百菜健美☆こんぶ家族ラボ

おいしい
と感じることは生きる喜びに
そして笑顔になります。
舌で味わい、
目は閉じていても
耳は心で。

谷口博之『シリーズ 釣って、食べて、生きた! ~作家 開高健の世界~』

2011-10-19 | Weblog

『シリーズ 釣って、食べて、生きた! ~作家 開高健の世界~』

ロケ日記 ①
2011年10月05日

が開高健先生と初めてお会いしたのは今から30年前集英社の会議室でのことです。

 そもそも辻静雄前校長がサントリーの佐治敬三氏と深い親交があり、開高健先生はもと
もとサントリー(当時は「壽屋」)の宣伝部出身でやはり佐治敬三氏と深い結びつきをもって
られました。こういった関係から開高健先生の突拍子もない企画に私が推薦されたのです。

                       ☆☆☆
 
 集英社の会議室で 「世界中の名だたる淡水魚を初めて調理する料理人やねんで」と先生
は私に仰いました。これは料理を志す者にとっての最高の口説き文句でした。もちろん答えに否はありません。
 こうして私が「オーパー、オーパー!!」の企画に参加させていただくことになったのです。
当時の開高先生は51歳。その年齢を超えてしまった現在の私がまさかそのロケ地を30年ぶりに再訪し、
開高健先生との足跡を30年ぶりに訪ねることができるとは想像していませんでした。
 
■“オーパーオーパー”取材地を30年ぶりに訪れることになる■
NHK-BSPにおいて故開高健先生の生誕80年の特別番組の企画が持ち上がり、“オーパ・オーパ”
の初回の撮影、取材地であるアラスカ篇に関して以前同行した私が今回新たにその地を訪ねる
ということになり、30年ぶりにアラスカの地をまた踏むこととなったのです。
 
■7月23日(土)■ 東京 晴れ
午前中に荷物の再確認をし、いよいよ出発。
30年前のチームでは私が一番年下だったのに、今回は私が一番年長である。
時の流れを切実に感じる。
 搭乗機は予定通り離陸。すさまじい悪天候の中約10時間足らずでシアトルに
無事到着。日本との時差は17時間。6時間強の待ち時間の後、アラスカ航空119便に搭乗。
マッキンレーを初め、美しい景色を眼下に眺めながらの3時間の飛行でアンカレッジに到着。


■7月24日(日)■ アンカレッジ  曇り後小雨

07:30起床。08:30ロケ出発。ロケ場所は30年前にも日本食材購入のため立ち寄ったアンカレッジ
唯一の日本食材スーパー『ニュー佐賀屋』(当時は『佐賀屋』)。「リアル感を出すために直前ま
でロケ内容を知らさない」ということで素人の私は頭の中が真っ白になるぐらい緊張してしまう。

 30年前の『ニュー佐賀屋』は日本食材(他にも韓国、中国の食材が少々)を取り扱う小さなスーパー
で、20人前の食材(2週間分)を購入し、レジから吐き出されるレシートが3mぐらいになったことが記憶に
鮮明に残っている。

 現在の『ニュー佐賀屋』は場所も移転し、当時の面影はまったくない。売り場は当時の5倍以上あり、
商品の品揃えも豊富、白米の売り場だけでも20m程の長さがあり、20種類ぐらいの品目が揃っている。
日本野菜も蓮根・牛蒡・里芋までそろっており、昨今の世界的な和食ブームが感じられる。
「一人で店内に入り、必要な材料を購入してください」とのディレクターからの指示。周りの視線は
あびるし、背後霊のようにカメラはついて来るしで、緊張と恥ずかしさの連続。

 セントジョージ島では生鮮食材(野菜・乳製品・卵など)は入手しにくい可能性があるとの情報も入手
するものの、彼の地までの飛行機は30人乗りの小型機ゆえ荷物の制限があり、食材に残されている荷物
の余裕はみかん箱2個ぐらいの分量しかないので購入は最小限に留める。
 街の風景撮影は天候不良のため後日に延期となり、急遽ダウンタウンに向かい、30年前に私たちが
宿泊したキャプテンクックホテルの周辺を「当時を思い出しながら独り言を言いつつ散策してください」
というディレクターからの要請。日曜日の夕刻である。公園や街角には地元の人たちを初め、観光客が
大勢散策している。そんな衆人環境の中を一人で、しかも何かつぶやきながら散策しろ、と言われても、
いったい何をどうすればいいのかまったくわからない。しかも、ホテル周辺はかつての面影がないほど
変貌しているので何も思い出すことができない。

とにかくカメラを引き連れて歩き始めてみればもちろんもの珍しそうに沢山の野次馬が集まってくる。
半ばあきらめの境地で歩き続けていると30年前に昼食をとった『熊五郎』を見つける。当時は2軒
あったが経営者がかわり1軒になったらしい。
 この店の寿司担当の日本人の職人が以前私たちが訪れた店で働いていたことがわかり、思い出話を
交わすことができた。
 撮影を終え、19:00頃にホテルに戻る。
明日は移動。アンカレッジから途中二箇所に立ち寄った後、セントジョージ島に移動という約4~5
時間の行程。明朝のアンカレッジ空港では30年前のアラスカ取材全ての行程に同行したA&P旅行社
(現在は海運関係の仕事)のトム・ルーター氏がとの出会いシーンもあり、ひきつづき緊張の一日に
なりそうだ。

『シリーズ 釣って、食べて、生きた! ~作家 開高健の世界~』

ロケ日記 ②
2011年10月12日

■7月25日(月)■ 曇り
07:00に起床。08:30ホテル出発、一路アンカレッジ空港へ。
10:00 「オーパー」取材のコーディネーター、トム・ルーターさんと30年ぶりの再会。
トムさんは関西なまりの日本語を流暢に話す大の親日家。今は海運関係の管理の仕事をして
いると言う。30年ぶりの出会いに話はつきなかった。

 背景を選んで「再開」シーンの撮影の後、11:45発セントジョージ島への飛行機への
搭乗手続きに入るが、掲示板に「出発時間13:45に変更」の文字が。もちろん説明は
一切なし。13:45になっても飛行機は飛ばず、その後は1時間ごと遅れ、最終的に離陸したの
は21:30。この地の天候不順は想像以上でこれぐらいの遅れは頻繁らしい。
約2時間強でディリンガム空港で給油をし、午前1時頃に再離陸、午前3時頃、セントポール島
到着。セントジョージ島にはここからさらに約30分弱の飛行が必要。


「もう一息」と思いきやセントジョージ島は霧が深く飛行中止となり、機体はアンカレッジ
に戻ってしまう。われわれはそのままセントポール島に残留。次の定期便は2日後、これでは
スケジュールがすべて狂ってしまうということで、スタッフ協議のうえ、不確定な飛行機での
移動はあきらめ、翌日の昼ごろに燃料、食料などの購入のためにこの島に立ち寄る予定のセント
ジョージ島からのオヒョウ釣り漁船を数隻貸し切って移動するほうが確実であるということに
なり、とにかく空港内の宿舎で3~4時間ほどの仮眠。

 

■7月26日(火)■ 曇り時々小雨
朝10時前後に荷物を一箇所にまとめて、雨に濡れないようにしっかりと保護し、港の桟橋に移動。
チャーターした3隻の漁船はすべて想像以上に小さく、荒れるベーリング海へ出て行くにはどうも
心もとない。しかし、セントジョージ島へ行くには他に方法なし。


13:00いよいよ出航。トムと私とカメラマンが同じ船に乗り、船中の様子を撮影することに。内海から
外海に出た途端に雨風が強くなり、まるでジェットコースター状態、しかも安全バーはないわけでどこ
かにしがみついていないと身体ごと飛ばされそうになる。そんな我々の状態を時々海上に頭を出す
アザラシやカモメが面白そうな様子で眺めている。

港を出て約1時間ほどで、陸地が完全に視界から姿を消す。そして、また悪運が私たちを
見舞う。モーターがオーバーヒート、そして、ストップ。一時漂流状態となるが、なんとか片側の
モーターのみ復活し、スピードは落ちたものの何とか走り出すものの、しばらくすると、
またまたエンジン停止⇒再始動⇒停止。こんなことを何度か繰り返すうちようやく双方の
モーターが再始動し、船のスピードはアップする(アップし過ぎ)が、ますます揺れは
ひどくなる。不運は続くもので、自前のデジカメで船内シーンを撮影しようとした瞬間、
とりわけ大きな揺れが襲い、カメラは手から離れ、きれいな放物線を描いてベーリング海に消えて
しまった。4日分の貴重な映像も全てパー。しかも今後の記録をどうするか?
一瞬、頭が真っ白になるがどうすることもできない。

  16:00過ぎセントジョージ島無事到着。とりあえずはホッとする。
休憩する間もなく用意されたトラック(相当の年季もの。ドアは閉まりにくく、座席は補修の
ガムテープだらけ)に乗り込む。運転はトムさんが、私は助手席に乗る。スタッフは荷台と
後部座席に分乗。
 島の風景は30年前とほぼ変らない。ただ、定期便が就航したため新飛行場が(以前は定期便がなく
チャーター機のため)造られていたこと、漁船の規模が大きくなったのに合わせて漁港が新設されて
いたことなどが大きな変化かも知れない。
 しばらく地道を走り、30年前の宿舎に到着。当時は要人用の宿舎であったが現在はこの島唯一の
ホテルとして営業している。
 部屋の振り分け後、食材や調理器具のキッチン内への搬入と整理の風景を撮影することになり、
併せてインタビューも受ける。
 スタッフたちが島内ロケハンに出かけている間に夕食の準備をする。とりあえず余り新鮮でない
野菜、骨付き鶏肉、豆腐で水炊きをすることに。準備が一段落ついたときに私たちをこの島まで連れて
きてくれた漁船の漁師の方がカジカ(地元ではあまり食さない)を手にしてやってき来たので大小取り
混ぜて7匹程度いただくことにする。
 早速、煮付けやから揚げに調理。カジカのアラは霜降りして、身のついたアラは冷蔵保存し、
魚の骨と鶏の骨で出汁をとり、ストックしておく。
 日本を出てから実質5日ぶりになるこの日本料理の夕食には一同心より感動!
 明日の朝食の仕込みをして、セントジョージでの初日は終了。

 それにしても疲れた。

 

■谷口博之 辻調理師専門学校日本料理専任教授■
1982年、オールマイティの技量が見込まれて、作家の故・開高健氏の一連の
フィッシング紀行シリーズ「オーパ」隊に、料理人として参加。
著書:『オーパ!旅の特別料理』(集英社・集英社文庫)『関西風おかず』(新潮文庫)など。
また、NHK「きょうの料理」をはじめ数々の料理番組にも出演。

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