名古屋城本丸御殿建築の進捗状況を見てきました。
こちらが入口
煌びやかな障壁画の数々
狩野派の絵師の作
背景は全て金箔 当時の栄華が偲ばれます。
平日にも関わらずお客さん多い。。
外国の人多い。
書院はまた、更に立派。
建築風景を見学することができます。
基礎はコンクリートですが、あとは木造建築 梁の木が長くて太い一本
着々と建築が進んでいます。
天守閣も天晴!
本丸御殿が全部完成するのはまだまだ先です。
岐阜県関市の 「塚原遺跡公園」
縄文時代の住居跡を発掘調査し遺構を整備し、住居が復元されています。
公園の奥には塚原遺跡公園展示館があり、出土品の数々や近郊の古墳の
資料が展示してあります。 (無料)
竪穴式住居
住居の中には炉と縄文土器が。。
見上げると、木や萱で組んだ屋根の様子が伺えます。
美濃市立花にある長良川発電所。
明治43年(1910)建設の発電所で現在も発電中、100年以上も現役。
門には中部電力のマーク
赤いレンガのモダンな建物 丸窓が印象的。
建設当時の姿をそのまま残したレンガ造りの建物、正門、外壁が近代化遺産として
の価値が認められ平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。
見学会も行われています。 (詳細不明)
揖斐川町歴史民俗資料館に行ってきました。
予備知識なしで行ったので、あまりの建物の立派さに驚きました。
まずは揖斐川町ということで、川漁関連の展示。
かなり大型の船が展示してありました。
川漁の道具多数、
用途はだいたい分かる、、川によって網の形などがすこし違うようだ。
ブリキのオトリ缶はもう過去の物なのか。。。
今でも欲しいんだけど手に入らない。
昭和初期の駄菓子屋の風景。
こんな陳列ケースは、昭和40年代くらいまではありましたなぁ~
結構リアルな展示です。
その他館内には、古墳の資料、揖斐城の資料、古文書、揖斐川町の祭りの資料など
興味深いものが多数展示されています。
資料館の外にもいろいろ目を惹くものが。。。 旧小学校の屋根瓦。
ダムで沈んだ徳山村の民家を移築したもの。
中は見学できませんでした。
屋根は葺き替えてまだ新しい。
民具も軒下に元々あったかのように。
『揖斐川町歴史民俗資料館』 なかなか素晴らしい資料館でした。
レキミンファンとしてお勧めします。 (入館料100円)
岐南町の宮川家住宅を見学してきました。
明治26年(120年前)に建てられた茅葺屋根の農家です。
現在は屋根はトタンと瓦で葺かれています。
珍しい焼き物でできた井戸口。
潜り戸をくぐると、日当たりが良く、風通しも良さそうな畳の部屋。
(上がって見学もできます)
かまど
振り向くと人の気配、家族できちんと正座して食事中でした。
昭和40年代のデパートから抜け出してきた。。。
少し服が古びているのが可愛そう、お母さんの手の角度がちょっとエクソシスト。
養蚕の道具に機織り機、昔の道具はすべて木でできている。
階段を上がると、茅葺屋根の裏側を見ることができます。
白川郷の合掌造りとよく似ている、ジョイントなどは無く、縄で骨組みを固定している。
岐南町伏屋邸の門を移築したもの、こちらも100年以上になるそうです。
岐阜県羽島郡岐南町平成7-38
平成23年3月31日をもって閉校になった愛知県立東山工業高校。
閉校して暫くはグランドをサッカーの試合などに使っていましたが。
とうとうこの時が来ました。
プールやクラブハウスはもう跡形もなくなっていました。
西の方から校舎を解体しているようです。
心の中をメリメリと重機が破壊していきます。
戻るところが無い。。。 というのは 寂しい限りです。
既にサーブの像や、校歌の碑はありませんでした。
何処に行ったのでしょうか、ご存じの方教えてください。
この場所は学校にするには最高、名古屋一立地のいいところだと思います。
地下鉄の駅から近いし、日当たりも良好で、部活で野外トレーニングするにも、
少し走れば山あり丘ありで、ホント青春の丘でした。
とにかく寂しい
瓶入の歩道橋から
賤ヶ岳に初めて行ってきました。
国道8号の賤ヶ岳トンネルは年に数回、幾度となく通っていますが初めて。
登山リフト乗り場へ 往復760円
結構長いリフトです。 (延長512mだそう)
山頂駅降りてすぐのところからの奥琵琶湖の眺望。
山頂駅から賤ヶ岳山頂までは、ひたすら登り。
ひと汗かいたら(10分くらい)もうすぐ山頂、こちらは木之本方面の眺め、奥に霞んで
見えているのは伊吹山。
山頂にある「武者像」 賤ヶ岳の戦いが終わったあとの無常観を感じさせます。
ここで命を捨てたもの、気勢を上げたもの この地で本当にあったこと。。。
そんなことを思っていたら、諸行無常の風が吹いてきました。
こちら、山頂から余呉湖を俯瞰。
凄く高度感がある景色です。
静かな神秘的な湖です。
山頂から奥琵琶湖。
遥かなる景色。。。
だけど、逆光線のイメージはなんだか寂しい 憂い顔のシルエット。
賤ヶ岳から見る景色は雄大で、神秘的で、少しセンチメンタルな景色でした。
下りもリフトで。。
登りでは気づかなかったけど かなりの急斜面で スリルが味わえます。
敦賀と木之本を結ぶ県道140号線にある柳ヶ瀬トンネルを通ってきました。
明治15年国鉄北陸本線のトンネルとして開通、その後昭和39年にこの
ルートが廃止になり、昭和55年に線路の後を車道として供用されたもので
トンネルは単線分ぎりぎりの幅で、クルマはトンネル内ではすれ違うこと
ができない。
トンネルの入口に信号が付いていて、信号に従って通行するようになっている。
延長1,352mあります。
かなり狭いですよ。
西浅井塩津浜の 「奥びわ湖 水の駅」 で最初の休憩。
そこに丸子船が保存展示してありました。
江戸時代に琵琶湖の水運で活躍していた船です。
ここの展示は狭い建物の中にあり、正面からも、外周からもちょっと見にくい。
丸子船のことをもっと知りたくなったら
塩津浜から国道303号線を走り、大浦という交差点を入ったところに 「淡海・丸子船の館」
があります。
上から下から、全景を見ることができます。
7月に開館した 「岡崎市旧本多忠次邸」 を見学して来ました。
本多忠次は本多忠勝を始祖とする旧岡崎藩主本多家の子孫で、このたび開館した
建物は、本多忠次が昭和7年東京・世田谷に建てた住宅の一部を移築復元したものです。
(スパニッシュ形式の洋館)
庭にある壁泉
壁にはライオンの彫刻
玄関 午前9時から午後5時まで内部を見学することができます。 (月曜休館)
部屋と廊下の仕切りにステンドグラス
抽象的なデザインでなく絵画のようなステンドグラス
団欒室の重厚な造りの椅子、布は張り替えられているそうですが、実際に使われて
いたものだそうです。 (使用可)
フローリングや階段、造り付けの家具などすべて実際の物を使用、濃い木の色と
漆喰塗りの優しい白に雅やかさと落ち着きを感じます。
食堂の大テーブルの脚、あまりにも彫刻が立派なので撮ってみました。
食堂のステンドグラス、暖かみのある色合いに格調高い文様。
食堂の漆喰飾り天井とシンプルなシャンデリア、いかにも洋館という感じ。
ここに下がっている電球が気に入りました。
夫人室に続く半円形の日光室、ここから夫人がお屋敷の景色を見ていたんでしょうね。
浴室にもステンドグラスが。。。 うちもこうすりゃよかったなぁ~
玄関を入ってすぐのところにある壁泉 タイガーマスクから水が噴き出すのかな?
特徴的な三連アーチ、丸と三角を組み合わせた明るいイメージの洋館。
洋館ですが和室や茶室などもあります。
岡崎東公園の中にあります。
桑名市 「諸戸氏庭園」 を見学してきました。
只今、春の一般公開中
菖蒲が見頃になっています。
梅雨の時期に、清々しい青系。
庭園はまだ若葉の季節 目が癒されます。
現在、御殿は修理中で、玉突場の方にも入れません。
とりあえず 時間の許すかぎり 菖蒲を堪能。
いろんな角度から眺めて 和の風情を楽しむ。
お腹は私も負けてませんが。。
春の公開は6月17日まで
豊田市新盛町の大鷲院に行ってきました。
足助から5㎞ほど稲武方面に向かったところに看板があります。
扶桑山 大鷲院(だいじゅういん) と言い、曹洞宗のお寺で裏山にある磨崖仏が有名。
総欅造りの山門には、山岡鉄舟の筆による「正法」の額があります。
山門を潜ると、石碑が到る所に立っていて、古そうなものは達筆過ぎて読めませんが
新しいものは、いろいろタメになる言葉が刻まれていて、それを一つ一つ確かめながら
歩くのも楽しみの一つだと思います。
参道はモミジのトンネルになっていて、かなりの巨木ばかり 紅葉の時期が楽しみ。
本堂は比較的新しい。
安全祈願のお参りを済ませて、裏山の磨崖仏拝観へ。。
散策コースは山頂までの登りが約20分、下りが15分くらい。
順路のいたる所の岩に、仏様が彫刻されています。
昔は修業の場ともなっていて、岩をよじ登る業などが行われていたそうです。
役行者(えんのぎょうじゃ)像。
7世紀後半の山岳修行の開祖、厳しい修験道のシンボル=このお寺の理念が
伺えます。
どれくらいの樹高があるのか。
ちょうど登山道のすぐ脇にあるので、下から見上げるだけなのでわからないけど
迫力満点の巨大な樅の木です。
いつからここにあるのか、どこから転がって来たのか。。 単独の大きな怪石がごろごろ。
ここにも仏像が彫られています。
三重県の石山観音のような、大物の磨崖仏は一つもありませんが、その数が多い。
弘法大師が88体 観音様が~100体 ほどあるそうです。
彫られた時期は明治初~中期頃。
山頂近くにある八丈岩。
化猫伝説がある大きな岩塊で、いかにもという感じの、パワーが来ている場所です。
海抜500mの山頂、見通しはきかないが、木漏れ日が幻想的。
ここからは下り、滑り易いので慎重に下る。
山頂付近は巨岩怪石がごろごろ
帰りのコースは、磨崖仏は少ないです。
無事に降りてきました。
横から見るとお寺の石垣も凄い立派、お城の石垣のようです。
この石垣工事を文化13年(1816)大飢饉の際に難民救済のため、人夫賃を寺の米で
支給する目的で造ったそうです。
(注意)
コースは未舗装で急斜面の上、落ち葉が堆積していて滑り易く、また、断崖になって
いるところも数ヶ所ありますので心して歩く必要があります。
(サンダルでは無理です)
あと、山全体が昼なお暗い感じなので、夕方日没近くには入山しない方が賢明です。
今庄町と敦賀市を隔てる木の芽峠はスキー場ベースからひたすら昇ったところにありました。
峠の歴史は天長7年(830)まで遡るとか。
※日本海を眺めるには、ここから20分くらい登山しないと見えないそうです。
木の芽峠には、峠の茶屋番と言われる茅葺の建物が現存しています。
築550年ほどの堂々とした佇まいの一軒家で、今でも峠の関守を務めた前川家の
子孫の方が住んでおられます。
茅葺の構造、葺き替えてまだ新しい。
維持が大変と思います。
お屋敷の上の高台には、大変珍しい貴重な、梨の巨木があり、雪のような白い花を
咲かせていました。
茶屋と言っても売店などはありません、普通に生活されているお宅です。
薪を焚く煙の匂いがたまらない、古(いにしえ)へと導かれて行くような。。
先人の足音が聞こえる。。。
スキ-場周辺は自然の宝庫、図鑑でしか見たことがないような植物がたくさん。
ザゼンソウ
ごっそり盗掘された跡がありました悲しいことです、ここにあってこそ美しいのに。
山菜キング タラノメ
天ぷらにするとおいしいけど見るだけ。
山葵
何か知らないけど、山の花。
スキー場入口には山菜採取禁止の看板ありました。 採っちゃだめです。