11月末、広島牛田教会(教会に併設されている「あやめ幼稚園」のページ)の特別礼拝と午後からの研修会にお招きをいただきました。とても温かい雰囲気の教会で、楽しい時間を過ごすことができ、感謝しています。
主任牧師の西嶋佳弘先生から帰り際に頂戴したのが、写真のシロップ。「キャロブ・シロップ」と書かれていました。
キャロブとはイナゴマメのこと(正確には、莢と果肉がキャロブで、種子がイナゴマメだそうです。全部食用になります)。地中海東部で古代から食用にされていた古い歴史を持ちます。カルシウムや鉄分、食物繊維が豊富なので、健康食品として日本では用いられているとか(全部 Wikipedia の受け売り)。
しかし、イナゴマメと言えば、やはり思い出されるのは新約聖書、「放蕩息子の譬え」(ルカ福音書15章11-32節)です。父親の財産を半分譲り受けて家を出て行き、放蕩の限りを尽くしてすっからかんになった息子は、飢饉のせいで食べるにも困り、ある人のところで豚の世話をすることになります。「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった」(16節)。
ということは、イナゴマメは豚の餌。実際、飼料にも使われるそうです。「匂いがちょっと。でも味は悪くない。プレーンヨーグルトに入れると食べられる」とのアドバイスをいただいたので、翌朝試してみることに。
蓋を開けると、何ともいえない匂い。確かにこれはちょっときつい。しかし勇気を振り絞って、プレーンヨーグルトに小さじ2杯ほど入れ、かき混ぜると、ヨーグルトが黒っぽく変色。おそるおそる口に運んでみたところ、意外にいけます。匂いほどきつい味はしない、というか、むしろ甘くて、ヨーグルトと合わせると、くせはあるけどなかなか美味い。古代エジプトで甘味料として用いていたというのも頷けます。
新約聖書の話を知っているムスメは、「イナゴマメ」と聞いただけで眉をしかめました。しかし、こういうシロップだったら、あの放蕩息子も喜んで食べたんじゃないかなぁと思いながら毎朝食べています。なんとなく健康な気分になるから不思議。
母校を辞めて広島で放蕩してたら(贅沢はしてないけど)イナゴマメを食べるハメになるとは。聖書の話が身にしみます。
主任牧師の西嶋佳弘先生から帰り際に頂戴したのが、写真のシロップ。「キャロブ・シロップ」と書かれていました。
キャロブとはイナゴマメのこと(正確には、莢と果肉がキャロブで、種子がイナゴマメだそうです。全部食用になります)。地中海東部で古代から食用にされていた古い歴史を持ちます。カルシウムや鉄分、食物繊維が豊富なので、健康食品として日本では用いられているとか(全部 Wikipedia の受け売り)。
しかし、イナゴマメと言えば、やはり思い出されるのは新約聖書、「放蕩息子の譬え」(ルカ福音書15章11-32節)です。父親の財産を半分譲り受けて家を出て行き、放蕩の限りを尽くしてすっからかんになった息子は、飢饉のせいで食べるにも困り、ある人のところで豚の世話をすることになります。「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった」(16節)。
ということは、イナゴマメは豚の餌。実際、飼料にも使われるそうです。「匂いがちょっと。でも味は悪くない。プレーンヨーグルトに入れると食べられる」とのアドバイスをいただいたので、翌朝試してみることに。
蓋を開けると、何ともいえない匂い。確かにこれはちょっときつい。しかし勇気を振り絞って、プレーンヨーグルトに小さじ2杯ほど入れ、かき混ぜると、ヨーグルトが黒っぽく変色。おそるおそる口に運んでみたところ、意外にいけます。匂いほどきつい味はしない、というか、むしろ甘くて、ヨーグルトと合わせると、くせはあるけどなかなか美味い。古代エジプトで甘味料として用いていたというのも頷けます。
新約聖書の話を知っているムスメは、「イナゴマメ」と聞いただけで眉をしかめました。しかし、こういうシロップだったら、あの放蕩息子も喜んで食べたんじゃないかなぁと思いながら毎朝食べています。なんとなく健康な気分になるから不思議。
母校を辞めて広島で放蕩してたら(贅沢はしてないけど)イナゴマメを食べるハメになるとは。聖書の話が身にしみます。
イナゴマメ、ルター訳だと Treber としか書いてないのね。
僕の手元には、1984年に改訂したルター訳しかないのですが、そこには Schoten とありました。Treber ってのはルター自身の訳語ですかね。