我が家の西の外れイグネ近くに立つ木が枯れ、今朝早く近所の八幡神社の神主
さんに来て頂き、倒す為祈祷の儀式をして頂く。
初めは家族で倒そうか、とも話したものの、高さも20mほどで下手に倒すと屋敷
にかかるか反対でも電線に接触の恐れがあり、専門家に相談すると祈祷した方が
いいとのアドバイス。
庭で長年育った木は簡単に倒してはイケナイものらしく、以後何かあって「あ~
あん時切ったからだ・・」なんて後悔もしたくないと依頼して今日に至る。
八百万(やおよろず)に神が宿る、という日本の教え。
改めていいもんだと思いながら儀式を見る。
こういう「日本ならでは」が減っていくのは寂しい。
話はかわるが、このところ、寂しくも親戚知人が亡くなり、
葬儀への参列が多かった。
今はお通夜も火葬も、そして葬儀まで葬儀屋へ段取り任せ、
しかも一日で済ませちゃう。
現代人の生活を考えればしかたないのかも知れない。
けれど、このへんの田舎では集落ごとに「講」というものが
残っており、半分は葬儀屋さん任せにしても、必要な道具を
手作りしたり、葬儀の段取りを決め、料理なども隣近所で
手伝ってもらい作る。集落皆で故人を弔おうではないか!
という文化も残る。
どちらがいいかという話ではないが、田舎の伝統は情があっ
ていいなぁ~と感じる。
いつまでも日本人でありたい。
さんに来て頂き、倒す為祈祷の儀式をして頂く。
初めは家族で倒そうか、とも話したものの、高さも20mほどで下手に倒すと屋敷
にかかるか反対でも電線に接触の恐れがあり、専門家に相談すると祈祷した方が
いいとのアドバイス。
庭で長年育った木は簡単に倒してはイケナイものらしく、以後何かあって「あ~
あん時切ったからだ・・」なんて後悔もしたくないと依頼して今日に至る。
八百万(やおよろず)に神が宿る、という日本の教え。
改めていいもんだと思いながら儀式を見る。
こういう「日本ならでは」が減っていくのは寂しい。
話はかわるが、このところ、寂しくも親戚知人が亡くなり、
葬儀への参列が多かった。
今はお通夜も火葬も、そして葬儀まで葬儀屋へ段取り任せ、
しかも一日で済ませちゃう。
現代人の生活を考えればしかたないのかも知れない。
けれど、このへんの田舎では集落ごとに「講」というものが
残っており、半分は葬儀屋さん任せにしても、必要な道具を
手作りしたり、葬儀の段取りを決め、料理なども隣近所で
手伝ってもらい作る。集落皆で故人を弔おうではないか!
という文化も残る。
どちらがいいかという話ではないが、田舎の伝統は情があっ
ていいなぁ~と感じる。
いつまでも日本人でありたい。
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