16日(火)。17日(水)から26日(金)までMETライブ「運命の力」を挟んで10日連続コンサートなので、昨日は身体を休めるため、家で予習CDを聴きながら本を読んで過ごしました 昨日は月1回の新聞休刊日だったので幸か不幸か読書がはかどりました 新聞のない朝なんてコーヒーを入れないクリープみたいなもんです
話は変わりますが、読響サマーフェスティバル2024「三大交響曲」&「三大協奏曲」のチケットを、読響会員優先販売(1割引き)で取りました
「三大交響曲」は8月18日(日)14時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれます プログラムは①シューベルト「交響曲第7番”未完成”」、②ベートーヴェン「交響曲第5番”運命”」、ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界から”」で、指揮は出口大地です
「三大協奏曲」は8月21日(水)18時半から東京芸術劇場コンサートホールで開かれます プログラムとソリストは①メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」(Vn:中野りな)、②ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」(Vc:佐藤桂菜)、③チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」(P:進藤実優)で、指揮は大井剛史です
さて、私は上のチラシを見て両公演のチケットを取ったのですが、下の写真の左側のハガキも届きました 明らかに両公演の開演時間が逆になっています チケットを取った後で写真の右側のハガキが届きました 天下の読響にしては あまりにも恥ずかしいミスです 通信費のムダだし、今後は二重・三重のチェックをして十分気をつけてほしいと思います
ということで、わが家に来てから今日で3381日目を迎え、米大統領選の民主党候補バイデン大統領と共和党候補のトランプ前大統領に対し、CNNを含む米報道機関12社が14日、テレビ討論会への参加を促す異例の公開書簡を出した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプはルール無視・フェイク連発の前例があるけど やった方がいいんじゃね?
昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました ハッシュドビーフは久しぶりに作りましたが、美味しかったです
小澤征爾・武満徹 著「音楽」(新潮文庫)を読み終わりました 小澤征爾は1935年 奉天(中国の藩陽)生まれ。一方、武満徹は1930年 東京生まれで小澤より5歳年上です
本書は1978年(昭和53年)5月8日、1979年11月16日、同年12月20日の3回、10時間近くにわたって行われた対談を、新潮社編集部の責任で整理・編集し、小澤・武満両氏の加筆・訂正を経て1984年(昭和59年)4月に刊行されたものです
本書から読み取れるのは、対談当時の日本のクラシック音楽界が置かれた時代状況です 対談の行われた1978年(昭和53年)当時、小澤はボストン交響楽団の音楽監督に就任してから5年目の43歳、武満はサンフランシスコ交響楽団からの委嘱により作曲した「鳥は星の庭に降りる」の初演の翌年にあたる48歳で、飛ぶ鳥を落とす勢いの2人でした
当時は、コンサートホールと言えば「東京文化会館」「日比谷公会堂」くらいしかなく、オペラを上演するにも専用のオペラ劇場がありませんでした サントリーホールが開館したのは1986年(昭和61年)、「新国立劇場」が開館したのは1997年(平成9年)でした
対談で小澤は次のように語っています
「オペラ座は必要だし欲しいね。これは現場からの意見だよ。日本の多目的ホールでオペラをする困難さは、ヨーロッパ、アメリカの状況に比べたら想像を絶するね オペラの公演のためにはどうしても会場練習が必要だし、舞台装置もいる、衣装を置く場所もほしいのに会場がない 見ていると気の毒だよ。仮に会場が確保できたとしても、東京の文化会館だと、規則がひどいんだよ。朝の勤務時間にならないと装置を運び込むことも出来ないし、夜中は使ってはいけない 昔は日曜日も開いていなかったんだ。ユニオンの強いアメリカやヨーロッパ、社会主義国でさえ、いざとなれば、夜中でも働いてくれる」
「新国立劇場」の開館に当たっては様々な意見がありましたが、小澤の発言を待つまでもなく、オペラ専用の劇場が出来たことは良かったと思います
対談を読んで一番納得したのは「日本人が西洋音楽をやるメリット」についての小澤の発言です
「20年前に齋藤秀雄先生が指揮者のコースで言ったことを思い出したんだ 日本人である利点は、ドイツの音楽はドイツの音楽として勉強し、フランスの音楽はフランスの音楽として勉強し、イタリアの音楽はイタリアの音楽として勉強し、ロシアの音楽はロシアの音楽として勉強することが出来る点だ これは日本人としての利点だと それは西洋音楽の伝統を持たないから可能なのだ ヨーロッパ人の欠点は、ドイツ人がフランスの音楽をやると、どうしてもドイツの音楽になっちゃうことだ フランス人がフランスの音楽をやったら、素晴らしいし、ドイツ人のドイツ音楽は素晴らしい これは斎藤先生の名言だと思う 僕らが日本人であるゆえに西洋音楽のいかなる伝統もないという欠点を利点に変えるためには、選択をちゃんとしなければいけない 日本人として大事なことは、ドイツにはドイツの伝統があるけれども、その伝統にはいい伝統と悪い伝統がある。日本の伝統だって悪い伝統といい伝統がある」
斎藤秀雄先生の「名言」を実践に移し、世界のクラシック音楽界で証明してみせたのが、一番弟子の小澤征爾だったということですね
音楽の話とは離れますが、2人に共通するエピソードとして初めて知ったのは、三島由紀夫自決事件(1970年)当日の出来事です
武満「あなたのお父さんの葬式に行く時、市ヶ谷の自衛隊の前で車が止まって動かなくなった 9年前の11月25日。その時三島事件が起きたわけだ 僕は現場の目の前にいて、タクシーのラジオが実況放送するのを聴いていた。あんなショックはなかったな。そこから小澤さんの葬儀に出席した。なにか不思議な気持ちがするね」
小澤「事件の2か月前だったかな? バーンスタインが来日していて帝国ホテルへ会いに行ったんだ ちょうど三島さんがバーンスタインの部屋から出てきて、そこで三島さんと出会ったんだ。三島さんは、何かおれのことを怒っていたんだね、あんなに親しかったのに 廊下ですれ違っておれがオスッて手を揚げると、顔をそむけて挨拶もしないんだ。もう死ぬつもりだったんだろうけどね だけど、バーンスタインは三島さんの死をよく理解していたみたいだよ」
武満「それも不思議な話だね」
武満が三島に会ったのは1度しかなかったそうです 不思議な出来事があるものですね
本書の巻末には小澤征爾と武満徹の誕生から1984年(昭和59年)までの年譜が対比して掲載されています これを見ると、いかに2人が世界を相手に活躍をしてきたかが分かります 小澤はその後、ボストン交響楽団の音楽監督を通算29年間も務め、1992年には「サイトウ キネン オーケストラ」を立ち上げ、2002年から2010年まで世界のクラシック音楽界の最高峰とも言うべき「ウィーン国立歌劇場」の音楽監督にまで登り詰めました
また、本書には小澤征爾ディスコグラフィ(1962年1月以降1984年3月まで)と、武満徹ディスコグラフィ(1984年までに発売されたレコード)のほか、当時の写真がふんだんに掲載されていて、見ても楽しめる内容になっています
武満徹は1996年に66歳で、小澤征爾は2024年に88歳で向こうの世界に旅立ちました 今ごろ あちらの世界で音楽について対談しているかもしれません