自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

ギブミーチョコレート!

2019-12-02 11:02:18 | 物語


 戦時中生まれの私の戦後の思い出は、幼少時代に山陽道を走る占領軍のジープの列を見つけると、「ギブミーチョコレート!」と年長者について追ったことだ。その時の子供の心には、多少は卑しさを恥じる心はあったけど、日本を破壊した鬼畜米兵だという思いはない。広島県生まれだが、岡山県に近い町で育ったので、原爆の脅威も怒りも実感はしていなかった。それが子供なのだとは思うが、DISH//「ギブミーチョコレート!」(動画)には驚いた!!戦争を知らない世代かもしれないが、関係者がこの言葉の意味を誰も知らないことはないはずだ。貧しい子供の世界の歌でもない。不良っぽい高校生?が不良っぽい若い女の子に「ギブミーチョコレート!」とは?! 今の時代の価値観というか、感じ求める力が変わってしまったのか?

 ローマ教皇が核兵器の抑止力も否定も、「現実の政治と宗教とのせめぎ合い」ではない。平和のために動かない政治に対して、沈黙できない宗教の叫びだ!堕落した政治を日本では宗教団体が支えている。安倍一強ではなく、価値観の多様化でもなく、価値観の麻痺であり、今は生きる意味を喪失した時代だと思う。
 先日、中曽根康弘元首相がなくなった。“昭和を知る最後の首相”とメディアはその功績を称えている。亡き人に温かい感謝の意を注ぐのが日本の伝統とは思うが、海軍将校として終戦を迎えた中曽根氏は、1947年に衆議院議員に初当選、その後、「不沈空母」発言や憲法改正等で日本を戦前に引き戻す政治家だったと思う。明治維新がそうであったように、市民革命を知らない日本には国民第一の真の民主主義政治は育っていない。

 ここに敗戦直後に長崎で、米軍カメラマン、ジョー・オダネル氏により撮られた一枚の写真がある。
  「焼き場に立つ少年」(動画)
  『「焼き場に立つ少年」の証言』(動画)
 1枚の写真は状況を語ることはないけど、戦争の悲惨さを強く伝えてくれる。例えこの少年が母を探していたとしても、おんぶした幼子が2か月後に亡くなったとしても、写真の伝える戦争の悲惨さが変わるものではない。そして今でも、戦勝国であれ敗戦国であれ、戦争の悲惨さは変わらない。むしろ核兵器の小型化は市民の被害の可能性を高めている。太平洋戦争における日本の戦争責任は今も、いつまでも忘れられるものでもない。自衛隊と言うけど世界の平和は戦争の準備で守られるものでは決してない。憲法違反だから自衛隊を持てるように憲法を変えるなど、本末転倒だ。世界に災害をもたらす軍備を廃棄して、世界の災害救助や、災害防止に自衛隊の任務と装備を変えるべきだ。それが人類の進歩というものだろう。

 今こそ、戦争というものの実態を見つめて、フィクションとして語られる仮想敵国への備え、すなわち戦争への備えの愚かなことを、そしてその道を歩む政治を許さないように、日本の戦争記録について心に刻んでおこう。世界の志向は、国粋的思考から地球市民的思考へと確実に移行している。万が一、無防備な国を侵略する泥棒のような野蛮な連中がいたとしても、そこに住む人々のしっかり確立した個人の尊厳な魂まで奪うことはできない。仮想敵国のフィクションこそが、人類が生きる尊厳を奪ってしまうことをしっかりと肝に銘じておこう。
 原爆投下後の長崎で微笑む少女(動画)
 占領時代、米軍の日本での行動が赤裸裸に記録されていた
    動画:Japan: Our Far East Partner - The Big Picture
       (極東アジアでの朋友:日本【ザ・ビッグ・ピクチャー】)
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初稿 2019.12.2 更新 2019.2.4

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