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聖ベルナルドは、私たちの主イエズス・キリストのご来臨を、三つに区別しています。この三つのご来臨について、考察してみましょう。

2022年12月22日 | お説教・霊的講話

私たちの主イエズス・キリストの三つのご来臨についての説教

2022年11月27日 ドモルネ神父

はじめに

聖ベルナルドは、私たちの主イエズス・キリストのご来臨を、三つに区別しています。主がベトレヘムで、人間の本性をもってお生まれになった、地上へのご来臨、恩寵によって私たちの霊魂のうちへ来られる、霊的なご来臨、そして、時の終わりにすべての人を裁くために来られる、栄光のご来臨です。第一のご来臨は、謙遜で隠されたものでした。第二のご来臨は、神秘的で愛に満ちたものです。第三のご来臨は、栄光あるものであり、かつ恐ろしいものです。第二のご来臨は、第一のご来臨の実であり、また第三のご来臨に向けて、私たちを準備するものです。今日は、この三つのご来臨について、簡単に考察してみましょう。

1.私たちの主イエズス・キリストの人間としてのご生涯における第一のご来臨

私たちの主イエズス・キリストの第一のご来臨は、主の地上でのご誕生とご生涯です。イエズスは、御子なる天主であり、天主の第二のペルソナです。主は私たちと同じ人間の本性をお取りになり、ベトレヘムで童貞聖マリアからお生まれになりました。そうして、天地の創造主である天主が、御自ら目に見える姿で、33年間、人間の中でお暮らしになりました。なぜ、主はこの地上に来られたのでしょうか? 皆さんは、もうご存じでしょう。アダムとエワは、最も重い罪を犯したため、自ら天主から離れてしまいました。その結果、彼らは、天主が自分たちに、また全人類に与えると約束なさった永遠の幸福を失ってしまい、全人類は地獄行きの宣告を受けたのです。その時から今日まで、無知と邪悪と道徳的腐敗が、人間社会全体に影響を与え続けてきたのです。

そこで、私たちの主イエズスが、私たちを、地獄と、私たち自身の邪悪な行いから救うために、来られたのです。主が来られたのは、天主についての真理、私たちの存在理由、そして、物事の善悪を、私たちに教えられるためでした。主が来られたのは、私たちの代わりに私たちの罪を償ってくださり、私たちが霊魂を清め、聖なる生活を送るための手段を、私たちに与えてくださるためでした。主が来られたのは、永遠の命と祝福に入るための力を、私たちに戻してくださるためでした。聖ヨハネは、こう言っています。「その方を受け入れた人々にはみな、天主の子となる力を授けた」(ヨハネ1章12節)。

私たちの主イエズス・キリストの、この第一のご来臨は、地上に光と平和と救いをもたらしました。この第一のご来臨は、童貞聖マリアを通してなされ、ご聖体を通して続けられています。ですから、イエズスを探し求めるすべての人は、童貞聖マリアとご聖体に目を向けましょう。主を、主の光と平和と救いと共に見いだすのは、特に、童貞聖マリアと、ご聖体においてです。

2.第二のご来臨:私たちの霊魂のうちへの私たちの主のご来臨

私たちの主イエズス・キリストの第二のご来臨は、第一のご来臨に続くものです。私たちの主の第二のご来臨は、私たちの霊魂へのご来臨です。私たちの主イエズスは、すべての人を永遠の命に招いておられます。主は、すべての人に対して、永遠の命を得るための手段を与えてくださいます。しかし、主は、それを誰にも強制はなさいません。この命を得るためには、誰もが、主を信じることによって、知性において主をお迎えし、主を愛することによって、心に主をお迎えし、洗礼を通して成聖の恩寵を受けることによって、霊魂において主をお迎えするという選択をしなければなりません。成聖の恩寵とは、私たちが天主の命にあずかり、その命が私たちに伝えられることです。私たちが成聖の恩寵を持てば、イエズスが私たちのうちに来られ、私たちを聖三位一体と一致させてくださいます。これは、霊的かつ神秘的なご来臨ですが、現実のものなのです。私たちの主が、主をお迎えする人々について、御父に語られた言葉を思い出してください。「私は、あなたの与え給うた栄光を、彼らに与えました。私たちが一つであるように彼らも一つであるように」(ヨハネ17章22節)。そしてまた 「あなたが私を愛されたその愛が、彼らにもありますように。また、私が彼らの中にいるように、私は御名を知らせ、また知らせましょう」(ヨハネ17章26節)。

私たちの主イエズス・キリストの、この第二のご来臨は、特に霊魂に、光と平和と救いをもたらします。これは、至聖なる童貞マリアを通してなされます。実際、イエズスがご自分のすべての恩寵を私たちに伝達されるのは、マリアを通してなのです。私たちの霊魂のうちへのこのイエズスのご来臨は、聖体拝領によって、強められ、増大されます。イエズスの次の言葉を思い出してください。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私に宿り、私もまたその者のうちに宿る」(ヨハネ6章56節)。ですから、マリアへの大きな信心を育み、頻繁にご聖体を受ける人は幸いです。それによって、イエズスとの一致がますます強くなるからです。

3.第三の来臨:私たちの主の時の終わりにおける来臨

私たちの主イエズス・キリストの第三のご来臨は、その前の二つのご来臨を締めくくるものです。世の終わりに、イエズスは、正義を実現するために、目に見える形で、大きな力と御稜威(みいつ)をもって、地上に戻って来られます。実際、私たちの根本的な存在理由は、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えることです。そして、これは、私たちの主イエズスのみを通じて、なされなければなりません。ですから、私たちの主は、すべての人間を裁かれ、ご自分と一致した人を恩寵によって永遠の命に導かれ、他方、それ以外の者たちを捨てられ、悪魔の力にお委ねになるのです。

この日は、罪人たちにとっては恐ろしい日となりますが、天主の子らにとっては素晴らしい日となるでしょう。教会は、正義に飢え渇いているため、この日を切に待ち望んでいます。この日は実際、天主をあざけったり軽蔑したりするすべての人々の終わりとなり、私たちの主イエズス、聖母や聖人たちを冒涜するすべての人々の終わりとなり、あらゆる不正とあらゆる種類の罪の地上での終わりとなり、悪人たちによる私たちの主の弟子たちに対するあらゆる迫害の終わりとなるでしょう。この日、童貞聖マリアは、御自ら次のように言われたように、永遠の命にお導きになったすべての子らに囲まれることでしょう。「私のいうことを聞く人は幸いである。…私を見いだす人は命を見いだし、主の救いを得る」(箴言8章34-35節)。この日、ご聖体は、イエズスの御約束に従って、その最後の実を結ぶでしょう。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を有する」(ヨハネ6章54節)。

結論

親愛なる信者の皆さん、教会は今日、私たちに最後の審判を思い起こさせ、そのための準備をするように勧めています。私たちの主の三つのご来臨の驚くべき論理を見てください。第一のご来臨では、イエズスは、私たちのもとへと、地上に降りて来られます。第二のご来臨では、主は、私たちのうちにとどまり、私たちを天主のもとへと引き上げてくださいます。第三のご来臨では、主は、私たちを天主の幸福の充満へと導いてくださいます。この第三のご来臨は、最初の二つのご来臨によって、実現されるものです。ですから、私たちが最後の審判の準備をするのは、単純なことです。私たちは、地上の人生の間、私たちの主を、私たちの心、私たちの家族、私たちの社会にお迎えしなければなりません。そうすれば、最後の審判の時に、イエズスは、私たちを迎えてくださることでしょう。「私の父に祝せられた者よ、来て、世の始めからあなたたちのために備えられていた国を受けよ」(マテオ25章34節)。



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