自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

あなたが幸福であれば、私も幸福になれます。

 自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。
 私たちはいつ死ぬか分からないけど、いつか必ず死して自然に帰る。いろいろ考え方はあるけれど、私は「それぞれの問題が自然との関係、他者との関係において人類に幸福をもたらすのか」考え続けたい。

エコロジー的なものの見方が農業と地域を救う

2017-03-21 10:16:58 | 自然と人為

 本拙文は季刊 無教会 第21号(2010年5月20日)に掲載されたものを、「です・ます」調をこのブログの「だ・である」調に統一し、農業のグランドデザインを意識して加筆修正した。
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 アマゾン先住民のメイナク族には「自然」という言葉も「幸福」という言葉もない。自然と一つになって生きるだけではなく、みんなが一つになって生きているので、世界を「自然」と「人工」、「幸福」と「不幸」に切り裂く必要もない。国が違い時代が変わろうとも、私たちが自然とつながり人とつながって生きていることは永遠に変わらず、農業は自然と人、人と人をつなぐ大切な仕事であり続ける。しかし、農業のあり方や活力は農業に対する見方や、その時代の国をリードしている政治や経済の力によって大きく影響される。政治を動かしている人々の考え方によって自然と人、人と人をどうつなぐかは変わるし、経済を動かしている貨幣に実体はなく貨幣を使う人の心が実体をつくりだす。分業化が進んだ社会では貨幣が社会の隅々まで循環し続けることにより希望と安心を与るが、一部に留まると貧富と政治力の差が生まれ、その富と力によってさらに貨幣の循環が偏在してしまう。また、科学が人類の希望を実現して幸福をもたらすという神話が自然と人、人と人の 関係を切り裂いてもいる。科学技術による近代化は部分を満足させるが全体に矛盾と対立を生むからだ。私たちは自然や人との多様なつながりのなかで、多様に生き、生かされているというエコロジー的なものの見方で、この世界を今一度見つめ直す必要があろう。

1.農業は自然と対話する仕事

 人間の都合で家畜を自由自在に管理することが研究者の仕事だと思い込み、いかにアメリカに支配されない畜産技術を開発するかを考えていた私にとって、北海道旭川市の斎藤晶さんの美しい牧場で、牛の放牧とは牛の生きる力を引き出して資源を循環的に活用することだと気づかされたことは、ものの見方のコペルニクス的転換だった。
 斎藤さんは「開拓とは条件が悪くて 開墾されていない土地を血のにじむような努力で作物が育つ農地にすること」だと思い込み、苦労に苦労を重ねたが農業で食べていけるようにはならなかった。それでも自分にはここしか生きる場所はない、どうしたらここで生きられるかと追い詰められていたある日、同じ山で野鳥や昆虫がのびのび生きていることに気づいたと言う。「環境が厳しいのではない、自然を自分の考えで征服しようとした農業や開拓に対する自分の固定観念が環境を厳しいと思わせていた」と気づいて、自分も自然と対話しながら野鳥や昆虫のようにこの山で生きてみようと、牛の放牧を始めた。そうすると、なにもないと思っていた石ころだらけの山が美しい宝の山に変わった。牛は草さえあれば自分で生き、草は光さえあれば増えていく。守るべき木は残し、早春に放牧して若草を選り好みしないで食べさせ、牛が食べないで増える草は刈ってやることで芝草の美しい草地になった。
 これまでの農林業に牛の放牧を組み合わせて自然と対話する場が広がれば、斎藤さんや私のように農業に対する社会の見方も変わっていくのではなかろうか。

2.農政にもコペルニクス的転換を

 1954年に日本は朝鮮戦争特需の継続として経済援助を得たいため、アメリカからMSA援助を受 ける協定(2)を結ぶ。MSA援助は余剰農産物の輸出振興と軍事援助を一体に進めたアメリカの世界戦略で、その後日本の農政は食糧自給から農家戸数を減少させる選択的規模拡大へと大きく転換し、新しく生まれた畜産は大規模経営による輸入飼料に依存した加工型経営への道を邁進することになる。

 「農業界の憲法」と言われた農業基本法(1961年)は、わが国の「農業の向かうべき新たな道を明らかに示す」とし、農業生産の選択的拡大、農業経営の近代化など「農業構造の改善」を図るとした。新しく施行された食料・農業・農村基本法(1999年)は、この「農業構造改善」を「経営構造対策」としているが、地域が経営体で守れると思っているとしたら疑問だし、牛の放牧を取り入れた地域共同体の維持と活性化の考えもない。農業の根源は地域の資源を多様に組み合わせて生きることにあり、どのような農業をめざすかは農家の自由であり生き方でもある。また、農業は生活と一体であり農家間の協力が地域をつないできたので、農家の生きる場所である里山の管理が第一に必要である。農業の生産性改善に力点を置いて、経営体を育成することだけでは地域の共同体を強固にし、農業を強くすることにはならないと思う・・・。

 我々の祖先には、山で平和に1万3千年も暮らした縄文人と、大陸から稲作を持ち込み、国までつくった弥生人がいる。国を造ってからは争いが絶えないが、農業で国際競争力を争うのは商業人や工業人の考えること。私は争いをしないで長く平和を守った縄文人の生きかたと知恵を尊敬している。

 憲法は国民の進むべき道を示すものではない。「憲法に示された基本的人権や生存権や平和を守る」ために、 「国民が国の権力の行使を拘束・制限するためにある」という基本認識から農政も見直す必要があろう。

3.牛の放牧と自給のための農業で地域の自立をめざす

 この部分は牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶと内容が重なるので、一部を削除し、大幅修正した。
 
 牛を放牧するには2頭まで/1haと広大な土地が必要であり、経営体で土地を所有することは考えられない。一方、広大な里山や奥山は放置され荒れている。日本で放牧により山を管理するには経営体だけではなく、行政や地域住民の協力が必要である。どのような協力関係が出来て、牛の放牧管理が可能かを具体的に考えていく必要があるが、少なくとも経営体と行政と地域住民をつなぐNPOのような組織が必要と考えている。

 里山放牧で獣害対策と公園化が実現すれば、米、野菜、果樹の栽培を維持することが容易になり、小規模の農家が交代しながら、それぞれが自家用に作った生産物の一部を公園で直売することも可能になろう。農家には米ぬか、稲わら、野菜くず、芋蔓等牛の飼料となる資源も多い。また、公園は憩いや遊び、交流や教育の場となる。これらの事業を地域の人々が主体的に取り組むことで地域の自立を促すことにもなる。里山放牧は牧柵設置と放牧牛の導入の初期投資をすれば、牛が里山を管理しながら子牛を生み、牛の導入経費は子牛や放牧牛肉の販売で回収できるので、少ない経費で持続可能な運営ができる。今では酪農や肉牛生産のように規模の大きい専業経営が畜産の常識となってしまい、牛が必要な所に牛と牛を飼う人がいなくなってしまった。しかし、牛の放牧は牛が生きていくのを手助けすれば良いので、それほど専門知識はいらない。むしろ専門意識が固定観念にならないように教育には注意が必要だ。ただし、牛が脱柵しないように牛と人との関係を築いていくことは大切だ。

 地域の人々が地域の連帯を強め、地域の生活を豊かにすることは、経営体だけや行政だけではできない。経営体や行政も参加して、生産から消費までをつないで牛や農業資材や生産物を回して持続的なシステムをつくり、それを動かすNPOのような組織が必要だ。
 「希望」という青い鳥は遠い「坂の上の雲」にいるのではなく皆の集落にる。地方の時代とか地方分権とは、単に政治や行政を国から地方に委譲することではなく、地域の人々が自立して自分たちで暮らしたい町をつくっていくことだ。そのことを行政も理解し、NPOが協力して希望を形にして欲しい。希望はあきらめない限り希望であり続けるので、 我々の世代で実現できなくても次の世代に引き継いで地域を宝の山にするために、 水田稲作の歴史に放牧による里山管理の考え方を加えて、地域の方々が一緒になって新しい町づくりが動き始めることを祈っている。

初稿 2010.5.20 更新 2017.3.21
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畜産のハイブリッドデザイン

2017-03-12 20:25:01 | 自然と人為

 ハイブリッドデザインとはハイブリッドを利用した設計科学のことで、システム科学とともに畜産システム研究会の活動の柱になる考え方である。しかも新しさを求めるものではなく、瑞穂の国の常識を変革するこれからの考え方、畜産による資源の活用と日本の文化でもある里山を維持管理する日本の心豊かなグランドデザインともなろう。これまでも「システムからデザインへ」を提案し、「ハイブリッドデザイン」を技術的に解説したが、そのウエブページは文字化けしてスマホやiPadでは読めないので、このブログ「畜産のハイブリッドデザイン」にグランドデザインを意識して新しい内容を追加して更新しておく。

ハイブリッドとは
 ハイブリッド車の普及により知られるようになったハイブリッド(hybrid)とは、もともと雌豚と雄猪の子、またはローマ人の男と非ローマ人の女の間に生まれた子のように雑種とか混血という意味のラテン語(hybrida)に由来し、メンデルがエンドウの実験で使用して以来、遺伝学の分野で交雑の結果生まれる「子孫」という意味で使われてきた。
 メンデルは論文雑種植物の研究(Versuche uber Pflanzen-Hybriden,1866:発表;1865年.)」の序言で、ゲルトナーの「植物の雑種(Die Bastarderzeugung im Pflanzenreiche)」やヴィシュラの「柳の雑種(die Bastarde der Weiden)」を紹介しているが、彼自身の研究では軽蔑の意味を含むBastardではなくHybridを雑種の用語として使用している。メンデルが雑種をBastardではなくHybridと表現した理由には、これまでの雑種の観察ではない画期的な新しい研究だというメンデルの自負心が秘められているのではなかろうか。
 参考: メンデルの仕事と生涯 第6章 遺伝法則の再発見とメンデルを巡る論争
      科学の歩みところどころ 第14回 遺伝子発見への道「ノーダン・メンデルの法則
      生命科学の明日はどっちだ!?  第3回 メンデルは跳んでいる


ヘテロシスとは
 一般に近親交配をすると繁殖能力や強健性等が低下(近交退化)するが、雑種では活力が向上する。これを雑種強勢(hybrid vigor)またはヘテロシス(heterosis)と言う。ヘテロシスは、トウモロコシの雑種強勢を研究していたG.H.Shullがheterozygosisをシンプルにした造語(1911年)である。雑種強勢(ヘテロシス)は、何故あらわれるのか。一般には近親交配により、ある形質にとって有害な劣性遺伝子がホモになり形質の低下があらわれるが、雑種ではホモがヘテロになることで有害な劣性遺伝子の発現が抑えられるとされているが、未だに遺伝子の分子生物的な研究では完全には解明されていない。
 しかも遺伝学だけでなく、牛と人と地域と自然の要素を組み合わせたハイブリッドにおけるヘテロシスの研究はこれからである。
 参考: 作物の一代雑種 -ヘテロシスの科学とその周辺-
      植物の雑種強勢の分子生物学的な研究と展望 - 化学と生物
      雑種形成(ヘテロシス)の分子機構の一つが解明
      マウス雑種強勢QTL(量的形質遺伝子座)の遺伝解析


交雑育種
 外山亀太郎はカイコの遺伝に関する実験的研究を始め、明治39年(1906年)にはカイコの雑種強勢を報告している。また、雑種強勢を利用したカイコの生産を提唱し、ハイブリッド品種を世界で初めて実用化し、昭和のはじめ(1920年代後半)には全国に普及している。
 トウモロコシのハイブリッド品種は、1930年代(昭和5年~15年)にアメリカで開発された。鶏のハイブリッドは1950年代にアメリカで開発され、昭和36年(1961年)に施行された農業基本法による選択的規模拡大と農産物輸入の促進策により、1962年には鶏および鶏肉の輸入が自由化され、アメリカからハイブリッド鶏が怒涛のように日本に押し寄せ、国産鶏の改良と生産は壊滅状態になった。交雑育種は生物の改良だけでなく、資源の管理方法とも関係し、社会と経済界にも大きな影響を与えている。
 参考: 羊の交雑育種の実際
      家畜遺伝学における最新情報
      選抜と交配


フィールドの研究が科学の基礎を築く
 メンデルは植物栽培の豊富な経験から、両親から子への形質の伝わり方に一定の法則があることに気づき、この法則を明らかにするために計画的に交配実験をして優劣の法則、分離の法則、独立の法則を明らかにし、遺伝学の扉を開いた。メンデルの報告は現象に潜む遺伝の法則を数理的に解明したが、当時の博物学的な現象の説明方法に馴染まず理解されなかった。没後16年(発表後35年)経過した1900年に、コレンス、ド・フリース、チェルマクの3人によって独立にメンデルの遺伝の研究が再発見され、コレンスがこれを「メンデルの法則」と命名した。メンデルの法則は、フィールドにおける豊富な植物栽培の経験から発想し、フィールドの実験によって明らかにしたフィールド科学の成果であり、フィールド科学がその後の科学的方法の基礎を築いたことを記憶に留めておきたいものである。
 現在でも様々な環境と育種と飼養条件で発現する牛の形質と遺伝子解析をストックしてゲノム解析に利用すれば、畜産学の新しい分野の基礎を築けるであろう。     

F1とハイブリッドは同じである
 雑種のことをメンデルはハイブリッドと言い、雑種の一代目の個体群をハイブリッドの第一代目(Die erste Generation der Hybriden)と呼んだ。これを英語に訳すと The First Generation From the Hybrids となる。1900年のメンデルの法則の再発見後、英国の遺伝学者ウィリアム・ベイトソン( グレゴリー・ベイトソンの父 )は、メンデルの論文を英訳(1902年)して英語圏に積極的に紹介し、遺伝学 (genetics)、対立遺伝子 (allelomorph)、ホモ接合体 (homozygote)、ヘテロ接合体 (heterozygote)などの術語を導入する等、近代遺伝学の成立に大きく貢献した。

 近代遺伝学ではハイブリッドに関する表記についても、親の世代(P世代,parental generation)および子の世代(F世代,filial generation)の術語が導入され、雑種第一代を子の1代目(F1, the first filial generation)、雑種2代目、雑種3代目をF2、F3と呼ぶように用語の整理がなされた。メンデルのハイブリッドは現在ではF1(エフワン)、F1同士の交配で生まれたものはF2(エフツー)と呼んでいる。日本ではF1の子をF1クロスと呼んでいる。交雑により生まれた子孫の名称をF1やF2と定義したために、日本人にはhybridとfilial generationの区別ができず混乱している。しかもハイブリッドから車を連想する人が多いように、F1(エフワン)からはカーレースのFormula One(フォーミュラ・ワン)を連想する人が多い。農業と自動車産業の圧倒的な情報量の差は仕方がないとしても、メンデルのハイブリッドを英語圏に紹介する際に術語の使用法が整理されてF1、F2、F3と呼ぶようになったことが原因しているのか、日本では人工授精が普及しているので使用される種雄牛は鶏の系統に相当するが、畜産分野においても牛のF1とハイブリッドが同じであると思わない人が多い。

鶏はハイブリッドで牛は交雑種(F1)?
 鶏は選抜して残された育種集団の系統間の交雑で能力が揃い雑種強勢が期待できるコマーシャル鶏をハイブリッド鶏とし、牛は個体選抜なので牛のハイブリッドは不可能とされ、牛の品種間交雑には交雑種(F1)という言葉が使用されてきた。
 ハイブリッドとは市場に出回る生産物(卵や牛肉)を品種や系統間交雑で生産するコマーシャル集団を呼ぶ。国産鶏はハイブリッド鶏の輸入で壊滅状態になったが、その「青い眼の鶏」に立ち向った国産鶏(2)がいる。コマーシャル鶏を生産する種鶏、原種鶏群がいなければ国産卵の首根っこを握られているのも同然だ。牛はコマーシャルと種畜の分離が曖昧で、生産物の品質ばかりに関心が集まるが、世界では地域資源の管理こそ牛の重要な役割である。

 私の牛の交雑の研究は、単なる牛のF1の研究ではない。F1の研究を始めた1975年から、酪農の副産物であるF1を肥育利用するだけでなくF1雌牛を繁殖利用してF1クロスの肥育を考えていた。肥育だけ考えれば早期繁殖させて1産取り肥育が効率が良いが、F1を放牧繁殖して里山を管理させれば日本の資源を利用しつつ住環境の里山管理ができる。牛を飼うことは利益を上げることではなく資源を管理することが世界の常識だが、稲作の国日本では稲作を中心に考えるので、機械化で牛が稲作に必要なくなったとき里山を牛の資源として利用しつつ管理させる発想がなかった。
 乳牛と和牛の交雑の研究成果を出版する際にも、「牛のハイブリッド」をタイトルに入れることを提案したが、まだ民間にはその実績がなく諦めたことがある。しかしこれからはF1の肥育やF1雌牛の放牧繁殖といった牛の研究だけでなく、牛と人と地域と自然の関係の研究、これらの要素をハイブりドに組み合わせて、日本の地方の活力と心豊かな生活を持続させるグランドデザインを必要とする時代が来ると思う。

そして畜産のハイブリッドデザインへ
 デジタル技術では点をつなぐことで文字や映像を表現するが、設計(デザイン)は要素と要素をつなぐことで構想をビジュアル化する。しかも「畜産のハイブリッドデザイン」は、乳牛と肉牛、酪農と肉牛産業、地域と自然と資源を要素として、「牛の放牧によるイノベーションとソーシャルビジネスの提案」で示したように、持続的で心豊かな「地方創生」を目指している。

 高度経済成長が始まった1961年に制定された農業基本法は「農業の自然的経済的社会的制約による不利を補正し、他産業との生産性の格差が是正されるように」、選択的規模拡大を政策の柱とした。自然の恵みを利用するのではなく、自然的制約の不利を補正するという考え方は高度経済成長とパラレルに農業を考えていたことが伺える。これに対して1999年に改定された食料・農業・農村基本法は、「食料の安定供給の確保」と「多面的機能の十分な発揮」、その基盤となる「農業の持続的な発展」と「農村の振興」の4つの基本理念が掲げられた。2001年に改正された森林・林業基本法も、森林の有する多面的機能の発揮、林業の持続的かつ健全な発展を目的に加えている。(参考:「林業基本法」と「森林・林業基本法」

 農林業の多面的機能には稲作に加えて草資源を牛等に利用させて里山や林業を維持管理する方法が重要だが、瑞穂の国ではそのことの重要性に気づいていないのだろうか。
 安倍政権は地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服するために「地方創生」を目玉政策として首相直轄の総理府に「まち・ひと・しごと創生本部」を開設した。地方創生関連交付金として地方創生加速化交付金が予算化されているが、「しごと創生」にはITの活用や、 農林水産品の輸出拡大、観光振興(DMO)、対日投資促進等が示されている。この「地方創生」と食料・農業・農村基本法に基づく農林行政とはどのような関係があるのだろうか。農林業と「地方創生」の関係があまりに総花的で、鐘や太鼓や笛を鳴らして宣伝しても、地方の人々が安心して豊かに暮らすグランドデザインが見えてこない。
 これまでこのブログで、「牛が拓いた斉藤晶牧場」、世界で一番小さい「大谷山里山牧場」「牛が笑っている牧場」富士山岡村牧場民の公的牧場をめざしている混牧林経営の「ふるさと牧場」、その他全国の事例(2)等を例に「畜産が示す日本のグランドデザイン」として、大学や試験研究機関の連携と総合的研究が発展することを夢見ている。
 参考: 森林・林業基本法―森林と人との新しい関係は生まれるか。
      重点テーマ 地方創生の動き:農林水産省
      農林水産省が取り組む地方創生 農山漁村の天然資源に可能性


参考文献
F1生産の理論と実践
科学の歩みところどころ. 第14回 遺伝子発見への道(鈴木善次)
遺伝学電子博物館(国立遺伝学研究所)
細胞の生物学:遺伝の法則
雑種植物の研究,メンデル(岩波文庫) 
メンデルの「雑種植物の研究」
世界初ハイブリッド品種の育成-蚕の外山亀太郎博士
作物の一代雑種 -ヘテロシスの科学とその周辺-,山田実,養賢堂
植物の世界「ハイブリッド品種」 GLNからこんにちは 38. ハイブリッド品種

初稿 2008.7.26 更新 2017.3.12
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自然と生きるシステムの共創~ハイブリッドデザイン

2017-03-08 21:05:13 | 自然と人為

 「自然と生きる」、「自然の暮らし」、「自然と人間の調和」等、自然と人との関係は様々な関心を呼んできた。我々は自然との関係なくしては生きられない。縄文人アマゾン先住民アーミッシュの暮らしに戻らなくても、日本の地方は自然に恵まれているので、農業や畜産を独立した経営として考えるこれまでの常識ではなく、地域の豊かな生活を協力して創る「システム共創」の資源と考えたら如何であろうか。

 前回のテーマ『システムに支配されるのではなく、システムを共創する』の考え方は、すでに下記のように「組織に固くつなぐのではなく、創発的につながる(組織成長から人間成長へ)」の副題をつけて図示して提案していた。


 乳牛と肉牛を単独に考えるよりも両者を交配して良いものを活用する牛のハイブリッドの研究をしてきたが、それは酪農と肉牛産業の混合のように業界のハイブリッド化を提案するものでもあり、牛を放牧することで牛と自然がつながりハイブリッド化の役割はさらに大きくなる。
 このように牛のハイブリッド研究は牛と組織や社会や自然との関係、自然と人の行為のあり方(デザイン)、「自然とデザイン」を考えるところまで拡大する。

 多様な要素をつなぐとシステムが出来るが、そのつなぎ方をデザインとして提案する(システムからデザインへ)。それは理論的にはハーバート・サイモン「システムの科学」から学ぶことが出来るが、最初は人と自然の関係で、今のシステムより良いシステムを次の世代に引き継ぐというホリスティック管理(HM)の現場から学んだものであった。

 私が乳牛と肉牛の交雑の研究を始めたころは、外国からハイブリッド鶏が輸入され個体選抜で改良してきた国産鶏は壊滅状態であった。牛も個体選抜なのでハイブリッドとは呼ばず、交雑牛と呼ばれてきた。メンデルは植物の雑種の研究で雑種をハイブリッドと表現していたが、ハイブリッドという名称は個体選抜のような育種用語ではなく、生産物(コマーシャル)としてBastardより印象が良いhybridを使用したのであろう。今ではハイブリッドは生物だけでなく自動車にも使われ、ガソリンエンジンとモーターの組み合わせとして知られるようになったが、インターネットの分野でもウエブページの文書構造(HTML)とスタイル指定(CSS)を分離して混合する「ハイブリッドデザイン」が提案されている。ここでは牛のハイブリッドを中心にして、生物だけではなく要素と要素の組み合わせでより良いシステムを設計することをハイブリッドデザインとして提案することにする。

 これはまた、物事を総合化ではなく細分化して考えるデカルトの要素還元主義(2)(3)(4)が科学を発達させてきた一方で、その専門細分化が人と自然との関係を遠ざけただけでなく、人と人の関係までも疎遠にしてきたことへの反省でもある。

 専門細分化は人々の知識を深める一方で、もともと曖昧で多様で繊細でもある感性が自然との関係で知性を育てるのではなく、今ではホーキング博士も指摘しているように、人工的な環境で生活している多くの人々の価値観が「富」に偏り、自己中心的知性が感性を誘導してはいないか。
 人々には育った環境や教育により様々な感性と考え方が育つ。多様な考え方の人間がお互いを尊重して生きていくのが基本的人権を守ることであり民主主義ではなかったか? しかし、民主主義の「多数決により意思決定する」というルールを自己中心的な政治家が悪用することにより、強者による弱者の支配へと政治が変質している。自己中心的になった「すべての政府はウソをつく」ので、本来は我々の日常には関係ない国と国の動きが、軍備で紛争を煽るように報道されると、それぞれの国で生活している人々のことを考えることもなく、我々はその国を危ない国だと対立感を煽られる。軍事力が平和を壊すのに、平和のために軍事力を強化することを求める人が愛国者だと思わされる。同様に経済の活力は国際競争力で保たれていると言われると、人々が自然の中で生かされていることの評価は無視される。そして根拠のないことで国民同士が対立する罠が政治には隠されている。したがってここでは国の政治のことではなく、国の政策では無視されてきたが我々で共創することが可能だと思われる「牛と自然と地方の豊かな暮らし」についてのハイブリッドデザインを提案したい。

 ハイブリッドデザインはフィールドを対象とするので、大学の研究教育も大きく変える。実験室の分析材料はフィールドにあり、学者は学生とともに現場に出向き、フィールドのビッグデータは研究室で専門の技術職員によりコンピュータや分析装置で処理される。研究室が基礎研究をして現場はそれを応用するのではなく、現場の研究が基礎研究を刺激する。

 牛は農耕用に家族の一員として大切に飼われた役牛であったが、選択的規模拡大政策により鶏とともに農家にはいなくなった。霜降り肉として政府は大切にしているが、繁殖牛を飼育する小規模経営も少なくなり、里山が荒れる一方で子牛市場の存続が困難になってきている。
 農耕用の和牛が必要なくなったのだから、高級肉として改良して維持する方法が採られているが、和牛は種雄牛の改良と供給のための育種集団として利用し、繁殖牛は放牧して里山管理に利用すべきであろう。直接生産物を利用するコマーシャル生産には牛乳を国内で自給するために乳牛を放牧利用する。ジャージーやブラウンスイスを搾乳に利用する方法もあるが、乳牛と和牛のハイブリッドを利用し、搾乳を目的としない乳牛からF1を生産し、そのF1メス牛を放牧繁殖に利用する。ホルスタインで搾乳する場合でも、高泌乳を求めるよりは放牧で資源を利用してコストゼロを求める方法やホルスタインとジャージーとのF1で放牧に適用する方法もある。オス子牛は肉用に販売されるので、和牛と交雑する場合はF1メス牛を放牧と搾乳に利用する方法も検討する価値があろう。

 これらのF1生産用の種雄牛の能力検定から精液提供、F1子牛やF1メス牛、F1メス牛の子牛(F1クロス)の肥育、処理加工、販売までのシステムをつなぎ、牛を循環させるシステムを動かすことが必要である。
 里山管理には2頭/1haが必要なので、一つの経営体で日本の国土を管理するには規模が大きすぎるので、全国にシステムを作る組織が必要だ。しかも利益が目的ではないので、「地方再生」の国策事業として取り上げて、大学や国・県の協力のもとにNPO法人が実施するのが適当であろう。行政と研究のパラダイムの転換が必要である。

初稿 2017.3.8
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システムに支配されないで、システムを共創しよう

2017-02-27 17:56:33 | 自然と人為

      絵手紙作家 原年永
 「お金は知識や経験よりも重要ですか? 所有することは満足感を得る手段ですか? そもそも我々は本当に資産を所有することなどできるのですか? それは単に、つかの間、預かっているだけに過ぎないのでは?」

(スティーヴン・ホーキング博士)

 人々の価値観が“富”に偏重することで、持たざる者と持つ者の分断を生む。その閉塞的な文明は崩壊へ向かうとホーキングは警告している。
      
 一方、我々の祖先は1万6千年前から3千年前まで1万3千年(動画)も続いた世界で最も古く、しかも長く続いた縄文文明を築いた。
 人々は様々な環境に生まれ、様々な考え方をして生きているが、我々が自然の中で生かされていることだけは、古代だけでなく現代でも誰も否定できない。どんなに意見が違おうとも、自然と生きるシステムを共創することが大切なことは誰もが認めることであろう。
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 人間は誰しも老いると身体は不自由になるし、いつか必ず死が待っている。ホーキング博士(2」)は21才でALSに罹患し余命2、3年と宣告されて絶望したが、彼を理解してくれる恋人から生きる気力を与えられ、「どうせ死ぬのなら素晴らしい事をおこなって死ぬほうが良い」と思うようになったと言う。権力も財力もうたかたの夢。しかし、仕事の名声は後世に残る。死を意識することが良い仕事をするエネルギーとなり、四肢が不自由だけでなく声帯摘出の身体で、量子論と宇宙(一般相対性理論)をつなぐ輝かしい業績を上げ、今もそれを一つにする神の数式を求め続けて生きている。    
 〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版:「とね日記」感想
  第1回 この世は何からできているのか---
  第2回 “重さ”はどこから生まれるのか---
  第3回 宇宙はなぜ始まったのか---
  第4回 異次元宇宙は存在するか---
 宇宙創生の瞬間  【ドキュメンタリー】宇宙誕生の秘密を握るブラックホールの謎


 多くの人が土を離れサラリーマンとなった現代においては、お金が必要となり、他者と助け合い、他者を尊重し、「もったいない」と物を大切にする気持ちも失い、人々の心はお金で買える欲望と闘争心で満たされるようになってしまった。欲望や闘争は不老長寿を求める人間の性と同じ。ホーキング博士のように死を意識して仕事をすると、欲望や闘争よりも真実を知りたい、人の為に仕事をしたいと思うようになるのではなかろうか。お金のない縄文時代、我々の祖先は欲望も闘争もなく、国をつくる支配欲も戦争もない時代を1万3千年も続けてきた。世界で文明の発生した今から5千年から7千年前に、稲作等で貯蔵と支配が生まれ戦争と難民も生まれた。それは現代も続いている。
 NHKスペシャル 日本人はるかな旅
  第1集 「マンモスハンターシベリアからの旅立ち」---
  第2集 「巨大噴火に消えた黒潮の民」 .---
  第3週 海が育てた森の王国---
  第4週 イネ 知られざる1万年の旅---
  第5集 そして”日本人”が生まれた---
 サイエンス 核DNAが解き明かす縄文人
 【ディスカバリー】 古代日本の英知


 現代は分業化の時代だ。その分業を繋いでシステムとしている。システムを創るにはシステムの要素を繋ぐ考え方とお金が必要だが、お金は潤滑油であって目的ではない。縄文時代も今も、我々は自然の中で生かされていることに違いはない。国をつくらず戦争もしなかった縄文時代のように、今も地方で心豊かに生きていける方法はあるはずだ。
 個、集団、国と自然の関係~内山節とスノーデン
 自然と人間の共生を求めて
 内山節 森を語る 第一回 森を失った人々
 内山節 森を語る 第二回 森のにない手たち


 一つの夢を語ろう。平和に暮らしていた里山を荒らさないで、牛やヤギやヒツジを放牧して里山の恵みを利用して生きていく方法だ。まずは、それぞれの動物をどう利用するか、それをどう管理するか、生産から販売までのシステムをどうつくるかを考えよう。それは行政だけの問題でもないし、全てを個人が責任を持つ経営の問題でもない。地域の生活を守る協力関係のシステムをどう作るかの問題だ。

 牛の例でもう少し具体的に考えて見よう。乳牛は国内で牛乳生産を行うために必要だ。酪農を維持するためには、牛乳生産だけでなく和牛を交配したF1生産でおいしい赤身肉を生産して乳牛の肉利用の付加価値を高めることが大切だ。F1雌牛は放牧して里山資源を利用しながら子牛生産に利用し、受胎しなくなったら赤身肉と内臓の一級品として利用できる。F1生産とF1雌牛に交配する種雄牛は、人工授精が常識となるほど普及し、放牧地も狭い日本では、希望に応じて最優秀の組み合わせを選択でき、世界最先端のハイブリッド生産が可能だ。
 問題はそのシステムを誰が構築するのかという点だ。誰にでもできるが、ハイブリッド生産システムの経験と実績を持つ「畜産システム研究所」に期待している。

 地域の生活は生産だけではなく、教育から福祉や交流等行政が関係する部分も多い。サラリーマンとしてシステムに支配されて生きるだけではなく、年齢によって地域との関わり方は変わるであろうが、我々はどこにいても自然との関わりで生きているのであり、「何かに向かおうとするとき、絶対に出来ると思って取り組みます」という気力で、自然と生きるシステムを共創しようではないか。
 牛は資源を循環し、人をつなぐ 大谷山里山牧場
 「牛が笑っている牧場」富士山岡村牧場が、朝日新聞に紹介されました。


初稿 2017.2.27 更新 2017.3.3
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「オルタナティブ・ファクト」と「ポスト真実」の時代をどう生きるか。まずは100年の歴史に学ぼう。

2017-02-16 21:12:48 | 自然と人為

 物事は平面図では存在しない。地図のように平面図で存在したとしても、東京や京都や広島のように見たい場所で平面図は全く異なる。実際には物事は3次元や時間も関係した4次元なので、見る視点によっては同じ場所でも見え方が異なる。ところが、対象そのものが事実にしろ真実にしろオルタナティブで多様にあるとしたら、我々は反発し合って理解し合うことはできないか、自由に生きるよりは与えられた事象に熱狂する集団になってしまうであろう。

 権力を行使できる立場にいる人が利他的に生きるか利己的に生きるかは、その国に生きる人々の生活に大きな影響を与える。
 他者への愛に生き給料の10%で生活をしたウルグアイ・ムヒカ前大統領(1)(2)がいる一方で、政府専用機を乗り回してゴルフを楽しみ、自分たちのために税金や制度を考える利己的なトランプ大統領や安倍首相もいる。もちろん平和のためと言って戦争をするように、自分たちのためではなく国のためといつも宣言するが・・・。

 権力者にとって都合の悪い事実があると、もう一つの事実「オルタナ(ティブ)ファクト」(2)があると嘘をつくのは、国民のための政治ではなく国民を支配する政治に熱心な証拠だ。そのようなアメリカのトランプ政治は「アメリカ・ファースト」ではなく、「トランプ・ファースト」であるが、その一方で安倍首相は、スポーツの秋と言われる日本で真夏に開催するオリンピックを誘致するために原発事故で海は汚染されていないと言い、その一方では「共謀罪」を制定しなければ「東京五輪は開けない」と自分に都合の良い嘘を言う。

 好きな情報しか関心を向けないのは老人だと思っていたら、自分たちの思いを嘘でも拡散させたいとネットに広がる「フェイク・ニュース」もあるそうだ。このような事実に正直になれない「ポスト真実」(2)と言われる分断化された時代は我々をどこに誘導するのであろうか。
 アメリカにはまだ「米政府倫理局、コンウェー大統領顧問の懲戒検討を勧告」に示されるように行政に誠実さが残っている。しかし、公共放送であるNHKはかつての大本営発表のように、真実を追求するよりは政府をヨイショすることに熱心だ。また、公共放送で放送されたものは受信料を払っていれば何度でも観る権利があり、その方法も簡単で番組予定表と録画を組み合わせて公開し、受信料を払っているかどうか確認すれば良いだけで技術的には容易だ。

 最近、著作権を理由にYoutubeに公開されていた動画がことごとく削除されているが、著作権の問題よりも情報公開の方が社会的には大切な問題だと思う。日本のジャーナリズムは「危ない」と言われているが、まずは我々自身が過去100年の世界の動きから学ぶことが必要であろう。その資料をここに準備しておいた。NHKオンデマンドで有料で観る方法は受信料は無視されているし、すべての番組は登録されていない。それでも下記の録画が削除されたら、裁判を含めて次の方法を考えるしかない。

NHKスペシャル | 新・映像の世紀
第1集 百年の悲劇はここから始まった: (予告): ***
第2集 グレートファミリー 新たな支配者(予告)感想
第3集 時代は独裁者を求めた(予告): ***
第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた(予告): ***
第5集 若者の反乱が世界に連鎖した(予告): ***
第6集 あなたのワンカットが 世界を変える(予告): ***

激動の世界 テロと難民~EU共同体の分断~(予告): ***感想
激動の世界 大国復活の野望 ~ロシア・プーチンの賭け(予告): ***感想
激動の世界 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ(予告)*** 感想

BS1スペシャル「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時: 前編後編
エマニュエル・トッド 混迷の世界を読み解く ***
ジャック・アタリが語る 混迷ヨーロッパはどうなるのか?: ***

「ポスト真実」時代を映す『すべての政府は嘘をつく』 
映画『すべての政府は嘘をつく』予告編
映画『すべての政府は嘘をつく』公式サイト
すべての政府はウソをつく 前編  2017.3.2(木)17:00~
すべての政府はウソをつく 後編  2017.3.3(金)17:00~
すべての政府は嘘をつく : 作品情報 - 映画.com
オリバー・ストーン製作総指揮『すべての政府は嘘をつく』が緊急公開
ローリングストーン日本版のドナルド・トランプ記事まとめ

初稿 2017.2.16



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