主要な欠点についての説教
2022年12月11日 ドモルネ神父
はじめに
今日の福音の中で、洗者聖ヨハネは、自分について、こう言っています。「『主の道を正しくせよ』と荒れ野に叫ぶ者の声とは、私のことである」(ヨハネ1章23節)。「主の道を正しくする」とは、私たちの主が、私たちの内に来られて留まることができるように、私たちが心を改めることを意味します。私たちの霊魂に、キリストが住まわれ働かれることへの主な障害物は、私たちの「主要な欠点」です。今日、私は、この主要な欠点についてお話ししようと思います。いったい、それは何でしょうか。それをどのようにして特定するのでしょうか。それとどのようにして戦えばいいのでしょうか。
1.主要な欠点
主要な欠点とは、私たちの欠点のうち、どの欠点よりも優勢になる傾向のあるものです。その欠点は、私たちの感情や、私たちの思い、私たちの好き嫌いに影響を与えるため、私たちの選択と行動にも影響を与えるという傾向があります。主要な欠点は、私たちを自己中心的にさせます。この主要な欠点は、私たちの気質と、密接な関係があります。例えば、高慢や怒りに傾く気質、怠惰や無責任に傾く気質、妬みや他人への批判に傾く気質、大食や情欲に傾く気質があります。主要な欠点は、私たちの最も深刻な精神的弱点です。これは、壁にできた深いひび割れのようなもので、このひび割れを直さなければ、どんどん大きくなり、最後には、壁を崩壊させてしまいます。同じように、私たちが、自分の主要な欠点を改めることに注意を払わないなら、私たちの内の恩寵の発展は、台無しになるでしょう。別の例えをしましょう。私たちの霊魂は、城壁に守られた城塞のようなものです。主要な欠点は、この壁の弱い部分、敵がやすやすと城塞に入り込むことができる部分です。私たちの主要な欠点は、悪魔が私たちをやすやすと罪に陥らせることができる、私たちの中心となる弱点なのです。すると、自分の主要な欠点に、特別な注意を払い、それを直すために、真剣に取り組むことが、いかに重要であるかが、お分かりになるでしょう。
2.主要な欠点を特定する方法
さて問題は、どのようにすれば、自分の主要な欠点を特定できるか、ということです。第一に、私たちを照らしてくださるよう、聖霊に祈る必要があります。私たちは通常、自分自身について、ほとんどよく分かっていないため、自分の主要な欠点が何なのかを、理解するためには、聖霊の御助けが必要なのです。
次に、自分に質問をいくつか投げかけ、正直に答えてみるべきです。朝起きたとき、あるいは日中一人でいるとき、私の心の中に、いつもどんな思いが浮かんでいるでしょうか? 自分がどう見られているのか、他人が私をどう思っているのかをいつも考えているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、虚栄心でしょう。別の質問です。いつも私を喜ばせたり、悲しませたりするのは何でしょうか? 例えば、他人に良いことが起こると、いつも私を悲しませるとすれば、おそらく私の主要な欠点は、嫉妬でしょう。別の質問です。私の決断や行動の動機は、いつもは何でしょうか? 例えば、私がいつも、家事や仕事から逃れようとしているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、怠け心でしょう。別の質問です。私が最も頻繁に犯す罪や、最も頻繁に戦わなければならない誘惑は何でしょうか? 例えば、私がいつも情欲の誘惑に襲われているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、情欲でしょう。別の質問です。他人がいつも指摘する私の欠点は何でしょうか? 実際、他人は、私たちの欠点が何であるかを、もっと早く、もっと正しく見抜きます。ですから、特に子どものころ、両親やクラスメートから指摘された自分の欠点は何でしょうか? 最後の質問です。祈りのときや聖体拝領の後、私たちは、特にどの聖徳を素晴らしいと思って、実践することに魅力を感じるでしょうか? 特に、どの犠牲や霊的な努力をするように求められていると感じるでしょうか? 聖霊が私たちに求めておられるその聖徳や犠牲は、まさに私たちの主要な欠点が出るのを防いでくれるものなのです。
3.主要な欠点と戦う方法
さて、問題は、私たちは、どのようにして自分の主要な欠点と戦えばよいのか、ということです。第一の行うべきことは、そのような大きな仕事ができるように、天主に祈ることです。そうすることは、私たちの生来の力を超えたものであり、私たちは、恩寵によって強められる必要があるのです。例えば、聖ニコラ・ド・フリューの祈りというものがあります。「主よ、私があなたのもとに行くのを妨げるものを、すべて私から取り除き給え。私をあなたのもとに導くものを、すべて与え給え。私自身を私から連れ去って、あなたに委ねさせ給え」。
第二の行うべきことは、良心の自己吟味です。聖イグナチオは、お金について利益と損失を記録するように、自分の主要な欠点について、勝ち負けを記録するように勧めています。ですから、夕の祈りのときに2分ほど時間をとって、一日を簡単に振り返り、自分の主要な欠点を、ほしいままにしてしまったかどうかについて、チェックすることをお勧めします。
第三の行うべきことは、自分の主要な欠点が出るたびに、償いのわざをすることです。それは祈りであったり、食べ物や飲み物を控えることであったり、隣人を何らかの形で助けることであったりします。このような償いのわざは、罪に対する償いであるとともに、また将来に向けて、私たちをもっと慎重にさせてくれるものなのです。
第四の行うべきことは、私たちの生来の善の傾きを、私たちの主イエズス・キリストに正しく奉仕することに向けることです。福音から引用した例で説明します。聖ヨハネとその兄弟である聖ヤコボは、私たちの主イエズスから、「ボアネルジェス」というあだ名を付けられました。このあだ名は「雷の子」という意味です。このあだ名によって、私たちの主イエズスは、この二人の兄弟が、強くて活発な気質であることを示されました。彼らには生来、熱心であるという傾きがあり、それは、彼らの生来の善の傾きでした。しかし、彼らには、怒りと恨みの傾きがあり、これが、彼らの主要な欠点でした。実際、ある日、町の人々が、イエズスを歓迎することを拒みました(ルカ9章54節参照)。そのため、彼らは腹を立て、この町を滅ぼそうとしました。しかし、私たちの主イエズスは、彼らをこうお叱りになりました。「人の子は、魂を滅ぼすためではなく、救うために来たのだ」。言い換えれば、イエズスは、彼らにこう言われたのです。「あなたたちが持っている力や熱意は、あなたたちの勝手な考えや、個人的な願いを満たすために使うのではなく、私の意志に従って、人々を救うために使いなさい」。使徒たちは、この教えを理解し、十分に心を改めたため、聖ヨハネは愛で非常に有名になりました。私たちのすべきこととは、これです。自分の生来の善の傾きがどのように損なわれて、自分の主要な欠点となったかを見て、その後、自分の生来の善の傾きを、私たちの主イエズスに正しく奉仕するように向けることによって、自分の主要な欠点と戦うべきなのです。
結論
親愛なる信者の皆さん、私たちの霊魂において、主の道を正しくしましょう。私たちの主要な欠点をはっきりと特定し、この待降節の間、寛大に、その欠点に取り組みましょう。祝されし御母、私たちの守護聖人、守護天使が、このことにおいて、私たちを助け、導いてくださいますように。