アジアごはん Vegiko(ベジコ)

フードトラックでのランチ販売やイベント出店、ケータリングなどを行っています。通販も始めました!

この秋、たくさん思うことがありました

2015年11月26日 | 日々のこと
お弁当配達をお休みしたまま秋が終わろうとしています。

ベジコのお弁当を楽しみにしてくださっているお客様には本当に申し訳なのですが、再開できない止むを得ない事情があったのです。

以下、ベジコが配達を再開できなかった事情(この秋に起こったこと)や、それを通じて思ったことをいろいろ書こうと思います。

ただし、長くなりますので、
・よほど暇な方
・誰かの奮闘記に興味がある方
・誰かが何かを学んだ瞬間に興味がある方
など、特殊な読者限定とさせていただこうと思います。


では、書きます。


愛知県岡崎市の実家で二人暮らしだった両親を、私の目の届く小田原の老人ホームに入所させたのが、ちょうど3年前。規則正しい生活と食事、たくさんの人が関わる刺激などは、父の体力や気力を大いに回復させまして、そうなると老人ホームでの生活は窮屈になるんでしょうね。
「俺は岡崎に帰る!」と言い出した父は、みんなの反対をうけると逆上してかえって勢いづき、「俺はひとりで何でもできる! 誰の面倒にもならん!」と息巻いて岡崎の実家に帰ってしまいました。それがこの9月始めから中旬にかけての騒動でした。

自立できるくらい元気になった父が一人暮らしを始めるというのであれば喜ばしい話なのかもしれませんが、今回一番問題だったのは、母も一緒に連れて帰ってしまったということでした。
母は今年初めに大腿骨を骨折してますし、その入院を機に体調が不安定になったりもして、最近やっと自分でトイレに行けるようになったかどうかというレベル。認知能力もかなり落ちていて、意欲がないどころか、自分がどうしたいのかという意思さえ薄い状態です。

そして、ほんとのことを言えば父だって、去年同じく大腿骨を骨折していて、そのヨロヨロ、フラフラした歩き方は、人が見たらつい手を貸してあげたくなるような姿です。腕力や握力も落ち、ホームに内緒で飲むワンカップだって、プルトップは私が開けてあげていたくらいです。

その父が、母の介護をしながら二人で生活をするというんですから、私としては当然、大反対です。怒鳴りあい、取っ組み合いの喧嘩もし、人生の中でも三本指に入るくらいの消耗をしました。

私の怒り理由は「自分のことしか考えていない、父の身勝手さ」なわけですが、
でもそれがどこから来ているかといえば、

・父に勝手なことをされたら、私が遠くまで両親の面倒を見に行かなくてはならなくなる
・私はこれ以上、両親の介護に時間も労力も費やしたくない
・これまでも私がたくさんの時間と労力を費やして安心して暮らせる環境を築いてあげたのに、その努力がすべて無駄になる
・私がこれまでずっと両親に対してしてあげてきたことへの感謝がない

といった感情からなんですよ。

「もう~!!、親のくせに自分のことばっかり考えて、娘の身になって考えてほしいわ~!!」と友達に愚痴った後、気付いてしまいました。
父を責める理由であった「自分のことしか考えていない身勝手さ」が、そっくりそのまま自分にあてはまると。

と妙に納得してしまった私は、もう反対するのを止めて、腹をくくることにしました。

まあ、その時点ではまだ「父の能力では二人だけで暮らし続けるのは無理だろう」「何日か暮らしてみたら気が済んで、老人ホームに戻るんじゃないか」と思っていたのもありますけどね、、、

そうして、89歳要介護1の父と85歳要介護4の母の二人暮らしが始まり、私は藤沢と岡崎を行ったり来たりすることになったわけです。


私の父、滅多にいない強烈キャラで、他人だったらネタとして最高に面白いのですが、それが身内なのは本当にツライ。

・私に内緒で、住民票を小田原から岡崎に移す
・私に内緒で、自動車教習所に申し込みに行く(運転免許は、4年前がんばってがんばってやっと返上させていた)
・私に内緒で、長年相続のことで恨み続けている親戚への仕返しを画策すべく弁護士を呼ぶ
・私に内緒で、ペットショップで猫を注文する

最初の1週間でこれだけのことを仕出かしてくださいました。
ある意味、その情熱、生命力の強さに感動すらおぼえます(父が他人なら)。
私は事実を知るたび怒りまくり、反対しました。

父は学歴も経済力も社会的地位もなく、文化や芸術にも疎く、狭い世界の限られた価値観しか持ち合わせない、理解力も思考力も低い人間で、しかもアル中で酒乱。若いときは酔って家族に対して暴力を振るうような最低な男でした。

なので、私は父とできるだけ関わりたくなかったし、何か話をしても理解する能力がないだろうと思っていました。そして、父がやろうとすることを、怒ったり、脅したり、適当にごまかして止めさせようとしました。
でも、父の執念の強さは脅しやごまかしが効くようなものではなく、また、適当にあしらうほどに事態はややこしくなることから、最終的には、父からじっくり話を聞き、各案件に真剣に関わらざるを得なくなりました。

不思議なことに、一旦腹をくくり、父の気持ちになって考えてみるようにすると、「まあいいか」と許せてしまったり、逆に父があきらめてくれたりと、次々と問題が解決する(というか問題でなくなる)ようになったのです。

そして、能力がないと馬鹿にしていた父のことを、何も理解ができないわけじゃないんだなと思えたし、やろうとしていることの内容はともかく、それを実現させるための手段を見つける力や行動に移す力は大したものだなと思ったり。また、いろんな行動の根底には母を喜ばせたい気持ちがあったりするのも評価してあげなきゃな、と思ったり。
とにかくなんだか父を嫌う気持ちも憎む気持ちも和らいでいきました。

高圧的な父のせいで、幼い頃の私は、大人の顔色をうかがって息を殺しながら育ちました。いい子でなければ見捨てられると、自分の意思を表さずに、完璧ないい子を演じていました。今さら父を許したところで、私の暗い過去が消え、明るい家庭の思い出に挿し変わることはありません。でも、自分の欠点の何もかもを親のせいにするのは止めにしようとは思えました。そして、「軽蔑すべき親から生まれた大嫌いな自分」のことも少しは許せるようになるかもしれないな、と微かな望みがわいてきました。

「ベジコさん、自分のことをそんなふうに思ってたの~?」「面白みのない人だとは思ってたけど、そんな暗い人だとは思わなかった~」なんて思ってますかね?きっと。
私の内側の暗さや黒さを感ずいていた方もいるかもしれませんが、いやいや私のネガティブはその想像をはるかに超えるものですよ。具体的に説明すると恐ろしい言葉になってしまいますので控えますが、、、

でも、父を憎むことを卒業した今、少しずつでも自分のことを許し、人生を楽しめるようになるかもしれないな、と思えます。是非、そうなりたいな~
そうしたら、ベジコの料理も美味しくなるかもしれませんね~

おわり。


そうそう、両親の生活ですが、おかげさまでずいぶん落ち着きました。かかりつけ医の先生の紹介から芋づる式に各種介護サービスの施設や人脈に恵まれまして、月曜は訪問看護、火曜と木曜はヘルパーさん、金曜は訪問リハビリが来てくれて、水曜と土曜はディサービスに行くことになったので、1週間のうち6日は誰かが無事を確認してくれる状態です。たくさんのプロに支えてもらうと共に、ご近所さんにもいつも気にかけていただいて、本当にありがたいです。







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