自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

戦争(明治政府)と平和(徳川幕府)~多様な視点と国民を守る憲法

2015-06-17 16:11:43 | 憲法を考える
 ものごとは視点により見え方が違う遠近法を破壊し、多視点を導入した感性のセザンヌ、「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞を辞退し、100万ドルのミレミアム懸賞も辞退した理性のペレルマン、「世間の評価」から離れてみると純粋な生き方が見えてくる。
 また、「ロジックの拡散」と『アメリカの正義』の危うさを指摘した村上春樹の「意識下の世界」は、今、世界は400年続いた近代化の政治の枠組みから新たな枠組みワールド・オーダーを求め始めているとする中国もソ連もよく知るキッシンジャーの「意識上の世界」、即ち「ロジックの世界」である「国際政治学の世界」にも通じる。

 感性は理性につながり、既存のロジックを破壊するが、世間で語り継がれるのは単なる勝者の物語。「おもしろきこともなき世をおもしろく」生きた高杉晋作はあまりにも有名であるが、この世の幸福のために誠実に精一杯生きながら謀反人として惨殺され、「真は疑に似たり。疑は誠に真に似たり」と悔しい辞世の句を残した悲運の志士、赤禰武人のことこそ語り継ぎたい。それはもう一つの視点、敵と味方、身内と余所者、戦争と平和の「世間の見方」にも通じる。

 高杉晋作と赤禰武人の評価の違いは明治維新と徳川幕府の評価、即ち身分制と封建制を一部崩壊させた明治維新と戦争を否定し日本文化を成熟させた徳川幕府の評価にも通じる。
 安倍首相は高杉晋作を敬愛し、靖国神社参拝に熱心なようだが、身分を問わずに組織したとされる奇兵隊は上級武士軍団と対立し、わずか創設2ヶ月にして教法寺事件を起こし、高杉晋作は奇兵隊の総督を罷免された。武士と農民などは服装などで細かく区別され、幕府恭順派が藩の実権を握り奇兵隊の解散命令が出されると藩から独立し、「庶民のものは草一本たりとも奪ってはならない、農業の妨げをしたり、田畑を踏み荒らしてはならない、強き敵の百万の大軍を恐れず、弱き民一人を恐れよ等」の「隊中諭旨」で郷土のために戦う決意を表明し、その後長州征伐の幕府軍にも勝利したが、明治維新後に不要のものとして混乱のもとに解散させられた。

 島の医師の長男として生まれ才能を見込まれて武士の養子となった赤禰武人は、奇兵隊にある身分差別の撤廃を強く訴え、奇兵隊で必死に戦う農民を武士にするよう建白した。その後、下関事件で攘夷が不可能であることを悟り、俗論派(幕府恭順派)と正義派(倒幕派)と対立する長州藩の状況にも虚しさを感じ、奇兵隊総管を辞任した。総管は山県有朋が受け継いだが、人望のあった赤禰武人のようには隊を統率できず再び呼び戻されて、二分した藩論の統一を目指し、内戦をせずに融和的な解決を図ろうとした。しかし、赤禰を「土百姓」とさげすむ高杉晋作と対立し、征長幕府軍のスパイ容疑で「真は疑に似たり。疑は誠に真に似たり」と無念の言葉を残して処刑された。

 歴史に詳しくはなく、歴史上の人物の心の動きは想像するしかないが、靖国神社にも合祀されていない悲運の志士、赤禰武人のことを、高杉晋三を敬愛する安倍晋三はどう評価しているのであろうか。

 織田信長は戦国時代を終わらせるために戦い、高杉晋作は攘夷のために外国や徳川幕府と戦った。いずれも時代の考えを超越した狂人であり、信長は常備軍を準備し能力により百姓の秀吉を登用し、晋作は身分制で身動き出来なくなった武士団ではなく、志と意欲があり集団で戦える庶民を武装させて戦いに勝利した。

 下関の庶民はわが物顔でわが海を往来し、わが村を艦砲射撃で焼いた黒船は攘夷の差し迫った対象であったろう。しかし、日本の攘夷の攻撃が先にあったことを忘れてはいけない。それぞれの国の思惑があったにせよ、米国と和親条約を結んだ幕府と攘夷で倒幕した明治政府のどちらが庶民に幸福をもたらしたのであろうか。今、中国、北朝鮮の脅威を煽り、「集団的自衛権」を抑止力とし、アメリカに従属して戦うことは、その銃はアメリカからの独立を求める国民に向けられるかも知れないし、抑止力の核が偶発的に世界を破滅させるかもしれない。アメリカの傘の下で国民を支配することは、織田信長も高杉晋作も決して求めなかったであろう。
 
 今は憲法が国民を守ってくれているが、「集団的自衛権」で世界平和に貢献するという「積極的平和主義」のために福祉予算を削り、世界に税金の大盤振る舞いをして、憲法の解釈で「戦争放棄」の約束事を変えようとする姑息な政治家は、政治から永久に追放しなければならない。憲法改正ではなく、解釈で憲法の持つ意味を変えることは、自衛隊の問題だけでなく国民生活も支配し始めるだろうから。


参考: ●日本の誇り(二) ~赤禰武人~
    ・幕末年表 文久三年(1863)の動き
 Youtube 奇兵隊 決起せよ 高杉晋作 挙兵の時 (その時歴史が動いた
 Youtube 高杉晋作と奇兵隊~幕末に命をかけた若き庶民たち(そのとき歴史は動いた
 Youtube 高杉晋作幕末長州、奇跡の逆転劇(そのとき歴史は動いた

初稿 2015.6.17 2015.6.19 更新

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