三景の一つなのです。宮島の予備知識はそれ位でしたが、意外なお出迎えがありました!

愛いのでおいでおいでをしたら近寄ってきて、いきなり手に持っていた(宮島の地図の書かれた)一枚の紙をムシャムシャと食べ始めたんです。びっくりしてすぐに取り返しましたがゲンコツ大ほどはかじられました!お腹が空いているのかしら。それにしてもあちこち鹿だらけ。で、地面をよく見るとコロコロした糞がいっぱい。

   

ッソ~フンじゃったかな・・。車道を堂々とゆっくりと歩いているので車に轢かれないか心配でしたが、そういえば走っている車、全然見かけなかったな。気付かなかっただけかしら。
しばらく行くと厳島神社のシンボル、朱塗りの大鳥居が見えてきました。写真でなくて本物です!満潮時には海中に浮かんだように立ち、引き潮時は砂浜に立つという大鳥居。ちょうど4時過ぎごろでしたか、海中に立ち、優美な姿を見せてくれました。同時に、潮の満ち加減によって海に沈むモンサンミッシェルのバス発着所を思い出しました。


        

        

島神社は神殿造りの技の極意、といわれるだけあり、海に面したそのスケールの大きさを目の当たりにして、いにしえの優雅な平安朝の面影が凝縮して浮かんでくるようでした。集合写真を撮るのに整列している子供たちを背景に、私たちも一人ずつ写真の撮りっこをしましたよ。

  

古元年(593年)に創建されたといわれ、仁安3年(1168年)平清盛により現在のように造営されたという厳島神社。鮮やかな朱塗りと檜皮葺きの荘厳な屋根、そしていくつもの建造物が延長108間にもおよぶ回廊や橋でつながれ、満潮時には海側から見ると、海面に浮かぶ幻想的な平安の宮廷世界を垣間見るような風情のようです。

朱印をいただくとき、値段が表示されてなく、お志でけっこうです、と言われ困った!いつもなら窓口に300円とか書かれているのに、志となると300円はケチくさいかな、それとも気持ちだけでいいなら100円でもいいのかな、と一瞬あたまの中を忙しくセコい考えが一巡。財布をのぞくと小銭がなく、千円を渡して、じゃ500円でお願いします、と言っている私。
ハハハ・・・人の目の前で「お気持ち」を手渡すのって、即行だし焦りますね。
若い方が書いたのでしょうか、こんなの比べてしまいました。

くいただいたのでこれを差し上げます・・・と、しゃもじを頂いちゃいましたけど!宮島ってしゃもじが有名だと、その時、知りました。桟橋から神社に来る途中の表参道商店街内に、そう言えば長さ7.7mの大杓字が展示されていましたっけ。そのとき友人と言い合ったのです、「ウチではしゃもじって言わず、ヘラっていうけど!」「ヘラなんて言わないわよ、しゃもじよ!」「じゃぁ、西がしゃもじで、東はヘラじゃない?」と、両親が名古屋出身だった東京人の友人にさらに迫りましたが、結論は出ませんでした。帰ってきて辞書をみると、しゃもじの方に、ご飯(及び汁物)をよそうときに使うもの、と書いてあるではないですか。ヘラって、わが家(私)だけの言い方だったのかしら?

 宮島杓子の由来
  寛政の頃
(1800年頃)、神泉寺の僧に慈悲深き誓真という人がおりました。
  ある夜弁財天の夢を見て、その琵琶の形の美しい線から杓子を考察し
  御山の神木をもって作る
ことを島の人々に教えました。この神木の杓子で
  御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運を招くという誓真上人の高徳と共に、
  宮島杓子の名声は世に広く宣伝されています。なお現在では、その伝統を
  生かして、各種の調理杓子・お玉杓子などが考察されています。
 


    
   
りに建っている国重文の五重塔も千畳閣も、時間が過ぎていたので入れませんでした。名所旧跡を見るには時間を気にしなくてはならないんですよね。厳島神社へは東回廊から入りましたが、帰りは西回廊からとなっています。そこを出た所が、日本三大弁財天として有名な(神奈川県の江ノ島と、滋賀県の竹生島とここ)真言宗の古刹、大願寺だったので寄り、御参りしました。この日は朝から「厳島弁財天大祭」が行われていたようです。男衆たちが縁側で休んでいました。夜には宴会でもあるのでしょう。
のあと私としては、町屋通りなどをもっともっと歩きたかったのですが、そこが一人旅と違うところ。お互いのやりたいことを上手く譲り合わなくてはね。もしかしたら彼女の方は、足が疲れていたのかもしれません。あるいは夕食の時間を計算にいれていたのかもしれません。で、相棒の希望通り、桟橋に向かうことにしました。

        
      
       
      
       
  
 
ようなら、宮島! 短い時間でしたが、次回があるとすれば自然歩道を歩き、島中を散策したいです。帰りは行きとは異なり、宮島口行きのフェリーに乗り約10分で対岸の宮島口桟橋に到着。

 
食は、宮島口駅前にある「うえの」で穴子飯を食べよう、ということになっていたので直行したのですが、この日に限って食堂は6時まででした。しかたなく穴子飯弁当を二つ注文し、岡山までの山陰本線の車内で食すことに。店内にいろいろなものが置いてあるので興味津々で写真に収めました。時計だと思ってよく見ると、中に昔のタバコのパッケージがはいっていたり、へんてこな手作り品があったり・・・。面白~い!



  
  
たちがお店を出たときには、もう店の暖簾は取り外されていたのですよ。
なんてラッキーなんでしょう!明治34年創業以来、一世紀に渡って先代から守り継がれた味を提供している老舗というだけあり、とても美味しかったです。

 

山に到着し、やっとホテルでチェックイン。「安いチケットだから部屋もそれなりかしら?それとも良い部屋を用意してくれるのかしらぁ?」と、カウンターで友人が聞こえよがしに喋ったら、1000円プラスすれば高層階のエグゼクティブツインをご用意できます、というので、そうしました。なかなか快適な広々した部屋に大喜びの二人。
      さぁ明日は倉敷です。

 


初めての岡山・広島 その1

2009-06-20 | visit/drive

幼なじみと行く、初めての一泊旅行。
来月 彼女に初孫が生まれる予定なので、その前に一緒に旅行にいかない?と声を掛けてくれたのです。
東京駅のJR東海に二人して申し込みにいったら、希望していたプランより更にお安い「期間限定!サプライズプラン」を見つけ、それに決めました。
岡山まで一泊限定、往復新幹線+ホテルで2.3万円。朝食なしですが、それでも激安でしょ?
どれだけ久しぶりの新幹線でしょう!結婚して以来、家族旅行ならありますが、友人とお泊まりをするなんてこと、いままであり得ないことでした。・・・と、記憶をさまよい、本当かどうか考えましたが、今までのブログ記事でも確かなかったですよね?(汗)

宿泊には岡山駅から直結の、利便性のあるホテルを選びましたが、岡山を下車せず、差額を車内で支払って広島まで行ってしまいました。生まれて初めて訪れる中国地方です。そうそう次回は期待できないので欲張りました。

広島では市電に乗り、まず「ひろしま美術館」へ向かいましたが、市電の中で、さも観光客然の会話をしていたら、隣りに居合わせた素敵な男性が、そこに行くには幾つ目の駅を下車するといいですよ、と話しかけてくれたのです。そこで色々お喋りしているなかで私たちの観光目的を尋ねられました。市の観光課の方のようでした!ひろしま美術館と、原爆ドーム、広島平和記念資料館、お好み焼き、そして時間が許せば厳島神社まで行く事を話しましたら、それは良い選択だと頷いておられました。イケメンって言葉を使いたくない雰囲気をもつ男性と、まさかの会話ができ、挨拶をして紙屋町(かみやちょう)西で下車。

昭和53年に開館したひろしま美術館は広島県庁やリーガロイヤルホテルなどのある広々した通りに面している、気持ちの良い美術館でした。開館年に創立100年を迎えた広島銀行が地域とともに歩んだ歴史の記念事業として設立したものだそうです。

          

ちょうど「絵画と写真の交差~印象派誕生の軌跡~」開催中で、絵画と写真の深い関わりを実際の作品を通して紹介、展示されてあり、興味深いものでした。
フランスで公式に写真術が公表されてから30年後に生まれた印象派にとって、写真が絵を描く基となっていたことがよくわかります。作品をみていて写真と絵画との差が微妙に感じられるのは、そのころの写真技術によるものなのでしょう。クールベも、モネも、写真をメディアとして利用していたのでしょうか。


 エミリオ・グレコ「ラウラ」            舟越保武「りんどう」       清水多嘉示「さわやか」

敷地中央の白いドーム型の建物が常設展会場で、4つの展示室から成り立っています。人がぼつぼつとしかいないので、心置きなく鑑賞できました。内容も充実し、存分に楽しめる美術館でした。第二展示室にある、ゴッホの「ドービニーの庭」がここの目玉でしょうか。美術館のパンフレットにも使われているんです。ピカソの「酒場の二人の女」やモネの「セーヌ川の朝」など沢山良い絵がありました。美術館のHPの中でも色々とご覧になれますよ!

        
          オディロン・ルドンの「ペガサス、岩上の馬」 (第二展示室)

 

美術館から、歩いて「みっちゃん」というお好み焼き屋へ行きました。お好み焼きのお店だけは、前日ネットで検索して3店舗をメモして来ましたが、その中で美術館に最も近いのがここだったのです。派手な店構えにびっくり!どう見てもbiancaなら遠慮するタイプの店なのですが、友人は「お好み焼きやってみんなこんな風なのよ!」と、私を、さも呆れたという目で見るではないですか。広島焼きは中にやきそばが入っているんですね。野菜もたっぷりで、お腹が空いていたとは言え、とっても美味しかったです!食べ切れない程大きい、と思っていたけど、残さずいただきました。

 

 

今度は八丁堀から市電で原爆ドーム前に向かいました。とうとうやって来ました。人類史上、初めて原子爆弾が落とされたことを、言葉なくその姿を通して語り続けているドーム前に!2009-1945=64年の歳月が流れ、初めて目にする痛ましいドームのすがたに、悲惨な歴史の重要な原告を見る思いでした。投下目標だった広島、小倉、新潟、長崎の各都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思い、第一目標地にされてしまった広島。この原爆ドームの元は広島県産業奨励館だったとのこと。

                
                                     

学徒動員慰霊塔の下部には円鍔勝三(えんつばかつぞう)作の平和の女神像と無数の千羽鶴の束が。

被爆当日、市内で建物疎開作業を行っていた国民学校高等科以上の生徒約8,400人のうち、約6,300人が犠牲となり、また市内の各事業所に出ていた多くの学徒も犠牲者となったそうです。(webより)

 

  
        
  

元安川沿いに少し歩き、元安橋を渡ったところが平和記念公園です。遠足や修学旅行で訪れている学生たちが多く、外国人の若者の姿も目だちました。

   
       禎子さんがモデルの「原爆の子」像             原爆死没者慰霊碑

慰霊碑の前で祈りを捧げ、広島平和記念資料館を見学。当時の惨たらしい写真や遺品の数々、8時15分を指したままの時計、闘病生活の中で回復を祈りながら折り続けた禎子さんの折鶴などなど、どれもが強烈な平和へのメッセージとなって見るものの心を揺さぶります。市民ボランティアと見られる方が、一枚の写真の前で熱っぽく怒りをこめて語っていたのがとても印象に残りました。

    

もっとゆっくり見学したかったのですが、平和公園から「広島世界遺産航路」を利用して宮島まで渡る出航時刻が迫っていたので、又、元安橋のたもとにある乗り場まで戻りました。

  

  

         原爆ドームを通り過ぎ、一路宮島へ。(続く)


ロスコ空間

2009-06-07 | art/exhibit/museum

雨天の続いていたある日、やっと晴れ間が訪れたので
それ行け、とばかり、川村記念美術館まで行ってきました。
先月だったか、たまたまチケットショップで見つけたので
買っておいたのですが、気が付けば終期が迫っていたのです。

マーク・ロスコ 「瞑想する絵画」展

これを「絵画」と言ってよいのか、私はよく判りませんが
「ロスコ空間」という言い方なら頷けます。
面白くないかもしれない。でもひょっとしたら何か
伝わってくるものがあるかもしれない・・・

 

 マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉

川村記念美術館が所蔵するマーク・ロスコ(1903-1970)の作品群は
〈シーグラム壁画〉と呼ばれるシリーズのうちの7点で、もともと一室に
飾られるためのものでした。その誕生は、1958年春、50代半ばにして
大家と認められたロスコが、マンハッタンに新しくできるシーグラム・
ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」のために、作品制作の依頼を
受けたことをきっかけにしています。最高級の料理と優れた現代アートを
ともに提供するというコンセプトのもと、ロスコも作家のひとりに選ばれ、
レストランの一室の装飾を任せられたのです。当時のロスコは、
グループ展
などで他人の作品と同じ部屋に作品が並ぶことを嫌い、自分の絵だけで
ひとつの空間を創り上げたいと切望していました。そこで、およそ一年半を
費やし、30点の絵画を完成させたのです。(webより)

シーグラム壁画とは何か、の説明を読み、超一流レストランの壁面を埋める壁画になる
はずだった、ということがわかりました。しかし完成後に、レストランの雰囲気に幻滅した
ロスコは契約を自ら破棄。行き場を失った絵30枚の絵は、その後9点がロンドンのテート
ギャラリーに寄贈され、7点が川村記念美術館に収蔵されることになったのです。
今回は、離散してしまった「シーグラム壁画」の内、半数の15点がアメリカとイギリスから
海を渡って運ばれて一堂に会するという、大変貴重な展覧会でした。

 ワシントン ナショナルギャラリー所蔵の5点  
 ロンドン、テートギャラリー所蔵の3点 
 千葉県佐倉市、川村記念美術館所蔵の7点

う~ん・・・と唸ってしまうような単調な赤い四角の組み合わせばかりがぐるりと15点も
並ぶ美術館の四角い会場の真ん中で、理屈ではどうこう言えない、ロスコの感性を
見る側がただ、心や肌で感じ取ると言ったらよいのでしょうか。絵がどうの、ではない、
囲まれた側がその中で圧倒されるか、四角くて赤い入り口の中を出たり入ったり
自由に行き来できるか・・。何とも不思議な空間を感じました。
濃い赤とその中の明るい赤色は、深みのあるいい色あいでした。

別の部屋には赤でなくて、漆黒シリーズが・・!
目が悪いと、色の差がわからず、キャンバスをただ黒く塗りつぶしたようにしか見えません。
じっと見ることよりも、そこに身を置くことで何かを感じ取れるか否か。
それがロスコの絵を見る鍵でしょうか。
ゴージャスなレストランに「考える空間」はやはり合わない気がします。

彼はテート・ギャラリーに9枚のシーグラム壁画を寄贈した同じ年に〈黒の上の灰色〉
シリーズを着手。(同年の新年早々には妻と別居し、スタジオに一人で住む)
そして翌年の1970年2月にスタジオで自殺したのです。


美術館HPのなかの「過去の展覧会一覧」で、この美術展の概要をご覧になれます。

 

 
・・・美術館前の芝生と池は日の光を浴びて気持ち良さそう・・・

展覧会後は同美術館の敷地内にあるレストラン「ベルヴェデーレ」で遅いランチタイム。

 

昼食後には、初めて「自然散策路」を歩きました。
紫陽花、ドクダミがきれいに咲いていましたし、花菖蒲園もご覧のようです。
すべてが大日本印刷の敷地内にあるんですが、とにかく広いですね!

  
花菖蒲を見ていたらポツポツ雨が次第に強まってきました。

 
それが次第に土砂降りに。


蓮池は突然の大雨を喜んであっぷあっぷしているようです。


池で気持ち良さそうにしているのは白鳥でしょうか。
青空がグレーに変わろうと、それはそれでしっくりとした風景となってしまう美術館。
だから企画展などがない時でも訪れたくなるんですね。

追記: 最初に書き始めた日(投稿日)から今日投稿するまで2週間が過ぎようとしています!
こんなマイブログに、懲りずにいつも訪れて下さっているみなさまには真に申しわけないと
思っております。同時に新規でいくつかを書いている最中ですが、それらもなかなか
終わりません。どうぞ気長にお付き合い下さいませ。(6/20)