私のいう「依存」とは
自己の全面放棄であり、
相手に全責任と全支配権を
与えてしまうことに他なりません。
こうなると、うまくいかない場合、
しばしば人間は相手に
責任転嫁しがちになるものです。
あるいは相手のもの以外でも
自分自身でないもののせいにして
自分の責任からのがれようとするのです。
「盛運の気」 無能 唱元
こんな世知辛い世の中が悪い
親の血を引いているからどうしようもない。
社会が悪い、先祖がわるい、
背後霊のいたずらにちがいないと。
そんな風に自分を犠牲者にして
責任転嫁するのが得意な人がなんと多いことか。
すべて自分以外の責任だと思えば気が楽になる。
でもそれで解決するのかとよく考えると
決してそうではなく、
心の奥底では常に自分に責任があって、
責任転嫁をしている自分を恥じる心が必ずある。
そして無責任な自分を恥じる
もう一人の自分が居る。
だから心が暗くなるのではなかろうか?
だったら、逃げずに責任を全うした方が
辛くても心は晴れ晴れとして
もう一人の自分に恥じないで済むような気がする。
それとも心底、責任転嫁をしてしまって
胸を張って、開き直ろうではないか…。
早起き鳥
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