トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

自分の事を考える

2006-06-16 11:15:35 | 
前回の記事で中年Aさんのコメントで気がついた事がある

私の心はいつも自分以外の事で一杯だと言うこと
体は前よりも沢山動いている

趣味も忙しくて1日に4時間位没頭している
この前も午前中に急に思い立って部屋の模様替えをした

2時間位かかって午後からお友達のお子さんを預かってそのあと夕飯の買い物に
子供をお風呂に入れて1日があっという間だった

やれやれと椅子に座ったときにはもう夜の9時だった
忙しく動いていても時間が空くと他の事を考えている自分がいる

いつも自分以外の誰かを心に住まわせてしまう
夫の事もそうだけれど、それ以外に友達の事とか、子供の事
果てはテレビの今騒がせている子供を殺したお母さんの事等

掲示板で悩みを投稿しているのを読んであまりに共感できる内容だと
自分の事のように悩んでしまって何日かその事で頭が一杯になって
物事が手につかない時もある

こうやっていつも心の中に誰かを住まわせて自分の問題から逃げているのかもしれない
気持ちや体は自立を目指していた筈なのになぜか心はひとりになりたがらない
でも自分の事を考えるという事がピンと来なかった

昨日は朝から咽がひりひりと痛んでいた
夜には唾を飲み込む事も出来ず、お腹も不調でトイレに何度も行ったりしていた

あまりに辛いのでネットで何かいい方法はないかと探してみた
するとある一人の闘病日記にたどり着いた

彼女は乳がんが再発して余命3ヶ月と言われながらも治療をしながら5年目を迎えていた

亡くなる1年前から闘病記を書かれていたらしい
それをご主人が引き継いでブログを更新していた

彼女の闘病記は正に自分の生きる事で埋め尽くされていた
途中生きる為に離婚され、再婚され、開発される新しい抗がん剤を次々と
試して行く

薬が効いて少し楽になれば外出したり、編み物をしたりする
段々衰えていく体力。薬の副作用と戦いながら毎日、毎日
自分の生きるという事に向き合い続ける

その姿に私は具合が悪い事も忘れて読み続けてしまった

彼女はいつでも自分の事を考えていた
楽になれば些細な買い物や家事を出来た事を喜ぶ

再婚と病気の治療で離れている子供達の訪問の為に自分の体を優先に考える

自分の事を考え自分の体を大切にすれば夫の好きなご飯を作れて
遊びに来る子供に笑顔を向けることができる

そのために自分の事を考える
だんだん衰えていく体力の中でも「次はあの薬を、それが駄目ならこの方法を」と
自分の病気から逃げずに立ち向かっていく

その日記に悲壮感はない
口内炎で物が食べられなくなろうとも食べる事を楽しもうとする
コップ数ミリのビールが飲めた事を心から楽しむ

自分の事を考えるとは、自分が自分の与えられた情況の中でいかに幸せを
見つけていくかを常に考える事なのだと教えられた

彼女のメッセージを読んで、私も自分の与えられた状況の中で
自分が幸せになれる事を考えられるようになりたいと思う

>生きることに向かってそのまま生きて死んでいく。それで十分な気がするんだ。誰でもきっと死のその瞬間まで懸命に生きているのだと思えるし。

>前にも書いたけど私に死の準備はいらない。常に生に向かって生きてそして、いつか死んでいく。死を考えることは、私にとって死のうと思うことではなく生きようと思うことだった。そして、死を受け入れるとは生きる苦しさを受け入れることだった。(私の闘病日記 夫の日記より抜粋)
http://diary.jp.aol.com/applet/9yprwbhknk/200406/archive

もう彼女はいないけれど、ブログの中の彼女は今も生きている
彼女からメッセージを受け取れた偶然を感謝したい