年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬から陸羯南を見る

2015年07月11日 | 福神漬

 

 

陸羯南のことを新聞博物館で開催されているようだ。

  日本新聞社は、旧住所で東京市神田区雉子町32番地にあったという。
講談社版の子規全集の月報の中に<日本新聞社の位置>と題する一文がある。(子規全集月報22(3巻),講談社,"1977,11)

 この神田雉子町32番地は明治の諷刺漫画雑誌の団団珍聞のあったところと同じである。また正岡子規と陸羯南の住んでいた下谷根岸に八石教会というものがあった。今の子規庵の道を隔てた反対側のラブホテルの位置に当たる。この八石教会は千葉の大原幽学の思想を伝える伝道所でなぜこの地にあったかまだ分からないが長井家(長井金升・鶯亭金升)とどのような地縁があったかまだ分からない。少なくとも子規の家に出入りしていた夏目漱石は福神漬を英国留学時の必需品としていたようだ。(東北大学図書館資料から)子規の食材から福神漬は出てこないが漬物は結構食べていたようだ。

 新聞日本と団団珍聞は同居ともいえる位置にありながら資料で出てこないのはなぜなのだろうか。これを横浜に行ってみてみたいと思う。

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