人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番」、ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第4番」を聴く

2014年02月08日 09時12分40秒 | 日記

8日(土)。予想していたことが起こっています。スポニチのネット・ニュースによると、聴力を失った作曲家で「現代のベートーヴェン」と呼ばれる佐村河内守氏が作曲したとする曲が、実際には桐朋学園大学の非常勤講師・新垣隆氏が作曲したものだったことが明らかになってから、これまで出されていた佐村河内守の名義で出ていたCDが、ネットオークションの国内最大手「ヤフオク!」で値が高騰しているというのです

CDの発売元の日本コロンビアが佐村河内守名義で発売したCDの出荷と配信を停止したため、プレミア感が高まったためです 「交響曲第1番”HIROSHIMA"」は6日22時55分現在で、86点出品されており、そのうち84点は一連の”騒動”以降に出品されたものとのことです このCDの定価は2,940円ですが、最高で8,000円まで高騰しているといいます 日本人って、どうしてこうあさましいのだろうか、と思います。私も1枚所有していますが、売り飛ばそうという気持ちはさらさらありません

 

          

               (「交響曲第1番”HIROSHIMA"」のCD)

 

          

            (昨年の全国コンサート・ツアーのプログラム表紙)

 

新聞報道によると、今後の佐村河内守氏がらみのコンサートは一切中止になるはずなので、手元にあるチケット(3月6日に川口のリリアホールで開かれる「弦楽とピアノで奏でる佐村河内守の世界」)がどうなるのか、チケットぴあのホームページで調べてみました

 

          

         

予想通り「公演中止による払い戻し」のお知らせが載っていました。告知の中で「諸事情により、演奏会の趣旨と異なる内容となったため、公演中止となりました」と書いています 払い戻しは、3月15日(土)までにチケットを買った店舗で受け付けるとしています。CDは手元に残りますが、コンサートは聴かなければ意味がないので払い戻してもらいます

 

          

           (幻のコンサートになってしまった3月6日のチケット)

 

  閑話休題  

 

昨夕、銀座のヤマハホールで堤剛スペシャル・コンサートを聴きました プログラムは①ヘンデル「パッサカリア」、②マルティヌー「ロッシーニの主題による変奏曲」、③ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調”街の歌”」、④湯浅譲二「Congratulations for the 70th Birthday」、⑤ボッケリ―二「2つのチェロのためのソナタ・ハ長調」、⑥メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番ハ短調」です 出演は、チェロ=サントリーホール館長・堤剛、水野由紀、ヴァイオリン=若手のホープ会田莉凡、ピアノ=須関裕子です

 

          

 

自席は1階K列15番、右ブロックの左通路側。333席の会場はほぼ満席です

1曲目のヘンデル(J.ハルヴォルセン編)「パッサカリア」は、ヘンデルのチェンバロ組曲第7番の最終楽章をアレンジした曲です。会田莉凡が赤をベースとした銀のラメ入りの鮮やかなドレスで堤剛とともに登場します 彼女の演奏を聴いていていつも思うのは確かな実力に裏付けられた力強さと抜群の安定感です。渾身の演奏でした

2曲目のマルティヌー「ロッシーニの主題による変奏曲」は、ロッシーニの歌劇「エジプトのモーゼ」の終曲をテーマに作曲されたものです チェロの水野由紀が朱色の、ピアノの須関裕子が青緑色のドレスで登場します ロッシーニの歌劇が元になっているだけに、曲自体が面白く、チェロもピアノも腕の見せ所満載です。私はこの二人は初めて聴いたのですが、二人とも音楽性が豊かですごく良いと思います

3曲目のベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調”街の歌”」は、本来ピアノ、クラリネット、チェロのための曲ですが、クラリネットの代わりにヴァイオリンで演奏されることが多くなっています。演奏は会田莉凡、水野由紀、須関裕子の3人です

第1楽章の冒頭から、この3人は聴衆の心を捕えます。第2楽章アダージョは、ヴァイオリンとチェロの会話にピアノがそっと寄り添う様子が微笑ましく、やっぱりベートーヴェンはアダージョが一番だと再認識させられる素晴らしい演奏でした 第3楽章は、まさに演奏する喜びに満ちた見事なアンサンブルでした

休憩時間に、何気なしに前の席の番号を見ていて、I(アイ)列がないことに気が付きました 私の席はK列ですが、その前がJ列、その前がI列のはずがH列になっているのです 後ろの席を振り返ると、M,N,O、PのうちO列がないのに気が付きました。これはアルファベットのI(アイ)を数字の1と間違えないように、同じくO(オー)を数字のO(ゼロ)と間違わないようにという配慮だと思われます 他の会場ではあまり見たことがありません

休憩後の1曲目、湯浅譲二「Congratulations for the 70th Birthday」は、2012年に堤剛の生誕70年の誕生日を祝うために作曲されたものです ご本人が演奏しましたが、途中、微妙に「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」のメロディーが聴こえてきました

2曲目のボッケり―二「2つのチェロのためのソナタ・ハ長調」は、チェリストでもあり、125曲もの弦楽五重奏曲を作曲したボッケリー二が作ったものです もちろん堤剛と水野由紀の演奏です。お互いに間合いを取りながら演奏しましたが、第1楽章を聴いていて、ハイドンのチェロ協奏曲によく似ているな、と思いました 影響を受けたとすれば、むしろハイドンがボッケリー二から影響を受けたと言うべきでしょうが

さて、私がこのコンサートのチケットを買ったのは、最後のメンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番ハ短調」を聴くためです 演奏は会田莉凡、堤剛、須関裕子の3人です

第1楽章のアレグロは”秘めた情熱”とでも言うべき短調特有の曲想ですが、3人の奏者はメンデルスゾーンの魅力を見事に引き出していました 第4楽章のフィナーレに至るまで、こういう演奏こそメンデルスゾーンに相応しいと思いました

最後の一音が鳴り終るや否やブラボーと拍手 の嵐が起こりました。

最後に4人がいっしょに登場して一礼した後、堤剛だけ出てきて次のように語りました

「今日はありがとうございました。全員でアンコールを演奏したいのですが、ピアノとヴァイオリンとチェロが2人ということで・・・・・・・・。私が一人でアンコールを演奏したいと思います。パブロ・カザルスの”鳥の歌”です

チェロ1本によるこの曲は、チェロの名手カザルスが国連で演奏して世界中に話題を巻き起こした曲です 堤はチェロにしみじみと「鳥の歌」を歌わせました

この日の収穫は、会田莉凡の演奏が聴けたことはもちろんですが、ピアノの須関裕子、チェロの水野由紀という演奏家を知ることが出来たことです。この二人も今後の活躍が期待されます

          

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新日本フィル定期会員継続案内届く~トリフォニー・シリーズにするか、サントリー・シリーズにするか

2014年02月07日 07時01分20秒 | 日記

7日(金)。昨日、エアコン交換工事の立会いのため休暇を取りました リビングと子ども部屋のエアコンが10年以上使っていて省エネ効果が低いので2ついっぺんに新調することにしたのです。工事業者の人が午前10時ころに一人で来て、1台ずつ古いエアコンを取り外し、新しいのを取り付けました。最後に30分程度試運転をして異常のないことを確かめてから帰っていきました。という訳で現在、部屋は快適です

 

  閑話休題  

 

午後、時間があったので久しぶりに新宿のタワーレコードに行くことにしました クラシック売り場のある10階までエスカレーターで上がって、端からクルージングをしました。「これが欲しい」というCDは特にありませんでした タワーレコードが出している無料誌「intoxicate」最新号(2013.12月)をもらって電車の中で立ち読みしました その中に、左ページに「佐村河内守:鎮魂のソナタ」(ピアノ=ソン・ヨルム)のCDの広告と全国ツアーの日程が、右ページに佐村河内守氏のインタビューが載っていました

 

          

 

インタビューの中で、彼が作曲したというピアノ曲「レクイエム」について次のように語っています

「僕はこれまで、生者が死者に向かって魂を鎮めようとする音楽、として数々のレクイエムを書いてきました。しかし、この”レクイエム”では、被災地を訪れて多くの被災者の皆さんと語り合いながらも、初演の直前までそういうものが降りてこなかった 自分に鞭打とうと寒さの厳しい女川で夜を徹して野営をしました。凄く綺麗な夜明けが訪れたとき、自分の音楽を邪魔して立ちはだかる巨大な鉄の重い扉のようなものが、鳥肌がたつような感覚の中でゆっくり開いていったように感じた そこで、死んだ人たちから”書いていいよ”と赦されたような感覚が訪れた。そして、滝のように音が降ってきて・・・・」

2週間で「レクイエム」が完成した。その後、単一楽章の「レクイエム」は後に拡張され40分を超える3楽章の「ピアノ・ソナタ第2番」となったのです

 

          

 

暇と時間があったので、ノンフィクション作家・神山典士氏が”スクープ”した佐村河内守氏を巡る一連の”真実”を収録した「週刊文春」を買って読みました それによると、佐村河内守氏は楽譜が読めず、「交響曲第1番」という本で書いた自伝は出鱈目だったということが明らかにされています 彼のゴーストライターである桐朋学園大学講師の新垣隆氏は、最初は軽い気持ちで作曲の依頼を引き受けていたようですが、佐村河内氏の名前が世間に知れ渡るようになるにつれて、「このまま嘘をつき続けることは許されない」と思うようになり、佐村河内氏に何度も「もうやめよう」と持ちかけたものの、「今さら引き返せない」ということで断られてきたようです 文春の大見出しに「全聾の作曲家はペテン師だった!」とありますが、残念ながらそのように言われても仕方のない実態があったようです 私は、昨日のブログで「佐村河内氏自身が作曲した曲を聴くことは叶わないのか?」と書きましたが、文春によって真実を知った今は、それが叶わないことが明らかになってしまいました。彼を信じていただけに非常に残念です

昨日午後の記者会見で、”ゴーストライター”新垣隆氏は「私は佐村河内守の共犯者です」と明言していました。この機に及んで真実を告白しようとしたのは、本当は新垣氏が作曲した「ヴァイオリンのためのソナチネ」が、ソチ五輪で高橋大輔選手が演技する曲に選ばれたことを知ったからだとしています これ以上、罪を負って生きていく訳にはいかないと覚悟を決めての告白だったとのことです

 

          

 

今回の”事件”は日本のクラシック音楽界に大きな問題を提起しています。ほかにもこうしたケースがあるのではないか?名曲の条件とは何か

端的に言えば、「交響曲第1番”HIROSHIMA"」が佐村河内守氏ではなく新垣隆氏の作曲によるものとして、これまで”世間が認めていた”高い評価が得られるのかどうか、ということです 曲そのものが素晴らしければ、作曲者は誰であれ後世に残るはずです。残念ながら今の私には、これまで通りの評価が出来るのかどうかの判断を下す自信も能力もありません この問題は時のみが解決してくれるのでしょうか

 

  閑話休題  

 

新日本フィルハーモニー交響楽団から2014-2015シーズンへの定期会員継続案内が届きました 新日本フィルの定期演奏会は①トリフォニー・シリーズと②サントリーホール・シリーズから成り、秋(9月末)から翌夏(7月上旬)まで8回の公演が組まれています 現在会員になっている「トりフォニー・シリーズ」の次期ラインアップは次の通りです

10月:指揮=インゴ・メッツマッハ― ①ツィンマーマン「管弦楽スケッチ”静寂と反転”」、②ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」

11月:指揮=ダニエル・ハーディング 〇ブルックナー「交響曲第5番変ロ長調」

2月:指揮=カール・アントン・リッケンバッハ― ①ウェーバー「魔弾の射手」序曲、②ヒンデミット「ウェーバーの主題による交響的変容」、③ブラームス「交響曲第1番ハ短調」

3月:指揮=マックス・ポンマー 〇バッハ「管弦楽組曲第1番~第4番」 (フルート:白尾彰)

4月:指揮=インゴ・メッツマッハ― ①R.シュトラウス「ティル=オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、②ヴァレーズ「アメリカ」、③同「アルカナ」、④R.シュトラウス「死と変容」

5月:指揮=尾高忠明 ①ヴォーン・ウィリアムズ「タリスの主題による幻想曲」、②ディーリアス「楽園への道」、③ブリテン「ピーター=グライムズ」より”4つの海の間奏曲”」、④エルガー「交響曲第1番変イ長調。

6月:指揮=秋山和慶 〇ストラヴィンスキー「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」

7月:指揮=ダニエル・ハーディング 〇マーラー「交響曲第2番”復活”」

このシリーズの目玉はハーディングの指揮するブルックナーの「第5番」とマーラーの「第2番」でしょう また、メッツマッハ―の指揮するベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」と、40年ぶりに新日本フィル定期に登場する秋山和慶のストラヴィンスキーも興味があります

 

          

          

 

一方、「サントリーホール・シリーズ」の次期ラインアップは次のようになっています

9月:指揮=インゴ・メッツマッハ― ①ツィンマーマン「大オーケストラのためのプレリュード”フォトプトシス”」、②同「ユピュ王の晩さんのための音楽」、③ベートーヴェン「交響曲第7番」

11月:指揮=ダニエル・ハーディング ①マーラー「子供の魔法の角笛」より、②同「交響曲第4番」

1月:指揮=井上道義 ①武満徹「地平線のドーリア」、②吉松隆「トロンボーン協奏曲」、③リゲディ「ロンターノ」、④クセナキス「ノモス・ガンマ」

2月:指揮=クリストフ・スピノジ ①シューベルト「交響曲第3番」、②サン=サーンス「交響曲第3番”オルガン付き」

3月:指揮=ヘルムート・ヘンヒェン 〇モーツアルト「交響曲第39番、第40番、第41番」

4月:指揮=インゴ・メッツマッハー ①シェーンベルク「5つの管弦楽曲」、ヤナーチェック「シンフォニエッタ」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」

6月:指揮=飯守泰次郎 ①バッハ「オーボエ協奏曲BWV1053」、②R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」、③ベートーヴェン「交響曲第3番”英雄”」

7月 指揮ーダニエル・ハーディング ①ブラームス「悲劇的序曲」、②同「ハイドンの主題による変奏曲」、③同「ピアノ協奏曲第2番」

こちらの目玉は、やはりハーディングのマーラー「第4番」とブラームス「ピアノ協奏曲第2番」でしょう スピノジの指揮するシューベルトとサン=サーンスの交響曲も面白いと思います

 

          

          

                 

プログラムの内容はもちろんのこと、他のオケやオペラの定期公演等と日程がダブっていないかどうかもチェックしたうえで、どちらのコースにするかを決めたいと思います

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全聾の作曲家・佐村河内守氏の主要曲がゴーストライターによるものだったという問題について

2014年02月06日 07時00分25秒 | 日記

6日(木)。昨夜9時のNHK「ニュースウォッチ9」を観ていてびっくりしました 「全聾の作曲家」「現代のベートーヴェン」として知られる佐村河内守氏が、十数年前から別人の男性に頼んで作ってもらった曲を自分が独自に作曲したとしてきたことが分かった、という内容です代理人の弁護士によると、「佐村河内守氏は、十数年前から、彼が提案したイメージを基に、別の男性が旋律や和音を含め作曲していたが、自身の作品として発表していた」とのことです 今日午後、18年間にわたり佐村河内氏の”ゴーストライター”をやっていたという桐朋学園大学非常勤講師・新垣隆氏の記者会見が開かれ、これまでの経緯が語られるとのことですが、本当のところ佐村河内氏本人から直接”真実”を聞きたいところです

このブログでも彼の「交響曲第1番”HIROSHIMA"」のCDをご紹介し、神奈川フィルのよる演奏会の模様をご報告しました。はっきり言って、「何だろう、これは・・・・」という変な感じです われわれはあの交響曲第1番が「広島生まれの被曝二世で全聾の作曲家によって書かれた」という”予備知識”に基づいて聴いていたと言えます 厳しい環境の中だからこそ、あのような重く苦悩に満ちた曲が出来たのだ、と。つまり佐村河内守=交響曲第1番”HIROSHIMA"という計算式しかあり得ないと判断して聴いてきたのです しかし、今になって、その”予備知識”が間違っていたことが分かり、われわれはハシゴを外された状態に陥ってしまいました 問題は今後、”予備知識”を抜きにして、あの「交響曲第1番”HIROSHIMA”」が純粋に優れたクラシック音楽として耐えうると判断できるのか、ということだと思います つまり、佐村河内守=交響曲第1番”HIROSHIMA”という計算式を否定し、新垣隆氏を計算式に当てはめたうえで、曲を聴いて純粋に素晴らしいと思えるかどうか、ということです

私にはまだその結論を出す心の整理が出来ていません 私は3月6日に川口のリリアホールで開かれる「弦とピアノで奏でる佐村河内守の世界」公演のチケットを持っていますが、まず間違いなく公演中止になるでしょう 演奏される曲は彼の作曲によるものではないからです。非常に複雑な心境です 今後、本当に彼自身が作曲した曲を聴くことは叶わないのだろうか、と思わずにいられません

 

          

 

  閑話休題   

 

4日の日経「夕刊文化」欄に「R.シュトラウス生誕150年で公演~『万能の職人』の傑作堪能」と題する同紙編集委員・小松潔氏の記事が載っていました。リードには次のように書かれています

「今年生誕150年を迎えたドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)。日本でも記念演奏会が相次ぐ。モーツアルト以来といわれる管弦楽曲からオペラまで幅広いジャンルで傑作を残した『万能』の音楽家だ

記事では全国各地で行われる公演を紹介しています

N響は4月の定期公演で『紀元2600年祝典曲』を取り上げる。N響が演奏するのは56年ぶり

8月に群馬県で開かれる「第35回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」は、テーマに「リヒャルト・シュトラウス生誕150年~ミュンヒェン、ウィーン、ドレスデン~」を掲げ、室内楽を中心に演奏する

新国立劇場は今シーズン「ナクソス島のアリアドネ」(2月28日~3月2日)、「アラべッラ」(5月22日~6月3日)を取り上げる

日本リヒャルト・シュトラウス協会は11月に記念公演を開き、「ばらの騎士」「サロメ」のさわりを披露する

演奏会では以上の4公演を紹介していますが、クラシック音楽を守備範囲とする日経の編集委員が、なぜ3月23日に東京文化会館で開かれる「東京・春・音楽祭」のマラソン・コンサート「リヒャルト・シュトラウスの生涯~生誕150年に寄せて」を取り上げなかったのか、不思議な気がします

 

          

 

この公演は第1部から第5部までから成り、各公演が1時間程度、午前11時から午後8時過ぎまでのマラソン・コンサートです このコンサートほどリヒャルト・シュトラウスの全体像を把握するのに相応しい企画はないと思います 私は第1部「誕生~激動の人生の幕開け」、第3部「時代の寵児となった、若き天才音楽家」、第4部「オペラ作曲家として」を聴きに行きます

 

  も一度、閑話休題  

 

チケットを2枚買いました 1枚は4月17日(木)午後7時から東京文化会館小ホールで開かれる「花房晴美 室内楽シリーズ~パリ・音楽のアトリエ」です。ドビュッシー、ラヴェル、プ―ランク、シャブリエなどのピアノ曲が演奏されます 花房晴美さんのこのシリーズは日程が取れる限り聴くようにしています。前に聴いたサン=サ―ンスを取り上げたコンサートは印象深いものがありました

 

          

 

もう1枚は4月25日(金)午後7時から同じく東京文化会館小ホールで開かれる「春の夜コンサート」です この公演は東京文化会館が主催している「モーニングコンサート」の番外編という位置づけで開かれるもので、公演時間は1時間ですが入場料金は全自由席500円と格安です 出演はヴァイオリンの石亀協子、チェロの金子鈴太郎 、ピアノの須藤千晴です。私は、このうち須藤さんだけヤマハホールで演奏を聴いたことがあります。プログラムはベートーヴェン「スプリング・ソナタ」第1楽章、ブラームス「ピアノ三重奏曲第1番」第1楽章、エルガ―「愛のあいさつ」ほかですが、私はブラームスの三重奏曲を聴きたくてチケットを買いました

 

          

 

  最後の閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊・文化欄に「ロシア・ピア二ズム」の継承者と言われるヴィルサラ―ゼのインタビュー記事が載っていました その中で印象に残ったのは、今の若者の音楽に対する姿勢と教育のあり方です。文化部の吉田純子記者が彼女の言葉を次のように紹介しています

「指導者として最近、与えることよりブレーキをかけることが大切と感じることが多いという バッハを徹底してやらせたくても、若者たちはコンクール映えする華やかな曲を弾きたがる。しかし、成長を急ぐほど、のちの実りも小さいと語る」

そうなんだろうな、と思います しかし、現実には名の知れたコンクールに入賞しない限り、いくら実力があると言っても、どこからも声がかからないだろうとも思います。コンクールって”必要悪”なのでしょうか

 

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川瀬健太郎+読売日響コンサートでベルリオーズ「幻想交響曲」を聴く

2014年02月05日 07時01分13秒 | 日記

5日(水)。昨日の各紙朝刊を見て驚きました。ゲルト・アルブレヒト氏死去のニュースです 記事によると、ドイツの指揮者ゲルト・アルブレヒト氏が2日、病気のためベルリンで死去、78歳だったとのこと 彼はチェコ・フィルで、外国人で初めて主席指揮者を務めましたが、日本では98年から2007年まで読売日本交響楽団の常任指揮者を務めました 私はその時期に定期会員になっていましたが、彼が常任を退任してから退会しました ちょっと見がドイツの巨匠フルトヴェングラーに似ていて、とくにドイツ音楽には定評がありました 私は彼の指揮するブラームスの交響曲が大好きでした。ご冥福をお祈りいたします

 

  閑話休題   

 

その因果か、昨夕、雪の降りしきる中、池袋の東京芸術劇場に出かけ、読売日本交響楽団のコンサートを聴きました これは都民芸術フェスティバルの一環として挙行された公演で、プログラムは①ベルリオーズ「ローマの謝肉祭序曲」、②メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、③ベルリオーズ「幻想交響曲」で、②のヴァイオリン独奏は志茂美都世、指揮は川瀬健太郎です

 

          

 

自席は1階N列23番、センターブロック右サイド。会場はほぼ満席。開演に当たりアナウンスが入ります

「読響桂冠指揮者アルブレヒトの死去を悼んでバッハの『アリア』を演奏します。演奏後、拍手はご遠慮ください

弦楽器奏者と指揮者・川瀬賢太郎が登場し、静かに「アリア」の演奏を始めます。演奏中、私は在りし日のアルブレヒトの演奏姿を思い浮かべていました。演奏が終わると、しばらく川瀬は頭を垂れ楽員とともに黙とうを捧げていました 聴衆もそれぞれ目を閉じ故人を偲びました。多分1~2分程度だったと思いますが、すごく長く感じました

指揮者とオケのメンバーは一度舞台袖に引き上げ、再度登場してコンマス小森谷巧の合図でチューニングをしました オケを見渡すと、相変わらず男性比率が高いことが分かります。ひょっとするとN響よりも高く、日本のオケでは一番男性が多いかも知れません 読響は普段、あまり聴く機会がないので、メンバーが数えるほどしか判りません コンマス以外で顔と名前が判るのは首席チェロの鈴木康浩、ソロ・チェロの毛利伯郎、首席コントラバスの西澤誠治(B.C.Jメンバー)、首席オーボエの蠣崎耕三くらいで、あとは弦楽セクション数人の顔に覚えがあるくらいです

1曲目の序曲「ローマの謝肉祭」は、ベルリオーズが作曲したオペラ「ベンヴェヌート・チェッリー二」の中の旋律をアレンジしてコンサート用の序曲として作曲したものです 弱音から強音までダイナミックレンジの広い曲で、謝肉祭に相応しい賑やかな曲です 川瀬は”元気溌剌”そのものでオーケストラの持てる力を引き出します 聴いていて特に感じたことは、ヴィオラセクションの充実です。首席に鈴木康治という名手がいることが大きいと思います

この曲を聴いて思い出すのは、LP時代に、レコード会社のキャンペーンか何かで巨匠メンゲルベルクの指揮による序曲「ローマの謝肉祭」を収録したレコードをもらったのですが、嬉々としてプレーヤーにかけてみたら、何ともひどい録音だったことです SPレコードからのコピーのようでしたが、音が団子状になって聴こえ、この曲が本当はどんな楽器で演奏しているのかサッパリ分かりませんでした いくらキャンペーンで無料だとはいえ、あまりにもひどく、巨匠メンゲルベルクに対するイメージが悪くなってしまいました こういうのはレコード会社にとってマイナスだと思いました

2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、いわゆる”メンコン”です。指揮者とともにソリストの志茂美都世(しも・みとせ)が淡いピンクのロングドレスで登場します。マリリン・モンローが来ているようなボディコン型で裾が広がっているドレスです

志茂はオケのサポートに乗って美しいメロディーを奏でていきますが、どうも衣装が気になって弾きにくそうです 演奏するには不向きなドレスを選んだようです。せっかく第63回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門で優勝した実力を持っているのに、十分に発揮できないように見えます。動きが制約されているため、小手先で演奏しているように見えてしまいます 天下の読響との協演、”ハレの舞台”での演奏ですから、綺麗に着飾りたくなることも分かりますが、演奏することを最優先に考えた場合、どうなのでしょうか?

志茂の弓が上がり演奏が終了すると、緊張感から解放されたためか、満面の笑顔を見せ、聴衆の拍手に応えました さて、バックを務めたオケの皆さんはどのように感じていたのでしょうか

 

          

 

休憩後のベルリオーズ「幻想交響曲」は、信じられないことに、ベートーヴェンの死後わずか3年後に初演されました 標題を掲げたロマン派音楽の幕開けを告げる傑作です 聴いていていいなあ、といつも思うのは第2楽章の「舞踏会」のシーンです。第1ヴァイオリンを中心に優雅なワルツを奏でます。夢の中でベルリオーズが女優のスミスソンと踊るシーンが目に浮かぶようです

第3楽章の「野の情景」におけるコーラングレとオーボエの会話はのどかで、どこか懐かしさを感じさせます そして白眉は第4楽章の「断頭台への行進」です。色彩感覚に溢れた力強いメロディーは、ベルリオーズの代名詞と言っても良いでしょう

フィナーレは第5楽章の「ワルプルギスの夜の夢~魔女のロンド」です。高音クラリネットが魔女の奇怪な踊りを表現、弔いの鐘が鳴る中、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」のメロディーが鳴り渡ります オーケストラはモテる力をフルに発揮して狂気の饗宴のクライマックスを描きます

川瀬賢太郎は若さあふれる指揮ぶりで全力投球でした 若くして落ち着いた指揮をする指揮者よりもずっと好ましく思います プログラムに載ったプロフィールによると、今年4月から神奈川フィルの常任指揮者に就任することが決まっているとのこと。私はあまり聴く機会がないと思いますが、新しいオケでの活躍を期待したいと思います

 

          

 

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矢月秀作著「もぐら凱(下)」を読む~「もぐらシリーズ」完結

2014年02月04日 07時07分57秒 | 日記

4日(火)。昨日は節分でした。わが家でも、大豆を買ってきて、無言で食べました。・・・・・・・ん、何か間違っていましたか? 昨夕は多くのご家庭で「恵方巻き」を召し上がったのではないかと思います 昨日の日経朝刊のコラム『春秋』が「恵方巻き」のことを書いています その最後に「そういえば向田邦子さんの『父の詫び状』にいい話がある」として、海苔巻きの話を紹介しています。懐かしくなり、書棚から引っ張り出して読むことにしました 『父の詫び状』は、昭和の香りを思い起こさせる24編からなるエッセイ集です。その中に『海苔巻きの端っこ』というタイトルのエッセイがあります。その一部を抜粋してみます

「海苔巻きの端っこは、ご飯の割に干ぴょうと海苔の量が多くておいしい ところが、これは父も大好物で、母は少しまとまると小皿に入れて朝刊をひろげている父の前に置く。父は待ちかまえていたように新聞のかげから手を伸ばして食べながら、『生水を飲まないように』『知らない木の枝にさわるとカブレるから気をつけなさい』と教訓を垂れるのだが、こっちはそれどころではない 端っこが父の方にまわらぬうちにと切っている母の手許に手を出して、『あぶないでしょ。手を切ったらどうするの』とよく叱られた。結局、端っこは二切れか三切れしか貰えないのだが、私は大人は何と理不尽なものかと思った 父は何でも真中の好きな人で、かまぼこでも羊羹でも端は母や祖母が食べるのが当たり前になっていた。それが、海苔巻きに限って端っこがいいというのである

子供時代の思い出を書いた、何でもないようなエッセイですが、「何としても海苔巻きの端っこが食べたい 自由に食べられる大人はずるい」という子供心がユーモラスに生き生きと描かれています 日常の営みをエッセイに書かせたら向田邦子の右に出る者はいないでしょう。彼女の早い死が惜しまれます。私は鋭い感性に裏付けられた、それでいて軟らかい彼女の文章が大好きで、彼女のエッセイのような文章が書けたらいいな、と常々思っています 

 

          

 

  閑話休題  

 

矢月秀作著「もぐら凱(下)」(中公文庫)を読み終わりました これは著者の「もぐらシリーズ」の第7弾完結編です

警視庁のモール(組織犯罪対策部犯罪追跡特務班)のメンバーは、次々と驚異的な戦闘力を持つ多国籍グループによって倒されていく 新たに警視庁の管理官に就任した小山田は外国人に対し敵意を持ち強硬な姿勢で対処する一方、沖縄から東京に戻った元モールのメンバー影野竜司は檜山とともに、小山田と手を組んだ敵を追究していく しかし、敵集団から国会議事堂にロケット弾が撃ち込まれ、日本全土で多国籍グループが蜂起し、同時多発テロを起こす。竜司は日本を、愛する紗由美を守るため命を懸けた最後の闘いに挑む

 

          

 

上巻を読んだ時にも思ったのですが、戦闘シーンが多い本です。そして主役クラスは中々死にません。この本のようなハードボイルド・アクション小説の場合は、そう簡単に死んでいては話がすぐに終わってしまうからでしょう いずれにしても「もぐらシリーズ」の主役が死ぬ第7巻を先に読んでしまったので、あまり第1巻から第6巻までを読む気になれません

ところで、身近な知人に、読みたい作品を探しに図書館に行ったら「下巻」しかなかったので、それを借りてきて読んだ人がいます 普通、「上巻」が無ければその場は諦めて、「上巻」を入手して読んでから「下巻」を読むと思うのですが、皆さんはどう思われますか?こういうのを世間では”本末転倒”あるいは”前後不覚”といいます。これでよろしかったでしょうか?今では、これで大丈夫でしょうか?ちなみに、その知人は未だに「上巻」を読んでいないようです

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都響「室内楽トークコンサート」を聴く~モーツアルト、ウェーバー、ドビュッシー、ラヴェル

2014年02月03日 07時00分31秒 | 日記

3日(月)。昨日、上野の東京文化会館小ホールで東京都交響楽団による室内楽トークコンサートを聴きました プログラムは①モーツアルト「弦楽四重奏曲第21番ニ長調”プロシャ王第1番K.575」、②ドビュッシー「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」、③ウェーバー「クラリネット五重奏曲変ロ長調」、④ラヴェル「序奏とアレグロ」です

 

          

 

会場は文字通り満席。自席はQ列13番、左ブロック最後列です。最初に都響のフルート奏者・小池郁江さんが登場、1曲目のモーツアルト「弦楽四重奏曲K.575」について簡単に解説します

「この曲は『プロシャ王四重奏曲』と呼ばれている3曲のうちの1曲目で、プロシャ王であるフリードリヒ・ヴィルヘルム2世から直々に作品の依頼を受けたと言われています 王はチェロをたしなんでおり、相当な腕前だったようです したがって他の四重奏曲に比べてチェロの活躍が随所に見られます

演奏者の登場です。左から第1ヴァイオリン=及川博史、第2ヴァイオリン=篠原智子、ヴィオラ=村田恵子、チェロ=森山涼介という面々です

私はモーツアルトの弦楽四重奏曲の中でも特にこの曲が好きで、LP時代にはよくヴェラー弦楽四重奏団の演奏を聴いていました。第1楽章冒頭のメロディーを聴くとワクワクします 都響のメンバーによるカルテットは、モーツアルトの音楽の楽しさをよく表現していました

 

          

 

再び小池さんが登場し、次のドビュッシー「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」について解説します

「この曲はフルートとヴィオラとハープという珍しい組み合わせの曲ですが、この編成はドビュッシーが最初に採用したと思われます 後世に大きな影響を与え、日本では武満徹にもこの組み合わせによる素晴らしい曲があります 午前中、リハーサルをやったのですが、ハープを弾く山宮さんは、本番はドレスですが、リハーサルの時はパンツ姿で、足の動きがよく見えるのです ハープは傍から見ていると優雅に見えますが、実は足元のペダルで”調性を調整”するために足をバタバタと忙しく動かしていて、まるで白鳥の足掻きのようなのです。目に見えないご苦労があるのが判りました

演奏者の登場です。左からフルート=小池郁江、ハープ=山宮るり子、ヴィオラ=村田恵子の順にスタンバイします。幽玄といったら良いのか、ドビュッシー特有の浮遊感を感じさせる曲想です 3つの楽器の絡み合いが実に自然です。ヴァイオリンでなくヴィオラを起用したところにドビュッシーの天才ぶりが垣間見られます。素晴らしい演奏でした

演奏の途中、左ブロックの前から3列目の左通路側席からテレビ画面のような明りが見えました よく見ると、ケータイよりはるかに大きなサイズのタブレットらしき画面を見ているのです。女性の二人連れのようで、隣の女性も覗いています 3列目ですよ、奥さん これは相当目につきます。左ブロックの4列目より後ろの全ての聴衆の目に入っているはず。残念ながら、多くの聴衆が集まる公演の中には、まだまだこういう傍若無人で非常識なヤカラが一人はいるのです コンサートの生演奏中に堂々とタブレットを見る行為は、当選するはずもなく東京都知事選に立候補した上に、ライバル陣営の選挙カーに乗り上げて、自分の名前を連呼する行為と同じくらい無謀な暴挙です

休憩時間が終わって、自席に着いてその席を見ると、2つの席が空いたままになっていました 誰かが腹に据えかねて直接注意したか、係員にチクッた、もとい、注意を促したに違いありません こういう人はお金を払ってコンサートに来る必要はありません。お金をドブに捨てるようなものです。自宅で、どのチャンネルを回しても出てくるお笑い芸人の、上がる一方の(つまり、下らない)番組でも見ていればいいのです 昨日、左ブロックの4列目から後ろの席で聴いていた全ての聴衆を代表してお二人にお願います。もう二度と都内のコンサート会場に姿を現わさないでください。それが日本の平和と安全のためです

 

          

 

再度、進行役の小池さんが登場、ソリストの三界秀実さんを呼んで、次のウェーバー「クラリネット五重奏曲」について会話します

小池「クラリネット五重奏曲といえばモーツアルトの作品が有名ですね。リハーサルでウェーバーの作品の演奏を聴きましたが、弱音から強音まで幅広い音域で、凄いテクニックを必要とする曲だと思いました

三界「モーツアルトのほかに、ブラームスもクラリネット五重奏曲を作曲しています ウェーバーの作品は2人のちょうど中間に当たる時期に書かれました。モーツアルトの作品は当時の名手アントン・シュタートラーのために書かれ、ブラームスの作品は同じく名手ミュールフェルトのために書かれました それと同じように、ウェーバーの作品は、名手ハインリヒ・ベールマンのために書かれました

演奏者の登場です。今度はヴァイオリンが入れ替わり、左から第1ヴァイオリン=篠原智子、第2ヴァイオリン=及川博史、クラリネット=三界秀実、ヴィオラ=村田恵子、チェロ=森山涼介という編成です

第1楽章はアレグロですが、アダージョのように静かに始まります。そしてテンポアップして劇的な雰囲気を醸し出します 聴きどころは第2楽章の「ファンタジア」のアダージョです。三界のクラリネットの本領発揮といったところです。最弱音から弱音へ、弱音から強音へと移り変わるその音色の変化はさすがです 弾むような第3楽章メヌエット、そして再び名人芸の見せ所、第4楽章フィナーレです。ウェーバーってこういう魅力的な曲も書いていたのか、と再認識した演奏でした

小池さんが登場、最後のラヴェル「序奏とアレグロ」の解説をします

「この曲はフルート、クラリネット、ハープと弦楽四重奏という珍しい組み合わせによる七重奏曲です どの楽器をどこに配置するか、リハーサルでいろいろと試してみたのですが、ハープはセンター前面に配置することにしたまではよかったのですが、あとの楽器をどうするか問題が残りました またまたいろいろと試してみた結果が、これから演奏する配置です

どの楽器をどういう配置にすべし、という指定はないのでしょうから、実際に演奏する時に演奏者が話し合って決めるのだということがよく分かりました。実際の現場では「俺がセンターだ」とか「私は客席に近い端の席がいいわ」とか(心の底で)言い争いがあるのかも知れませんが、そこは天下の音楽家です。”謙譲の精神”でうまくハーモニーを奏でるのでしょう その結果、7人の奏者は、ハープをセンター前面にして、それを囲むように左からフルート、クラリネット、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロという編成を採りました 

この曲は七重奏曲ですが、実質的にはフルートとクラリネットと弦楽四重奏をバックにして演奏するハープ協奏曲のような感じの曲です 後半にはハープによる華麗なカデンツァがあるのがその証左です 11分足らずの短い曲ですが、色彩感豊かな曲想で、天才ラヴェルを感じました

アンコールにラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を三界秀実氏が編曲した版によって演奏しましたが、これもまた素晴らしい演奏でした

この日の「都響メンバーによる室内楽トークコンサート」にしても、新日本フィルがやっている「室内楽シリーズ”音楽家たちの饗宴”」にしても、オーケストラのメンバーが、小編成で聴衆と距離が近い小ホールで室内楽を演奏するのはとても良いことだと思います 機会があればまた聴きたいと思います

 

           

 

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クラシカル・プレーヤーズ東京の演奏会を聴く~バッハ「管弦楽組曲第3番」ほか

2014年02月02日 08時05分03秒 | 日記

2日(日)。昨日、池袋の東京芸術劇場でクラシカル・プレイヤーズ東京の演奏会を聴きました プログラムは①ヴィヴァルディ「4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調」、②テレマン「リコーダーとファゴットのための二重協奏曲ヘ長調」、③C.P.E.バッハ「オルガン協奏曲ト長調」、④J.S.バッハ「管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068」。指揮とチェンバロは有田正広です

 

          

 

クラシカル・プレイヤーズ東京は、古楽器奏者・有田正広が1989年4月に結成した「東京バッハ・モーツアルト・オーケストラ」が2009年3月に幕を閉じた後、同年6月に名称を「クラシカル・プレイヤーズ東京」と改め、バロック、古典派を中心にオリジナル楽器によって演奏を続けている音楽集団です ヴァイオリン・リーダー(コンマス)は木村理恵さん、ヴァイオリンにはバッハ・コレギウム・ジャパンで活躍する荒木優子さんも加わっています

自席は1階H列13番、センターブロック左通路側席です。8列目なのでかなり前の席です 会場は8割方埋まっている感じです。舞台中央には、鍵盤から下が黄金色に輝くチェンバロが置かれています また舞台正面2階のパイプオルガンは「クラシック面」が顔を見せていますが、奏者の椅子の左側に何か反響版のようなものが見えます。あれは何だろう?と疑問に思いましたが、あとで判ります

 

          

 

拍手に迎えられて有田正広と弦楽奏者18名の登場です。1曲目のヴィヴァルディ「4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調」は立ったまま演奏します。前列に4人のソリストが、左から木村理恵、廣海史帆、荒木優子、迫間野百合という順に並びます

ヴィヴァルディは400曲あまりの協奏曲を書いていますが、「4つのヴァイオリンのための協奏曲」はその中でも屈指の名曲です 短調特有の秘めた情熱を感じさせる曲想です。古楽ヴァイオリン独特のやわらかい音が会場を満たします ソリストは4人とも素晴らしい演奏を展開しました

2曲目のテレマン「リコーダーとファゴットのための二重協奏曲」は、座って演奏するようです。指揮者とともにリコーダーの宇治川朝政(2005年ブルージュ国際古楽コンクール第2位)とファゴットの堂阪清隆(元都響首席)が登場します。高音楽器リコーダーと低音楽器ファゴットとの相対する楽器の組み合わせによる二重協奏曲ですが、絶妙のコンビネーションです 二人のソリストはテレマンの音楽の楽しさを十分に伝えてくれました

3曲目のC.P.E.バッハ「オルガン協奏曲」のために、舞台正面2階のパイプオルガン席にベルギー出身のジャン=フィリップ・メルカールトがスタンバイします すると、彼の左側にあった反響版のようなものに彼の姿が映し出されました。それは鏡だったのです つまり、指揮者の指示を鏡を見て確認しながらオルガンを演奏するという訳です

サントリーホールなどは、オルガンの鍵盤の上方に小さなモニター画面があって、後ろ向きの奏者はそれを見て指揮者の指示を確認するのですが、果たして、この東京芸術劇場にはモニターが無かっただろうか?と疑問に思ってしまいました サン=サーンスの「交響曲第3番”オルガン付”」を演奏する時はどうするのだろうか?あの鏡を使うのだろうか?あるいはモニター画面は隠されていて、今回は”予算の関係”で使わなかったのだろうか、あるいは、”クラシカル・プレイヤーズ”だから敢えて古典的な方法を採ったのだろうか、などと勝手なことを考えてしまいました いずれにしても、こういうスタイルは初めて見ました

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハはヨハン・セバスチャン・バッハの次男坊ですが、1740年5月にフリードリヒ2世が即位した後、正式に宮廷楽団に採用されました。鍵盤楽器の演奏、作曲、教師、王の伴奏者など様々な仕事をこなしていたようです

曲は軽快なアレグロから始まります。優雅なラルゴを経て、プレストのフィナーレを迎えます。大バッハの息子らしい素晴らしい音楽です

さて、この日のメイン・ディッシュは大バッハの「管弦楽組曲第3番BWV1068」です。バッハの管弦楽組曲は4曲ありますが、第2番と第3番がよく演奏されます。「第2番」はフルート、弦と通奏低音、「第3番」はトランペット、ティンパ二、オーボエ、弦と通奏低音で演奏されます 舞台上には弦に加えて管打楽器のメンバーが加わります。有田のチェンバロを中心として、左サイドにヴァイオリン群が、中央にコントラバスとチェロが、右サイドにティンパ二、オーボエ、ファゴット、トランペットがスタンバイします オーボエにはバッハ・コレギウム・ジャパンで三宮正満とともに活躍している尾崎温子の姿があります

この曲はトランペットが3本加わっているので曲全体が華やかさに満ちています。また、第2楽章は弦楽器だけによる「エア」で、世間では「G線上のアリア」として知られています。こういう曲を聴くと、やっぱりバッハはいいなあ、と心底思います

 

                           

 

ロビーでは次回の演奏会のチケットが販売されていました。プログラムはモーツアルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」(フォルテピアノ:仲道郁代)他で魅力的です 日時を確認すると6月21日(土)午後3時開演となっています。またしてもすでにコンサートの予定が入っていて聴きに行けません しかも、この日は同じ時間帯に現在3つコンサートが重なっていて、2つを別の日に振り替えなければならないのです クラシカル・プレイヤーズ東京のその後の公演は2015年の2月14日(土)とのことで、こちらは”今のところ”何も予定が入っていないので行けると思います。いや、行きたいと思います

 

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矢月秀作著「もぐら凱(上)」を読む~戦闘シーンは映像化が欲しい

2014年02月01日 09時18分01秒 | 日記

2月1日(土)。とうとう2月に入ってしまいましたね。”二月は逃げる”と言われます 28日間しかないし、あっという間に過ぎ去ってしまうでしょう。オノオノ方、油断めさるな

昨夕、久しぶりに地下の焼鳥Rと同じく焼鳥Oを連チャンしました ここしばらく体調不良で「何を飲んでも何を食べても美味くない」と嘆いていたX部長が、「味覚が戻ってきた」と言うので、T君と3人で”快気祝い”に飲むことにしたのです。2軒目のOでS建設の巨艦Fが加わり飲み続けました 向こう側の席では記者クラブの皆さんが研修生の送別会らしき会合を開いており、若い女性が多いそちらの会合に、X部長が時々ちょっかいを出しに行っていました。多分軽くあしらわれていたのだと思います ビール、日本酒をしこたま飲んだので今日も朝から絶不調です

 

  閑話休題  

 

朝日夕刊の「人生の贈りもの」コーナーでは、現在ヴィオラ奏者・今井信子さんが記者のインタビューに答えています 連載第2回目の記事では、桐朋学園高校に入学し、有名な斎藤秀雄先生に指導を受けた時のエピソードが書かれています

「学生オーケストラの練習がうまくいかないと、怒鳴って指揮棒を放り投げ、メガネを床にたたきつけて譜面台は蹴飛ばして出ていってしまった

日経朝刊で連載中の「私の履歴書」でも小澤征爾氏が斎藤秀雄氏の厳しさを書いていましたが、相当のスパルタ主義者だったようです 一方、ただ怖いだけではなく、今井さんが日本音楽コンクールで1次予選落ちした時は、上級生の飯守泰次郎氏や秋山和慶氏らとご飯に誘うという優しさももっていたようです

今の音楽教育の現場で斎藤秀雄氏のようなスパルタ教育をしていたら、まず親が飛んできて「人権無視を止めて」「褒めて育てて」と叫ぶでしょう

 

  も一度、閑話休題  

 

矢月秀作著「もぐら凱(上)」(中公文庫)を読み終わりました これは当toraブログ読者Nさんからいただいた本の1冊です。この著者の書いた本では「D1警視庁暗殺部」を当ブログで取りあげているので、これが2冊目です

国家公安委員会が警視庁のモール(組織犯罪対策部犯罪追跡特務班)の増強を進める中、何者かによってモールの古谷警部補が殺される さらにモールのメンバーを狙った殺人事件が再び起こる。その上、モールから足を洗い沖縄で紗由美と平穏に暮らしていた影野竜司にも、強力な敵が襲いかかる それは警視庁内部の首謀者による無国籍集団を利用した陰謀だった。巨大な力を前にして竜司は生き残って紗由美も元に戻れるのか

この作品は「もぐら」「もぐら讐」「もぐら乱」「もぐら醒」「もぐら闘」「もぐら戒」に次ぐ「もぐらシリーズ」第7弾とのことですが、わたしは第7作を最初に読んだことになります しかし、それぞれが完結しているので、どれから読んでもスンナリとストーリーが頭に入ってきます

内容が内容だけに、戦闘シーン、それも武器を使った戦闘ではなく、素手と素手で戦う戦闘シーンがかなり頻繁に出てきます これらのシーンは文字で読んでいてもほとんど理解できません。映画化して映像で見せてもらえれば、なるほどと分かるのではないかと思います

 

          

 

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