酒と薔薇の日々(その2)

好きなことだけ求めて生きるアスペ気味のINTJ人

自己否定の人生だった

2018年11月01日 21時12分57秒 | よしなしごと

昨日からはまっている「自己肯定感」というキーワード

とにかくこの用語が覚えられない。

余りにも覚えられないので付箋に書いてスマホに貼っていたが、最後は貼ったこと自体を思い出せない始末

なぜここまで記憶ができないのか。

 

考えてみると私の人生は「母親の歪んだ愛情」によって作られた18年間の「自己否定」思考が人生のスタート時点にあった。

以来45年間これに支配され悩み続けた人生だったのではないかと思い至った。

(ああ、またキーワードが思い出せなかった。)

どうもこの系統の話になると、自分内の拒否感情が、事実認識しようとする自分に対し妨害をしまくる。

 

考え方によっては「自己否定」が今の自分を作ってきたわけだし、それはそれで成功しているので考えを変えれば「ありがたい」話だが、自分的には納得はできない。

「ありがたい」などと言えるのは、他人が上っ面を見ただけの意見なのだ。

たまたま、「自己否定」と「原理・仕組みを知りたいという興味を持つ」と「人の目を気にしない」子供が、なんとか世間で言う良い方向へ流れ着いたというだけなのだ 。

 

無配慮に行動する人間が許せんと感じるのは、これが原因と思った。

妹は「自己肯定」を目指す余り遠くに行ったきり帰ってこないのカモ。

 

本日同僚のmtng嬢と「自己肯定感」が覚えられない原因について話をした。

案の定、mtng嬢から出るわ出るわ、祖母に端を発する姉との確執が原因で、自分の娘としっくりいっていない人生が浮き彫りに。

女性漫画によくある設定そのままな話であった。

一見明るく元気なmtng嬢ではあるが、はたからは決して判らない人間模様はどこにでもあるのだなと再認識

人間なんてそんなもんなのだという肯定から解決口を探すしかなさそうだ。

まだ今なら間に合う。かも