今年は関東大震災100年と言うことで色々な行事や本が出ると思う。築地市場が出来た理由に関東大震災があって、豊洲移転時に何か違和感があって、もう一度中央区の図書館が新しくなったので調べてみようと思った。
震災後の移転の遅れは良く板舟権の問題と言われていて、検索すると出て来る。でも実際の報道経過はどうなんだろうと疑問に思っていた。
やはり大正のコメ騒動とシベリア出兵の影響があるように見える。
中央卸売市場法(大正12年3月30日法律第32号)
大正12年3月30日
中央卸売市場法案
第46回帝国議会
提出者
政府
提出年月日大正12年2月12日
成立年月日
大正12年3月19日
この法案が成立したのは関東大震災の半年前である。
最初に法案に沿った中央卸売市場が京都市で昭和2年12月11日,京都市場は全国注目の中で最初の中央卸売市場として誕生したのです。関東では横浜市が昭和6年2月に全国で3番目の中央卸売市場が開設された。
ちなみに全国で2番目が高知中央卸売市場で昭和5年2月 、大阪市は昭和6年11月開設となっている。東京の中央卸売市場の開設が昭和10年2月11日になったのは板舟権の処理問題と種々の取引ル-ルの設定で東京市と魚市場業界の混乱からきていて、一時は東京市議会が汚職で議員出席定数が足りず、議会が解散されたこともあった。
都立中央図書館で朝日新聞の大正12年の新聞縮刷版を読むが最初に関東大震災当日の新聞を見ると、9月1日朝刊では中央市場の候補地があって、築地と芝浦埋立地が候補となっていた様だ。夕刊から東京朝日新聞はない。その後の東京の状況は判らないが縮刷版の様子から大阪朝日新聞で9月12日の朝刊から東京朝日新聞となっている。さらに気が付くのだがこの9月の縮刷版は他の月より分厚い。その理由は多くの人が利用し、さらに紙質が悪く、焼きのりの様で触れると紙が割れる。そして補修となり分厚くなる。この時期はデジタル版で印刷するしかない。