人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

福田ますみ著「暗殺国家ロシア」を読む / 小澤征爾・武満徹「音楽」、阿川佐和子「話す力」、佐藤正午「彼女について知ることのすべて」&「Y」、福田和代「ディープフェイク」他を買う

2024年04月11日 00時01分02秒 | 日記

11日(木)。今日から4日連続コンサートなので、昨日は買い物に出たほかは家で予習CDを聴きながら読書をして過ごしました

ということで、わが家に来てから今日で3376日目を迎え、トランプ前米大統領が起訴された不倫口止め疑惑に絡む事件で、ニューヨーク州高裁は9日、トランプ氏側による15日の初公判の延期要請を再度棄却した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     延期要請をもう1回やったら努力賞にスタンプ3個押してあげる  副賞は有罪判決

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のガリチー煮&スパゲティ」を作りました 「ガリチー」はガーリック+チーズのことです。ほうれん草がよく合います

 

     

 

         

 

手元の本をすべて読み終わったので、いつも通りジュンク堂書店池袋本店で8冊購入しました

1冊目は小澤征爾・武満徹 共著「音楽」(新潮文庫)です 若き日の小澤征爾と武満徹の対談集です

 

      

 

2冊目は阿川佐和子著「話す力」(文春新書)です 「聞く力」が大ベストセラーになった著者のアガワ流「話す極意」です

 

     

 

3冊目は佐藤正午著「彼女について知ることのすべて」(光文社文庫)です 一度読んだような気がしますが、内容をまったく思い出せないので読んでいないものとして購入しました

 

     

 

4冊目は同じく佐藤正午著「Y」(ハルキ文庫)です この本も同様に、一度読んだような気がしますが、内容が思い出せないので購入しました

 

     

 

5冊目は福田和代著「ディープフェイク」(PHP文芸文庫)です 本作はディープフェイク(AIによる画像合成技術)で作られた身に覚えのない画像がSNSで拡散したことから、追い詰められていく教師の姿を描いたサスペンスのようです

 

     

 

6冊目は筒井康隆著「笑うな」(新潮文庫)です 帯の「どっから読んでも、狂ってる!」に惹かれて購入しました 文学界の大御所によるショート・ショート34篇を集録しています

 

     

 

7冊目は津村記久子著「この世にたやすい仕事はない」(新潮文庫)です 本書は5つの”ちょっと変な”仕事に関する話が書かれています

 

     

 

最後の8冊目はパトリシア・ハイスミス著「11の物語」(ハヤカワ・ミステリ文庫)です この本は、先日観たヴィム・ヴェンダース監督・役所広司主演「PERFECT  DAYS」の中に登場した本で、いつか読もうと思っていた作品です

 

     

 

いずれも、読み終わり次第toraブログでご紹介していきます

 

         

 

福田ますみ著「暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う」(新潮文庫)を読み終わりました 福田ますみは1956年横浜市生まれ。立教大学社会学部卒。専門誌、編集プロダクション勤務を経てフリーとなり、犯罪、ロシアなどをテーマに執筆活動を行っている。「でっちあげ」で第6回新潮ドキュメンタリー賞を受賞

 

     

 

本書は平成22年(2010年)に新潮社から刊行され、平成25年に文庫化されました 

本書は次の各章から構成されています

プロローグ

第1章「悲劇の新聞」

第2章「奇妙なチェチェン人」

第3章「告発の代償」

第4章「殉教者たち」

第5章「夢想家たちの新聞経営」

第6章「犯罪専門記者の憂鬱」

第7章「断末魔のテレビジャーナリズム」

第8章「ベスラン学校占拠事件の地獄絵図」

第9章「だれが子供たちを殺したか」

エピローグ

著者は「プロローグ」の中で、次のように書いています

「ロシアで今、ジャーナリストたちが次々に襲われている ジャーナリストの権利擁護を訴えている『緊急事態ジャーナリズムセンター』のオレグ・パンフィーロフの調査によれば、ロシアでは、ジャーナリズムを脅かす襲撃事件が年間80~90件起こっている 『ノーバヤガゼータ』(「新しい新聞」という意味)のジャーナリストたちや、イングーン共和国のエプローエフのように、最悪、殺害されるケースも後を絶たない 『グラスノスチ(情報公開)擁護財団』のアレクセイ・シモノフ所長によると、プーチンが大統領に就任した2000年から09年までに、120人のジャーナリストが不慮の死を遂げている このうち約70%、つまり84人が殺害されたとみられるが、自身のジャーナリスト活動が原因で殺されたと推測できるのは、さらにそのうちの48人だ。48人の殺害のほとんどは嘱託殺人と思われるが、首謀者、実行犯ともに逮捕された例は数えるほどしかない』。ロシアでは、ジャーナリストたちの命は危険に晒されているのだ。銃撃され、ハンマーで殴られ、ナイフで刺され、金属の鎖で首を絞められ、あるいは得体の知れない毒物を盛られて それは決して、サスペンス映画の中の話ではない。日常茶飯事のように起こっている紛れもない現実だ

一方、著者は『ノーバヤガゼータ』(1993年4月創刊)副編集長のセルゲイ・ソコローフの次のような発言を紹介しています

「ロシアの大部分のジャーナリストたちにとって、暗殺なんて別世界の話だ なぜなら、政権にサービスするジャーナリストがほとんどだから。彼らには、高い報酬と安楽で快適な寝床が約束されている。それ以外の、権力批判を恐れない我々のようなほんの一握りの少数派だけが命を狙われているのだ

著者は続けて次のように書いています

「ソ連時代、いわゆる反体制派は厳しい弾圧に晒された。投獄され、精神病院に放り込まれ、国内流刑や国外追放の憂き目にあった とはいえ、スターリン独裁下は別として、その後のフルシチョフ、ブレジネフ時代以降は、処刑された者はいない ところが、現代の体制批判者は、裁判によらず、白昼の街頭でいきなり射殺されるのである この困難な状況に、文字通り命を賭して立ち向かっているのが、『ノーバヤガゼータ』とそこに働くジャーナリストたちである しかし、その闘いは予断を許さない

本書は、不偏不党を掲げ、真実の報道のため命を懸けて国家権力と闘う『ノーバヤガゼータ』のジャーナリストたちの活動を通して、プーチン政権の徹底的な言論弾圧と暗殺国家ロシアの実態を浮き彫りにしたルポルタージュです 本書を読むと、いかにプーチン・ロシアが”民主主義国家”とかけ離れた”強権主義国家”であるか、また、2024年の現在においてもプーチン政権の反体制派に対する”暗殺体質”はまったく変わっていないことが分かります 今読むべき本としてお薦めします

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朝日・吉田純子編集委員の文章術その2を読んで / レベッカ・ミラー監督「ブルックリンでオペラを」を観る ~ 潔癖症の精神科医の妻とスランプのオペラ作曲家の夫と、恋愛依存症の女船長の三角関係の行方

2024年04月10日 00時00分02秒 | 日記

10日(水)。昨日の朝日新聞朝刊のコラム「新聞記者の文章術」に同社編集委員・吉田純子さんによる「書き手を支える もう一人の私」という見出しの文章が掲載されていました 1週間前の「『音楽』を書くこと」の第2回目です。彼女が取り上げた自身の記事は2024年2月10日付朝日新聞朝刊に掲載された小澤征爾氏の「評伝」の文章です 彼女はその冒頭で次のように書いています

「『小澤の目力』という言葉を、楽員たちからよく聞く 目が合った瞬間、無意識に音が出てしまう。なのに、なぜか他の奏者たちとぴったりそろってしまうのだと 制するのではなく、技術と気の独奏的な融合により、壁を壁とせず、東洋人にクラシックはできないという偏見に挑戦状を突きつけてきた 規格外の才能を花開かせたのは、やりたいことを絶対にやり抜く意志力、桁外れの行動力、そして愛すべき無鉄砲さだった

そして、文章を書くにあたり、「何をどう書けばよいか」を考える上で普段から心がけていることを次のように書いています

「文章を書くとき、私は意識的に『書き手』の私と『編集者』の私の2人を自分の中に置くことにしています 言葉を探すのは、脳みそに結構な汗をかく行為です しんどい時は文章の断片や思いついた言葉をとにかく連ねる。そしていったん『書き手』を休ませ『編集者』を呼び寄せます。『書き手』が無意識に放り投げた言葉の数々に静かに目を落とし、連ね、構成する この作業を繰り返すうちに『編集者』がおのずと育ちます 『書き手』が行き詰った時に思わぬ妙手をくれることも 記事になった文章を、後から読み返してみることもあります。ああ、この文とこの文をひっくり返しておけば。ここは『が』じゃなくて『は』だったかも・・・かように悶絶することもしばしばです。・・・『編集者』を心の中に持つことは、自分の思いを客観的に見つめる第三者を自分の中に育てるということでもあります SNSなどに投稿する前に『これは本当にあなたの本心?』『この表現は誰かを傷つけるんじゃないかな』などとささやき、真意をより正確に、より多くの人に伝える手助けをしてくれることもあるでしょう

吉田さんは、「入社してから3人、この人の技術を盗みたいと思える上司(デスク)に出会えた」と書いていますが、新聞記者の特権です 亡くなった人もいるが、「あの人ならこの文章に何を言うだろう。どんな指摘をくれるだろう」と考えてみるといい、と書いています

以上のことから導かれる吉田さんの文章術は「自分の中に、対話できる『編集者』を育てよう」というものです これは「自分の書いた文章を第3者の目で見直す習慣をつけよう」と言い換えることが出来るかもしれません その際に重要なのは”推敲”を重ねるということです 吉田さんの言う「ここは『が』じゃなくて『は』だったかも」というような1文字の選択から、文章全体の構成に至るまで、自分が納得いくまで推敲を重ねるということです

フォロワーの皆さま以外のブログを拝読していて たまに見かけるのは、「この人、自分が何を書こうとしているのか 本当に分かって書いているんだろうか」と疑問に思うものや、「この人は自分が言いたいことを書き殴っているだけで、他人に読んでもらおうという気持ちも工夫も全くみられない これではフォロワーも増えないだろうし、そのうち誰からも相手にされなくなるのではないか」と思うようなブログです ひと言でいえば「独りよがりの文章」、「書き殴り手」だけいて「抑制者」がいない文章です こういう人に限って「アクセス数が少ない」と嘆き、「自分のブログの価値を認めない方が悪い」と被害妄想を抱いているように思えます 一人でも多くの人にブログを読んでほしいのであれば、誰も読まない”愚痴”を書くのは止めて、書いた内容が”読まれる”ように書き方を工夫した方が良いと思います

ということで、わが家に来てから今日で3375日目を迎え、トランプ前大統領の陣営は6日に南部フロリダ州で開催した資金集め集会で、バイデン大統領が3月28日の集会で集めた2600万ドルを大幅に上回る5050万ドル(約76臆円)を集めたと明らかにしたと  いうニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     せっかく大金を集めたけど ほとんど訴訟費用に消えるとは 献金の甲斐がなくね?

 

         

 

昨日、夕食に「餃子」を焼いて、「麻婆豆腐」を作りました 餃子を焼くたびに思うのは、俺ってどうしてこう焼くのがヘタなんだろう

 

     

 

         

 

昨日、シネ・リーブル池袋でレベッカ・ミラー監督による2023年製作アメリカ映画「ブルックリンでオペラを」(102分)を観ました

ニューヨークのブルックリンで暮らす極端な潔癖症の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)と、現代オペラ作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)の夫婦 うつ状態で5年も新作を発表していない人生最大のスランプに陥っていたスティーブンは、愛犬と散歩先の とあるバーで、風変わりな曳舟の船長カトリーナ(マリサ・トメイ)と出会う    カトリーナに誘われて船に乗り込んだスティーブンは、最初は乗り気でなかったものの、ストーカー的恋愛依存症の彼女の誘惑に負けてしまう スティーブンは”一度の過ち”と心に誓う一方、彼女とのやり取りからオペラのインスピレーションが湧き、それをもとにオペラを作曲し大成功を収める 一方、パトリシアと元夫との息子(18歳)は、家政婦の娘(16歳)と熱愛中 家政婦のパートナーで娘の養父である厳格な法廷速記者は養女のことが気がきでない 二人の親密な写真を見た養父は若いカップルの性交渉に激怒して「法廷強姦罪」で告発しようとしたことから、スティーブンや家政婦たちは二人の結婚が可能なデラウェア州に向けてカトリーナの曳舟で出港する スティーブンとカトリーナの関係を知ったパトリシアはショックを受け修道院に入る決心をする 曳舟の上でスティーブンは「人生で初めて真の幸せを見つけた」と言い、カトリーナに求婚するのだった

 

     

 

映画の冒頭、カウンターテナー歌手が歌うビゼーのオペラ「カルメン」の「ハバネラ」で幕を開けます この曲は、言い寄る男たちには目もくれず、自分に無関心な態度を取る衛兵伍長ドン・ホセに興味を感じて「恋はあまのじゃく、慣らすことのできない小鳥・・あたしはあとの一人が好き、無口だけど私は好き・・・」と歌い誘惑するというものです この曲は、スティーブンが最初は気乗りしなかったのに、最後にはカトリーナの誘惑に負けてしまう ~ というストーリーを象徴しています 次いで、ヘンデルのオペラ「リナルド」から「私を泣かせてください(涙が流れるままに)」が歌われます この曲は「私を一人で泣かせてください。残酷な運命にため息をつかせてください。失われた自由に私の悲しみの鎖を打ち砕くのは哀れみだけです」という内容ですが、精神科医なのに心を病んで最後には修道院に入ってしまったパトリシアの人生を象徴しているのだろうか

ところで、カトリーナとの出会いからインスピレーションを受けて作曲したオペラのリハーサルシーンで、見覚えのある女性がオペラ歌手役で登場しました カトリーナをモデルにしたその歌手は口パクでなく本当にアリアを歌っていました それはMETライブビューイングでもお馴染みのアメリカのメゾ・ソプラノ歌手イザベル・レナードでした 演技の出来るオペラ歌手として、モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」、マスネ「シンデレラ」をはじめ古典から現代に至るまでの数多くのオペラに出演しています

 

     

     

 

本作は、深刻な問題を遊び心とユーモアで包んだロマンティック・コメディーに仕上がっています。1時間42分があっと言う間でした

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チョン・ミョンフン ✕ 東京フィル ⇒ 5月に韓国公演 / 佐藤正午著「ジャンプ」を読む ~ 5分で戻ると言い残してコンビニにリンゴを買いに行ったまま失踪したガールフレンドの行方を追う青年の物語

2024年04月09日 00時00分03秒 | 日記

9日(火)。東京フィルの公式サイトによると、チョン・ミョンフン指揮東京フィルが5月に韓国の3都市で4公演(7日、9日、10日、11日)を行うとしています 現在チョン・ミョンフンは東京フィルの名誉音楽監督を務めています 東京フィルの韓国公演は今回が8回目となります プログラムはAプロが①シューマン「ピアノ協奏曲」(P:チョ・ソンジン)、②ベートーヴェン「交響曲第5番」、Bプロが①ベートーヴェン「Vn、Vc、P 三重協奏曲」(Vn:イ・ジヘ、Vc:ムン・テグク、P:チョン・ミョンフン)、②同「交響曲第9番”合唱付き”」となっています。周知の通り指揮者チョン・ミョンフンは、1974年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で第2位入賞を果たしています なお、4公演のうち7日と11日のAプロと9日のBプロはすでに完売とのことです こうした民間レヴェルの地道な文化交流は大事だと思います

ということで、わが家に来てから今日で3374日目を迎え、米紙ワシントン・ポスト電子版は7日、ロシアのウクライナ侵攻を巡り、トランプ前大統領がウクライナに南部クリミア半島や東部ドンパス地方の国境地帯をロシアに割譲するよう圧力をかけることで終戦に持ち込めると周囲に語ったと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプよりバイデンの方がやり易いと言ってたプーチンは  発言を撤回するだろ

 

         

 

昨日、夕食に「鮭のムニエル」「生野菜サラダ」「ワカメの味噌汁」を作り、「ホタテの刺身」と一緒にいただきました 和食はヘルシーでいいですね

 

     

 

         

 

佐藤正午著「ジャンプ」(光文社文庫)を読み終わりました 佐藤正午は1955年長崎県生まれ。1983年「永遠の1/2」で第7回すばる文学賞受賞。2015年「鳩の撃退法」で第6回山田風太郎賞受賞。17年「月の満ち欠け」で第157回直木賞受賞 「身の上話」「彼女について知ることのすべて」「アンダーリポート」など著書多数

本書は平凡なサラリーマンの三谷純之輔が、付き合い始めて半年ほどのガールフレンド南雲みはるとデートし、バーで度数の強いカクテル「アブジンスキー」を飲み、泥酔に近い状態で彼女の部屋に辿り着いたところ、彼女が彼の朝食のためのリンゴを買い忘れたことに気がつき、5分で戻ると言い残してコンビニに向かったあと、忽然と失踪してしまうというストーリーです

 

     

 

【以下、ネタバレ注意】

結局、南雲みはるは当初はリンゴを買って帰るつもりが、コンビニで急病の女子大生を救急車で病院まで連れていくことになり、そこでまた偶然に知り合いに出会い・・・といった具合に、次から次へと偶然が重なり、しかもケータイの電池切れが重なって連絡がつかなくなるという事態に陥ります その後 三谷は、南雲みはるが彼女の姉や友人には連絡を取っていたにも関わらず、ボーイフレンドである自分にだけは連絡を寄こさないことを知り、「ほかに男がいるのではないか」と疑問を抱きます   しかし、実態はまったく逆で、実は三谷こそもう一人の女性と付き合いを続けていたのです その女性からの手紙により、南雲みはるは三谷から手を引くことを決心し、彼の前から姿を消したのです しかし、その女性がどのようにして南雲みはるの名前や連絡先を知ったのかは語られず「本人の口から聞くしかない」のです

この物語は「1杯のカクテルがその後の人生を変えてしまうこともある」という教訓めいたものが示されています 「もしもあの時、ああしていなければ、別の人生があったかもしれない」、あるいは「もしもあの時、思い切って行動していれば、別の生き方があったかもしれない」というような、誰もが経験する人生の節目における”選択”の問題です

なお、三谷がバーで飲んで泥酔した「アブジンスキー」は「アブサン + ドライ・ジン + ウィスキー」のアルコール度数:40度のカクテルで、別名「アースクエイク(地震)」と言われているそうです 飲んでみたいとは思いますが、今は断酒中なので腰痛が完治したらチャレンジしたいと思います

さて、この小説を読んで、同じように偶然が次々と重なり物語が思わぬ方向に動いていく「身の上話」を思い出しました あの小説は、最後の1行を読んだとき「えっ」と声を出してしまいました その点、「ジャンプ」は軟着陸しているのでそんなことはありませんでした が、佐藤正午はどういう理由でこの小説のタイトルに「ジャンプ」と名付けたのだろうか 南雲みはるの流転する人生を「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」になぞらえたのか あるいは、物語の飛躍を「ジャンプ」と名付けたのだろうか 「本人の口から聞くしかない」ようです

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マレク・ヤノフスキ ✕ エレーナ・パンクトヴァ ✕ ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー ✕ N響でワーグナー「ニーベルングの指環」ガラ・コンサートを聴く ~ 東京・春・音楽祭2024

2024年04月08日 01時22分16秒 | 日記

8日(月)。わが家に来てから今日で3373日目を迎え、エクアドル警察が5日に首都キトのメキシコ大使館に突入しグラス元副大統領を拘束した問題を受け、中南米各国から対応を非難する声が相次いでいる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     まさか外国の警察が大使館に突入するとは  覇権主義国家プーチン・ロシアみたい

 

         

 

昨日、東京文化会館大ホールで「東京・春・音楽祭2024」参加公演「ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート」を聴きました 出演はソプラノ=エレーナ・パンクラトヴァ、テノール=ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー、バリトン=マルクス・アイヒェ。ソプラノ=冨平安希子、中畑有美子、メゾ・ソプラノ=秋本悠希、金子美香、杉山由紀。管弦楽=NHK交響楽団、指揮=マレク・ヤノフスキ、音楽コーチ=トーマス・ラウスマンです

 

     

 

「ニーベルングの指環」はリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)が1853年から1874年にかけて作曲した楽劇で、「序夜:ラインの黄金」「第1日:ワルキューレ」、「第2日:ジークフリート」、「第3日:神々の黄昏」の4部作から構成されています 物語は世界を支配する魔力を持つというライン川底にある黄金を、ニーベルング族の小人アルべリヒが手に入れるが、神々の長ヴォータンはこれを奪い、ワルハラ城を築いた巨人族に美の女神フライアの代償として与えたことから、指環を巡って地上の争いが始まるというものです 上演時間は4部作合計で約15時間(休憩を除く)という超大作です

 

     

 

自席は1階R5列4番、右サイドブロックの左から4番目です。会場はほぼ満席のようで、5階席まで埋まっています

オケは14型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつものN響の並び。ステージ下手にはハープが6台スタンバイします。コンマスは前回の「トリスタンとイゾルデ」と同じ人ですが、ヤノフスキが連れてきたのでしょう

ソプラノ独唱のエレーナ・パンクラトヴァはロシアのエカテリンブルク生まれ。指揮とピアノを学んだ後、サンクトペテルブルク音楽院を卒業。イタリアとスペインの国際声楽コンクールで優勝。レナータ・スコットに師事。ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ボローニャ歌劇場など世界のオペラハウスで歌っています

テノール独唱のヴィンセント・ヴォルフシュタイナーはミュンヘン生まれ。ニューイングランド音楽院で学ぶ。ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場などで活躍しています

バリトン独唱のマルクス・アイヒェはドイツ生まれ。シュトゥットガルトやカールスルーエの音楽大学で学ぶ。ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場と専属契約を結び活躍。バイロイト音楽祭に定期的に出演しています。先日の「トリスタンとイゾルデ」ではクルヴェナールを歌い力強い歌唱が絶賛されました

ヤノフスキの指揮で序夜「ラインの黄金」より第1場「城へと歩む橋は・・・」 からフィナーレまでの演奏に入ります この場ではヴォータン役のマルクス・アイヒェが良く通る歌唱で存在感を示しました

次いで第1日「ワルキューレ」より第1幕第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと・・・」から第1幕フィナーレまでの演奏に入ります

ジークムント役をヴィンセント・ヴォルフシュタイナーが、ジークリンデ役をエレーナ・パンクラトヴァが歌いましたが、二人とも凄いとしか言いようのない圧倒的な歌唱で官能の世界を歌い上げました

ヴォルフシュタイナーは2022年の東京春祭「ローエングリン」でタイトルロールを歌っていましたが、歌唱力は申し分ないものの、外見があまりにもローエングリンとかけ離れていたため(太り過ぎ)イメージが狂った覚えがあります というのもローエングリンといえば新国立オペラでタイトルロールを歌ったクラウス・フローリアン・フォークトがあまりにも役にピッタリのイケメンで歌唱も素晴らしかったので、そのイメージが頭にあったからです しかし、今回は圧倒的に素晴らしかった

一方、エレーナ・パンクラトヴァはオケを突き抜けて届く、美しく強靭な歌唱で聴衆を魅了しました

休憩後の最初は第2日「ジークフリート」より第2幕第2場「あいつが父親でないとは嬉しくてたまらない」と「森のささやき」、続いて第3場「親切な小鳥よ、教えてくれ・・・」から第2幕フィナーレまでです

ヴォルフシュタイナーはこの曲でも絶好調で、圧倒的な歌唱でオケを突き抜けました また、2階席(?)で歌う中畑有美子の「森の鳥」との対話も素晴らしく、「ニーベルング」の中でも珍しく心和むシーンが繰り広げられました

最後は第3日「神々の黄昏」より第3幕第3場「ブリュンヒルデの自己犠牲『わが前に硬い薪を積み上げよ・・・』とフィナーレです

ここでオケにワーグナー・チューバが加わりました この場はエレーナ・パンクラトヴァの独壇場です 彼女は自己犠牲の死を覚悟したブリュンヒルデをドラマティックに歌い上げました 独唱の後のオーケストラによるフィナーレは、N響の総力を挙げての重心の低いドイツ的とでも言うべき演奏で、壮大な物語を締めくくりました

ヤノフスキ指揮N響は終始集中力に満ちたアグレッシブな演奏で、ソリストを支え、自らワーグナーの世界を描き出しました

何しろ全曲を演奏すれば15時間もかかる楽劇を、たったの1時間半に抜粋・短縮して上演するのですから、物足りなさは否めません しかし、内容の濃さを考えれば充実した上演だったと思います

 

     

                (指揮のマレク・ヤノフスキ)

     

              (ソプラノのエレーナ・パンクラトヴァ)

     

        (左からマルクス・アイヒェ、パンクラトヴァ、ヴォルフシュタイナー)

     

           (1階席総立ちのスタンディングオベーション)

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N響2024/2025シーズン定期公演 A・B・Cの各プログラムで会員券大幅値上げへ、Bプロは水・木 ⇒ 木・金へ、Cプロは休憩あり・2時間程度へ ~ N響 新シーズンの案内届く

2024年04月07日 00時08分06秒 | 日記

7日(日)。昨日の東京は花曇りの一日でした 買い物の帰りに巣鴨駅近くの染井霊園に寄ってプチ花見をしてきました 言うまでもなく桜は染井吉野(ソメイヨシノ)です Wikipediaによると、ソメイヨシノの由来は、幕末の頃に江戸の染井村(現在の豊島区駒込・巣鴨付近)で植木職人らによって売り出され、全国に広まったことにちなんでいるとのことです

墓地に長居は無用なのでボチボチ帰ることにしました こんなアホなギャグばかりコマしているとハカない一生になりそうです

 

     

 

話は変わりますが、NHKテレビで「新プロジェクトX」が始まりましたね 第1回目の昨夜は「東京スカイツリー建設」が取り上げられていました 私も途中から観ましたが、良い番組ですね。旧シリーズは毎回観ていました 一番良いところは、歴史の中に埋もれて表に出ない無名の人たちが、歴史に残る大仕事を成し遂げたことを取り上げたドキュメンタリーであるところです 中島みゆきの歌う主題歌「地上の星」も良いし、田口トモロヲのナレーションも懐かしい

いくつかのエピソードの中で、最も印象に残ったのは「ノミニケーション」です スカイツリーの建設作業は3つのグループが分担して進めていましたが、お互いに反目し合っていて、グループ同士の間がギクシャクしていました そこで、あるグループのリーダーが他のグループに呼び掛けて”飲み会”を開いたところ、最初のうちはお互いに話もしなかったのが、杯を重ねるにつれて他のグループと話をするようになり、その結果お互いの意思疎通が図れるようになって作業がスムーズに進むようになった、というものです これは俗に「飲みにケーション」と言われるコミュニケーション手段です 「今の若い人たちは仕事の上司や同僚とお酒を飲むのを嫌がる」ということを時々耳にしますが、実際はどうなんでしょうか 「飲みにケーション」もたまには良いと思いますが、私は 就業時間外はあくまでも個人の自由であるのが基本だと思います

ところで、東京スカイツリーで思い出すのは、現役時代に、会社の入社試験の一般常識問題の一つに「現在建設中の東京スカイツリーは、完成すると何メートルになるか答えなさい」という問題を作って出題したことです 答えはもちろん武蔵(ムサシ)の国に因んだ634メートルですが、正解者は何人いたろうか・・・思い出せません

ということで、わが家に来てから今日で3372日目を迎え、11月の米大統領選で返り咲きを狙うトランプ前大統領の妻メラニアさんが、20日に南部フロリダ州で開かれる資金集めの集会に参加する見通しとなった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     4つの訴訟を抱えて資金難に陥ってる夫を持つと 妻としては協力せざるを得ないか

 

         

 

NHK交響楽団から「2024-2025シーズン定期公演案内」が届きました 1月14日付toraブログでもご紹介した通り、N響はすでに同シーズンのラインナップを発表していますが、今回の案内では会員券の値上げも含めた情報が公表されています

 

     

     

 

各A・B・C 各プログラムのラインナップは次の通りです

 

     

     

     

     

 

新シーズンの特徴と各プログラムの変更点は上記「HIGHLIGHTS」に掲載の通りですが、とくに注意すべきなのはBプログラムの日程(曜日)変更です これまで水曜・木曜開催だったのが9月からは木曜・金曜開催になります

新シーズンの最大の注意点は会員券の値上げです 新シーズンの各シリーズの年間会員券の料金はラインアップの上段に表示されていますが、現行の料金と比べると次のようになります

※数値の左側が現行シーズン、右側が新シーズンの年間会費。( )内は現行/新シーズンの年間料金比較。

Aプログラム(NHKホール:全9回)

S席:69,300円 ⇒76,500円(+7,200円:10,39%増)

A席:58,050円 ⇒ 65,025円(+6,975円:12.01%増)

B席:45,090円 ⇒ 49,725円(+4,635円:10.28%増)

C席:36,720円 ⇒ 41,310円(+4,590円:12.50%増)

D席:28,800円 ⇒ 32,895円(+4,095円:14.22%増)

Bプログラム(サントリーホール:全9回)

S席:74,970円 ⇒ 91,800円(+16,830円:22.45%増)

A席:64,260円 ⇒ 76,500円(+12,240円:19.05%増)

B席:51,255円 ⇒ 61,200円( +9,945円:19.40%増)

C席:41,310円 ⇒ 49,725円( +8,415円:20.37%増)

D席:33,600円 ⇒ 42,075円(   +8,475円:25.22%増)

Cプログラム(NHKホール:全8回)

S席:57,780円 ⇒ 68,000円(+10,220円:17.69%増)

A席:50,760円 ⇒ 57,800円( +7,040円:13.87%増)

B席:40,500円 ⇒ 44,200円( +3,700円:    9.14%増)

C席:32,760円 ⇒ 36,720円( +3,960円:12.09%増)

D席:25,020円 ⇒ 29,240円( +4,220円:16.87%増)

(注)※2025年4月はヨーロッパ公演のため休止となる。したがって現シーズンは全9回、新シーズンは全8回の料金なので単純に比較できない。

上記の通り、Aプロで10~14%台の値上げ、Bプロに至っては19~25%台の大幅値上げとなっています また、Cプロは現行シーズンより1回少ない公演なのに9~16%台の値上げになっているので、1回当たり単価で比較すれば表示金額以上の値上げと考えるべきでしょう N響は値上げの根拠として「円安等による物価の上昇や、国際情勢の変化による招聘費用の高騰」を挙げています   特にBプロは毎回、協奏曲等がプログラミングされていることから、少なくとも指揮者とソリストの2人分の招聘費用(出演料・滞在費・交通費等)がかかることになります それにしても、S席で91,800円とは驚きです

なお、N響は前シーズンから今シーズンに移行する際にも下記のように値上げしていました

Aプロは C席の+990円(2.8%増)から S席の+3,330円(5.0%増)まで

Bプロは C席の+5,580円(15.6%増)から S席の+9,000円(13.6%増)まで

Cプロは D席の+540円(2.20%増)から S席の+1,170円(2.1%増)まで

詳細については2023年4月13日付toraブログに書きましたので、興味のある方はご覧ください 2シーズンを通して見ると、Bプロの大幅値上げが顕著です

私が恐れているのは、N響の値上げがドミノ倒しで他のオケに波及することです 動じないのは今シーズンを含めてここ数年料金改定していない東京シティ・フィルくらいでしょう

 

     

     

 

ちなみにN響新シーズンの「Bプロ」と東京シティ・フィルの新シーズンの「定期演奏会」の年間会費を比較すると次の通りです なお演奏回数は双方とも全9回です

         S席   A席    B席      C席      D席

N響Bプロ     91,800円   76,500円  61,200円    49,725円    42,075円

 シティフィル     32,400円 27,000円  21,600円    16,200円    18,000円  

どうですか、この大きな差は もちろんN響の方は指揮者もソリストも海外からの招聘アーティストであり、毎回 木・金の2公演ある(出演料が嵩む)のに対し、シティ・フィルは指揮者もソリストも国内アーティストで揃えている上、常任指揮者・高関健が9回中5回、首席客演指揮者・藤岡幸夫が2回指揮し、毎回1公演のみであるという違いがあります それにしても、演奏内容にこれほどの料金差が出るとはとても思えない、というのが個人的な感想です

現在、私はAプロとBプロの定期会員ですが、N響では「会員券更新案内」を5月中旬以降に送付するとしています それまでに、他のオケの日程とダブりがないか等も含めて検討し、A・Bとも継続するか、Bプロを切るか、あるいはランクを下げるか、じっくり考えたいと思います

 

     

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シルヴァン・カンブルラン ✕ 金川真弓 ✕ 読売日響でバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番」、メシアン「キリストの昇天」、マルティヌー「リディツェへの追悼」を聴く ~ 第637回定期演奏会

2024年04月06日 00時25分10秒 | 日記

6日(土)。東京交響楽団の公式サイトによると、音楽監督ジョナサン・ノットは2026年3月末で任期満了となるとしています ノットは2014年シーズンから東響第3代音楽監督を務めているので、12年シーズン目が終わるにあたり任期を終えることになります ノットのお陰で東響は1ランクも2ランクもステップアップしました 惜しいですが、これも一つの区切りです。残り2年間、ノットの指揮による演奏を楽しみたいと思います

ということで、わが家に来てから今日で3371日目を迎え、トランプ前米大統領が退任後に南部フロリダ州の私邸で不正に機密文書を保管していたとして起訴された事件で、同州の連邦地裁は4日、文書が個人的な記録に当たるとして起訴取り下げを求めたトランプ氏側の主張を退けた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     米国の核計画等の軍事情報に関連する文書が  どうして個人的な記録に当たるのか?

 

         

 

昨日、夕食に「蒸しジャガ  タラコバター」「生野菜とアボカドとタコのサラダ」「ブナピーの味噌汁」を作りました ジャガタラコバターは辛みがほどほどで美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで読売日響「第637回定期演奏会」を聴きました プログラムは①マルティヌー「リディツェへの追悼」、②バルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番  BB117」、③メシアン「キリストの昇天」です 演奏は②のヴァイオリン独奏=金川真弓、指揮=シルヴァン・カンブルランです

指揮をとるシルヴァン・カンブルランはフランス・アミアン生まれ。2010年から9年間、読響常任指揮者を務めた。現在、ハンブルク響の首席指揮者を務めている

 

     

 

新年度初の読響定期演奏会です。自席は前年度と同じです。この日のプログラムは3曲とも初めて聴く作品です ひょっとすると、他の多くの人も同様かもしれません。馴染みの薄いラインナップということもあってか、客入りはイマイチです

オケは16型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の並び コンマスは林悠介、隣は元・神奈川フィルのコンマス 崎谷直人の客演です

1曲目はマルティヌー「リディツェへの追悼」です この曲はジャン・マルティヌー(1890-1959)が1943年に作曲、同年10月28日にニューヨークで初演されました 「リディツェ」は、ナチスの高官R.ハイドリヒがレジスタンス活動家によって暗殺された報復として全滅させられたプラハ近郊の村の名前です 作品は単一楽章の曲で「アダージョ ~ アンダンテ・モデラート ~ アダージョ」という構成になっています

全体を聴いた印象は、「慟哭の音楽」あるいは「レクイエム(死者のための鎮魂ミサ曲)」です 大音量で立ち上がる不協和音は、死にゆく者の慟哭そのものです カンブルランは息の長い旋律をドラマティックに盛り上げ、最後は祈りを捧げるかのように静かに曲を閉じました

2曲目はバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番  BB117」です この曲はベラ・バルトーク(1881-1945)が1937年から翌38年にかけて作曲、1939年3月23日にアムステルダムで初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・トランクィロ」、第3楽章「アレグロ・モルト」の3楽章から成ります

ヴァイオリン独奏の金川真弓はドイツ生まれ。ハンス・アイスラー大学でブラッハーに師事。2019年チャイコフスキー国際コンクール第4位。18年ロン=ティボー国際コンクール第2位入賞及び最優秀協奏曲賞を受賞しています

弦が14型に縮小します グリーン系のラメ入り衣装で登場した金川がステージ中央にスタンバイし、カンブルランの指揮で第1楽章に入ります オケの演奏に続いて金川のヴァイオリンが入ってきますが、あまりにも低いドスの効いた演奏で、ヴィオラを弾いているのかと勘違いしてしまいました ハンガリーの民俗音楽風のメロディーが独奏ヴァイオリンによって演奏されます 第2楽章では金川のストラディヴァリウス「ウィルヘルミ」が美しい音色で響き渡ります 第3楽章で金川は、目まぐるしく変化するテンポや曲想をものともせず、超絶技巧で自由自在に演奏し、カンブルラン ✕ 読響のサポートのもと華麗なフィナーレを飾りました

大きな拍手とブラボーが飛び交うなか、カーテンコールが繰り返されました 金川は超絶技巧曲を終始暗譜で弾き切りましたが、すごい演奏でした

 

     

 

プログラム後半はメシアン「キリストの昇天」です この曲はオリヴィエ・メシアン(1908-1992)が1932年から翌33年にかけて作曲、1935年2月9日にパリで初演されました 第1楽章「父なる神に栄光を求めるキリストの威厳」、第2楽章「御国を待ち望む魂の静謐なアレルヤ」、第3楽章「トランペットのアレルヤ、シンバルのアレルヤ」、第4楽章「父なる神の元に昇るキリストの祈り」の4楽章から成ります

弦は16型に戻ります 第1楽章は冒頭、トロンボーンがコラールを演奏しますが、トロンボーンという楽器は”神”を表しています モーツアルトも「レクイエム」でトロンボーンを使っています 次いでホルン、トランペット、そして木管楽器が加わり コラールが続きます この楽章は管楽器だけによる演奏でした 第2楽章では木管によるアンサンブルが繰り広げられますが、山本楓のイングリッシュ・ホルン、金子亜未のオーボエが素晴らしい 第3楽章はトランペットのファンファーレで始まります 弦楽器によるフーガ風の演奏が印象的です 第4楽章は弦楽器のみの演奏です。コントラバスを除く弦楽器群が息の長い旋律を美しい音色で奏でます フィナーレは、まさにキリストが天に昇るかのように浮遊感豊かに演奏されました

大きな拍手のなかカーテンコールが繰り返されます やっぱりカンブルランのメシアンは格別です

帰りがけに定期会員継続特典CDを2枚(定期会員&名曲シリーズ会員)いただいてきました 2枚とも常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレの指揮による演奏です

1枚は「オペラ序曲集」です

 

     

     

 

もう1枚はベートーヴェン「交響曲第6番”田園”」です

 

     

     

 

2枚とも、後でゆっくり聴くことにします

帰りにホールから地下鉄六本木一丁目駅に向かう途中の「スペイン坂」で桜が満開でした

 

     

     

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竹内薫著「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」を読む ~ 「アタマよくなろう!」と決意して目標を設定し、それを言語化して実行に移し、途中で諦めずに継続する

2024年04月05日 00時20分19秒 | 日記

5日(金)。これはヤバいことになった まさかこんなことになるとは・・・ 久しぶりに体重計に乗ってみたら3kgも増えているのです どうりで歩くときに体が重いと思ってました ここ10年以上64.3kgで推移してきたのですが、今年2月中旬に腰痛が再発したため、歩くのを控えるようになり運動不足になったことが原因だと思われます 体重67.3kgは自己最高新記録です ここ2か月間はお酒を断っているので、腰痛を悪化させないように気をつけながら 少しずつ歩く距離を延ばしていくくらいしか考えられません

参考までに、ネット上の「理想的な体重計算機」に「生まれた年」と「身長」を入力すると65kgと出てきました それでも2.3kgオーバーです 「あるこう あるこう わたしはげんき~ ♬」って「となりのトトロ」の「さんぽ」の歌に乗って歩こうか、それとも「しあわせは~ 歩いてこない  だ~から歩いてゆくんだね~ ♬」って水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」に乗って歩こうか 迷うな~、ってオレはバカか

ということで、わが家に来てから今日で3370日目を迎え、トランプ前米大統領がポルノ女優への不倫口止め料支払いに伴ってビジネス記録を改竄したとして起訴された件で、裁判を担当するニューヨーク州マンハッタン地区刑事裁判所のフアン・マーチャン判事は3日、裁判を遅らせるよう求めたトランプ氏の申し立てを「時期を逃している」と指摘し退けた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     裁判を遅らせる合理的な理由がない 11月の大統領選以降にしたい目論見は外れた

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました 例によって野菜類はお皿に乗せて洗い物の少ないワンプレート料理にしました ステーキは柔らかくて美味しかったです

 

     

 

         

 

竹内薫著「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」(河出文庫)を読み終わりました 竹内薫は1960年、東京都生まれ。サイエンス作家、理学博士。評論、エッセイ、講演などで幅広くこなし、メディアでも活躍。「99.9%は仮説」「理系バカと文系バカ」など著書多数

 

     

 

この本を書店で発見した時、「あっ、これはオレの本だ」と思わず心の中で叫び、次の瞬間には買い物カートに入れていました

最近とみに、今まで目の前にあった物が突然消えてしまったり、確かにやったはずの事がやってなかったり、歩くときのテーマソングを何にしようか迷ったり ということが頻発するようになり、「オレはバカか」と思うことが多くなりました バカなのかボケなのか良く分かりませんが、何とかしなければならないと思っていたところでした

本書は2013年3月に河出書房新社から刊行され、2024年3月に文庫化されました

この本は次の各章から構成されています

第1章「バカはこうして作られる」

第2章「よくよく考えるとバカにできない」

第3章「かたいアタマ やわらかいアタマ」

第4章「バカをこじらせない、たったひとつの方法」

おわりに

著者は2度にわたって「学年ビリ」という状況に陥った経験を踏まえ、バカにされて悩んでいる多くの人に勇気を与えたいと考え、バカをこじらせない方策を提言しています 全体を読み終わって思ったのは「どちらかというと比較的若い世代の人たちが学校の成績が悪くて皆からバカにされたり、会社で仕事がうまくいかなくてバカにされたりした時の対処法として参考になるのではないか」ということです

著者は第1章「バカはこうして作られる」の中で次のように書いています

「人間の生まれ持った才能には当然個人差がありますが、ぼくはかれこれ50年生きてきて、その差はそんなに大きくないと感じています むしろ、才能よりも、努力を続けられるかどうかの方が重要です 継続できる人の方が結果的に伸びることが多いんですね。そういう意味では、ほんとうの才能とは継続する力 でも、継続するためにはある程度自分を信じる必要があるんですね。バカだと思っていると何も始まらない

第3章「かたいアタマ やわらかいアタマ」の中で、学校における先生と生徒の関係を例にとって、次のように書いています

「人間は『フィードバック』がないとバカになる 学校というのは特殊な世界で、自分は先生、目の前にいるのは生徒、そういう関係が固定化してしまう。常の上から目線で行動している 最近ではようやく学生が先生を評価するという仕組みが入ってきたんで、だんだんと先生にもフィードバックがいくようになりつつありますが、これまではほとんどそういうフィードバックの機会がないから、授業がいかにつまんなくても分かりにくくても誰も文句が言えなかった この社会のなかで、バカかそうでないかを分けるのは、どれだけフィードバックを受けられるかってことなんですね フィードバックを受けることによって自己修正がどれぐらいできるか、行動をどれぐらい変えられるかということで、たぶんバカかそうでないかが決まるんです 実は、社会に出てからが勝負なんです。大人になると、フィードバックがかからない人に誰も注意をしてくれなくなります でも、会社で使い物にならないと、いつの間にか重要な仕事は任せてもらえなくなって、最悪、リストラの対象になってしまいます

「フィードバック」というキーワードでいえば、ブログにおけるフィードバックは「コメント」です 例えば、書いた内容を称賛したコメントであれば問題ないのですが、反対意見や批判的なコメントだった時にどう対応するかで「人間力が試される」、竹内流で言えば「バカかそうでないかが決まる」ことになります

私はこのtoraブログを書いて13年強になりますが、これまで批判的なコメントを寄せられたことが2~3回あります そのうち後々まで大きく影響を及ぼしたのは東京藝大の「藝大オペラ:魔笛」について書いた時に寄せられたコメントです そのブログで私は、出演した学生が「何となく頼りない」とか「おへそが出ていた」とか、歌とは関係ないことにも触れて書いたのですが、その公演の関係者と思われる方から実名で、「学生や院生たちは選抜されて出演しており、一生懸命やっている 彼らは常に外部からの批評に敏感になっている。彼らには卒業後の将来がかかっている。ブログの影響力を考えてほしい。あなたに学生たちを批評する資格はない」と強く批判されました。これを読んで、私は鉄アレーで頭を殴られたような衝撃を受けました このコメントがなければ、今でも気軽に若い音楽家のパフォーマンスを無意識のうちに批判し、彼らを傷つけていたかもしれません その時、コメントを寄せてくれた方に、お礼の言葉とともに心から反省している旨の返信を書き、二度と同じ過ちをしないと誓ったことは言うまでもありません

第4章「バカをこじらせない、たったひとつの方法」の中で、著者は次のように書いています

「自分はバカなんじゃないかと悩んでいる人はどうすればいいか ぼくの考えでは処方箋はひとつしかありません。それは『アタマよくなろう!』と自分で決意することです 決意が足りないと目標が設定できないんです。世の中で成功している人を見ると、必ずといっていいほど、目標設定がしっかりしています 一方、人生があまりうまくいっていない人を見ると、だいたい目標がない けれども、不満は多い。『うまくいかない』って、しょっちゅう嘆いている ぼくはそういう人に言ってやりたい。うまくいかない理由は第一に、あなたが目標を設定していないからですよ、と ここでいう目標は何でもいいんです。しかし具体的な目標がないことには、人間というのはそちらの方向には行けないんです。目標を持てと簡単に言いましたが、すごく時間がかかる場合もあります。そういうときは、自分は何がしたいのかということをできるだけ自分のなかで整理して、言語化するんです そうすることで初めて方向が決まります。いったん目標の設定さえできれば、『そのためにはどうしようか』と考えるようになるんです

そして、具体的に行動に移すと、途中で「やっぱりダメだ」と諦めて、目標を取り下げてしまうケースがあるとして、次のように続けます

「ここが踏ん張りどころです 目標を取り下げてしまったら、その瞬間、そちらには絶対に行けません。それは間違いありません。成功している人はやっぱり根気があるんです 諦めない。それではなぜ途中で諦めてしまうのか。一番の理由は、達成感がないから。言い換えると成果が出ないから しかし、成果というのは比例関係にないのです。目標を立ててそれに向けた行動が始まっても、では10日やってみたのと比べて100日やった方が10倍の成果が出るかというと、そうはなりませんよね 右肩上がりの直線的な比例のようにはいかないんです。成果はどのように現われるかというと、しばらくずーっと底辺あたり(恐竜のロングテール部分)を進んでいって、ある時突然グーッと上がるパターンになるのです 要するに、人生における達成というのは、だいたいの場合、突然やってくるのです。低空飛行が続いて、急にボーンと舞い上がる   そういうことが多いんです。だからそれを知らずに、途中で、その瞬間が来る前に諦めちゃうと、元も子もないんです

これは重要な指摘です    したがって「やろうと思えばいつだってできる」として何もしないのは、「目標の達成には一定の時間がかかる」ということを考えると、「いつまで経ってもできない」妄想に過ぎないということが分かります 上記に関連して、ピアニストや野球選手など特殊技能を必要とする職業について、著者は次のように書いています

「野球選手やピアニスト等になるために必要な修行期間はだいたい1万時間だと言われています 子どもの時ピアノを習ったけど、うまく弾きこなせない人は、せいぜい練習時間が数千時間止まりだったのでしょう 1万時間かけて初めて、恐竜の頭の部分に到達することができる それが特殊技能を習得する場合の一般的な目安なんです

このことは、先日toraブログでご紹介した本間ひろむ氏が『日本のピアニスト』の中で、次のように解説しています

「『1万時間の法則』というのがある。その分野のエキスパートになるためには1万時間の訓練等が必要だという、『ニューヨーカー』誌スタッフライターのマルコム・グラッドウェルが提唱した理論だ あくまで目安だが、ピアニストでいうと、ちょうど音大に入るために必要な時間がそれくらいである(もちろん個人差はある)。エキスパートどころか やっと音大に入ったところだ    ピアニストになるためのスタートラインに立って、さぁここからが勝負だぞ~、ですでに1万時間

 

     

 

プロのピアニストやプロ野球選手になるかどうかは別として、バカをこじらせないで、人生を有意義に過ごすためには目標設定が必要だということですね

本書の結論をまとめると、自分がバカかもしれないと思った時には「アタマよくなろう!」と決意して目標を設定し、それを言語化して実行に移し、途中で諦めずに継続するということになるでしょうか

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大野和士✕藤村実穂子✕東京都交響楽団でアルマ・マーラー「7つの歌」、ブルックナー「交響曲第3番」を聴く~第996回定期演奏会Bシリーズ

2024年04月04日 00時14分28秒 | 日記

4日(木)。わが家に来てから今日で3369日目を迎え、静岡県の川勝平太知事は1日に県庁であった新規採用職員に対する訓示で、「県庁はシンクタンクです。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりということと違って、皆様方は頭脳、知性の高い方です」と語ったことから、特定の職業に従事する人たちへの差別とも受け取られるとして抗議や苦情が殺到したことから、県議会6月定例会で辞職する意向を2日に表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     この発言で川勝知事は  ”頭脳・知性の高い方”ではないことが露呈した 辞職は当然

 

         

 

昨日、夕食に「タラのムニエル」「生野菜とアボカドのサラダ」「豚汁」を作り、タコの刺身と一緒にいただきました 和食はヘルシーでいいですね

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで東京都交響楽団「第996回定期演奏会Bシリーズ」を聴きました プログラムは①アルマ・マーラー「7つの歌」、ブルックナー「交響曲第3番 ニ短調」です 演奏は①のメゾソプラノ=藤村実穂子、指揮=大野和士です

私は現在、7オーケストラ(11シリーズ)と新国立オペラの定期会員ですが、この日の都響の公演は、私にとって4月から始まる2024年度シーズンの一番最初のコンサートです 座席は前シーズンと同じですが、気持ちを新たに聴きました

都響は3月14日から29日まで全6公演、新国立劇場のオーケストラピットに入り、大野和士の指揮で「トリスタンとイゾルデ」を演奏していたので、都響としても気分を新たに新年度の定期演奏会を迎えたのではないかと思います

 

     

 

都響のブルックナーということでか、会場は男性客を中心にかなり入っています

オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの都響の並び。コンマスは矢部達哉です

1曲目はアルマ・マーラー「7つの歌」(D.マシューズ&C.マシューズ編曲)です この曲はアルマ・マーラー(1879-1964)がツェムリンスキーに作曲を師事していた時代の「5つの歌曲」と、夫グスタフ・マーラーの死後に出版した「4つの歌」からマシューズ兄弟が1995年に7曲を抜粋して並べ直し、ピアノ・パートを管弦楽に編曲したものです 第1曲「静かな街」、第2曲「気だるい夏の夜」、第3曲「夜の光」、第4曲「森の至福」、第5曲「父さんの庭」、第6曲「君といると心地よい」、第7曲「収穫の歌」の7曲です

メゾソプラノ独唱の藤村実穂子は、東京藝大大学院、ミュンヘン音楽大学大学院修了。主役級としては日本人で初めてバイロイト音楽祭にデビューし、フリッカ、クンドリ、ブランゲーネ、エルダなどを歌い、9年連続で出演し絶賛を浴びました 先月の新国立オペラ「トリスタンとイゾルデ」のブランゲーネ役は素晴らしいのひと言でした

藤村実穂子がブルーのシックな衣装で登場し、大野の指揮で演奏に入ります 藤村の歌唱には気品があります 歌に伸びがあり独特の艶もあります 藤村は、結婚にあたりグスタフから作曲を禁じられていたアルマの心情に共感を寄せるかのように、1曲1曲を丁寧に歌い上げました 作品としては、最後の「収穫の歌」がリヒャルト・シュトラウス「4つの最後の歌」の雰囲気によく似ていて印象に残りました

満場の拍手とブラボーのなか、カーテンコールが繰り返されました

休憩時間における「ブルックナー公演における男子トイレ長蛇の列の現象」はこの日の公演でも顕著に見られました

 

     

 

プログラム後半はブルックナー「交響曲第3番 ニ短調 WAB103」(ノヴァーク:1877年第2稿)です この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1872年から翌73年にかけて作曲、その後76年から77年にかけて改訂(第2稿)、第2稿は1877年12月16日にブルックナー指揮ウィーン・フィルにより初演されました 第1楽章「中庸に、より動きをもって、神秘的に」、第2楽章「アンダンテ/動きをもって、荘厳に、アダージョ風に」、第3楽章「スケルツォ/かなり急速に」、第4楽章「フィナーレ/アレグロ」の4楽章から成ります

弦は16型に拡大します

大野の指揮で第1楽章に入りますが、彼はタクトを持ちません 私には「大野と言えばタクトを持って指揮をする」というイメージがあるので意外に感じました ダイナミックな大野の指揮ぶりを見ていると、オケから「音を紡ぎ出す」というよりは「音を掴み取って放出する」というイメージを抱きます 世に「音だけが大きい」という演奏がたまにありますが、この日の都響の演奏は「音が大きいだけでなく、充実した響きを持っている」と言えます フルートとオーボエが冴えた演奏を展開しました 第2楽章では、ヴィオラとチェロが重心の低い素晴らしい演奏を繰り広げていました 第3楽章ではホルンやトランペット、トロンボーンといった金管楽器が咆哮し、ティンパニが心地よいリズムを刻みました よく見ると、ホルンのトップには東京シティ・フィルの谷あかねが客演しています。どうりで巧いわけです 第4楽章では第1楽章の第1主題が再び現れるところが好きです 弦楽器が渾身の演奏を展開し、管楽器が咆哮し、圧倒的なフィナーレを迎えます

聴いていて感じたのは、特に第3、第4楽章は 予習で聴いたチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルによるライブ録音CD(ノヴァーク:1888~89年)とかなり違うな、ということです

 

     

     

 

満場の拍手とブラボーが飛び交うなか、カーテンコールが繰り返されました 拍手をしながらつくづく思ったのは、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチの交響曲は、ライブで聴いてこそ その良さが分かるということです

音のシャワーを全身に浴びた私の新年度初のコンサートは、上々の滑り出しだったと言うべきでしょう

 

     

     

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朝日新聞・吉田純子編集委員の文章術を読んで思うこと / 「警官の道」を読む ~ 柚月裕子、中山七里、葉真中顕、呉勝浩、深町秋生、下村敦史、長浦京による警察小説アンソロジー

2024年04月03日 01時17分58秒 | 日記

3日(水)。昨日の朝日新聞朝刊のコラム「新聞記者の文章術」に同社編集委員・吉田純子さんによる「己の本心 深く掘り下げた末に」という見出しの文章が掲載されていました 彼女が取り上げた自身の記事は2012年7月14日付朝日新聞夕刊に掲載された音楽評論家・吉田秀和氏への「惜別」の文章です その前半で次のように書いています

「音楽家は、言葉からこぼれ落ちる思いを音にする。その音の数々に追いすがり、ふたたび言葉へと導く。音楽について書くことは、永遠に矛盾を追うようなものだ。その矛盾を心豊かに戯れた、不世出の才人だった

吉田さんは、この記事を書いた背景や「『音楽』を書くことに対する考え」を書いています その冒頭は次の通りです

「スマホにあふれる多種多様なコメントを眺めながら、ああ、私もこんなにすらすらモノが書けたらなあ、と思うことがあります すらすら書けない人間だからです。ひとつの文章を書こうとしては、すぐ現実逃避。当然SNSもやっていません。舌がもつれるので、しゃべるのもあまり得意ではありません 自分の中にある黒とも白ともつかない複雑な感情をそのまま伝えてくれる音楽に、子供の頃から救われてきた気がします

ひねくれものの私などは、「この文章を読んで、文字通り信じる人はどれくらいいるだろうか?」と疑問符が浮かびます 記事のプロフィールによると、吉田さんは1971年、和歌山市生まれ。ピアニスト、音楽ライターを経て97年に朝日新聞社入社。仙台支局、地方版編集、広告局などを経て、音楽・舞踏担当の編集委員ーとあります ここでは触れていませんが、その前に「1993年 東京藝術大学音楽学部学理科卒、96年 同大大学院音楽研究科(西洋音楽史)修了」という経歴があります

私が疑問に思ったのは、東京藝大大学院まで修了して、音楽ライターの経験もあり、朝日新聞社で記者として20年以上も記事を書いてきた、いわば”文章のプロ”が、SNS上のコメントを見て「私もこんなにすらすらモノが書けたらなあ」と思うことがあるとは到底思えないからです 私の頭に浮かぶのは”謙遜”です もう一つは、朝日の看板をしょって文章を書いている立場からは、思いついたことをSNSに気軽にコメントするようなことは”立場上できない”ということだろう、ということです

さて、吉田さんの真意は?  彼女は文章の末尾で次のように書いています

「SNSは、そのとき感じた喜びや憤りを、すぐに多くの人に伝えられます 世界の様々な人たちと響き合えるのはすてきなことです 一方で、己の本心を深く掘り下げぬまま、世の中の気分にただ同調して出してしまった言葉は、実は他人以上に、自分自身の尊厳を傷つけたりするものです 文章を書くということは、自分だけの歩幅や速度で、自分自身の人生を豊かにしていくプロセスそのものです

そして、彼女は「文章術」として次の言葉を掲げます

「他の誰より、自分自身に対してウソのない言葉を諦めずに探す」

正式な文章だろうが、SNSの文章だろうが、後で後悔しないように よく考えて自分の言葉で書け、ということだと受け止めました

ということで、わが家に来てから今日で3368日目を迎え、米国のトランプ前大統領は1日、民事裁判での控訴に必要な保証金1億7500万ドル(約265億円)を支払ったが、一方、1日の株式市場で、トランプ氏が立ち上げた新興メディア企業トランプ・メディア・アンド・テクノロジー・グループの株式が前週末比21%安に急落した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     4つも訴訟を抱えていると資金繰りが大変だね 誰のせいでそうなったんだろうね?

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉のアスパラ巻き焼き」「生野菜とアボカドのサラダ」「ブナピーの味噌汁」を作りました アスパラは細身のを4本ずつ巻きましたが、とても美味しかったです

 

     

 

         

 

柚月裕子、中山七里ほか著「警官の道」(角川文庫)を読み終わりました 本書は現代の注目作家7人による警官小説アンソロジーです

 

     

 

本書に収録されているのは次の7篇です

①上級国民(葉真中 顕)

②許されざる者(中山 七里)

③Vに捧げる行進(呉 勝浩)

④クローゼット(深町 秋生)

⑤見えない刃(下村 敦史)

⑥シスター・レイ(長浦 京)

⑦聖(あきら)(柚月 裕子)

葉真中顕著「上級国民」は、ひき逃げに遭い死亡した老人の遺族に関する極秘調査を上司から命じられた公安刑事・渡会の物語です 加害者は県知事の甥で、翌年に引退する現知事の後釜とされていた。遺族の弱みを握り、交渉を有利に進め、起訴を免れようという目論見があり、渡会は内心忸怩たる思いを抱きながら任務を遂行していきます これは、2019年に東京・池袋で起きた元高級官僚による暴走事故を思い出させます

中山七里著「許されざる者」は、東京オリンピック開会式の日に、八王子の森で有名な演出家の他殺体が発見されるが、彼は閉会式の演出チームの中心人物だった 警視庁捜査一課の犬養隼人刑事は故人のアルバムの1枚の写真から犯人の手がかりを掴みます これも、開幕前にいくつものスキャンダルがあった東京オリンピックを思い出させます

呉勝浩著「Vに捧げる行進」は、コロナ禍による自粛生活が続くなか、寂れた商店街のシャッターに、黄色と赤のペンキで円の中にV字を描く落書きが繰り返される 交番勤務のモルオは現場に駆けつけるたびに被害者である商店主の矢面に立つが、商店主自らもシャッターの落書きに手を加えるようになる・・・というシュールな展開が待っています これを読むと「自粛警察」という言葉を思い出します

深町秋生著「クローゼット」は、警察という多様性を認める職場とは言い難い組織の中で、同性愛者の刑事が同性愛者同士の事件に対峙し、差別を告発するというストーリーです

下村敦史著「見えない刃」は、上司から性犯罪専従を命じられた女性警察官が、夜の公園で襲われた22歳の女性が、SNS上の動画サイトにセクシーな服装で料理をする姿をアップしていたことから、それを手掛かりに犯人を捜し出していくという内容です

長浦京著「シスター・レイ」は、フランス帰りのバツイチの女性・玲が、母親のヘルパーである友人のフィリピン出身の女性から、特殊詐欺の疑いをかけられて行方不明になった息子の救出を頼まれ、行動に移し無事に救出するというストーリーです 実は、玲はフランスにいた時、警察組織である国家憲兵隊治安介入部隊のサブリーダーを務めていたという経歴の持ち主で、頭が切れ、腕力も強いという設定です そのため、反グレ集団からの救出劇は爽快感があります

柚月裕子著「聖」は、町の中華料理店で出前持ちのバイトをする高校生の有田聖(あきら)が、母と自分に暴力を振るうチンピラの父へ復讐するため暴力団に入ろうとするが、暴力団事務所で見たある人物との出会いがきっかけとなり警察官を目指すというストーリーです 柚月裕子らしい希望を持たせるストーリー展開です

本書は2021年12月という新型コロナウイルス蔓延の時期に角川書店から単行本として刊行されたため、内容的にコロナ禍の日本が舞台になっている作品が目立ちます 「小説はその時代を反映する」ということでしょうか

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クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」を観る ~ 「原爆の父」と言われたアメリカの理論物理学者の栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く / 独りを慎しむ ~ 向田邦子のエッセイから

2024年04月02日 00時53分20秒 | 日記

2日(火)。昨日の日経朝刊第1面のコラム「春秋」は1日に社会に出た新入社員のことを書いています その中で、「この季節は多くの人が『初めて』を経験する。もう一つ思い出すのが作家、向田邦子さんの随筆だ」として、次のように書いています

「『独りを慎しむ』という小文に33歳で初めて一人暮らしを始めた時の心境をつづっている ある日『急激にお行儀が悪くなっている』自分に気づいてドキンとしたという 炒めた食材をフライパンから直接食べる。風呂上がりに下着のまま電話をとる。家族の視線がなくなって居住まいが崩れたことを猛省し、こう記す。『これは、お行儀だけのことではない』『精神の問題だ』『でも、とても恐ろしい』。一歩間違えば自堕落に陥るからだ 年齢を重ねるほどに人生から『初めて』は減っていく。それでも、時々はこの言葉を取り出して、我が身と精神が崩れていないか点検する。今夜は履き古した靴を磨いてみるか

『独りを慎しむ』は向田邦子のエッセイ集『男どき 女どき(おどき めどき)』(新潮文庫)に収録されています

 

     

 

その中で彼女は次のように書いています

「行儀には人一倍うるさい父の目がなくなって、家族の視線がなくなって、私はいっぺんにタガがゆるんでしまったのです 自由を満喫しながら、これは大変だぞ、大変なことになるぞ、と思いました 『ころがる石はどこまでも』。こういうことわざがあるそうです。ローリングストーンズというとカッコいいのですが、とても恐ろしい意味があります いったん、セキを切ったら水がドウッと流れ出し、一度転げ落ちたら、水は、石は、どこまでも落ちていくのです   そして、それは、ある程度力をつけたら、もう人間の力では、とめようがなくなるのです お行儀も同じです

「これは私のこと」と思った人も少なくないのではないか、と想像します 一人の時ぐらい自由気ままに過ごしてもいいじゃないの、とも思います しかし、普段の生活態度は人と接する時に自然に出てしまいますから、怖いですね

これを機会に向田邦子のエッセイを何篇か読み直してみましたが、ウーンと唸ってしまいました 名文です。彼女の文章にはリズムがあります 先日ご紹介した『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の中で村上春樹が語っていた「リズム」です

ということで、わが家に来てから今日で3367日目を迎え、ロシアのプーチン大統領が春の徴兵に関する法令に署名し、15万人が徴収されることが31日に大統領府のウェブサイトに掲載された文書で分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     大統領選挙で圧勝したプーチンからのお礼が15万人の徴兵だ 国民は目を覚ませ!

 

         

 

昨日、夕食に「タンドリーチキン」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました タンドリーチキンは久しぶりに作りましたが、美味しく出来ました

 

     

     

         

 

昨日、TOHOシネマズ池袋でクリストファー・ノーラン監督による2023年製作アメリカ映画「オッペンハイマー」(3時間)を観ました

ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、カルフォルニア大学で教鞭をとる世界最高の理論物理学者のひとりである 第2次世界大戦のさなか、陸軍のグローヴス准将(マット・デイモン)から、ナチスドイツに対抗する原爆製造のための「マンハッタン計画」に誘いを受ける 彼はその原爆開発プロジェクトの委員長となり、ニューメキシコ州ロスアラモスの砂漠の中に巨大な研究所をつくり、そこに優秀な科学者とその家族数千人を移住させる しかし、ドイツの敗北後も「まだ日本がある」と原爆開発は続けられ、ついに人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させる。そして、トルーマン大統領はその原爆を広島と長崎に投下することを決断する。第2次世界大戦終結後、オッペンハイマーは「原爆の父」と称賛されるが、恐るべき”大量破壊兵器”である原爆のもたらした惨禍に苦悩する しかし、アメリカ政府は米ソの冷戦の中でさらに水爆を開発しようとし、これに異を唱えるオッペンハイマーと対立し彼を「ソ連のスパイ」とまで見做して敵視する

 

     

     

この映画は、2006年にピューリッツァー賞を受賞したカイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」をベースに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描いた作品です

視覚的な意味でのハイライトは、ロスアラモスの砂漠における「トリニティ」の原爆爆発実験シーンです カウントダウンが0となった時、重低音が押し寄せるかと思っていたら、しばし無音のなか、映像だけが原爆の大爆発による巨大なキノコ雲を映し出し、あまりの衝撃ゆえに耳が聴こえなくなったかのように思わせ、その後、重低音の爆発音が炸裂するという撮り方で、反ってインパクトがありました

広島と長崎に原爆を投下した時の映像は映し出されませんが、その時の様子を収めた記録映像をオッペンハイマーらが観るシーンがあります ナレーションは「死んだのは多くの一般市民だった。縞模様の服を着ていた者は縞模様に焼け出されていた」と語ります その時 ノーラン監督は、オッペンハンマーが黒焦げになった死体を踏みつける映像を重ねます それは、記録映像に映し出された黒焦げの死体をオッペンハイマーが観て、その原因となったのは自分たちが開発した原爆だったという事実にあらためて向き合うことになったことを象徴しています

広島・長崎への原爆投下の映像をストレートに流すべきだという主張もあるかと思いますが、中途半端に扱うのは止めた方が良いと思います その点ノーラン監督はクレバーだと思います

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