「今度こそ、鎌倉殿は
自分を評価してくれるだろう」
といった台詞を義経は吐く。
しかし、平氏が滅んだことで
軍事的天才・義経は
頼朝にとって用済みとなり、
むしろ敵に利用されやすい
危険な存在となったのである。
あとはご承知のとおり、
義経は頼朝から追われる身となり、
最後は陸奥で藤原泰衛(やすひら)
に急襲されて自害する。
31歳の若さだった。
「人事の日本史」
著 遠山美都男 関幸彦 山本博文
兄弟なのに残念な結末
有能でかつ情熱家、
そんな義経であったのに、
いつのまにか組織の中では危険分子とは
兄弟が同じ世界で生きるのは
好ましくないのかもしれない。
権力者、組織のトップに立てば、
兄弟など、赤の他人よりも、
難しい人間関係なのかもしれない。
妻という他人がついて、
夫婦という家庭を構成すれば、
兄弟など、もう親戚といって、他人である。
できることなら、頼朝、義経兄弟、
娑婆を離れ、お忍びで会って
酒を酌み交わしたかったに違いない。
とはいえ、義経にもう少し
組織の一員として自覚があれば
死なずに済んだだろうに…!
早起き鳥
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