自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

あなたが幸福であれば、私も幸福になれます。

 自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。
 私たちはいつ死ぬか分からないけど、いつか必ず死して自然に帰る。いろいろ考え方はあるけれど、私は「それぞれの問題が自然との関係、他者との関係において人類に幸福をもたらすのか」考え続けたい。

エコノミーとエコロジーについて考える(4.生態学の誕生)

2017-04-24 12:42:43 | 自然と人為

 古代ギリシャでオイコス(エコ:家、共同体:ポリス)のノモス:規範という意味でオイコノミアという言葉が生まれエコノミー:経済の語源とされている。しかし、現在の利益を追求する「経済」、ことに「欲望の資本主義」といわれる「経済」の語源には馴染まないので、私は「オイコノミア=家政」を「善を求める共同体の(経済的)規範」と理解していることを強調しておきたい。
 アリストテレスの『政治学 』第一巻、「第十三章 家庭経営に必要な美徳について」では、「家庭の経営においては、命を持たない財産よりも人間の方が重要であり、立派な財産より立派な人間のほうが重要」としているように、当時の家政(経済)では人間を最も大切にしていたと思う。時代が1500~1700年も経過すると、人間は欲望を満足し、孤立しても生きていける世界を求めて、堕落することを進歩だと思うようになるのだろうか。

 「オイコス=エコ」を動植物の住む世界と考えて、ロギア(論じること、論、学)と合わせて「有機体とそれを取り巻く外界との関係についての総合的な学問」としてエコロギー(エコロジー)という言葉を、ヘッケルダーウインの進化論(種の起源,1859年)に啓発されて造語し、1866年に発表した『有機体の一般形態学』で使用している。
 参考: エコノミーとエコロジー:エコロジーとは ― その起源と変遷
      『一般形態学(有機体と一般形態学)』:エコロジーとエコノミー
      科学の歩みところどころ 生態系とは何か
      日本気象学会機関誌「天気」:用語解説 エコロジー
      近代生態学の流れ
      日本での生態学と「エコロジー」をめぐって
      ヘッケルは何を書いたのか—反復説の原像—
      ダーウイン(1859)とメンデル(1865)


 19世紀になるまでは「自然の3界」として「動物界」「植物界」「鉱物界」が考えられており、植物と鉱物が違うように、動物と植物も違う存在だったが、19世紀には顕微鏡を用いた観察から「全ての生物は細胞からできている」というシュライデンとシュワン細胞説が提唱された。このことにより動物学と植物学が統合され生物学というくくりで扱われるようになった。
 ヘッケルは生物学を形態学と生理学に大別し、後者をさらに Arbeitsphysiologie(労働生理学)と生物と生物や生物と環境のBeziehungsphysiologie(関係生理学)に分け、この関係生理学の中に生物分布学と生態学を位置づけた。なお、生物分布学も生態学と同様にヘッケルの造語である。

 動物学者の田隅本生(2)は、ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」という「反復説<」を中心に「一般形態学」の論考をし、その結語に「ヘッケルは古典語の知識を駆使し、この本の中でもDarwinismus、Ontogenie、Phylogenie、Ocologie(生態学)など無数の新語(ほとんどは他の人によっては使われずに終わった)を作りだしたほど、ことばとその概念にこだわる人であった。」と解説している。
 ヘッケル『一般形態学(有機体の一般形態学)』原典の第2巻はダーウイン、ゲーテ、ラマルクの3人に献ぜられているが、インターネットでも公開されているので、「一般形態学」の論考と比較しながら確認して欲しい。

  一方、1891年(明治22年)ドイツに留学した三好学は植物学を生理学、形態学、分類学、生態学の四つに分類し、PHanzenbiologieの訳として生態学という言葉を使っている。また彼は、「明治41年(1908)に『普通植物学上編』を書き、ここでダーウィンによって確立された生態学に言及し、“該体とその周囲との関係を明らかにするにあり,これを生態学(Ecology)という”といい、ここではっきりとecologyの訳として生態学を使っています。」という説明もある。したがってEcologyを「生態学」と翻訳して日本に紹介したのは三好学と言えよう。
 なお、生態系"(cosystem)という語は、1935年にイギリスの生態学者アーサー・タンズリーの論文に初めて現れる。

 19世紀後半の生物学は、ダーウインの『種の起源(1859)』とメンデルの『遺伝の法則(1865)』と後世に大きな影響を残す偉大な研究が生まれた。ヘッケルも進化論に影響されて「生態学」の言葉を残し、「個体発生は系統発生を繰り返す」という「反復説」を提唱した。残念なのはド・フリース、コレンス、チェルマックがそれぞれメンデルの法則の再発見し、「ドイツ植物学会報告」に掲載されたのは1900年のことであった。そして遺伝子の研究はその後も続き、「DNAが遺伝物質であることの実験的証明」は1944年のことである。
 したがって、ダーウインの進化論やヘッケルの反復説が遺伝子レベルで研究されるのはこれからだと思うが、世界観を変える(パラダイム転換する)ような大きな研究テーマを提示することは、実証的な研究を科学として細い路地に迷い込みがちな現代の生物学にも求められているのではなかろうか。
 ここでは興味ある資料をメモして、今後の私の勉強課題としておく。
 参考: ヘッケルと進化の夢(書評)
      ヘッケルのニセの胚はなぜ教科書から消えないか
      20世紀の悪の根源、ダーウィン=ヘッケル進化論
      エルンスト・ヘッケル博士とその業績(1)
      エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)
      精密で詳細な生物画を描きあげたドイツの生物学者「エルンスト・ヘッケル」
      書評:19世紀ドイツ進化論思想家ヘッケルを知る重厚な労作
      ダ-ウィンの思想的影響─「ダーウィン革命」の三段階─
      19世紀はダーウィンの時代―― 生物学的世界観の大革命 ――
      非凡な農民
      『融合』か『手法の導入』か?
      科学革命としての「インテリジェント・デザイン」理論
      人間原理の探求 インテリゼント・デザイン理論の現在
      科学革命の構造 トーマス・S・クーン
      科学革命が起こるとき クーンの「パラダイム論」
      パラダイムと科学革命
      デザインのパラダイムは何だろう
      デザイン・シンキングとは何か
      一から学ぶデザインシンキング 前編: デザインシンキングは思考法なのか


初稿 2017.4.24
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エコノミーとエコロジーについて考える(3.「経世済民」と「経済」)

2017-04-15 13:55:08 | 自然と人為

 「経済」という言葉は漢字なので、古代ギリシャに語源を求めると同時に、古代中国の歴史も調べる必要がある。中国で有名な孔子と荘子と古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスでは、孔子の死後10年にソクラテスが生まれるという若干の時代差はあるが、ほぼ同じ時代を生きた人たちと言えよう。(ここでは孔子、荘子を名前として扱う。)

   孔子 BC552‐BC479 中国の春秋時代の周(魯)資料1資料2資料3映画 孔子
   荘子 BC369 -BC286 中国の戦国時代の宋 資料1資料2資料3(動画)
   ソクラテス BC469頃 - BC399 資料1資料2資料3
   プラトン BC427 - BC347 資料1資料2
   アリストテレス BC384 - BC322 資料1資料2

   周(西周)(BC1134 - BC771) 資料1幽王 (周)
   春秋時代(東周 BC770 - BC403) 地図
   戦国時代(BC403 - BC221) <地図>,地図2
   秦 (BC778 - BC206) 秦朝(BC221 - BC206)地図
   古代ギリシャアルカイック期(BC800-BC480) 地図
   アレクサンドロスの大帝国(2) ヘレニズム
   ローマ帝国 (BC27 - 395東西分裂 - 1453)地図2

 「経世済民」とは、(「世の中を治め、国民の苦しみを救うこと」を、表す四字熟語です。またそうした政治を言うことが、そもそもの意味でした。略して【経済】です。
 【経世】は『荘子:斉物論』に出ています。
 【済民】は『書経:武成』に出ています。
 【経世済民】の略語としての【経済】は『抱朴子(ホウボクシ):東晋の葛洪(カッコウ)の著で道教の書』や『文中子:隋の王通(オウツウ)の著で論語にまねて作った書』に出ていますが、世を経(おさ)め、民を済(すく)うと、同じ意味で使われています。) 括弧内は「経世済民」より引用

 荘子荀子は春秋時代に活躍し、それぞれ「経世」と「経国」、すなわち世や国を治める言葉を残している。古代ギリシャの「オイコノミア」は「家政」のことで経済の語源とされているが、家(都市国家)を治める規範と考えれば、紀元前3~4世紀当時には西洋も東洋も経済と言うより、都市国家や世や国を治めることがまず最初に考えられたのではなかろうか。

 『書経』(尚書)は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書で、堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録(一部、春秋時代の諸侯、秦の穆公のものもあり)を整理した演説集(書経:武成より引用)で、周書32篇中5編目の武成の惟爾有神・尚克相予以濟兆民・無作神羞!( 惟(こ)れ爾(なんじ)有神、尚(ねが)はくは克(よ)く予(われ)を相(たす)けて、以て兆民を濟(すく)ひ神の羞(シュウ)を作(な)す無(なか)らんことを
 〈訳〉 有神よ、私に協力して万民を救い、神に恥かしくないようにしなければいけない。 括弧内は「経世済民」より引用 )の「以濟兆民」が「済民」の語源とされている。
                   参考:周書 旅獒[りょごう]- 秦誓(しんせい)

 中国の秦の始皇帝が全国統一するまでは、も同族で世襲制を中心にした村の連合体(邑制国家都市国家)であった。首長の人格、力量によって村の連合は大きくもなり、分裂もしただろう。領土の狭い古代ギリシャでは民主主義が成立し、広大な中国では儒教が生まれた。私はこれを集団をまとめる西洋と東洋の知恵だと思う。
                参考: 都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国)

 今日の「経済」は富を追及することを当然とする言葉になってしまったが、語源をさかのぼれば、「経世済民」と民を救う政治の言葉であった。「現実の政策は「経済学」でなく「経世済民の学」にこそ基づくべし」とか「経済って何だろうか」とか、「経済という言葉」を考える時代となってきた。今の時代も「国を守る」とは「民を守る」ことで、首長を取り巻く大企業を守ることではない。今、「経済」を再考する時代の節目にある様に私は思う。
 参考: 中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷 (2)

初稿 2017.4.15 
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エコノミーとエコロジーについて考える(2.「経済」の外来語について調べる)

2017-04-11 18:12:07 | 自然と人為

1.「オイコノミア」から「ポリティカル・エコノミー」,「エコノミクス」へ

 『19世紀末に、A.マーシャルらによって、科学的なるものという意味をこめて経済学がエコノミックス economicsとよばれるようになるまでは、英語圏においては経済学的な研究を総称してポリティカル・エコノミーつまり政治経済学とよんでいた。この呼称を最初につくったのは、17世紀フランスのA.モンクレティアンだといわれている。“ポリティカル”という形容は、研究の関心が国家をはじめとする公共団体の政策の問題にそそがれるということを含意している。』世界大百科事典 第2版の解説
 また、『エコノミイを「経済」と訳した福澤諭吉の慶応大学では、エコノミクスに「理財学」をあてて使い、東京大学では初期の「理財学」から一般社会に流通するようになっていた「経済学」へと科目名を変えた』という解説もある。「経済学という翻訳語について」

 古代ギリシャで生まれた「オイコノミア」から、17世紀にフランスでモンクレチアン「政治経済要論」(1615)が発表され、「ポリティカル・エコノミー」という言葉が造られたとされているが、言葉の意味は細分多様化する傾向もあるし、元々、古代ギリシャの「ポリス」は政治の意味を含んでいたので、ポリティカル・エコノミーが「オイコノミア」に含意されていたと考える方が自然であろう。古代ギリシャのポリスは「最高善」を追及する政治の場であり、「 民衆( デモス )が支配 ( クラティア ) 」するデモクラシーの発祥の地でもある。余談ながらポリスティックではなく、ホリスティック・エコノミーという分野も面白そうだ。 

 なお、古代ギリシャの「ポリス」からモンクレチアンの「国」の規範へと人間の住む「家」が大きくなったが、そのモンクレチアンに注目した岩根典夫「フランス貿易政策の思想史的研究」紹介論文は参考になる。この紹介論文によると「政治経済要論」経済編の1ページに『通商は本来万民の法、即ち国際法という性質を持つものであるから、同じ身分の者の間にあっては平等でなければならず、対等の者の間にあっては、均等の条件下に行われなければならない。即ち通商は両者相互間に自由なものであるから、他国からも何らの束縛、制限も無に行われるものでなければならない』とあり、アリストテレスの言う「ポリス」の規範が、「国」においても継承されていると言えよう。
 参考: 経済と経済学の語源について
      アリストテレスの経済哲学
      アリストテレス『ニコマコス倫理学』を解読する


2.古典派経済学から新古典派経済学(エコノミクス)へ

 我々の経済では利益の追求を当然としているが、古典派経済学のアダムスミスの『道徳感情論』『国富論』では、「見えざる手」が経済を動かすとした。「見えざる手」には古代ギリシャから受け継いだ「人間の道徳」による同感が原点にあると思う。アダム・スミスにとっては人間から切り離せない経済であった。
 一方、科学的なるものという意味をこめて経済学にエコノミクス(economis)という言葉を使用したA.マーシャルは、新古典派経済学を代表する経済学者であるが、後の新古典派の主流からは一線を画している。マーシャル以後、新古典派は現実からの乖離という代償を払って、数学的に定式化される厳密な論理を追求する方向に進んでいく。マーシャル自身は数学化を押し進めなかった。そして経済学を志す者は『冷静な頭脳と温かい心 cool head but warm heart』が必要であるとし、「政治経済学または経済学は日常生活の実務における人間の研究であり、人間の個人的、社会的行為うちで、福祉 (wellbeing)の物的条件の獲得と利用にもっとも密接に結びついた部分を考察の対象とする。それゆえ、経済学は一面においては富の研究であると同時に、他面においては人間研究というより重要な側面を持っている。」とした。 (『経済学原理』p.1)
 参考: 『道徳感情論』と同感
      アダム・スミス
      新古典派経済学
      アルフレッド・マーシャル 経済学原理の部屋
      ケンブリッジ学派の経済学


3.そして「欲望の資本主義」へ

 人間の心を切り捨てた科学は「大量破壊兵器」と「原爆」を生み、人間の心を切り捨てた経済は「欲望の資本主義」を生んでいる。今でもなお我々、人間は「ポリス」的動物であり、自然の一員であることの原点を忘れてはいけない。我々は自由であってもその原点を忘れない限り、話し合いができ、永遠に共存することがでよう。
 参考: 「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時」(前編)
      「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時」(後編)


初稿 2017.4.11
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エコノミーとエコロジーについて考える(1.古代ギリシャの共同体と学問)

2017-03-31 17:40:55 | 自然と人為

 1.言葉の意味と語源

 私はこれまで経済学もギリシャ哲学も関心を抱いたことはなかったが、人間を知るにはこれらを勉強することが大切ではないかと、古希を過ぎて思い始めた。正確に言えば「瑞穂の国の歴史に、牛の放牧による里山管理の文化創造を加える」ことについて提案してからである。
 農業を大切にした戦後、高度成長期までは農家は牛を家族の一員として大切に飼育したが、今では利益を求めて牛を飼う。戦後50年にして「経済」で求めていたもの、大切にするものが変わったように思う。

 そもそも「経済」とは一体何者だ。ここでは参考文献として、Webで皆さんに確認してもらえるものを提示しながら考えた。言葉の語源をWebで探し、自分なりに得られた関連する様々な情報を編集し、理解して発表することは、緊張感をもって自らの生きる姿を見つめ直すことでもある。これまでは仕事を通じて考えてきたことを発表してきたが、そのことの意味の根拠をこれからは探してみたい。

2.エコノミーとエコロジーの共通語源「エコ」

 エコノミー(経済)とエコロジー(生態)は同じ「エコ」を頭に持つが、このエコは「オイコス(すみか,家)」の意味を持つそうだ。それなのになぜ、現代においては対立的な立場で使われることが多いのだろう。
 また、エコノミーを意識して2000年以上も遅れて造語されたエコロジーが、今ではエコと略して呼ばれるのも、言葉は時代とともに意味を変える興味深い現象とも言えよう。
 参考: エコの語源
      エコノミーとエコロジーの語源


3.古代ギリシャ共同体(オイコス)の維持・発展と学問の誕生

 古代ギリシャのエーゲ文明地図)はBC2000年頃に始まる。日本の三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡とされているのでほぼ同時期であり、中国最古の夏王朝殷王朝の時期とも重なる。
 オイコスが共同体として有名なアテネスパルタポリスと呼ばれるようになったのは、古代ギリシャ暗黒時代後のアルカイック期(BC800-BC480)であり、タレス(BC625年頃-547年頃)ソクラテス(BC470/469―399)プラトン(BC427-BC347)アリストテレス(BC384-BC322)等の学問は共同体の維持・発展の過程で誕生した
 さらに時代は古代ギリシャ北方の古代マケドニアから勢力を拡大したアレクサンドロス大王(前356~前323年)(2)ヘレニズム時代(B.C.334~B.C.30)へと続くが、アリストテレスはアレクサンドロスを若い頃教えたことがあり、アレクサンドロス大王の死の翌年に没した。

4.オイコス + ノモス = オイコノミア

 「オイコス」について調べて、共同体は「ポリス」に至ることを知った。興味深くて深追いするとテーマから逸脱してしまいそうなので、「オイコノミア」の「ノモス」の意味について調べることとする。
 ノモス【nomos】については次の説明がある。「(法律〉〈礼法〉〈習慣〉〈伝統文化〉を意味するギリシア語で、元来ネメインnemein(〈分配する〉の意)という動詞から派生し、〈定められた分け前〉という原義をもつ。そこからモイラ(運命)と同じように、神々または父祖伝来の伝統によって必然的に定められた行動規範という意味を担うようになった。さらにそこから転じて、前5世紀後半には意味のない因襲、自由を束縛する強制力と受け取られるようになり、ソフィストたちはノモスからの解放を主張した。」 さらに次の説明もある。「古代ギリシャで、法律・習慣・制度など人為的なものをいう語。ソフィストが、ピュシス(自然)に対するものとして取り上げ、これによって人間の認識や生活の相対性を指摘した。」また、「ノモスは規範と訳されますが、これは、カオスから脱するルールを創る事で、コスモスから落ちこぼれたものを管理するという意味があります。つまり、これが、人間存在なのです。」という興味深い説明もある。

5.オイコノミアとは

 P. L. バーガー (「カオス/ノモス/コスモス」)や ハイエクの「ノモス」と「テシス」のように、言葉は後の時代に説明されることが多いので、共同体が「ポリス」と言われていた時代に「オイコノミア」という言葉はどう使われていたのか調べてみた。
 ソクラテスの弟子であるクセノフォン(BC.430-354ごろ)の著書『オイコノミコス』(オイコノミアの形容詞)の越前谷 悦子訳「オイコノミコス―家政について」が出版されているが、その解説がWebにあり、アリストテレスの『政治学』第1巻も訳していただいている。
 
 経済学者ではない私が経済の語源を説明することは難しいので、これらを参考に皆さんに「オイコノミア」とは何かを考えていただきたいが、私なりにオイコノミア=家政を「善を求める共同体の(経済的)規範」と一応は理解している。荒谷氏の経済をあらためて考える~過去・現在・未来~や柳沢ゼミナールの古代ギリシャの経済思想は分かり易くまとめられている。

 今回はエコノミーの語源を古代ギリシャまでWeb資料で調べるのが精一杯であったが、京都弁証法認識論研究会のブログ「古代ギリシアにおける学問の誕生を問う」を紹介して次回に続きたい。
(1)古代ギリシアは学問の発祥の地である
(2)なぜ古代ギリシアにおいて学問が誕生したのか
(3)エーゲ文明はオリエント文化を継承しつつも独自の文化として形成された
(4)ミケーネ文明はエーゲ文明を継承しつつも独自の文化として発展した
(5)暗黒時代を通してポリスの土台が形成された
(6)植民活動によりギリシア勢力圏が拡大した
(7)労働から解放される階級が誕生した
(8)普遍性を求める認識が形成された
(9)一般民衆が社会的な地位を向上させた
(10)討論による対象の究明が行われるようになった
(11)究明の対象が自然から社会へと移り変わっていった
(12)学問はあくまでも共同体の維持・発展の過程で誕生した
(13)現代日本こそ本物の学問が求められている


初稿 2017.3.31




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エコロジー的なものの見方が農業と地域を救う

2017-03-21 10:16:58 | 自然と人為

 本拙文は季刊 無教会 第21号(2010年5月20日)に掲載されたものを、「です・ます」調をこのブログの「だ・である」調に統一し、農業のグランドデザインを意識して加筆修正した。
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 アマゾン先住民のメイナク族には「自然」という言葉も「幸福」という言葉もない。自然と一つになって生きるだけではなく、みんなが一つになって生きているので、世界を「自然」と「人工」、「幸福」と「不幸」に切り裂く必要もない。国が違い時代が変わろうとも、私たちが自然とつながり人とつながって生きていることは永遠に変わらず、農業は自然と人、人と人をつなぐ大切な仕事であり続ける。しかし、農業のあり方や活力は農業に対する見方や、その時代の国をリードしている政治や経済の力によって大きく影響される。政治を動かしている人々の考え方によって自然と人、人と人をどうつなぐかは変わるし、経済を動かしている貨幣に実体はなく貨幣を使う人の心が実体をつくりだす。分業化が進んだ社会では貨幣が社会の隅々まで循環し続けることにより希望と安心を与るが、一部に留まると貧富と政治力の差が生まれ、その富と力によってさらに貨幣の循環が偏在してしまう。また、科学が人類の希望を実現して幸福をもたらすという神話が自然と人、人と人の 関係を切り裂いてもいる。科学技術による近代化は部分を満足させるが全体に矛盾と対立を生むからだ。私たちは自然や人との多様なつながりのなかで、多様に生き、生かされているというエコロジー的なものの見方で、この世界を今一度見つめ直す必要があろう。

1.農業は自然と対話する仕事

 人間の都合で家畜を自由自在に管理することが研究者の仕事だと思い込み、いかにアメリカに支配されない畜産技術を開発するかを考えていた私にとって、北海道旭川市の斎藤晶さんの美しい牧場で、牛の放牧とは牛の生きる力を引き出して資源を循環的に活用することだと気づかされたことは、ものの見方のコペルニクス的転換だった。
 斎藤さんは「開拓とは条件が悪くて 開墾されていない土地を血のにじむような努力で作物が育つ農地にすること」だと思い込み、苦労に苦労を重ねたが農業で食べていけるようにはならなかった。それでも自分にはここしか生きる場所はない、どうしたらここで生きられるかと追い詰められていたある日、同じ山で野鳥や昆虫がのびのび生きていることに気づいたと言う。「環境が厳しいのではない、自然を自分の考えで征服しようとした農業や開拓に対する自分の固定観念が環境を厳しいと思わせていた」と気づいて、自分も自然と対話しながら野鳥や昆虫のようにこの山で生きてみようと、牛の放牧を始めた。そうすると、なにもないと思っていた石ころだらけの山が美しい宝の山に変わった。牛は草さえあれば自分で生き、草は光さえあれば増えていく。守るべき木は残し、早春に放牧して若草を選り好みしないで食べさせ、牛が食べないで増える草は刈ってやることで芝草の美しい草地になった。
 これまでの農林業に牛の放牧を組み合わせて自然と対話する場が広がれば、斎藤さんや私のように農業に対する社会の見方も変わっていくのではなかろうか。

2.農政にもコペルニクス的転換を

 1954年に日本は朝鮮戦争特需の継続として経済援助を得たいため、アメリカからMSA援助を受 ける協定(2)を結ぶ。MSA援助は余剰農産物の輸出振興と軍事援助を一体に進めたアメリカの世界戦略で、その後日本の農政は食糧自給から農家戸数を減少させる選択的規模拡大へと大きく転換し、新しく生まれた畜産は大規模経営による輸入飼料に依存した加工型経営への道を邁進することになる。

 「農業界の憲法」と言われた農業基本法(1961年)は、わが国の「農業の向かうべき新たな道を明らかに示す」とし、農業生産の選択的拡大、農業経営の近代化など「農業構造の改善」を図るとした。新しく施行された食料・農業・農村基本法(1999年)は、この「農業構造改善」を「経営構造対策」としているが、地域が経営体で守れると思っているとしたら疑問だし、牛の放牧を取り入れた地域共同体の維持と活性化の考えもない。農業の根源は地域の資源を多様に組み合わせて生きることにあり、どのような農業をめざすかは農家の自由であり生き方でもある。また、農業は生活と一体であり農家間の協力が地域をつないできたので、農家の生きる場所である里山の管理が第一に必要である。農業の生産性改善に力点を置いて、経営体を育成することだけでは地域の共同体を強固にし、農業を強くすることにはならないと思う・・・。

 我々の祖先には、山で平和に1万3千年も暮らした縄文人と、大陸から稲作を持ち込み、国までつくった弥生人がいる。国を造ってからは争いが絶えないが、農業で国際競争力を争うのは商業人や工業人の考えること。私は争いをしないで長く平和を守った縄文人の生きかたと知恵を尊敬している。

 憲法は国民の進むべき道を示すものではない。「憲法に示された基本的人権や生存権や平和を守る」ために、 「国民が国の権力の行使を拘束・制限するためにある」という基本認識から農政も見直す必要があろう。

3.牛の放牧と自給のための農業で地域の自立をめざす

 この部分は牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶと内容が重なるので、一部を削除し、大幅修正した。
 
 牛を放牧するには2頭まで/1haと広大な土地が必要であり、経営体で土地を所有することは考えられない。一方、広大な里山や奥山は放置され荒れている。日本で放牧により山を管理するには経営体だけではなく、行政や地域住民の協力が必要である。どのような協力関係が出来て、牛の放牧管理が可能かを具体的に考えていく必要があるが、少なくとも経営体と行政と地域住民をつなぐNPOのような組織が必要と考えている。

 里山放牧で獣害対策と公園化が実現すれば、米、野菜、果樹の栽培を維持することが容易になり、小規模の農家が交代しながら、それぞれが自家用に作った生産物の一部を公園で直売することも可能になろう。農家には米ぬか、稲わら、野菜くず、芋蔓等牛の飼料となる資源も多い。また、公園は憩いや遊び、交流や教育の場となる。これらの事業を地域の人々が主体的に取り組むことで地域の自立を促すことにもなる。里山放牧は牧柵設置と放牧牛の導入の初期投資をすれば、牛が里山を管理しながら子牛を生み、牛の導入経費は子牛や放牧牛肉の販売で回収できるので、少ない経費で持続可能な運営ができる。今では酪農や肉牛生産のように規模の大きい専業経営が畜産の常識となってしまい、牛が必要な所に牛と牛を飼う人がいなくなってしまった。しかし、牛の放牧は牛が生きていくのを手助けすれば良いので、それほど専門知識はいらない。むしろ専門意識が固定観念にならないように教育には注意が必要だ。ただし、牛が脱柵しないように牛と人との関係を築いていくことは大切だ。

 地域の人々が地域の連帯を強め、地域の生活を豊かにすることは、経営体だけや行政だけではできない。経営体や行政も参加して、生産から消費までをつないで牛や農業資材や生産物を回して持続的なシステムをつくり、それを動かすNPOのような組織が必要だ。
 「希望」という青い鳥は遠い「坂の上の雲」にいるのではなく皆の集落にる。地方の時代とか地方分権とは、単に政治や行政を国から地方に委譲することではなく、地域の人々が自立して自分たちで暮らしたい町をつくっていくことだ。そのことを行政も理解し、NPOが協力して希望を形にして欲しい。希望はあきらめない限り希望であり続けるので、 我々の世代で実現できなくても次の世代に引き継いで地域を宝の山にするために、 水田稲作の歴史に放牧による里山管理の考え方を加えて、地域の方々が一緒になって新しい町づくりが動き始めることを祈っている。

初稿 2010.5.20 更新 2017.3.21
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