自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

牛が拓いた斉藤晶牧場

2015-04-11 11:34:44 | 自然と人為
 「山地酪農 北日本編(斉藤晶牧場)」のビデオを日本草地畜産種子協会の許可を得て紹介する。

 斉藤晶さんは、「山(自然)を総合的に見て、活用できるものを 工夫して組み合わせるのが農業」であり、その「農業に現れた自然の素晴らしさを皆さんと分かち合うことも、農業の役割です。」 と、牧場を市民に開放している。しかし、そこに至る過程には、開拓時代のがけっぷちに追い詰められた苦労からの価値観の転換があった。

 開拓時代の斉藤さんは、石ころだらけの山地を自分の力で克服しようと努力したが、その努力は決して報われることはなく、働けば働くほどに苦しくなっていく失意の毎日が続いたという。そして、「この山で自分は肉体を駆使して、その上お金まで使って苦労に苦労を重ねているのに、小鳥や昆虫は苦労もなく悠々と暮らしているではないか。この違いはどういうことか。それは彼らが人間のように自然に立ち向かっていくのではなく、自然という循環の中に溶け込んでいるからだ。ならば、人間も虫と同じ姿勢で生きていけばいいではないか。この広大な山に溶け込めば、何とか生き残れるはずだ。」 という思いに至ったという。そして、「人間のいうことなんかとりあえず置いておこう。自然の中から自分が感じたものを組み立てていくしか、今は方法がないではないか。」と自然に学びながら農業をやることに発想を転換した。
 
 自然に学びながらの牛の放牧が、美しい牧場(撮影:斉藤均さん、晶さんの弟さん)を拓かせたのである。私もこの牧場に立つと、近代技術の無力さと愚かさが骨身にしみいる思いがする。ここには現代に問いかけられている様々な課題を考える材料が宝の山のようにある。
 
 私たちは、「厳しい環境を人間の力で克服して、それも競争によって成果を得る」という価値観を経済学や科学から求め続けられてきた。しかし、「生産費」という机上の空論でお金を投資して規模拡大すれば勝ち残れると思い、借金をして身を粉にして働いても状況は厳しくなるばかり。しかも、人が自然の一員として生きていく根っこである農林業を破壊し、共同体として生きていく根っこである地域社会を破壊している。また、考えていく根っこの共通感覚(現代では常識と言う)が、科学という細分化の論理のもとに萎えて、閉じた世界に引きこもり、自己中心的で考える力を失った個人が多くなっている。今を共同体として生きていく文化が育たない中で、居場所を失った個人が乾いた人間関係からはじき出されて、さまざまな犯罪を引き起こしてもいる。今、斉藤さんの開拓時代のように、社会が追い詰められた状況にある。斉藤晶さんはパラダイム転換によって、自らを呪縛していた開拓時代の境遇から解放された。社会はどうすればこの閉塞状況から解放されるのであろうか。

斉藤牧場の位置
斉藤牧場トップページ
牧場で暮らす日々の楽しさ- メゾン・ド・キミコ 館長 松本泰平 ビデオ
身体が目覚める牧場
どのような畜産のデザインを描くのか
斎藤牧場に学ぶ: 大谷山里山牧場 
山地酪農 西日本編 高知県斉藤陽一牧場
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斉藤さんは見学に来られた皆さんに、「日本の里山はどこでも牛を放せば、牛が自然にこうしてくれる。しかも牛は金くれと言わない。金をくれというのは人間だけ。みんな勉強しすぎて頭でっかちになって、自然の摂理が見えなくなっている。価値観を変えて、(お金を儲けようと思わないで牛と一緒に生きていこうと)牛を山に放せば自然にこうなるのです」と持論を展開している。   「まほろば遠足 斉藤牧場 翁」

「高学歴ほど勘違いしやすい」
斉藤晶さんと若者たち(世界で一番聞きたい話)

戦後、満州から引揚げて山に入られた開拓団は酪農で生き残られた。斉藤さんは一番若くして開拓団の一員となり、お金と土地に恵まれず、自然の中で生きる極限の生活から牛と生きる生活を見つけられ美しい牧場が生まれた。この極限の生活から価値観の転換が生まれた。現場をよく知っていても、農業や畜産に対して「生産費」という「机上の空論」を常識として生き、本来の「自然と共存して生きる」という「価値観」への転換を理解できない学者や畜産関係者の多くは、今でも斉藤晶牧場の価値を認めない。

さらに、現場を知らないだけでなく、現場の仕事から離れたところに希望を持って学者や公務員になった人も多い。今や、大学や農水省が農業を潰していると言っても過言ではない。家畜に生活させてもらっているのに口蹄疫の殺処分を当然と思う政治家、官僚や学者。家畜を殺して埋めて環境を破壊することは、どんな理由を並べようとも大義はない。家畜や自然と共存する道を求めることにこそ農業と畜産の大義がある。人間は自然と共存してこそ生きられるが、自然を支配することはできない。国民の税金で仕事と生活をさせていただいているのに、自然や国民を支配して当然という顔をしている政治家、官僚や学者 (2) を私は決して許せない!

 斎藤晶さんは、「自然と一体の感覚」で世の中を見ていると、「世の中の不自然な生き方がよく見えるようになる」と言われる。戦後の米ソ冷戦時代には資本主義と社会主義の対立として社会を見る常識があった。資本主義はお金で、社会主義は思想で社会を支配しようとしたが、いずれも組織と個人の問題を克服できなかったように思う。ソ連崩壊によって社会主義は新自由主義によって席巻され、ますます個人の幸福が奪われている。私は斎藤晶さんを師として学び続けているが、これからの時代こそ、自然と対立し自然を制御するのではなく、自然と一体になり自然(じねん)に生きることが個人の幸福を守ってくれる道になると確信している。


初稿 2015.4.11 動画追加 2016.1.30 画像更新 2017.5.10 
動画追加 2018.9.7 更新 2018.9.9 画像更新 2019.8.29




   

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (水野)
2015-03-27 00:00:15
突然お邪魔して申し訳ありません。口蹄疫のことを調べていて、こちらにたどり着きました。
質問させて下さい。私の周囲を見る限り、優秀な人ほど現場主義です。先生のご指摘通りです。とは言え、大学や官公庁は無視出来る存在ではないのですが、どう対処すべきでしょうか?
と言うか、そもそも先生も元大学の先生でしょと、一応言っときます。
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Unknown (三谷克之輔)
2015-03-27 10:26:47
真に優秀な方は現場主義です。その現場の仕事を評価されるあなたも優秀だと思います。しかし、官僚支配の日本では平気で現場を踏みにじります。BSEに始まり口蹄疫でも真実を平気で隠蔽する政治家、官僚、学者への怒りから、税金で国民のお世話になった学者の一人として若い人への遺言のつもりでこのブログを書いています。物事には陰と陽があり、見る視点で見え方はすっかり変わります。だから言葉で優劣を競う理性よりも、他者を尊重する感性を大切にしたいと思っています。
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Unknown (水野)
2015-03-28 09:55:20
返信ありがとうございます。遺言という表現をされていますが、とりあえず読んでもらうということが必要ということですよね。そうでなければ、単なるつぶやきで、誰の目にもとまりません。ちなみに、ここの月間PVはどの程度でしょうか?多数の人に読んでもらうために、工夫されていることは、どんなことですか?
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Unknown (三谷克之輔)
2015-03-28 11:02:01
昨日は100 PV 29 IPで、1日30人程度が普通で60人来訪していただくと多いという状態です。読んでいただくための工夫はしていません。独学ですので先日YouTubeにやっと「里山と放牧 斉藤晶牧場」を投稿することができました。しばらくはこのgooブログへの移転が忙しく、(まだ更新しなければならないことが残っていますが、)最近コメントをいただく機会が増えてありがたく思っています。遺言として言いたいことは、誰もが自由にのびのび生きていける社会にするために、公務員は憲法の番人、国民の公僕として謙虚に誠実に仕事をしていただきたいということ、それだけです。
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知恵ある人々 (ミネ)
2016-06-03 15:39:54
人工知能が囲碁棋士に勝ち、作曲し歌を作り、小説まで書く時代です。それなのに政治だけは霞が関のピノキオ。すでに社会の二層化は止め様がなくなりました。人の真実が不明なのに選挙で勝てば自由委任というトンデモ制度は廃止し、年間6-7の重要テーマはSNS国民投票か参政員制度で消化し、議会はそれ以外を消化する制度としなければ・・(サイト参照)。さて、林間で牧畜という良い提案の障害は「植林が地下水を涵養する」という基本認識の政策ではないでしょうか。このために保安林は手の施しようがありません。植林が採算に合わない、しかも針葉樹では腐植もできず、土地は痩せ、魚は減るばかりです。林間牧畜で豊かな日本に。林政は抜本的修正が必要ではないでしょうか。
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斉藤晶牧場に学ぶ (三谷克之輔)
2016-06-04 13:54:10
 コメントありがとうございます。文明が進化し、地域のコミュニティの崩壊と核家族化から家族の崩壊の兆しさえ見えてきた時代になりました。この文明の家畜化からどうすれば人類の幸福は守られるか。とくに集団で生きる私たちにとって政治に「他者への愛」と「論理的な思考」と「言葉の誠実さ」が求められている時代だと思います。
 ご指摘のように山国の日本なのに、稲作文化ばかりに目が行って林間牧畜について真剣に検討してこなかった歴史があります。 
 里山の放牧も規模と担い手により様々な方法が考えられますが、まずは荒れている里山を牛に管理させることから始めたいと思っています。
 この場合に斉藤牧場が参考になるのは、必要な樹木は残していることです。周囲の国有林にも牛が入って行きますが、国有林も牛が管理してくれるので国も文句を言わなくなったそうです。草だけを考えれば樹木は邪魔かも知れませんが、牛の放牧で牛、草、樹木、昆虫、細菌などの全体の調和がとれるようになっているのが斉藤牧場の素晴らしいところです。
 放牧の場所や規模や担い手等によって、観察しながら里山の管理をしていけたらと考えています。人間の勝手な考え方で牛を管理するのではなく、牛に教えてもらいながら里山を管理することが大切だと思っています。里山の放牧は人より牛の方がよく知っているからです。
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