自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶ

2014-12-10 12:24:33 | 自然と人為
2008年9・10錦繍号より転載

農家から消えた家畜たち

 戦後の十年は、国は食糧自給をめざし、農家は国民に食料を供給するために誇りを持って懸命に働いた時代でした。どこの農家でも、鶏は庭先をコッコッと歩きまわり、牛は農家と同じ屋根の下の土間(内厩:うちまや)で、家族の一員として大切に飼われていました。農繁期には学校が休みになり、牛を牽いて草を食べさせる牧童の姿がありました。

 しかし、アメリカの余剰農産物をドルではなく円で輸入し、その円をわが国の再軍備に使うというMSA協定を受け入れたことで、わが国は食糧自給政策を放棄し、輸入飼料に依存した畜産の道を歩み始めることになります。そして農家から家畜は消え、誇りが込められた百姓という言葉も使用されなくなり、養鶏や酪農などの専業農家が生まれ、農家が卵を買うことがあたりまえの時代になってしまいました。

 高度経済成長期にテレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器が国民に希望を与えたのはつかの間で、国が経済成長を優先し続ける過程で「質素倹約」を尊ぶ風潮から「消費は美徳」とされる時代になり、生活改善への希望は生活から遊離した欲望の拡張へと変貌していきました。そして国民の食糧を支えてきた農業は軽視され、農民の誇りは奪われ、里山の荒廃と農村の過疎化が進行しつつあります。

追い詰められた近代化畜産

 科学は宇宙から生命に至るまでささいな部分的事実しか知り得ないのに、世界のすべての説明が科学でできるかの如き錯覚と過信が生まれ、部分の知識で全体を管理しようとしています。そして、知識を偏重した教育により感性豊かな子どもや青年の世界を傷つけています。

 この科学による近代化の延長線上に、家畜を人工的に完全管理することが進歩だと勘違いした官僚や学者、そして企業人が出現し、農業の近代化による規模拡大競争が始まりました。農家から消えて大型畜舎に幽閉された家畜たちは、ただじっとして上げ膳据え膳、手とり足とりで、今の子どもや青年と同じように自ら自立して生きる野性的生命力を奪われています。

 ところが、限りない規模拡大競争は農家戸数を減少させ、規模拡大で生き残ろうとした農家も、農産物価格は上がらないのに資金と労働の負担は大きくなるばかりで先が見えません。
 しかも資源は有限なのに国際的に穀物とエネルギー需要は増加し、穀物と石油の価格を暴騰させています。これに加えて円安が進み、TPPにより関税だけでなく安全を優先してきた国内の諸制度をアメリカに追従させてしまうと、資源輸入型の日本の産業の将来も見えなくなりまます。

 農業は6次産業だと言われます。そのような経営を実現できる経営者もいるでしょう。しかし、ビジネスは資源の輸送、生産、加工、流通のシステム化で成立しますが、グローバル化はこのシステムを国内だけでなく世界で展開していきます。資源輸入型畜産を主導し、家畜の飼育頭数の増加を行政指標としてきた農水省はTPPには反対するでしょうが、酪農家や乳牛頭数が減少しバター不足となっている畜産をどう立て直すのでしょうか。

 これに加えて家畜の飼育密度を高める規模拡大は伝染病の感染を拡大させます。口蹄疫対策において早期発見とワクチン接種は、国の責任でその体制を準備する必要がありますが、感染拡大の責任を農家に押し付け、全頭殺処分でこれに対応しようとする専門家(学者や研究者を含む公務員)には強い憤りが湧いてきます。

 さらに食品偽装で儲けようとする民間業者やBSE問題における感染源を隠蔽している政府の不誠実な対応など、流通や行政や農協まで自己の利益の追求に走り、生産者と消費者が不在の中で「安全・安心」への信頼を失った畜産物は需要が低迷しています。

 こうして大型経営による利益追求型の畜産は存亡の危機に追い詰められてしまいました。

農業は太陽エネルギーから富を生む

 土を肥沃にするために家畜を飼うのは有畜農業の原点ですが、近代化畜産では、「どうすれば儲かるか」と経済活動のための家畜管理にばかりに心が奪われてきました。しかし利益を追求しても、「一方の得は一方の損」で富の偏在は生じますが全体の富の増加はありません。輸入飼料に依存した加工型畜産から国内資源に依存した有畜農業に転換し、農業の持つ多面的機能を活用して全体の富を増加させていくことが求められます。

 太陽エネルギーによってもたらされる自然の贈与を循環的に活用して生きているのが生物です。牛は太陽・草・土とつながっているだけでなく、山・川・海の流域の生態系ともつながっています。そのつながった一つの生態系に人間も含まれています。生物の一員である人間が生きていくのを支えているのが、太陽エネルギーから再生産可能な資源を生産し、持続可能な富に換える農林漁業という仕事です。ですから、農林漁業が成り立っていないのに人間が生きていけるとしたら、それは矛盾ですし、どこかに問題があります。
 問題の一つには太陽エネルギーによってもたらされる自然の贈与が近代化により見えなくなったことがあり、見えないから大切なものとして評価されなくなっていることがあるのでしょう。

 自然の中に身を置くと、自然には農業を成功に導く無数の可能性があることが見えてきます。「どうすれば家畜を飼いながら土を肥沃にし、自然を豊かにすることができるか」という視点で農業を考えると、様々なアイデアが生まれて、自由な農業の展開が可能になります。そうすれば農業は一生の時間と努力をかける価値がある仕事になってくるのです。

発想の転換で牛が拓く牧場ができあがった

 土を鍬で耕して、播種、除草して収穫を得るのが農業だという固定観念は、水田稲作を中心にした農耕民族である私たちを強く呪縛しています。一九四七年に、十九歳で北海道旭川の開拓団に入られた斉藤晶さんも最初は、その呪縛にとらわれ、傾斜地の多い農業に向かない厳しい環境で開墾、石取り、草取りに追われ、苦労に苦労を重ねられました。しかしある時、苦労するのは環境が厳しいからではなく、環境を厳しいと思っていた自分の考え方に原因があることに気づかれたのです。自然に立ち向かって収穫を得るのが農業なのではなく、自然という循環の中に溶け込み、自然を学ぶ作業そのものが農業であるという発想の転換によって斉藤さんは牛の放牧を始めました。苦労して草を取り、収穫物が鳥獣に食べられるより、草を牛に食べさせればいいのだという発想です。

 日本の農業は雑草との闘いで、ことに耕作放棄地では雑草が増え、さらにススキやササなどの背の高い草や灌木が増えていきます。灌木が増えると管理が困難になり、元の田畑に戻すのが大変になるだけでなく、獣害が増加しますので、草刈りや野焼きによってシバ型の短い草をつくっておく必要がありますが、牛がこの仕事をしてくれるのです。牛を飼う必要がなくなれば田畑に戻せば良く、牛が必要な時は牛の能力を多面的に引き出してやれば良いのです。
 シバ型草地をつくるには多種類の牧草の種を播き、牛を放牧して牧草より早く成長する雑草を食べさせると、その後にその土地に合った牧草が残ります。毎年、早春に放牧するとやがて雑草は絶え、根を張って生きていくシバ型の短い草が残っていきます。

 つまり、牛は草を食べるだけでなく、草をつくる能力があるのです。牛は草と種子を一緒に食べますので、牛糞には種子が混じり、これを蹄で土中に踏み込むことで播種と施肥と覆土鎮圧を同時にしてくれます。
 ことに牛に穀類などを与えるのをできるだけ少なくすると、牛は自ら生きる力に目覚めて一生懸命草を食べ、短い草まで食べることができるように短足でしっかりした蹄になります。一方、草は一生懸命根を張り、背丈が短くても出穂して生き残っていきます。牛も草も環境に順応して形態を変えながら生きていくのです。

 ノシバなどの発芽率が低いものは、シバ苗を植えてシバ草地を早く造成する方法が採られますが、この方法には短い草を食べる牛が必要になります。こうしてできたシバ草地は、牛が歩くことで古い根を踏み切って新しい芽を出してくれますので、牛はさらにシバ草地の更新までしてくれることになります。ゴルフ場や庭のシバは機械で刈りますが、牛を放牧することで傾斜地でも機械の助けを借りないでシバ草地をつくり拡げることができるのです。放牧を見慣れた人は、斉藤牧場の牛が短い草をスピーディーに食べていくのに驚きます。

 こうして斉藤さんの「牛が拓いた牧場」は実に美しい牧場になりました。さらに斉藤さんは、農業に現れた自然の素晴らしさを人々と分かち合うことも農業の役割だとして牧場を開放され、今ではログハウス数軒、教会、化学物質過敏症(シックハウス症候群)患者のための試験療養棟、松本キミ子先生(誰でも楽しく絵が描ける美術教育の指導者)のアトリエ「メゾン・ド・キミコ」などが牧場に建てられ、人が集まる場所となっています。これは牛の役割が牛乳や牛肉の生産だけでなく、多様な場をつくり、地域の活性化に貢献してくれることを教えてくれます。

参考資料 理想と現実とのギャップをどう埋めるか

草をつくるために牛を飼う

 農業の工業化と企業化の権化のような国、アメリカにおいても、近代化した企業的経営に行き詰まり、農業の原点に立ち返る牧場が出てきています。すなわち、自然の贈与(資源)を複合的に組み合わせ、家族経営で成立させる農業です。

 彼らは牛を飼うために草をつくるのではなく、草をつくるために牛を飼います。雨の降らない半乾燥地帯では穀物や大豆は作れませんが、草があれば牛は生きていくことができます。しかし牛を放置しておけば草がある所に牛が集まるので、過放牧では草が育たなくなり、牛が行かないところは砂漠化が進みます。そこで草のないところにエサを与えて牛を誘導し、草をつくらせます。草が増えると飼育できる牛の頭数が増えるので収入が増加するのです。

 また、草が土地を覆い裸地が少なくなると土壌侵食(エロージョン)が防止できます。これは市民生活に貢献することでもあるので、このような牧場を市民が支えることで、牧場主と市民が一緒になって環境を守る活動をしているのも、彼らの特徴です。

参考資料 アメリカのHRMに学ぶ

里山を管理するために牛を飼う

 畜産を専業化し、利益をあげるための経済活動と考えるようになったのは、ついこの五十年のことです。これからは牛の多様な役割を生かした農業を再生していく必要があります。山口県防府市久兼の「ふるさと牧場」は、30ヘクタールの山林と1.5ヘクタールの棚田と10頭の和牛を飼育している、かつての日本の農林業の縮図のような農家経営ですが、林業と稲作と和牛繁殖がうまく組み合わされ、人が集まる活気のある牧場となっています。

 農家の後継ぎとして故郷に帰農した山本喜行さんは、林業の下草刈りのために牛を導入しました。林業は30年から五50年先、場合によっては100年先のために今の仕事をしますので、山本さんは将来を考えると飼育する牛の数は10頭がバランスよく、儲かるからといって牛は増やさないと言われます。そして、自分の古里が都市住民の「ふるさと」にもなるようにとの願いから、「ふるさと牧場」と命名されました。

 林業と稲作を牛の放牧で結ぶふるさと牧場は、生産の場だけではなく、フィールド研究の場、教育研修の場、レクレーションの場、人材育成の場と多面的な機能を持ち、この牧場を支援している「こぶしの里牧場交遊会」と共に月2~3回、主として子どもと家族が集まる楽しいイベントを開催しています。

地域の人と人、農村と都市の人と人を結ぶ

 荒廃していく山林や耕作放棄地を牛の放牧に利用できるようになれば、里山の放牧畜産を希望する若い人に新規参入の道を開き、里山と農村を生き生きと再生できます。そのためには、「売らない、貸さない」と里山の所有権と利用権を手放さない国や地域の農家に対して、「牛の放牧で里山の管理ができ、地域が活性化していく」ことを粘り強く説得して理解を得る必要があります。土地は誰のものでもありませんから売る必要はありませんが、土地は皆のものですから皆で大切に管理していく必要があります。 里山の放牧畜産に新規参入を希望する若者の芽をつまないために、ふるさと牧場の山本さんは、積極的に研修生を受け入れ、同時に彼らが牧場を行き来する際にバス利用を奨めて少しでもバス路線の維持に努めたり、地域農家とも交流できるようにするなど、ふるさと牧場に人が集まることが地域にも貢献できるように配慮されています。


参考資料 民の公的牧場をめざして、それは混牧林経営で

 農家と消費者の接点は牛乳や牛肉だけではありません。牛の放牧でつくり出される里山の景観の美しさを知ることは、人々が農業を理解する第一歩です。放牧で維持されている里山を楽しみながら、牛が成長し子牛を産む一方で、里山がシバ草地で覆われていく過程を見ていくことによって、自然と牛と人のつながりが実感できるでしょう。消費者は、里山の放牧畜産を希望する若者を支援し、また、放牧で育った健康な繁殖牛がその役割を終えた時には、その牛を購入、もしくは「ご苦労さん」と弔う気持ちをもつ、このような相互の関係性を深めていくことで共感が生まれ、疲弊している農業は活気を取り戻し、農村の人々も支援をする人々も共に元気になれるはずです。  今私は、こうした考え方に共感される人々、実践されている牧場関係の方々と共に、地域の人と人、農村と都市の人と人を牛で結ぶネットワークつくりを模索しています。

経済・環境・生活は三位一体

 利益追求のために分業化が進んだ今日、部分で生きるしかない私たちは、自然の贈与の全体性を見失い、人工的に部分の最適化をめざす「ものの考え方」に呪縛されています。「問題を解決するには問題の原因となっている考え方を変えなければいけない」(アインシュタイン)のです。部分しか知り得ないのに自然を制御するなどと大それたことを考えないで自然の力を借りる、牛の力を借りると考えれば世界の見え方が変わってきます。

 牛の力を借りるのは、自然を豊かにするためであり、家族や共同体の生活の質を向上させるためであり、同時に私たち一人ひとりの心を豊かにするためでもあります。「いわしの大漁」のとき、「いわしのとむらい」にも心が向き、「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」(金子みすず)と共感できる世界をめざしたいものです。

 本来、私たちは自然とも他者とも一つの世界に生きていました。アマゾン先住民のメイナク族は自然という言葉も幸福という言葉も持ちません。言葉は一つのものを分ける意識から生まれてきますが、自然と一つ、みんなと一つになって生きている彼らにとって、自然を世界から分ける意識はなく、幸福と不幸を分ける必要もないからです。彼らにとって望ましい状態を幸福というならば、それはみんなが元気で暮らし、共感しあうことができている世界のことでしょう。

 経済と環境と生活は、どれかを向上させればどれかが犠牲になるというトレードオフの関係にあるのではありません。経済という部分の向上を目標に掲げているかぎり、自然と人、人と人の関係はズタズタに引き裂かれていくばかりです。

 経済と環境と生活、どれも同時に達成できるように三位一体の関係で考える必要があります。三位一体の全体性の向上を目標とする「ものの考え方」に立って、一人ひとりが行動を起こすことができるようになれば、現代の抱える問題を解決する糸口を見つけることができるでしょう。

2014年12月10日 ブログ移転修正

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