稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

信州 遠山郷にて

2018年11月14日 | 
 阿智村二日目。


 富士見台高原へ
 早朝5時に旅館を出発して、富士見台高原へ雲海を見に。

 ゴンドラの山麓駅、観光客が続々と集まり始めている。

     

 山麓駅からゴンドラ、さらにリフトに乗り継ぎ、標高1600メートルの展望台に到着。

 ここは雲海発生率72%だという。 

 着込んできたものの、さすがに冷える。

 このときの気温は5℃。

 さて、だんだん夜が明けてきた。

     

 されど雲海は見えず。

 ゴンドラ係員のおじさんは「夜明けから20分はがまんしてください。
チャンスはありますから」と言っていた。

 みんなそれを信じてがまん。

 が、空は白んでもやはり雲海は見えず。

     

 ツアー一同がっかり。

     
           (朝日に照らされたカラマツ)

 遠山郷へ
 朝食後、日本の秘境のひとつと言われる遠山郷 下栗の里(飯田市)へ。

 マイクロバスに分乗して、国道152号から曲がりくねった山道に入り、上へ上へ。

 標高1000メートルのところにその里はあった。

     

 険しい谷の底を流れる天竜川の支流 遠山川もここからは見えない。

 こんな不便なところにある里、いったい・・・とぼくには不思議でならなかった。

 土地の年輩者に尋ねてみた。
「ここは48世帯が暮らしておる」とのこと。

「元々は皆さん、林業ですか?」
「ああ、みんな林業。
 昔は林業が盛んで、地元のモンだけでは足りんでヨソから人夫をいっぱい集めたもんだ。
ほとんどが高知から来とったヨ。
 そういう人夫が泊まる飯場が何か所もあった。
 映画館、学校、女郎屋・・・なんでもいっぱいあった。」

「林業というと杉やヒノキですか?」
「いや、サクラやクリやらだ」

「えっ、それは何に使ったんですか?
「だいたい鉄道の枕木だ。いっぱい売れた」

「それはいつごろのことですか?」
「昭和の初め頃が最高だった」

「今は皆さん、暮らしははどうやって?」
「林業がだめになって、たくさんのモンが発電所で働くようになったんだ。
 今はその年金で暮らしてるモンがほとんどだ」

 そんな時代もあったんだ。

     

 その昔、この里でも子どもたちの元気な声が響いていたのだろう。

 静まりかえったこの里を囲む山々が赤い。
 
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