鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

牛引図鐔 安親 Yasuchika  Tsuba

2011-09-12 | 鍔の歴史
牛引図鐔 (鍔の歴史)


牛引図鐔 武州住安親(花押)

 赤銅地を高彫にし、金銀素銅の色絵象嵌を加えて農村の一光景を捉えた作。もちろん主題は牛引きの農夫だが、背景は山水からの借景とでも言おうか。鉄地でも同趣の表現が可能であったと思われるが、人物描写で精巧さを求めたものであろう。81.2ミリ。
 過去にこの鐔を紹介した際、安親の視点の置きようが、鄙びた農村の一風景にあり、それまでの古典に求めた題とは異なるのではなかろうかと筆者は考えた。江戸時代中頃、装剣小道具の画題は、古典から現代へと向けられるようになり、長常や正楽などは、明らかに市井の風景を題に得ている。絵師が古典から同時代へと目をむけたのと同じである。
 ところが、とある読者から、この牛引の図は、『十牛図』の一つではないかとのご意見をいただいた。筆者はこの有名な『十牛図』の存在を失念していた。禅の教えの一つで、牛と、それを見る人との関係を、禅を学び取ることに擬えたもので、その一つ『得牛図』がこれに当たるのではないかというものであるが、全く思いが及ばなかった。
 筆者の考えは先に述べた通りであり、金工の視線が古典から次第に同時代に向けられるようになったことの例としてこの鐔を採り上げたのである。
 武士としての安親は、作品の画題には武家の意識を鮮明にする作品を多数遺している。その一方では新たな視点での、古典のそれとは異なる文様化された風景図、コミカルな風景図、自然の一場面を切り取るような図なども遺している。そこで、筆者の認識は間違っていたものであろうか再考してみた。
 同様の図の小柄をご覧いただきたい。作者は銘字から二代安親。初二代と作者は違えど、同様図を描いているところは思考を一にしていると考えるべきであろう。牛引図だが、牛の手綱を引いているのは子供のようである。恐らく引きずられているのであろう、当人にとっては必死の行動だが、眺める側からすればけっこうコミカルである。陰になって描かれていないが引いているのは首に掛けられた綱ではない。おそらく鼻輪に繋がる綱を引く様子であろう。即ちこの小柄の図は十牛図の一ではない。同様に鐔を再度確認すると、綱は捕えようと首に掛けられたものではなく、鼻輪に繋がる手綱に間違いない。すでに飼われている牛を引く農夫の図である。筆者が当初考えていた通りの農村の鄙びた風景へ視線を広げたものと考えられる。
だが、作品を見て、直感的に鄙びた風景と思いを狭めてしまったのは失敗である、すくなくとも、十牛図を引き合いに出し、その上で同時代を描いた作であると説明すべきであった。ついつい思考が狭くなってしまうところである。この件でご教示いただき感謝しております。



牛引図小柄 東雨

 赤銅魚子地に高彫金銀の色絵。漫画のようだと言っていいのであろうか、安親も同様に感じた光景とみる。高彫表面の仕上げの美しさ、ぐっと歯を食いしばった二人の顔つき、表情、総てがいい。