鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

双龍図鐔 古平戸 Ko-Hirado Tsuba

2011-12-10 | 鍔の歴史
双龍図鐔 (鍔の歴史)


双龍図鐔 古平戸

 戦国時代末期以降に中国を経て西洋から伝来した、風合いを異にする文様を下敷きに鐔に描き表わされた龍の図。この類の鐔を南蛮鐔と呼ぶ。南蛮物は装剣小道具に限らずあらゆる分野で流行し、江戸時代に入ってからも続いた。一般に見る南蛮鐔の多くは江戸時代の作だが、この鐔はそれらより古い時代で、平戸辺りの金工の手になるものではなかろうかと考えられている。所謂南蛮鐔の先駆的な作である。形態から太刀鐔。山銅か素銅か、赤みのある赤銅か、質朴な風合いの地金を稚拙な魚子地にし、文様部分は薄肉彫で金の色絵。龍の顔、表情を鑑賞して欲しい。何て自由な表現であろうか。75.2ミリ。

龍図鐔 平安城象嵌 Heianjo-Zogan Tsuba

2011-12-09 | 鍔の歴史
龍図鐔 (鍔の歴史)


龍図鐔 平安城象嵌

 鉄地に真鍮地高彫像を象嵌した作。鉄地風合いと真鍮の風合いが妙味ある平面を創出している。この風合いが数奇者の心をくすぐるのであろうか、平安城象嵌は比較的人気の高い系統である。この時代、既に後藤家では鏨の効いた高彫による龍の図を彫り描いている。ではこの奇妙な図は、子供の絵のようで下手と評して良いのであろうか。否。共に描かれている海老の図や菊水などの文様を見る限り決して技術的完成度の低いものではないことがわかる。意図してこの文様を描いているのである。その面白さを感じとってほしい。80.2ミリ。□

記事のタイトルを入力してください(必須)

2011-12-08 | 鍔の歴史
鐔の歴史

 龍の描かれている装剣小道具を紹介してゆく。龍の図は現代でも人気が高く様々に意匠されており、江戸時代にはなおのこと人気が高かったであろうことが想像される。来年の干支が辰であることも含めてのことで、しばらくお付き合いを願いたい。たくさん出てきますが、面白そうだからって年賀状には利用しないでください。


龍図鐔 鎌倉

 装剣小道具における龍の図となると、日本刀の歴史ではないが古墳時代の直刀などの柄に古代の様式の龍が施された例があり、龍の歴史が古墳時代以前からすでに刀剣と関わりがあったことを窺わせており、興味は一入のものがある。
 そのような龍を想わせる透かしの施された鐔が、桃山時代の鎌倉鐔と鑑られる写真例である。一般に鎌倉鐔とは鎌倉彫のように薄肉に鋤下彫を駆使して文様表現するのだが、この鐔では龍の身体を陽に表わして地透としている。かなり面白い龍の図である。76.4ミリ。□

雲文図鐔 蟠龍斎道俊 Michitoshi Tsuba

2011-12-07 | 鍔の歴史
雲文図鐔 (鍔の歴史)


雲文図鐔 蟠龍斎道俊作

 盛岡の刀工岩埜道俊の鐔。道壽とも銘を切る。江戸でも活動しており、有名な虎徹が住んでいた上野不忍池の辺りに居住した。
 道俊銘の鐔は、龍の潜む乱れ雲を想わせる図柄、見ようによっては火炎であり、信家にはみられない個性的な図柄。道壽銘の作は亀甲文や七宝文、井桁文で、見るからに信家を手本としたことが判る。いずれも鉄地を打ち鍛えて活力のある地相を表わし、耳は打ち返して変化を付け、文様を鋤彫と鏨の打ち込みによって成している。雲文図鐔85.5ミリ。井桁文図鐔77.8ミリ。


井桁文図鐔 蟠龍斎道壽作

阿弥陀に亀甲文図鐔 岩井安董 Yasutada Tsuba

2011-12-06 | 鍔の歴史
阿弥陀に亀甲文図鐔 (鍔の歴史)


阿弥陀に亀甲文図鐔 岩井安董

岩井安董は盛岡の甲冑師。その技術を用いて信家を写した作。鍛えのよい鉄地を打返耳に仕立てて木瓜形の構成線に変化を付け、まさに時を経て崩れたような風合いを演出している。上部に腕抜き緒の小穴があり、太刀鐔としても利用できるよう工夫されている。地には鎚目を打ち、放射状の鑢目を加え、亀甲文は毛彫、裏面には文字を、これも信家に倣って鋤彫で表現している。90ミリ。

七宝散図鐔 畑直鏡 Naoaki Tsuba

2011-12-05 | 鍔の歴史
七宝散図鐔 畑直鏡


七宝散図鐔 畑直鏡作

 直鏡が七宝象嵌を施した鐔を遺している。どうやら注文作であったようで、注文主の名前が天羽正直と刻されている。下地はまさに信家写し。土手耳に仕立てた撫角形の造り込みの全面に鎚の痕跡を残しており、焼手を加えたものであろうか土手耳にはそのまま打返耳のように変化がある。十字に薄肉に彫り、桜花と亀甲文をやはり薄肉に表現している。これに色鮮やかな七宝を散らし配しており、何とも素敵な鐔面となっている。古作と近代的な美観との妙な融和がある。信家と同時代、あるいはわずかに時代が下った頃に活躍したと考えられている金工に、七宝を巧みとした平田道仁がある。桃山頃の道仁と信家の接点を、このような後の金工が実現したと考えれば、それも面白い。83.2ミリ。

亀甲文図鐔 直鏡 Naoaki Tsuba

2011-12-03 | 鍔の歴史
亀甲文図鐔 (鍔の歴史)


亀甲文図鐔 直鏡(花押)

 直鏡もまた直勝の門人だが、やはり鐔のみで刀を見たことがない。この鐔は、鐔の造形も信家をそのまま手本としている。横幅は縦に比較して短いのだが、素見するとわずかに横長に感じられる。時代の上がる鐔には、実際に横長の例がある。この点を考慮したものであろうか興味も一入である。鉄味も良い。鍛え強く鎚の痕跡も良く残し、焼手によってそれに変化を与えている。打返耳に加えて二重式に仕上げ、耳際には唐草文を廻らせて独創的一面を示している。裏面はこの文様を意図的に崩して変化を求めている。80ミリ。

菊紋桐紋図鐔 直忠 Naotada Tsuba

2011-12-02 | 鍔の歴史
菊紋桐紋図鐔 (鐔の歴史)


菊紋桐紋図鐔 直忠造

 直忠は直勝の門人だが、刀剣類の作を見たことがなく、鐔のみを製作した門人ということになろうか。師に倣って信家写しの鐔を製作している。これも信家の手法を総じて採り入れている。打返耳、地の放射状鑢目、その下の鎚目、薄肉彫の桐紋菊紋、花文の打ち込み、毛彫による亀甲文。造り込みもこの時代に使用することを考え、信家に比較して薄手。86ミリ。

菊紋桐紋図鐔 直勝 Naokatsu Tsuba

2011-12-01 | 鍔の歴史
菊紋桐紋図鐔 (鐔の歴史)


菊紋桐紋図鐔 直勝

 まさに信家を想わせる作。地の造り込みは信家のそれではなく比較的薄手ではあるも、耳際がわずかに厚くなり打返耳には信家の通りに変化がある。全面に放射状の毛彫を加え、これを背景に菊紋と桐紋、矢などを薄肉に彫り出し、花文を打ち込みで散らしている。菊の芯に金布目象嵌を施しているところも信家風ではないが、総体に信家が採った技術を用いている。78ミリ。