自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

システムからデザインへ

2014-12-09 13:34:18 | 自然と人為

システムとは

 システム(system)は、ギリシャ語のsunistanai(sun=together,histanai=cause to stand:ともに立たせる)を語源とするラテン語のsystema(複合体,体系)に由来しています。The systemには身体という意味もあるように、システムは多様な要素を結合してできた秩序のあるまとまり(全体)とみる見方ですので、対象をある選択された要素間の関係のまとまりと見れば、あらゆる対象をシステムとして見ることができます。

なぜ、システムなのか

 ガリレオやデカルトに代表される17世紀の科学革命以来、科学における分析的な手法は大きな成果を収め、研究対象を部分に分解して細部を明らかにする要素還元主義が、今日に至る科学のあり方の大きな流れとなり、専門細分化を進めてきました。

 科学はscienseの翻訳語で、西周が「百科の学術」から作った造語です。西周はphilosophyを(希)哲学と訳したことでも知られ、「百科の学術においては、---- 統一の観を立つるは哲学家の論究すべきところとし、学術の精緻を究めるは各科の学術を専攻する者に存するなり」としています。ここで注意しておかねばならないことは、scienseがラテン語のscientia(知識)から生まれたのは14世紀頃でしたが、日本語で科学と訳された19世紀の英国においても、現在のように自然科学を意味するものではなく、学問や知識を意味する言葉であったことです。しかし、これらの新しい知識の形成が近代国家の発展と結びつく動きがドイツに芽生え、専門の学術を修めて職業とするものに対してscientistという言葉が生まれました。知識は愛するもの(愛知)、教養を高めるものという伝統から、国を発展させる源泉とされ、専門知識を担当する職業が生まれたのです。

 しかし、分析的手法には限界があります。その限界は「全体は部分の総和以上のものである」とアリストテレスの言葉で表現されてきましたように、部分だけを分析しても全体は説明できないことにあります。科学は真理に近づこうとする無限の営みですが、部分の知識が増加しても世界を語ることはできません。しかも、「農学栄えて農業滅ぶ(横井時敬)」と古くから批判されてきましたが、今や専門細分化は農学さえも崩壊させ、科学栄えて社会が滅ぶ危機さえ身近に迫ってきています。この分析的手法の限界と弊害を克服する方法として、システムとして対象(世界)を見ることにより現場の諸問題を全体的視座から解決していくシステム科学が、20世紀中頃よりコンピュータの普及とともに大きな潮流になってきました。その先駆者であるハーバート・サイモン(ノーベル経済学賞受賞者)は人工物の科学(The sciences of the artificial,日本語版: システムの科学"),を1969年に発表しましたが、第3版(1996年)では「認知心理学」や「デザインの科学」、そして「複雑性の科学」の急速な進歩に応じて初版の内容を大幅に拡張しています。

あるべき社会の探究のための科学

 日本の学者、研究者で組織されている日本学術会議は、「これからの学術は人類の平和と福祉の実現を目指す学術であることが期待されている」として、新しい学術の在り方について検討し報告しています。そこではシステム科学(人工物科学)を設計科学とし、伝統的な認識科学と新しい設計科学を2本柱としたこれからの科学のあり方を提案しています。

 これまでの専門細分化された分析的な認識科学が「たて糸」とすれば、それらを結びつける「よこ糸」が設計科学です。布はたて糸とよこ糸がないと織れませんが、設計科学における布はモノであり、システムであり、組織や社会であるだけでなく、人々の考え方を織りなしていくものでもあります。したがって設計科学には、どのようなたて糸を選び、どのような図柄を織るのかという設計のめざすもの、その目的や方向が、モノを創る人々、システムを創る人々、組織や社会を創る人々に共感されて、共有されていくものでなければなりません。  今や、設計科学は大きな潮流となり、文理融合が進行しつつありますが、設計科学という日本語は社会にまだ定着していません。システム科学やデザイン科学と同じ意味を含みますが、「専門細分化から総合化へ」という意味ではシステムがふさわしく、「モノを創る、システムを創る、社会を創る」という主旨を前面に押し出すという点からは、これまで制作の領域で馴染んできたデザインが日本語としても肌触りが良いでしょう。

そして、デザインへ

 モノを創る、システムを創る、社会を創る、人間の制作行為はすべてデザインに通じます。「現在の状態をより好ましいものに変えるべく制作行為の道筋を考案するものは、だれでもデザイン活動をしているのであり、デザインはすべての専門教育の核心をなすものである(ハーバート・サイモン)」のです。
 このとき「現在の状態をより好ましいものに変える」とは、何にとって好ましいのか、誰にとって好ましいのかという問いが、デザインに関わる全員に問われるのであり、誰かが与えた目的に全員が従うものではありません。ここにこれまで慣れ親しんできた自己中心的に世界を見るのでもなく、組織の一員として与えられた目的を達成する行為でもなく、近代化の経験を経た後に、自己と他者を同様に尊重する自他非分離の世界の創造、回帰が待っています。

共通感覚と共通認識

 人は自然から切り離しては生きていけませんが、自然に服従するのではなく自然を支配するのが進歩だとする近代化の道を歩んできました。コモンセンスとは共通感覚のことでしたが、科学的知識の普及とともに感覚から知識へとセンスの意味が変わっていき、今では誰もが知っているべき常識として使用されています。そして近代化の道は科学者や専門家を生み分業化を促進し、科学的知識が共通認識として共有される時代となりました。ここで大胆に論ずれば、自然の一員としての共感である神への帰依から、専門家により与えられる科学的知識への帰依が求められ、本来は価値中立的であるはずの科学的知識が、国家やメディアや科学者による近代化を讃える物語として語られるようになってしまったことです。例えば農学の科学的進歩は自然農法の大切さを見失わせ、宇宙開発の裏には軍事競争があります。これらに対して科学的知識は中立的であるはずですが、科学者という専門家は国や組織の一員として、国や組織の意向に反しては繁栄できないジレンマがあることを決して忘れてはいけません。


参考資料

競争から共創へ、分析からデザインへ、部分から全体へ

システムの科学 第854夜【0854】03年09月22日 松岡正剛
新しい学術の在り方 新しい学術体系-社会のための学術と文理の融合- 日本学術会議
社会,科学技術,そして文明 市川惇信

『共通感覚論』中村雄二郎|松岡正剛の千夜千冊-792夜

川島和男 Peace-Keeping Design Projectでは、デザインの持つ「理想を具体的に目に見える形で提案する」力を最大限に活用します。
プロジェクトの遂行にあたって以下の3つの基本方針に基づき、活動を進めていきます。
1. 「支援に必要なプロダクトを選ぶ」のではなく「支援のためのプロダクトを設計し具現化する」ための提案を行う
2. テーマとなる問題だけでなく、その問題に対する「これまでの支援方法の問題点」までを解決する提案を行う
3. プロダクトの形態や機能に加えて、その製造方法から運搬方法、管理方法、廃棄方法まで全てのプロセスに対して提案を行う

2014.12.9 移転更新

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