年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

年度代わりの初日

2012年04月02日 | 梅干
昨年は震災後で物流の安定性を不安視し、さらに余震が続いていたので年度末に通常年は在庫を絞るのだがかえって梅干し等の賞味期限の長いものが備蓄食として売れていたので、異常な量の年度末在庫となってしまった。今年は前年と比較して在庫が少なく普通の状態に戻った。
 梅の開花もかなり遅れていたので梅の実の凍害の恐れも消え、あとは5月末から6月にかけて大風による落果が無ければ、近来にない豊作となろう。中国からの安価な梅干しも為替の問題と中国の経済の好調で日本に輸出するより、砂糖漬けの梅の販売に向かうだろう。梅の国内回帰ということになる。
 日本全国には梅の産地が数多くあるが過去の人材不足が産地力の差となっている。紀州は梅と温泉しか地場産業が無かったため、ふる里振興ということで都会に出た紀州の人達による販売努力で今の地位がある。震災で故郷を奪われた人達も東京でふる里振興という手段もある。
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