明治14年の政変後、松方正義のデフレ政策で農産物価格が下落し、地方の農民・小規模地主が困窮した。自由民権運動が激化し、福島事件が起こった。明治16年には少年投書家長井総太郎は團團珍聞や驥尾團子のたびたび投書が掲載されるようになった。團團珍聞の身代わり雑誌の驥尾団子は明治政府が新聞紙条例の改訂を行った際、抗議の思いを込めて「自害」を決行、明治16年5月に235号で廃刊した。明治政府を批判する報道を強権で弾圧する時代だった。驥尾団子が自害した後、團團珍聞の風刺が弱くなり、発行部数が減ってゆく。この後新聞は大新聞(政治を論ずる)から小新聞(芸能・小説等をふり仮名付きで読ませる)の時代へ、政党機関紙という新聞から中立新聞となってゆく。
この時期に色々な小説が現れた。明治16年1月から高知の自由民権派の新聞土陽新聞に連載された『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)がある。作者坂崎紫瀾が坂本竜馬の活躍を描いた小説である。この小説を貫いている思想は竜馬の意思を明治に継承するのは自由民権運動だと主張し、小説の最後に甥の坂本南海男を登場させている。坂崎と坂本南海男は明治23年8月谷中墓地での花香恭次郎の葬儀に参列している。鶯亭金升は親族の一員で参加していたと思われる。
この時期に色々な小説が現れた。明治16年1月から高知の自由民権派の新聞土陽新聞に連載された『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)がある。作者坂崎紫瀾が坂本竜馬の活躍を描いた小説である。この小説を貫いている思想は竜馬の意思を明治に継承するのは自由民権運動だと主張し、小説の最後に甥の坂本南海男を登場させている。坂崎と坂本南海男は明治23年8月谷中墓地での花香恭次郎の葬儀に参列している。鶯亭金升は親族の一員で参加していたと思われる。