ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

癒しのパン作り

2008-04-30 | 飲・食・店

先週、初めての「自家製酵母でのパン作り」に参加しました
先生は、1・2月に参加したセミナーで知り合ったSさん。生徒はセミナーを共にした方4名。
会場は「リフォーム講座」をテーマ別に開催なさっているTさん宅。私以外、若い方です!
Tさん宅は二年前に全面リフォームをされたので、パン作りを兼ねてお宅拝見の楽しみも
ありました。もうお見せしちゃったけど、上の写真が出来たてホヤホヤのパンです。
パン作りは南米に住んでいた頃、本を参考に色々作ったことはありますが、
何でも豊富に手に入る日本に帰国してからは今回が初めての体験でした。

酵母って・・・しょっちゅう耳にするけど、いったい何だろう?という全く無知状態での参加。
Sさんの、ホンワカ温かいイメージそのままの口調でのご説明を、皆さんの足並みに遅れを
取っちゃまずい、と、しっかり耳の穴を大にして聞きながら作り始めたのです。
この日のために事前に「いちご酵母」を作ってきて下さいましたが、その作り方も
説明して下さいました。添加物の無いこの酵母が市販のイースト菌の代わりとなるんですね。

      

酵母と粉、水などをボールに入れ、こねこねし、バターを加えて更にこねます。
こねるという作業のなんと気持ちのよいことか!ず~っとずっと、こね続けていたかったなぁ。
その時の画像はこねていたから有りマセ~ン。

 

型成して真ん中に切り込みを入れ、粉をふってオーブンに入れます。
約18分で出来上がり!
な~んて簡単に書きましたが、その間一次発酵、分割、ベンチタイム、成形、最終発酵
などなど、各々に「時間」が必要なんですよ。
待ち時間のあいだには、私たちが家に持ち帰るための生地作りをしました。
ガス台では、採り立ての新玉ねぎが丸ごとお鍋の中でゆっくりと煮込まれています。



       コトコトコトコト・・・・・・       おぉ、香ばしい~♪パンが焼きあがりました!



熱々パンにはSさん手作りのイチゴジャムやバターを塗ったりして・・うぅっ、おいしぃぃぃ~~!
二鍋に分けて煮込んでいたそのまま丸ごとの新玉ねぎスープも、とろ~り甘くて絶品。旨い!
新玉ねぎの薄切りサラダはオカカとお醤油でさっぱりと。素材がいいと味付けはシンプルで
良いし、そのほうが本来の旨みがわかる、ということですね。
玉ねぎの提供はKさん。大阪でおじさまが作っていらっしゃるんですって。
「○○玉ねぎ」?と言っていましたが・・?
I さんはおいしいコーヒーを淹れてくださったし、Tさんのお母様手作りのプリンも登場。
私は富士見エースという蜜柑を少し、むいて持参しました。
こうして五人で楽しくお喋りし乍ら
実にヘルシーなランチタイムを過しました。

何が嬉しかったかって、美味しい食べ物もそうですが、若い方々に囲まれているのに、
何の違和感も感じずに、同じく若いつもりになれたことなんですよ。
かえって、教えられることが幾つもある気がしました。うれしいことですね。

この春からは運動を始めたし、そしてまだ止めていないし、
ラジオでの英語も久しぶりに始めたし、これだってまだ続いているし、
天然酵母パンも初めて作ったし・・・これからたまには作りたい、と思い始めたし、
このところの陽気のように、私の心の中も少しはポカポカ陽気です。

Sさんはこの5月、日の出と当代島の二つの公民館を利用して
自家製酵母でのパン作り教室を開きます。
先週のタウン情報紙「サークル」に掲載されていましたが、
定員5・6名の予定が、日の出の方はすでに埋まったそうです。
来月以降も順次、講座を続ける予定とのことです。
「セミナー」で語っていらした夢が着々と実現に向かっていますね!
    




 


たまたま“ぐんまフェア”その2

2008-04-27 | art/exhibit/museum

全国都市緑化フェア」は、緑豊かなまちづくりを主な目的として、
昭和58年から毎年全国各地で開催されている花と緑の祭典です。
今年の第25回目は群馬県が開催地となり、県内には157箇所におよぶ
サテライト会場が設けられ、3月29日から6月8日までの72日間に亘り開催。
去年は船橋、来年は岡山が開催地になるそうです。



赤城南面千本桜を見たあと、来た道を高崎駅まで時間を気にしながら戻りました。

高崎会場は「駅をおりたらフェア会場」を合言葉にしているだけあり、
本当に駅を降りたところからカラフルな花壇やハンギングバスケットが
至る所に配置されていました。目的の高崎シティーギャラリーに着くまでの
あいだ、フラワーウォッチングしながらのウォーキングはとっても楽しいものでした。
写真を撮りながら「音符の花壇」を見つけたり、お神輿とすれちがったり、・・。

 


 

 

3時半からは星野富弘さんの「花の詩画展」開催記念特別記念講演会が始まるので会場に急ぎました。ホールはほぼ満席状態。運良く前の方に空きを見つけ座る事ができました。
講演前の約15分間、岩渕まことさん、由美子さんによるミニコンサートもあったのです。岩渕さんは富弘さんの詩に曲を付け、「ぺんぺん草のうた」(プロモーションのところで試聴できますよ)というCDをリリースされた方。
ドラえもんの映画、「のび太の宇宙開拓史」のテーマを歌っていた方でもあります。
音楽が始まるや、富弘さんが車椅子で会場に入って来て観客席の近くで皆と一緒に聴いていました。講演はコンサートのあとすぐに始まりました。
初めて富弘さんに出会ったのは、もう十数年前になりますか。銀座教会で詩画展が開催された時でした。見終わって帰ろうとした所、教会の前で送迎の車に、寝たままの状態で乗り込むところだったんです。
読み手の心を打つような詩画の数々をこんなに不自由な体で書き続けているんだ、と思うと、尊敬の念が湧いてきたことでした。
あれから年数が経ち、お互い中年以上になりました。だからこの日は私にとっては再会の日なんです!
良い顔色の、ちょっと太ったかな、と思われる優しげな表情の富弘さん。講演会では、それまで描いてきた幾つかのスケッチをスクリーンに映しながら、その花にまつわるお話を淡々と、時にジョークを交ぜながらお話をなさいました。彼のすぐ横には映写機を操作されている奥様が座っておりました。お話の中で、まだ記憶に残っていることを、お粗末ながら少し書いてみましたが・・・間違っていたらご免なさい。

  さくら・・・  家の周辺をあちこちお花見しながら歩きます。これぞ桜伝線
         花の咲かない桜の木が家にあるのですがどう見ても、葉がだらりと
         して柳にしか見えないので僕は柳だと言っています。ヤな木です。 
  
  
花キリン・・・入院中から37年間見続けている花。ある秩序を持って咲いて
         いることを知りました。普通、鉢物は花の切れ目が縁の切れ目
         となり放り出してしまうと思うが
 この花は一年中咲いています。  
         植物とはどういうものかをこの花に教えられました。  
         
         展示されていた花キリンにはこんな詩が書かれていました。

                  花と棘が
                  同じところから
                  生えている
                  やがて
                  花は散り
                  棘だけが残る
                  何だか私の心のようで
                  胸の奥がチクリと痛い

  たんぽぽ・・・横に寝てしまい枯れたと思ったタンポポ。それにはちゃんとした
         理由があります。寝ている間に、綿毛の用意をしているんです。
         用意ができるとまたしゃんと真っ直ぐに立ちあがります。
                            
         

  ひまわり・・・花の後ろの茎がほぼ直角に曲っていますね。何万本ものひまわり
         畑で、日没後一斉に首を回す現場を是非見たいものです。そん
          な現場を見たと言う人は今だ現れないということは、有り得ないと                 
         いうことかな。太陽を追わない花のようです。
       
あっという間の約一時間、富弘さんの視線の深さと優しさを少し垣間見る事が出来た気がしました。あまりにも日がたってしまい、忘れてしまったことも多いのですが、家に帰ってから、「愛、深き淵より。」を少し読みかえしました。壮絶な記録です。事故後、体を全く動かせず、頭蓋骨に2ヶ所穴を開け牽引、固定され、喉に穴をあけての人工呼吸器を取り付けている間、言葉を発する事も出来ない状態のなかで、夜な夜な眠れない恐怖にさいなまれたといいます。こんな状態で一体自分に出来ることはあるんだろうか、と考え、ふと、暗唱できる好きな詩や漢詩があることを思い出したのです。それらを心のなかで何回も諳んじていたら、不思議と安らかに眠りに着くことができたそうで、「もし運良く生きつづけていくことができるならば、これらの詩のような命ある言葉を、もっともっとたくさん、心のなかに貯えたいと思った。」と。そのときの思いが今日の富弘さんとなっていったのでしょう。支える方々の献身的な生き方にも大変心を打たれます。

講演のあとは、ギャラリーでの「花の詩画展~葉っぱの数だけ花が咲く~」を鑑賞しました。「雨ニモ負ケテ・・」の詩画では思わず笑みがこぼれましたし、「背中」には納得、共感させられました。
                
    背中
                  自分の顔が
                  いつも見えていたら
                  悪いことなんか
                  できないだろう

                  自分の背中が
                  いつも見えていたなら
                  侘しくて涙が出て
                  しまうだろう

                  あなたは
                  いつも見ている
                  私の顔を
                  私の背中を
                  いつも見ている

 

 講演会と詩画展にすっかり心満たされ外に出た所、隣接の「元気ステージ」では、先ほどミニコンサートを行った岩渕まことさんの、こんどは「ぺんぺん草のうた」コンサートが行われていたのです。そして驚いたことに富弘さんと囲む会の方々も観客として居るではありませんか。
風が強く、寒くなってきて一人又一人と帰ってしまう中、結局最後まで聴いてしまいましたよ。みんなで歌う箇所では大きな声で心を込めて歌いました。岩渕さんご夫妻とそのグループって魅力的です!もしかして私、ファンになってしまったかも、です。
最後までその場にいたお陰でこんな写真も撮る事が出来ました。そして、最後の最後に!富弘さんにホンのひと言お声を掛けました。あ~ぁ、こう言う時ってどうして思ったように喋れないのかしら。全く月並みなひと言になっちゃいました。




気がつけばすでに夕暮れ時。今回の緑化フェアのサテライト会場にまだ足を運んでいなかった
ので、すぐそばのもてなし広場だけに立ち寄りました。このような会場があちこちに設けられて
いるので「ついで」に、見て回るのは全く不可能ですね。
今回は「食」に関してはパス。屋台での焼きそば。高崎駅のパン屋さんのイートイン、そして
すずらんデパ地下でのバナナジュース。どれも安い!旨い!これで充分満足の一日でした。

   
 
   ↓↑もてなし広場の“エコロジカルキューブ”(下の写真はタウン誌より拝借)

これで締めにする所、帰り道に素敵なお店
を見つけたことを思い出してしまいました。
すでに外は暗く、商店はそろそろ店じまいの
時刻のころ、そのお店にはまだ灯りがついて
いました。入り口をガラッと開けたら開いたの
で中に入り、見せて貰いました。
                                                                                                                             

和服姿の若い方がとても感じよく、着物以外の
ガラス玉のアクセサリーな
どの説明をして下さった
り、
今回の緑化フェアでは花不足で苦労したこ
ととか、隣りの蔵ではお茶をいただけるとか、その
店が築150年だとか、いろいろとお聞きしました。
お店の名前は「きものの彦太郎」。
    

又、高崎に来る前日、学生時代の友人で今
は名古屋住いのおKから、東京に来ているから
Kちゃんと3人で会おう、との電話をいただいたの
です。最後にお会いしたのは何年前だったかしら・・・その日しかあいていないと言うので
どうしよう、と迷ってしまったのですが講演会がなければ高崎行きをやめて友人と会うほうを
選んだのに・・・・とっても残念でした。ゴメンネ、おK!
次回を楽しみにしていますね。ということでやっと今日のブログは・・・THE END・・・。
「勝手に書かせてブログ」なので適当にお付き合いのほどを。でもまだキリッとショートに
憧れてはいるんです。・・・なんて書いていると更に延々と続いていきそうだぁ。

追記; 7月25日から8月7日まで、軽井沢あさま未来フォーラムに於いて、今回同様の
     星野富弘・花の詩画展が開催されます。それに先立ち7月24日には軽井沢
     大賀ホールにてオープニングコンサートも行われるとのことです。

 

 


たまたま“ぐんまフェア”その1

2008-04-24 | visit/drive

ネットで花の名前を検索していた時、偶然、星野富弘さんの詩画展と講演会があることを知りました。第25回全国都市緑化ぐんまフェア「花と緑のシンフォニー」にあわせて開催のようです。講演の方は、まず葉書に参加人数を書いて申し込みをし、抽選後に当選はがきが送られてくるとのことでした。場所は高崎シティギャラリーコアホール。
県内には富弘美術館もあるから、
そこに行ってから講演会場に向かおうかな、と思ったのです。
ま、結果的にはそんな考えは甘かった。ウチから都内をぐるりとJRで回るような訳には行かないんですね

一時間に一本程度
しかないローカル線では、乗り換えの電車も合わせて、複数の時刻表とにらめっこしても講演の時間に高崎に戻れるなんてことは不可能でした。
はい、葉書は見事に当選しましたよ。2名分。
当日は特に予定を組まず自由席で気軽に列車に乗りました。
東京駅で手に入れたパンフレットを
列車の中で見ながら、着いたらすぐに「千本桜」を見に行こう、と決めたのです。高崎から前橋へ向い、そこから上毛
電鉄の中央前橋駅までぶらぶら歩きました。 
         
        

広い道路の両側には沢山の花壇があり、街路樹という街路樹には様々な絵やスポンサー名の描かれた四角い提灯がくくり付けてありました。、夜には灯りがともされ、素敵な光景となるのでしょうね。
折りしもこの市のチューリップ切断の被害の事を事前に知ったばかり。地元の人が、「被害に遭ったのはもっとあっちの方ですが、夜になるとちょっと不安ですね。」と仰っていました。何が目的で夜中にコソコソとチューリップを切り取ったのでしょう。この日のために命を授かったお花が可哀想。犯人だって、自らの行為を生涯背負って生きるようになるんです。悪行は一生、心の中の傷となってうずくものだと思います。
経験者は語る、でもないのですが、なぜあんなことをしたんだろう・・・と思い浮かぶ事、別に犯罪と関係なくても鮮明に覚えていて忘れられない事ってありませんか
。自分のした行為は一生自分自身に付きまとうんだ、と、いい年になってから思い知らされています。

一時間に一本の上毛電鉄に乗り大胡(オオゴ)で下車。そこから更に一時間に一本の
臨時シャトルバスに乗りました。今年初めて運行することになったと聞きしましたが、それは

    赤城高原牧場クローネンベルク大胡ぐりーんふらわー牧場ぐんまフラワーパーク

の3ヶ所を巡回するので、この辺りで一日中遊ぶにはてとても便利。
「千本桜」はクローネンベルクと隣接しているので、そこで下車し、帰りのバスに乗るまでの一時間、桜並木の中で過しました。臨時バスの停車場所は千本桜から少し離れていたので、桜はいったいどこよ・・とキョロキョロしながらこんな中を何分か歩いたんですよ。



突然見えてきた桜並木は、今まで歩いていた道とは雲泥の差。
だって、人の往来が僅かな道から入って来たのですもの。
マイカーで来る人が殆どなので臨時バスでここに下車した方は少なかったです。

千本桜
日本のさくら名所100選」に選ばれた
県内屈指の桜並木。
市道の両側沿いに約2kmにかけて、
樹齢50年あまりのソメイヨシノが
1,000本ほど植えられており、
満開時には美しい桜のトンネルとなる。


白木蓮も満開で、白とピンクの入り混じった桜並木は
青空のもと、この春一番の絶好のお花見日和でしたよ。









すり鉢状になった中央広場はイベント会場になっており、演芸やらトーク、和太鼓演奏など
週末ならではの賑わいでした。威勢の良い姿で写っているのは華八木会の方々。
気持ち良く写真に収まって下さいました。少しお話をしましたが、毎年行われるこのイベントで
予想出来ないのは桜の満開の時期がイベント日時と合うかどうか、そしてその日の天候が
どうなるかだそうです。この日はまさにすべての条件がピッタリと合致する
稀有な一日だ、と喜んでいました。又、芝桜は一ポット100円で購入出来、自分で
芝を敷き詰めるので大勢の方が記念に植えていくようですよ、と言うことも伺いました。

 

 お昼ごはんは時間的に見ても、ここで何か食べるしかないので売店がどこにあるか
探しましたが 見つけたのは桜並木と共に続いていた屋台の列!ウッヒャ~すっげぇ~!
その両サイドにブルーのシートが敷き詰められたら写真にはなりませ~ん。

並木道は、しかしとても長かったので帰りのバスが気になり全長を歩けませんでした。
臨時バスには運転手さんのほかに添乗員さんが乗っていました。帰りのバスの
添乗員の方が面白い人で、7人ほどの乗客との楽しいカンバセーションは
大胡駅に着くまで続きました。ぐりーんふらわー牧場では、客待ちで停車中、
渋滞していた反対車線を走行中の他県のバスからガイドさんが降りてきて、
この先大渋滞だから別のどこそこの道を通って迂回したほうがいいですよ、と
わざわざい言いに来たことで、知らない道なんて一つもない地元の関越
バスに
他県のバスが道を教えてくれた、と愉快がっていました。

バスの窓から見えた絵のような美しい田園光景に
思わずデジカメを取り出し、シャッターを押したピンボケ写真が、これです。

高崎に戻ってからの事は次回に続きます。
   と言っても余りにも日にちが過ぎてしまいましたね。
千本桜のイベントも18日で終わったし、富弘さんの
詩画展も23日で終了してしまったというのに・・・・・
 年中言い訳ばかりですが、PCの不調や私の
いつものPC操作ミスが続いていたんです。

 


ついでにハイキング

2008-04-21 | visit/drive

 
小田和湾の手前は諸喝采(しょかっさい)?がぎっしり

満開の桜もすでに見ごろを過ぎたある日、用事で逗子の先までいってきました。
湘南の海はわが町から見える海岸線と全然趣きが異なり、空気の感触までもが
日頃とひと味違ったように思えてしまいました。
高山病も癒え、新たなる出発を親元を離れたところで始めた子の用事の為でしたが、
お昼を一緒にしてから別れて、三浦半島の桜の名所に行くか、鎌倉に行くかの決断を
逗子の駅に着く間に決めました。はい。久しぶりの鎌倉へ、と決定!

逗子からはJRで二つ目が北鎌倉駅。
まずは駅からすぐの東慶寺に行きました。
鎌倉を一人で散策するのは初めてなので、好きなように歩ける絶好のチャンスでした。
遅すぎるブログupなので日付は4月の第一週目のこととして置きますね。

鎌倉の4月は、うずうずしていた花の蕾が次から次へと開花し、情緒豊かな歴史ある町がさらに華やいだように感じられました。
左のまーるい形は、三叉の花です。下のように紅白並んで咲いていました。


   

崖ふちに一輪、しっかりと根ざした頼りなげな花は、枯れて無くなるまでどのくらいの数の人々の目に触れるのでしょうか?
時々、そのように運命に何一つ抵抗せず、可憐に咲いては静かに枯れて行く命が無性にいとおしくなります。
年金も保険も税金もな~んにも関係ない 命。

     



桜はもう終りかと思っていましたが鎌倉は都心より少し遅咲きのようです。
東慶寺境内の枝垂れ桜はこのようにちょうど見ごろでした。たまたま境内にある
松ヶ岡宝蔵で仏像特別展開催中とのことで、せっかくなので入場料を払って見てきました。
重要文化財である聖観音菩薩立像や、水月観音菩薩半跏像などは東慶寺HPの文化財
の所で拝見できます。そのほか、常設の「縁切り状」などの展示物があるのは、ここが
1,285年の開山以来、尼寺として、男子禁制、女人救済の駆込寺または縁切寺として
存在していたからなのですね。東慶寺と群馬の満徳寺が、不幸な女性を救済した日本に
二つしかない徳川幕府公認の縁切寺だったと言います。今でこそ離婚は世界的にも日常的に
なってしまいましたが、男女差別が激しかった江戸時代では考えられないほど勇気が必要
だったでしょう。今でいうシェルターの役割以上のこと、つまり離縁を法律上可能にしてくれた
お寺だったということです。

 

境内の墓苑には小林秀雄や前田青頓、大松博文など著名人が眠っています。
ということを、あとで知りました。お昼をとうに過ぎてからの散策でしたから、あっという間に
夕方になってしまいます。このあとはまだ行った事のない源氏山へ、と、茶寮松ヶ岡
の素敵な佇まいを写真(下)にだけ収め、更に足を速めて浄智寺の横を通り、葛原岡
ハイキングコースとやらをひたすら歩き続けました。軽い気持ちでコースに入ってしまいましたが
普通の道ではなく、山道そのものでした。ウォーキングシューズを履いていてよかった!
 
    

ハイキングコースは人もまばら。たまにすれ違うのは外国人ばかり。
私以外だれ一人見当らない時もあり、カラスの鳴き声だけが元気いっぱい
響きわたっていました。
源氏山にある葛原岡神社まではたった30分のハイキングコースでしたが、
ここから更に30分歩けば大仏まで行けるんです。
山は桜が満開。お花見をしに来た訳ではないのに何てラッキーなんでしょう。

       


葛原岡神社のそばで見つけたこの木。
羽子板の羽根に使う木なんですって。
源氏山ではカップルや犬の散歩をして
いる地元の方が思ったより多く歩いて
いた、ってことはハイキングコースでない
普通の道が通じているということでした。
なんだ、車でも来られるんだ。でも久々
に自然の中を、薄っすらと汗をかきかき
登って来たからこそ、より一層、気分
爽快でしたね。犬の散歩をしている方
に道を尋ね、化粧坂(けわいざか)
教えていただき
そこを下って鎌倉駅へ
行くことにしました。

        
                         
が、途中で海蔵寺に寄り道をしたくなって道を聞こうとしたら、さきほど犬の散歩をしていた
おじさんと又ばったり出会ってしまいました。親切に教えていただき、ほどなくお寺に着いた時は
すでに拝観時間が過ぎ、門の中には入れませんでした。烏の鳴き声がうるさい筈です。
雪柳がみごとに山門の奥まで続いている様はやはりカメラに収めなきゃ・・・の一枚がこれ。

      

あぁ・・・ブログがなかなか終りにならないよ~。でももう夕刻なので急がなきゃ、という思いに
反して向かって行ったのは亀ヶ谷坂切通。人影が全くなくなり途中恐くなってきたのですが、
引き返すにも結構距離を来ちゃったし・・・焦りましたよ。ここで襲われたら成すすべもなし。
もう、最高の速度で歩き通し、道路が見えてきた時はホ~ッ。うれしかったなぁ~!
あとで、鎌倉に詳しい姉に話したら、あそこは二人で歩いてもちょっと恐くなる所、と言うでは
ありませんか。
それまで飲まず食わずでしたから、その道沿いを歩いていて、いつかは入りたかった、ちょうど
そのカフェに出くわしたときは、これこそよくぞ歩いた、のご褒美だ!と思いました。

         
 

 

                       次回は高崎です。待っていてね。

 


桜の季節には・・・

2008-04-18 | visit/drive

4月は「桜便り」から入りたかったのに、
満開から半月も過ぎちゃぁ桜もないでしょう、
が、少しだけ、カメラに収めた分をupさせてください。
出番待ちのブログが時期を逸してもがいています。
4月前半のブログ記事をまず終わらせて、気分爽快にしたい・・・
けど、又、今の分が遅れて・・・
どっちにしろ、堂々巡りになっちゃうのかなぁ。


日本橋のN証券前の桜の大木があまり見事で、ついカメラを構えました。


お庭散策に、と訪れた椿山荘のロビーには見事な桜の生け花が。
ランチは庭園内の「無茶庵」でお蕎麦をいただきました。画像もあるのですが・・・



ホテルラフォーレ御殿山には、オレゴンに住む姉の友達のクリスが来日した時に
皆で行きました。「なだ万」でのお食事の様子も写真に収めたけど、もういいや。


Kちゃんが送ってくださった沢山の招待券の中に六本木ヒルズの展望台の券も
有ったのです!美術館もしっかり見てきましたが、報告がなかなか・・・。

昨日は「さくら」を見に山種美術館に行き、
白金台の「松岡美術館」にも初めて寄ってきました。
これもKちゃんから頂いたもの。よかったぁ~!

先週と先先週末には鎌倉、高崎と行って来ました。
ブログネタは豊富なのに、なぜか集中できません。
ぼちぼちと焦らずにupして行くことにしますね。。

 


制度

2008-04-15 | news

          

4月初旬に、探しても見当たらない、と言う母の新しい保険証の再発行を頼みに、
一緒に市役所へ行きました。再発行するには、本人が目の前にいても、本人を確認する
証明書が必要とのこと。母はパスポートや自動車免許証などの類は持っていないし、、、
困ったなぁ、と思いながらもムカッとしてきました。
その日はそれからお医者さんに掛かるので診察券を全て持参していましたから見せました。
が、通用しません。娘である私の免許書を見せても、同居でないのでダメ。
郵送する事は出来るけど即日発行は、本人が目の前にいてもしてくれないのです。
じゃぁ、一階で住民票を取ってきます、ならいいでしょう、といっても顔写真がないから
ダメだとさぁ~!お前さんたちなんなのさ、マニュアル通りにしか動けないのかよ!
アタマこちんこちんで粋な計らいひとつ出来ず、もし私がいなくて母一人だったら、きっと
文句も言えず、スゴスゴと帰ってきただろうな、と思うとカッカしてきました。
係りの人が、「今から掛かる病院に電話をして新しい保険証番号を伝えておきますので
診察に行ってください。」と言ってはくれましたがそう言うことではないんです、粋な計らいとは。

勿論、国保における納得の行かない対応同様、市の一職員に言っても無駄なんでしょうが、
なら、あなた方が、市民の声として国に掛け合ってよ!と言っても困り顔をするだけ。
じゃ誰に言えばいいの?市長さんに言えばいいの?国に言いたい時はどうやったらいいの?
市民の声を代弁するのはあなたたちでしょう!と強い口調になるのを意識して抑え目に
しましたが、何言っても無駄だ・・よね、と、情けない気持がからだ中に溢れてくるのを
感じました。一人一人の職員はみなさん「良い方」なのはわかります。が、すべてのことを、
国が決めたことだから・・・では市民と行政の間の会話が成り立たないではないですか。
役人というのは何一つ自分達で判断することが出来ないってことですね。こう言う質問には
このように答える、というマニュアル通りの回答しか持ち合わせていないのですね。そうしないと、
例外を一つでも作ってしまうと、大問題ですものね!
冷静に考えれば、窓口で対応に追われる若い方々でも一生懸命対処してくれているんだ
と、わかるし、時々は頭の下がる思いをすることだってあります。でも納得行かない説明を繰り
返し言われると、ひと言が三言になり、耳をそばだてている周囲の気配を敏感に感じ、
・・・おばさんはこれだからなぁ・・・と、きっと内心思っているんだろうな、と勝手に想像しては
又頭に湯気が立つのです。
「言いにくいことを嫌な思いをして言ってくれて・・済まなかったね。」と、母。

と、こんな調子で私の4月がスタートしました。3月は3・3”で、4月は4苦(4+4)苦の予感。
きょう4月15日から、75歳以上を対象にした新しい仕組みである「後期高齢者医療制度」
の、年金からの保険料天引が始まりました。波乱なスタートは当然、想像できました。
その「当然」を予測できない行政って、全く想像力に欠けているんじゃないのでしょうか。
年金から天引きは苦渋の策だって?もう信じられない。75歳以上から強制搾取するなんて。
相応の年齢の方の声からは、怒りを通り越し、大きな脱力感が伝わってきました。

     取り易い所から天引きしている。
     全くの説明不足である。
     取りっぱぐれがなく、役所にとって都合がいいだけ。
     もらえるはずの年金がもらえないのに、保険料はしっかりとるなんて、順序が違う。
     国民からの声にはお詫びの言葉ばかり。
     役所はいつも、こっちから『おかしいんじゃないか』と聞かないと、何も言ってこない。

                               などなど
そして、
「宙に浮いた」年金問題が解決しないうちに保険料天引を始めたことに批判が相次いで
いることに対して、「年金記録問題は一生懸命やっており、ふたつの問題を情緒的に結び
つけるのはいかがかと思う。」と反論した厚労相。
(新聞より)

情緒的に?って、、、あまりにも次から次へとお粗末な出来事が続くし、大体内部の人間
でさえ仕組みがよく判らないそうじゃありませんか。それでも「情緒的だ。」と言うのですか?

制度というのはこんなに国民の声を無視して作ってしまっていいのか、と考えると、「国」とは
何か・・・判らなくなってきます。制度にガンジガラメにされても、更に制度が作られる。
裁判員制度もそうだし、メタボの事まで国が言及して「制度」を作ってしまう、そして
「罰金制度」も作ってしまうことに首を傾げています。注意を促す、キャンペーンをする、
それだけで充分ではないでしょうか?やらないで怪我をしたり病気になったり死んだりするのは
その本人です。そう言う人たちの医療費が莫大なものだから制度化したのでしょうか?
本人がそれでよければよい・・どの辺で線引きをするか、が問題で、人の数だけ意見が
分かれるかも知れません。とても難しいことですが制度が次から次へと出来ることへの不安感
がどうしても拭いきれないのです。、色々な制度がごく短期間に論議不十分なまま設けられ
ちゃうんですもの。みんなが拍手で迎える制度なら大歓迎です。

         

 

 


厄除けしなくちゃ

2008-04-09 | family

2月に中国旅行をして、戻ってきたかと思いきや、一週間も待たずして次は中・南米へと
旅立った息子。3月下旬から新たな職場での仕事が始まる
ので、今しかない、と、精一杯
自由を満喫したかったのだろう。格安切符で最初に向かった先はパナマ。そこからコスタリカへ
バスで行き、又、バスでパナマへ戻り、次は去年訪れたペルーの首都リマへ。そこではお馴染み
の宿へ泊まり、時間を調節し、今回の旅行での主たる目的地であるボリヴィアのウユニという、
塩湖で名高い町にバスで向かう。名高い、とはあとで知ったことでその時点では初耳だった。
おっと、ココにたどり着くには首都ラパスからバスで行くしかないので、ラパスで一、二泊した
らしい。らしい、というのは、親に詳しいスケジュールを伝えていなかったし、旅行社から送られて
来たスケジュール表は手渡されたが、それには航空機の予約状況しか書かれていなかった。

ラパスでは昨年、サンパウロからペルーへ向かう時の飛行機の乗り継ぎ時だけでも頭が割れん
ばかりに痛くなり、飛行機の同行者に励まされながらやっとの思いで難を凌いだと思ったのに、
よくも再度、行く気になったもんだ。今回はどうも予防の薬を持ち歩いていたようだ。
なにせラパス(La Paz とは平和という意味)もウユニも標高3700メートルにある都市。
富士山の頂上だと思えば想像できると思う。南半球は暑い時期のはずでも高地には低地
のような夏はないんだろう。

十数日ほど過ぎた頃、コスタリカから投函したとみられる、パナマの絵葉書が我が家に届いた。
今の所、危ない目にも遭わず順調に旅行をしています、とそこに書かれていたのだが、
それから数日後の朝、息子から突然電話があった。ちょっと様子が変だ・・・と感じていたら、
二言目には、「今、ウユニの病院に入院している」、と言うではないか!
で、どうなの、大丈夫なの?いったいどうなっちゃったの?の返事が、
「よくわからないけど、沢山の人がお見舞いに来て・・・くれて・・いる ・・・」  
えっ、え~~どういうこと?どこが悪いの?」の返事は、
「頭全体が痛くて、全身が重くてだるくて調子悪い、、」とのこと。
一度切れた電話だがその後、すぐに2回続けて同じ内容の電話がはいり、何なのか様子が
掴めないでいた所、4回目の電話は、その病院(診療所の規模らしい)の、英語を話せる
薬剤師のような方からだった。出勤前の娘に電話を代わり、英語での会話を頼んだ所、
どうも高山病にかかって身動きとれず、歩くことが出来ず、病院としてもどうして良いのやら
わからないようで、ラパスの日本大使館と海外旅行傷害保険の加入会社に連絡してほしい
と言われた。まずは大使館に連絡。休日だったので、休・祭日用の緊急用電話につながり、
事情を話し、保険会社の連絡先なども知らせ、大使館から保険会社とウユニの病院に
連絡をとってもらう。高山病は普通なら1~2日すれば慣れてくるが、息子の場合は数日経
っても治らず緊急を要する、との結論になり24時間後には即、低地の都市サンタクルス市に、
チャーターしたセスナ機で搬送、という事態に展開。セスナ機はサンタクルスから脳内科の
医師を乗せてウユニに向かい、息子を乗せて又、サンタクルスへ引き返した。
たまたま同市には知人がいて、あらゆる手段を尽くして下さったし、入院中の数日間も
毎日病院に行ってくださり、医者の説明を受け、その内容を電話やメールで連絡下さった。
大使館からも事あるごとに状況説明の電話があったし、保険会社も帰国便の時間変更の
件まで連絡下さり、その手回しの良さに、何にもまして大きな安心感をもらった。
大使館と保険会社と病院の連携プレーの見事さは、現地の知人でさえ、いたく感激した
とのことだ。。
高山病では重い場合は死に至るそうだ。脳や肺に水が溜まったりもするそうで、今回は
肺に水が溜まっていたとのこと。簡単な引き算をさせたら少しおぼつかなかったとのことで、
脳への影響も拭いきれなかったため、
ナース同伴での帰国となった。

帰国日が判った時、マイカーはまだ修理中だったので、行きはリムジン、帰りはタクシーにする
しかないか、と思っていたが、帰国の前日に運良くトヨタから電話があったが、明日の夕方に
届けてくれると言う。明日の予定を話し、出来れば朝いちで届けてほしい旨伝えたら 修理
工場に連絡してみるとの返事。結局午前中に届けてくれることになり、滑り込みセーフで
一件落着となった。

息子の様子を見るまでは頭がおかしくなっていないかが最も心配だった。が、心配するばかり
では体が持たないので、心配することをやめて祈ることにした。
心配事が同時に複数並行して起こっていたので気持ちを思い切り切り替えられたし、心配
することと祈ることの大きな大きな違いをそこで発見も出来た。

その後、J大学病院で診察を受け、太鼓判を押され、帰国6日後に慌しくも新転地へ赴く。

ウユニの写真をweb上で見つけた。その神秘的なこの世のものとは思えない未知の自然界
の美しい光景を見て、塩湖の魅力にとり付かれた子の気持ちに同感した。でも命にはかえ
られないっす。ブログをよくも何度も賑わすことしてくれたなぁ~!(いえいえ貴重なネタに感謝でござる。)

又、海外旅行傷害保険に子が申し込んでいた事が医療面での安心に繋がったこと。
これってほんとうに大きかった。お一人さまのための医者付きのセスナ機ですよ。入院費用
から帰りの指定便(変更出来ない激安チケットですからね)の変更費用、付き添いナース
の往復費用などなどですよ。もう気が遠くなりそう!
ラパスのホテルには、ウユニの帰りに又立ち寄るつもりだったので、荷物を預けていたが、それを
大使館の方がサンタクルスまで送ってくれたし、帰りの便は体に無理のないコースをと、選んで
くれた。最悪の事態が最高の援助を受けて、終り良ければ全て良しとなったこと。すごいな。

今回のことを含め、私自身にではなくて、私の周りに色々なことが起りすぎているので毎日の
ように娘に言われている。「ママ、厄払いに行こうよ!」「ママ、もうお払いに行って来た?」と。

えっ、今年の厄年って?何年生まれなんだろう?まさかぁ、関係ないよね!
落ち込むことが多かった3月を引きずっての4月となったが、ぼちぼち過去分も挟みながら、
マイペースでやっていくっきゃない。手短かに・・が、又長くなって困ったなぁ。
画像は全て息子の撮ってきたもの。このあとに意識不明となって・・・気が付いたときは
誰かに支えられて小便していた、と。